大正天皇の直筆画発見
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大正天皇(1879〜1926年)が描いたとみられる絵が、侍従武官として
大正天皇に仕えた四竈(しかま)孝輔(1876〜1937年)の東京都内の子孫宅から見つかった。
大正天皇と四竈は深い信頼関係にあったと考えられ、絵にあった
大正天皇の名前「嘉仁(よしひと)」の署名がその特徴を備えていることから、
識者は「直筆とみて間違いない」と話す。大正天皇の書は知られるが、絵が見つかるのは極めて珍しい。
絵は四竈家の資料箱に保管されており、整理の過程で見つかった。
縦27・5センチ、横39・5センチの半紙に、墨の濃淡を使って花や葉が
描かれていた。日付はないが、大正天皇に詳しい古川隆久・日大教授は
「他の筆跡と比較しても、署名は大正天皇の直筆とみて間違いない」と話す。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180130-00050018-yom-soci 大正帝は芸術家であり優れた詩人でもあった
病弱であったのが悔やましい 墨の濃淡だけで描いたってのがまたすごいね
美しい上に簡素で伸びやかだわ
惜しむらくは、どこかしら寂しげな印象が残ることくらいかしら 字が上手いより下手な方が見分けやすいからなのかな
まぁ読めるなら個性の範囲ではある >>24
普通に上手い。
朝鮮人にとっては、近年漢字を覚えず幼児文字であるハングルしか教育されていないので識別が難しいのかもしれないが。 未だに隠そうとするのな良いじゃん池沼で
今迄近親婚多かったんだから寧ろ出ない方が不思議だよ 池沼と言うより単にうつ病とかそんなんだったと思う
当時としてはそんな知識も医師団になかったんだろうけど
昭和天皇曰く天皇の地位につくまでは普通だったけど天皇になってみるみる衰弱していったらしいから 明治の精神とともに殉死した自分としては、
お嬢さんのその後だけが気になる 時代が違ったら絵チャットとかで描きあそばれていらっしゃったのかな 大正天皇の書はけっこうたくさんあるが堂々とした字で明治天皇や昭和天皇よりうまい
昭和天皇は紙に遠慮したような書が多い 絵は円山四条派系統の絵かな
宮中に円山四条派の絵師が出入りしたり作品献上したりしてるから多少は習ったのかもしれん >>39
だから冷泉天皇レベルの本格派じゃなくダウン症位な物だったんじゃろな 皇太子時代は元気で一般人に話しかけたりしてたらしいからね 実際奥さん1人だけとか家族を大切にするとか
現代なら美徳も当時ではキチガイ扱いなんだよなぁ
病弱だったし明治天皇崇拝者には気に入らない連中も多かったようだからキチガイ扱いされたような気がする >>41
点描しまくってるあたりが精神壊れてる系の特徴では >>6
線は綺麗だけど
主役のはずの花の方が弱くて
草の葉っぱの強い黒に負けてしまってるのがちょっと気になる >>52
これ主役が花なの?
元々こういう構成なんじゃないの? >>29
近親云々じゃなくて、母親の白粉に含まれてる鉛の影響による脳膜炎で身体が不自由だったって
普通に公表されてるぞ
ガイジ説の方がむしろ通俗的 >>55
説の一つな
江戸時代じゃあるまいし明治中頃には従来の白粉が危険である事は知られていた
実際の所は断定できんが皇族の長い歴史の中結構アレなのが生まれてる以上白粉説より余程確率は高い >>24
言っちゃ悪いけど明仁さんだけが傑出してヘタだな・・・ >>1 署名は大正天皇の直筆とみて間違いない
署名だけだからな、絵が直筆だという証拠はないんだからなw、ちゃんと記事を読むように・・・ >>67
臣下が描いた絵に天皇が署名するっていう想定の方が無理あるが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています