「地獄への使者」
昭和15(1940)年7月、海軍に制式採用され、神武紀元二六〇〇年の末尾の〇をとって「零式艦上戦闘機」と名づけられたこの戦闘機は、同年9月13日、
中国大陸・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機約三十機と空戦、一機も失うことなく二十七機を撃墜(日本側記録)するという鮮烈なデビューを飾り、大陸の空を席巻した。
太平洋戦争が始まったのちも、鍛え抜かれた搭乗員の技倆もあいまってアメリカ、イギリスを主力とする連合軍機に対して圧倒的な強さを発揮し、
「ゼロ・ファイター」の名は、神秘的な響きさえもって連合軍パイロットに怖れられた。
昭和18(1943)年、南太平洋・ソロモン諸島の航空戦で戦死した大野竹好中尉の遺稿となった手記には、ニューギニアで撃墜され、日本軍の捕虜となった
米軍爆撃機・ボーイングB-17のパイロットが、日本側の訊問に対し、
"I saw two Zeros! And next second,I found myself in the fire. They were the angels of the hell to us"と戦慄しながら答えたことが記されている。
「地獄への使者」――これが、連合軍パイロットが見た零戦の姿だった。
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ところが、大戦中盤以降、反攻に転じた連合軍機と血みどろの戦いを繰り広げ、次々に繰り出される敵の新型機に次第に押されるようになり、
ついには爆弾を抱いて搭乗員の命もろとも敵艦に突入する、特攻機としても使われるようになった。その戦いの軌跡は、まさに太平洋戦争の戦局の縮図と言っても過言ではない。
零戦が、いまも多くの日本人の心を捉えてやまないのは、優美な姿や活躍ぶりもさることながら、そんな、「平家物語」にも比すべき「栄光」と「悲劇」の両面をもって語られることにもよるのだろう。

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