【音楽】リリースから40年! 愛され続けるラフィンノーズの名曲『GET THE GLORY』誕生秘話 [フォーエバー★]
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7/25(火) 19:03配信
集英社オンライン
「俺らにとってライブは愛。ライブのステージは聖域」。(撮影/木村琢也)
元「smart」編集長・佐藤誠二朗によるカルチャー・ノンフィクション連載「Don't trust under 50」。ラフィンノーズのヴォーカル、チャーミーの物語も今回が最終回。自らのレーベルから1983年にリリースして、今年で実に40年目!となる代表曲『GET THE GLORY』と、自身の死生観について迫る(全4回の4回目 #1 #2 #3 #4)。
【画像】この日は62歳のバースディ。お祝いの花束もさらりと似合うチャーミー
『GET THE GLORY』は、天が与えた最高の贈り物だった
「あれは、突然降ってきたんです」
1983年にラフィンノーズがインディーズでリリースした最初のシングル曲にして、現在に至るまでバンドを象徴する代表曲となっている『GET THE GLORY』が生まれた経緯を尋ねると、チャーミーはそう切り出した。
「俺とポンの2人でいたとき、どちらからともなく『♪ドッタンドドタン、ドッタンドドタン、にゃーにゃーにゃーにゃにゃー……。栄光をつかめー、栄光をつかめー♪』って。
じゃあ、“栄光をつかめ”って英語で何て言うん? “Get The Glory”じゃんか? となって『Get, Get, Get The Glory!』……あれ、これ、めっちゃええんちゃうか!? みたいな感じでね。そもそも『GET THE GLORY』ってちょっと不思議な、特殊な曲なんですよ。きっとね。ハードコアなのに『GET THE GLORY』ですから」
1981年に大阪で活動を開始したラフィンノーズは、折からイギリスで巻き起こっていたハードコアパンクムーブメントの影響を受け、日本独自のハードコアシーンを切り開いてきた存在である。
ラフィンノーズが初めて世に出した楽曲は、1983年2月にCITY ROCKER Recordsというインディーズレーベルがリリースしたオムニバス盤「OUTSIDER」に収められた2曲(『A Bomb Will Never Die』と『No War』)だった。
そしてその年の12月には、自ら立ち上げたレーベルAA Recordsより、6曲入りファーストEP『GET THE GLORY』を発表する。
「次の日には、マンゴ(DREAMY-MANGO)っていう当時のギタリストが、また妙な感じのギターソロをつけてきて、それも『ええんちゃうんか!』って(笑)。そんな感じでポッポとできた曲なんですよ。
最初に俺とポンに音が降ってきた場所も、今やはっきりしないけど。俺の記憶では、リハの帰りに2人で歩いていたどっかの駅のホームなんです。でもポンは、『チャーミーの家やったやろ?』って(笑)。当時、俺が住んでいた阪和荘っていうアパートの部屋だったって、あいつは言うんですよ」
次ページは:ハードコアパンクの土壌にはなじみにくい、ポジティブなメッセージ
https://news.yahoo.co.jp/articles/de4daf5d31b2eadad11d9e025b0f2db82dee5c7e
https://assets.shueisha.online/image/2023/07/25010927548445/0/O0A2591-scaled-e1689239618497.jpg Paradiseかbroken generationの方がいい歌だろ ゲットザ・グローリーとブロークンジェネレーションと聖者が街にやってくるの3発矢 >>17
ラフィンで刺さるのはないよ
ケンヂやコブラは刺さる
アレだけど ぶっちゃけ>>22以外の楽曲のセンスと出来はコブラの方がいい
でもルックス含めてラフィンに軍配が上がる
AA時代は最強だった 将棋倒し事故の記事で名前知ったわ
何日が後のトップテン出たとんねるず石橋が
「気分はラフィンノーズ!」と絶叫
まあ後で偉い人に怒られたろうねw トリニータサポがチャントにGET THE GLORY歌ってるけどゆったりすぎて眠くなる >>9
ヒットっちゅうか、アマチュアバンドだった時に完全な自主制作で1000枚作ったこの曲のシングルが即完売した ラフィンノーズ、有頂天、ウィラードがインディーズ御三家だったかな。アルタ前そのシートばら撒きとか今のYouTubeバーと変わらんこともやってたな 売れる前のチャーミーが入り浸ってたのが当時関西で爆発的な人気を誇っていた某コピーライターの家だった
このコピーライター来るもの拒まず去るもの追わずでファンでも浮浪者でも誰でも家に入れてた
んでクスリ決めて乱交三昧。自分の嫁も他人にセックスさせてそれを見物するという変態ぶり
チャーミーはこんなとこにいたらヤバいと早々と退散し音楽に打ち込むのであった 一番好きな曲はPUNK IT UPだなぁ。原曲はコブラだけど
だんだん盛り上がってくのゾクゾクする
ドラムもギターソロもめっちゃカッコイイ
>>9
当時バンドブームでラフィンは演奏が簡単だったからみんなコピーした 日本のパンクスはダサいってことが一発でわかるアイドルバンド
どれだけイキってもエンケンの足元にも到底及ばない 事故後活動自粛、音楽性の変化、メンバーチェンジで失速 broken generation 大好きだったわ >>41
そこはまだ人気あったけど、
活動再開後にそれまでの明るく楽しいパンクみたいなノリが影を潜めて、
ボーカルのチャーミーがシリアスな方にのめり込んじゃった。
それについていけなくなってギターとベースが脱退。
しかし、新メンバーで再スタートしたラフィンは普通に明るく楽しいパンクに戻ってて、辞めたベースのPONは拍子抜け。
今度は新メンバーのギターがガチで恐喝で捕まったりとトラブルもあったりして解散。
なんだかんだずっとメジャーの東芝EMIにいたし、それほど人気も落ちてなかった記憶 まぁ、62まで現役続けられたんだから人気はあったんじゃない >>45
meat marketのアルバムんとき重くてびっくりしたわ
チャーミーも声変えてどうしたんだろって チェッカーズになりたかったって言ってたインタビュー見てsong for U.S.Aを嫌いになりかけた ラフィンノーズは、京阪神・東京・北海道道南、この辺りのサブカルユースカルチャーとして人気があった
チャラけていておちょくった若者ノリが痛快で面白かった
女子のファンも多くて原宿女子から支持されてたのも大きかった
アナーキーみたいな俺たち戦うヤンキー系(本当に戦っていたかは知らない)とか
スターリンみたいなインテリの悪ふざけとか
演歌に聞こえたモッズみたいなめんたい系とかとは明らかに違う新しい勢いがあった >>41
そのタイミングでTHE BLUE HEARTSの出現 よく知らないけどラモーンズというのを聴けばこれ聴かなくていいのでは お茶の間のパンクのアイドルを本気で目指してたと言ってた ボーカルの人は進学校からドロップアウトしたんだっけ >>59
えっマジか
歌からも発言からも知性はまるで感じなかった
チャーミー事務所からカード渡されて使い放題だったんよな
そこまでするほどの才能でもなかったと思うんだが 「笑う鼻(直訳)とかいうアホな名前のバンドのチャーミーとかいう奴。福島県民のくせに大阪弁が完璧の詐欺師」
みたいなディスり文章が町田町蔵のコラムとして宝島に載ってたなあ
ネット情報によると町田じゃなくてゴーストライターが書いてたらしいが
当時どっちも好きだったからどう解釈していいか困った
まあラフィンを目の敵にしてたガーゼリップ嘔吐システマとかハードコア勢とかも普通に好きだったけど 鼻で笑うっていうのはジョニー・ロットンを意識してる >>60
知性が感じられないというのはパンクが米英で話題になり始めた頃の論評がまさにそんな感じ
上手く再現できていたのかは分からんけど、そういうのを踏襲してるんだろうと思う
それと真面目なことや堅苦しいことを言いがちな当時の国内既存パンクバンドと差別化する狙いもあったのかもしれない >>63
そういうんじゃなくて単なるイキリアホなんよチャーミー チャーミーが中学の時はツェッペリンのコピーバンドに参加させられてたけど
つまらなくてしょうがなかったとか書いてた
中学でそういうバンドやるってそこそこボンボン学校だったのかな >>66
気仙沼にボンボン中学校なんてあるわけがない
ただ親がバイクを何台もポンと買ってやるような家庭。ミュージシャンは基本的にボンボンよ。パンクだろうがハードコアだろうがね。ボンボンじゃないと楽器なんて買えないし一軒家じゃないと弾けない叩けない タイトルをひたすら連呼するだけの曲。
キャリーぱみゅぱみゅみたい。 >>40,49,57
成りたかったイメージ?
https://i.imgur.com/VGL4GiZ.jpeg
https://i.imgur.com/85WpGR8.jpeg
チェッカーズはフミヤだからカワイイロカビリーアイドルで成功したけど
ラフィンノーズの実際のボーカルは目付きが危ない青年でカワイイパンクアイドルというにはムリがあった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています