「リズム感」と「敗戦」

 「日本人には先天的にリズム感が欠如しているので、ロックは演奏できない」

 成毛滋(なるもしげる)というギタリストが、雑誌でそう主張しているのを読んだのが1972年の秋のことだった。
 『ニューミュージック・マガジン』という雑誌である。

 読んだ私は中学3年だった。
 強く衝撃を受けた。
 いわば西洋が主流の文化に対して、日本人はどんなことがあっても追いつけることはない、という主張である。
 1970年ごろ、よく耳にした論説のひとつだ。

 西洋と東洋は(ないしは西洋人と日本人は)根本的に違っているので、日本人がこのままどれだけ努力しても、永遠に西洋文化に追いつけない、という言説である。この当時、繰り返し主張されていた。

 『日本人とユダヤ人』という本が売れたのがその2年前のことであった。
 この論説は、あまり解決策や、未来展望は示されず、ただ、彼我の違いについて悲観的に述べるばかり、ということが多かった。

 いまとなっては何故そんな自虐的で不健康な意見がふつうに展開されていたのか、またみんながそれを黙って聞いていたのか、少しわかりにくい。要は、当時の日本人の多くが、そういう意見を聞くのをどこかで望んでいた、ということだろう。

 戦争に負けたことがずっと影響していたのだ。

 終戦時20代の兵士だった若者たちが、この1972年の時点ではまだ40代から50代で、社会を担っている一員だったころでもある。実感として、どうやっても西洋にはかなわない、という感情を多く日本人が抱いていた。

 国民を総動員した戦争で負けると、それぐらいの後遺症が残るということだ。

 中学生だった私はもちろん戦争は体験していないのだが、でも「日本国は西洋の後塵を拝するしかないのだ」という空気は存分に吸い込んでいて、そういうものなのかとおもって黙って受け入れていた。東京や札幌のオリンピックでも、基本的な競技では(陸上とか水泳とかスラロームとかスピードスケートとか)西洋人にはまったくかなわず、やはり日本人は彼らに負け続けるのかと淡々とおもっていたばかりである。

 だから、こういうミュージシャンの発言も、そういうものなのか、と信じるしかなかった。

<略>

日本人はベースを弾けない?

 その流れで、「日本にはまともにベースを弾けるやつがいない」ということをとても問題にしていた。

 ベースはリズムを担当するパーツで、バンドのカナメになるのだが、そのことをきちんと理解している日本人がいない、というのが成毛滋の愚痴の根幹にあるようにおもう。

 おそらくいろんな人にベースを弾かせたが、誰もまともに弾けない、という経験があったのだろう。だから、この時期、「日本人はもう民族的にリズム感が悪いから、日本人であるだけでダメだ」というふうに絶望していたようだ。

 たとえばこういうふうに言っている。

 「アメリカいったり、ロンドンいったりして、(…)外人バンドは全部ものすごくうまくやっていた。ところが日本のバンドの連中ときたらリズムが狂っているということにすら気がつかないんですね。」

 翌年1973年の内田裕也との対談ではこういう発言がある。

 「外人ってのは先天的にそういうリズム感をもってるから、あとは自分のやりたい通りにやればさ、リズムは全員あってるっていう基礎に乗っかって、音楽がドンドンできちゃうわけよ。日本人はそれがないから、各自やりたいことやってたら、デタラメのメチャクチャで、まとまりのないものになっちゃうわけよ(…)どうにもなんないんだよ、民族的な差というものはどうしようもないなと思うね」

 絶望の深さがうかがわれる。

続きはソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a1f0eed4691ab1cb0f0bfd042f68dd5b514efcb

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