なんで村上と勝負やねん!阪神、矢野采配で6連勝フイ…次打者は打率0割台も敬遠せずV2ラン被弾
2022/08/01 05:00

 なんでやねん! 阪神は延長戦の末、ヤクルトに2-4で敗れ、連勝は5でストップした。
燕の主砲・村上宗隆内野手(22)が2打席連発中だったにもかかわらず、延長十一回2死一塁で真っ向勝負。
自身初の3連発を献上する惨劇となった。奇跡の逆転優勝へ、同一カード3連勝は必須だったが…。
首位ヤクルトとは再び10ゲーム差。2日の巨人戦(東京ドーム)から長期ロードだが、後味の悪い出発となった。

 1本目であっけにとられ、2本目で絶句した。3本目の放物線は、このシナリオだけは、絶対にたどってはいけないものだった。
矢野監督が描こうとしていたドラマが、村上ただ一人の手によって悲劇に書き換えられた。
延長十一回2死一塁。勝負を避けることなく、挑み、散った。3打席連続本塁打となる決勝2ランを浴び、痛恨の極みとなる1敗となった。

「勝負に行った結果なので、受け止めて、対策を練っていかないと。ずっと打たれるというわけにはいかないので。もちろん、勝負に行った結果っていうのは受け止めています」

 8月以降、ヤクルトに挑めるのか、挑めないのかを決める一戦は2-2で延長戦へと突入。マウンドには2年目の石井を送り出した。
今季、僅差のリード時や同点時の登板はなかったが、この日まで今季16試合に登板し防御率0・90と奮投していた。
プロ初勝利が転がり込むようなことがあれば、石井にもチームにもターニングポイントになったが…。

 後から振り返れば、村上に〝手招き〟されていたかのような経過だった。1死から石井は青木を三振に斬ったが、梅野の捕逸による振り逃げ。奥村は中飛で2死。ここで村上を迎えた。

 次の5番打者はサンタナではなく、代走から右翼に入っていた今季打率・071の渡辺だった。たとえ一塁が埋まっていると言っても、村上との勝負を避けなければいけなかった。
2-0の七回には左キラーの渡辺をものともせずに浜風に乗せる左越え35号ソロを架けられていた。
次の36号では浜風を切り裂き、2-1の九回1死から守護神・岩崎を打ち砕いて、右越えの同点アーチを許した。見つめた誰もが「二度あることは-」と頭によぎった局面だった。

 三度目を生んだのは、セ界最恐の4番打者に、阪神ベンチが挑み続けてしまったからに他ならなかった。
石井はボール、ボールでカウント不利となり、3球目のカーブが高めに浮いた。浜風に乗った白球は闇夜を切り裂いて左翼フェンスのはるか向こうに消えた。

 矢野監督は「いやぁ、まあ、それは見事やしね」と思わずうなったが、村上には7月30日の第1戦にも2ランを許していた。
どれだけ対策を練っても村上によって高く舞う燕たちは簡単には落ちてはくれない。後半戦開幕を11ゲーム差で迎え、追う身としては絶対に3つ取りたいカードだった。
実際に2つ取り、終盤まで優勢に進め、とんでもないドラマを描きながら約1カ月にわたって甲子園を空ける長期ロードでも快進撃を続けるはずだったが、後退だ。

「何もやることは変わらない。いい形でできていることは多いので、そこは今まで通り、今まで以上にやっていきます」

 まなじりを決した虎将だが、この1敗でまた2桁10ゲーム差となった。真っ向からぶつかった3連戦の最後に、挑むには手ごわすぎる相手によって沈められた。(長友孝輔)

■データBOX

・阪神の投手が1人の打者に3打席連続本塁打を許したのは2012年5月8日の広島・ニック(新潟。投手は久保、久保、渡辺)以来。1試合3本塁打を献上したのは16年9月10日のヤクルト・山田(神宮。投手は能見、能見、岩田)以来

・甲子園での3打席連発は10年6月29日の阪神・ブラゼル以来12年ぶり。阪神以外の選手では1961年4月23日の中日・中利夫、84年7月31日の巨人・中畑清以来38年ぶり3人目

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