ロサンゼルス・ラムズ対シンシナティ・ベンガルズの第56回スーパーボウルは、日本ではバレンタインデー、2月14日の午前中に行われるが、2月に入ってから私にとってのビッグニュースはトム・ブレイディの引退だった。

 トム・ブレイディ、44歳。

 21世紀を代表するクォーターバック(QB)である。

 ブレイディは2000年にニューイングランド・ペイトリオッツに入団し、2020年にタンパベイ・バッカニアーズに移籍、そしてこのほど引退を発表した。22年間の競技生活で、これだけの成績を残している。

 ・スーパーボウル制覇  7回
 ・スーパーボウルMVP 5回
 ・シーズンMVP 3回

 天晴れというしかない。
 NFLでも史上最高のプレイヤーのひとり……いや、史上最高のプレイヤーかもしれないと私は思っている。
 実は昨年、かつてほどとは言えないが、今もそれなりに影響を持つ『スポーツ・イラストレイテッド』の「スポーツ・パーソン・オブ・ジ・イヤー」には、私はてっきり大谷翔平が選ばれると思っていた。大谷は超弩級のインパクトをアメリカ社会にもたらしたからである。
 ところが、選ばれたのはペイトリオッツからバッカニアーズに移籍してすぐ、いきなりスーパーボウル制覇をしたブレイディだった
(これにはいろいろと伏線がある。スーパーボウルの50年を超える歴史の中で、開催地のチームが優勝したことはなかったが、そのジンクスを軽々と破ってしまったとか)。

 ブレイディはアメリカのスポーツ史に残るスーパースターだが、2000年にドラフトで指名されたときは、6巡目で全体199番目の指名にしか過ぎなかった。
 私はアメリカのカレッジフットボールのファンなので、ミシガン大学時代からブレイディのことをチェイスしていたが、彼は大学時代は不遇だった。ミシガンには同時期に、ドリュー・ヘンソンというQBがいて、ヘンソンは野球のニューヨーク・ヤンキースに3巡目で指名された、ちょっとしたポップスターだった。
 ミシガンは人気大学だから、世論がおおいに影響する。1998年は第1Qにブレイディが先発し、第2Qをヘンソンがプレーして、出来が良かった方が後半に出るというパターンが続いた。まったくもって、ブレイディはリスペクトされていなかった(ヘンソンはその後、ヤンキースで8試合プレーし、NFLへ。両方のスポーツで芽が出なかった)。
 ところが、ブレイディがペイトリオッツに入団すると、運命が逆転する。
 ヘッドコーチのビル・ベリチックに見いだされ、なんと2年目にチームをスーパーボウル優勝へと導いたのだ。2001年は「9・11同時多発テロ事件」があり、アメリカは騒然としていたが、ブレイディは「アメリカンドリーム」を体現した。

 それにしても、ドラフトの下位指名選手がなぜ抜擢されたのか? 
 20世紀最高のジャーナリスト、デイビッド・ハルバースタムはベリチックのことを書いた”The Education of a Coach”のなかで、ブレイディのことを活写する。
 このルーキーはスナップされたボールを受けたあと、視たものから得られる「情報処理能力」に優れていた。
 ブレイディはフィールド全体の状況を瞬時に判断し、適切なターゲットに投げる力を有していた。これはチームのベテランQBもかなわなかった。

 自らNFLでプレーした経験のないベリチックは(彼の父親は海軍士官学校のコーチで、ベリチックは子どもの頃から父親の映像分析を手伝っていた)、ドラフトの「順位バイアス」から無縁だったし、世論も気にしなかった(今だってそう)。
もしも、ブレイディが他のチームに入っていたら、指名順位に対する偏見から、ブレイディは最初の数年は陽の目を見なかった可能性も否定できない。

 こうした逆境からの逆転のストーリーを、メディアは好んだ。
NFLの世界にとどまらず、ブレイディは”Cultural Icon”、アメリカカルチャーのなかで重要な位置を占めてきた。(続く)

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https://news.yahoo.co.jp/articles/ac7b1868271eb1816e6a8509101f0bb9ec78f00e
2/13(日) 11:01 Number Web