【音楽】細野晴臣「はっぴいえんど」はアメリカと日本の間で宙ぶらりんだった [湛然★]
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細野晴臣「はっぴいえんど」はアメリカと日本の間で宙ぶらりんだった
[2021年11月21日21時52分] 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202111210001345.html
ドキュメンタリー映画「SAYONARA AMERICA」公開記念舞台あいさつで語り合う細野晴臣(左)と佐渡岳利監督
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202111210001345-w1300_1.jpg
細野晴臣(74)が21日、都内で行われたドキュメンタリー映画「SAYONARA AMERICA」(佐渡岳利監督)公開記念舞台あいさつに登壇した。トークの中で「はっぴいえんどの時の気持ちが、よみがえってきていて」と、作詞家の松本隆氏(72)、ギタリストの鈴木茂(69)、13年に亡くなった大滝詠一さんと組み、日本語ロックの礎を築いたバンド「はっぴいえんど」について言及した。
「SAYONARA AMERICA」は、細野のデビュー50周年を記念し、その創作活動の軌跡に迫った、19年のドキュメンタリー映画「NO SMOKING」の先を描いたライブ・ドキュメンタリー映画で、同年に米ニューヨークとロサンゼルスで開催した細野初のソロライブと、直近のトークシーンをまとめた。佐渡監督は「『NO SMOKING』は人生の生い立ちからたどっていった映画だったので、ライブのシーンをあまり入れられなくて。なので、大音響と大画面で楽しめるようにしたかった」と製作の動機を語った。
細野は「こんなに大勢の方がいらっしゃって、世の中が元に戻っているんだなと実感しました」とコロナ禍の中、訪れた観客に感謝した。その上で米国ツアー後、コロナ禍に見舞われたことについて「まったく予想していなかった。10年くらい前の出来事のような気がしていて、バンドメンバーもそうだと思うんだけど、気持ちも変わってしまった」と心境を語った。そして、映画冒頭に収められているモノローグ映像について「だから本作をライブだけの映像にするのは違和感があるなと思って今、感じているシーンをどうしても入れたかったんです。今の自分から見て2019年の自分はどうだったか。それを考えてまとめました」と語った。
「SAYONARA AMERICA」の由来について尋ねられると、細野は「単純に言うと、遠くなっちゃったなという気持ちと、はっぴいえんどの時の気持ちが、よみがえってきていて。あの頃も、自分たちの居場所があまり見つからない感じがしたんです。アメリカと日本の間で宙ぶらりんだった。そんな気持ちを、ある意味、僕はずっとひきずっていると今回思いましたね」と語った。その上で「本当は『SAYONARA NIPPON』という言葉もつけたかったんですけど、長すぎるので、アメリカに申し訳ないんですけど、つけませんでした」と説明した。
舞台あいさつの最後に、佐渡監督は「細野さんと2019年をご一緒して、こんな幸せなことはなかったです。今、大阪で細野観光という展覧会をやっているので、お時間があれば大阪にお越しいただけたらと思います」と語った。
(おわり) つのだ☆ひろが吉田豪のインタビューに「はっぴいえんどはロックとはいえない。あれはフォーク」
これ賛同 >>4
近田春夫ははっぴぃえんどはカレッジフォークと言っていたな なぜか強引に日本語ロックの元祖にされてるw
ジャックス、モップス、グループサウンズとか色々あっただろうに はっぴいえんどはロックだと思って身構えて聴くと温和しくて驚くよな
当時派手だったイギリスのロックじゃなくアメリカのフォークロックに日本語詩を付けたことが先駆的だったってだけだから >>9
一般受けならグループサウンズ、ミュージシャン受けならジャックス、評論家受けならはっぴぃえんどって印象があるな 1970年代は英語ロックと日本語ロックの分かれ目だったのかね
ゴダイゴみたいに英語にこだわっていった人たちもいるし(日本語版もあるけど) 泉谷しげるもはっぴいえんどはフォークだと思って聴いてたと言ってたな 松本隆 はっぴいえんど解散を語る
松本隆:あまりにもすごすぎて、もうね、1枚目からぎくしゃくして。2枚目の「風街ろまん」ていうの作って、もうダメかもしれないと思った。
石橋貴明:誰がリーダーだったんですか?
松本:細野晴臣。
石橋:リーダーはどうだったんですか?「もう少しやろう」とか。
松本:そういうリーダーシップ、ないですから、あの人。
石橋:ふはははは!
松本:自分のことしか考えてない。
新幹線移動の際に、ふと細野を見ると次のバンドの名前を考えていた、というエピソードを明かし「やる気ないんだなこの人」と思ったと笑う。
石橋:空中分解だったんですか?
松本:よくわからない。あのね、ある日突然ね、会議があって、「はっぴいえんどは解散することにしたから」って細野さんが言ったかな。「どうして?」って言ったら「こないだ大滝と話し合って決めた」って。僕と鈴木茂は…。
石橋:蚊帳の外だった。
松本:そう。
石橋:大滝さんも解散派だったんですか。
松本:大滝さんと、どうもケンカしたみたいなんだけど、誰も細かいことを言わないから、何が起きたかは全然わからない。
石橋:知らない間に、解散が。
松本:どっかでケンカして。聞いてもそれはごまかされるのね。いまだに真相わからない。 鈴木茂って人がいたのか
他はくっそ有名で知ってたけど、なんとか茂って名前は吉田茂ぐらいしか知らなかったわ >>4
ロックンロール+フォークがロック
これ言われて納得した >>4
つのだひろ達が思うロックってブリティッシュロックなんだろ
ギターが爆音でガンガン弾きまくるような
細野が目指したのはアメリカのロックな
フォークやブルースやカントリーなどが交じりあった音楽
つのだひろには理解できない時代を早取りしてたんだよ はっぴいえんどの細野晴臣ってYMOの細野晴臣だろ。
どうなっとるんや >>11
後の日本の歌謡曲、Jポップへの影響力が強いメンバーが在籍してたんで
評論家らがそういう事にしてしまったんだろw 元ネタが違うだけでしょ
周りが英国ロック系ばっかりやってたから敢えてバッファローとかモビーグレイプみたいなアメリカのロックバンドを手本にしたんじゃなかったっけ
サイケとかフォークロックを日本語で上手くやったバンドって感じなんだろうね 誰が言い出したんだ
はっぴいえんど=日本語ロックの元祖ってありもしない歴史改変
また人糞バックドロップのロッキングオンか 今、シェフの気まぐれサラダきこり風、みたいな名前のバンドでちゃんと音大まで出たような人たちが大成功してるが
その程度のインパクトはあった。
シティポップスとも呼ばれるが、海外の音楽を「音も含めて翻訳」したようなコンセプト。 >>17
吉田拓郎の後ろでギターをやっていた人だろ?俺も詳しくないけど拓郎のスレだと鈴木茂の名前はよく出てくる 頭脳警察はぜんぜん話題にならないね
はっぴいえんどと双璧を成す日本語ロックバンドだったにけどのに 松本隆が悪い
はっぴいえんどを日本語ロックの元祖にしたり
筒美京平のベストパートナーを自分にしたり
全部この人が歴史修正的な物の言い方をしてるせい はっぴいえんどの場合、メンバー三人が80年代に売れたから後付けで持ち上げられたってのはあるんじゃない
本人の意思とは別にレコード会社が商売したくて >>24
ミュージックマガジン辺りなんでないか
あそこははっぴーえんどに対する評価が異常に高い 松本隆の日本の情景を含む叙情的な詞がサウンドと同等もしくはそれ以上に存在感だからな
当時の日本的な物を排除したのがロックという考えならフォークと呼ばれるのもさもありなん >>17
ユーミンのある意味専属ギタリスト
レコーディング・ツアーのほとんどに参加
それ以上に75年から90年の日本のポップスでかなりの有名曲のギターを担当
編曲家としてもそこそこ有名 >>32
>レコーディング・ツアーのほとんどに参加
嘘はよくないよ >>31
ジャックスなんてはっぴいえんどなんかよりもっと早い段階で
日本的なロックを提示して見せてたんだけどな >>27
頭脳警察って広い意味でのパンクロックだからなあ
気合いと勢いはあるけど音楽性はそこらの4畳半フォークと同じ初心者レベル
音楽性を重視してたはっぴいえんどとは比較にもならんだろ 鈴木さん、大麻で捕まるまで
しばしば中島みゆきさんとこで演奏してたけどね。
たぶん吉田さん→瀬尾さん、つながり。 >>36
まあ当時のインパクトって相当なものだったんだろうけど
今となって見れば極左=ロック的なのを体現してただけで
現代に対する影響力とかはほとんどないんだよな TM NETWORKなんてテクノポップじゃねーよみたいな
今ならBOOWYも矢沢さんも歌謡曲みたいな価値観だろ あの時代にアメリカでレコーディングやってヴァン・ダイク・パークスと共作したってのもかなりレアな感じだな >>40
会うなりリメンバー・パールハーバーとか言う頭オカシイ人だったんだろ
後に長い友達になったが ボーカルが弱くて覇気が無い
ですます調の歌詞が気持ち悪い 今でこそ伝説のバンド扱いはされてるものの
ビッグヒットがあるわけでもなく
リアルタイムでは知る人ぞ知るバンドってポジションだよね この板ははっぴいえんど嫌いのYMO好きが多いんだよな
たぶん年齢的に直撃してるんだろうが
自分はどっちも嫌いまでは行かないけど
重視はしてない、あってもなくても同じという評価 今時さよなら日本なんて付けたら
アホウヨがギャーギャー騒ぐからなw >>42
ほうろうみたいな名盤は出来たけどちょっと違った感じになったろうな
山の手のお坊ちゃんに岩手から来た大瀧詠一という異色な存在がいたから面白くなった >>43
ラリって長々と演説されたからドン引きしたらしいねw
それがいまもメールのやり取りする仲に >>9
日本語がロックに合わないのではという問いから始まってるんだから
ジャックスやモップスやグループサウンズはその答えにはならないだろ・・・ 音楽通ぶる奴が好きと公言する3大バンド
・はっぴぃえんど
・シュガーベイブ
・ルースターズ
あと1つは? たぶんハッピーエンドの名前を知ったのは随分後だな 大瀧詠一よりも松本隆より細野晴臣よりも長渕剛よりも小田和正よりもキングクリムゾンよりもクイーンよりもサザンよりも後だな >>51
大滝詠一の遺作が「幸せな結末」ての感慨深いよね
サウンドは貼り合わせた感も有って少しガッカリしたけど最後まで思ってたのかて所が >>53
今から思えば日本語がロックにあわないのではなく単純に歌い手に力量がなかっただけなんだけどな
昔の人はリズム感がまったくない歌い方だからロックだろうが歌謡曲とかわらないものになってしまっただけw はっぴいえんどって再評価で知名度上がったからリアルタイム世代より若い世代の方が聴いてるよ >>59
1997年『幸せな結末』
2003年『恋するふたり』 >>22
「はっぴいえんど史観」ね
誰だっけ最初にやりだしたの
田家秀樹あたりか? >>17
残念ながら大麻前科で少し傷あるけどw名ギタリスト
歌謡曲だけど堀ちえみのデビュー曲『潮風の少女』を作曲プロデュースしていて
このイントロで奏でるギターはアイドルソングには勿体ない澄みきった音 >>28
細野と大瀧が喧嘩したとあるけど
大瀧はどうしても松本のドラムがダメで嫌で嫌で仕方なかったのも解散の理由の一つ
作詞家としてはずっと付き合ってたからそこはまた別なんだろうけど
物事は一面だけでは語れない クラプトンがアメリカンロックぽいレイドバックしたアルバム出してたし当時ははっぴいえんどが影響受けたようなアメリカのロックバンドらが最新でお洒落だったんだろうな >>4
じゃあビートルズもディランもストーンズもロックじゃないな…… >>66
正しいだろ。
何故か? はっぴいえんどのメンバー
は、そのあと松田聖子やあらゆる
スターの作詞作曲で演歌から歌謡曲
まで日本の社会史と
音楽史を作って来たからなぁ。
それ以前のバンドのやつらに、
そんな才能はなかった。 >>17
この人がボーカルの曲もあるよ
いい声だよ >>4
スペースバンドにいた芳野藤丸が話してたが、バンドメンバーが全員囚人服みたいな格好させられて
リーダーのつのだはアイドルみたいな格好で「俺も郷ひろみみたいになりたいんだ!」って、どこがロックなんだってね。 >>16
新幹線で移動できたんだな。
シュガーベイブとか地方営業では安宿ならいい方で、誰か関係者の家に泊めさせられたらしいけど。 殆ど知らんけど同じ年にデビューした村八分のほうがよっぽどロックじゃん 日本語ロックの元祖みたいな煽りは見せ物小屋の呼びかけ程度に流した方がいいよ
興行なんだし 沖縄でライブやってる最中に会場が大火事になって
命からがら脱出したけど楽器と機材が全部焼けて解散したんだっけ? 聴けばわかるけど
最高だよな
やっぱり若い時の人生かけた心血注いだ作品はいいよ はっぴいえんどが最も影響を受けたのはバッファロー・スプリングフィールドだよ はっぴいえんど
=幸せな結末
大瀧詠一の幸せな結末って当時は全く心に響かなかったけど、今聴き直してみると名曲だな。 >>84
単なる裃の売り文句だったシティポップ(ス)もそうやけどリアルタイムをすぎてのちに議論しようとすると
「定義はなんだ?」が避けられない ロックなんて派生ジャンルが大量にあるんだからこれがロックでこれは違うってのは不毛かと
各々が好きなロックバンドに影響受けてアウトプットしてる訳だし 当時、ラジオはあまり聴いてなかったのかな、先輩の家でロングバケーションを聴いて洒落た音楽だなと思ったのは覚えている。ただ、それっきりで忘れていたな。やっぱり主流はフォーク、ニューミュージックという感じだったかな 少なくとも俺はそう思っていた。それから長渕やオフコースが出てきたけど同じ時代と言う感じだったな。ただ洋楽ではディスコミュージックが流行っていて、少しずつ変わっていたのかな。実際は変わっていたんだろうがそう言うのに敏感でなかった俺にはそう思えていた >>85
ゴールデンカップス?
柳ジョージは自分の楽器は持って逃げた。 さよならニッポンなんてタイトルつけたらネトウヨが即反日認定してくるから… 氏やさん付けたり呼び捨てだったり、基準は何なんだ… >>72
それだけの功績あるからね
言っても良いじゃないか >>77
細野は活動してるし
松本も作詞家として活動してる
鈴木茂も割とライブやってるね つのだ☆ひろさんは靖國神社のみたままつりの奉納コンサートのラストで海ゆかばを本殿に深々と頭を垂れて歌ってるけどね
聴衆と大合唱になる >>70
そうなんだw
作詞家のイメージしかないから
ドラマーとしては確かに凡庸には聞こえるが、そこまで嫌だったとはw はっぴいえんど史観って
どう考えても無理があるはずなのだが
どうして、これ以前の音楽史が語られにくいんだろう
GSとかロカビリーとかあるよね 白金北里通りの昭和レトロ洋食屋「ハチロー」が大好きな細野 日本語詞に拘ったのは村八分もそうなんだけどな
音はもろストーンズだけど >>16
石橋貴明は、はっぴいえんどや細野好きなのか?
すげえな ロックだロックじゃない論争ってアホみたい
リスナーは自分の好みで聴いているだけで
カテゴリーなどどうでも良い 村八分の系譜もあるよな
ゆらゆら帝国はそっち系
はっぴいえんどはサニーデイ・サービスとか >>106
とんねるずも一応歌手だぞw
いろんなミュージシャンに曲提供してもらってつきあいもある 山下達郎とかYMOとか松田聖子の高評価でメインストリームに成ったからな 安田成美は細野晴臣、松本隆コンビの風の谷のナウシカ歌ってたな >>106
1986年にとんねるずのラジオに大滝詠一がゲストで出ていたけどその時は石橋も木梨もはっぴいえんど知らなかったよ 現時点から逆算していくと源流はどうしてもはっぴいえんどに行き着いてしまう
ただこれは北極星みたいな近似点なので今後変わるかもしれない
GSとか色々言う人いるけどとても納得を得られるものじゃない はっぴいえんどってライブだとデッドのカバーとかもやってたみたいね >>76
海外のポップスやら真っ先にパクリまくって書いた曲提供しただけじゃねえか
それがたまたま80年代というポップス全盛期にハマっただけで
それにさだや吉田拓郎やフォークの連中が曲の提供なんて70年代からやってるわ間抜け 井出情児も死ぬ前に「はっぴいえんど物語」と「村八分物語」を作ってくれ はっぴいえんど史観みたいなのいい加減に脱却したほうがいい はっぴぃえんどは大瀧詠一なんだよ、どこまでいっても
細野の曲で全然ピクっと来ないもん アンビエント期の頃の方が宙ぶらりんだったろ
イルカの鳴き声とかあれなんだったんよ? 80年代のアイドル歌謡が細野の真骨頂だろ
YMO期やらヘコヘコヒップホップ期やらアンビエント期はパッとしなかったろ 1985年に行われたはっぴいえんど再結成ライブは、細野さん主導で当時流行ってたテクノアレンジで風をあつめてとか演奏されてた
一曲目の12月の雨の日はシンセドラムで始まったり違和感ありまくりだった 再結成なときは松本隆がドラム下手だったから全部打ち込みにしたって聞いた事ある 鈴木茂が語るはっぴいえんどが一番面白い
他の3人は自分に都合よくストーリーを作る傾向がある 鈴木茂は詳細によく覚えてるよね
一番年下だったから客観的に観てたんだろうし >>4
フォークロックとかスワンプロックだな
つのだ☆ひろも素晴らしいドラマーでヴォーカリストだ 『レコードコレクターズ』誌
70年代 シティ・ポップベスト100
1 DOWN TOWN シュガー・ベイブ
2 ピンク・シャドウ ブレッド&バター
3 都会 大貫妙子
4 中央フリーウェイ 荒井由実
5 真夜中のドア〜Stay With Me 松原みき
6 砂の女 鈴木茂 ←←←
7 恋は流星 吉田美奈子
8 しらけちまうぜ 小坂忠
9 ゴロワーズを吸ったことがあるかい かまやつひろし
10 THE TOKYO TASTE ラジ&南佳孝 >>128
なるほど興味深い
細野さんの映画見に行くかな はっぴいえんど史観なる改ざんされた邦楽史を広め、
現代の音楽界にまで悪影響を及ぼし続けている元凶はこのあたりだったと推測している。
【ミュージックマガジン】
主な面々
・中村とうよう/京都出身。
・田川律/大阪出身。岡林のサードアルバムディレクター。
・小倉エージ/兵庫出身。はっぴいえんど、デビューアルバムディレクター。
・北中正和/奈良出身。
・ピーター・バラカン
・萩原健太
・今野雄二
etc
ここで注目すべきは関西人で固められていることである >>53
松本隆自身が「GSはロック」と語っていたが はっぴいえんどは1985年のALL TOGETHER NOWでやったのしか聴いていない。 『ミュージックライフ 』 人気投票
1974年 ベーシスト
1位岸部修三 (現: 一徳)
2位吉田彰 チューリップ
3位細野晴臣 キャラメル・ママ
4位矢沢永吉 キャロル
5位加部正義
6位上月淳
7位朝日昇 イースト
8位江藤勲
9位三幸太郎 モップス
10位鈴木良輔 なんか悪影響ってあったっけ?w
ピーターバラカンが関西人ってのは知らなかった >>133
そのリストに渋谷陽一もはっぴいえんど史観派に混ぜといて
反はっぴいえんど史観派って、たいていブリティッシュロックがロックだと思ってるんだよな、ブリティッシュロックなんてロックの亜種でしかないのに
はっぴいえんどはロック、ロックンロール、ブルース、カントリー、フォークまで含めてトータルにロックの日本語化を試みたという意味で「日本語ロックの元祖」 >>138
渋谷陽一については置いておくとして、
歴史は正しく伝えなきゃ全て悪である
関西系といえば当時関西フォークというジャンルがあり、これはプロテストが本流であった
その大将は岡林で、はっぴいえんども彼らのバックを務めた
その第三回中津川フォークジャンボリーで、岡林を葬ったのが吉田拓郎である。
政治色を排除し、なおかつあっさり日本語ロック論争を吹き飛ばした広島の田舎者を、
東京や関西のインテリ系ボンボンミュージシャンおよびその取り巻きは、認めるわけにはいかなかった。
当時ライバル誌的な関係となった新譜ジャーナルは拓郎専門誌のようなスタイルだったのが、
彼らの卑屈な姿勢を更に決定づけたであろう。 はっぴいえんどってwilcoみたいな音楽なんだろ。はっぴいえんどの方は聞いたことないけど話から察するに。 日本のベーシストで初めてチョッパーを取り入れたのは細野さん
実際、テクノポリスで既に披露している ラジオで松本&鈴木で経緯喋ってたけどバンドが夏休み貰って明けに四人で集まったら先に居た細野大滝が大喧嘩してて
鈴木松本が「こりゃもうダメだな・・」と解散を予感したらしい >>142
細野と大瀧の大喧嘩ってほんの少しだけ声が大きな議論だろうな
そういうところがたしかにロックぽくないw 酒飲まないで楽屋でお茶飲みながら謎かけやってたらしいしなw
そこらへんの非マッチョな感じが文化系のロックの始祖なんだろうな 邦楽そんな聴かないけど、はっぴいえんど、つうと
ライクーダー、リトルフィートやドクタージョンとかチラつく音
まあオリジナルな音じゃないよねえ・・ >>1
「はっぴいえんど史観」は楽チンなのよ
そこ起点としておけばそれ以前を勉強しなくてもドヤれるからw てか、70年代の日本のバンドで海外の影響受けてないバンドなんて無いでしょ。最初は海外バンドのコピーをしたり憧れてプロになった人ばかりなんだから。
そしてそれは日本だけで無く海外も同じだよ。
カントリー、フォーク、ロック、例えばビートルズだって過去のバンドや楽曲の影響から逃れる事は出来ないよ。 そうだよね
色んな影響関係あるからすぐにパクりとかオリジナルじゃないっていうのってとても短絡的 日本のロック、の源流を遡ると
まだロックに成りきらぬロカビリーの影響として58年の平尾昌晃や裕次郎あたりから語るべきだろう
くしくも嵐を呼ぶ男で平尾もデビューしている
ロカビリーブームつまりエルビスブームのあと、ビートルズが表れてからGSの時代が来るが
それらはロックの本質であるブラックミュージックまでは取り込めていなかった この手の話は近田春夫に訊くのが一番正解に近い
ただし同じぐらいの自慢話がついてくるのは我慢して >>26
フォーライフ繋がりなのか井上陽水のレコードやライブにもよく参加してたね GSにしてもロカビリーにしても芸能って感じだから
今でいう芸能界と無関係なインディーロックバンドの始祖のひとつとしてはっぴいえんどが挙げられてるのかな 日本なんちゃらって付けたいなら、それはシンセを多用したニューミュージックなるものからなんじゃね?、嫌ってる人は多く居ると思うが。
それ以前の70年代はまだ海外の影響が良い意味で残りすぎていて、源流とかは沢山あり過ぎるよ。 >>141
へ〜、それ以前に日本のベーシストはやってなかったのか アメリカにブリティッシュインベンションが60年代に来て
世界中がビートルズやローリング・ストーンズなどの波に染まり
その影響下が日本ではGS
だから日本のニューロックがブリティッシュ系に染まったのも当然の展開
その中で
アメリカのロックをパクった(というかインスパイアされた)細野や大瀧は
独自の位置付けであったのは確か
ただ岡林のバックバンドとして以外は
一般的知名度は当時は非常に低かった 当時の日本人がアメリカのロックに接する一番安上がりなやり方は、横浜横須賀の米軍兵士行きつけのクラブだったんだよ
ゴールデンカップスもそうした所に原点がある 邦楽で一番おもしろくわかりやすいのはやっぱ歌謡曲だな
うまい具合にパクッてきっちり日本語を乗せてるからな。フィンガー5とかいいなw はっぴいえんどの前に早川義夫のジャックスがあった
ジャックスもフォーク側に属してるかもしれんがオリジナルの日本語ロックをやってた
松本隆もジャックスの日本語の歌に影響を受けたらしい 細野とか松本も米兵が来るようなクラブの箱バンとしてジミヘンとか色んなバンドのコピーやってたんじゃなかったっけ 米軍関係だと横須賀ばかり名前が上がるが、横田基地の福生とかあまり名前上がらないね。ユーミンとかそれこそ大滝詠一とかはそっちだろうに 「日本語ロックの礎」
まだそんなことをいうてるんか ノータリンライター
自分の目と耳で音楽史をみつめろ レコーディングシースタジオでよく相手してもらいました ありがとうございます🙇 私は相変わらず下手です
https://youtu.be/T3jh8wdLl2s >>37
ずいぶん昔だけど中島さん、鈴木さんのファンだと言ってた事もあった気が
中島さんのオールナイトニッポンで
ネット局それぞれが流すCMタイムの時間調整用に使ってたインスト曲も
鈴木さんのティンパンアレイ曲だったし「へぇそうだったんだ」と思って覚えてる 細野氏に異常に粘着してた頭がおかしい人ってどうした?
まだ粘着してるのかい? 内田裕也が日本語で歌うのはロックではないと言ってたな アメリカのフォークロックを真似て小汚いファッションまで模倣して
王子様ルックのGSのほうがよっぽどオリジナルで日本ポイ ユーヤさんは頭の固い原理主義だから理解力に乏しい
音楽的才能も全く無いし徒党を組んで脅すだけ >>159
ジャックスのラブジェネレーションやロールオーバーゆらの助は
まさに日本語のオリジナルロックそのものだし
ジャックスのナンバーのなかで当時最も聞かれたからっぽの世界は
日本初のプログレッシブロック(ピンク・フロイドのような)だし
はっぴいえんどの先駆者だったジャックスは
過小評価されすぎよね ここで語る日本語ロックというのは日本語でエレキバンドでやることじゃない
日本語でバンドやればロックならば東京ビートルズだって日本語ロックになる
もちろんジャックスは革命的なバンドであるともいえるが、
その主題はグルーヴである。
ビートでありロックンロールである中でしっかり日本語でグルーヴしたかであった >>172
だったらゴールデンカップスやテンプターズはどうなんだ?
って話だな >ビートでありロックンロールである中でしっかり日本語でグルーヴしたかであった
はっぴいえんどにそんなもんあったか?
はじまりは「フォーククルセダーズ」
加藤和彦の才能は凄かった ヨゴレでもなかったし 大学生がバンド組んでインディーレーベルからアルバム出してフェス出てみたいな今の若手バンドと変わらないノリでやった初期の例がはっぴいえんどだから何度も注目されてるんじゃない?
音楽性も今聴いても古臭くないものもあるし 東芝EMIが全額出資で設立された株式会社ファンハウスの元ザ・リガニーズの新田和長社長が、同社の中途採用試験の集団面接で、ロックを日本語で歌ういい方法がないか質問してた
レコード会社の社長が中途採用試験の応募者にまでお知恵拝借してたのが時代を感じさせた
ちなみにこの会社には内定もらったけど営業に配属されそうだったので蹴った 細野は素晴らしいベーシストだが
松本の太鼓じゃあれをビートと呼ぶにはちょーーーー恥ずかしいわ >>175
サディスティック・ミカ・バンドは今聴いても凄い
メンバーに恵まれてるし完全にロックしてる 松本のドラムがグルーヴとか
www草しか生えんわwww >>173
例えばゴールデンカップスやテンプターズの日本語のブルースはどんな曲? 歌声がナヨナヨしてて虫唾が走る。
親が好きで聞いてていつもイライラした。 新田和長って何処かで見たと思ったら、チューリップのアルバムでプロデューサーとして載ってたな。調べたら、1969年東芝音楽工業(株)(現・EMIミュージック・ジャパン)に入社。プロデューサーとして、赤い鳥、オフコース、トワ・エ・モワ、RCサクセション、はしだのりひことクライマックス、加藤和彦、北山修、サディスティック・ミカ・バンド、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、かまやつひろし、加山雄三、寺尾聡、稲垣潤一など数々のアーティストを担当とあるから凄い人じゃん はっぴいえんどは評価されているが
ラップを日本語でやることを広めた人は名前が残っているのだろうか 評価ていうのは音楽雑誌がきめる
大衆は自分で評価できないからマスコミに書いてあること
をそのまま信じる。
これがはっぴいえんど史観 バンドやってるおじさんに勧められて聞いたけどフーンって感じだった てか、ロックの曲を日本人が自ら作詞作曲して歌おうとしたら日本語になるのはある意味自然な事で日本語ロックの源流とか書いてわざわざ大袈裟に探す意味があまり無いと思う。 >>189
そうだよ
そんなの大衆は気にしてないのに
ことさらにそれ言ったのは某音楽雑誌でそれがコピペのように広がり
大衆が信じたのが今 メロディーと日本語をどう載せるかってのに意識的でコンセプチュアルだったのがはっぴいえんどだったんでしょ
ジャックスともGSとも違う発想でやったのが新しかったんでしょう 帰ってきたヨッパライは実はブギで上手く日本語を乗せている
しかも♪天国よいとこ、は♪草津よいとこ、の日本民謡
間奏はグッデイサンシャイン、エンディングはエリーゼの為に&ハードデイズナイト。
高嶋ちさ子の父がフォークルをビートルズっぽかったと評価したように
加藤和彦はかなりの切れ者であった >>192
ブギではなくシャッフルのリズム
シャッフル=ブギではないしな >>141
いかりや長介の方がだいぶ先にやってたし田中章弘とか細野以前に何人もやってるだろ >>193
Aメロをブルーノートで歌ってることも含めてブギと言ってる >>177
今ならメロディーをシンコペーションのリズムにして日本語歌詞のアクセントをウラ拍につける
と簡単に即答できますねw
桑田やミスチルなど今では当たり前になった日本語をリズムよく歌うやりかただけど私の知ってる限りこれを最初に体現してみせたのは上田正樹ですね
上田正樹とサウストゥーサウスでオリジナルの日本語ロックをやってましたが黒人R&Bのノリそのもので日本語で歌ってみせた
桑田もすこし遅れてデビューしてますが上田と桑田が日本語をロックのリズムに完璧にのせた元祖でしょう
それまでの歌手の人は雰囲気や声量重視でアフタービートのノリで歌うという一番重要なところが欠けていたと思いますw >>186
割と真面目に吉幾三って事になる
それか いとうせいこう 新田さんは全部わかった上でそういうことを訊いてるんだよ 桑田やミスチルは日本語で歌ってない
あれは英語で歌ってるのと同じ
海辺に立って「泣かしたこともある 冷たくしてもなお」とは浮かばない
ナカシチャコチョモアリュ、としてしか浮かばないのが巻き舌ロックである ノベルティーを除いて確信犯的に日本語の韻の踏み方考えてやったのはいとうせいこうなんじゃない?
トラックもヤン富田で格好良いし そんなんは吉田拓郎がファーストアルバムからやってること
サウストゥサウスなんかその後 >>54
ボ・ガンボスもしくはローザ・ルクセンブルク 実は日本語ロックはフォーク歌手によってほぼ初めて達成された
それは吉田拓郎や友部正人など、ディランの影響からである
それまでは日本人はメロディの呪縛から逃れられなかったのだ >>198
こんなの吉田拓郎がファーストからやってるし君去りし後って曲で
完成させてる >>206
ディランの影響は拓郎、友部、岡林、斉藤哲夫とかはっきりとあるが
まあ拓郎はフォークじやないしな 坂本が 何故ナウシカ首になったのか細野にしつこく聞くのだが
「僕も全く判らない」と細野
「東欧っぽいイメージで」と言われたのでバラライカを持参したら
駿とパクさんが「何考えてるんだ!?」とか言い出して「辞めてもらう」と
後に駿は「銀河鉄道の夜」サントラ流しつつ
「鈴木さんもこういうイイ曲作れる人呼んでくれなきゃさ あんな奴じゃなくてさ」
「銀河鉄道の夜」は あんな奴細野晴臣の作品であった 『ミュージックライフ 』 人気投票
1975年 ドラマー
1位 つのだひろ
2位 上田雅利 チューリップ
3位 林立夫 ティンパン
4位 原田裕臣
5位 ユウ岡崎 キャロル
6位 松本隆
7位 岡井大二 四人囃子
8位 西哲也 バイバイセッション
9位 大口広司
10位 和田ジョージ 清水健太郎 敵便レストラン は
つのだ★ひろ ドラム時代のミカバンドのレコーディング
清水のスタイリストだったのが高橋幸宏 パンチパーマも幸宏の発案 大瀧詠一もエンケンの歌い方も参考にしたと言っていたな 今月アタマに松本隆作詞家活動50周年ライブ「風街オデッセイ2021」の1日目に行った。太田裕美の「さらばシベリア鉄道」が終わった後アンコールで出てきた大トリが大瀧詠一のいないはっぴいえんど。「花いちもんめ」、「12月の雨の日」に続いて最後の曲が「風をあつめて」。松本のドラムが途中ズッコケ、細野の歌唱もヨレヨレだったけど、鈴木慶一が弾くハモンドオルガンの音色に何故か涙が出てしまった。 「イルカの名残雪みたいな感じで って言ったのに!」
「こんなモン作りやがってあんな奴!」と安田成美の主題歌まで消そうとした駿
「コレは使え‼残せ!」と厳命したのが徳間会長 >>214
歌詞とちっただけで細野晴臣の歌は良かったけど
細野と鈴木は現役で活動してるから問題なかった
松本隆はまあ仕方ないかって感じでw
前回の国際フォーラムのときよりはマシだった 風の谷のナウシカは細野の歌謡曲仕事の中でも傑作の一つだから消されなくて良かった 鈴木はコンサート会場で自作キーホルダーを手売りしている
自分のギターにも付けていたが 演奏中弦に噛んでしまい
「余計なモン付けるんじゃ無いネ」と
林は夫婦でアムウェイ推定年収2億w >>126
自分はそれが初めて聞いたはっぴいえんどだったので、そういうバンドだと勘違いした 駿が絶賛する「銀河鉄道の夜」は あんな奴=細野晴臣の作品であった
つまり臣ちゃんは駿に勝ったのだw
問題は駿は今もソレが判って居ない事w >>208
まず初めに言葉ありきで叫んだとき
皮肉にも日本語ロックが生まれていたのである
拓郎、友部などが特に叩きつけるようないわばブルージーなフォークを歌った このバンド界隈の人らは本物のミュージシャンだよね
飽きもせずずっと音楽やってる
すごいことだよ 「風をあつめて」が代表曲みたいになってるのもなんだか違うよね 内田裕也は細野らに絡むと言うか嫉妬していた
内田「アイツ等 結局僕等は日本語で四畳半の世界でイイんです とか
ドメスティックにイモ退いてやがって」
が今現在世界に広まっている
ビル ワイマン「好きなベーシストはホソノ」 風をあつめてって細野と松本二人で全部録音したからほぼ細野のソロワークみたいなもの >>226
好みはあれど
やはりメインボーカルは大瀧だからかな 鈴木茂すら風をあつめたレコーディングしてた事後から知った これ面白い
常田義見が知らされずにはっぴぃえんどのドラムオーディション的ものをやらされるが落ちて、後に村八分の結成メンバーになる話
【恒田義見】# 1 伝説のバンド村八分結成秘話!山口富士夫との出会い!ハルヲフォンへの軌跡!
https://youtu.be/xwCbnPn7Bi8 当時リアルタイムは資料がないからアレだが、
セールス全くできてないし、さっさと解散してるしで
やはり後付けの歴史修正感は否めないな >>216
前回はどう酷かったのか気になる。一応松本隆もトレーニングはしてたんだろうね。ドラムの音は太くて現役感あったと感じた。オープニングの鈴木茂「砂の女」でギターカッティングが聞こえた瞬間鳥肌立ったよ。 岸部四郎みたいになっとるやんけ
もうあまりなさそうだな 日本の3大 間違ってる史観
はっぴいえんど史観
薩長史観 >>131
Tokyo Tasteはサディスティックスの方で知ったからそっちがオリジナルなんだと思ってたけど
ラジ&南佳孝への提供が先だったの? 日本で初めてラップらしいラップが出てきたのは
おそらく佐野元春のNEW AGE、あのMVは革新的であり先取りし過ぎていた
ほぼ同時期におら東京さいくだも発売されている
ラップの特徴の一つとして表拍があると思うが、
だから吉幾三もうまく収まった はっぴいえんどってえらい評価されてるけど
そんなに言うほどかあれ 来月は大瀧さんの命日だね
年の瀬だよ一年が早い
自分の好物を口にしながら死ねるのも
幸せな結末なんじゃないかなあと
最近思えてきた 90年代にはっぴいrんど再評価が確定的になった5割は
サニーデイ・サービスのおかげ
『若者たち』の頃の曽我部恵一
「それまでの僕らは洋楽オタクみたいなところがあったけど、邦楽は全く聴かなくて、好きだったのはソフト・ロック。
服はアニエス・ベーみたいな世界観しかなかったわけ。周りも渋谷系だったから、その中でやってたわけですよ。
ところがはっぴいえんどの『風街ろまん』を聴いて、こっちの方がかっこいいなと衝撃を受けて変わったんです。
服も突然ネルシャツにブーツカットのGパンとかになった。それはパンクに出会って髪の毛を切ったのと近かったかも知れない」
「ただ、今になってみると『若者たち』とかは相当極端にやっているなと思いますね。ジャケットも現場以外のスタッフからは、こんな四畳半フォークみたいなのはやばいって猛反対されたし。
レコード会社の営業の人達からも売りようがないとか言われた。
それで別のジャケットを作らされたんだけど、あえてもっと良くないやつを作って、こっちを選ばせた」 まあすでに洋楽では、90年代初頭からグランジブームやレニー・クラヴィッツなど
広義の70年代ロック回帰路線が起こってたし、
その前の、渋谷系が真似したUKセカンド・サマー・オブ・ラブなんてのはもろに60年代回帰
こう考えると順繰りに60〜70年代がリサイクルされてて、まさに時代は繰り返す感がある
2000年に入ると広義の80年代回帰も起こって、面白いほど順繰り >>240
どんなもんで先駆者は二階級特進で評価されるけどこの人たちはメンバー
みんな成功したからだな〜サンハウスだの村八分ってもしメンバーがソロで売れたら違ったと思うよ >>235
前回はかなりもたついてた
細野さんがこれはマズいって事で林立夫が松本のドラムセットの横でハイハットだけ叩いて細野さんがそれ見てベース弾いてたw
今回は半年練習したからまあもたついてはいたけどまだマシだった >>1
どーでもいいwww
誰だよ?
パヨジジイか? >>226
あれはジェームス・テイラーになり切った細野ソロ曲だからね たくろうがライブ盤の中で自分のバックバンドに対して「ハッピーエンドみたいな
いい音出すグループに・・・」と言ってたのがリアルタイムでの唯一の認識 はっぴぃえんどやティンパンアレーの界隈はほぼ、東京っ子のボンボンばかり
松本隆 東京都青山生まれ 慶応普通部→慶応大
細野晴臣 東京都白金生まれ 立教中高部→立教大
松任谷正隆 東京都杉並区出身 慶応幼稚舎→慶応大
大瀧詠一 岩手県江刺郡梁川村出身
鈴木茂 東京都世田谷区出身 都立玉川高(父は経営者)
佐藤博 知覧生まれ京都育ち(寺院の長男)
林立夫 東京生まれ 青山学院高等部
小原礼 東京都大田区出身 青山学院中高→武蔵野美大
高橋幸宏 東京都目黒区出身 立教中高→武蔵野美大
坂本龍一 東京都中野生まれ 都立新宿高→東京藝大
山下達郎 東京都池袋生まれ 都立竹早高→明治大
佐野元春 東京都神田生まれ 立教中高部→立教大
伊藤銀次 大阪市住吉生まれ 大教大附属池田高→大阪歯科大歯学部
鈴木慶一 東京都大田区出身 都立羽田高
岡田徹 東京生まれ 立教大
武川雅寛 逗子出身 立教大
鈴木博文 武蔵野市出身 都立日比谷高
かしぶち哲郎 宇都宮市出身 県立宇都宮東高
白井良明 東京都墨田区出身 立教大
加藤和彦 伏見生まれ鎌倉逗子育ち 都立竹台高→龍谷大
高中正義 東京都品川区出身 武蔵工大付高
後藤次利 東京都品川区出身 青山学院高→青山学院大
南佳孝 東京都大田区出身 明治学院高→明治学院大
渡辺勝 東京生まれ 駒場東邦高→立教大
駒沢裕城 東京都杉並区出身 日大芸術学部
椎名和夫 東京生まれ 東京学芸大学付属高
吉田美奈子 大宮生まれ
大貫妙子 東京都久我山生まれ 都立桜水商業高
佐藤奈々子 東京都中野生まれ 慶応大 >>249
エレキとか高価でふつうの中高生では手が出せない時代 >>242
サニーデイ・サービスがはっぴいえんどに似た音を出して人気になったわけで
サニーデイ・サービスのおかげというのも変な話だなw 二酸化炭素を吐き出して
あの子が呼吸をしているよ〜 >>79
そのエピソード好きだなぁ笑
ダサくて良い そもそもはっぴいえんど史観なるものは、はっぴいえんどの三人がその後のアイドルプロデュースなどで活躍したから
日本のポップスの歴史に大きな影響を与えたということから言われているだけで
日本のある時代からの歌謡曲を説明するときに使われるだけじゃないか
これに反論するのならアイドル史を語ればいいのであって、ロックは関係ないだろ 風街ろまん収録の一曲暗闇坂むささび変化には
「ところは東京麻布十番 折しも昼下り
暗闇坂は蝉時雨」という歌詞が出てくる
この曲に限らず同アルバムでは、松本隆さんの体験した、1964の東京オリンピック開催によって失われた東京の原風景が歌われている
東京生まれのボンボンでなければ作れなかったアルバム(大滝さん除く) >>153
それですね。
実話とは違うけど「GSワンダーランド」では、GSブームに乗り遅れた演歌系老舗レコード会社が即席でバンドメンバーを用意させたり
(劇中で「最近、ジーエスってのが流行りなんだってね。」と呟くレコード会社社長がGSブームの渦中にいた岸部一徳)
「少年メリケンサック」では、ロックバンドでデビューしたいのに事務所の意向でアイドルバンド「少年アラモード」としてデビューさせられたり。
70〜80年頃までは入り交じってた。 >>248
岡林信康のバックバンドだったからね
拓郎の岡林への対抗心が言わせたんだろう
それから間もなく主役の座を岡林から奪った 正確ぬはバックも何回か務めた程度だけどな
バック専属だった期間は全く無い >>265
関係ない
拓郎は最初からバンド志向だったから ここ見てもそうだけどもはやはっぴいえんど至上主義の人っていないから
日本のロックはもっと前から云々語ってる人は何と戦っているのかわからない状態 >>239
小林克也&ザナンバーワンバンドの『うわさのカムトゥハワイ』と吉幾三どちらが先だったかな?
俺が一番先に「ラップっぽい」のを聴いたのがナンバーワンバンド >>257
YouTubeのギター講座みたいな動画で話されてますよ。
当時のレコーディングミュージシャンの話とか面白かったです。 はっぴいえんど至上主義って90年代からじゃないかね
その前はミカバンドがやたら持ち上げられてた >>268
説教したがりのオヤジがウンチク語りたいだけなんだろうね はっぴいえんど史観てのは80年代でもあったんだよ
それが大衆まで広まったのが90年代 >>270
カンケー無いけど芳野藤丸って石田えりと結婚してたんだっけな。
スタジオ系の佐橋佳幸は松たか子が嫁さんだし、意外な出会いってあるんだな まあ、このスレにも出てくる日本語ロックの始祖的なアルバム、今聞くとどれもほとんど聞くに堪えない
たまに耳に引っかかるのがあると細野がベースを弾いてるとかバックははっぴいえんどですとかそんなんばっか
結局はっぴいえんどとかあがた森魚とはちみつぱいとか何かあのへんに行き着くようになってんだよ >>54
怒られるかもしれんが「じゃがたら」かなあ >>274
YouTubeに石田えりが下着姿?で歌ってる映像がありますね。
あれ、後ろで演奏してるバンドメンバーは勃起してたんじゃないかな。
途中のハプニング後が可愛い。 >>254
細野さんていじられキャラで穏やかっぽいけど、越美春ことはやたらいじるんだよね。あと素人なんかに対してはわりと高圧的にキレることとかあるね。 >>249
そりゃあの時代に2000円以上するLP買えてステレオが家に有って
エレキギターやドラムを買ってもらえた家柄やぞ >>249
細野さんの伝記を読むとよく大瀧さんと組んだなと思うくらい
大瀧さんの出身が異色 内田裕也さんとの日本語ロック論争が没発した少し後に、細野さんが内田さんとの対談に半ズボンはいて遅刻して行ったら内田さんは「半ズボンかよ」って突っ込まれて怒られはしなかったそうだ
細野さんって高圧的な人にも臆せずざっくばらんに接する人柄っぽい 抽象的なのかなんだかわからないような歌がアルバムに入ってると
ベスト盤でいいやってな感じって
こういうことなんだと思わせる >>284
いや楽器を買う金ぐらいはあった家が多かった
当時は「就職か音楽か」という時代で、高卒はみんな就職してて夢を追えなかったんだよ
フリーターという身分が無い時代だから、ミュージシャンを目指すには大学に所属して4年間先延ばしする必要があったわけ エレキは夏休みのバイトでギリ買えた
何処のメーカーかもわからないオモチャに毛の生えたようなもんなら
グヤトーン・テスコは安物なら13800円 夏のバイトだけじゃ買えない
ドラムはバイトじゃ無理 買えても叩く場所がない まず金持ちと友達になってそいつの家で練習させて貰ってたって林立夫がラジオで言ってたな >>4
言えてるし、日本語でやったという以外はとくに何も無い いとうせいこう→スチャダラにいくから
日本語ラップのスタートはいとうせいこうだろうな >>28
松本隆は松田聖子はわしが育てたみたいな事を言っているが
松田聖子は松本隆が作詞を担当する前に既にトップアイドルだった シティポップは赤い鳥が元祖なんだよ
村上秀一や大村憲司もいたしね >>1
あれ?武道館だかなんだかは終わったのけ?もうすぐかな? >>85
それ、ゴールデンカップスだな。
柳ジョージとミッキー吉野がいた。 >>306
シティポップの定義は村井邦彦の派閥とも言えるから赤い鳥の前にトワ・エ・モア
ポプコン関連は村井邦彦の派閥ではないからシティポップの枠に入れてもらえないんだよな >>302
いまウィキ見たら
佐野元春の「VISITORS」ってアルバムが
1984年5月
吉幾三の「おら東京さいくだ」は11月だった みんな遠藤賢司を忘れてないか?
カレーこそがロックだよ >>136
メロンおじさんが数十年後に人気俳優になるとは 当の大滝詠一は
小林旭のダイナマイトが百五十屯が日本語ロックの元祖だと主張しているがな 大槻ケンヂが言ってたけど、内田裕也の日本ロック史が語られてないって
プロデューサーとしても凄いと思うんだけど、確かにバカにされがちかな >>310
そういった単発のとか冗談音楽系じゃなくて日本語ラップのシーンが始まるきっかけとしてのスタートかな NHK細野のコンサート後
「もう志ん生の領域だな」とミッキー カーチスの声が
裕也はガロ発掘してミッキーに横取りされ
キャロル発掘してまたミッキーに横取りされた
「てめえ裏切ったな!」と矢沢を蹴り飛ばしたら
「こんな矢沢にもう一発お願いします!」と矢沢正座
コイツ煮ても焼いても喰えねえ・・・と裕也 >>153
はっぴいえんどの前身のエイプリルフールはフローラルって言うGS:バンドの発展系だったから
多少は芸能とも関わりはある はっぴいえんどが最初の日本語ロックと言われる由縁は録音技術が新しかったのよ
ジャックスもGSも日本語ロックだけど録音技術は歌謡曲の域を出ていないのね
対してはっぴいえんどのサウンドは直近の洋楽ロックと比べても遜色なかったの 細野さんがまぁ謙遜も込めてただろうが
はっぴいえんどは大瀧詠一のフォークロック
なんだよってNHKの特番で言ってたな >>323
訂正フォークロック(誤)
正しくはポップロック はっぴいえんど時代より、解散後の方が四人とも売れてるんだよな。 >>325
松本宅に直に行き作詞を依頼した大滝詠一は
松本が売れて細野さんも売れて山下まで売れた
次は俺だよね?と バンドが全員揃っているときに
トイレに立った奴は
その間に悪口を言われて
バンドをクビになるらしいぞ
リッチーブラックモアが言ってた >>321
録音が良いってのも現代になっても聴かれてる理由のひとつかもね
吉野金次がアビーロードスタジオに忍び込んでセッティングを見てきたって話があるし
それまでとは全然音が違う >>328
なんだよその田舎の寄り合いみたいなバンド >>321
あほくさw
それはそれw
端的にはっぴいえんどが元祖ではないのは明らかなんだよなw >>332
これは細野晴臣さん作曲だよね。
太田裕美のカバーも良かった。違う曲みたいになってたけど。 >>316
希林と裕也「?トリックスター夫婦による、昭和平成史?」
この番組見るまで、不良を集めてる人だと思ってた。 >>323
それは大瀧さんを立ててると解釈していいのかな?
サンボマスター山口との対談では大瀧さん曰く「3rdは俺はやってない(関わってない)」て言うてた >>239
ニューエイジじゃなくてコンプリケーションシェイクダウンが先だと思う >>239
Rock' N' Roll 退屈男@大瀧詠一
韻も踏んでるよ。 日本語ロックの元祖とはどんなもんだろうと、期待して聞いてみたら、まず最初に
おしょおがつといえばぁ〜♪
とはじまってずっこけた記憶が(´・ω・`) >>19
つのだはビートルズ解散後のソロ活動を認めてないしな
つまらなくて全く興味がないって そういえばつのだひろは水橋脱退後の後期ジャックスでドラムを叩いていたな 日本語にこだわっただけで他の要素は日本じゃないし… >>336
とにかくあの頃はシティポップ全盛の空気で
どうしちゃったんだ佐野元春という違和感が当時の若者の感覚だった
それでも全米では既にランディーエムシーなど人気で、
日本では86年くらいから筒美までCCBに「ないものねだりのI want you」なども書き始める
>>337
あれは単にアメリカンポップスのコラージュ 映画はあまり面白く無かったな
単なるライブドキュメンタリー みんなしたり顔ではっぴいえんどを語ってるが、
大滝クレジットと大瀧クレジットの違いを勉強してから書き込めよ。 >>308
ミッキーは大麻で捕まって、アメリカへの音楽留学を条件に釈放〜渡米してた時期じゃなかったかな?
キーボードはジョン山崎だったかと。 >>28
松本はいまだにハッピーエンドが歴史的大バンドで最高ってスタンスで一生過去の実績にしがみついてるからな >>345
歌手としては大滝詠一、作編曲者・プロデューサーとしては大瀧詠一なんだろ
でもそれ書き分けるのかなりめんどくさいし事実上無理なんだよ 細野が大瀧を誘ったのはボーカリストとして、という記述を読んだことがあるが、
大滝はエルビスからバディホリー、はたまたジョーテックス
あるいはフランク永井、植木等、三橋美智也など様々な歌唱法を持っており、
細野はボーカリストとしての自己の表現では出来ない部分で大瀧を選んだと見ている。
はっぴいえんど史観を断じて許さんけどね >>312
遠藤賢司の1stアルバムの録音にはっぴいえんどがバックをつとめていて、その経験がはっぴいえんどの方向性を決めたと言ってもいいくらい影響を与えてるよね 満足できるかなの寝図美よこれが太平洋だでは
遠藤の自宅らしき場所での録音が使われているが
ベース細野、コーラスはおそらく鈴木ら。足踏みはおそらく松本がやっている >>350
ジョーテックスってあのガッチャの人のことか?
JBでいいんじゃん >>242
デタラメ言うなハゲ
そこまでの影響力は当時のサニーデイにはない
はっぴいえんど再評価の流れにマンチェ路線でぱっとしなかった曽我部が乗っかった >>354
JBまでは弾けられないからジョーテックスあたりにしたのだろう サニーデイ経由ではっぴいえんど知った人も多いし再評価を後押ししたバンドのひとつって感じなんだろうね
それ以降、はっぴいえんどとか70年代のフォークロック的なバンドが増えたって感じなのかな >>350
大滝が細野に「バッファローがわかった!」と電話してきたから誘ったのは有名だろ?
はっぴいえんど史観を批判するんなら、そのぐらい知っとけよ >>363
はっぴいえんどに於いては知らんが、音楽史においてバッファローなんて何の重要性もないよ 当時のサニーデイに興味を持つような人間がはっぴいえんどの存在も知らないという設定に無理がある いや無理はないでしょw
中高生でサニーデイ知った後にインタビューとかではっぴいえんど言及してるので聞き出すみたいなパターンはサニーデイに限らずよくあるでしょ >>368
当時の一般的な中高生がどうやって細野晴臣や大滝詠一の存在も知らないまま1stや2ndの頃のサニーデイに触れるの?
デタラメ言うのも大概にしとけよハゲ >>185
RCサクセションとは折り合いが悪かった
新人の忌野さんが新田さんをおちょくって激怒した新田さんがトークバックで「おまえらまじめにやれ!」とか怒鳴り返してたそうだ w
かなり後になって新田さんは「彼らを育てられなかったのは僕の力不足です」と語っている バンドを知るきっかけなんて人それぞれなのになんでキレてんだろw ロックは英語とか日本語ロックは糞とか言ってた内田某也、鈴木某ミツの
声が小さくなったから、はっぴいえんどに価値はあった。それだけで充分 それが事例として一般的かどうかって話だよ
論点ずらすなハゲ レコーディング技術が進化してレコーディングが単に演奏を記録するものから記録して編集するものになってレコード芸術が生まれた
その技術革新をいち早く日本に導入したのがはっぴいえんどだと言われている 細野という人はそもそもロックミュージックに関わったことがあるのか? 未だにろくな評価がならんのは、パクりまくりだからだろうな。
丸パクリしてた時代は、今じゃゴミ扱いだ >>375
ロックとは君の思うものよりもずっと幅の広いものなのかもしれない 内田裕也のプロデュースの完全な成功例ってSATORIしかないんじゃないの
あれも東洋的ギターリフが向こうで珍しがられただけだろうし
裕也すごいって感じでもない >>375
デビューアルバム(エイプリルフール)がサイケデリックロック、はっぴいえんどがフォークロック エイプリルフールは柳田ヒロの音楽性も強かったんだな >>369
サニーデイが売れ出した頃はタワレコやHMVが出店ラッシュで、地方でもインディーズ等無名のバンドを発掘できた。自分も当時東京を試聴してハマった。 はっぴいえんど史観はまだ違和感あるが
サニーデイ史観は間違いないだろ
ここのアラフィフなんかは当時リアルに体験してると思うわ
レコ屋の試聴のサニーデイの横に風街が置かれたりして広まった
ついでに初期のRCなんかも再評価されてた サニーデイではっぴいえんどを知るよりも、それこそ大滝詠一からはっぴいえんどを知る人の方が多いんじゃね?
今の若い子だって、サニーデイよりも大滝詠一を知ってる人の方が多いぜ 中川敬のはっぴいえんどについてコメントってこれまであった? >>384
それは無いんだな
今のアラフィフにとっては大滝詠一やロンバケはもちろん知ってたが
もはやポップス歌謡曲の分野の大物であって
ロックというジャンルでの見方はしていなかった
ましてやはっぴいえんどのような70年代フォーク・ロックに遡るのは
まだタブーだったのが80年代の文化だったからそれは無かった
音楽に限らずファッションなどでも80年代に70年代を振り返るのは一種の禁則だったわけだよ >>387
そうか?普通に音楽は振り返ってたぞ
まあ60年代を再評価する傾向が強かったのは確かだし
70年代なベルボトムに長髪は古臭って感覚は80年代にあったのは確かだが
70年代は遡って聴いてたよ >>383
90年代半ばから後半にフォーキーという括りは流行った
サブカル文脈でのフォーキーとかいう括り >>388
吉本隆明みたいな70年代の権化みたいな人でも
80年代にはブランド服を着て出てきてたわけで
そのぐらい過去を振り返るのは禁則だったから80年代は浮かれた文化を引き伸ばせたんだよ
で90年代は我に返って回帰が始まった感じだよ >>389
そういえば遠藤賢司だって80年代は
ショートなヘアーにブランド服着てイカ天とか出てたからね
後で考えるとびっくりな話なぶらい80年代は浮かれてたんだよ >>390
まあ大袈裟に言えばそうだが、70年代のビンボー臭いのはNGという80年代の世の風潮があったのは確かだが
音楽は別にザ・バンドとかニューソウルとかそれこそ明日なき暴走とか
10ccとかELOとか他にパンクとか70年代モノは音楽好きには聞かれてたかと思う
話を戻すと、
イベントオールトゥギャザーナウのはっぴいえんど一夜限りの再結成が1985年だからな
80年代の中高生だとあれではっぴいえんどを知った人も多いだろう 細野にキャンティで「坂本クンとYMOやろう!」と誘われた幸宏が高揚しルノーで帰途
信号停止中ふと つけめん大王 店内でつけ麺喰ってる細野を見かけて
「キャンテイの後つけめん大王って・・・この人大丈夫か・・・」 家ついてってイイですか で
地下室に住むハゲ爺が南正人だと判明し脱腸
ゲストの泉谷でさえ気付かず「ここここれ南なのかああ!?」と脱腸していた
程無くライブで歌唱中急死 >>392
1985年の再結成はリアルでは全然知らないよ
だって今のアラフィフは当時は中学か小学だからな
当時はマイコンとかYMOとかデュランデュランとかおニャン子クラブとかに夢中だよw >>387
アラフィフはつまり氷河期世代だな
YMOは当然知ってる訳だよ
でもその音楽を体験は出来てなかったな、君に胸キュンの時で小学4 年だし
YMOはやはりCD からの世代になるな
当時のサブカルを享受するには幼さ過ぎた
なんとなく知ってはいるけど踏み込めない
年上がビックリハウスを読んで
当時の私はコロコロコミックでした。みたいな >>395
1985年はもうファミコン発売されてたしYMOは散開してる 大瀧詠一に関しては幸せな結末で知ったのかな
でも当時はピンと来なかったしそこと風街ろまんには隔たりがあった
曽我部とかくるり岸田とかが風街ろまん褒めてたから興味持って聴いたら良くてハマった >>391
ビートたけしの俺は絶対テクニシャンを作曲してたな >>348
世間的には大作詞家であってそのほうの実績が大きいだろ・・・ >>396
その世代だと中高生にバブル期のバンドブームでBOOWYにレベッカにブルハとかだろな
そしてそのまま大学くらいで次はフリッパーズにオリラブやピチカートの渋谷系ブームに出会って
BOOWYを聴いてたという中高の過去を消してwおしゃれアイテムとしての音楽CD巡りで
サニーデイからのはっぴいえんどという流れではないかな >>396
氷河期世代の手前の世代でもあるかな
どっちにしろ入社後はバブル崩壊の回収、貸し剥がし的なしんどい仕事ばかりで
新入社員なのにいきなりひでえ仕事やらされた世代でもあるけどなw
ビックリハウスはちょっと年上の世代が読んでて自分も買ってみたけど
鮫肌ぶんしゅみたいなくだらねえ小説書くやつがいるんだな、
浮かれた時代だなという記憶あるね 80年代サブカルってガロに乗り遅れた世代って印象だよね
>>397
確かにねw デュランデュランもすでに85年じゃもうスカスカ感に気づいて飽きてた気がする お前らだって知らないじゃん
知らない人が知ったかぶりするのはよくないよ >>403
その世代でも宝島はあったから読んでたろ? >>405
そりゃ読んでたよw 80年代和製パンクってスカスカで面白かったからね
そのわりに遠藤ミチロウと吉本隆明が対談したりw >>348
そういうのを松本氏が公言するようになったのは00年代途中からじゃないかな 内田裕也がはっぴいえんどの才能に嫉妬しちゃって嫌がらせしまくってたんだよね
それまで幅を効かせてた内田たちがただ洋楽を丸々パクってただけで創作の才能がないのがバレちゃって焦ってたんだよな
見苦しい嫉妬だよなあ >>406
知ったかマウンティングに勤む余り、話が本題とずれていくんだよな >>410
いや松本は90年代の初めから
はっぴいえんどが日本語でやってなかったらみんな日本語でやってない
だろうと発言してる。テレビ神奈川の番組でな 00年代に出たスピッツとか曽我部とか参加したはっぴいえんどのトリビュート盤も自分的には大きかった でちょっと経ってからはっぴいえんどのBOXが出たのも大きい 世代で知ってる音楽を決めつけるのもなぁ。
音楽好きなら先輩や親からの流れもあるもんだよ。
俺はアラフィフだけど、音楽好きの兄の影響で小学生の時にYMOと角松聞いて、中学生になったらチューリップ、オフコースと大滝詠一のロンバケ、角松のTsBallad、Ts12 inch、そしてオールトゥゲザーナウ、そんな感じだったなぁ。シュガーベイブはひょうきん族、tokyo fm聴いてた影響で山下達郎。
あとはその流れで色々辿っていくと言う。
サニーデイはその他大勢のバンドっての認識で深く聴こうとは思わなかったなぁ。
今の若い人もCMの影響で結構大滝詠一とか山下達郎とかは知ってると思うしそんなもんだよ。 色々リアルタイムで追っかけてるうちに細野さんがハイドパークで歌モノに回帰したり色々と面白い状況になってた あと風をあつめてはフジテレビの夜中のフィラーで良く聞いてた記憶。あの時代のフジテレビの深夜帯は音楽的にも良かったわ。 趣味なんて、その音楽を聴いたきっかけで変わると思う。やっぱり始めに聞いた音楽とかに良くも悪くも影響される。 >>414
その「みんな日本語でやってない」の「みんな」って、細野・大滝のことじゃないか?
ふたりとも日本語でやることに最初は反対してたから 東海テレビで定期的に放送するロンブー淳のスマホ旅で風をあつめてがかかる
それだけで見始めた番組名w >>404
いくらなんでもバッファロースプリングフィールドが音楽史の中で重要じゃないとかでたらめ言わないだろ・・・ っていうかバッファローやモビー・グレープのパク(ry しんどかったのは氷河期世代だけじゃなくて
その前の世代もしんどかったのちゃんと知ってるのかね?
入社はできても入社早々バブル崩壊の回収作業を強引にやらされて
それこと中小企業が首吊るような回収を新入そうそうやらされたんだよ
夢も希望もなくそれで病んで退社したやつもごろごろいたよ
バブル崩壊は地獄だよ
ふざけんなよ自民って感じだよね ニールヤングとスティーブン・スティルスがいたバンドなのにな >>427
でも、学生時代はバブルを味わったんだろ? >>423
ちがうちがう
のちの日本のバンドは、 という 意味
もちろん俺は賛同しないが >>429
ないよそれはw
ただの学生が入社勧誘のときだけ料亭とソープ連れて行ってもらえたぐらい
うれしいわけねーだろ?
ただのありえない事故だよそんなのはw >>432
バブルの大学生の時とか遊ばなかったの? 遠藤ミチロウと吉本隆明が対談した記事で
今sダラ主体客体とかああいうどうでもいいことで語ってて笑ったわw
豚の臓物客席に投げてたスターリンがそんなの今更どうでもいいだろ、っていうねw
それが70年代と80年代のクリティカルな乖離だよ >>412
フラワートラベリンバンドの方がオリジナリティーある
日本のロックをやっていたのになあ
今となっては日本語じゃないのが惜しい >>433
それも違うかな
有明MZAとかで遊んでたのは今55歳ぐらいの世代だろうからうちらより上だよw
その世代もべつに全員がバブルの恩恵受けられたわけじゃないし
バブルと寝た女、っていうワードがあるぐらいだからどっちにしろその後に崩壊してるよw
重要なのはバブル崩壊時に落差がでかすぎるってことだね 日本のロックフォークアルバムお気に入りの10枚
ジャックス ジャックスの世界
ゴールデンカップス ライブゼン
フラワートラベリンバンド メイクアップ
岡林信康 狂い咲き
サディスティックミカバンド 黒船
ファニーカンパニー 1st
小坂忠 ほうろう
ジョニールイス&チャー フリースピリット
PANTA & HAL TKO NIGHT LIGHT
山下達郎 JOY >>438
一番ダメな典型
メディアに毒されて自我が見えない駄目リスト >>1
>アメリカと日本の間で宙ぶらりんだった
んーーーーー? アメリカに引っかかる部分あった、はっぴいえんどって? なんか寄ってるから脱字誤字多いけどそこは勘弁してねw
俺はリアルを語りましたよw サニーデイサービスの曽我部氏のおかげで乱魔道を聴くことができたのは感謝してる こんなとこで嘘こいても1円も利益になんねーからねw
無益だよ無益
嘘こいて煽って笑うっていう手法も知ってるけど今日はちょっと飽きてるしねえ >>439
なんでだよw
じゃあお前が挙げてみろ
裏名盤10枚
ゲームは終わり 五つの赤い風船
フードブレイン 1st
友部正人 にんじん
柳田ヒロ ミルクタイム
マジカルパワーマコ スーパーレコード
吉田美奈子 扉の冬
沢田研二 比叡山フリーコンサート
三上寛 負ける時もあるだろう
近田春夫&ハルオフォン カモンレッツゴー
ゴールドラッシュ 矢沢永吉 >>448
これも最悪リストw
三流音楽ライターに騙されてこうなってしまったかわいそうな典型 >>391
テレビ探偵団で西城秀樹とか山本リンダの70年代を笑い者にしてたな
当事者呼んで何であんなことしてたんですか?とか問い詰めたり 細野さんの爺さんがタイタニックに乗ってて
ボートに上手いこと乗れて助かって
後で白人に人種差別されてえらいことになった話が好きだな >>449
はっぴいえんど=はっぴ「いいえ」んど=バッドエンド、のダブルミーニングだそうな >>27
頭脳警察は1stのライブ盤こそ奇跡の名作だけど
それ以後のナンバリングタイトルのアルバム聞くと
そんなに褒められたものばかりじゃないと思うぞ >>450
お前の書き込み全部大したことねーじゃんw
ロキノンでも読んでろバカ 70年代を笑い者にする場合は雑誌やTVではダウングレードした画像を使うのがデフォだった
後に鮮明な画像で見る機会も増えたけどかなり印象が違うんだよな >>457
そう言う人の名盤10枚聞いてみたい気がする。 >>451
山本リンダのどうにも止まらないは
アフロビートを歌謡曲化したという意味で俺はめっちゃ評価してるけどねw >>460
曲自体が叩かれてたのは80年代だけじゃない?
衣装やらパフォーマンスも70年代リバイバルを通過すれば別にキワモノとも思えないし >>459
浜田省吾を聴いて泣いてるタイプだな
人の褌でしか相撲が取れない典型的な卑怯者 >>459
君じゃなくて大したことない書き込みしかしてないバカの方な これが名盤
五輪まゆみ「冬ざれた街」
鈴木宏昌「海のトリトン」
西島三重子「水色の季節の風」
よしだたくろう「青春の詩」
丸山圭子「黄昏めもりい」
南正人「レディレットミーゴー」
太田裕美「手作りの画集」
乱魔堂「乱魔堂」
泉谷しげる「黄金狂時代」
六文銭「キングサーモンのいる島」 >>461
まあね
80年代っていのは基本ニューウェーブという軽薄であればあるほどいいというような
本末転倒な概念が流布していた時代だから
はっきりいって中身的にはダメだkらね
70年代以前ののほうが音楽的には深いんだよね
ちなみに私は50年代から60年代のジャズとか大好きで日常的に聴いてたりする人間ですのでね >>464
ダメだこりゃw
俺が好きなのは五輪真弓と乱魔堂だけ。
よしだたくろうの青春の詩は今では恥ずかしくて聴けないし南正人ほど過大評価されてるクソミュージシャンもいない。お前はセンスないわw >>455
シェケナさんが自分の代表曲にしてたコミック雑誌なんかいらないのオリジナルは頭脳警察 >>466
お前は被害者なんだよw
三流ライターが書いてるのばっか挙げてるじゃんw どこに当時のアメリカに評価されると思ったのか
ジャケでも細野気持ち悪いのに自己評価高すぎ >>465
スネークマンショーのいいものもあるわるいものもあるのコントに出てくる音楽通の人みたいだなw >>465
知り合いの子供とか
ちょっと前までは手塚や水木なども最新の漫画と混じって別け隔てなく読んでたけど
ここ数年でできるだけ新しい年代の作品を読むことにこだわりはじめるようになってたな
昔ほど年代で絵柄内容が変わるわけでもないのだがかなり意識的にそうしようとしてるように思えた
80年代もそんな感じだったと記憶してるがあの時代は一応技術革新やゲーム文化の誕生などが多数あったから
まだ軽薄でも10年は夢見れた感じだけど今後はネットインフラ以上に新しいものがどれだけ出るかわからないし
また原点回帰の動きはありそうだね もういいよそういう盛った話
誰も確認できない頃になって話されても
少なくとも曲に魅力は感じない
平坦なべたーっとした抑揚の無いつまらない曲ばかり
ボーカルも寝ておきてすぐ歌ってるような歌唱で聴いていて耐え難い
もう静かに消えろ >>391
70年代→80年代で変わったのはあがた森魚かな
ヴァージンVS好きだったな
伊藤銀次もがんばってロックしてた ジャズで音楽素養を蓄えて活躍した
筒美京平が
「みんな騙されてるだけですよ」と名言を言ってたように
それ以降の歌謡曲ポップスの歴史というのは
ジャズの素養から歌謡へとうまく流用作成できた
そのセンスと仕事欲があったかなかったか、だから歴史に残せた、違いぐらいであってね
それ以上もイカもなんもないってことだという結論であってね
そこまで俺は気づいてるんだけどなんか質問ある? って感じなんですけどねw みうらじゅんですら80年代はテクノカットだったくらい70年代のフォークや長髪文化はダサいものとされた >>474
アフリカっぽい曲出してたな
PVも凝ってて昔のレコ社はランクインもしない音楽によくあんな金出せたなって >>476
80年代の江口寿史の漫画とか70年代をバカにしまくっていて
もちろん江口も70年代漫画家デビューだし自虐が入ってるんだけど
それが90年代に70年代リバイバルが始まった途端に大慌てで70年代への愛みたいのを語り始めてたのは受けたな おれはレスター・ヤングのソロパート聞いてるだけでも
一日過ごせつ様な趣向だkど
なんか文句あるの?って感じですよw 80年代から見た70年代の音楽がダサいものとされたって、それ一般的な話なのか?、それともそう言う雑誌を読みまくった人なのか?80年代の音楽を聞くと、その人達の若い頃の70年代、そしてそれこそThe Beatlesなどの60年代や70年代の音楽を聴くことになるが、ダサイと思った事は無かったなぁ。
むしろニューミュージック全盛の80年代から70年代初頭から中期のロック色が強く、欧米の音楽の影響をモロに受けてた音楽を始めて聴いた時は格好良いと思ったもんだが。。 >>481
いやダサいものとは一般的にはされてなかったよ
80年世代は70年代のことはほとんど知らないしね
インターネットもないし >>481
メディア的にはそういう事になってたね
70年代の映像が出てきたら80年代ナイズされた当事者が「いや若気の至りでw」と弁明するパターンが
よくTVで見られたもの
もちろん水面下で70年代の音楽に親しむ若者は多くて
90年代にその影響を受けた音楽を自分たちでもやり始めたりするが >>482
当の70年代の人たちが必死で80年代についていこうとしてたんだよ リアルな一般的な80年代ってのは
ジャニーズ・おニャンコ・バンドブームなんだよ 80年代の高校生ぐらいの人たちは昔の音楽なんて何も知らないんだよ 90年代に70年代音楽がリバイバルしたのは
アナログ廃盤だったものがCDで復刻されたのも一因だったはず 80年代の一般的な高校生ぐらいの人の音楽観て
トシちゃん マッチ チェッカーズ
おニャンコにハウンド・ドッグ、レベッカ、バービーボーイズ
これがリアルな現実社会 >>465
ニューウェーブってどのあたりのことを言ってるのかさっぱり
ロックの話ではないよね
ロックもニューウェーブって言葉を使うから紛らわしいね >>488
まったく間違ってないな
もちろん桑田とかあの辺りが6,70年代音楽を勧めてもいたし
自分らでもパクって80年代に儲けたりもしてたけど
それはそれこれはこれって感じだったよね >>484
そうなの?
70年代から80年代って連続性がある様に思うんだが。。むしろ70年代の音楽を知ってる人達こそ、60年代の音楽も知っていて、フォークやロック、そしてシンセが入って、ニューミュージックに変化していった時代をリアルに味わえた人達と思って羨ましいなと思ってたがなぁ。 >>489
ニューウェーブっていうのは80年代ならではの
一種の言い訳ワードみたいなもんですよ
ポスト・パンクじゃないけど一応認めてほしいみたいなもんというかねw
ようするに80年代はいろんな新たかなものに目を奪われて
70年代に見極めたはずのものを崩されるぐらいに目を奪われた時代なわけですわ
それをごまかすためにニューウェーブっていうワードを作ったようなもんというのが一番分かりやすい解釈ですわ
80年代ってのは基本、70年代までの信念をみんな捨てて浮かれた時代ですよ、それが基本ですよ、つまりあの時期みんな
一旦馬鹿になりました、って時代なのですw >>488
1985年のオールトゥゲザーナウに興味を持ってた高校生は普通では無いって事かな? 過去を話さないと記事になれないのって元グラドルやアイドルの過去になになにありました
でも今はがんばりますと同じ >>491
60→70年代はついていけなくて振り落とされた人も多かった
結局乗るべき流行と乗らない方がいい流行というのがあると思う
前者は乗っておかないと一気に食いっぱぐれる
で、80年代は皆必死で乗っていこうとクラプトンも小室哲哉みたいなビジュアルだったし
エルトン・ジョンも肩幅スーツ、吉田拓郎はバラエティ番組の司会までしていた
90年代に入る頃、ヒプホプやグランジが流行り始めて80年代の音楽や文化が明確に終わりを迎えた頃
ヒプホプやグランジの元ネタでもあった70年代育ちのレジェンドは自分のあるべき場所に帰っていった そもそも80年代の高校生の90%ははっぴいえんどなど知らない まぁ、そう言うのを知ってる人は知ってる友人同士で集まって、またそこで知識を得ていくから、世間の一般的では無いってのはそうなのかもなぁ。。 >>497
松本隆、YMOの流れでうっすらと耳には入ってたけど
実際の音聞いたのは高校出て90年代も深まった頃だな おれは80年代から音楽雑誌を立ち読みで読んでたらわかるが
はっぴいえんど史観的なものは当時から確実にあった。
ただ一般大衆にとってはまったく関係ない話。
それがネット社会になって大衆もそういうものに毒されていったんだよ。
それを「被害者」といってるわけ こないだ94年に録音したFM大阪開局25周年番組のカセットが出てきたんだが
この番組のタイトルが「はっぴいからオザケンまで」だったんだよ
気持ち悪いだろ 細野日本嫌いなら出ていけばいい
こういう無駄な海外がいい層は日本にはいらない >>500
80年代から90年代に変わる頃に
桑田佐野が先導した日本語英語チャンポンロックに一旦疑義が挟まれたんだよ
今やすっかり元通りだけど当時はできるだけ日本語使っていこうというふうになってた
その時に日本語ロック論争の話も一瞬蒸し返されてたりした スージー鈴木ているだろ
あいつなんか遅いんだよ
あいつより俺のほうが全然年下だが
はっぴいえんど史観批判とか今さらおせーんだよ
おれは80年代からやってたよ 91年の週刊FM廃刊号持ってるが
いろんなライターがベスト20アルバム選んでるが
今みたいに画一化されてなくて面白い
ネット情報化社会になってかえって同調圧力で画一化されたんだよ >>186
細野さんのごきげんいかが123だな
tr808(この時点ではプロトタイプ)を標準に知らしめた歴史的ラップ そういや細野晴臣が代々木アニメーション学院の音楽関係の教育に関わったり
細野の親族が運営に参加していたりした時期あったけど
あれはなんだったんだろう >>167
たぶんそれもはっぴいえんど過大評価の一因
ジャックスあたりに同じこと言ってたら話は違ってたかも 一因というかほぼ全てじゃない?
内田裕也は仮想敵としてかなり便利だったと思う >>479
ジャックスって日本語ロックの元祖とも言われてるけど日本で
最初にアングラ、サブカル的な世界観を提示して見せたバンド
でもあるんだよな あの時期、アメリカンロックを選ぶ時点で細野さんはヒット作を作るための
何かが欠けてるんだよな
後にYMOでヒット作も物にしてるけど メンバーは凄かったけどそんな大したバンドでもなかったけどな
センチメンタルシティロマンスの方が洗練されてた >>512
上の方でなぜ細野と大瀧が結び付いたかの謎が云われてたけど
大瀧さんのルーツがエルヴィスプレスリーてのがあるのかもね
ロックはロックでもザ・バンドの方向で一致してたのかな 今でもYouTubeに「ヤクザの前でロックンローラーがタコ踊り」という動画が上がっているが、内田裕也さんは晩年まで893との腐れ縁が切れなかった
フラワートラベリンバンドのジョー山中がステージで日本刀を振り回している写真を掲載しその暴力性を批判したロック専門誌もあった
アルバム「はっぴいえんど」が「ニューミュージックマガジン」の第2回日本のロック賞に選ばれ内田裕也さんとの日本語ロック論争が起きる
その時大滝さんと松本隆さんが内田さんとの座談会に出席されてたが相当の覚悟だったと思う
だって内田さんのバックには地元の興行を仕切っていた怖い人たちがいたからね
でも以降徐々にぴあなどの業者が公演を手掛けるようになり業界が成熟した
日本語ロック論争は上っ面の概念論争ではなく、日本のミュージシャンの興行のあり方を問う死活問題だったと思う >>514
エルヴィスがルーツなのか。
50年代、60年代の米のロック、ポップスを手広くって感じがしてた。 今見るとエイティーズのシンセポップが一番ダサい気がするけど
80-90年代のロック史観ではビートルズが解散したレイトシックスティーズでロックは頂点に達し、
セブンティーズは一番つまらなかった時期ということになってた
つまりこれからもどんどん見方は変わっていくということ
現にシティポップ再評価だもんな
○○史観批判とか一番くだらんわ >>381
当時のサニーデイは音楽好きが支持したバンド
前提となるような諸々のバンドをすっ飛ばして女子供が飛びつくようなバンドではなかった >>383
はっぴいえんども知らずにレコ屋通うやつなんていねーよw 若者たち以前からはっぴいえんど再評価なんてとっくに始まっていた
>はっぴいえんど〜HAPPY END(1993年5月25日)
レコード各社共同企画の“シンガー・ソングライター・ルネッサンス”の一環として発売された4枚組ボックス・セット。ライブも含めたオリジナル・アルバム4作とブックレット付き。その内『風街ろまん』『HAPPY END』の2枚は、吉野金次によるオリジナル・マルチトラック・マザー・テープを使用したリミックス盤で、発売当時、物議を醸した。またこのリミックス盤については、その内の数曲が細野のボックス・セット『HOSONO BOX 1969-2000』に収録されたのみで以後、再発売されていない。
>はっぴいえんどに捧ぐ(1993年9月9日、再発:2004年11月3日、再々発:2010年12月15日)
SME所属アーティストによるカバーを収録。ジャケットのイラストは、つげ義春の短編漫画『紅い花』の主人公キクチサヨコ。2010年12月15日にボーナス・ディスクを追加した2枚組CD『はっぴいえんどに捧ぐ +』として再々発。吉田美奈子、矢野顕子、清水ミチコ、太田裕美、ピチカート・ファイヴ、小坂忠、葡萄畑などがライブでカバーした曲を追加収録。ブルースペックCD仕様。 ネットのない時代タワレコの視聴機文化は圧倒的だった >>514
おっ!ゲットトゥギャザー!で出会い
バッファローが分かった!ではっぴいえんど加入
細野が好きだったバンドを大瀧詠一が理解したから意気投合してた時期もあった >>518
世界的なビートルズムーヴメントがある意味お仕着せ臭くて反発してた層も居たんだが
アンチテーゼとしてのモンキーズとかの方がしょうも無くてアメリカンロックの方が岐路に
立たされていた
その頃コンサート活動を終わらせ、レコード一本で行く事になったビートルズが出したラバーソウル、
リヴォルバー、サージェントペパーズがスタジオワークの複雑化を引き起こしP.スペクター
やB.ウィルソンを研究する連中の中で一番優秀だったのが山下達郎だったのは間違いない
ビートルズが解散し、70年代になって、それまで職人芸で維持していた物が維持しきれなくなり
すべてを金で解決するロック産業の頂点に君臨する連中が出てきたのが70年代
すべてをもっていたビートルズがいなくなり、変わってロック産業がピークに達し、70年代は
ある意味すべてが意味を失っていた、そしてMJがすべて持って行った >>62
東京ビートルズがまさにその否定的な部分でもあり
模索、過渡期の様子を表してるよな。
あわなほーじゅへーーーん 最後にMJが出てきて笑った
あいつがアンチテーゼにいたおかげでロックが延命したとすら言えると思うがw >>525
レスサンクス
溜め込んだ趣味の知識をぶつけ合う相手がいると蜜月になる空気もわかるな 毎回評論家崩れに占拠されるな
余程はっぴいえんどに恨みがあるのだろう >>503
88〜89年だな
ブルハにエレカシにニューエスト
その時期は評価筋の間では日本語をはっきり歌うのが良しとされた
RC・タイマーズあたりがそのパイオニアとしてご本尊に据え置かれたかと
でもまあ岡村とかそういう桑田筋や佐野筋をさらに崩したラインはあるにはあったんだよ さよならアメリカ さよならニッポンなんて曲があったな、そういや
アルバムを持っているわけでもなく、つべで聞いたくらいだけどはっぴいえんどの曲は妙に記憶にこびりついてるよ >>533
その後イベントでイマジン日本語版を歌う清志郎を舞台袖から見て感動して改心してるけどなw >>536
それこの前の豪の部屋での発言でしょ
清志郎のパフォーマンスがある時期のミック丸パクリだとも未だに言ってたよなw
まあ当時のRCを支持してたのは女子供だよ >>537
カバーズとかタイマーズは評価してたっぽいな
初期スライダーズとかも
ブレないわりに意外と一貫性はないんだよなw 中川敬は音楽に興味もったから音楽一直線の道に入ったわけだが
あれがお笑いの道に行ってたらそれなりの芸人か放送作家にはなってたタマや思う 評論家崩れさんはロッキンF読んでTVK見てた感じがするな >>520
80年代シンセポップリバイバルは
去年から世界的にブレイクして
大物がガンガンやってる真っ最中
日本だけ蚊帳の外 ニューエイジ系までアリになってるからね
前までナシだったフュージョンぽいノリだったりシンセの音色もヴェイサーウェイヴ、フューチャーファンク、シティーポップブームでアリになったし 日本のロック(そんなもんあるのか?)とやらを
ガラパゴス島にしてしまった張本人が松本隆かな
細野は違うけど >>500
それはあるよな
80年代にすでにはっぴいえんど史観はあったが、それはあくまで音楽オタや邦楽ロックリスナーの間だけのもんだったし
裕也派いかついの今更ダセえよみたいなのは既にあった
他にはっぴいなんか知るかよってロック層は村八分とかそっち系と
矢沢キャロルとかのあっち系
こういうのも昔はロック村の音楽オタ内での話
洋楽が上で邦楽が下みたいなのも普通だったからな 作曲家としての才能も凄いが
ベーシストとしても大したもんだと 70年前後を想うにサヨウナラアメリカは仕方ないにしても、サヨウナラニッポンになる必要はあったのか?と思う
まだ主流の音楽はバリバリ演歌、歌謡曲だった時代だよね
それとロックの融合は無理だったんだろうか
向こうのブルースロックやフォークロックも、そういう事してたんじゃないのか >>542
テクノじゃなくシンセポップ?
Kraftwerk辺りは今でもたまに聞くけど。 ここ最近の世界的な再評価の流れのどこにも細野晴臣がいるな
海外のレーベルが監修した環境音楽のコンピにも日本のフォークのコンピにもシティーポップのコンピにも曲が選ばれてる 50も超えて数年たてば史観なんてどうでもよくなる
若い頃のようなオタク的に系統立てて音楽チョイスするような事をしなくなってくる
日常の中に最適な音楽がそこにあればいいという感覚で音楽を聴く
中学生くらいの時の知識ついてない無垢な感覚に回帰してくる 日本語ロックと言えば、荒木一郎が完全に歴史から消されてるね 海外動画見てて最近思うに、ロックってのは英米の民族音楽なんだと
他文化圏の人間はロックを名乗らずに、新しい音楽を打ち立てなきゃいけなかったんじゃないかなあ >>550
日本で言うテクノは
まったく流行っていない >>554
岡林のエンヤトットとか宇崎竜童の竜童組あったけどな
サンセッツ久保田真琴の沖縄路線とかさ
ソウルフラワー中川の民謡路線というのもあったけど 細野さんは今でもホント凄いと思う
松本隆の歌詞もはっぴいえんど時代だけは凄かったけど・・・
その後、ゴミ歌手近藤真彦やら松田聖子やら
当時売れてたゴミタレントにゴミみたいな歌詞提供して
金儲けするような人になっちゃって・・・
今ではもう多くが死んでるけど、当時すげえ批判してた昔からのファンが多かったな >>515
松本隆は「裕也さんは僕らが怖かったんだろうね」と言ってるね >>558
内田裕也って、GS勢からも当時すでにネタみたいな扱いされてるのに
例の対談も相変わらず電波だし >>557
自分の活動もやってたけどな。
イエローマジックバンドなんかも良かったし。
sketch showは先行きすぎ感有ったけど。
自分がやりたいことやるために作曲家活動をやってるんじゃないかな。 >>554
民族音楽かどうかはともかく
米国にて黒人音楽誕生→米国にてブルース(黒人音楽)とカントリー(白人音楽)の融合のロックンロールの成立
→英国に渡りビートルズやローリング・ストーンズやアニマルズやフーやキンクスなどなど西洋音楽(白人音楽)とのハイブリッドで世界的(といってもほぼ当時の金持ちの国だけ)にロックが波及
そこに黄色人種ましてや日本の影なんてひとかけらほどもない
日本のロックって何? ロックの殿堂なんて英米圏の人間しかいないからね
日本どころかドイツもフランスもイタリアも蚊帳の外でしょ
映画、クラシック、ダンスとかの方がまだ世界に開かれてる感じがするよね
なのでいっぱい大風呂敷を広げたロックだけど、結局単なる英米人の民族音楽という立ち位置に着地したのだなと >>561
>日本のロックって何?
スタイルの丸ごと輸入と、スピリットを示す具材としての母国語コミュニケーションという加工 >>562
そうだよ
ブルースもジャズもR&Bもソウルもファンクも
米国にて生まれた
アフリカの民族音楽とは別の場所で ロックンロールが米国で生まれる際に、白人による黒人音楽スタイルを盗用という流れはあったにはあった ボビー・ブルームのMontego Bayにすごく似てるんだけどこの曲 白人はクラシックを作った
黒人はジャズ、ロック、ブルース、ヒップホップを作った
黄人は白人・黒人が作った土俵の上でパクリに専念するだけで何も作れなかった音楽音痴
これが歴史的事実
「はっぴいえんど」とか音楽音痴の分際で黄色人種も頑張れば世界で通用すると
幻想を持っていた時代の産物
ちょうど今の韓国と同じだろ
やっぱチョンは日本と30年は遅れている国だわ >>552
これはホントにそう
「ロック史的に重要な作品」とかをお勉強的に聞くとか全く無駄なことはしなくなる
これから先何十年も音楽を聴けるわけじゃない
自分にとってのいい音楽以外を聴く時間なんてない >>537
豪の部屋はコレクターズのボーカルの人のも感慨深く見たわ
自由に作詞作曲をできる大きな才能を持ち合わせながら
地方でのポテンヒット一発のみで、後続のバンドに追い抜かされていくという様子
あの人はヒロト&マーシーより2歳くらい年上だからもう60才越えてるだろう
コネクション持ってて才能ある人でもチャンスあっても掴めないとああいう低空飛行路線で過ごすことになる
ムーンライダーズなんかは副業が多いしキャリア長いだけにコレクターズよりコネクションの幅も広いしだろうけどね ジャマイカ発祥のレゲエやナイジェリアのフェラ・クティが創始したアフロビートがあるよ
トーキングヘッズもアフロビートを援用してた
日本では中村とうようさんがワールドミュージックとして紹介してた
ポピュラーミュージックは英米だけのものではない >>425
全然重要じゃないよ
せいぜいフラワー時代の流行りものでしかない
やってたことはサージェントをアメリカ風にやろうとしてただけ
その後のニールヤングとか、ソロになってからは別だよ >>535
入れ歯かインプラントかどっちだろうな
最近は細野さんの映像見てたら歯に目がいく はっぴいえんどがメディアで取り上げられ始めたのは
YMOが出てきた頃。NHKFMでサウンドストリートという番組が始まって
松任谷がDJやったり、甲斐よしひろがラジオでよくかけるようになったあたりから。
YMOの細野と松本隆かー、ってところにロンバケがドーンときた
しかし80年代はとてもじゃないがそんな時代じゃなく、やがて打ち込みが流行り
その反動として90年代は世界的にアナログ、アコギサウンドの時代になる
そんな中で日本でもいわゆるそういう渋谷なんたらとかがはっぴいえんどを持ち上げた 渋谷系界隈は当初ははっぴいえんどを持ち上げてなかったと思う
フリッパーズにしろオリラブははっぴい史観をスルー
うちらが今日的洋楽から改めて再輸入してますってノリだったし
まあピチ小西なんかは元々細野さんラインで出てきたし大滝フリークだったってのはあったけど
渋谷系でもしばらくしてからのソウルセットとかかせきさいだあとか極めつけでサニーデイサービスが出てきたあたりに
ようやく渋谷系界隈がはっぴいえんどリスペクトで繋がった感はあったかな
小沢健二かファーストソロ出した後しばらくしてからという記憶 >>576
渋谷系の正統的フォロワーは新潟アイドルだと思うけど、
細野・松本コンビはいまのアイドルシーンに乗れなかったなあ
まあ細野さんは乗る気が無いのかもしれんけど はっぴいえんどを音楽的に解釈するなら、当時としてはサウンド指向であったことと、
日本語ロックというよりも洋楽的楽曲構成という点だと思う
つまり日本の場合、歌民族なのでオーケストラだろうと弾き語りだろうと歌ありき、
それを演奏アレンジも曲の一部とした考え方だろうと思う
そして、はっぴいえんど系列や渋谷系列の共通点としてはサブカル的である点。
ところがこれをメインストリームとしたがる音楽評論家たちがいるからややこしくなる 映画見てきたけどスポーツマンや北京ダックがカントリーの心地良い曲になっていた アニソンにも渋谷系人脈流れてるよね
元ピチカートの高浪慶太郎とかラウンドテーブルとか片岡知子とか
コーネリアスも攻殻機動隊やってるし
松本隆も菅野よう子と星間飛行作ってるし >>579
圧倒的にサウンド志向だよな
1970年前後なんて
言葉派=フォーク
音派=ロック
という雑な棲み分けだったわけで
それらが共存してたはっぴいえんどが異端だったんだろう
レコードでのサウンドに段違いにこだわってるしサウンドのセンスが頗る良い >>582
松本のドラムですら、下手と言っても「ドスン」という
はっぴいえんどの欠かせない印象的な音の一つになっている
サウンド、ミュージシャンの重要性で先端を行っていたのは吉田拓郎で
エイプリール、ミカバンドなどのミュージシャンをバックにアルバムを作っていった
細野&大瀧と吉田拓郎というのはライバル意識はあったと思う
だからオールトゥゲザーナウでも一切言葉は交わしていない 小田和正とか吉田拓郎はサウンドに拘ってもセンスが悪いという致命的なもんを感じるわ
むしろ参加ミュージシャンにお任せにした方がいいもんできるんじゃないのかな
ソングライターとしてシンプジャーナル界隈では神扱いだったけどもワイは苦手 >>139
そういう先史のムードがあったんだろうな 国際青年年記念 ALL TOGETHER NOWが85年
はっぴいえんど伝説の出版が83年
渋谷系以前からとっくに伝説のバンド 時代のモノだよなー
今はレベル低くて恥ずかしくて聞けたもんじゃない。
でも、こういうのを踏み台にして今がある。 ミュージシャンは二種類しかいなくて、
感性で作るタイプと論理的に素養で作るタイプ。
これはジョンレノンとポールマッカートニーみたいなもん
感性の人は一度枯れたら戻らない。
しかし瞬間最大風速には、理論派は永遠に追いつけない >>364
重要性は多少なりとも持ってるでしょ
メンバーの面子考えれば 甲斐よしひろなんかも小田や吉田と同じくサウンドに拘っても、、、みたいなところがある
陽水や浜省なんかはそれ自覚してるのかサウンドは他者にほぼお任せでしょう ラリーズ・デニュデとか、どこにもつながってないオーパーツみたいなのもあるね >>591
はっぴいえんどとそういうとこが似てるんだよ
何の影響力もなかったのに、後の活動で伝説みたいに語られる
アメリカンロックはアメリカンロックでしかなかった
しかしそれがアメリカであり、イーグルスなどがその象徴だろう >>145
ランチボックス用意してティーパーティー開いて他のバンドから白い目で見られていた初期ジェネシスみたいだな >>594
歴史上は意味を持つでしょ
人材を幾人も輩出してんだから >>590
感性と論理は両方ないと良いミュージシャンにはなれない
学んだ論理を無意識下で操れる人が天才 >>561
国産車
日本経済が上昇するとともに
発展した 50年代以降日本にとってロックは西洋の商業音楽を如何に日本に取り入れるかだった
特に70年代はロックと歌謡曲の融合だった、ロック的なノリにどう日本語を乗せるか(R&Bやファンクも含む)
その先駆的なのがはっぴいえんど、その後のチャーやクリエイションはどちらかと言うと英米ロックをそのままやってた感じ
歌謡曲と西洋ポップの比重が西洋的になるにつれ90年代以降J-popと呼ばれるようになって来た >>605
YMOがすごかったから、松田聖子がヒットしたから
はっぴいえんどこそJpopの教祖だ、なんていう論理がおかしいの >>601
バブル景気期とバンドブーム期が全く同期してるのも面白いよな >>588
YMO時代ははっぴいえんどてどういう評価だったのか
音楽的には全く相容れないと思うんだが >>607
GSブームも高度成長期とかぶってるな
ゴミみたいなバンドにもレコード会社が投資する余裕があったからなんだろか フォークに多いんだが「人生」って単語が歌詞に出たらダメだわ
もう演歌みたいにしか聴こえない
ライフってカタカナ入れる方が全然マシ
ポップに聴こえるから ライブ音源とか聴くと格好良いし最後の方のライブとかかなりテクニカルな事やってるよね松本隆って
なんか下手なイメージがついてるけど >>606
JPOP、歌謡曲に多大な貢献をした人材を幾人も輩出したというのは客観的な事実 バンドブームは、その前に邦楽が打ち込み、
いわゆるコンピュータ入力でレコード作っちゃうみたいな流行があって
その反動として生バンドへの回帰という機運が高まった一端だと思う
だから90年代は小室サウンドの一方でミスチルや奥田、スピッツなど
バンド的なミュージシャンが増えた ドラマーとしての松本さんはミッチミッチェルとかイアンペイスみたいな大味なハードロックドラマーだったんじゃないかな
大瀧さんが松本さんのドラムが嫌でバンドを解散させた理由にされているね >>614
BOØWYとホコ天とイカ天の影響が一番大きいだろう 昔はレコード会社も歌謡曲で稼いだお金で、純音楽的なバンドやミュージシャンと契約して
採算とれるかどうか分からんが赤字覚悟の上でレコード作らせてたんだよな
一発会社なんかに例えると工場作業部門で稼いだお金を
クリエイティブ開発部門に投資するような感覚だと思う >>532
なかったことになってるが、その時期一番売れたのは演歌ロックの長渕。 今も演歌的なエモいのが日本ってウケるもんな
洒落て気の利いたグループはあんまり売れない
最大公約数的なダサいセンスの方に合わせないとダメみたい >>617
パーフリがメジャーデビューできたのは
同じレコード会社だったWinkで稼いだ金を投資したからとかてよく言われてるな そういえばwinkってジャックスの水橋プロデュースだったな >>616
打ち込みが流行り始めたのが85年あたりだと思う
二年くらい、トップミュージシャンもそういう作り方が主流になった
イカ天が始まったのは89年初めで、生バンドへの回帰とともに、
歌謡曲も秋元のおかげで崩壊、ウインクがユーロビートのカバーでヒットしていた時期と重なる 正確に言えばすごいバンドじゃなくてすごい人がやってたバンド
YMO以降に日の目を見た
80年までは一切騒がれていなかったはず ある程度売れて固定客が付いた人はいいけど、そうじゃない人は食べていくためには裏に回ってアイドルやポップスの仕事せにゃならんからな
中にはヨゴレ仕事もあるだろうしなあ、パチンコ屋のBGM編集とかさ、知らんけどw
良いバンドやシンガーのサポートメンバーとかミュージシャン冥利につく良い仕事なんじゃないの >>622
一般的な人は
お正月といええばあああ ももんがーももんがー
とかの方が数倍ダサいと思うと思う >>625
ちがうね
いっせいに増えたのは83年から >>622
あいみょんとか大衆受けするダサさを感じるね。 >>625
YMOが売れて歌謡曲やバンドの現場に打ち込みが流行り出したからな >>629
モモンガーとかはダサいというよりヘンなんだよ
そもそもロックってヘンなもんなんだよ
ヘンな要素が入ってて然るべき
それはダサいというのではなくて粋なんだな >>630
だからYMOやニューウェーブの打ち込みサウンドがもてはやされたのは80年代前半だから はっぴいとかしちぃぽっぷは、大衆受けしない寒さを感じる。まあ、元ネタ知ってたらだけど。大瀧くらい突き詰めれば別次元だが。 >>630
83年はそうでもない。桑田なんかはボチボチやり始めたが
主流になったのは85年くらいの記憶がある
>>632
YMOが出てきて、しかし大滝は正反対のアプローチをしたんだよね
当時はっきり覚えてるが、おそらくデジタルでクリアなサウンドだろうと針を落とした瞬間、
ずっしりとした重厚なサウンドが響いた >>622
日本はどこまで行っても歌謡曲しか売れないんよ
この先もずっと >>632
海外でリンドラ打ち込み曲がヒットチャートに入ってきたからだよ
打ち込み自体は79年ぐらいからある >>80
飛行機移動だってしていた
北海道公演の後、細野晴臣が遅刻したため予約した飛行機に乗れず、
岩手上空での自衛隊機との空中衝突墜落事故を免れたというのは有名な話 >>628
はっぴいえんどの4人も
解散してそういう仕事もやりながら自分の音楽を地味に作り続けた
松本は作詞家専業になったけど 日本の歌謡曲って雑多な例え方すれば米国のカントリーミュージック層だからな
保守層というか聴き手の生活感も含めてだけど オーディオを売りたいが為に
各レコード会社は音が良いとされる
優良なソフトを作る必要があり
細野、大瀧、のはっぴいえんど解散後の
流れに加え
山下達郎、坂本龍一という才能が開花し
各社80年代に多くの国産優良ソフトを生み出した。
日本の経済発展と不可分と考えれば
はっぴいえんどとシティポップの再評価は
経済没落という事に起因するのでは?
とただの思い付きなんすけどね >>639
それを言ったら細野はクラフトワークとジョルジオモロダー聴いて打ち込み始めたし >>638
お前バカか
歌謡曲>>>>>>ロックなんだよ
ロック=バカ
お前=バカ いまだにロックロックとか
お前ら化石かバカづらしやがって >>637
大瀧がロンバケでYMOの逆張りしたのは
やっぱ細野が売れたことへのジェラシーやら意地もあったと思う なんも考えずにチャゲアスをカラオケで歌ってたりTRFとかカーステで流してたりだな
そういう層ははっぴいえんどとは無縁だったよな
ロックに囚われてない人々というか 宇野維正ってやついるだろ
ハゲた大江千里みたいなやつw
あれがお前らのイメージwww アメリカとか韓国みたいにリズム主体のHIP HOP系が売れない特殊な土地なのかもな日本って
ずっと歌中心で >>649
しかしまあすごい満塁ホームラン打ったよな
その数年前まで趣味趣味ミュージックとか言ってコミックソングしこしこ自宅スタジオでで作ってたんだぜ >>649
大滝って人は見かけによらず凄くコンプレックスがあったと思う
岩手の田舎者、大学も二部。だけど粋な人だったからいつも茶化していた
ところが細野、松本が大先生となって「じゃあ本気出すよ」ってのがロンバケだったと思う はっぴいえんどって、モビー・グレープとバッファローを混ぜて、ビーチボーイズをふりかけただけでしょ?
元ネタ探しの嗅覚とセンスはあったと思う。 >>638
「エッセンスだけを採り入れて独自につくるのが日本式」というか
新たなものができたら一旦「味噌汁の中に入れてしまう」ような感じだよなw
たまたまであろうがうまく飲める味噌汁として成立すれば定着するというか >>653
でも今シティーポップとして世界で注目さてる音楽は80年代のグルーヴ主体の音楽だっりするし
景気が悪くなって鬱っぽくなると共に趣味指向が変わってきたのかな >>637>>640
間をとって84年で手打ちにしなされw
オタクというのは変なところに拘る >>654
食べるものがなくて子どもたちにおもゆみたいなの食べさせて自分は「ヨヨイのヨイ」てやっていたと誰か書いてた
CMソング数々やってたんだからそこまでひどい生活じゃないはずやけどw >>655
しかしロンバケヒットしてイーチタイムまでの間に、その後は隠居して「作ったり演奏したりしなくても悠々自適に生活できる仕組み」を構築したのは凄いよな >>655
近田春夫ちゃんとも仲悪かったんだっけ? >>474
伊藤銀次というのが人脈が一番凄いと思うわ
はっぴいティンパン界隈から歌謡界の裏方までオールラウンドでしょ
めんたい人脈もあるし、まあこういうのは人柄なんだろうな >>659
ww
松田聖子『天国のキッス』中森明菜『禁区』がそのあたりだから
歌謡界が組み込んだのが一般化というなら80年代前半期というんやろね >>661
でも奥さんも看護師の仕事してたらしいし
亡くなった時瑞穂町の自宅の映像流れたけど普通の家でちょっと意外だった >>653ただ目立ってるだけで、アメリカの音楽は多様だよ
ロックも未だ何とかやってるし、日本のバンドもジワジワ人気出て来てる
逆にヒップホップこそ詞中心だぞ、何を歌ってるかが重要 >>666
80年代になんかの雑誌で自宅外観写真みたけど
ほんと普通の家だった
サザエさん宅とかのび太ん家みたいな外観の家 >>659
追記:今ふと思い出してバッキングほぼ打ち込みのNOBODY『ポップギア』が何年かみたら
83年4月だった >>666
屋根にパラポラアンテナいっぱい付いて無かったの? >>670
あれはネットが普及する前に海外の衛星放送受信するためにパラボラたくさんつけてたらしい
高田文夫と浅草キッドが訪問してびっくりして「福生のアンテナ親父」てネタにしてたなw >>661>>662
大滝は寡作については「才能がないんです」と答えていた
本音だろうと思う。
一方であの曲みたいなのを作ってくださいと言われたら
「じゃあその曲使ったら?」と言っていた。豆腐屋じゃないんだから同じの作れないと
近田との仲は知らないが近田は内田裕也の弟分だから、
大滝と合うはずがない >>645
起源で言ったらドイツ電子音楽まで遡ってしまう
アナログシーケンサーからMPC?に変わったのがポップス史に於ける打ち込みじゃないかな? >>645
YMOを聴いて「これクラフトワークのコピーじゃねーか!」と怒った内田裕也
ユーヤちゃんがここにも出てくるw ムーンライダーズがMC-4でマニア・マニエラを作ったのが82年
これがハシリくらいだったと思うので83年以降かな >>662
>>673
ロンバケがリリースされた頃
近田春夫のパックインミュージックに
大滝がゲストに出たけど、ぜんぜん仲悪そうじゃなかったよ ロンバケのレコードB面1曲目の雨のウエンズデイは、はっぴいえんどのメンバー全員がひさびさに再結集した曲として大きな話題になったけどね(ドラムは林さん)
この曲とB面最後のさらばシベリア鉄道はロンバケの中でも異彩を放った名曲だった
ロンバケは大瀧さんが単に細野さんや松本さんに対抗意識持って作った作品じゃないと思う 対抗心だけじゃなく、色んな条件が重なって機は熟した、というところだった
元々50sのアメリカンポップス、ロックンロールが根っこにある大滝
ナイアガラレーベルではすでに湯川輝彦なんかのイラストを使って
アメリカ西海岸的なアイコンを持っていたが
70年代末のポパイなどによる西海岸的ブームも相まって、
沸々と構想は育っていたと思う >>677
近田はGSからスタートしてニューウェーブやヒップホップや歌謡曲評論やったり多才な人だけど
自分のヒット曲がないという点ではシェケナさんと共通してるなw 1971年にはっぴいえんどの風待ちロマンがあるけど、チューリップの魔法の黄色い靴もある意味、ロックと歌謡曲の融合だと思うけどな。片方はアメリカのカントリーミュージック風味、片方はブリティッシュロック風味。この二つは交わらないし、日本の大きな流れだったと思う。で、ファンもお互いに交わらない感じが面白い。 >>658
シティーポップ(ス)再評価ってのが
外国発(それもDJ界隈)だったのが問題なんよ
日本からの再評価じゃない
80年代ぐらいの
日本のスタジオミュージシャンたちが世界的演奏水準を持っていた頃の音源のグルーヴ的再評価
日本側に還元されて来たら
もうグルーヴや演奏力なんて需要な要素が省かれた話になってる
これじゃ
超時代遅れのギターロックバンドとやらが
日本で未だにチャートにあるガラパゴスなのは当たり前の話 >>683
いやシティーポップ再評価の流れとか90年代から今に至るまで日本でもずっとあったよw ビートルズ的な曲を作ろうとしてたのが
スパイダース、チューリップ、キャロルあたりで
はっぴいえんど系になるとビートルズ的なものを意図的に排除しているようにみえる
松本隆は日本のビートルズみたいなことを言ってるが、
結局サブカル的、つまり大衆と向き合うことをはなから避けてきたと見ている >>685
そうか?大滝の空飛ぶくじらとか
細野の飛べない空はビートルズ的だと思うけどな
まあマージービート的ではないけども しかしまあオタクってのは思い込みと決め付けによる自論展開が得意というのはよく分かるスレだわw >>686
大滝のは完全なパロディだろう
ラストダンスはヘイジュードみたいなもの >>492
そう言えばポルノの方でも
「New Wave Hookers」と言う作品が評判だった気がするけど
調べて見たら1985年制作で音楽の方のニューウェーブ・ブームより数年遅れてるね 最近の細野さんは意識的にビートルズからのインフルエンスについての発言は避けてる印象がある チューリップは日本最大級のビートルズのコピーバンドでアイドルだったからね
財津さんは日本のポールマッカートニー
ライブ・アクト・チューリップ・イン・鈴蘭2では豪雨の中でファンの女の子たちが、ラスト近くに銀の指輪、夢中さ君に、魔法の黄色い靴と続けて大合唱してた
ロックバンドには観客を熱狂させる熱量が必要だけどチューリップにはそれがあった 大滝のクリスマス音頭のラスト、キーが行ったり来たりするのは
ジョンレノンのハッピークリスマスのエンディングをモチーフにしたのではないか、
と勝手に推測している >>684
シュガーベイブとかティンパンアレーみたいな70年代シティポップは昔から評価されてたけど
オメガトライブとか菊池桃子のラムーまで再評れたのは最近だろ >>684
ねえよ
2000年代には忘れ去られていった >>687
はっぴいえんど史観なるものも
そういうオタク音楽ライターが創作したからな >>29
普通にメインカルチャーが強かったから「それだけじゃないぞ」とハッピーエンドが持ち出されただけ
で、今はメインカルチャーが死んじゃったからサブカル側のハッピーエンドの話しばかり出てくるというだけで松本の陰謀という奴の頭がおかしい 松本隆は話がなんか自分達上げが多過ぎて敵を作りがちのは分かる気がする。 >>693
タワレコがNegicco売るためにレーベル作ってから、
アイドルシーンではシティポ系再評価の機運があったと思う >>699
「アイルトン・セナはボクに似ている」は至言 >>700
タワレコといえば新宿店2フロアに縮小しちゃったな
渋谷店もいつまで維持できるのやら >>248
拓郎のミニバンドはアマ丸出しだが、それがいい味出してたな 空飛ぶくじらってポールのユア・マザー・シュッド・ノウの完コピに近い >>704
大滝さんはリスペクトと称してそんなの多いよ ユア・マザー・シュッド・ノウはチューリップの財津さんがビートルズの曲の中で一番好きな曲だと言ってた 鈴木茂に初めてアルバムプロデュースさせたのは吉田拓郎
「あの娘に逢えたら」とかは鈴木のアレンジが冴える名曲だと思う >>578
なんか裕木奈江バッシングで芸能界のアイドル歌手ビジネスに
ドン引きしちゃった、みたいな話を以前本人たちがしてた事あるよ
丁度バッシングの直前に細野松本コンビで裕木奈江のLP作ってて
ふたりの感触として結構な自信作だったのに
バッシング旋風の中プロモーションも何も出来ずに終わった事で
なんだかなぁな気分になっちゃったみたい >>685
>はっぴいえんど系になるとビートルズ的なものを意図的に排除しているようにみえる
ビートルズっぽい曲は散見されるがwどこ聴いとるんじゃい的な >>709
ないと思うよ
はっぴいえんどを全曲知ってるとまでは言わないがたぶんない
空飛ぶクジラを最初にネットに書いた俺が言ってる はっぴぃえんども素晴らしいと思うけど、より普遍的なポップミュージックのイメージ。
二大始祖なら村八分派。ロックはこの歪さがたまらない。 抱きしめたいとかはビートルズっぽいけど
基本的にアメリカのサウンドを指向していた
ビートルズ感あるのは録音してた吉野金次がアビーロードスタジオのセッティングを見に行って参考にしてるからなのかな
吉野金次もジャスティン・ヒースクリフってビートルズ的でサイケなユニットでアルバム一枚出してる >>695
フラワートラベリンバンド、村八分、外道、サンハウス、
頭脳警察、スピードグルー&シンキ、ブルースクリエイション、キャロル
どれもこれも肉体ノリでオタク音楽ライターとは感性合わないよなあ
そりゃあはっぴいえんどにすり寄ってアゲたくなるんだろう 松任谷由実も傾倒してたようにプロコル・ハルムの影響は当時とても大きかった
それが「飛べない空」一曲にしか表れていないのはバッファロー・スプリングフィールドとモビー・グレイプのラインで行くという明確なコンセプトがあったから
そういう意味ではビートルズ的なものを切断する意識があったということは確かだと思う リアルタイム感覚で言えば日本のロックと言えばクリエイション、チャー、チューリップ、ゴダイゴ、サディスティクミカバンド、シナロケ、マキオズ、四人囃子、ウエストロードブルースバンド、とか
はっぴいえんどの名前はほとんど出てなかったな
原田真二とかツイストとかはアイドル寄りのロック
YMOがブームになっても坂本龍一ソロとかキリンとか教授ばかり注目されていた >>637
リズムマシンはPlasticsが使ってたけどな。
あれも根本的にはシーケンサ。
揺らぎが無くて無機質になりやすいので難しいところがあるんだよね。
アルペジエータやフレーズ単位で使うなら良いんだけど。
打ち込みって言うとMIDI以降をイメージしているかもしれないが。 あのですます調の歌詞が新鮮だったのかね。
日本語とロックの関係性には、
ダウンタウンブギウギバンドの方が、
よっぽど貢献してると思うが。 >>727
海外のオルタナカントリーとかアメリカーナ勢と並べても遜色ない感じ >>727
アメリカ録音だからか。
あまり言われてないが電圧が違うので、
音が違うらしい。
最近はブルーレイやDVDの画質も、
洋楽の方がキレイな気がする。 >>693
オメガトライブもラ・ムーも2000年代初頭に出されたディスクガイドに記載されていた >>730
風街ろまんは日本だよ
LA録音は3枚目だね >>694
キャラメルパパ
ソフトロックドライヴィン 風街ろまん
最後のトラックだけ音が妙に小さいのはなぜ? >>692
あり得るね。
子ネタ細かく入れるからな。
聞いてて、ふと気づくのとか有る。
ノベルティソングだとわかりやすくぶっ込んで来てるけど。 人気があるのはURCの2枚で3枚目のベルウッドのは全く人気ない
ちなみにベルウッドレコードの社長は横浜銀蝿のジョニー >>708
そんなエピソードがあったんですか
細野・松本コンビではスターボーというアイドルグループ作ったけど、
時代が早すぎていまだにフォロワーがいないw >>728
ダウンタウンブギウギバンドの日本語ロックのカッコ良さは衝撃だった 重要だよね
でも出自は芸能事務所系なんだろうな
あとヤマハ、ポプコン系のものはロックとは言われてなかったかなツイストとか
サザンもヤマハ系のロックコンテスト出身なんだよね はっぴいえんどはビートルズって言うより当時のアメリカの音楽に影響受けたんじゃないのか?
CCRとかBS&T、ジェファーソンエアプレーン、バファロースプリングフィールドこの辺だと思うぞ? サザンオールスターズがヤマハのライトミュージックに出場したとき
若い出演者たちの中でステージから聴こえた声に「誰だよこのオッサン!」と驚いたのが後のシャネルズ鈴木雅之
鈴木は鈴木で桑田のことをそう思っていたw >>722
早い段階でやったのはYMOプロデュース、南佳孝のモンタージュだと思う
ロンバケがシティポップかは疑問だが、ロンバケと並ぶあの時代の名盤。
デジタルシーケンサーが世界のニューウェイブブームへ繋がった 志村けんのパクリの勝手にシンドバッドを初めて聞いたとき早口すぎて何歌ってるのか分からなかった
友達に聞いても聞き取れなかったと言っていた
サザンのこのデビュー曲こそ日本語の良さをいい意味で無視した日本語ロックの原点だと思う はっぴいえんど以外のいろんな日本語ロックの話聞けて楽しいけど? 細野晴臣のハリケーンドロシーでリズムボックス使ってるけどね
78年のコチンの月はシンセやリズムマシンだけで作ってるし リズムボックスとかはそれこそウイングスのブルーバードなんかが有名
デジタルとは違う >>743
あの頃はまだ高かったから導入してる人は限られてたな。 リズムボックスを打ち込みとか言われてもな
MIDI以降のデジタルシーケンサー使ったステップレコーディングからだろ
全く次元が違う >>751
それから数年後のMIDIの規格化によって一般化していった >>750
スライってなんなんだ
いまだに新しいんだよな >>750ベーシストとしてラリーグラハムって事?スライ全体の音楽?
まぁ両方なんだろうけど 横だけど肉感的なファンクではないということではないかな
スライはクールだよね
細野はSEXマシーンもやったけどドファンクなアプローチではなかったし
ジョージクリントンは80年代前期は細野と近いファンク感あった
お互い意識というか知りもしないだろうけど、そういう時代 細野晴臣のファンク趣味は小坂忠のほうろうに詰め込んでるね
かまやつひろしに提供した仁義なき戦いはもろスライ あとフィルハーモニーに入ってるL.D.K.も元々トロピカル三部作の時期に作っててそっちはスライっぽかったらしい ミュージシャンとしての技量・引き出しがすごかっただろ
頭がポーッとした田舎のフォーク連中では勝てないよ はっぴいえんども良いけど小坂忠のHOROが一番好きだわ >>572
CSN&Yが出てこないのはもうその辺のことは知らないんだなとわかるよ
>>574
打ち込みがどうのこうのではなく
その三人は楽曲提供で大ヒット連発だろ?
彼らの時代じゃないか
>>579
そもそも海外でも似たような話で音楽のビジネスの形がずっと変わり続けた時代
そこははっぴいえんどの特徴ではなくその時代の特徴では?
>>594
君の中ではブリティッシュロック>>>アメリカンロックなわけ?
そういう歪んだ感性で語るのなら最初からそう宣言してもらわないと
>>614
バンドブームはその前のインディーズブームの影響だろう
ロックミュージシャンでバンド出身じゃないやつのほうが珍しいだろ >>861
その間は、ナイアガラトライアングル2作ったり、作曲活動はしてたが。
隠居はイーチタイムの後だろ。
完全隠居でもないし。仕事のペース落としただけ。 >>655
顔も良くないしな
それも表舞台嫌った理由かな
ヤマタツと意気投合したし >>752
MIDI以前にも打ち込みはあるよ
CVゲートでアナログ同期させる >>758
和田アキ子の「見えない世界」もファンク >>765
アナログシーケンサは60年代から有るな。
デジタルシーケンサは70年代だけど凄く高かったね。
アナログのは制作記事を見た覚え有る。
割と単純だけど力業。 >>685
それ本人達も言ってたと思う
はっぴいえんどはビートルズ的な曲は排除するという不文律があったって
空飛ぶくじらは大滝詠一のソロだしね リズムマシーンの打ち込みって(プログラミング)概念はTR-808(MIDI端子無、シンクロ端子で同期)からだろ?それ以前は既に出来てるリズムパターンを流すだけだった
このTR-808の開発に唯一携わったミュージシャンは四人囃子の佐久間正英(当時はプラスティックス)、今や世界の名器 >>717
ジャスティン・ヒースクリフは喜多嶋修の変名でエンジニアの吉野金次とビートルズサウンドを研究した共同制作アルバムですね
はっぴいえんどはビートルズがライブをやめてからスタジオ録音だけでバンド活動するという方法論を参考にしたって細野さんか誰かが言ってたと思う
ライブは好きじゃなかったらしいし録音オタク集団的なバンドだったんだろうね ミカバンドはロックだと思うけど
はっぴいえんどはポップスって感じ
フォークとは思わないな
頭脳警察は元祖パンク >>772
808の開発に佐久間さんが関わっていたとは初耳
情報ありがとうございます
>>765
とは言えYMOは松武さんが操作するMC-8からだし
クラフトワークもカスタムメイドのアナログシーケンサーを使っていたと言うし同期のある無しの打ち込みがそれ以前の自動演奏垂れ流しとは違うところじゃないですかね 結局このてのミュージシャンのスレはオタク臭い話しにしかならないのな というかね、一時代で止まってる
最近の細野とかの活動は興味ないんだろうな ちゃんと細野展も行って映画も見たよ
ライブこそは行けてないけど 大瀧詠一って岩手の田舎で母子家庭に育ち、高卒で東京の工場に就職して、3ヶ月で辞めて大学に入り直す
ジョン・レノン級の怒れるロックンローラーになりそうな経歴なのに、そういう曲が皆無なのが面白いな
コミックソング好きな飄々としたおじさんになっちゃって ドラムが嫌で嫌でしょうがないのはなんとなくわかるw >>786
けど鈴木茂さんは、今でも松本さんのドラムをすごくリスペクトしてんだよ。 ドラムがドカスカしてるからいいんじゃないか
あれがないと本当にフォークだよ
言われるほど下手でもないし 大滝は完璧主義者でポップス指向だからロック系の松本のドラムはあんまり好きじゃなかったのかもね
細野も16ビート系のソウルとかファンクに興味が変わったから林立夫と組んだんだろうし 松本のモッサリした謎のタイム感あるドラムに細野のベースがミスマッチで
ロック・バンドになってるはっぴいえんど逆にミカバンドはリズム隊がかっちりさしすぎてフュージョンみたいになっとる >>615
ちょ待てよ
ミッチミッチェルやイアンペイスが大味??
よせやい はっぴいえんどって名前のせいでグループの凄さを説明されてもピンとこない >>684
ティンパンアレーナイアガラミカバンド周辺はもう評価が定着していたから今更だけど、
その軸から外れているミュージシャンシンガーは海外経由かもね 和モノが流行ってた時って真夜中のドアとかプラスチック・ラブとかdress downあたりってどういう評価だったんだろ >>782
そうそう
お坊ちゃんロック
お坊ちゃんフォークロック
文系ロック
草食ロック
草食フォークロック >>581
片岡知子さん、亡くなっちゃったね。
自分はアニソン方面でなく元インスタントシトロンの松尾さんのラジオから知ったんですが。
松尾さんが最近手掛けてるアイドル界隈の曲も良いですよ。 松原みきの国内での再評価なんて2000年代初頭にはとっくに完了してたな
プラスチックラヴしかり 俺は詳しいことは全然わからんがYouTubeを見ていると普通に広い意味でのJポップが評価されていることが分かる。 別にシティーポップだけの話ではない >>801
再生数もコメント数もKPOPの十分の一以下だぞ
馬鹿か?おまえは。。。 この人達って90年代くらいからずっと
懐古再評価のノリでメディアに出続けてるよね
閉店セール商法と同じでうんざりしてる 大滝は基本的にロックではなくロックンロールまでだからね
はっぴいえんど時代の春よ来いとかは大滝の中では異色だと思う
意識的にビートは押さえたいポリシーがあったんじゃないだろうか
ビートルズではなくビーチボーイズみたいに >>800
ラップの人達とか近田春夫あたりが
90年代に既にやってたよね >>801
せっまい世界しか見てないのな
井の中の蛙大海を知らず >>655
コンプの塊に見える
ボンボン達への反骨心というか >>807
ロック論争でも内田裕也に一番強烈なこと言ってるのは大瀧だし
ああ見えて物凄い頑固で気が強かったと思う
内田なんかより余程ロックな境遇だし 大滝は職人だからこういうラインでって決めたらやれるんだと思う
でも本当にやりたかったのはアメリカン・ポップスだったわけで
ロンバケで成功してからは自分の好きなものしかやらなくなった
やらないで済むようになったってことじゃないかな >>810
お前は雑誌で読んだことを書いてるだけだろ
春よ来いがローナーとか 大滝ぐらいポップスの歴史に興味ある人だと自分自身のキャリアもその歴史の中で客観的に見ちゃうんだろうな アメリカのロックが当時はまだ進化していくんじゃないか、
という時代だったのもあると思う
こっち行くのが新しいのかな、みたいな
でも好きなのはアメリカンポップスやロックンロール >>812
お前だろそれ
CSN系にめちゃくちゃ詳しい俺に向かってそれ言うんかバカ者 >>812
ビーチボーイズがねっ
とかアホさらしてんじゃねーぞ田舎者w >>816
バッファローを貶されたことがそんなに悔しいのかよ
いつまでもCSN言ってろよ >>818
お前まだ日本語ロック論争がねっ
とか言ってるじゃんwww >>820
ついでに言っとけばCNSにしたってビートルズとディランの亜流だよ CSNのコーラスワークはビートルズもディランも関係ないな >>821
CNSwwwww
どこの放送局だよwwwwww コーラスワークで言うと
はっぴいえんどは全然足りない
そっち系はGAROとかオフコースがやった >>823
反論出来ないだろ。事実を言ってるからな
バーズはせいぜいイージーライダーのテーマくらいなもんだな功績は 世間にはっぴいえんど史観を植え付けたのは1999年に放送された「松本隆作詞家生活40周年・風を集めて」
NHK・BSで大竹しのぶのナレーションの2時間特番の傑作
この番組で松本は詞に関してほとんんどはっぴいえんどを絡めて語っていた
構成も松本隆個人よりはっぴいえんどの松本の歴史といった感じ
当時好評で何度もアンコール放送をしていた。 >>827
訂正
作詞家生活40周年→作詞家生活30周年 >>825
いや流石に滅茶苦茶言い過ぎ
バーズが1965年のフォーク・ロックの大ブームを起こしたせいで
ラバー・ソウルの米盤をフォーク・ロック寄りに編集しなきゃならなかった位の影響はあった
今でもバーズの評価は滅茶苦茶高いよ >>830
フォークロックはフォーセールからその兆候はあった
ヘルプではさらに度合いが増している
大きな音楽の流れでの話をしてる。バーズを貶すつもりはないよ >>827
作家生活30周年を記念した風待ちミーティングっていうスペシャルライブも良かったよ
細野さん茂さんに加えて、南佳孝さん、カーネーション、草野マサムネさん(スピッツ)、キリンジ等々が参加していた
当時TVでも放送された
http://www.jade.dti.ne.jp/~cider/kaze1.html 解散後の鈴木がアメリカで録ったバンドワゴンは今聴いてもカッコ良い
角松とも一緒だったしああいうの大滝さんは好きじゃなかったのかな
あの頼りなげな歌声もいいのに 今、細野に興味持ってる層とか
古民家をリフォームしてカフェしてますカレー屋してますみたいな
顎髭生やして屋内でも帽子かぶってるみたいな禿げ店主とその客の層だろう アラフォーだが凄さがまったく分からん
売れた曲って何?
昔でもすごいのは例えばビートルズとか
いくらでも有名な曲あるじゃん
まあ現代にはウケなくても
当時はっぴぃえんどの曲はレコード?でどれだけ売れたの? >>836
ありがとう
細野さんと違ってキーの高い風をあつめてになりそうだねw >>809
はっぴいえんど結成時も松本さんが「全曲日本語のオリジナル歌詞でやる」と言い出して
日本語じゃロックにならない派だった細野さんが説得するんだけど歯が立たず
「一緒に説得してくれ」と電話をもらった大滝さんと3人で話してるうちに
細野さんが松本派に寝返って、なんか大滝さんが一人で強硬に反対してる形になっちゃったって事もあったみたい(ラジオで細野大滝が語ってた)だから
裕也さんとの日本語ロック論争もそんな感じで当初「内田vs松本」だったのが
加勢した大滝さんばかり目立つ形になっちゃったのかもなと個人的には思ってる はっぴぃえんどを伝説の・・とかつけて語るの辞めて欲しい。
全然伝説でもなんでもない、単に売れてない人気のないスターのいないバンドだよ。
今のインディーズ以下。
要するに加齢臭しかしない。 こんなもの「好き」か「嫌い」かでいいんだよ
俺は好き
以上 >>841
はいからはくちにしても、ロックンロールお年玉にしても
あえて音符に不自然な日本語の乗せ方して大滝は歌ってる
はなから日本語でロックしようとしてない感じ
♪コカ・コーラを 飲んでる〜、じゃなくて
♪コカコーラオーノー ん〜で〜る〜、みたいに >>842
細野晴臣の目利きがすごかったのか、それとも才能を育てる能力がすごかったのか
いまのアマチュアバンドを全員集めて、そこから細野・大滝・松本・茂に匹敵する才能を見つけられる奴なんていない
というか、そんな才能がある奴が一人もいそうにない >>1
坂本「僕はどんなジャンルもこなせる音楽の鉄人だけど(当時『料理の鉄人』という番組が流行っていた)細野さんは結局アメリカのロックだけの人だかね」 もしタイタニック号沈没事故で細野の爺さんが生還してなかったら
細野晴臣はこの世に存在しなかったと思うと… 細野サゲのコピペ連投だけど
あれはタイタニックで割り込んだのが細野の曽祖父じゃなく
別のアジア人だった、という新事実で結論付けられてから一切見なくなったんだよね
だからその別のアジア人の同胞が犯人だったってこともあるかもね >>848
坂本はそんなこと言ってたんかい?w
でもまあ、彼はフルオーケストラの曲も書けるのに対し細野は電子サウンドだけだから当然かもしれんが。
曲自体は悪くないから、映画のサントラぐらいは別の作曲家に編曲してもらいフルでやって欲しかったかな。 >>825
たんぶりんまん(のアレンジ)
たーんx3
5th
8miles
ろっけんろーるスター
ロデオ
なお、ezライダーの作詞はディラン
The River Flows
It Flows to the Sea
That's Where I Want Be
Flow River Flows
ええ歌詞やんけ >>802
Kポップスより再生数が少ないから評価されてないということにはならんだろ
例えば日本では嵐の人気が凄かったが「嵐が日本bPの歌手(グループ)と思っていた奴なんていないだろ? 細野さんのベースもちょっとどうなの?って感じだし全員下手だし曲もいまいち >>847
ていうか当時は友達の友達レベルの間柄だけどな
あの界隈は今も活躍する才能がどっさり集まってた
それが凄いとは思う >>1
この人昔ファミリーコンピュータのCMに出てた人だ バーズは60年代末期のヒッピームーヴメント真っ盛りの頃に、それまで田舎のおっさんの音楽と馬鹿にされてた
カントリーをロックに持ち込んだっていう点が大きいんじゃないの? クラレンス・ホワイトいたしね はっぴいえんどについて細野がここまで懐古するのって
やっぱ一人だけミュージックマガジン系のサブカル畑で作品残せなかったから?
拓郎と組んだアルバムがもっといい出来だったら満足したかも ミューマガみたいなショボい村を超えて世界で評価されてるからな細野晴臣は
世界的にみてもこんなキャリアの人は珍しい >>864
サブカルが大好きなHOSONO HOUSEがあるから大丈夫 >>864
はっぴぃえんどだけで生きてるわけじゃないで >>805
最近アメリカの若手ラッパーが太田裕美の赤いハイヒール(筒美京平作曲)をサンプリングしてて
ぶったまげたもんだけど
日本でもヒプホプ方面が筒美京平を評価してたのは忘れてたわ
やっぱりどの分野の人からもおいしさを感じられる音なのか この人2chでコピペ荒らしのネタにされてた時期あったよね
そんな目立つ人でもないのに、なんだったんだろあれ 代々木アニメーション学院を一時期牛耳ってたからでは 今日はっぴいえんどのレコード3枚聴いた
3rdが一番音が悪かったわダントツで ロックはテクニックに走ることに比例して衰退するんだよ
だから基本演奏指向のミュージシャンってのはロックじゃない >>864
トロピカル三部作とかレココレで何回も特集されたりしてんじゃん
知ったかやめろハゲ ついでに、はっぴいえんどは大瀧、細野、松本が売れてから評価があがったんだよ
確かに内田裕也とか鈴木ヒロミツとかと日本語ロック論争があったけどね
内田、鈴木は日本語ロックをハナから否定して、大瀧は手探りで追求してるというスタンスだった
はっぴいえんどから日本語ロックの先陣をきったような話は一切してない
それよりモップスが『たどり着いたらいつも雨降り』で売れたのはどう思ったんだろ?
日本語ロックだよね?あの曲は
つまり、ロックって定義がよくわかって無かっただけなんだよね
今も曖昧だけどさ
で、キャロルが凄くわかりやすいロックのアイコンを作ったのさ >>880
ボブ・ディラン歌謡の人でしかないな吉田は >>16
細野と大滝ならそりゃそうなるわなwwwwww おれは高校生のころにURCとかエレックその他だいたい聴いたが
はっきり言って拓郎だけはモノが違ってたな 加川良も友部も三上も小坂忠もエンケンも高田渡も岡林もディランUも
その他だいたい聴いたが
拓郎だけはモノが違う
カテゴリーがまったく違うんだよ ファンを熱くさせる方向性で人気出せたらロック、ってわけでもないからなあ
吉田拓郎の全盛期のライブ観ると、「拓郎」って横断幕か旗振って泣いてる客の前で
朝までやるライブとかさ
ああいう熱い系が良しとなると、近年の長渕路線も正統派という事になっちゃうわけで
困るわけだよな客観的に評価する時にさ
まあ吉田拓郎のアルバムもだいたい聞いたけど、基本音感が良く歌える人だよね
がなるように歌った時でもピッチとか破綻しない
たしか清志郎もこういう評価がされてたね
音感が良いから聞き取りも上手いわけで、ディランはじめ洋楽シンガーの特徴もうまいこと吸収できてる
ものまねじゃなくて自分のものに出来てる、そこは才能 >>884
念のため書いておくと、はっぴいえんどのフォーマットに飽きてしまった細野とそのフォーマットを維持したかった大滝との音楽的な方向の違いな そういうことじゃないんだけどねw
たまに下北沢や吉祥寺あたりに高田渡信者みたいな人いるじゃんw
ああいうのとはまったくカテゴリーが違うw 高田渡信者をこじらせて35才ぐらいで
街で友部歌っちゃう人みたいなのとはそりゃ全然違うよ
立憲共産党応援してたりな そういうのを
SD爺sという
もしかしてお前らかw そういうのは当時の新左翼だの学生運動だの全体像に対する批判だから
あんま関係ないかな
当時迷惑だったのは分かるけどね、せっかく大学入ってキャンパスライフしたかったのに
大学閉鎖だの、デモ強制参加だので、がっかりだった世代の話何度も聴いた そりゃ本心はデートとか遊びたいだけの大学生が
デモ強制参加させられたあげくに機動隊にボコられたら泣けるよね
んで機動隊にボコられた傷が悔しくて、なぜか運動にのめりこんでしまうっていう地獄 まあそれでも氷河期世代よりはマシかな
大学時代は無茶苦茶でもその後の日本は右肩上がりだったわけだし
氷河期はバブル崩壊後の陰キャな文化やらされたあげく
正規雇用もなかったわけだからもっと地獄でしょ 典型的な老人の昔語り
全部ソースは自分
孫にでも聞いてもらえ小遣いやってな こういうスレで老人の昔語り以外に何があるんだろう
孫がこの手の話されても金もらっても困惑だけが大きく残るだろうし
一体いちいちスレ開けて何がそんなに気に食わないのやら 細野とはっぴいえんどのスレで延々吉田拓郎を語られても困惑しないボケ老人に言われてもな ひとまず流れに乗ってる間は話聞くし
外れて目に余ればNGすればいいわけなんで
昔語りそのものをいちいち叩きに来る意味はさっぱりわからんがね まあ叩きたくなる気持ちもわかる内容ではあるなw
あまりにも細野晴臣のこと知らなすぎて >>881
>ついでに、はっぴいえんどは大瀧、細野、松本が売れてから評価があがったんだよ
>確かに内田裕也とか鈴木ヒロミツとかと日本語ロック論争があったけどね
その日本語ロック論争した雑誌のひとつがミュージックマガジンで、はっぴいえんどの1stがその年の日本のロックベスト1アルバムに選ばれているんだから当時から評価されてるでしょ。何いってんの? 自我と羞恥心があったらあんな恥ずかしい文章連投出来ないなw ミュージックマガジンってさ、読者層がインテリに片寄ってた印象があるわ
普通の音楽ファンって
楽譜とかも載ってる雑誌かアー写のグラビアのある雑誌を買ってたのよ エイプリルフールの柳田ヒロは自分と細野、松本の才能に違いがありすぎてバンド解散に至ったと坂崎のラジオでコメント
岡林信康はバックバンドのはっぴいえんどの演奏が凄いという理由で音楽活動を停止して田舎に引きこもったとコメント
村井と川添は彼には才能があるからと言ってYMOの海外プロモーションに大金をブチ込む
才能がずば抜けているのは事実らしい >>908
昔から関心のないミュージシャンのスレにあらわれる
知ったか作文野郎だろ
突っ込まれると急いでググって猛勉強 YMOのソリッドサヴァイバー、大瀧詠一のロンバケは好きなアルバムだけど、はっぴぃえんどの風街ろまんの良さがわからない。ロックのようなノリでも無いし、メッセージ性が強い訳でも無いし、何より退屈なんだけど。 音楽なんてわからん時はわからん
ある時わかった時に楽しめばよい お前らって何がわかるんそもそも?
全然わかってないよね
本にバッファローとか書いてあるから
バッファローがねとか言ってるだけじゃん お前らのレスどっかに書いてあることのコピペばかりじゃないか Eテレ坂本龍一のスコラ音楽の学校「ロックへの道」で
はっぴいえんどはじめて聞いたアマチュアバンドの若者が
バックの音がかっこいいのに日本語がのっぺりして変だ
みたいに言ってたな >>914
バッファロースプリングフィールド聞いてもないだろ
アゲイン聞いてみろ、サウンドがクリソツ、大滝の声の歪め方がスティルスのまんまって分かるわ >>918
おれにそれ言うか
おれめちゃめちゃ詳しいんだが
バッファロースプリングフィールド
CSNの来日も全部行ってるしな そもそもアゲインだけじゃねえからな
ファーストからもパクってるじゃねえか 高田渡たちのステージで酔った吉田拓郎が加川良と高田渡にヤジを飛ばす。高田渡が「殺してやろうと思います」と返して、客席が笑いに包まれる。いい時代だなあ、 >>912
いきなりはっぴいえんどを聴かずに、
細野なら、YMO→トロピカル3部作→HOSONO HOUSE→はっぴいえんど
大滝なら、ロンバケ→NIAGARA MOON→大瀧詠一1st→はっぴいえんど
とさかのぼって聴いたほうがいい YMOにハマっていた時
アーリー細野というアルバム借りて
テクノを期待したら
はっぴいえんどの「飛べない空」をいきなり聞いて
ひどくがっかりした中学時代
若かった笑 >>923
大瀧さんはナイアガラ時代も面白いね。
メロディー路線に振る前。
Let's Ondo Againやばすぎた。
Best AlwaysやSong Bookだとノベルティソングはあまり入って無いんだよね。
Cover Bookはそれなりに面白かったかな。 遡って聞けば良さがわかるってもんでもない気がする
はっぴいえんどは当時最新のアメリカン・ロックをベースにミスマッチな古臭い日本語歌詞を載せるコンセプトだけど
今聞くとはサウンドは古いし狙いも見えないからね 吉田拓郎の名前が出てるが、フォーライフレコードの4人の中で一番ロック色が強いのは泉谷しげるじゃん
Dのロック、眠れない夜、後の「家族」はアコギパンクだろ 岡林のそれで自由になったのかいもエンケンの満足できるかなも
エレキギターならゴリゴリのロックだね このスレ、はっぴいえんどの当時のライブ観たことある人いるの? 渋谷陽一が一度だけ吉田拓郎について触れたことがあったわ
モップスのたどり着いたらをかけて
「こういう人がフォークから出てくることに、日本の音楽の問題点がある」みたいな感じ
それくらい日本の音楽評論家は吉田拓郎を避けてきた
これの主な原因ははっぴいえんど史観を作り上げた連中や
洋楽評論家連中 加藤和彦はそのへん、認めるものはしっかり認めてきた
細野と違って加藤はヨーロッパ指向だったが
まだYMO結成前、加藤のヨーロッパレコーディングに細野と坂本が参加してる
加藤和彦こそ過小評価の人だわ
ミカバンドは5年は時代を先取りしていた また〇〇史観か
ロキノンも渋谷陽一もついでにレッド・ツェッペリンもスルーしてきた俺から見るとあんたの見方も何かに毒されてるぞ
自分で聞いていいと思ったもんだけ信じてりゃいいんだよ 好き嫌いは別にして鈴木茂の18〜9才であのプレイは凄い >>931
メジャー契約したフォークルで各地を回った経験からか
日本のコンサート会場(ホールとか)のPAではロックみたいな音にならない、で
イギリス(だったか?)から取り寄せたライブ用のアンプやPA卓?の貸し出しを
始めたのも確か加藤さんだったはず
サディスティックミカバンドで使うのが主目的だったんだろうけど
そう言うところから始めなきゃなんなかった時代だったんだよね 今NHKFM再放送で「風街ろまん」かけてる
久々に聴くけど「です」「ます」多用の歌詞が気になるなあ 後の大作詞家センセイわざとやってるんだろうけどw >>935
フォークの歌詞の文脈もあるだろうね
直接的には遠藤賢司とか
はっぴいえんど結成直前にやった「夜汽車のブルース」なんてまんまプレはっぴいえんど >>927
>>928
そういう文系的に、この攻めた歌詞でエレキがもし鳴ってたらロックだろ、
みたいな安直なイメージからは一旦離れなさいよ
>>929
リアルで観たという優位性はほとんどないからな
岸部シローはウッドストック参加したが、帰国したらタンバリンにセロテープ貼られた
そういえば大前提として、フォークブームの前にGSブームという
よく悪くもビーストーンズ和製化、アイドル化で成功していたものがあって
次世代はそこに関する忌避感も当然あったわけだから
バッファローどうこう言ってるが、ビーストーンズの模倣を避けるのは
当時の時代の要請であって必然、はっぴいえんどに限らないと考えられる >>936
ありがとう 初めて聴いたわ こっちの方が断然「日本語ロック」ですやん(´・ω・`) いうまでもなくディランとその周辺はUSで、ブリティッシュフォークで人気あったのはドノヴァン
エンケンはドノヴァンの雰囲気と重なるという評価が当時よくあったような記事は目にした
だがバックはUS志向だったわけだから妙なハイブリッド感のあるアルバムとなっている
清志郎は最初から変わってて、RCは2時間35分からいきなりブリティッシュを持ってきて当時驚いたと泉谷談 >>936
ですます体はエンケンの方が先にやってるのに「僕が始めたらみんなやり出した」とか言っちゃうんだよなぁ松本センセイはw というかニール・ヤングとザ・バンドはカナダだよな
あの、アメリカン・ロックはこんなもんだろうと作りつつも
どこか壮大なカナダルーツを感じるのは共通して独特であって心地良く高尚な感もある >>938
ついでに「雨あがりのビル街」も聞いてみたら?モロはっぴいえんどの世界だから
遠藤賢司の『niyago』は大滝詠一除くはっぴいえんどがバックを手伝っていて、細野と松本は「こういう日本語でやれば日本語のロックができる」と確信したらしい 自分の手柄にしたもん勝ちだからな
この世界は音楽と表現以外の才能と立ち回りが問われる ところでアメリカと日本と言ってるけど
はっぴいえんど的な抒情性とマイナー志向ってUK側じゃないか? >>943
聴きました 重ねてありがとう
やっぱ、はっぴいえんど ボーカルが誰歌っても弱いね 存在感というか 拓郎みたいな俗物を評価しても仕方ない
ミュージシャンとして何の実績もない内田裕也など論外
21世紀においても聴けるグループサウンズなんて皆無
かような日本村的に祭り上げられるものを忌避する明晰さ、そのことにおいてはっぴぃえんどは随一だった >>947
矢野顕子版の「風を集めて」なんかはどうだろうか。
太田裕美のも良かったけど、女性に合う曲なのかな。 弱いってのが大事なのにな
ナードがやってるインディーロックってとこが 松本隆の詩の世界を継ぐ者としてストリートスライダーズの村越弘明を指名したのは誰だったか
宝島でよんだ記憶が >>4
んー? ほんなら、はっぴいえんどが下敷きにした Moby Grape や Buffalo Springfield もロックじゃないってこと? >>916
当時は日本語を英語みたいな発音で歌うという文化が無かったんだよ
グループサウンズものっぺりしてる
坂本九や弘田三枝子が洋楽カバーで日本語を英語風に発音するって事をやってたが、当時はそれは変だと思われていた
矢沢永吉がそれを踏襲して、日本語ロックの歌い方として定着させた 日本語のっぺりしてるかなぁ
洋楽的メロディーを優先してそこにハマるような音を選んでるから気持ち良いけどな
台風とかあしたてんきになあれとか 筒美京平が松本隆と対談してた番組の中で筒美ははっぴいえんどの音楽が理解できないと言ってたな。
オレも筒美に共感する。特に洋楽好きははっぴいえんどの独特のノリがかったるくて付いていけない。 ロックといえばパンチのあるスター歌手ありきという日本人の先入観は一応破ったよね
ザバンドのジジ臭い声、グレイトフルデッドの細い声とか たしかに歌謡曲とは一線を画していたけどでもやっぱり日本的なんだよな当時米国に紹介する手段があれば日本を背負って立つバンドとして世界で売れたかもしれない 当時のアメリカでもメロディーやアレンジはアメリカ的で理解できるけど歌詞は日本語で分からないって事でやっぱり理解されなかったんじゃない?
さよならアメリカさよならにっぽんってその当時の感覚を表した言葉でしょ >>958
その番組だったか忘れたけど筒美京平は吉田拓郎が出てきた時には脅威を感じたと言ってたね
つまりはっぴいえんどは当時としてはアングラだけど吉田拓郎のほうが大衆受けするポピュラー度が高かったという事だろうね やたら吉田拓郎と比較してるけど別物としか思えないわ
他のフォークシンガーと比較するなら分かるけど オール・トゥゲザー・ナウでのはっぴいえんど再結成の動画見ると
さほど盛り上がってもいないな
メンツが当時としても大物だらけのわりに でも細野さんの最近の老け方は尋常じゃない
北大路欣也はあんなに若々しいのに 若い人向けに薦めた時、ロンバケはかなり評判が良かった。でもはっぴぃえんどまで遡るとあまり良い評価は返ってこないのは容易に想像出来る。たぶん古くて退屈って返答が返ってくると思う。 はっぴいえんどは元ネタ寄せの努力が聴きどころだもんな
最低でもバッファローとモビーグレープは聴いてないと厳しい
で、同時代にそんなことやってた日本人は
他に一人も居なかったよって評価するのが正しいと思う
日本語ロックうんぬんは後付けのコンセプトで
大瀧も細野も最初は英語でやりたかったんだよ >>937
何が一旦離れる必要があんの??
少し遠慮して書いたけどエレキである必要もないよほんと言うと
帯にフォークと書いてあるからフォークと思う人はそれでいいよ
>>973
なんか話がややこしくなるからでしょ
エレキが鳴ってる鳴ってないっていうのも極めて表面的な話だし
はっぴいえんどみたいな洋楽オタク集団みたいなバンドより
いかにもロックらしい暑苦しいイメージでやってた人らは他にごまんといる、
みたいな感想もここではどうでもいい話 そもそも内田裕也が日本語ロック論争なんてものをふっかけた
あれが一番面倒な話の元なんじゃないか?
はっぴいえんどじゃなくて吉田拓郎にふっかけとけばよかったんだよ 内田裕也なんて感覚で喋ってるだけだもんな
別に英語で歌いたけりゃ歌えばいいし日本語でやりたけりゃやれば良いだけ
ただ日本語の方が洋楽的なメロに歌詞載っけるには工夫がいるってだけで
はっぴいえんどはその一例でしかない 日本語ロック論争なんてのは雑誌の片隅の一企画
そんなのを何か音楽界全体で一大論争があった、みたいにとらえるのが
大間違い。
ほとんどの人はそんな論争など知らないし関係ないし論争などしてない。
片隅の一点のシミを今になって虫眼鏡で見てるような話だ このスレを読んだらわかるだろ 頭の悪いやつほど日本語ロック論争がー
とか言ってる。
虫眼鏡で1点のシミだけいまだにのぞき続けてる
そんな狭い世界にいまだに生き続けてるゴミ人間 >>974
表面的なものも大事でしょ
ロックは精神性だのなんだの思ってるの?いまだに 日本語ロック論争は
リアルタイムよりもその後のJPOP界に影響が大きい
何度も蒸し返されたし >>981みたいなゴミ人間が典型
メディアがそれをとりあげてバカみたいに盲信する低能
自分で考える力がないからいまだに日本語ロック論争がねっとか言ってる
バカ 日本語ロックへの道
Eテレスコラ音楽の学校史観では
ジャックスがアングラなスタイルで始めて
はっぴいえんどが本格的な洋楽の音に日本語を乗せてみた
キャロルが意表をつく形でロック的日本語スタイル提出して
RCサクセションが完成させたそうな笑 >>980
精神性じゃなくて社会性でしょ
松本隆がアイドルに書いた歌詞だろうがYMOの胸キュンだろうが
社会性からロックを見出すのは可能だよ そういう話
まあ日本語ロック論争の概要を読んでみると
内田だけじゃなく皆が恣意的な発言をしたから変に揉めただけのようだがなw
「日本語でロックを歌うのはバカ」と言い放っていた鈴木ヒロミツなんかもロっと転向したり 風街ろまんもyoutubeのコメ欄みると今の方が世界中で聴かれてるな
言葉は分からないけど音楽は良いってのを世界中の人が楽しめる時代になった あとYouTubeのコメばかり見てる
覗き魔みたいな変態な
こういうやつがロックを語る気持ち悪さ 風をあつめての歌詞が浅野いにおの漫画で出てくるから若い世代も親しみがあるようだし翻訳版読んだ海外の人も漫画きっかけで風をあつめての動画にコメ残してるな youtubeのおかげで日本の音楽にアクセスしやくなって海外からの評価が高まったってのはあるな 何か日本語ロックとかそんなもんはあんまり関係ない
はっぴいえんどやYMOにやたら攻撃的な人種が必ず湧いてくるから
かつてバカにされて迫害されてきたバンドや人物の支持者であるのは察しはつくけどな
そいつらのカウンターである事は間違いない事ではあるな >>981
JPOPというワードが生まれた時に
ロックがポップスだという固定観念の壁も消えたに等しいからな
JPOPといえば批評で一時期を築いた近田春夫は
日本語ロック論争の時は、あえて逆張りするように内田裕也側を支持したというのも
まあ恣意的なんだろうが面白い話だ 別にはっぴいえんどの海外からの評価なんて
まったく高まっていない
高まっているのは山下達郎周辺
細野個人は昔から国際的に評価されてるが 日本語ロックの創始者みたいな扱いにはっぴいえんどがなってるんだからその一端としての日本語ロック論争に触れるくらいはいいだろう
今となっては何が問題だったのってくらいの話なんだが強硬派はそもそもロックは日本語では歌えないって話だったわけだから
歌えますよ何ならこんな歌詞でもってギュンギュンエレキがうなる中で「お正月」とか「こたつ」とかロックで絶対に出てこなかった歌詞を歌って見せたわけだ
当時の違和感は凄かったろうし(勿論それを狙ってやったわけだが)こんな普通の日本語が歌えないのなら日本語ロックとか言うなって気概もあったろう
今では当たり前になってしまって見えにくくなった同時代性をきちんと抑えないと何に揉めてたのかとか分からなくなるもんなんだよ なぜか創始者に祭り上げられてるが
GSに関して無知といってるようなもん
昔米カレッジチャートでスパイダースが上がったことなんて消されてるしな >>983
キャロルのファッションと音楽は50sロカビリーブームの焼き増し
歌詞も日本語歌詞のダイアナやルイジアナ・ママと同じだろ
日本のロックの元祖はGSの前のロカビリーブームだろ ロックて60年代末期にやってきたわけじゃなく
50年代から日本の音楽に影響を与えてきたからなあ
そういう歴史を捨象して突然ジャックスまで飛ぶのは歴史捏造
おれは別に反ジャックスでも反ハッピーエンドでもないよ
ハッピーエンドの曲全部知ってるしな ただ嘘と捏造は良くない >>983
そして全てをアウフヘーベンして決着つけたのが桑田佳祐 そもそも歌謡の歴史がわからなきゃロックの歴史もわからないし
加山雄三の歴史すらみんな知らないだろ
加山さんは日本語も英語も両方やってたからな はっぴいえんどが新しく見えたのはサウンドが文句のつけようのない最新のアメリカン・ロックで
そこに誰もロックでは歌わなかった普通の日本語を載せた違和感がその正体
以後普通になってしまうので気付けない人が多いけどな GSガーとか言ってる人は見えてないんだよ
これでサウンドがビートルズだったらGS末流のチューリップなんかと差別化できない
新しいサウンドと普通の日本語が新しかったんだよ >>999
アホだな
チューリップはビートルズ中期以降のフォークロックサウンドをやったんだよ
お前の耳ではわからないか このスレッドは1000を超えました。
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