イギリスのBBC(電子・日本語版)は7月20日、「【東京五輪・パラ】開会式担当の小山田圭吾氏、過去のいじめで辞任」の記事を配信した。

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 小山田圭吾(52)は東京オリンピック・パラリンピックの開会式で、作曲を担当していた。だが、記事が配信された前日の19日、辞任を発表した。

 理由をBBCは《過去に雑誌のインタビュー記事で、いじめをしたことを自慢げに語り、まったく後悔していないと述べていたことが最近、表面化した》と報じた。

《小山田氏は謝罪したが、世論の激しい怒りが辞任へと追い込んだ》と解説、《今回の騒動は、大会にとって新たな失態となった》と指摘した。

 小山田の問題発言が掲載された雑誌は、これまでのところ4誌が明らかになっている。それぞれの内容を簡単にご紹介しよう。

【月刊カドカワ(1991年9月号)】
・幼稚園の思い出として《ちょっと知恵遅れの子がいて、クレヨンを投げまくって先生にひっぱたかれていたのを思い出す》と発言
・小学生で同級生に嫌がらせをしたと回顧。「小山田君の嫌なこと」という作文で抗議されたため、《小学校人生全部をかけて復讐した(笑)》と語った

【ロッキン・オン・ジャパン(1994年1月号)】
・障害者の同級生に対する“いじめ”を告白
・掃除のロッカーに閉じ込め、泣き叫ぶのでロッカーを蹴った
・修学旅行の時、全裸にしてヒモでぐるぐる巻きにして、自慰行為を強制した
・排せつ物を食べさせ、バックドロップをした
・下半身を裸にして、女子生徒に見られるようにした

【クイック・ジャパン(第3号=1995年8月発行】
・《ダウン症の人ってみんな同じ顔じゃないですか? 》の発言が収録
・本人が「朝鮮人」と説明した男性に対するいじめも告白
・記事の担当者が、いじめの被害者に連絡を取り、小山田との対談を提案

【月刊ギグス(1996年2月号)】
・入院した際、病室で友人と一緒にギターを弾いて夜遅くまで騒いでいた
・《癌の末期患者の人とかの呻き声が『ウーッ』とかって聞こえて来る(笑)》
・《夜中に『ピー!』とかって音が反応するの(笑)。それで『ああ、今日もまたひとり死んだ』とか言って(笑)。『夜中にあんたたちがギター弾いているからだ』って看護婦さんに怒られた(笑)》
・上記のエピソードを自ら《心暖まる話だよね》と発言

 必要最小限な引用にとどめたが、それでも不快に感じた人は少なくないだろう。なぜ、こんな下劣な思い出話を、滔々とメディアの前で語ったのか。

 小沢健二(53)らと共に活動した「フリッパーズ・ギター」がファーストアルバムをリリースしたのは1989年。当時、小山田は20歳だった。

 ロッキン・オンの記事掲載時は24歳だったと見られる。人間、誰しも過ちを犯すものではある。高校生が自分の武勇伝として語るなら、若気の至りということもあろう。

 だが、20歳をとうに過ぎた立派な大人が得意気に喋っていたことに、何よりも驚いた方も少なくないはずだ。これは一体、どういうことなのか。

以下略全文 デイリー新潮編集部
https://news.yahoo.co.jp/articles/32daa957ed7623ef1c7d0504fb9d6fe17c60dc72?page=1
https://news.yahoo.co.jp/articles/32daa957ed7623ef1c7d0504fb9d6fe17c60dc72?page=2

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