大いに盛り上がった、第100回全国高校野球選手権大会の優勝投手である柿木蓮(日本ハム)がプロ入り後苦しんでいる。

 18年に甲子園春夏連覇の原動力となった大阪桐蔭のエースは、今年でプロ3年目を迎えるが、まだ一軍のマウンドには立てていない。

「高校時代マークしていた投手だったので、あまりの変貌に驚きました。以前のフォームでは下半身を使って腕を真上からしっかり振ることで、スライダーにも鋭いスピンがかかっていた。(今は)立ち投げのような状態で腕が振れない。球の出どころも見やすくなって球種も判別しやすい。このままでは時間がかかりそうですね」(在京球団スカウト)

 18年のドラフトでは下位指名(5位)ではあったが、完成度は高く早い段階で一軍での登板も予想されていた。150キロを超える真っ直ぐと、切れ味鋭い変化球で大崩れしない投手として期待され、同期入団で甲子園の決勝でも投げ合った吉田輝星(ドラフト1位)とのライバル関係も注目された。

「即先発とは行かないが、中継ぎなら1年目から一軍登板の可能性を感じさせた。若手には早い時期に上で経験をさせ、本人に課題などを体感させるのが日本ハムの育成パターン。それでも一軍に昇格できなかったのは、技術、体力の両方で根本的に足りないものがあるから。必死にトレーニングする姿は見られるのですが……」(日本ハム担当記者)

 プロ1年目の19年は二軍で26試合に登板して防御率8.24。昨年は6試合の登板で防御率0.00ながら、投球回数はわずか7イニングのみだった。

「本人の考えなどから、投球フォームのチェンジを行なった。真っ直ぐ主体のパワー系投球から、変化球を生かした制球力重視のスタイルに変えるためだった。しかし腕が振れなくなり、以前の球威を失ってしまった。リリースが一定しないので制球力も定まらない。2年目は投球フォームを試行錯誤する1年となった」(日本ハム担当記者)

 プロ入り後は高校時代の力感溢れる投球フォームではなく、その場で腕を振っているだけのようになった。制球重視なのか、ストライクゾーンに置きに行くような球を打者に痛打される。今季もファームでここまで12試合に登板(うち先発2試合)し、防御率8.35と結果を残せていない。

「足の反動を使って投げる投球フォームが特徴だった。ノーワインドの時は良いが、走者が出てセットになると球威が落ちてしまう。アマレベルなら抑えられるが、プロではそうも行かない。1年目でそれに気づいて反動を使わない形にしたがうまく行かない。今のままでは厳しい。以前の形に戻した方が良いと思うけどね」(在京球団スカウト)

 若い時期からその能力は特出していた。中学時代にはすでに140キロ以上の真っ直ぐを投げ、日本代表にも選出。大阪桐蔭では2年春からベンチ入りしマウンドを任されるようになり、3年春からはエース番号を背負った。春夏連覇を果たした18年には、選抜の決勝では根尾昂(中日)にマウンドを譲ったが、3年夏は決勝で先発を任され、甲子園優勝投手となった。

「左右の違いはあるが、同校出身で将来を嘱望されたサウスポーの辻内(崇伸)と比較されることが多い。(辻内は)プロ入り後は全く芽が出なかったが、強豪・大阪桐蔭でエースでいるのは心身ともに相当なこと。辻内の故障に関しては投げ過ぎという人もいるし、燃え尽き症候群とも指摘される。柿木も心配です」(巨人担当記者)

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https://news.yahoo.co.jp/articles/a2a80180a788d07b8425ff1dbdb9cba2e2177d97
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