【追悼】“真空飛び膝蹴り”沢村忠はリアルに弱かったのか? 全241戦「フェイク試合だった」疑惑を検証する いいんですいいんですが [幻の右★]
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「キックの鬼」と呼ばれた元キックボクサーの沢村忠さんが、3月26日に肺がんのため78歳で亡くなりました。代名詞の“真空飛び膝蹴り”でKOを量産。生涯戦績は232勝(228KO)5敗4分け。キックボクシングを日本に広め、その後のK-1などの打撃系格闘技につながる道を作った沢村さん。その沢村さんの現役時代の“実力”を検証した記事を特別に再公開します。(初掲載:2020年12月30日)
筆者がこのほど上梓した『沢村忠に真空を飛ばせた男/昭和のプロモーター・野口修評伝』(新潮社)は、“キックボクシングを創ったプロモーター”野口修の生涯、興亡、栄枯盛衰を描いたものだが、同時に往年のスーパースター、沢村忠の実力を改めて検証した唯一の本でもある。これまで数多の格闘家が現れたが、沢村忠ほど知名度の割に実力の査定がなされなかった人物も珍しい。
それは本書でも立証したように、241戦にものぼる試合のほとんどが「真剣勝負ではなかった」からであり、関係者やマスコミから「分析に値しない」と見られてきたからなのは間違いない。心情は理解できないでもないが、そのことと真の実力が如何ほどだったかは別問題だろう。彼がいなければ、現在の「キックボクシング」が定着することはおろか、「K‐1」などの打撃系格闘技が隆盛を迎えることもなかったはずだからだ。
沢村忠は強かったのか弱かったのか──本書とは別の視点もまじえながら、改めて検証してみたいと思う。
「おそらく、これは中国武術です」
沢村忠(本名・白羽秀樹)は幼少期より祖父の下で武道の鍛錬を積み、少年時代はボクシング、高校時代はバレーボールに熱中、日本大学藝術学部入学後は剛柔流空手道部で、蹴り技の名手として鳴らしている。
伝統派空手の四大流派(松濤館流・剛柔流・糸東流・和道流)の中で最も実戦に近いとされる剛柔流は、沢村忠のみならず、極真空手創始者の大山倍達、極真会館最高師範をへて新格闘術を興す黒崎健時、沢村忠と同じ黎明期のキックボクサーで、のちに数多の後進を育成する藤本勲など、格闘技界を牽引する人物を輩出している。彼が生来より“実戦”を嗜好していた証左と言えるのかもしれない。
沢村忠と小中学校の同級生にして、同じく日藝の剛柔流空手道部に在籍した人物は筆者の取材に対し「彼は練習熱心でした。運動神経も抜群、呑み込みも早かった」と証言した。
さらに、興味深い証言を残している。
「彼は剛柔流の基礎を叩き込んでからは、独特の型を編み出しました。おじいさんの影響でしょう。だから定型通りにいかない。組手でも、やりにくいなあと感じたものです」
Number Web
リアルファイト(真剣勝負)だったプロ2戦目は……
現在の格闘技マスコミや関係者の多くから「フェイクの山を築いた」と酷評され、嘲笑されもする沢村忠だが、少なくともプロ2戦目となるサマン・ソー・アディソン戦がリアルファイト(真剣勝負)だったことは本書でも詳述した。
《飛び蹴りでKO勝ちを収めた》というデビュー戦のラクレー・シー・ハヌマン戦は、リアルファイトではなかった。だとすれば、プロ2戦目のサマン戦こそが、沢村にとって実質的なデビュー戦だったことになる。
詳しい試合の経過については本書でも触れたので割愛するが、映像を見て一言で言うなら、手も足もでない完敗だった。とにかく距離感が掴めていないのだ。序盤は積極的に手数を出すも、かわされすかされ、ブロックされたかと思えば、カウンターでパンチを合わされ、怯んだところでミドルキックを浴びる。ひたすらこの繰り返しである。
しかし、前述したようにこれがデビュー戦であることを忘れてはならない。グローブ経験を持たない大学の伝統空手出身の青年が、タイ式ボクシングの現役選手と真剣勝負を行ったのだ。それだけでも驚嘆に値するし、敗北という結果を招いたのは火を見るより明らかだった。
「サマンはこのとき、叩き潰すという感じでは全然なくて、遊んでいました。適度に見せ場を作りながら試合を流していたんです。技術とキャリアを考えたら当たり前の話です。それでも、沢ちゃんは、本当によくやりましたよ」(この試合のレフェリーを務めたウクリッド・サラサス)
4/1(木) 11:05
https://number.bunshun.jp/articles/-/847616?page=1 晩年は32文ロケット砲をあまりにも強力すぎるという理由で封印していた
(ジャンプ力の問題でちんこに直撃) 昭和の格闘技で
ヤオでない競技って、
ボクシングくらいか?
(亀田を除く) キックの鬼でマンガにもなってアニメにも
真空飛び膝蹴りの歌もちまたで聴かれたしガムも売ってた
空前のキックボクシングブームだった
しかしどういうわけか急に下火になってキックボクシングも放送しなくなった
のまでは覚えてる >>260
沢村以外のスターが育たなかったからだな。
だから彼の家出以降急速に下火になった ガチだと思われていたぞ
牧島:最後に最もうれしかったことは・・・。
沢村:昭和49年のことです。日本プロスポーツ大賞を授かったことです。
当時最後まで選考に残っていたのはジャイアンツの三冠王、王貞治さんでした。まさか私がもらえるとは夢にも思っていませんでした。田中角栄総理から「よくやった」と声をかけられ、あの迫力溢れる声は今でも耳に残っています。
翌年、王選手が授賞し、大賞盃を渡しました。嬉しいというより、キックの世界に栄誉が与えられたのが感動でした。 左右スイッチしてキックをハイミドルロー自在にバンバン蹴ることができる 今更バカかそんなの皆知っとったわ
エンタメやろボケが
死んですぐこんな事しやがって 強い訳が無いだろ、誰もやったことのないムエタイ広めた只の大スターなんだから。
そのお陰で藤原はムエタイトップ級。 >>268
その藤原も沢村に対しては業界最大のスターとして尊敬してたし、実力についても一目置いてた。
戦ったら藤原が勝つ可能性が高いがガチでも両巨頭と呼ぶに値する実力を沢村は持ってた。 >>18
TBSが格闘技に口だしたら
ろくなことがないな tbs八百長スターの歴史
・グレート草津(プロレス)
・沢村忠(キックボクシング)
・ぬるぬる秋山
・バ亀田八百長三兄弟w >>216
キック関係者かなー、あの人。
わてって自分のこと呼んでるの笑える。 彼の名誉の為だが
2000年頃 さいたま浦和道場のインタビューの取材が有った
YouTube 33分から最近の沢村忠インタビュー
https://youtu.be/Eaf5-RuR16I ヤオが発覚したから
急激に廃れたんだろな
黒崎が
猪木アリ戦のヤオ興行師だったから
弟子の藤原もどうせヤオだろ
で、
ヤオを嫌ったユキーデは
藤原戦を避けた。
が真相だろ。 真剣勝負っぽくしないとお金にならない
ショーとして見せることでお金になる
真剣勝負だからこそお金になる
格闘技興行って難しいよね
ボクシングは頑張ってるよ >>216
面白そうだな
ツイッターやらないから見られないけど 徹底的にヤオを排除してきた
日本ボクシング連盟、
結果、令和の今、
ボクシングだけが残った。
(亀田を除く) >>47
スットコ・ノートンに全く効かなくて
辻がバカにした実況していた あの真空飛び膝蹴りへの入り方がカッコいいんでヤオとかはわりとどうでも良かったな >>195
>>186には長く居たとは一言も書いてないのに、勝手に書いてあることにして、相手を気狂い扱いするとかの方がおかしいぞ。 やらせ隠してないプロレスなんか80年代まで盛況だったのに、キックボクシングだとキャラ立たないから駄目だったんかな
プロレスはリングスみたいな実戦っぽいのに直して更に延命できてたのに ノックアウトは見たいけど
骨折は見たくないんだよなあ >>258
具志堅とか,井岡弘樹とか,鬼塚とかも八百長あったけどな。 それ言ったらKー1も プライドも ライジンも 似たり寄ったりじゃないの?
プロレスなんかどうなるの? >>220
「藤原の浴びせ倒しはまさに殺人技!」って感じでがんばって漫画化してたなぁ
梶原系列で 代名詞みたいに言われるほど真空飛び膝蹴りって使ってなかったと思うけど
普通にパンチや飛び前蹴りが決まり技だったような 試合数云々言ってる人いるけどキックは5Rだよ
それでKOで勝負つかなきゃ判定 まず相手を金縛り状態にして決してガードはさせません。
その極意からが真空飛び膝蹴り。 ガキだったけど完全にショーとして捉えてたよ
毎週やってるしねw エビワラー
カポエラー
サワムラーさんは毎週試合し続けただけでも十分偉人やわ 本当にタイから格下を呼んだら毎週ガチ試合できたやん >>282
猪木があまりに痛いから違うなって言った
前田のレッグラリアートも外人から危険だと言われて、
太ももを当てる不細工なのに変更した
辻に何がわかるんだよヒャッホー 今思うと一応スポーツ番組のはずなのに
そこで看板といえど一選手を讃えるテーマソング作って流す、ってスゴいなw >>292
てっきり猪木の延髄切りみたいなイメージ持ってて動画見たら
時々しか使ってないのな 真空飛び膝って受けるほうどうすうするんだよ
アゴ骨折しそうで絶対グローブでガードしちまう >>281
日本ボクシング連盟はアマチュアの団体なんだけど…… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています