21年のJリーグ日程が発表され、各クラブがキャンプをスタートさせている。ここ数年の凋落傾向が著しい浦和は、昨シーズンまでJ2徳島を率いてJ1に昇格させたリカルド・ロドリゲス新監督を招聘。選手10人(移籍6人、新人4人)が加入したことでチーム全体の約3分の1が入れ替わった。今シーズンの浦和は巻き返すことができるのだろうか。

 ■ミシャ政権後の崩落劇
 浦和は昨シーズン(20年)を「3カ年計画の1年目」とし、「ACL出場権獲得」と「得失点差プラス2ケタ」を目標に掲げたが、結果はまったく及ばないものだった。

 13勝7分け14敗と負け越し、得失点差はマイナス13、勝ち点46で10位。リーグ最終節には立花洋一社長が「日頃より熱くサポートいただいているすべての皆さまに心よりお詫び申し上げます」と頭を下げたが、スタンドの反応もどこか冷ややかだった。

 振り返れば12年に広島からやってきたミハイロ・ペトロヴィッチ監督(以下、ミシャ)がシーズン半ばに解任された17年以降、Jリーグでの浦和の戦いぶりは散々なものだ。

 ミシャがシーズンを通して指揮を執った12年から16年までの5年間は、タイトルこそ16年のルヴァンカップだけだが、Jリーグでは3位以内が4度あり、2ステージ制が施行された15、16年はステージ優勝も飾った。16年は年間勝ち点で1位を記録した。

 攻撃的なサッカースタイルは不安定さもはらんでいたが、流麗なパスワークによる得点は相手チームをもうならせるものがあった。それだけに、ミシャ解任以降の衰退ぶりが目に付く。

 17年はミシャ門下生たちが“親父解任”に奮起してリーグ7位とこらえ、ACL優勝も果たした。18年は堀孝史監督→大槻毅監督→オズワルド・オリヴェイラ監督という指揮官の交代による劇薬効果もあり、リーグ5位、天皇杯優勝と持ち直したかに見えた。しかし、それはあくまでカンフル効果だったようだ。

 19年には春の段階でオリヴェイラ監督が解任された。そして、気づけば選手たちは17年以降の守備的戦術へのシフトですっかり攻撃力がさびつき、19年のリーグ戦は1試合平均1得点という惨状に陥った。また、主力選手の高齢化もあって、負けが込んでは守備的な戦いに拍車がかかるという負のスパイラルも露呈。
19年はJ1残留争いを強いられ、14位でフィニッシュした。ACL準優勝という成果はあったが、それによって逆に問題点がうやむやになるという側面もあった。

 大槻監督が初めて開幕前からタクトを握った20年は、4年ぶりに監督交代のないシーズンとなったが、上位陣に力負けする試合も多く、最終成績は10位だっ


VICTORY
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