【ボブ・ホーナー】日本でのプレーは1年のみ…93試合で31本塁打放った「伝説の黒船」とは [首都圏の虎★]
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想像を超えた打棒
バリバリのメジャー・リーガーだったホーナー
93試合出場で打率.327、31本塁打。規定打席に届かず、日本のプロ野球でプレーしたのはわずか1年間だけだったが、規格外の打撃で強烈な衝撃を残した選手がいる。ヤクルトのボブ・ホーナーだ。
ホーナーはアマチュア時代から将来を嘱望された長距離砲だった。アリゾナ州立大学でNCAA(全米大学体育協会)通算58本塁打、シーズン25本塁打と当時の新記録を樹立。1978年のMLBドラフト全体1位でブレーブスから指名を受ける。マイナー・リーグでの出場を拒否し、6月にメジャーデビューする異例のケースで初出場初本塁打を飾ると、同年に89試合出場で打率.266、23本塁打をマーク。オジー・スミスを抑えて新人王を獲得する。
その後も79年に33本塁打、80年に35本塁打を放つなどメジャー通算215本塁打を積み上げた。だが、86年オフにFAになると想定外の事態に。年俸高騰により各球団がFA選手の獲得を敬遠したため、ホーナーも所属球団が見つからない。浪人寸前の87年4月13日に契約を結んだのがヤクルトだった。
現役バリバリのメジャー・リーガーの来日に関心が集まったが、想像を超えた打棒で日本列島を震撼させる。5月5日のデビュー戦となった阪神戦(神宮)で仲田幸司から右翼ポール際に来日初アーチを放つと、6日の2戦目は池田親興から3発の特大弾。相手ベンチが唖然とするスイングで次元が違った。3戦目で事実上の敬遠により3打席勝負させてもらえなかったのも、ホーナーのすごさを物語っている。4戦目の広島戦(佐世保)で白武佳久から2本のアーチを放ち、開幕4試合で11打数7安打、6本塁打。この活躍はペリーの黒船来航になぞらえて「黒船」「赤鬼」と形容され、「ホーナー旋風」は大きな話題になった。
シーズン途中に腰痛を発症したため本塁打の量産ペースは落ちたが、それでも93試合出場で31本塁打をマーク。この年に本塁打王を獲得したのは広島のランスで39本塁打だったがその偉業がかすんでしまうほど、ホーナーの強烈な活躍は社会現象になった。チームはBクラスに低迷したが、神宮球場の観客動員数は前年の178万7000人から24パーセント増の221万5000人と年間200万人を初めて突破。ホーナーの本塁打を見るために多くのファンが球場に駆け付けた。
グラウンド外でも大人気に。ヤクルト製品のコマーシャルに出演し、「おなかに菌力」と日本語のセリフでお茶の間の知名度が上がった。サントリー缶ビールのコマーシャルでは薬師丸ひろ子と共演。ハドソンのファミリーコンピュータ向けゲーム「桃太郎伝説」に登場する敵キャラ「あかおにホーマー」のモデルにもなるなど、そのキャラクターが愛された。
全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/7e62cea77ce7d59d4a0399863cae7450affdb719
https://amd.c.yimg.jp/amd/20201002-00000005-baseballo-000-1-view.jpg かっとばせキヨハラくんではアホーナーとして活躍した ランスって名前だけで笑える
低打率でホームラン王だっけ 31本しか打ってないのかよ
燃えろプロ野球じゃ60本打ってる設定だったから意外にしょぼくてワロタww > 現役バリバリのメジャー・リーガー
29歳で来日したホーナーはバリバリ度が飛び抜けていた
それまでの大物助っ人は、実績十分ながらすでに現役最晩年とか当たり前だった 今何やってるとかその後どうなったとか何も書いてない。
単に過去の資料を引っ張ってきただけのくそ記事。
死んだかと思った。 バリーボンズの全盛期に日本でプレイさせたらと妄想するわ 懐かしいな。ワニの肉がパワーの秘訣とか言われてたな >>9
なるほど
160試合なら、ホームラン53本のペース >>8
まあ燃えプロなんてクソゲーだから適当なんよ スイングのスピードも速かったけど、
一番は常に全力疾走してたことかな。
クロマティがなんで日本にいるかわかった気がした。 ホーナー、ハウエル、オマリー、ペタジーニ、ラミレス、バレンティン 別記事であまり良い印象ないって書いてあったな日本野球に ヤクルトの外国人スカウトは有能
どんだけメジャー実績あっても日本でも活躍するとは限らないから 一人の打者に3発食らった池田と、クリーンアップに3連打された槇原と
どっちがショック大きいかな? >>27
地球の裏に行ったら
ベースボールとは違うスポーツをやってた >>21
呂を思い出そうとすると金萬福が邪魔をする 昔、近鉄の本境地藤井寺球場で
ロッカーからゴキブリが出てきたことに腹を立てて
帰国したメジャーバリバリの外人おった 燃えプロでしか知らん
燃えプロではバットに掠ればホームランだった 外殻低めしか打てないんだからそこ投げるなよ
と言われてたランス Wiki見たら日本から帰ったら1年で引退してるんだな。 >>1
日本を小馬鹿にしてた説があるが実際はどうだったんだろ? アホーナーとか知ってるの加齢臭がするおっさんしか知らんぞ バリバリの日本のプロ野球選手がタイとかあの辺の国で野球やってた様なもんだからな >>14
それパリッシュ。
ちなみにハドラーがミミズ食ってた? セガの「ザ・プロ野球」だと日本のチームではホーナーだけ打球がライナーでスタンドインするんだよな。 >>42
バリバリ知ってる43歳だが耳の裏と鼻周りの加齢臭やばいわ 3試合してようやく1本ってそんなにすごいか?
割とよくある事だと思うけど ホーナーがアリゾナ州立大2年のときに
アリゾナ州立大 VS 東海大の試合を見に行ったぞ、川崎球場だったかな?
アリゾナ州立大の4番がホーナーで、東海大の4番が原辰徳
ホーナーは後半にレフト上段に滞空時間の長いホームラン打った
ショートの肩の強さがぜんぜん違ったことが印象に残ってる 糞記事は中年おじさんなら誰でも知ってる事しか書かれてなくて無価値だな
ホーナーあれからかなりの逆転人生歩んでたんだな。転落人生だわこれ
日本に3年くらいいたら違ったかもしれんなぁ 子供ながら衝撃的だった
空振りで腰いわしてすぐ故障したっけ >>12
メジャーですら敬遠祭りだったのに日本で勝負してもらえるわけない。石井一久が「ランナーいない時、一塁空いてる時は基本敬遠するよう指示されてた」って言ってたし この頃の野球は面白かった
いつからだろうプロ野球なんかまったく興味がなくなりむしろウザく感じるようになったのは 5月くらいまでは物凄く衝撃的だったのは覚えてる
6月以降の記憶はあまりない ズームイン朝の野球コーナーのヤクルトファンの伊藤なんちゃらさん元気だろうか
小太りの 角川春樹事務所をやめた薬師丸ひろ子がCMで共演したけど、ピンじゃなくなった上に流行りもんと共演で格落ちは否めなかった。 野球もサッカーも大物助人外人が帰国すると必ず日本ディスるよな プロ野球界の平凡な内野ゴロでも一塁への全力疾走はホーナーの影響 内野ライナーみたいな低い打球がそのままスタンドインしてビビった DeNAのソトのほうが凄くない?
1年目:107試合 41本 その年の本塁打王。 アメリカに帰国した翌年には、故障でろくに打てないまま引退してたのか
ヤクルトは得してたんだなw 来日決定〜シーズン序盤あたりまでは、本当に60本打つんじゃねーかって騒がれてたからな テイクバックもステップもコンパクトで軸がブレずスウィングも早い
パワーと技術が超1流だった >>29
メジャーに復帰したら凄い引き締まった身体になってて笑った
NPB舐められすぎ >>71
川崎球場見てこんな球場なら余裕で50本打てると豪語するも結局20本も打てなかったマドロック…だが向こうに戻っても一切言い訳せず
ホーナーは海の向こうに違うベースボールがあるなんて言ってるが日本の野球だって十分レベルは
高いよと言ってくれた いま映像見ると無駄な動作が一切ないな
その場で来た球をくるっと打ち返すだけ
マグワイアの元祖というか
ボールの下を叩いて体重載せるのが上手い
内角の捌き方もうまい 後半失速したイメージだったがOPS1.106は強い 当時の監督は関根の爺さんだったな。温和そうに見えて実は・・・な人だったから
ホーナーも舐めたプレーは控えてたと思う。 腰痛発症のきっかけになった後楽園の巨人戦で
水野のフォークを空振りした途端「ぐぅぉぉおおおおおお!」という声をマイクが拾ってその場で悶絶して倒れたことを覚えている 現役バリバリのメジャーリーガーが何かの間違いで来てしまったのはこの一例だけだな
AJは晩年、マイコラスはメジャー行く前だし >>68
伊東克信の事なら趣味の競輪が高じて、
現在では弥彦競輪とかの各地競輪放送によく出てくるよ 今ならアメリカン焼豚で弄られてるだろうな
昭和だったから評価されたんだろw ランランランスがホームラン
俺小2の時からカープファン >>1
イニエスタの方がよほど日本に貢献してるがなw この前、桃太郎伝説をやったら赤鬼ホーナーってのが出てきて懐かしかったわ >>98
クロマティ、マック、グレン・デービス、ガリクソン、バンスローあたりは? >>111
ガリクソン以外は出場機会が減っていったときに来日してるからホーナー並みのバリバリさじゃないな バリバリといったら94年のストライキの影響で翌年フランコ、ミッチェルが来たくらいかな。どちらも94年はMVP投票10位以内に入ってる 地球の裏側にもうひとつの野球があったというタイトルだけは有名な著書は何が書いてあるんや この頃は贔屓チーム以外の外人も覚えてたけど、今は外人多いわ、すぐ変わるわで覚えられん 86年29歳 ATL
.273 27本 87打点 OPS.808(581打席)
87年30歳 ヤクルト
.327 31本 73打点 OPS1.106(355打席)
88年31歳 STL
.257 3本 33打点 OPS.703(247打席)
89年シーズン前に引退
MLB10年
.277 218本 685打点 OPS.839(4213打席) >>40
リーマンでも前職よりイージーな環境に移ってきたら小馬鹿にする
しかししばらくすると、そこにいる俺はなんなんだってなる >>8
たった355打席で31本や
現代の143試合600打席で換算したら52本相当や >>30
マニエル
ホーナー
ホージー
ペタジー二
ラミレス
バレンティン
他にももっといるが当たり多すぎ
球場もあるかもだが アスリートらしからぬサラリーマンみたいな眼鏡の風貌もインパクトあったな 燃えろプロ野球
販売数 158万本メーカー ジャレコ発売日 1987/06/26 >>76
打席数でいうたらホーナーとほとんどおんなじペース >>40
実際してただろうな。チームメイトのレオンをいじめてたって噂もあったし、そもそもFAの時何処も手を挙げなかったのは、MLBオーナーの方針プラスその問題児っぷりに原因があったという説もあったし。 スポーツニュースで、2.3.4号のという数字を見て、唖然とした記憶があるわ
最近ではたまに3連発あるけど、あれが初めて見た3連発だったわ 通算成績は松井秀喜とトントンくらいなんだよな
しかし、ここまで衝撃的な現役バリバリメジャーは来なくなったね >>36
金村はドンマネーは外国人選手の中で一番性格ええ奴って言ってたな
近鉄が詐欺まがいの契約で連れてきたからそりゃぶちギレるわ
金田キック食らった暴れん坊のトレーバーも普段はニコニコしてるおとなしいお坊ちゃんだったらしい 名前はすごい記憶に残ってるけどたった1年しかいなかったのは意外 >>98
キャリアのピークで来た一番の大物だろうな。
他にも95年のミッチェルとかフランコとかマックとかいるけどね, フィルダーは阪神退団の翌年にMLBで2年連続本塁打王になったからある意味では現役バリバリのメジャーリーガーと言えるかもしれない >>129
でも引退後は日本向けの選手マネジメントもやってたよね
今はどうか知らないけと >シーズン途中に腰痛を発症したため
バカンス楽しんでたんだよね、勝手に >>131
その場合は日本人選手が自信をなくして
90年代以降のNPB史が全く違ったものになっていたと思う 10年連続ゴールデングラブ賞に通算434HRのAJ
首位打者1回シルバースラッガー賞5回通算2586安打のフランコ
MLBのキャリア的には一番凄かったのはどっちかになるのかな >>129
引退後はレオンといっしょにイベントをしたのに? >>127
今はクソゲー扱いされてるけど当時は普通に皆楽しんでたよな
野球中継みたいな画面でスゲー!って思った記憶がある 日本に来る前からホーナーを知ってたオレはメジャーの玄人ファン
野茂がメジャー行ってからメジャーに興味を持ち始めた香具師は
全員ニワカ 逝ってヨシ!!
プップクプー♪ >>124
ハウエル忘れとる
あとピッチャーのブロス 日本デビュー時の衝撃はロメイシも凄かった
ただロメイシは最初の数試合で打ちまくった以降の記憶が全くない 日本の事を馬鹿にしてたらしいけど実際凄いペースでホームラン量産したから言われても仕方ないわな >>2
この漫画読んでたらクワタ悪者になっちゃうよね。
懐かしい。また読んでみたい 来日早々にホーナーに阪神戦でHR打たれて
次の日のスポーツ新聞の見出しが
『そんなあホーナー』だったのを覚えてるわ 落合バース三冠王ピンチ!
みたいな見出しがスポーツ新聞各紙に踊ってた 燃えプロでは未だに語られる伝説w
ホーナーとイースラーは今や
実物とかなりかけ離れてる助っ人外国人。 ドリスもメジャーで防御率一点台のクローザーとして活躍してるな
中日のアレックスも活躍してたが怪我してしまった 広島のドミニカアカデミー出身でメジャーで活躍したやついたな
ヤンキースにもいたと思う メジャーのスイングとNPB選手のスイングの違いを知ったバッター。せいのっ!と振るNPBとじっと待って
クルッと振るホーナー。初めは違和感感じたよ。 日本とアメリカのレベル差は今も変わってない
メジャーの一線級打者が日本のプロ野球に所属したら
今でも異次元の活躍するよ
大谷が子供扱いな異次元がメジャー >>31 1人の打者なら相性があるけど 3人の打者に連発ってのはショックでかいんじゃね? >>163
しかも3人ともバックスクリーンだからなぁ この頃は野球の話題に乗れないとハブられる時代
今、ホーナー級が来ても、当時ほど話題にはならんからな >>72
そんな当たり前の事が出来ない豚が巨人の二軍監督やってて次期一軍監督になる模様 >>68
日光市の人だね息子がアイスバックスの選手 >>160
そこまで知っててなんで名前出てこねーんだよw 現役バリバリのメジャーの4番が来日、オールスターは腰に怪我?して辞退してた気がw
燃えプロのバントホームランも伝説w で、次に日本中を震撼させたメジャーリーガーがアップショーなんだよな >>129
プライドが滅茶苦茶高かったのは確かみたいで、
ブレーブスのナンバーワンスターだと思って飛び出したが、
みんなはナンバーワンはデール・マーフィーだと思ってたというオチ。 問題はこの後すぐに急激にポンコツ化するんだよなw
ある意味メジャーはポンコツと高額複数年契約なんてせずに住んだわけだw
これが最後の花火なのが余計に無常観があるw 帰った後1年で引退してるってことは結果的には現役バリバリではなくあれで晩年だったってことなんだよな >>6
ホーナーはバント出来なかった記憶があるんだが。
燃えプロやるとホーナー目当てでいつもヤクルト選んでたな。周りは巨人選びたがる奴が多くてジャンケンになってたが。 クロマティは20代だったかもしれないが、3Aの選手でメジャー何て言えなかったしな。
バースブーマーも晩年の割にレベル低くて活躍できただけ。
ポンセとかもだが、すごい実績なんてないやつが日本適応して活躍してただけ。
それは90年代に入っても変わらんかった。
メジャー級とか売り込まれていつも外れコースばかりだった。
ほんと大洋以外見る目がないやつしか居ない無能だらけだった >>132
日本人がバンバン向こうに行くようになった事が皮肉にも、昔より「NPBはメジャーのジャパンファーム」だって意識が強いんじゃね?
昔はそれほど交流が無かったから実力差も今ほどわからなくて物見遊山的に来てたのが、今は「ああこいつらが日本のトップクラスか、ならわざわざ日本は行ってみる必要もないレベルだな」って分かりやすくなったんじゃないかな >>24
そう。
これがあったからもうこいつはクズ
しかもアメリカに戻ってすぐ引退した
こんな奴メジャーじゃ単なる平凡なレギュラー程度の
なんの変哲もない選手
イチローの足元にも及ばないカス しかも引退してからしばらくしてから
日本のなんらかのイベントとかに呼ばれて日本に来るとかいう
厚かましいゴミ
新聞記事も小さな小さな扱い
多分日本側は日本に呼んでこいつをいびり倒したかと思われるわ
その後日本には来ない音沙汰なしというのはそういうことよ >>156
帰国間際か覚えてないが、
どこかの見出しが「サヨナラホームラン打ってホナさよなら」だった。 11打数7安打、6本塁打
今見ても普通にものすごいw 2試合目の1試合3ホームランのインパクトはすごかった
あれを超える第一印象はその後もないな >>93
アホーガンじゃない?
プロレスラーのホーガンがモデルの >>40
めんどくさいときは、遠征に行かなかったって広沢が言ってた。 贔屓目だけどコルビー・ルイスは凄かった(´・ω・`) この頃のデータ対策は緩かっただけ
数カ月後もあればデータはそれでも集まるから、そう打てなくなった。
そしたらズル休みだろ
全部打席立っていても2倍とかありえない 当時の関根監督が、
とっとと帰国したホーナーに
「馴れない外国に来たんだから寂しくなって帰るのも仕方ないよ」みたいな事を言ってたけど、
未練無かったんだろうな。
ホーナーはスポーツ紙の一面を金属プレートに加工して、
今でも大切に飾っているみたいね。 燃えプロだと空振りじゃなければ弾丸ホームランのイメージ ここまでレベル高いバッターだと
日本のピッチャーに慣れる時間とか必要ないんだなと思ったわ
当時のメジャーは凄かった >>185
釣りか知らんが
クロマティはエクスポズのレギュラーだったし
バースブーマーは20代で来日してるし 80年代はバース、ホーナー、ブライアントが特に印象に残ってるな >>147
グライシンガーも
そして使えるとわかれば巨人に出荷 >>10
同年の近鉄には超大物のオグリビーが入団してるけど
当時38歳の大ベテランだったしね >>30
ボブ・ホーナーはダメ元で獲得交渉したら成功しちゃったんだよ
当時はメジャーの年俸が今ほど高くなかった上にプラザ合意の
円高で当時のヤクルトをして年俸が払えてしまった 個人的に、1986年の日米野球と87年のホーナー旋風で「大リーグ」の凄さをまざまざと見せつけられた感じだったな
落合も86年の日米はトラウマになってるらしく、「自分はメジャーでは通用しない」と言ってたね どう考えてもバレンティンの方が凄いのに、なんなのあの不人気 1年もいなかった助っ人なのにここまで日本で浸透してるとは、野球人気が高かった時代だからか ホーナーと言ったら、CMのモウイッポン!(グシャァ 覚えてる
あれは凄かったな
大リーグと国内リーグの違いをまざまざと見せつけられた ホーナーの力の抜けた自然な構えは今でも印象に残ってるな 結構印象に残ってるな、
日本人選手とはバッティングフォームなんかも全然違ったな
凄いコンパクトなスイングでその場でくるっと回るような感じで簡単にボールが飛んでいく
メジャーと日本ではやってる野球が違うんだなーとなんとなく感じた >>225
実は打撃フォームは今でも日本とアメリカじゃ全く違うんだが >>3
日本人メジャー選手より遥かに上なんだけどね 秋山みたいな打ち方してるメジャーリーガーはひとりもいない 第4試合目の佐世保球場の2発はスタンドで見たなあ。
球場が小さく見えた。 デシンセイとハーパーもいたなぁと思ってwiki漁ってたら
デシンセイも晩年とはいえ一線級のメジャーリーガーだったんだな
2011年にインサイダー容疑で罰金250万ドル払ったとある
ハーパーは10試合しか出ていなくて打率も1割台なのに何で覚えていたのか謎 来日早々コンパクトなスイングで3連発
その後も腰壊すまでとんでもないホームランペース
ブライアントみたいなスイングでスタンドインする奴は沢山いたが彼は別格そのもの
凄いインパクトだった >>228
メジャーは上半身だけとかいう無知なバカがいるが秋山の方がよっぽど手打ちだよなw 現役メジャーリーガーで日本に来た中で1番大物は誰だろ?
フランコ? ベテランのパリッシュと若手のフィルダーがHRタイトル争いしてた89年
「おまえはこんなとこにいる選手じゃないだろ!」
と、パリッシュがフィルダーに叱咤激励したらしい >>231
「ハーパーはアトランタブレーブスでホーナーとクリーンアップ組んでた」とアナウンサーがしきりに宣伝していたからではなかろうか >>236
それもあるけど日本の打者手だけで当てに行くの多いじゃん
振り切らず当てに行って凡ゴロばっか
初期の松井もそうだった なんか、最初の数日だけでボクシングで言えば階級が違うとか…レベルの違いを見せつけられたような気がしたな >>40
一番好きなのが永冨の豪速球
一番嫌いなのが川端のバターロール ワニ食べるのがパリッシュ
ミミズ食べたのがハドラー
ヘルメットにプリクラ貼ってたのがホージー まさに黒船だったね
クロマティなんかもバリバリメジャーだったし、レジースミスなんてのも
本塁打王フィルダー、最多勝ガリクソン、何気に本物がジャパンマネーで来ていたんだな >>216
引退する山本浩二が弾丸ライナーのホームラン打ってレジェンドレジェンドと大リーガーが写真をせびりに来ていたのが面白かったかな ガリクソンは桑田を絶賛していたな
当時、斉藤雅樹が日本人最強かな思ってたんで、くわわは意外
海を渡っていれば野茂になれたのかも >>252
別の意味でハズレだったのがブライアント 燃えプロだと落合とホーナーとバースはバントでも当たればホームラン ブライアントとデストラーデは日本人でメジャーで通用する打者として秋山幸二の名前を上げていたな
え?清原じゃないんだ?って当時思った >>85
アダムジョーンズも向こうじゃバキバキだったのに日本じゃ弛んでるね >>254
息子のミドルネームにクワタと名付けるぐらい絶賛してたからね >>216
会心の当たりがセンターフライだったからね
あの時の落合の顔は今でも覚えてる >>129
レオンと仲良かったって話も聞くし実際例どうなんだろうね >>216>>265
それどころか中日に移籍後の1987年の打撃に影響したとまで言っていたからな。相当狂わされたんだろう
蛇足がこのときの日米野球メンバーが最強だったと思っているんだが、ジャコビー、グレン・デービス、バーフィールドがその後日本でプレーしたし、それ以外にもサンドバーグ、オジー・スミス、リプケン、カンセコ、マーフィー、グウィンなどよく知られた選手が来てた >>270
カービーパケットもいたよな
最年少メンバーがマダックスとか今では来日すらしてくれないメンバーだった >>177
さすがにマーフィーには敵わないよね
MVP2回、本塁打王2回、打点王2回で、おまけに守備良し走塁良し デビュー戦でホームラン打って次の日3ホーマー打ったイメージだったが違ったか。
桃太郎伝説の赤鬼ホーマーも懐かしい 当時から野球嫌いなオレでもホーナーが来たときだけは、前半くらいは見たわ
おかげでその年だけ、ゲーリーとかレスカーノとかリー兄弟とかの一般外人選手もいつの間にか覚えたわ >>275
デビュー戦でホームラン
2試合目でホームランは合ってます >>273
パケットとマダックスは1988年のときだよ。
その時はハーシュハイザー、ガララーガ、トラメル、モリター、ラーキン、バンスロー、パルメイロ、ヘンダーソンもいた。落合はこの年も出場したけど、1986年のことがあったから内心嫌だっただろうな。
ホーナーの存在でMLBを気にする人が増えたことは確か 当時のヤクルトはバリバリのメジャーリーガーのホーナーを獲得したり
キャンプをユマでしたりしてた
ヤクルトってお金持ちなんだなぁ…と子供ながらに感じた >>231
デシンセイは東京ドーム第1号を打ってるんだっけ? >>76
数字だけじゃない
昔の飛ばないボールでショートがジャンプして取ろうとした打球がスタンドに突き刺さるとか衝撃的だった 一流外国人はいろいろ面倒だとデーブの動画で発言してたな
AJに守備させるのにも一苦労したらしい FA選手締め出しは後に訴訟沙汰になり、球団側が敗訴したのでホーナーも慰謝料をもらった ホーナー加入で前年3割15本ぐらいのブロハードが枠から漏れて退団
ホーナーもいなくなり結局さらなるヤクルトの弱体化が進む事になるんだがそれはまた別の話 >>287
来日当初に阪神はホーナーに1試合3本塁打打たれた。
あれを境に阪神の暗黒時代が始まる。
逆にヤクルトは暗黒時代から抜け出す事になる。 ホーナー93試合で31本
確かブライアントは70試合くらいで34本打ってたよな?
デストラーデも80試合くらいで32本打ってた記憶 >>287
逆にホーナーがいた年からヤクルトは20年も最下位を回避した 薬師丸ひろ子とは別撮りかと思っていたらちゃんと会ってたとか
著書で可愛らしいお嬢さんだったとか書いていた レオン・リーによるとホーナーはマスコミ恐怖症になってしまい独りで出歩くということができなくなって、
リーが球場へ車で送り迎えするようなったという
あるときリーが「すまないが、取材が入っているのでタクシーかなんかで帰ってくれないか?」と言ったが、
二時間くらい経って車に戻ってきたらまだホーナーが独りで車に乗ってたと ちっさいヘルメットと棒みたいに見えるバットで
軽く降ると外野席に飛んでくショーだろw
神宮だったのも大きい
どこも狭かったけどな。
球場が変化した90年代にHRなんか激減してるのがその証明だろ >>98
すでに年齢かなりいっていたけど、1977年にドラゴンズに入ったウィリー・デービスも超大物
巨人戦で満塁ランニングホームラン打ってた ホーナーとかハーパーとか
デブキャラは人気出るよなぁ >>298
西武→巨人のマルちゃんも人気だったよね
いくら何でも腹出すぎだろと思ったけど もはや現実でバントホームランやってたんじゃないかと記憶が改ざんされとる名前 この頃は日米で露骨に差があったからな。
日米野球なんて日本人野手は外野の頭を越せず野球になってなかった。
今でも差はあるが日本人メジャーと国内トップ選手の混成軍なら取りあえず野球の試合に見えるだろうし。 >>144
でもあまりのテンポの悪さに、やっぱファミスタだよなー、になった 現役バリバリといえばあっちがストの時に来日してきた選手達にはワクワクしたね
バーフィールド、ミッチェル、グリーンウェル、フランコ こちらで言えば原岡田みたいなスーパーエリートが29歳で来て、しかもすぐに本領を発揮したわけだ
見る側の立場では日本人メジャーより向こうの本物が来てくれる方がありがたい
日本が一番いい物を手に入れられるジャパンアズナンバーワン時代の一コマ 現役バリバリのメジャーリーガーが来日していきなり打ちまくったというだけでもちろんインパクト大だったが
本人が色白・メガネ・デブのどう見てもパッとしない奴だったというのがまた印象に残った一因だろう >>241
当てて転がせば何かが起こる(守備のミス期待)と指導する学童からある甲子園野球の弊害 ホーナーと同時期にロッテに来たマドロックも、
向こうでの実績は凄まじいな
この前後なら
巨人のレジー・スミス
近鉄のベン・オグリビー辺りも、
来日時には既に選手としての峠は超えてたとは言え 向こうでの実績は凄まじい この時代の外国人選手は、ホーナー以外にも今なお有名なのがゴロゴロいるからな
クロマティ高校のお陰でもあるだろうがw
それだけキャラが立った選手が多かった ファミコン 野球ゲームでの名前は何だっけ?
ホーマーだっけ? >>127
燃えプロの金属製ペンケース
二段仕様で磁石と金属玉を利用して簡易的な野球遊び対応ペンケース当時買ったわ
当時学校にも持っていってたのに珍しくヤンキーな奴らにも取られず今でも家に放置されてる >>310
狂犬マドロック
シーズン終わる頃には座敷犬と呼ばれてたな… 地球の裏側にベースボールと似てるスポーツがあったと腐して帰国した >>314
あの当時のガラガラの川崎でも当時の応援団や一般ファンが応援してくれてたのに、あろう事か
「集中力が削がれるから、俺の打席の時は静かにしてくれ」と
物言いを付けたマドロック
それでガンガン打ってくれるならいいんだけど、
いつまで経ってもサッパリで、自分が打てない事をファンへ八つ当たりしていると言われ、
最後には川崎球場の外壁に
【マドロック立入禁止】と
ファンに落書きされたマドロックか >>311
巨人に新しい外人が入るって事になったら、シーズンが始まる前にもう、バラエティ番組にゲストで呼ばれてたんだもんなぁ。スミスだっけか
んで、日本語がわからないだろうって事で本人の横で司会者が色々批評してたんだから、イイ時代なのか悪い時代なのかわからんわ
その山城シンゴも、死んじゃったね >>310
マドロック禁止(実際に川崎球場に書かれてた落書き) >>310
オグリビーはMLBでの人種差別とかに嫌気さしてたらしいが、近鉄で金村や栗橋中心に分け隔てなく接してくれたのに感激したらしい >>307
ホー○ー でどこまで集められるか気になった
ホーナー、ホージー… >>317
テニスのサービスとかと同様に静かな方がバッティングで好結果が出やすいことは当たり前だけどな 日本ではスーパーマリオと言われたポンセの方がスター。 >>324
途中で腰やってフルスイングできなくなってたからね。
でも、向こうでも故障の多い選手だったらしいからコレも実力か... >>61
実際に敬遠してたからテレビ観てて呆れてたよw パッと見た時、カントリーロード歌ってる人かと思った >>28
それデシンセイじゃない。
サードを守ってたデシンセイは、同じくサードを守ってた長嶋一茂ファン複数から 長嶋茂雄の息子見たさに何度もヤジを飛ばされた。
「ヤンキーゴーホーム」
と言われ、心痛めてベンチで泣いてたほう。
デシンセイはヤクルトファンからのヤジだったのでショックを隠しきれなかった。
広澤克実ほかベンチにいた選手も、デシンセイが突然泣き出したから通訳が理由を聞いて発覚。
それ以来活躍していた打撃もダメ、定評だった守備もダメで消えてった。
それが、デシンセイ! 11打数7安打6本塁打って、訳わからん。
7安打と6本塁打なら13打数だろ。
来日してそれなら日本中が熱狂したんだろうな 横浜スタジアムに1回見に行った。
ホーナーはホームランを打たなかったが、広沢がホームランだった。 >>334
お魚くわえたマドロック 追いかけて
はだしでかけてく 陽気な有藤 >>11
関係ないがフランク・マンコビッチ(元大毎)
2011年に亡くなってたの知ってびっくりした >>30
ペピトーンで痛い目見てかなり慎重になったらしい >>133
家族連れて来日したんだから
かなりやる気だったよねマネー
それを近鉄のフロントときたら >>331
でも2試合連続サヨナラHR打ってるんだよな >>305
マック、インカビリアも日本でプレーしたな
懐かしい >>312
ファミスタでは「ほうなあ」
燃えプロでは「ホーナー」
この頃は公認とかそういうのがないから実名を勝手に使用
88年ぐらいから偽名になった 今だとトラウトが来るようなもんでしょ
こんなに凄いのかと思ったわ すげー前の方で捌いてバックスクリーンに叩き込んだの覚えてる
落合の打ち方の真逆だもんな 江川が初対戦で3連続三振取った
ホーナーのコメント
何もかもが最高の投手 ヤクルトはいい助っ人大砲を連れてくるイメージ。
あとは近鉄とか 3塁ライナーがレフトスタンドに突き刺さるイメージ・・・・ ランスは当たればデカかったけど打率がなぁ
カープならもっと前のライトル、ホプキンスかな アメのベースボールと日本の野球は違う競技みたいな批判してた気がするけど
結果を数字で残してるから言う資格がある。というか、実際打球も凄かったなw >>121
ヤクルト時代のOPS凄いなw
1.1とか見たことない数字だわ でも帰った後全く活躍出来ずにすぐ引退しちゃったんだよね >>155
イチローをマウンドの地下に監禁してひたすらサインボール書かせてたシーンだけ鮮明に覚えてる >>351
>レオンリーなのかレロンリーなのか
>正解はどっちだ
兄弟だ >>344
スーパーリアルベースボールだけは実名だったな。 >>366
その版権取りに金がかかって、システムが疎かになるというオチが面白かった 野球中継全盛時代だったからな
今の時代に来日して、同じような活躍をしても話題にはならないだろう
>>276
みたいに、野球嫌いなのに大洋のレスカーノを知っているということからも、当時のプロ野球の社会への影響力の大きさがわかる 燃えプロでスイング止めたバットにボール当たったらホームランのホーナーか >>370
もはや巨人が優勝したってプロ野球が盛り上がらん状態だからな。 そりゃモサーっとした覇気の無い常に眠そうな面構えが四番任されるようなチームじゃ >>373
国内プロスポーツの優勝争いで狂喜乱舞する時代はもう終わったんだろうな
今はもう日本人vs世界じゃないと盛り上がらん >>339
ロッカーを見て「爆弾が落ちたのか!?」っていう名言もあるしな
どんだけ近鉄のロッカー汚かったんだよ 懐かしい、パリッシュとデシンセイは修学旅行の新幹線で会ったわ
気さくな人だった。デシンセイはそんな心弱き人だったのか 時代が違うかも知れねえが南海バナザードと
中日バンスローが好きだった >>378
デシンセイは1988年のみ パリッシュは1989年
匿名の場だからって、平気でもっともらしい嘘こける奴がコイツ ベースボールと野球は明らかに違う競技だろう。
引き分けなんて日本の野球にしか存在しないローカルルールだ。 実績どうこう言わないのなら、ブライアントは帰っても活躍できそうなのにな。
阪神のデブみたいに帰って覚醒するパターンがあったw 巨人はホームランバッターの助っ人外国人ってことならいまいちだな
シピン、ろめいし、 とかな >>252
マーチン、パウエル、ブランコ、モッカ、バンスロー、ギャラード、ビシエド、ゲレーロ
結構いるじゃないかと思ったが、言い換えるとそれ以外圧倒的に失敗が多いとも言えるな クロマティは入団時の公約で35本は打つと言って実際35本打った
怪我した年は40本行くペースだった
打率のイメージが強いけど >>377
覚えてるが
なんかデブのメガネのチビのオッサンみたいな感
じでであんまり凄いとは思わんかったな
昔の話ですまんがちうにちのデービスとかオズマみたいで凄かったな
あと巨人のスミス、レジージャクソンが来たかと 日本の野球レベルなめきって
練習もやらず、ふとりまくり。
フルスイングで腰をいわす。
そのまんま、帰国。
日本のプロ野球批判本出版。
次の年、別人?と思われるくらい体絞って
メジャーに備えるも、日本での怠惰が
祟ってか怪我。
日本にまた来たいとアピールも
ポンコツ化した選手にどこの球団も
見向きもせず。
Wikiこんな感じか 批判という本ってほどではないと思うがなぁ…
あれなら、クロマティの本のがずっと批判本だろに 地球の裏側にもう一つのベースボールがあった
だったかな。途中からボール中心の攻め、イラついて振ってくれれば儲けものという配球だったから印象悪いだろうね、興行という捉え方が違うし 年齢的にはバリバリだったが
選手としては晩年だった
そんなのにボコボコにされるジャップw
日本の野球はレベル低い低いw >>1
ヤクルトファンだったからよく覚えてる。日本人がバッティングフォームとか工夫して何とかボールを外野まで運んでた時期に鳴り物入りでやってきて、
振って当たればピンポン球みたく軽くスタンドまで飛ばしてた。今まで見てたのが何だったのかと愕然とした デシンセイは30少し過ぎたあたりで来てたらどれだけ成績残したんだろ
メジャーの実績見たら普通に素晴らしい メジャー実績なら、パリッシュもなかなかだった
ヤクルトはこの時期、結構攻めてたな
野村を招聘して90年代には黄金時代に入るが この頃って日本人はみんなメジャーリーグなんて雲の上みたいに思ってたからな
だからその後海を渡った野茂が通用した時は衝撃的だった >>399
ノモのデビュー戦、あのボンズがかすりもせず3三振してたからな、血が騒いだわ 昔のメジャーリーガーは今みたいなゴリゴリマッチョばかりじゃなかったよね ユニフォームよりもメガネとスーツが似合うような、ウォール街に居そうなやつが多かった
デシンセイ、バンスロー、ロードン・・パチョレックもそんな感じ バリバリのメジャーリーガーだったメル・ホールは本当に性格が最悪だったらしいな
愛甲、小宮山、金村、山崎武司から口を揃えて一番クソだったと言われるとか相当だろ 本当の実績最強助っ人は現役ホームラン王のオグリビーだろ? オグリビー以外にもHRタイトル獲ってるのは何人か来てる
ケビンミッチェルやバーフィールドとか そんなロートルじゃなくてマイナー知らずで20代の4番打者
ニッポンが一番いいものを手に入れられた時代の象徴
ロックフェラーセンター買収や名画買い占めと並ぶバブルのあだ花 清水義範の助っ人外人てんこ盛りの野球パロディーで、どう出るかと思っていたら、取っておきという感じで「セント ボブ ホーナーズ アーク」なんてカマしてた。 >>393
なら打席に立てばいいけど、結局ズル休みじゃん
それにストライク外してで勝負なら日本人選手ですらやられてるw >>290
ブロハードは打撃が荒く2割台半ばの打率で20本
残留を勝ち取り翌年打率は良かったがホーナーの
入団で急遽退団
レオンとホーナーの両方が退団した翌1988年は
新外国人のハーパーが故障でいきなり退団
デシンセイも19本打ったが後半戦は消えた
ただ池山と広沢が揃って30本塁打を記録した >>354
最後まで出たら2年連続本塁打王は当確だったが
膝が完全にぶっ壊れて途中退団 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています