【サッカー】柱谷哲二の最重要ミッションは 「監督と選手の仲を取り持つこと」だった ラモスは、王様なんでね。
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1992年から始まったオフトジャパンについて語る、当時のキャプテン柱谷哲二
私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第12回オフトジャパンの快進撃とドーハの悲劇〜 柱谷哲二(1)
「キャプテンをやってほしい」
1992年3月、ハンス・オフト日本代表監督からそう言われた時、柱谷哲二は、うれしさと不安が同時に込み上げてきたという。
92年3月17日、日本のサッカー史上、初となるプロの外国人監督としてオフトが日本代表を指揮することになった。その直後、最初の日本代表合宿が静岡県・浜名湖で行なわれ、柱谷はキャプテンの指名を受けたのである。
「小・中・高・大とずっとキャプテンをやってきて、大学時代はうまくいかなかったので、そのリベンジをしたかったし、日本代表のキャプテンって特別じゃないですか。だから指名された時はすごくうれしかった。
でも、すぐにラモス(瑠偉)の顔が浮かんでね。これからチームをまとめるのは、かなり大変になるなって思った」
チームのメンバーを見渡すと福田正博、井原正巳、中山雅史らは大学時代からよく知る仲間で、B代表でもプレーしていたのでさほど問題はなかった。
だが、読売クラブの選手は一癖も二癖もあり、しかもラモス瑠偉がいた。さらに新しい選手や先輩の選手がおり、チーム内はカオスのような状態だった。
「どうやってチームをひとつにしようか。かなり悩みましたね」
あの頃を思い出し、柱谷は少し複雑な表情を見せた。
柱谷は、キャプテンとして2つのことをチームの指針にした。
まず、なんでも言い合えるグループにすること。そして、戦う集団にすることだ。
「90年のW杯予選の時、1次予選で敗れたんですけど、その時はチーム内で何でも言い合うことができなかった。先輩・後輩という体育会系の縦社会があって、まだアマチュアだった。
でも、ラモスやカズ(三浦知良)が来てくれて雰囲気がガラっと変わったし、これから自分たちはプロになる。プロに先輩も後輩もない。
オフトからも『日本人はコミュニケーションの取り方が下手だから、コミュニケーションが取れるチームにしてくれ』と言われた。
まずはラモスや吉田(光範)さんにも遠慮なく話ができるように、なんでも言い合えるチームにしようとそこからスタートしました」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200130-00884880-sportiva-socc&p=1
1/30(木) 6:00配信
https://i.ytimg.com/vi/oP-AuT0Ikdw/maxresdefault.jpg
https://shooty.jp/wp-content/uploads/2015/12/04b761ffc040bb476ad58d1acf7611bb.jpg
https://www.sanspo.com/soccer/images/20131227/jle13122715000006-p2.jpg
https://calciomatome.up.seesaa.net/image/E383A9E383A2E382B9E697A5E69CACE4BBA3E8A1A8.jpg 柱谷は、さっそく動いた。
オフトは食事をコミュニケーションの場として重視していたので、全員で一緒に食事をとると決め、途中で部屋に戻るのを許さなかった。
オフトからよく『観察しろ』と言わていた柱谷が食事会場をよく見てみると、いつも同じテーブルに同じ選手が座っている。
これでは特定の選手間でしかコミュニケーションが取れないし、言い合えるような環境にはなりにくい。
「観察していると、たとえばカズの隣にはいつも北澤(豪)がいて、毎回一緒なんですよ。それで福田とゴン(中山雅史)と井原に『5分早く行って、違うところに座ってくれ』と頼んで、
ホテルには『円卓を大きなテーブルにしてほしい』とお願いしたんです。そうすることで森保(一)がカズの隣に座ったり、徐々に選手間で会話が弾むようになった。
初歩的なことですけど、こういうのをすごく大事にしていました」
チーム強化は、「アイコンタクト」「スモールフィールド」「トライアングル」といった基本を軸に、練習ではそれらを高い精度で繰り返すことを要求した。
「ピクチャー」とオフトがよく使用する言葉があるように、プレーの画をお互いが共有し、それができないとすぐに指笛が飛び、練習を中断した。
「みんな、基本はわかっているけど、いざやってみるとできないんですよ。ちゃんと教わってきていないし、そういうトレーニングもしてきていない。
日本の指導者の場合、練習はある程度流してシンクロさせていくけど、オフトは1回、1回止めてダメなところを修正していく。
練習が始まると10秒ぐらいで指笛が吹かれて止まる。今まで自由にやってきた選手はすごいストレスだったと思う。
ラモスは『オレは犬じゃねーんだ』ってブチ切れていましたから」
オフトは選手を管理し、個々に明確なタスクを与え、チーム戦術を守りながらプレーすることを要求した。
だが、ラモスを始め多くの選手がそのやり方に不満を覚え、オフトのサッカーに対して疑心暗鬼を募らせた。 「みんなは、この監督どうなんだ、どういうことをするのかって身構えていたし、オフトはこいつらどう反応するのかって、お互いに睨み合っている状態だった」
柱谷は、両者の緊張状態から一歩引いてチームを俯瞰していた。
監督からキャプテンを任された以上、監督が求めるサッカーをより早く理解し、それをチームにしっかりと落とし込んでいきたいと思っていたのだ。
それに集中できるチャンスがやってきた。
7月、日本代表はオランダ遠征に出発した。柱谷はケガのため試合に出場することはなかった。だが、ケガの巧妙で逆にオフトと話をする時間が増えた。
この時から柱谷はオフトに呼ばれ、清雲栄純コーチとともに3人でミーティングをするようになった。
オフトが好きなブラックジャックをやりながら、チーム内の状況などを説明し、試合ではベンチでオフトの横に座って実戦的な指示を聞きながら、戦術的な説明を受けた。
「この時、オフトの人間性、そしてサッカーについてだいぶ理解が深まりました。
オフトは、意外と懐が広くて、たとえばオランダで試合が終わったあと、クラブハウスでの歓談会でビールを飲むのを禁止しなかった。
横山(兼三/前監督)さんの時代は禁酒だったし、オフトも合宿では酒はNGだったので、なぜ今回はいいのかって聞いたら『これがオランダのスタイルだ』って。
『オランダの下町のクラブは試合後にビールを飲んでサポーターと話をして帰るんだ。こういうのも覚えておいたほうがいいぞ』って言うんです。
すべて管理ではなく、抜くところもあるんだなって、ちょっと意外なところが見えておもしろかった」
だが、ピッチ上では選手との摩擦が続いていた。
オランダ合宿は、8月に開催されるダイナスティカップ(現在のE−1サッカー選手権の前身)のための合宿だったが、チーム状態としてはまだまだだった。
オフトが言うスモールフィールドやトライアングルができておらず、またサイド攻撃を徹底したが、ラモスは中央突破にこだわり、オフトの言うことを聞かなかった。
オランダでは3試合が組まれたが、オフトの隣にいた柱谷は気が気でなかった。ラモスの奔放なプレーに指揮官が鬼の形相になり、タバコを吸う回数が増えた。
その姿を見て、ラモスよりもオフトが先に爆発するのではないかと本気で心配した。
「オフトはずっとワイドって言うけど、ラモスは相変わらず中央突破ばかり。トライアングルで崩せと言っているのにスクエアパスが出ると、『また出たぞ』ってもうめちゃくちゃ機嫌が悪くなる。
この時はラモスだけじゃなく、DFのラインコントロールがうまくいかず、『もっとコンパクトにしろ』と井原たちにも怒鳴っていた。
まあ井原はやろうとしてうまくできていないからまだいいけど、ラモスはオフトの言うことをまったくやろうとしない。
このままじゃ本当にマズイことになるって思いましたね」 webスポルティーバ
柱谷は、ラモスに何回も「中央突破だけじゃダメだ」と伝えたが、まったく言うことをきかなかった。
「ほんとに困って、これって自分の伝え方が悪いのかなっていろいろ考えました。
大学の恩師の授業でコーチング論があって、そこで学んだことを思い出してラモスにどう訴えればいいんだろうって、毎日考えていましたね」
柱谷は、中央突破を否定するのではなく、そのプレーを認めてラモスの自尊心を守り、許容範囲を広げていこうと考え、提案をした。
「ラモスさん、今8:2で中央突破じゃないですか。それを7:3にしませんか。中央突破がダメなわけじゃない。
でも、監督が言うように、点が取れていない中では外からの攻撃も必要だと思うんです」
柱谷の問いかけにラモスは、何も言わなかった。
ラモスは、まさか柱谷がそういうことを言ってくるとは思わなかったのだろう。それ以前、「なんでこんなサッカーしなきゃいけないんだ。
お前がオフトに言ってこい」と柱谷にイライラをぶつけていたのだ。自分の味方だと思っていた柱谷の要求にラモスは答えなかったが、柱谷はラモスの気持ちは理解できたという。
「ラモスは、王様なんでね。今までプロとしてやってきたし、ブラジルのサッカーにプライドを持っていた。
読売クラブでは監督よりも俺が一番だってやってきたから、オフトの命令に従うのは自分のプライドが許さなかったんだと思う。
でも俺は、そういう選手って大事だと思う。個性の強い選手が11人集まってひとつになったら、すごいチームになる。この時ラモスにお願いして、納得はしていないけど、理解はしてもらった。
でも、オフトは英語で、ラモスも英語が話せるから言い合ってしまう。それでまた元に戻るという繰り返しでしたね」
ダイナスティカップを前にチームは、徐々にまとまりつつあったが、いちばん影響力があるラモスだけはまだ違う方向を見ていた。
前回大会は1勝もできずに終わった。ぶざまな結果で終わるわけにはいかない。柱谷はもう一度、ラモスに話をしにいった。
大事な大会にゴタゴタしたまま臨むのは、キャプテンとしてできなかったからだ。
(つづく) 凍傷現役時代最大の見せ場は聖地ウェンブリーでの必殺パンチング >>2
>>4-5
お前らそれは兄の方で
哲二の方はおっぱいなんか揉んだことないぞ 長過ぎて読んでないが日本人ならJリーグカレーよりもお茶漬けだと思う 凍傷は日産のイメージがないな。
最初から薄汚れた緑のイメージだ この時代ってプロができて選手みんなカッコつけたよな。今の選手の方が好き 「ジャッダッジャッナイヨッ!!」は日本国民の方だよなw オフトがジャケットの袖を捲くっていた事が書いて無いのでダメ記事 >>3
こんな奴らばかりだったから、
この時代の選手でその後監督として大成できなかったようなやつばかりなんだよな
その中でちゃんとチームに合わせていた森保が結局リーグ監督、代表監督にまでなった
後はせいぜい長谷川健太くらいか
ラモスやら北澤やらこの柱谷やら、その他
みんな監督失敗、監督できないカスだったからな ウェンブリーでのイングランド戦で
シュートを手で掻き出してハンド一発退場 ラモスはファンサービスはイイけど、
マネージメントは一切出来ないからなぁ。
食い散らかすだけ食い散らかして責任を取らずに逃げる。
かりゆし→ヴェルディ→岐阜
みんのダメにした。
短期モノのビーチサッカーは一見良さげに見えるが、実際は周りのスタッフが優秀なだけで、他の人が監督わった方がイイ。 >>25
あのイングランド戦はビビったな
シェリンガムとかシアラーとかガスコインとかフルメンバーのイングランド相手にアウェーで勝ってもおかしくない試合した
イングランドには謎に相性良い日本 プロ化してカッコつけ勘違いばかりの時代。この時代の動画見るとみんなカッコマンで痛々しい とにかくボール触りたくてボランチの位置まで下がってくるカズ
「お前、そこまで下がるんなら俺なら思い切り削るよ?ファール取られたって痛くない位置だし」と納得させる凍傷 モンデタヨ山形の人じゃなくてモンデナイヨのほうか。 まーあの当時テクではラモスだけがずば抜けてたからシャーない
今の海外組が揃ってればラモスが王様なんて事は無かったろう 柱谷結構いろいろ考えてやってたんだな。イングランド戦のハンドの印象が強くて誤解してたよ。
こういう苦労話はもっと早く言えよ。 柱谷ってこの人ハリル下ろしのそれこそ柱みたいになって騒いでた人だよね
森保と同じで世界を知らない世代
正直あまり出しゃばらないでほしい人 ラモスが監督へぼかったように
ホンダなんかも似たようなタイプの輩だから、
監督なんぞやってもヘボだろうな
そういやベトナムだかなんかの監督も結果出せないし ドーハの悲劇なんて今や汚点でしかないのに
いつまでこんな話してるんだろうな
情けない この頃て代表の呼称は定着してたの?
全日本てイメージ。 結局、スイカップに挟んでもらったのかどうか、それだけを語ってくれ >>46
高木はオフトとバクスターに影響受けてるからな >>24
森保からするとドーハ組のキャラや個性があまりにも強すぎて、今の代表選手が大人し過ぎるように見えるのかも 巨乳を揉んだのが兄
牛乳を飲んだのが弟
間違えんなよ 何回同じ話してんだよ
おめーの時代の話に興味ねーわ
モンデタヨスイカップ >>32
不倫上京、性格ゴミで消えたが性格ゴミのままなんだろう。勘違いさせたな W杯に出れなかったのに偉そうにしている世代
頑張ったのはその下の世代からだろ 都並の代役は誰が良かったのかと今でも考える事があるわ
マリノスの平川が良かったんじゃないかと個人的には思ってる 大学の監督やっとったけど国見高校に負けてへんかった? ラモスって人は帰化しなかったらセレソン入るようなレベルだったの? >>65
早稲田の学生だった相馬が俺を選んでくれって
思ってたんだっけ このあと、ラモスに「代表を辞めてください」った言ったんだよな ワールドカップに出場した事ない時代って今思うと弱かったよなあ。なんならこの時代の代表選手達って人にもよるだろうけど今だったらJレベルな気がするわ2 >>28
試合後にガスコインが田坂の頭を笑顔でなでなでしてたシーンが忘れられない >>67
日本に来るまではディフェンスの選手だった。
ブラジルでは一番下手くそな奴がディフェンスやらされる。
ブラジルではそのくらいのレベルの選手。 ラモスって大したことないのに何であんなに自己評価高いの?
Jリーグ始まって本物のブラジル代表選手が来て、
ラモスのイモぶりが白日のもとにさらされていい気味だった。 昔テクニシャンって言われてた連中の映像を見ると
大抵ボールタッチの固さが目立つんだけど
ラモスは今見ても柔らかいから
やっぱりそれなりのもんだったんだと思うよ
https://www.youtube.com/watch?v=4KP-O23uPRk まあ当時の話を今も語るくらいなら、せめて1人だけでもヨーロッパへ指導メソッドや戦術の勉強に出て
例えばラングニック門下のコーチングスタッフに入って活動しているとかの立場になってもらいたかったね >>1
昔の読売クでこれをやっていたのが今に輝く松木安太郎氏だった >>64
アジア4.5枠なら出てただろうけどな。
2枠のままなら今も怪しいもんだ。 この時代のカッコマンの代表はあの三浦カズや!鈍足で大した技術があるわけでなし、
ワイは嫌いやった 何というかラモスは凄く闘ってるってのが目に見えたんだよね。精神論って言われたらそれまでだけど。だから見てて凄く格好良かったし。当時の日本のレベルは物凄く低かったけど、上に動画あるようにタッチも柔らかかったし、何より視野がとても広かった。 >>89
カズをCFとして使うしかなかった日本の限界感じる
ウイングで使えたら、当時はスピードでなく間で抜いてから勝負でもまだまだやれた時代だし
日本に今ぐらいの強さがあれば松井や中島ぐらいまでは行けたかもなぁ スイカップの人だっけ
揉んだだけなん?ひょっとしてやったの?不倫なの? >>93
当時は、揉んだだけよ山形、などとからかわれてたな
実際は揉んだだけじゃなくて、しゃぶったり挟んだりやりたい放題だったろうが >>89
金玉踊りの印象しかない。
ドーハで失ったものの大きさよ。 >>92
カズの全盛期はすげえ点取ったからウイングで使うなんてもったいない >>56
個性強いというよりちょっとしたことですぐカリカリしてただけじゃねーの
アジア予選程度でテンパってた連中なんだから >>3
食事の席と言えばドイツの時にも中田ヒデがいつも同じ席で食事して周りもあそこはヒデさんの席なんだと空気読んでたのに
追加召集で何も知らない茂庭が座って中田が不機嫌になったって話を思い出す 今の時代やったらこんな態度と個性を強調しすぎる輪を乱すマーベリックなヤツは淘汰されるんやろな
弱かったのはその癌細胞が跋扈してたからやろな知らんけど ブラジル人に日本の心の機微がわかる人っていままでいたか?
セルジオ越後、ラモス、釣男、三都主・・・みんな俺様土人じゃん
そういうことだよ >>92
ウイングなら福田の方が良い
腹さえ壊さなきゃスーパーだったよ >>104
性犯罪者が悪くないとかお前どうかしてる このスレ見ても勘違い散見されるし
スイカップの風評被害すごそうだなw まぁ何回も話してる内容だねw
ラモスにこれ以上不満ぶちまけるのなら代表外れてくれって言うんだよね この人もJ2の名物監督になれると思ったけどな。意外と(監督としての)寿命が短かった >>101
というか今なら司令塔タイプが全部仕切るみたいなサッカーは絶滅したからな
みんなが駒だから王様も産まれない >たとえばカズの隣にはいつも北澤(豪)がいて、毎回一緒なんですよ
北澤らしいって思った ラモスはブラジル時代はスイーパー、読売でFW→MFにポジションを移した
もし読売以外の実業団に所属してたら全く違う選手になってたのかな? >>74
今より弱い中国と互角レベルだし少なくとも今のJ1選抜よりは下だろうな >>105
ウイングなら福田はダメだろ
中央志向が強くてサイドのポジション守らないし >>74
当時のワールドカップ予選は今みたいにゆるゆるな枠じゃない >>114
ラモスの最上位互換がメッシってこと??
ラモスはイキリ散らす墨谷二中の谷口ってこと?? ドーハの悲劇の原因はラモスの不用意なパスミスから
武田はスケープゴートにされた まぁ、いろいろと時代だわな
欧州でプレッシングサッカーが広まる時期でも80年代のサッカーが色濃く残ってた時代だし
選手もアマチュアだし、考え方がまったく今とは違う 一部勘違いしてる奴がいるようだが
柱谷兄弟の弟の方だぞこれは。
スイカップは兄の方だぞw サッカーて代表もJリーグもこの頃がピークだったな
今じゃテレビから完全に消えたし
人気も実力も野球>>ラグビー>>マラソン>>水泳>>卓球>>バドミントンの次くらいだもんな 柱谷の方がラモスより年上と思って記事を見てたら、、、 >>127
この頃は全試合地上波でやってた野球も地上波から消滅したな 柱谷はカズのことは評価していないのな。ヴェルディ時代あんなに点取ってもらったのに >>127
この中でアジアで勝てないのはサッカーくらいだろうな >>131
野球は参加国6だからな
超マイナースポーツは羨ましいよ いつの時代も協会が監督だけに責任押し付け問題の選手をのさばらせるからな
まあ、選手守ってるというより自分たちの責任回避してるだけなんだろうが 福田のシュートをサウジのGKがセーブしてなけりゃ
余裕で通過してたはずだったのになぁ
デアイエに出会ったのが運のつき >>135
不満がある選手が反抗するだけならいいが必ず取り巻きを作って集団で対抗するからな
それが一度成功するとそれ見てた他の選手も従うようになって結局はそいつが王様になって今度は自分に反抗した選手を潰しにかかる
選手だから敗戦の責任取るわけでもないからな ドーハの時ディフェンス放棄で、すぐ横をドリブル突破されても
ほっつき歩いていたラモスを忘れない サッカーって指揮命令系統が機能不全だよね。選手がイキってて監督がそれに迎合するって。
野球じゃありえないんだが。 ラモスというより 読売vsその他の壁があったんだろうに
カズ、北澤、都並もくそワガママだった ラモスさんも、誰かさんの桜を見る会に思いっきり出ちゃったからなあ
晩節汚したね >>141
何の関係もないスレでアベガーするから嫌われる m9(´・ω・`) 選手時代の話はいいから、監督としてのミッションを語れよ凍傷w ラモスは日本サッカー発展の最大級の功労者だから免罪。よって武田が悪い オフトは柱谷だけは居てくれないと
って言ってたもんな >>135
ほんまやなありかとやで
いつの時代も少し実力のある表現者がのさばるんやな >>129
消えてへんで
消えたんは巨人戦だけやで こういう黎明期の話は面白いよな
野武士が侍集団になっていくというか 柱谷は確かウェンブリーで3試合やったとき(vsイングランド、スウェーデン、ブラジル)、
現地の評価が代表で一番高かったよ よくこんなカスメンバーでワールドカップ行こうとしてたね >>149
指揮命令系統は皆トップダウンだが?サッカーも監督を頂点にしたそれ。
なのに労組と経営者みたいになってるな。監督が指し手であり選手は駒にすぎない。
選手は意思を持ってはいけないし、それを監督は使ってはいけない。 >>156
サッカーがその瞬間ごとに監督から指示が出ているんかw
馬鹿すぎてw ドーハの悲劇
最後に足が届かなくてセンタリングあげさせたのはカズ(当時ヴェルディ所属)
その前に皆キープして時間稼いで欲しかったのに1人で攻め込んで味方が誰もいないPA内にセンタリングあげた武田(当時ヴェルディ所属)
中盤で持ち過ぎてボール取られてそのまま失点に繋がるCKになったラモス(当時ヴェルディ所属)
当時の代表の癌は何だったんだろうね… カズと北澤がフランスで切られた理由がなんとなく分かった >>163
90分の試合のワンプレーだけ取り上げるのは無理がある
まぁ武田は途中出場だったが・・・ 途中出場で酷かったのは福田のほうだしな
イラク戦でもサイドにいろと監督に言われてたはずなのに真ん中にばっかいたし
何もできなかった上に監督の指示すら無視
後年福田はオフトから「なんであのときあんなに調子が悪かったんだ」と訊ねられる始末だし 柱谷はキャラが立ってて感情的で見てて楽しかった
ゴール後に腕をブンブン回して破顔のランニング
あの頃は良かったわ 闘将柱谷哲二の監督としてのスタートは札幌。何試合かやってすぐ解任されちゃった ドーハの主力ってトップクラスの指導者いないし、解説も下手くそ。 >>170
それねw
選手にだけ責任を負わせる発言で柱谷もかなり批判された件 柱谷はラモスとかがいたから調整役に抜擢されてたけど本来なら自分も面倒起こすタイプ >>154
普通にカズとか井原の方が評価されてたぞ
柱谷なんか初戦で退場してるから試合数も少ないし >>162
フィジカルの足りない小野伸二みたいな感じ
テクはあったが借りに今の時代なら使い勝手悪い選手だろうな >>176
つうか当時の読売はラモスより使い勝手悪いテクニシャンが多すぎた
戸塚とか与那城とか 今のラモスじゃないぞ、全盛期のラモスだぞ
ちなみに北澤は無理だと思ってる >>171
今の代表監督がいるだろw
中身はともかく一応日本代表の監督までたどり着いたわけだからね
オフト監督の秘蔵っ子としてオフト監督に対しては忠実に動いていたからな
結局こういうのが指導者としても上に行ける で、ファルカンの時は反ファルカン派のオヤブンだった印象。
ファルカンの良し悪しは別にして。 >>154
イングランドは聖地ウェンブレーでバレーボールブロックをしたハシラタニの闘志を見習うべきって皮肉混じりに称賛されてたな
相馬がかなり評価されてたな チームを乱すような輩は
監督にはなれない
ラモスなんぞその後どこかの監督やったけど
全然ダメじゃねーか ワンプレーだけ切り取ればドーハの悲劇は武田より
ラモスのミスパスのせい、
カズがあっさりクロス上げさせたせいだが
そもそも中山の勝ち越しゴールはラモスのアシストで
さらに最終予選1分1敗だめだこりゃの状態から
3戦目の北朝鮮戦でラモスが無双した事で日本は息を吹き返した
カズは言わずもがな4ゴールでチーム得点王
でも武田はなんもしてないので
結果武田が悪い、となる >>183
相馬はブラジル戦で再三良いクロス上げてたな
対面が鹿島チームメイトのジョルジョーニョだった >>187
ゴンがGKに当てて決まらなかったけど1点もののクロス出したのも確か相馬だったと思う この話何度もしてるけどどう考えても監督に従わないラモスが悪い、としか思えんのだが >>179
それは哲二じゃなく幸一 (´・ω・`) こういうキャプテンが苦しい状況の中で大ベテランの松永成立は機能しないのか? 当時のウルトラスの応援歌が
ハイル!ハイル!松永成立!
ハイル!ハイル!松永成立!
だったけどよく通ったな アイコンタクトから教えないといけない代表チームってすごいよなあ
オフトが来るまではどうやって意思疎通してたんだろ >>99
日本が敗退したとしてもセントラル方式で6チーム中2チーム突破ってヒリヒリした予選見たいねぇ。 >>90
ラモスは絶対に跳ね返りのヘディングにせらなかった。
ラモスのこだわりだろうな。
それより、ダイナスティ初優勝、アジア杯初優勝を見た人は
ネットには残ってないな。
イングランド戦から見た口だな >>120
なんで、谷口くんが、www
いきりちらす谷口くんてもっと想像できんが。 今どきドーハがなんたらいってんのは
尿漏れ禿頭爺ぐれえだろ ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜の頃の代表は下手だけどひたむきで最高だったよ
二度とあんなに熱くなれることはないだろうな >>94
裏山C
今ならやべーよね?当時は大丈夫やったの? >>200
ほんとそれ
ドーハの以前で決まっていた。 ヴェルディでもろくに蹴っていないのに何故かダイナスティカップ決勝のPKを蹴らせたのが
未だに理解できん 勝ったからいいけど負けたら戦犯だったろうな >>185
誰が悪かったのは言うべきじゃないな
あの予選で得られた教訓は
・突破が決まるまでモチベーションキープしろ(韓国に勝ったくらいで泣くなよ)
・試合の終了間際はカッコ悪くても時間稼ぎしろ
当時の日本代表はそこまでのレベルに無かった・・・サッカーの歴史も含めて経験不足
近年の代表はこの部分に関しては過去から学んでる うまい回答だ
当時、ダイナスティ1992はテレビ中継がなかった。
ラモスは全試合、途中出場だった。 Jリーグ始まった時点でラモス35とかだろ。
もうだいぶ落ちてたんだろうな。 この話何度もしているけど単にレベルの低いチームが予選敗退しただけで
ドーハの悲劇でも何でもないからな
最終予選で審判務めたヨーロッパ人が
限りなく3部リーグに近い2部レベルのチームだって言ってたくらいだし
2-1の時のイラク戦なんかボールを跳ね返すだけの体育のサッカーかって思うくらい位
アマチュアレベルのチームだった あの予選のターニングポイントはイラク戦のロスタイム同点弾ではなく
イラン戦の負け試合だったな
開始早々からイランは司令塔のラモスを厳しく削りにきた
ビビッたラモスは試合中終始腰が引けミジメな姿だった
しかし試合後下を向くチームメイトに「冗談じゃないよー! これからが勝負だろー」と一人意気軒高だった >>181
たしかにオフト監督の指示をよく守り忠実に動いて
ウイングとして理想的なプレーしてた長谷川健太も
指導者として成功してるな この時代戦術ないよ
基本根性論
オフトが戦術っぽいこと身に付けさせようとはしてたけど >>191
老け顔なだけで柱谷と2つしか変わらんぞ >>191
松永成立はあの顔とあの声だから
日産で金田や水沼や木村に虐められてたらしいね
そういう人間にリーダーシップは期待できないだろ >>213
和司はFKの練習にキーパー付き合わせて晩飯賭けたりしてたらしいけど松永じゃないのかな 今の時代に全盛期ラモスが来ても特にテクニシャンとも呼ばれないだろうな
J1のチームで出番あるか?走れないから無理だろ ラモスや闘莉王ばかりじゃ機能しないけどチームに一人は必要 柱谷の牛乳のCM
最後口から牛乳がこぼれてるんだよな >>162
ラモスがボールを持った瞬間
まるでモーゼの十戒のように道が開け
あれよあれよのドリブル、シュート
最後はたまにループなんかしたら
リネカー「ミスキックだね」
そんな感じw >>79
凄まじいの一言だな
まあブラジル人なんだけど
今でもこれより上手い日本人プレーヤーはいない
フィジカル紙だしドーハの頃はすでに三十半ばで
慢性の怪我持ちだから今代表にいても使い道ないだろうけど
でも上手いわ、特に一対一でもチーム全体の動きでも
機の図りかたがずば抜けてる >>152
いやいや、北海道、東北、東海、関西、広島、九州集めたら関東ローカルなんか遥かに凌ぐわ
それぞの地域で年100試合ぐらいは放送されてるやろう >>152
いやいや、北海道、東北、東海、関西、広島、九州集めたら関東ローカルなんか遥かに凌ぐわ
それぞれ年間100試合ぐらいは放送されてるやろう >>201
中田がキープ まだ持っている
ドリブルで上がる
左足っ!! どうかっ??
こぼれている!!(ヤッター\(^o^)/)
岡野っ!! 最後は!! 岡野!!
日本!! 勝ったー!!
日本、、勝ったー!!
日本、、ワールドカップ!!
ヤッター\(^o^)/
ヤッター\(^o^)/ >>211
オフトが監督になった頃って
スポーツ新聞にアイコンタクトがもの凄い先述のように書かれてた頃だからねえ >>2
>>13
モンデナイヨ哲二
モンデタヨ幸一
ってことか
わかりにくいな >>79
日本に来た当初はめちゃくちゃ下手だったんだってな。あんな下手なブラジル人いるのかと記者がみんな思っていた。
でも何故か日本でうまくなり日本代表の司令塔になった。 >>208
まぁこのインタビュー見るだけで、この頃の日本代表なんて戦術的には今の高校サッカー以下な感じがわかるからなw >>227
ブラジルじゃDFだったのに、なぜか日本で期待されたのは点取り屋だからねw >>28
懐かしいなー日本代表が強豪国相手で初めて楽しい試合だった >>167
堀池にテレビで文句言われてたの笑った
自分も同じファウルするくせに人にやられると怒鳴るって笑 >>229
世界レベルで見ても
前線の選手は守備なんかせず個人技頼り
全体でのプレスもゆるゆるで間延びして
もう少し時代を遡ればGKはバックパスを手で取れたし
戦術的には今の高校サッカーの方が上かもしれんね。 闘将柱谷と違い井原は優しいキャプテンシーと周りから評されてたな
それきいたとき優しいキャプテンシーってダメじゃんって思った ドーハのイラク戦はものすごい雰囲気だったのがテレビから伝わってきたな
同点に追いつかれた時は倒れ込んだ思い出
ジョホールバルを経ての98年までは国民総出で応援してたと言っても過言でないレベルだったな
オフトジャパンは日本代表躍進の黎明期だったね
でも実際はトライアングルもまともに出来てなかった おっぱい揉んだ事のない男なんているのかよ
男は全員モンデルヨ >>236
井原は俺より汚いプレイスタイルなのに優男風だから笛が鳴らないとテツが言ってたな >>215
総合的なテクだけなら明らかにイニエスタより上だけどな
スピードもかなりあるし >>240
宮本も井原はああ見えてすごい汚いプレイすると言ってたな
わざと足踏んできて
「おっとごめんよ」的な感じらしい
見た目爽やか系だから福西系統かな ラモスにはそんなこと言ったのに
札幌の監督のときはロブソンにひどいこといったよね ラモス瑠偉プレー集
https://youtu.be/4KP-O23uPRk
プレス強度が低いとしても巧すぎるわ >>165
ラモスは北澤出してくれって言ったんだろう
余計なこと言わなきゃオフトは武田なんか出さなかっただろうに >>208
アジア枠が2だった時代の話だし、アジア予選突破した韓国とサウジはそこそこ健闘してる
日本が本大会行っても、そこそこ戦えたんじゃね?
アジアや世界の中での相対的な位置は、昔も今も大して変わらんと思う
戦術や技術はどんどん進歩しているから、そこだけ見てレベルが低いってのは違うわな あの頃はアジアでギリギリの戦いしてたから予選が面白かった >>246
戦術や技術の位置付けはそうかもしれないけど
暑さに弱い日本じゃアメリカ大会に出場しても
ドイツ大会やブラジル大会みたいに大した成績は残せなかったと思う >>249
ベテラン揃いのドイツが暑さに参ってたな
まあ、ラモスは動けなかったろう 万が一アメリカ94に出場できてたらラモス外されて物議を醸してたかもしれんな
10番は磯貝か澤登だっただろうな 94年W杯は予選で日本と引き分けたサウジアラビアがベルギーモロッコオランダという組で2位通過で決勝トーナメント
日本が勝った韓国はスペインに引き分けてボリビアに引き分けてドイツ相手に3対2の善戦で惨敗
単純にこの結果だけ見たら日本が出てたら結構やれてたんじゃないかと
考えてしまうね
カズも高木も福田も全盛期だったしな 初めて守備的MFの存在がクローズアップされたのもこの代表だったな
ボールを拾ったらラモスに預けるだけの森保がやたらもてはやされてた 兄がレッズ、弟がヴェルディの時は赤いきつねと緑のきつねだったな >>162
要領のいいヤットさん(笑)
フィールド全体を俯瞰して、試合展開を読んで決定的なパスを出すのが上手かった
今ならピルロみたいな攻撃的ボランチになるだろうな
あと、普段は守備をサボっているんだけど、決定的にヤバい局面だけは全速力で守備に戻って防いでいたから、
観客的には守備を頑張っているようにみえる(笑) 95年のダイナスティカップでアルゼンチンにフルボッコにされてたけど
アレが「ドーハの悲劇無しでW杯に出たとしたら・・・・・」の現実だよな。 >>258
あ、悪い、ダイナスティじゃなくてインターコンチネンタルだった。 インターコンチネンタルカップじゃなかった?
あれは加茂さんがチーム立ち上げた直後でぶっつけ本番みたいなチームだったから。 あの当時のオフトは日本にとって最高の監督、サッカー伝道師だったな。近代的なサッカーを確立した
オランダ出身で、しかもスリーライン、トライアングル、スモールフィールド、とわかりやすく
かみ砕いて戦術という概念を教えた。
マツダの監督をしてたから当時無名の森保をディフェンシブハーフとして発掘し、ワイパーとして育てた。
当時無名の高木琢也もポストプレーという役割でFWに抜擢、中山もスーパーサブという役割で準レギュラー、
中盤をやりたがっていたカズをFWで起用した。最終予選が完全アウエーの砂漠で一発セントラル開催という
今なら信じられない悪条件で無ければ、余裕でW杯に行けた。最後の選手交代を武田ではなく、絶好調だった
北澤を起用してたらポゼッションを挽回出来て逃げ切れていただけにそこだけが悔やまれる >>30
柱谷ってただ怒鳴ってるイメージだったけど
優秀だったんだな >>48
リアルタイム知ってたらその言葉は言えないと思う。ドーハとジョホールバルは日本サッカー史に永遠に残る >>255
ボールを拾ったらラモスに預けるだけの森保が出場停止でラモスが中盤の底に入って代わりに北澤が出てた韓国戦が一番内容良かったんだよな
北澤はラモスのパスの受け手になれるし運動量も多い
森保の出場停止が明けのイラク戦でも森保ではなく北澤をスタメンで使うべきだった >>78
リネカーがラモスのプレーにびっくりしたのは有名な話 >>101
今ラモスいたらネットでメチャクチャ叩かれるだろうな。でも、ラモスも負けなそう >>201
ベルギー戦みたいな試合たくさんしてくれれば熱くなれるかな >>237
ドーハはスタジオのアナウンサーがマジ泣きしてたからな。もうあんなのないだろな >>248
今の予餞、ホントつまんねーもんな
枠2に戻して欲しい >>273
予選突破するかどうかとか
そんなのでドキドキしたいの?
そんなレベルじゃ本大会では何の期待もできないんだけど て・つ・じ
オー てつーじ
は・し・らーたにーてつぅじぃー
だっけ? >>67
ブラジル時代のカリオカはアマチュア選手 プロになったのは読売に入団後
日本の草サッカーから高レベルのテクニックがある選手になった。 サッポコの監督就任会見で「僕はじゃいけんでも負けるの嫌いなので優勝を狙います!」つったときの会場がザワザワしてる様子が忘れられない
ホントカイジ張りにザワザワしてた
ところがどっこい‥ あれが現実です‥
暗黒蹴球目示録テツジ >>63
だよな
最近のアホって自分の知らない頃の話されるとすぐイライラし出すよな
何なんだろうな、狭いなぁ >>274
もし今でも当時と同じ条件(2枠・中東でセントラル開催)
なら、加茂、ジーコ、オシム、ザック、ハリルの内の半分
以上は予選落ちしてるよ。W杯6大会連続出場は日本が強く
なったんじゃなくて、予選が緩くなっただけなんだよ オフトの前の代表戦の映像見てみろよ
絶対に笑うぞ、おまえら
「人がいないところにボール蹴ってそこに走り込む」ってのが「スルーパスだ!」とか言ってとんでもない高等テクニック扱い。
直接FKでゴール決めるとかもはや神プレー扱いwww
今なら高校生でもやってるわ 先月静岡サッカーレジェンドマッチに出てた
60歳超えてるのにあの中で一番動いてたラモちゃん >>284
「人がいないところにボール蹴ってそこに走らせる」のは中田英寿のキラーパスじゃないか >>261
93年当時は中東の発言力が圧倒的で最終予選がアウェイ中東ドーハ集中開催なんておかしなレギュレーションだったからな
当時も今も日本はホームで圧倒的に強く、中東アウェイはあまり得意ではないから、
ホーム&アウェイなら余裕でアメリカ行けたよ
アウェイ中東集中開催になれない福田が体調崩して使い物にならなかったからな(笑)
他にも都並が怪我、高木森保も不調な中で、オフトは中山や長谷川勝矢に北澤らを上手く使って頑張った
それだけに最終イラク戦で絶好調の北澤を外して愛弟子森保にこだわったのが惜しまれる
森保はいい人なんだが、試合後に北澤に、僕が出ちゃってゴメンって謝っちゃう豆腐メンタルだからな(笑) >>288
福田の最終予選絶不調が効いたなぁ...
最終予選前のJ始まる前の福田はホントキレキレだったから >>289
Jリーグでレッズが断トツ最下位で自身も絶不調だった福田は代表入りさせるべきではなかったけどね
あと怪我で出れないのに22人の中に入ってた都並も 福田はあのオレオレキャラのくせにナイーブだったからな(笑)
ドーハで体調崩してどうしようもなかった
代役長谷川は重戦車ドリブルでよくやったけど、
福田みたいなチャンスメイクと決定力をあわせ持つタイプではなかったからな
左のカズと右の福田の突破からの崩しがオフトジャパンの生命線だったから、
福田が欠けて攻撃が左に偏り過ぎた
ただ、長谷川は代役として頑張った >>287
走っても追いつかないところに味方を走らせて疲労困憊させるのがキラーパス >>245
オフトの経験の無さとラモスとの確執が大事なとこで出ちゃったよね
福田と武田はほんと意味不明だった >>256
レッズ好きだったから役立たずで腹立ってたわ
加茂は黒歴史レベルやったな
前園と心中 >>242
井原はカニバサミ多用しててエグかったぞ
TVCMに起用されて爽やかにしてたけどw 25歳当時のスイカップとのセックスは羨ましかったなぁ >>268
あの韓国戦の北澤は無双すぎた
全盛期のダービッツみたいだった
俺も福田がJ始まる前くらいの調子だったらな〜ってずっと思ってたよ
あと世代変わるけど鳴り物入りのロペスも予選ではいまいちやったな〜 >>273
あの時は2チームしかいけないんだぞw
いまでもそのままだったら98年フランスと2010南アフリカは
確実にワールドカップにいけてないな 今でもそうだけどヴェルディーは伝統的にとんがった選手をとんがったまま育て上げちゃうからな
物わかりの良すぎる優等生タイプばかりじゃ強くならないと思うけど、もう少し協調性も育てろよって思う 何よりキレ切れだった不動の左サイドバック都並が壊れたのがデカかったし変わりは見つからなかったな
勝矢は攻撃面で物足りなかったし >>17
結局それだよな。柱谷にも言われるとかどんだけ性格悪いんだって思うわ。 >>305
でもラモス抜きじゃあそこまでのチームにはならなかった
闘莉王もそうだったが劣勢になっても絶対負けないという強い心でチームをけん引できる選手がいるのは大きい 勝矢じゃ攻撃は期待できないもんね
今思うと都並福田無しで当初のプラン破綻してたんだな
そう言えば当時のレギュラー1部覚えてないや >>305
後方からボール受け取って振り向いてスペースに的確にパス送れる選手はラモスしかいなかったじゃん。
ラモスいないと試合にならない。
今見ると信じられないくらいレベルが低い。 >>306
同意だけどイラン戦で削られてビビってプレーおかしくなったって選手間でも言われてたので必ずしもそうだったかはわからなくなったな俺は 北朝鮮戦からは高木と三浦泰諦めて長谷川健太と中山投入の433にしたからセカンドプランの用意はしてた
言われるほど選手層や戦術が無かった訳でもない カズ 高木
福田
ラモス 吉田
森保
都並 井原 柱谷 堀池
松永
こ スタメン3人高木、福田が全然ダメ、都並は故障でよく最後までやれたよな >>313
こうして見るとカズとラモスとアマ9人っていうチームでよくやってたな >>313
吉田は左
当時のテレビ放送でも左ウイングの吉田って紹介されてた 沢登いたけどイマイチだった
大学生の藤田俊哉と相馬直樹を招集しとくべきだった 今考えると理想的なチームかもね
監督もよく纏めたしキャプテンも頑張ったし いつからラモスって呼び捨てにするようになったんだ哲二は? ラモスは外したほうが良かったのかもな。
まるで聖域みたいになってた。
その後のカズもだけど。
ラモスがベンチでもいいという選手なら問題ないんだけど、そうじゃないのがな。
1995になってもラモス使ってたのはホント今思えば異様だったわ ラモスってマジで糞だからな
ブラジル人てだけで日本人を見下して命令無視とかアホかと ずっとラモス中心でやってW杯最終予選の頃にはラオスからの中央突破のパターンは
読まれてたんだよな
ラモスが悪いわけがないけど頼り過ぎた オフトと柱谷は浦和で監督コーチの関係だったから、この件はとっくに終わった事だろうな、当人達の間では ほんとアマチュアだよなこの年代
ラモスもそうだし。 皆兄貴とごっちゃにし過ぎw
選手としては弟のが上なのに >>296
加茂は、前園の代わりに中田を呼んで即起用してから
完全に中田に切り替えたから、心中したのはカズだな
最終予選途中から完全に不調だったのに、頑なに変えなかった >>330
加茂さんは無能かもしれないけど浪花節のいい人だったな〜
カズと心中しただけじゃなくて、アフターケアまでしたからな
代表落ちでクロアチアをさ迷っていたカズに、
お前に点の取り方思い出させてやるって言って京都に読んで復活させたからな〜
カズがボスと慕う監督が加茂さんと横山さん
numberのカズへの手紙に詳しく出ていた >>321
とは言っても、ラモスがベンチのほうが
つよかったという噂 あの時の中田の事を考えたら今のカズへの擦り寄りが信じられんな。まあ、FKを奪って宇宙開発したカズも悪かった それまではカズの方が立場が上だったけど、イラン戦で完全に入れ替わったからな 森保がイエローカード2枚かなにかで出場できなかった
韓国戦のボランチ・ラモスはいひょうをついた
中盤守備ではラモスが一番個の力があった >>312
なんか思い出してきた
三浦泰年出てたね
高木もダメだったなー
セルジオ越後に敵のDFとか言われてた
長谷川健太はイラク戦の先制ゴールの起点だったね
>>313
最終予選前まではこんな感じだったね >>330
言われてみればそうだ
カズはウズベキスタン戦が最後の輝きだったね
>>331
人間としては悪い印象無いけど監督としてはビビりなんだよね
>>335
あの試合が日本ベストバウトだったね >>333
カズとヒデは1997年最終予選の頃から一緒に飲みに行く仲
ただし、足下にボール欲しがるカズロペスのブラジル派と、スペースに走らすキラーパスのヒデはサッカー観は真逆だがな >>6
なら書き込むな
お前ほど誰も興味ない存在はいないんだから >>290
福田のドリブルはアジアの下位から上位に渡る、ある一線で
限界を超えたのだろう 面倒な読売の選手ってラモスとカズでしょ。
サッカー界のガンだな。 なんだかんだ言ってもあの頃の代表はラモスが頭抜けてテクニックがあったしリズムを変えられた >>313
92'ダイナスティカップ、92'アジアカップ、93のワールドカップ一次予選の中盤ダイヤモンド型にした基本的な布陣だな
>>316
吉田光範は左利きだから左サイドに入ってそうなイメージだが、当時の日本はカズ、ラモス、都並のヴェルディトライアングルの左サイドからの攻撃が武器だったから、
この3人が揃ってる場合はこの配置。吉田は右に入った >>344
カズーラモスー都並のトライアングル懐かしいな
日本お得意の左でつくって右で仕留めるパターンはこれが原点
ただ、オフトの時代はフィニッシャーが足りなかったから、実際にはカズがチャンスメイクとフィニッシャーの両方を兼ねていたな
ザックの頃の長友やヤットさんが左でつくってホンダさんや香川岡崎らが決めるパターンも良かったな >>343
カリオカが持っていた試合全体を俯瞰して、ゲームの流れを読んでリズムを操るゲームメイクってなかなかできる人がいないんだよな〜
日本人って基本生真面目過ぎるから、上手い選手でもだいたい一本調子の単調なゲームメイクになりがち
カリオカみたいなタイプって自分はヤットさんくらいしか知らん
ヤットさんもかなりアバウトでいい加減なキャラだからこそ、
適度に遊びが入ったゲームメイクができるんだよな〜 ラモスのでてる試合とかプレー集とか
見てると上手いけどマジで守備せず動かない
し攻撃も危ないときは逃げるパスばっか
で全く闘うタイプではないな
怒鳴ってるから闘将みたいに言われてるけど
プレースタイルだけ見たら単なる地蔵だわ
他のやつら非難できないぞこれ
まだ中田、小野、本田あたりのほうが闘ってたし守備もしてた >>344
吉田は韓国戦は左サイドから決勝点に繋がるクロス入れてたけどね
ラモスがポジション守らず自由気ままに動くからバランスとるために右にいることが多かっただけで
オフトが考えてた基本ポジションは左利きだしやっぱり左だったと思う >>352
あの試合は森保が不在で、試合中吉田は左サイド、北澤が右サイドに寄っていた
ラモスは他の試合に比べて中盤の底にポジションを取る時間が多かった
吉田の右サイドの起用は1次予選の北澤の負傷辞退により、その穴埋めを担ったことがきっかけ
最終予選の3戦目で長谷川健太を起用して3トップにしてボランチも森保1人だったのを森保と吉田の2人にしたことで安定した
吉田は好守の切り替えが速くてポジショニングも的確だった ぶっちゃけベルディーの監督やってた松木安太郎だったらラモスもまとめられてたかもな >>354
カズ、ラモス、北澤、武田、柱谷と代表で我が強い連中だらけで
ラモスや加藤久みたいに選手生活を共にした年上がいて
若いのも石塚みたいなので、松木の心労は凄かったと思う 吉田は横山ジャパンからの生き残りで横山の時は352の左アウトサイドWBとして使われてた
いろいろポジション経験してて戦術理解は高かったな >>356
規律を重視するみたいな事言ったら最初から反発されてたね笑 >>303
ヴェルディは読売クラブ時代からプロ志向のチームだったわけだけど
J創設で他チームがいい意味でプロっぽくなった時点で用済みみたいになった ジーコを招聘してそのイズムを正しく承継した鹿島が正統派のプロ集団になって行ったからな >>240
あの当時一番見た目で得をしてたのは堀池
堀池はJリーグで汚いプレイしてるのになぜか警告もほとんど貰ってなかった
井原堀池も国際試合では見た目爽やかさが審判に通じないから柱谷の存在感が際立ってたな
堀池はイラク戦では一対一がメチャクチャ弱くて完全に穴になってたし >>353
そこまでいうなら92'ダイナスティカップ、92'アジアカップ、93のワールドカップ一次予選の中盤ダイヤモンド型の北澤がいないときは吉田が右でいいよ
吉田はラモスを中盤でを下支えしてた印象しかないし名波がボランチに下がった時に吉田と同じ場所だなとか思ったくらいで >>361
堀池はオフト以降は代表全く声かからなかったな
いまいち何が魅力の選手かずっとわからんかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています