津野浩、西崎幸広、松浦宏明、河野博文、金石昭人、島崎毅、下柳剛、岩本勉&グロス「パ・リーグ黄金時代。日本ハム90年代の投手陣」
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プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。
トレンディー・エースvs.原人のゲンちゃん
かつては「人気のセ、実力のパ」と言われていた。パ・リーグを揶揄した言葉ではない。だが、実力はあっても人気が伴わないのは、パ・リーグの実情でもあった。
ただ、それも1980年代に入ってから、じわじわと傾向が変わってくる。
西武の渡辺久信に南海の加藤伸一、そして日本ハムの津野浩が、当時の若者らしいファッションと甘いマスクの“19歳トリオ”として人気を集めたのが84年。
近鉄の阿波野秀幸とともに、日本ハムの西崎幸広が“トレンディー・エース”と騒がれたのは87年のことだった。
渡辺がいた西武は黄金時代を謳歌し、阿波野の近鉄も88年、いわゆる“10.19”で注目を集め、翌89年にリーグ制覇。
90年代に入ると近鉄の野茂英雄、オリックスのイチローら破格の男たちが活躍し、人気と実力を兼ね備えるようになっていく。低迷を続けた南海はダイエーとなったが、99年に初の日本一。
“10.19”でヒールとなったロッテも千葉へ移転し、じわじわとファンを獲得していった。
まさに“パ・リーグ黄金時代”。そんな中、優勝とは無縁で、移転などのエポックもなかった“東京”日本ハムたが、やけに元気だった印象がある。
温暖なイメージを喚起する明るいオレンジ色のユニフォームだけで、そう見えていたわけではないだろう。
右腕の津野は2度の2ケタ勝利を残して広島へ移籍。1年目の87年に15勝を挙げた同じく右腕の西崎は、
翌88年にも15勝で最多勝に輝くなど、5年連続を含む7度の2ケタ勝利、移籍した西武でもクローザーとして活躍を続けた。
その88年に西崎、そして西武の渡辺と最多勝を分け合ったのが松浦宏明。
87年には救援のマウンドに立つとチームが逆転勝利を収めることが続いて“逆転のマツ”と呼ばれ、
迎えた88年に先発へ回ってのタイトルだった。ドラフト外の投手としては初の快挙でもある。
その88年に入団した右腕の武田一浩については、すでに紹介した。
同じく88年に防御率2.38で最優秀防御率に輝いたのが河野博文だ。
武田と同じくドラフト1位で、武田の3年前となる85年に入団した左腕。
「原人に似ている」と“ゲンちゃん”と呼ばれるなど、甘いマスクやトレンディーとは一線を画したナイスガイで、アキレス腱を断裂した90年にはリハビリに専念できるよう任意引退とされ、
それをクビと勘違いして失意の失踪、大騒ぎになったこともあった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191216-00000007-baseballo-base
12/16(月) 11:05配信 >>235
その年の日シリで、その鹿取とルーキー潮崎のWストッパー擁する西武に4タテ食らったのは皮肉だったな >>236
西武ファンだが、ローテ崩して本調子じゃないエース当てて来たからラッキーだったよw >>237
津野は桑田からホームラン打ったんだっけ。高知商に打ち込まれたから
池田の蔦監督はちょっと桑田を甘く見てたかもしれんな >>242
世間も池田が中京に勝った瞬間にもう池田の夏春夏3連覇は決まった、て空気だったな >>57
強いところに勝てなくて雑魚から稼いだだけか >>242
津野はその前の試合で吉井から満塁本塁打だね
PLとの試合でも打ってるけど、その時は桑田じゃなくて3年の加藤だっけ?に替わってたはず 話し変わるけど昭和57年〜60年頃まで後楽園の内野外野境目(巨人戦ならD指定席)で応援していた野村団長のこと誰か知ってますか?
自分は「ガイコツおじさん」と呼んでいたけど、とても優しいおじさんだったな。 >>226
最後の年は2000本打った後も出し続けてたらレギュラー定着してそうなくらい打ってはいたけどね
まぁ2000本打つ前に少し産みの苦しみで足踏みしたけど。 >>189
1988年の貧打は異常
イースラーが3割、田中幸雄大島康徳が.270を超えた
以外は軒並み.250に届かない低打率
レフトを争う岡持和彦と二村忠美は打率1割台
翌1989年はブリューワの復帰で打線はやや上向いた
ものの防御率は急激に悪化
打率防御率リーグ最下位のダイエーの後塵を拝する
無様な結果に >>98
何故かなかなか実現しなかったが初対決は阿波野が投げ勝った
西崎はブライアントにホームラン打たれた
TV中継がなかったからラジオ聞いてた >>196
大ベテランの大島康徳が不動のレギュラー(大島より
好成績の選手がほとんど居ない)になっちゃうレベル
だもん
まあ広瀬哲朗をドラ1指名しちゃうセンスだもんなあ・・・ >>249
そのイースラーもブリューワとデイエットがダメで急遽補強した選手だからねえ
89年にブリューワが復活したと思ったら、今度はイースラーがダメだったw >>211
中4日で投げまくるタイプだからね
登板機会が多いので勝ち星もついてくる
233イニングとか今投げるピッチャー居ないでしょ なんもかんも間違ってるww
パリーグの黄金時代は「今」なんだよww
セカンドリーグの身内が書いたのか?w >>254
「セ」カンドリーグと「パ」ーフェクトリーグ。
プロ野球板の交流戦スレで生まれた言葉だけど名言だな
これを最初に考えた奴は天才だと思う。
そしてこれが現実となった >>100
天井スピーカー直撃弾打たれたのは角盈男じゃなかったか? >>218
片岡篤史が絶不調に陥ってたし誇張抜きにコユキさん
しか居ない状態
13年間2軍でくすぶってた渡辺浩司を大抜擢するという
話題もあった >>252
イースラーは2年目も打率は悪くないけどああ怪我が
多いとねえ >>222
津野は確かに若いころからへろへろ球の印象だけど、
オールスター戦で一度、
「なんだ、津野ってこんな球も投げられるんだ。。。」
てな感想を抱いてしまうような勢いのある球を
投げて見せたことがあったな。 大島、監督時代の抗議で、よくもあんなにアゴ開くなと驚くぐらい口開けてたのが面白かったなあ。
先日のなんかのバラエティで、欠陥住宅に住んでて悲惨だったけど。 >>236
野球教室っていう番組を日曜午前10時くらいに当時日テレで毎週やっていて、高橋
直樹さんが他の出演者と秘密の作戦会議みたいな形でパリーグ各球団がどうやった
らライオンズの独走を止められるか本格的なドラマ仕立てで(特命リサーチのような)
演じてた回がとても面白かったのを思い出した。 >>264
落合引退、西浦終了ですっぽり空いたファーストにカッスさんがハマったんだから結果オーライってことで
サンキュー!カッス! 日本ハムで唯一印象に残ってるのは矢作の帽子のサイズのデカさだな
広瀬かだれかが矢作ヘルメットかぶったら顔がスッポリ入ってたもんな >>229
この年だったかなぁ
契約更改の記者会見で、西崎がセカンドバック放り出したり、
武田が俺もう中継ぎやんね〜
と毒づいたときはw ハムのファンなんて俺ぐらいだったから
語れる相手が居なかったな 89年組すごいよな
佐々岡、与田、古田、新庄、大魔人、野茂、小宮山
濃すぎだろw >>271
5位の新庄入れるなら、近鉄石井、広島前田とかもいる ハムで在日って岩本、森本、金石、小笠原、
思いつくのこんなもんだがあといたっけ? 日ハム投手黄金期は80年代前半
木田勇、間柴、岡部、工藤幹夫、高橋里志 グロスってほっぺたが飴玉舐めてんのか?ってくらい
不自然に膨らんでたよね。
テンポ早くて、とにかく試合が早く終わる。
西崎がノーノーやった試合の次かなんかに
90球くらいで1安打完封してたな。
あれ試合時間の最短記録とかじゃなかったっけ? 全盛期の西崎はいい投手だった
ピッチングフォームが綺麗で何気に守備もうまかった >>125
ロングおじさんに似てた!
…これ知ってるのは元少年ファイターズ会員で…
今北海道日本ハム自体にはちょっと冷めてて、でもやっぱ日ハム好きっていうコヤジ奈良原≠謔阡N齢上下3歳位の親父。 厚沢は一軍通算0勝なのに、なんで一軍のコーチやれてんの?
選手もアドバイス求める気にならんだろ >>284
オレ的・史上最も美しい投球フォーム
1位 阿波野
2位 西崎
3位以下は離れてる。 近鉄の佐々木修のアンダースローのフォームが好きだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています