津野浩、西崎幸広、松浦宏明、河野博文、金石昭人、島崎毅、下柳剛、岩本勉&グロス「パ・リーグ黄金時代。日本ハム90年代の投手陣」
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プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。
トレンディー・エースvs.原人のゲンちゃん
かつては「人気のセ、実力のパ」と言われていた。パ・リーグを揶揄した言葉ではない。だが、実力はあっても人気が伴わないのは、パ・リーグの実情でもあった。
ただ、それも1980年代に入ってから、じわじわと傾向が変わってくる。
西武の渡辺久信に南海の加藤伸一、そして日本ハムの津野浩が、当時の若者らしいファッションと甘いマスクの“19歳トリオ”として人気を集めたのが84年。
近鉄の阿波野秀幸とともに、日本ハムの西崎幸広が“トレンディー・エース”と騒がれたのは87年のことだった。
渡辺がいた西武は黄金時代を謳歌し、阿波野の近鉄も88年、いわゆる“10.19”で注目を集め、翌89年にリーグ制覇。
90年代に入ると近鉄の野茂英雄、オリックスのイチローら破格の男たちが活躍し、人気と実力を兼ね備えるようになっていく。低迷を続けた南海はダイエーとなったが、99年に初の日本一。
“10.19”でヒールとなったロッテも千葉へ移転し、じわじわとファンを獲得していった。
まさに“パ・リーグ黄金時代”。そんな中、優勝とは無縁で、移転などのエポックもなかった“東京”日本ハムたが、やけに元気だった印象がある。
温暖なイメージを喚起する明るいオレンジ色のユニフォームだけで、そう見えていたわけではないだろう。
右腕の津野は2度の2ケタ勝利を残して広島へ移籍。1年目の87年に15勝を挙げた同じく右腕の西崎は、
翌88年にも15勝で最多勝に輝くなど、5年連続を含む7度の2ケタ勝利、移籍した西武でもクローザーとして活躍を続けた。
その88年に西崎、そして西武の渡辺と最多勝を分け合ったのが松浦宏明。
87年には救援のマウンドに立つとチームが逆転勝利を収めることが続いて“逆転のマツ”と呼ばれ、
迎えた88年に先発へ回ってのタイトルだった。ドラフト外の投手としては初の快挙でもある。
その88年に入団した右腕の武田一浩については、すでに紹介した。
同じく88年に防御率2.38で最優秀防御率に輝いたのが河野博文だ。
武田と同じくドラフト1位で、武田の3年前となる85年に入団した左腕。
「原人に似ている」と“ゲンちゃん”と呼ばれるなど、甘いマスクやトレンディーとは一線を画したナイスガイで、アキレス腱を断裂した90年にはリハビリに専念できるよう任意引退とされ、
それをクビと勘違いして失意の失踪、大騒ぎになったこともあった。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191216-00000007-baseballo-base
12/16(月) 11:05配信 “助っ投”グロスが2年連続で最多勝に
93年にはユニフォームをタテジマのものに一新。ただ、女性の人気を集めそうなタイプと、男くさく男の中の男といったタイプに分かれるのは変わらず。
金田正一(国鉄ほか)、金田留広(東映ほか)といった球史に残るエース2人の甥でもある右腕の金石昭人が92年に広島から移籍してきて14勝を挙げると、
197センチの長身から投げ下ろすキレのあるストレートを武器に、その後はクローザーに定着。
セットアッパーも右腕だが、サイド気味のフォームから多彩な変化球を駆使した島崎毅だ。現在とは計算が違うが、96年にパ・リーグで新設された最多ホールドのタイトルを獲得、初代ホールド王となっている。
87年の夏に甲子園を沸かせた芝草宇宙もサイドスローに転向、99年にセットアッパーとして遅咲きの花を咲かせた。
一方、硬骨漢の筆頭といえるのが左腕の下柳剛。ダイエーから96年に移籍、やはりセットアッパーとして投げまくった。97年から3年連続で登板は60試合を超える。
その90年代の後半を沸かせたのは右腕の岩本勉。お立ち台では「まいど!」から始まる軽妙なトークで球場の爆笑を誘った“三枚目”で、先発のエースだったが、存在感はコメディリリーフだった。
別次元にいたのが右の“助っ投”グロスで、長髪をたなびかせる二枚目のようでいて、バンダナがわりに「闘魂」と書かれたハチマキを締めてトレーニングするなど三枚目にも対応(?)。
来日2年目の95年に16勝を挙げて阪神のバッキー以来となる外国人投手の最多勝に輝くと、翌96年にも最多勝に。外国人投手の2年連続最多勝は2リーグ制となって初の快挙だった。 ダイエーは若田部
ロッテは黒木
日ハムは岩本
オリックスは金田
近鉄は野茂
でも優勝は結局西武
90年代半ば迄のパ・リーグのテンプレ イースラーとかウィンターズとかがホームランをガシガシ打って
西崎や津野が7回まで3失点くらいに抑えて
クローザーの松浦がガシガシ打たれて負けるパターンばっかりだった様な
その内、岩本勉がめっちゃくちゃにして行くと うちの旦那は西崎にソックリ。
結婚披露宴で親族皆に言われたw >>12
イースラーじゃなくブリューワじゃね?
イースラーは活躍したの途中入団した1年目だけだし 西崎とグロスは一流の投手だったけど
岩本あたりがエースじゃ、そりゃ弱いという感じ。
90年代の終わり辺りはダイエー若田部とか近鉄前川とか
怪しげエースが結構いて
今でこそ圧倒的にパ・リーグ優勢だが
当時はセ・リーグの方が上という感じだった。 確か90年が西崎、松浦、柴田保、武田一、酒井が二桁勝って、
史上初だか何十年ぶりだかの二桁クインテット達成したんだよね
でもBクラスというw 投手陣はオリックスが強力だったな
星野、野田、長谷川、佐藤義 >>19
酒井は惜しかったな
同じ病気が投手に結構いるんだ >>22
間違えた、オリックスの勉の方だ
日ハムは光次郎 外国人に恵まれなかったな
ウィンタースくらいだろ当たりは 上岡しか覚えてないな
あ西崎は今思えばピッチングが下手だよな
田村のリードもあるけどなんでそこでその球なのと首かしげたくなる配球
スライダーも置きにいくようなキレの無さ グロスはワールドスポーツMLBで近況出てたけどえらい痩せてて心配になったわ(´・ω・`) >>19
89年ドラフトはほんと当たり年だな
実働年数は短かったけど酒井も当たりといえるし 近年トレンディーという言葉のイメージがダウンしての風評被害・エース 初代やきゅつくだと西口と並んで屈指のエースに成長する矢野諭 阿波野って最初の数年だけ大活躍したけど、その後は何でダメだったの? 中嶋
矢作
上岡
何もかもみな懐かしい・・・・大沢監督・・・しばらくわしを一人にしてはくれまいか? 芝草のことを語らないとは
宇宙と書いてひろしと読ませる名前の衝撃よ 阿波野は天王山でクレームつけられてからおかしくなった
肩もやっちゃったんだっけ >>1
岩本(在チョン)って現役の頃からやたら態度デカかったよな
顔見てるだけでムカつくんじゃボケ
金石(在チョン)もバドの陣内とくっ付きやがって糞が >>41
伊原に牽制をボークと指摘されてそれからおかしくなった >>1
日ハムの迷走は2年連続3位の高田繁の遺留に失敗
したのが全て
打線はボロボロ(中日から移籍のベテラン大島康徳が
救世主に)だったものの4年間かけて投手陣を整備し
1988年には防御率上位10人に4人を排出
チーム防御率も堂々のトップに
しかし翌年から監督に就任した近藤貞雄がチームを
根底から腐らせてしまった 阿波野は移籍した巨人、横浜で優勝
西崎は移籍後西武で優勝した
良きライバル >>8
90年代半ばまでだろ?
それならロッテは伊良部秀輝だぞ >>9,>>13
1990年に12勝で前後の年も9勝を記録
たぶん死亡遊戯だろうけどニワカだね >>18
岩本は頑丈だから良いんだよ
岩本中心でローテーションを回しつつ金村でガッツリ勝つ >>46
バド陣内って、小坂誠の事本人の前で小馬鹿にした態度で悪い印象しかないわ。 上田監督の家庭に問題なければビッグバン打線で優勝してたんだがなあ、長年完全王者に見えた西武に綻びスキやアラが一気に噴出してきた時期だけに痛恨の自滅だった >>19
貯金は作ってるからね
田豚ダイエーがブッチギリの最下位だったからこういう
結果になったけど >>24
逆だ
外国人依存が強すぎて日本人が単打マンだらけになった >>53
金田の甥っ子のコネでドラフト外でプロ入りできたらしい はじめてつきあった子が西崎幸広のファンだった。
それまでジャーニーズや俳優ファンは知ってたけど、
野球選手の若い女性ファンそれも日ハムの選手にいるなんてびっくりした思い出あったわw
その子とプロ野球選手の運動会とかいったはなつかしい思い出 >>49
西崎は橘高が唯一でかい顔ができる相手だったのに、リーグが違うw ロッテファンの中でだけ関根は超一流投手
なんであんなにカモられたのか… >>70
田中、中島、片岡で主軸を期待されましたねぇ。 なぜか島田直也の顔が真っ先に思い浮かんだんだが三年しかいなかったのか >>69
西崎と阿波野はパリーグのイメージを変えた功労者 >>1
知識自慢でマウントためにウィキペディアを調べるぐらいで
はっきり言って道民にはまったく馴染みがない面子
ローカル局で岩本や西崎が偉そうに解説するのも嫌だ 96年は2位だったな。
直接対決でイチローにサヨナラ打たれて、優勝決められた。 西崎の前に津野がプロ野球ニュースのオフ企画でミニドラマやって変なパーマだったのが印象深い 東京時代の日ハム戦はよく観ていた
巨人戦に比べればチケットは安いしダフ屋関係なくすぐ手に入るし客少ないから落ち着いて観戦できるのが良かったな
ちなベイ >>61
土橋正幸監督の年(1992年)についに開花
打率.290 本塁打13本 66打点
しかし土橋さんは1年で解任され大沢啓二に干されて
選手生命が尽きた 北海道行く前の日ハムは大島っしょ。
試合終盤での郭と大島の対決は何時も何か面白い事が起こりそうでワクワクした。 >>41
1年間ローテーションを守るとかなり筋肉にダメージが残る。
シーズンオフにどれだけ回復させられるかが重要だけど、
もともと体力的には恵まれているほうとまではいえない阿波野は
最初の3年間フル稼動したあと、一番いい状態まで回復しなかった。
3年目のシーズン終了後だったか、体力テストをやったとき、
背筋力が100kg切ってて、かなり筋力が落ちているという記事があった。 >>44
帝京野球部に復帰したけど、予想通りに外に出された
前にもプロ経験のあるOBが復帰したけど、干されてバスケ部顧問をやらされて四国に脱北 カブスの強打者サミー・ソーサに似てるから、
「ダミー・ソーサ」の異名があったフランクリン
193cmの恵体に似合わず、その名の通りつぶらな瞳の
エンジェル・エチェバリア
親会社の日本ハムの商品PRに一役買いそうな名前の
バーナード・ブリトー
ロブ・デューシー
(ジューシーなブリトー)
捕手もこなせる、パソコンが趣味の頭脳派野手
ティム・マッキントッシュ
ハムの助っ人は記録よりも
記憶に残る選手が多いわ >>41
阿波野は横浜で日本一になってる。
悲劇の香りのする投手だったから報われて良かったよ。 >>6
>>27
いや、阿波野と武豊は同じような薄顔系じゃね?
西崎は薬丸裕英とかバサロの人みたいな系統 >>93
そういうの聞くとほっこりする
まあその後に巨人行ったけど 木田
間柴
工藤
こんなレジェンドもう二度と出ないわw 西崎といえば契約更改の会見でセカンドバッグをぶん投げたイメージ 東京Dで松浦がブライアントに打たれたHRが球界史上最特大だと思ってる >>93
まあ阿波野の場合、まさに災い転じて福となすとも言うべき人生だったな >>86
デューシーはいい選手だったなぁ。
応援団かカナダの旗振って応援してた >>105
結構エロい身体してるけどタレントとしては売れなかったね >>58
当時やくみつるが日ハム打線のことを「二番打者候補の蝟集群」なんて皮肉ってたなw >>107
知り合いにも松商の上田って未だに語る人いるからそれは成功者ではなかろうか 大沢親分が最下位のシーズン最終戦の挨拶の時に
土下座して詫びてたな >>112
輝士の2年後くらいに住吉っていう全日本の4番もドラ1で獲ったんだけど
こいつもダメだったからなあ
それからしばらくは基本的にはアベレージ狙える俊足タイプみたいなの指名するようになったよね 白井とコユキの二遊間も思い出してください(´・ω・`) >>1
あれ?名前を忘れたけど
この中に西武キラー入ってる? 日ハムと言うと応援団のおじいちゃんを思い出す
80年代後半の日ハム戦の西武球場行くとオレンジ色のハッピ着た応援団のおじいちゃんがいたのだけ覚えてるわ >>126まだ実松が残ってる
糸井はドラフトは東京時代だったけど翌年春に北海道移転だから除く >>56
それって、西武は森監督辞めた後でイチローがいた時
オリックスが連覇した時じゃなかったっけ? >>24
ソレイタ、クルーズ、ブリューワ、ウィンタース、ウィルソン、オバンドー、グロス、これだけいて恵まれなかったとは言わせない。 酒井という好投手もいたやろ、と思ったら一年目だけだったんだな 後楽園の空いた外野席で見るファイターズ戦 おつで好きだったなぁ 埼玉から電車
ですぐだったし パットナムとかブリューワがいた頃 調べたら東京時代末期というと
石本とかエチュバリアとかDTクローマーとか奈良原とか
阪神から移籍した坪井とかがスタメンの時代か >>9
活躍したのはオレンジの頃だな
縦縞になって心臓に異常見つかって引退だったかな >>44
芝草って勝ちが付きそうになると急に投球が怪しくなるイメージ
>>56
未だに大好きな古巣(阪急→オリックス)のために理由つけて逃げ出したとしか思えない >>139
高橋信二や木元邦之の台頭はあったけどまだまだ
他球団に比べて見劣りするメンバーだったね >>107
守備のときにいつもケツいじってた上田か
>>125
コユキが出てくるとバッティングフォーム真似するおじいちゃんいたな… 1990年の西武ー日本ハム戦は僅差ばっかりだった
日本の柴田が2〜3点抑えて負けるってイメージ
同時期の巨人ー広島戦みたいな感じ >>128
北海道移転が2004年だから
楽天参入の前年だったのか >>147
ロッテから打てば全球団本塁打達成だったけど
できなかったんだよな 渡辺浩司(1982-1997)
飯山裕志(1998-2017) >>143
1998年だっけ大失速して優勝出来なかったの >>148
西崎と郭泰源が延長12、3回まで投げあって引き分けになった試合、結果きいただけで
脱力した^^ そこまでしてもライオンズに勝てないという... 88年 >>148
90年代から今まで何度か西武と競り合ったことあるけど
いつも競り負けるんだよな… まあ北海道移転は大成功だったな
球界再編問題でも無風状態だったし 黄金期の西武は柴田が苦手で、いつも西武戦では柴田が投げてるイメージ
渡辺久信のノーヒットノーラン参考記録も柴田が投げてなかったっけ? >>159
札幌ドームは最初西武がセカンドホームにするとか話があったような >>149
ハム北海道移転初年度に球界再編騒動、ハムが移転初年度で合併を逃れたことで急速な再編を免れ
騒動に時間をかけられたことで12球団は維持され楽天発足、この流れワンセットで覚えておくべし >>161
準本拠地と完全移転では完全移転の方が分があるのは仕方ない
西武がハムに札幌争いで勝つにはまだ堤がオーナーだったのだし
プリンスホテルライオンズの名前になってでも完全移転すべきだった。
まぁそうなってた場合堤の失脚を乗り越えられたかどうかはわからないが。 >>6
西崎はノーワインドアップ
阿波野はワインドアップ
武豊はスペシャルウィーク >>19
確か史上初でそのあと読売も達成しなかったけか
(斎藤・桑田・槙原・宮本・香田) ハムは81年のチームが印象深い
セリーグで無双した江川と西本がソレイタと柏原には全然通用せずにホームラン打たれまくった
Pも木田・工藤幹・間柴・高橋一・高橋里・江夏と渋いところが揃ってる
それでも大沢啓二は戦後選手層が違うと脱帽してる
そして阪神に来た柏原がすっかり中距離ヒッターに
大洋に来た木田がローテ落ちするPに
あんなに強かったチームのエースと四番が‥ >>154
落合博満のラストイヤーか
上田監督は野手は育てられるんだが投手の育成が
ヘッタクソでなあ 酒井光次郎っていなかったか?
なぜ、ハブられているのかw >>93
阿波野は当時のドラフトで指名された球団(近鉄・大洋〔横浜〕・巨人)すべてに在籍して
どの球団でも優勝を経験している。
豆な >>169
近藤貞雄がローテーション2番手だった金沢次男を
木田勇と交換したせいでローテーション崩壊 >>67
金石って結構活躍したから正解だったんだよな 東京ドームのハム戦は平日はほとんど二階席閉鎖してたな >>125
白髪のパーマがオレンジ帽からはみ出てる爺ちゃんか?津末や岡持の頃だけど。 >>75
今は無惨な姿だけど、西武・渡辺久信も忘れんでやってくれ >>175
金田兄弟と金石でちょうど合計600勝らしい リック・シュー
ジェリー・ブルックス
マイカ・フランクリン >>14
昔はイケメンだったもんな、西崎
生で見たときはオーラが凄かった >>24
パットナムとデイエットもちょっと活躍したような 1988年は東京ドーム元年で3位
翌年の1989順位予想で近鉄引退した梨田が投手陣が好成績だった
ハムを1位と予想していた
結果、パは近鉄西武オリの三つ巴争いでハムは近藤監督が、
西武包囲網とか言っていたがいいところなく蚊帳の外
家かえる頃にちょうどNHKで21時40分ごろスポーツニュース
で福島敦子がキャスターやっていてよく見てたわ 1988年は東京ドーム元年で3位
翌年の1989順位予想で近鉄引退した梨田が投手陣が好成績だった
ハムを1位と予想していた
結果、パは近鉄西武オリの三つ巴争いでハムは近藤監督が、
西武包囲網とか言っていたがいいところなく蚊帳の外
家かえる頃にちょうどNHKで21時40分ごろスポーツニュース
で福島敦子がキャスターやっていてよく見てたわ 2020年代はパリーグの時代だよ
これだけは間違いないな
セも頑張れよと言いたい >>7
95-97年くらいのリリーフエース
中継ぎのタイトル持ちだけど、その3年で終わった >>67
コネで入ったにしては成功した方だな
今も悠々自適に暮らしてそうだし >>125
ロングおじさん似の方では?
子供ながらにロングおじさん本人かと思ってた 投手陣がいいときは打線が
打線がいいときは投手陣が問題で噛み合なかったな
不人気球団の宿命か >>175
広島時代は5回までは神ピッチングとかするけど
それ以降は自滅するパターンが多かった。
日ハムに移籍して良かったわ。 >>171
入団同期が
西武 潮崎 オリ パンチ佐藤 近鉄 野茂と石井浩郎
ハム 酒井とガンちゃん ダイエー 橋本武広 ロッテ 小宮山
中日 与田 広島 佐々岡と前田智徳 ヤクルト 古田と西村龍次
巨人大森 横浜 佐々木 阪神 新庄剛志
完全に霞んでしまうW つるさんはまるまるむしみたいな書き方でつのひろしを掻いてたマンガが昔あったのを思い出した >>100
打たれたのはヤクルトで引退する前のハム時代の角盈男 上岡さんは楽天スカウトを経て今はTBCで解説してるがハム向け放送では北海道のリスナーの人気も凄い
特にマルティネスへの愛が重い シュールストロムって臭そうな名前のピッチャーもいた >>171
新人の一年だけだし。
同年2位の岩本の方が活躍した。 グロスは二年連続最多勝だが勝ち星と負けの数があんま変わんない投手
ただ、こいつの投げる試合って勝っても負けても試合時間短かったのが特徴的
とにかく打ち取るタイプだったからな 阿波野 野茂 吉井 小野 赤星が居ても西部に勝てたのは1年だけだもんな 確かにこの時代の日ハムは別の華があったね
スターってか知名度ある選手以外と多いね その後のビッグバン打線の時代には投手陣が崩壊したなw
片岡「一緒や!打っても!」 キャンプでノムさんか誰かに二軍みたいなメンバーやなとか言われた上田監督が「まだジューシーがおるわい!」って言ってたの覚えてる。 >>191
原巨人が4タテされたのは象徴的だったな
横浜のが健闘していた 津野って最初にSFF覚えた投手って言われてた気がするけど
元々の球威がショボいからどこがスプリットじゃと突っ込みたくなった記憶
ひどいストレートだったな遠藤一彦よりも
あと西武キラーだったのってもしかして松浦?
でも自分の中では抑え役のイメージだな
まさか先発で成功するとは思わなかった 加藤秀門下の左打者は
なぜ、ガニ股打法になるのか? コユキ好きだったなあ
ぎりぎり2000本安打達成したんだっけ 投手の方の田中幸雄とかいたな あと工藤とか木田は少し世代違うのか 日ハム応援歴40年だけど、忘れもしない平成2年、1990年
10勝以上の投手が5人も同時にいたのに、リーグ4位だったという事実
西崎12勝
柴田12勝
松浦11勝
酒井10勝
武田10勝と13S
泣いたなぁーーーー まあこの世代でファイターズの印象がかわったよな。その前は土橋、江夏、大杉、張本など東映ヤクザ顔負けの面子やった >>229
西武近鉄オリックスがAクラス常連時代だったしな ホームランホームランあと10点アウトアウトあとひとつ♪ 2000年前後しか知らんな
金村や小笠原 野口も凄かった 上田 井出 奈良原 ミラバル
投壊の日々だったけどwww
日本一になれた時はニヤリときた >>229
まあその内3人が10敗もしてるしねえ
90年は巨人も10勝投手が5人いて、
さらに凄いのが1軍で登板したのがたった9人だけってことw >>234
当時の巨人は王とは打って変わって藤田が先発完投主義だったからな。
前年には鹿取が放出されてしまったぐらい中継ぎ抑えなんてそんなもんイラネってのが徹底してたな藤田は。 >>231
てかその当時は西武対5球団って構図だったな事実上。西武以外の5球団は西武戦になると
特別に目の色変えて必死になってたな 甲子園でも津野は結構打たれてたな。
打者の方が才能はあったんじゃないかな。 >>234
上にも出ている81年の日シリ
巨人の先発は定岡が1試合だけ先発して負けてるだけで、江川と西本が残り全部先発してる
しかも双方2勝2完投
加藤初と角が敗戦処理という
そりゃ勝てねえわな >>238
史上唯一の後楽園シリーズだったな
東京ドームシリーズは結局実現しなかった >>235
その年の日シリで、その鹿取とルーキー潮崎のWストッパー擁する西武に4タテ食らったのは皮肉だったな >>236
西武ファンだが、ローテ崩して本調子じゃないエース当てて来たからラッキーだったよw >>237
津野は桑田からホームラン打ったんだっけ。高知商に打ち込まれたから
池田の蔦監督はちょっと桑田を甘く見てたかもしれんな >>242
世間も池田が中京に勝った瞬間にもう池田の夏春夏3連覇は決まった、て空気だったな >>57
強いところに勝てなくて雑魚から稼いだだけか >>242
津野はその前の試合で吉井から満塁本塁打だね
PLとの試合でも打ってるけど、その時は桑田じゃなくて3年の加藤だっけ?に替わってたはず 話し変わるけど昭和57年〜60年頃まで後楽園の内野外野境目(巨人戦ならD指定席)で応援していた野村団長のこと誰か知ってますか?
自分は「ガイコツおじさん」と呼んでいたけど、とても優しいおじさんだったな。 >>226
最後の年は2000本打った後も出し続けてたらレギュラー定着してそうなくらい打ってはいたけどね
まぁ2000本打つ前に少し産みの苦しみで足踏みしたけど。 >>189
1988年の貧打は異常
イースラーが3割、田中幸雄大島康徳が.270を超えた
以外は軒並み.250に届かない低打率
レフトを争う岡持和彦と二村忠美は打率1割台
翌1989年はブリューワの復帰で打線はやや上向いた
ものの防御率は急激に悪化
打率防御率リーグ最下位のダイエーの後塵を拝する
無様な結果に >>98
何故かなかなか実現しなかったが初対決は阿波野が投げ勝った
西崎はブライアントにホームラン打たれた
TV中継がなかったからラジオ聞いてた >>196
大ベテランの大島康徳が不動のレギュラー(大島より
好成績の選手がほとんど居ない)になっちゃうレベル
だもん
まあ広瀬哲朗をドラ1指名しちゃうセンスだもんなあ・・・ >>249
そのイースラーもブリューワとデイエットがダメで急遽補強した選手だからねえ
89年にブリューワが復活したと思ったら、今度はイースラーがダメだったw >>211
中4日で投げまくるタイプだからね
登板機会が多いので勝ち星もついてくる
233イニングとか今投げるピッチャー居ないでしょ なんもかんも間違ってるww
パリーグの黄金時代は「今」なんだよww
セカンドリーグの身内が書いたのか?w >>254
「セ」カンドリーグと「パ」ーフェクトリーグ。
プロ野球板の交流戦スレで生まれた言葉だけど名言だな
これを最初に考えた奴は天才だと思う。
そしてこれが現実となった >>100
天井スピーカー直撃弾打たれたのは角盈男じゃなかったか? >>218
片岡篤史が絶不調に陥ってたし誇張抜きにコユキさん
しか居ない状態
13年間2軍でくすぶってた渡辺浩司を大抜擢するという
話題もあった >>252
イースラーは2年目も打率は悪くないけどああ怪我が
多いとねえ >>222
津野は確かに若いころからへろへろ球の印象だけど、
オールスター戦で一度、
「なんだ、津野ってこんな球も投げられるんだ。。。」
てな感想を抱いてしまうような勢いのある球を
投げて見せたことがあったな。 大島、監督時代の抗議で、よくもあんなにアゴ開くなと驚くぐらい口開けてたのが面白かったなあ。
先日のなんかのバラエティで、欠陥住宅に住んでて悲惨だったけど。 >>236
野球教室っていう番組を日曜午前10時くらいに当時日テレで毎週やっていて、高橋
直樹さんが他の出演者と秘密の作戦会議みたいな形でパリーグ各球団がどうやった
らライオンズの独走を止められるか本格的なドラマ仕立てで(特命リサーチのような)
演じてた回がとても面白かったのを思い出した。 >>264
落合引退、西浦終了ですっぽり空いたファーストにカッスさんがハマったんだから結果オーライってことで
サンキュー!カッス! 日本ハムで唯一印象に残ってるのは矢作の帽子のサイズのデカさだな
広瀬かだれかが矢作ヘルメットかぶったら顔がスッポリ入ってたもんな >>229
この年だったかなぁ
契約更改の記者会見で、西崎がセカンドバック放り出したり、
武田が俺もう中継ぎやんね〜
と毒づいたときはw ハムのファンなんて俺ぐらいだったから
語れる相手が居なかったな 89年組すごいよな
佐々岡、与田、古田、新庄、大魔人、野茂、小宮山
濃すぎだろw >>271
5位の新庄入れるなら、近鉄石井、広島前田とかもいる ハムで在日って岩本、森本、金石、小笠原、
思いつくのこんなもんだがあといたっけ? 日ハム投手黄金期は80年代前半
木田勇、間柴、岡部、工藤幹夫、高橋里志 グロスってほっぺたが飴玉舐めてんのか?ってくらい
不自然に膨らんでたよね。
テンポ早くて、とにかく試合が早く終わる。
西崎がノーノーやった試合の次かなんかに
90球くらいで1安打完封してたな。
あれ試合時間の最短記録とかじゃなかったっけ? 全盛期の西崎はいい投手だった
ピッチングフォームが綺麗で何気に守備もうまかった >>125
ロングおじさんに似てた!
…これ知ってるのは元少年ファイターズ会員で…
今北海道日本ハム自体にはちょっと冷めてて、でもやっぱ日ハム好きっていうコヤジ奈良原≠謔阡N齢上下3歳位の親父。 厚沢は一軍通算0勝なのに、なんで一軍のコーチやれてんの?
選手もアドバイス求める気にならんだろ >>284
オレ的・史上最も美しい投球フォーム
1位 阿波野
2位 西崎
3位以下は離れてる。 近鉄の佐々木修のアンダースローのフォームが好きだった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています