【野球】秋山幸二が語る西武の黄金期 「『必勝法・必敗法』という冊子があった」
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西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(33)
【背番号1】西武・秋山幸二 前編
四半世紀の時を経ても、今もなお語り継がれる熱戦、激闘がある。
1992年、そして1993年の日本シリーズ――。当時、"黄金時代"を迎えていた西武ライオンズと、ほぼ1980年代のすべてをBクラスで過ごしたヤクルトスワローズの一騎打ち。
森祇晶率いる西武と、野村克也率いるヤクルトの「知将対決」はファンを魅了した。
1992年は西武、翌1993年はヤクルトが、それぞれ4勝3敗で日本一に輝いた。両雄の対決は2年間で全14試合を行ない、7勝7敗のイーブン。
両チームの当事者たちに話を聞く好評連載を再開する。
第9回のテーマは、「背番号1」。連載の17人目、西武・秋山幸二のインタビューをお届けしよう。 【西武のほうがずっと早く「データ野球」を取り入れていた】
――1992(平成4)年、翌1993年に行なわれたスワローズとの日本シリーズについて、みなさんにお話を伺っています。
秋山 うーん、あんまり覚えていないんだよね(笑)。森(祇晶)さんと、野村(克也)さんの2年間ですよね。1992年はうちが勝って、1993年はヤクルトが勝ったんだよね?
選手っていうのは自分が活躍した時のことは覚えているけど、あまり活躍しなかった時のことは覚えていないんですよ。
――でも、1992年のシリーズでは優秀選手賞を獲得し、翌1993年のシリーズでは3本のホームランを打っていますよ(笑)。
秋山 えっ、そうなの? (記録を見ながら)全然覚えていないや(笑)。1992年の日本シリーズは野村さんの何年目でしたっけ?
――スワローズ・野村監督は1990年の就任でしたから、1992年は3年目になります。
秋山 あの頃のヤクルトはキャッチャーの古田(敦也)を中心に、岡林(洋一)、西村(龍次)、川崎(憲次郎)とか、いい投手陣がそろっていた。
あと、打撃陣ではブンブン丸(池山隆寛)、広沢克己(広澤克実)が中心となって引っ張っていって、バランスがとれていたチームだった気がします。
監督がともにキャッチャー出身者同士で、細かい野球をやっていましたよね。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190909-00870720-sportiva-base
9/9(月) 6:57配信
https://www.youtube.com/watch?v=HMaLSi-qkVI&t=58s
秋山 ホームラン
https://www.youtube.com/watch?v=j0RDyuCjYiw
1992年日本シリーズ 秋山の同点打と大塚の好走塁 ――戦前には、森、野村両監督を称して「キツネとタヌキの化かし合い」とも言われていました。
この連載に登場した石毛宏典さんは、「野村さんのID野球ばかり注目されていたけど、うちだってデータに基づいた細かい野球をやっていた」と言っていました。
両チームはやはり、似ていたのでしょうか?
秋山 両チームともに細かい野球をやっていたのは間違いないですね。
石毛さんの言うように、うちだってヤクルトよりも早くデータ野球はやっていました。
広岡(達朗)さんの頃からずっとバント守備、けん制でのサインプレー、1球ごとの守備位置の変更などを徹底していたし、
当時は「必勝法・必敗法」という冊子があって細かい野球を学ばせられたし、ミーティングもいっぱいやっていましたから。
チームとしては似ていたと思うけど、野村さんよりもずっと早く、西武はそういう野球をやっていたと思いますよ。
【「西武のON」を目指して背番号1に】
――この連載で共通しているのは、スワローズOBは一様に「ライオンズに勝てるとは思っていなかった」と話すのに対して、
ライオンズ関係者は「シリーズを楽しんでいた」と語っていることです。秋山さんはいかがですか?
秋山 ペナント開幕前には、パ・リーグではうちが勝つ前提で「セ・リーグはどこが(日本シリーズに)出てくるのかな?」という思いは持っていたと思いますよ。
それに、何度も日本シリーズに出場して"シリーズ慣れ"していたこともあって、みんな楽しんでいた部分も大きかったんじゃないかな?
たぶん他の選手もそうだと思うけど、僕の場合は「どうやってアピールしようか?」とか、
「MVPを獲りたい。優秀選手賞がほしい」という思いで、楽しくやっていた感じはします。
――スワローズサイドでは、広澤さんなども「シリーズ初戦は震えが止まらなかった」とおっしゃっていましたが、それとは対照的ですね。
秋山 もちろん、西武の選手だって最初はそうでしたよ。でも、それがだんだん慣れていくんです。
うして、「日本一」に対しての思い入れが強くなっていったし、緊張するよりも先に「どうやって目立とうか、どうやって賞を獲ろうか」というところに意識が向いていったんだと思います。
むしろ、シリーズよりも普段のペナントレースのほうが、危機感がありましたから。
――当時のライオンズではチーム内の競争も激しかったそうですね。
秋山 当時の西武の選手はみんな常に危機感を持ちながらプレーしていたと思います。もちろん、僕だってそうです。
ケガで休んだらすぐにポジションを奪われるという危機感があったし、たとえば試合前にテーピングをしていると、
石毛さんが「おい秋山、その程度のケガでまさか休まないよな?」なんて言われていましたから。
だから僕も、石毛さんがどこかを痛めても、「もちろん試合には出ますよね?」「当然、出るよ!」なんて会話を普通にしていましたね(笑)。 ――当時、スワローズの背番号1は池山隆寛選手でした。
秋山さんは自身の背番号1に対して、どのような思い入れがありましたか?
秋山 僕は背番号1に、そんなに強い思い入れがあったわけではないんですよね。
最初は背番号71で入団して、24になってから試合に出られるようになって活躍したから、むしろ背番号24に愛着があったんです。
でも、清原(和博)が入団してすぐに背番号3で活躍したことによって、「西武にもONを作ろう」ということになったんです。
――背番号1の王貞治、背番号3の長嶋茂雄の「ON」に対抗する形で、西武球団としては「AK(秋山・清原)」を売り出そうとしたわけですか。
秋山 そうそう。背番号1は自ら望んだわけじゃなくて、球団のほうから「背番号1でどうか?」って打診されたわけだから。
最初は悩んだけど、周囲の勧めもあって1をつけることにしたんです。
でも、王さんの背負った背番号1と僕の背番号1とでは、あまりにも違いすぎて特に意識はしなかったですけどね。
【普段はバラバラでも、試合になると一気に集中する】
――秋山さんと清原さんとのコンビは「AK砲」と呼ばれました。また、そこに(オレステス・)デストラーデ選手を加えて「AKD」とも呼ばれていました。
当時の3人の役割はどのようなものだったのですか?
秋山 「役割」というのは監督が考えることなので、とくに自分の役割を意識したことはなかったです。
長打を求められる場面、走者を進める場面などに応じて、野球をしていました。
ただ、僕の場合は「足を見せたい」という思いは強かったですね。
四番・清原、五番・デストラーデが自分の仕事をしてくれるので、ほとんどの場合が(三番の)自分と勝負してくれるのはありがたかったですよ。
――秋山さんが走者として出塁している時には、どのような意識を持っていましたか?
秋山 キヨ(清原)の場合は、ファーストストライクが来るまでは絶対に打たなかったですね。だから、なるべく早いカウントで盗塁をすることを心がけていました。
当時の西武は、僕に限らずみんなが自分の役割をきちんと理解していましたよ。みんなそれぞれに役割があって、「この場面は何をしなければいけないか」ということをみんなが理解していた。
そんなチームだったと思います。プライベートではみんなバラバラなんだけど、いざ試合になるとパッと集中する。そんな感じでしたね。
――あらためて1992年、1993年について伺いますが、当時の秋山さんはプロ12年目の30歳、13年目31歳という、まさに脂の乗り切った時期にありましたね。
秋山 いやいや、ずっと試行錯誤していた時期ですよ。「もっといい打ち方があるんじゃないか?」
「もっといい方法があるんじゃないか?」って考えていたと思います。
年齢と共に筋肉も変化していくわけだし、常に試行錯誤していました。(1992年シリーズの映像を見ながら)ほら、
"当時の秋山さん"の打ち方だって、"今の秋山さん"から見れば課題が多い打ち方ですから、まだまだだよね(笑)。
(後編に続く) あの時代の西武は 大人の野球 だった。
日本シリーズで巨人に勝ち、
ビールがけした時、インタビューで
塩崎が(うん、巨人弱い)とサラリと
答えていたのが記憶にある。 秋山は身体能力が凄くてメジャーに最も近い男って言われてたな
離婚した元妻にマザコンだと暴露されたりもしてたがw 秋山選手は選手としても良かったけど監督としても良い監督でした。
阪神の監督をお願いしたいです。 >>6
次元が違う。
あの当時のパリーグのレベルは
高過ぎ。 筋肉番付でもパワースピード共に万能だったイメージ
もちろん室伏の域ではないが ソースの写真を見るだけでも
今の西武の選手と輝きが違う
スター性の有無というかな
成績も素晴らしかったがそれ以外の何かがあった >>9
パリーグのレベルというか西武がずば抜け過ぎてた
他チームは残念ながらち密さはなかったな
ただそれが魅力でもあった 今の西武も打つだけなら当時を超えてるんだろうなきっと
打つだけならな あの当時の西武は異常な強さだった。技術レベルがどうのではなくチーム全体が強いチームだった。 何が嫌って、当時の西武は全員足が早く
(清原、デストラーデすら走れる)
気を抜ける場面が無かった
そして相手の守備が鈍そうなら隙をついて
さらに先の塁を狙う狡猾さがあった
勝てる気がしない >>15
何かか…
スター選手は勿論だが、
バブルの日本だった。
西武黄金期と日本のバブルは重なる。
幸せだったよ。 >>14
晩年の秋山や飯田が全盛期の日本代表サッカー選手に余裕で勝ってたからね、全種目 >>1
バク宙ホームインの1986年日シリ、実は戦犯寸前。
3連敗の前半不振で3→6番に打順降格 91 西武ライオンズ
1辻(二)
2平野(右)
3秋山(中)
4清原(一)
5デストラーデ(指)
6石毛(三)
7吉竹・笘篠・森博(左)
8伊東(捕)
9田辺(遊)
投 郭 工藤 渡辺久 渡辺智 石井丈 潮崎 鹿取 92年のピッチングスタッフ
石井丈裕 防1.94 15勝3敗 沢村賞受賞
郭泰源 防2.41 14勝4敗
工藤公康 防3.52 11勝5敗
渡辺久信 防3.81 12勝12敗
潮崎哲也 防2.94 6勝2敗10セーブ
鹿取義隆 防2.47 10勝2敗16セーブ
93年は杉山賢人、94年は新谷博が加入して鹿取の衰えをカバー。 当時朝にやってたライオンズの番組を子供の頃見てたな
今と違って清々しいイメージだった西武 1992年ゴールデングラブ賞 パ・リーグ
投手 郭 泰源 西武
捕手 伊東 勤 西武
一塁 清原和博 西武
二塁 辻 発彦 西武
三塁 石毛宏典 西武
遊撃 田辺徳雄 西武
外野 秋山幸二 西武
平野 謙 西武
佐々木誠 ダイエー >>27
まーでもドラフト絡みはアレだったけどな西武は 俺は物心ついた時から西武ファンだが秋山幸二が一番好きな選手だ
秋山翔吾も結構好き >>5
中日時代の星野監督が
選手のこと
ぼこぼこに殴ってリーグ優勝したけど
日本シリーズで西武に負けたとき
殴られるのが恐くてやってる子供のちーむと
1人1人が考えてやってる大人のチームじゃねぇ 92年と93年は史上最高の日本シリーズだよな
翌年の巨人と西武もなかなか捨てがたいけど
前年があまりにも凄すぎて霞んでしまうな >>25
中日から行った平野なあ
まあ西武に行って良かった >>25
歴史上、傑作たるスタメン‼
リアルで見てきたから、
清原に関しては本当に残念だ。
ただ ただ残念だ。
社会的に犯罪した清原は絶対に許されない。
しかし心では清原はこのまま死んでいくだけかと思うと切ない。
全ては清原自身の責任だが、
水の合わない&運気下がる巨人入りを
避けたかった… >>22
ショートダッシュ30回やマラソンやったら
サッカー選手勝つんだろうけどなぁ 俺は近鉄ファンだったから
どうやっても届かない西武に何度も悔しい思いしたけど
一矢報いることが出来ただけでも今ではいい思い出 打線と守備、走塁なら今のチームも引けを取らないよ
投手陣は… >>1
>>1
>――1992(平成4)年、翌1993年に行なわれたスワローズとの日本シリーズについて、みなさんにお話を伺っています。
>秋山 うーん、あんまり覚えていないんだよね
>選手っていうのは自分が活躍した時のことは覚えているけど、あまり活躍しなかった時のことは覚えていないんですよ。
ーーー
1番語らなきゃいけないのは、
9回二死1塁から起死回生の同点安打打ったが、ホーム送球の間に2塁に進まなかったので、
奇跡の同点で球場全体が沸く最中、3塁走塁コーチ伊原や、森監督、黒江ヘッドがブチキレてた、
てことなんだけどなぁ
1992年日本シリーズ 秋山の同点打と大塚の好走塁
https://m.youtube.com/watch?v=j0RDyuCjYiw
こういう所が当時の西武の強さを象徴してた 【西武黄金期OB】
田淵 監督経験あり
東尾 監督経験あり
森繁和 監督経験あり
石毛 監督経験あり
辻 監督就任中
秋山 監督経験あり
伊東 監督経験あり
工藤 監督就任中
渡辺久 監督経験あり
田辺 監督経験あり
大久保 監督経験あり
清原 監獄経験あり
※野村、伊原の現役時代は黄金期前なので除外
※田尾は黄金期在籍だが西武OBとして扱われる機会がほとんどないので除外
コーチのみは含めてないし、その他独立リーグや学生野球の指導者まで含めたら監督・コーチ経験者はまだまだいるからな
レギュラーも控えも多くのOBが指導者として球界に携わっているという事実
西武黄金期はいかにレベルの高い野球をやっていたかがうかがい知れる プロ野球の価値が下がってきてるから
あの頃はよかった言っても虚しいだけ >>37
近鉄も強いチームさ。
ただ、西武の森監督が秘蔵っ子みたく
育ていた鈴木という若手バッターが
近鉄戦で西武に機運が出てきた時に
出てきてヒット打ち、西武に打点が入るんだよなw >>25
当時の西武ファンだけど
左翼の森?だけ知らないなあ
安部か吉武あたりのイメージ >>5
>塩崎が
一瞬オリックスかと思った
潮崎だよね 当時のパリーグがつまらんかったのは色々球団経営に力を入れる前にせよ
西武が強すぎたのも一因かもしれんな
あんだけの常勝軍団なんて普通作れんだろ常識的に 元プロ野球選手ですごくイイ人なんじゃないかなと思う人
秋山
達川
桧山 勝って当たり前の時代だから思い出すのは負け試合ばっか
ブライアントに打たれたハゲQとか… >>46
森博幸はレフトというより
1塁か代打の方が多かった >>19
だな。
清原やデストラーデですら走れるから
怖い。
相手チームの隙をついて先の塁を狙うんだよな。
一つでも先の塁に進み、最後は点数に繋げる。
川上巨人のチームとどっちが上なんだろうか? >>37
近鉄もいいチームだった
1989 近鉄
1大石(二)
2新井(中)
3ブライアント(指)
4リベラ(一)
5淡口(左)
6鈴木(右)
7金村(三)
8山下(捕)
9真喜志(遊)
投 阿波野 小野和 山崎慎 高柳 加藤哲 村田辰 佐々木修 佐藤秀 吉井 >>50
今のソフバンも十分常勝軍団
怪我人多すぎでコケ気味だけど >>49
すまん。
西武ファン失格だな。
潮崎だよ、潮崎。
渡辺久信も人気あったが、
潮崎ファンは凄い。 藤井寺球場での阿波野・赤堀vs工藤・杉山・潮崎・鹿取の息詰まる熱戦が忘れられない。
登板した潮崎に一旦外野を守らせてまた投手に戻す奇策に出たんだよ。 西武は強かったけど横浜時代のこと考えると森が名将かっていうと微妙だな 西武は強かったが他球団もお粗末すぎた
川崎球場の外野で流しそうめんやってた時代だからなw >>61
チームは監督一人で作るものじゃないからな
今のソフトバンクだって基盤は根元が作ったようなもんだろ
現場でも秋山や工藤をみて小久保松中が育ったわけだし >>25
左翼は苫篠が左投手用、吉竹が右投手用
安部はその二人より守備力が落ちるせいか
一塁やDH兼任
ただ、出てくるとチャンスに強く嫌なイメージがある
森はさらにその下かな
遊撃は打てる田辺と守備力に勝る清家との併用、 >>64
平野はコーチ止まり
まぁあの人は星野とバッティング嫌いでちょっと変わった人だしな >>61
そうなるな。
良い選手だらけだから勝っていたと
言われても仕方ない。
東尾でも西武はイマイチだったから、
選手&監督両方が良くないと
傑作集団にならないな。 >>6
ここ10数年のライオンズはパワーヒッターと先発は揃えて派手な試合で勝つけど、中継ぎは弱いままで優勝はたまにしかしないようにして年棒大幅アップを防ぐという経営スタイルな気が 本当に強かったよね
王者と言う言葉がピッタリの風格と言うかオーラがチーム全体にあった
今のソフトバンクより強いイメージあるわ パリーグの監督西武の人ばっかの時点でわかりきったことだろ 秋山選手好きだったな
当時の西武は今のソフバンに似てる
今の西武は西鉄ライオンズに近いw原点回帰かな >>61
あんだけぶっちぎりなら誰が監督やっても一緒 数学者の秋山仁を講演に呼んだはずが
手違いで秋山幸二を呼んでしまった
でも秋山幸二はそのまま講演した 当時は別に言われてなかったけど、勝利の方程式、勝パを確立した
先駆けだと思う 人気があるから、過大評価されがちな選手だな
成績を見ると、歴代ベストナインには入れない 打つだけなら今の西武なんだろうけど
走攻守トータルで見たらあん時の西武の方が上だろうなぁ 運動神経と顔がいいから過大評価されがちな選手だが安定感はなかった
まあ、しかし通算400本塁打300盗塁は華がある 西武とヤクルトは何回優勝しても、横浜やダイエーの優勝と比べたら、
世間の注目など、盛り上がりに欠けていたのは寂しかった。 >>63
外野ガラガラ時代は80年代の阪急黄金期のときじゃね
阪急黄金期は西部黄金期以上にやばかった
とくに外人のブーマー、マルカーノが反則 秋山選手は走攻守三拍子揃ったバク転も出来るパフォーマーだった
ダイエーにトレードされた時はショックだったな
いつか西武に戻って来てほしい >>35
一回目の複数年契約最終年であった2001年に好成績残しちゃったのがなぁ…
あれで脱出失敗したのがね。あの年もパッとしない成績で自由契約になってたら
他球団で再び輝けたのかも知れない。 90年頃秋山が草野球に助っ人で
来てくれた事があった
相手チームだったけど秋山が投手をしてくれて
すげぇすげぇ秋山だぁって ガキの自分は
大騒ぎしてた 一緒に羽生田って人が来てたんだけど
みんなで誰だあいつって近寄らなかった
外野守ってるし地味だなって
何年かして羽生田は歴代でもトップクラスの
外野守備の名手って知った
そんな人が草野球の外野守ってたなんて
あいつライパチ君だろなんて言ってすみませんでした >>25
神戸グリーンスタジアムで見た、西武負けたけど >>71
西武常勝期に対極にあった近鉄みたいなチームだよね
今の西武打線はいてまえ打線と被る >>82
40-40を実質達成できたのは秋山だけ
しかし実際の数字で見ると43本塁打に38盗塁だったから
余分なホームラン3本を単打にしておけば
あの年の盗塁成功率なら達成可能だった 秋山は.250 40の人でよかったのに
.300 30目指すようになってつまらなくなった >>77
その話聞いたことある
会場の子供らはハプニングに大喜びだったろうな 秋山は足速いけど実は意外と打率低い
だから好打者じゃなくて完全な長距離砲で三振も多い >>6
打力ならいい勝負だと思うけど投手力が全然違う
特に先発の完投数がずば抜けて高かった >>61
名将の条件は最低限別のチームで優勝経験かな >>58
ナベQは1991あたりからいきなりハゲだしたからな 常勝軍団になったのは根本陸夫の功績が大きいよな
ホークスに引き抜かれた後は沈み行く船だったからな
そんな中で我先にと一目散に逃げ出したのが森監督 俊足強肩でホームランバッターだったけど打撃がいまいち
若い頃の山本浩二の方が上だな 秋山もセンターの守備上手いのは確かだったけど
それ以上に上手いのがライトの平野だったよな >>66
青学から守備力のある新人入ったのを覚えてる >>37
西武ファンからしたら近鉄はもちろん、オリックス日ハムとか毎年競ってくるチームはみんな脅威だった
独走できた時なんかほとんどなかったし、細かい野球で拾った1つ2つの勝ちが優勝の行方を決めてた
だから大沢親分がつまらないバントキャンペーンで外からプレッシャー掛けようとしたんだろうな 秋山は自分勝手で清原はチーム打撃だったとよく聞くが
記事を読んでもそれが伝わってきたな
ファーストストライクを捨てるというのは打者にとってかなりの制約 当事はドラフト外からの叩き上げで凄い!って素直に思ってたけど入団の際には裏でいろいろあったみたいね >>36
現役じゃねぇけど毎日走ってるといってた元ヴェルディの武田とか元野球選手とかを長距離で競争させたら誰が速いかってやってたけど一番遅いわ一番先にリタイアするわでどうしょうもなかったぞ
ライオンズと大宮アルディージャが合同イベントしたときアルディージャの俊足全員とおかわりくんで勝負しておかわりに全敗してたし
かつてはサッカーは鈍足でも出来るスポーツっていわれてマラドーナなんかは遅くてアスリートのレベルじゃなかったそうだぞ 憎らしいくらい強かった時代 パ・リーグやっているの文化放送くらいだったから
ライオンズナイター聞いていたけど、何度ラジオを投げつけようかと思ったことか 黄金時代の打順
1番 辻
2番 平野
3番 秋山
4番 清原
5番 デストラーデ
6番 石毛
7番 吉竹
8番 伊東
9番 田辺 >>33
杉浦亨の間違えじゃね?
92年の日本シリーズでサヨナラ打ったのは杉浦と秦の二人だけやし
ちなみに現場で両方見た >1992(平成4)年、翌1993年に行なわれたスワローズとの日本シリーズについて、
ヤクルトの杉浦の代打サヨナラ満塁ホームランが神だった。 >>117
デストラーデ4番のが強かっただろうな
清原育てるためだったんだろうけど 阪急→オリックスファンやけど、先発に渡辺智男が出て来た絶望感は凄かった… >>122
そもそも野球部自体がだいぶ前に解散してる >>121
デストラーデは割と三振も多い
打率もやや落ちる
だが走者がいると集中力があがり打つ
5番、6番タイプ 森監督は後年横浜の監督やって株を落としたよな
西武だけだったら黄金期の名監督だったのに >>124
残念だね。昔は世界一の金持ちとか言われてたのに 野村ID野球が、今までの日本野球で1番おもしろかったわ
最強の森西武も良かった 内野も田辺以外パリーグ最強だったけど
外野の吉竹秋山平野が反則過ぎた
西部黄金期は打撃より守備で勝ち取った栄光だと思う ノムの野球は見てて面白かったな
一芸選手の起用方法がほんと上手かった
確か楽天の監督がノムからブラウンに代わった年に、動いてこないから楽になったとコメントしたのが秋山だったな >>87
羽生田の鉄砲肩を一度みるとイチローのレーザービームなんて大したことないなと思うくらい凄かった 何とか清原打ち取っても次がスイッチバッターのデストラーデとか言う反則バッターがいたのがな 先発が早々に崩れ、出てくる中継ぎが皆バッターから逃げてフォアボール連発で大敗の試合後インタビューで森監督が
「必敗法の最たるものだ」と激怒してたのを覚えてるが「必敗法」という言葉を聞いたのはその時以来だ 全盛期にメジャー行ってたらどうなったか気になるな
打率が低いから厳しいかな >>51
チョンの達川と檜山
桧山の親は帰化してない SB監督時の試合前練習のフリーバッティングでHRを連発し
若手をポカーンとさせたようだな
体はまだ若いね >>22
いまやサッカー選手の方が身体能力が高くなったな 1986年日本シリーズ第8戦胴上げの時の広島ファンのカエレコール
同点ホームランのバク転
今の広島なら報復死球どころでは無い >>121
野球分かってるか?
本塁打40本打っても現実では四試合に一本の割合だぞ
勝負強くて走者を還せる右に大きいのを打つ技術が高い清原が適任だろ >>37
西武が出来た頃は弱くてラクだったんだけど >>61
西武が黄金時代を築けたのは球界の寝業師根本と管理野球の広岡の力が大きいかもな >>133
羽生田は日本プロ野球史上最強かもしれないな
羽生田がライトからホームへ返球するんだけど捕手が予想以上に強い球がきたから落としてたっての見た覚えある >>99
11 石井丈裕
15 長見賢司
16 潮崎哲也
17 新谷博
18 郭泰源
19 松原靖
21 渡辺智男
26 鹿取義隆
28 竹下潤
29 ヤング
31 森山良二
32 原口哲也
34 鈴木哲
36 亀井猛斗
41 渡辺久信
42 西本和人
43 横田久則
46 高木宣宏
47 工藤公康
48 前田耕司
51 呉俊宏
52 小田真也
53 内山智之
56 松田和哉
58 宮地克彦
59 北原泰二
60 山本勝則
63 神野信也
66 千原淳弘
68 加世田美智久
70 逢阪輝樹
71 蒲谷和茂 >>50
その前に、太平洋クラブやクラウンライター時代を経験してるから、必死だったんだよ >>126
横浜は球団や選手の体質が駄目だったろ
主力選手には本社の幹部がタニマチのように付いてて気に入らないコーチや監督のサインをわざと無視してタニマチからなんであのときああしなかったんだって電話掛かってきたら
自分はそうしようと思ってたけどサインがそうだったから仕方なかったとか嘘付いて経営陣連中に気に入らないコーチや監督のダメ指導者イメージを付けて追い込んで追い出したりしてたそうだから
だから懲罰で交代させられた村田がふてくされて試合中に帰ったり監督室に入り込んでテレビ観てたりしても咎められなかったんだし
古葉もそれで自分の思い通りに采配出来なくて駄目だったんだから >>87
当時のプロアマ協約だかに抵触しない?それ >>87
外野守備の名手ではなくてプロ野球史上最高の強肩な
守備はそこそこ
笘篠や吉竹の方が上手かった 西武黄金時代の選手はみんな日本シリーズよりパ・リーグを勝ち抜くことが難しかったと言ってるね
その中でも個々の役割が徹底してた西武は強かった >>153
加藤哲郎(近鉄)
えー、別にー、とりあえずフォアボールだけ出さなかったらね、まあ打たれそうな気しなかったんで、ええ。まあ大したこと無かったですね。 日本シリーズ巨人戦後のインタビュー
加藤哲郎(近鉄) その2
えー、もう、もちろんシーズン中のほうがよっぽどしんどかったですからね。相手も強いし、ええ。 秋山って実はチャンスにクソ弱かったんだよな
得点圏打率も悪かったし、1年間満塁で0安打なんて年もあった 打率 .256 35本塁打 91打点 51盗塁
打率2割5分、122安打中35本がホームランという状況で51盗塁w この時代からプロ野球は前に進んでない。
そりゃ人気落ちるわ。 秋山ってフィジカルエリート揃いの野球選手の中でも特にフィジカルが優れていた
走攻守三拍子揃った好選手だったよなー憧れたわ >>130
外野のベストメンバーはレフト吉竹じゃねぇだろ
野茂キラーで90年の石毛平野秋山清原デストラーデ〜九番田辺の打線全盛の時に半レギュラーだっのが笘篠だったろ
守備も小技もミスターファインプレーの吉竹より上手かったし
吉竹の方が意外な一発があるけど
打撃の調子がよくて守備固め要員で安部吉竹笘篠のスタメン候補の一人からレギュラー寸前までいった 当時の西武ってインチキ入団の選手ばかりだったな
そら強くもなるわ
同じことを巨人がやったらメタクソに叩かれるのに >>67
ん?
バント職人だけど、3割売ってなかったか?
犠打数で記録塗り替えて、3割打って盗塁数もかなり多かったイメージ
常に辻か平野が塁上にいた印象 当時の西武がこんなに強かったのに盛り上がったのは近鉄のおかげ
阿波野やブライアントとかいい選手が揃ってて西武とは別の意味で恐ろしかった 黄金期は球団側、選手、監督、コーチ、スカウト、全てが統制されて隙がなく本当に強かった。
打線は理想的だし、投手陣は先発、中継ぎ、抑えと投手王国。
走攻守そして戦術と役割が浸透していてオーラさえあった。
現在のプロ野球でも余裕で日本一になれる。 >>158
外のスライダーにくそ弱くて絶対にそこを待ってたら来るって場面でも外スラを右に軽打するってことが出来ずに長打狙いの引っ張りばかりだから森に嫌われまくってた
93年の日本シリーズでここで秋山が打ったらライオンズ優勢になるって場面でも
試合前のミーティングで再三再四指導してもサイン送ってもその通りにしなかったから激怒して左の強打者を取ってきてくれってトレードの放出要員にリストアップされた >>163
アホ、巨人も同じ事やってるやん。
そのくせ弱いwww 暗黒時代の阪神に羽生田とデーブ欲しかったな
阪神が弱いからって根本が立花を無償トレードで出したんだっけ >>166
落合とか門田も自分の打席の時に盗塁するやつはチョロチョロすんなって脅してたらしいぞ
ストライク一個損するし走者が一塁にいた方が一塁手がベースに引っ付いて守るから一二塁間にヒットゾーンが拡がるからな
清原は自分の成績よりチームの勝ちが最優先だとPLと西武で叩き込まれてるからチームバッティングに専念した
森が後に清原に自由に打たせてたら打撃タイトルのひとつやふたつ取ってただろうが清原が自分を殺してチームに貢献してくれたから西武の栄光があったと語ってたな 懐かしいな
黄金時代からは外れるけど、ナベQのノーヒットノーランを現地で見たのはいい思い出
秋山はすっかりソフバンの人になってしまったが、西武に戻ってくる気は……ないだろうなあ… >>170
当時の西武のえげつなさは巨人の比じゃねえよ 野手は守備走塁含めても今のが上
投手が比較にならないけど >>157
その頃にはピーク過ぎてたしFAが1年後
佐々木誠って言う秋山より若い長打の打てる左打者、オマケに走れて、守備も良い選手がトレード相手だから >>159
走力がSで高身長イケメンになったおかわり君やんw >>176
ドラフトやぶりの江川や2リーグ分裂の切っ掛けになった別所引き抜きとかまでのエグいことはやってねぇけどな >>121
オーレは一発あるが雑で穴、と見られてたから相手は
「清原には無理せんとオーレで」
そしてドカンと一発。
典型が1990年の日シリ。
初戦、初回、初打席でシリーズが決まったと
言ってもいいくらい 石毛がヒザを故障したのは阪神との日本シリーズの甲子園での試合だったんだな >>180
根本から四番でホームラン王狙えっていわれて広い福岡ドームでホームラン打とうと前よりも強振しまくって腰を完全に壊して大きいのがそんなに打てなくなった
私生活では杖付いて歩いてたんだと
それのせいで力任せに打てないから右に押っつけたりするようになっていい中距離打者に変貌したけどな >>183
後ろにミスター西武でチームバッティングの鬼の小技、ヒッティング、長打狙い、進塁打と相手投手からしてみたら何してくるか分からないので無傷で抑えるのが大変な怖い石毛がいたのも大きかった >>6
球団に流出阻止する体力があったら分からんよw
まぁ、今のボコボコに殴り、ボコボコに殴られる山賊野球も好きだけどねw 92年のハイライトは辻のバックホーム
あの体勢から投げた辻、ジャンプして取ってアウトにしたキャッチャー伊東
西武野球の結晶のようなプレイだった 清原を獲得したり運もあったけど豊富な裏金や根本のインチキがなければ、その他大勢の平凡なチームだったよ
間違いなく日本プロ野球における負の遺産
辻
平野
秋山 ドラフト外(インチキ)
清原
デストラーデ
石毛 プリンスホテルに囲い込み(インチキ)
伊東 所沢高校に転校させ囲い込み(インチキ)
田辺
郭泰源 家族に取り入って囲い込み (インチキ)
工藤 密約して進学を匂わせ下位指名で一本釣り(インチキ)
渡辺智 怪我の噂を流して一本釣り(インチキ)
石井丈 怪我の噂を流して一本釣り(インチキ)
渡辺久 昔はイケメンだったくせに今はただのハゲ(インチキ) >>173
阪神に羽生田レベルの曽我部って強肩外野手がいて、全く活躍できませんでした 帆足、松坂、涌井、岸、菊池、牧田、稼頭央、和田、中島などが抜けてなかったらどういう感じのチーム成績だったかと思うことがあるわ
ホークス一強というのは阻止出来たかもな 巨人は巨人意外だと入団拒否だとか巨人の思う通りにならなかったらリーグ脱退新リーグ結成だとかやって無理やり好き勝手やってたけどな
西武が読売グループが雑魚と思えるくらい資金力と熱意があって巨人に歯向かってきたからボロクソに言われてるけど
郭泰源は巨人も色々やったけど最後は根本の人材ネットワークに勝てなかっただけだし ガチガチの管理野球ってイメージだけど
選手ひとりひとりを思い出すと全員やたらと個性的というか自由なキャラしてたよな 秋山は3割前後毎年打ってくれればもっとすごい印象だった この当時って子供人気はダントツ西武だったよね。
そして清原と秋山が選手人気トップツー。
あとはデストラーデブライアント辺り? あの頃の西武ライオンズは今でも濃い記憶に残ってるよ。
スーパーサイヤ人の秋山幸二、名2塁手の辻、涙の清原、名ショートの
石毛、4球の多いエース渡辺久信、ワザと当てていたデッドボール王東尾、
口も実力も富士山級の工藤公康投手。
こいつらを引具する監督さんたちもいや、大変だったろうな。
こっちもいい思い出だよ。 >>1
トレンディエースナベQの頭髪がああなるとは思わなかったなあ… >>133
試合前練習のバックホームだけで球場が盛り上がったね。 >>189
清原や松坂のドラフト抽選獲得も実はあやしい
2人とも堤がどうしても欲しかった大のお気に入りで、会場は西武系列のプリンスホテルだし
当時は今みたいな透明な箱じゃなかったから細工しようと思えば余裕 >>1
昨日の阪神対カープの試合を見てたら、バッターboxの
阪神の選手が秋山に見えて一瞬えっ?と思った >>180
視力か動体視力か忘れたけど落ちてたみたいでそれを西武が見抜いてて放出されたって話だったな >>200
ドラフト直前に根本が桑田の進学プロ入り拒否宣言が桑田清原両取り狙いの巨人との密約だと分かってたから桑田強行指名もあり得るってブラフかまして直前で巨人は清原の一位指名から密約があって複数球団が指名してくる可能性が低くて取りやすい桑田指名に変更しただろ この頃じゃないけど西武球場に行ったことある。84年頃だったかな。
晴れた日で気持ち良かったなあ。内容は覚えてないけど(笑)
今やここもドームなんだよね。不便でも野外のほうがいいなあ。 森監督時代か
ノムさんとの日本シリーズでの対決は面白かった >>205
巨人が桑田を指名してなかったら西武が2位で指名してたんだぜ >>126
横浜のときは最初から反発があったからな
選手を駒として勝利を目指すなら良かったと思うけど、人間だからね
西武のときは広岡さんが嫌われてて退任で選手が喜んで、自分も嫌われ役のヘッドコーチだったけどスパッと自分も選手への接し方も変えてチームを掌握したみたいだな
前任者からの文脈も大事だな 「あきらめたらそこで試合終了だよ」は
名言でもなんでもなく
大量リードされてから逆転して拾った試合のインタビューで
あの展開からよくあきらめなかったですねと聞かれ
単に相手が自滅しただけの内容を嫌味のように皮肉った糞エピソード
今だに忘れないわ この頃は平日の昼間に日本シリーズやってて、学校のテレビで特別に見せてもらってたな >>210
森も広岡についてけなくなって84年限りで退団していたことも、西武ナインが森のことを受け入れやすかったのだろう 秋山幸二の黄金期は、秋山仁に間違われて講演会に呼ばれたが、
それにキレることなくその場で講演引き受けて会場を沸かせた時。 92年の最終戦、決勝の犠牲フライ打ったけど、次が不振の清原に代えて奈良原だったのに勝負に行ったのは、歩かせた場合小技の効く奈良原が嫌だったので、秋山から三振をとるしかなかったと野村が語っている
それなのに外野フライを打ってくださいという球が来てしまった >>37
村上隆行がやってた尻向けてベンチ前のタコ踊り
プライド高い西武ベンチがパクった時は
痛快つうか結構痛かった >>115
全盛期のマラドーナ観て言ってるなら
さすがにおまえどうかと思うわ 秋山は基本不器用な鈍臭いバッテイングの印象だけど
これは見事な技有りと思ったのは
90年巨人とのシリーズで桑田が絶対打たれない確信で投げた膝元シュートを
スタンドに放ったやつ 阪急全盛期「昔南海は強かったのにな」
西武全盛期「昔阪急は強かったのにな」
ソフバン全盛期「昔西武は強かったのにな」 走攻守三拍子そろった選手でメジャーでも通用すると
言われてたけれど
広角に打てない、三振が多い、意外と打率も低い 昼間試合やってて新人の石井一が漫画みたいな快速ノーコン披露してた気がする 小汚い千羽鶴をベンチ内に飾るようになったのは
どこのチームが始めたんだ >>220
おいおいマラドーナの30m走のタイムは3.9秒だぞ
そのまま100mに置き換えると14秒近い
プロのレベルで俊足といえるレベルにはない
マラドーナは普通に走るのとドリブルのスピードがほとんど変わらなかったというのが凄いと言われていた理由なんだがね >>188
あれってセーフに見えるんだけどなw
あのプレーがあったことで、
翌年はギャンブルスタートというサインができて、古田のホームインがあるんだよな >>228
30mの3.9秒がアスリートとして早いか遅いかは知らないが
そのまま100mに置き換えるのはさすがに馬鹿すぎだろ
距離が延びれば加速する、さら延びれば疲れて減速するから
正比例にはならない >>228
そりゃカニーヒアより遅いの当たり前だし
ロマーリオみたいに数値データとらせない(真面目にやらない)のが
普通にいた時代
さ、いつなんのデータか証明よろしく 何気に通算打率.270あって清原とそう変わらないんだよな
3割打ったのは2回だけだし、基本.260くらいの低打率のイメージだけど.290台も実は3回記録してる >>25
なんなんだよこの投手陣www
全員タイトルホルダーじゃねーの? >>230
野球選手の盗塁は25mくらいだけど2.5〜6秒だとアウトだからな
坂豚は変な夢みないで現実を知れや >>234
それで、30m走のタイムを100m走のタイムに正比例させて置き換えた
論法についてはどう弁明するの? やっぱ80年代の新人類世代が記憶に残ってる
小2だったけど入院しながら応援してた >>185
引退して腰の手術したら回復しちゃって監督時代選手より打球飛ばしてたらしいもんな >>61
今思うと、当日の西武はレギュラーの質が段違いだから、手堅い作戦を取るという基本的な方向性だけで勝てたんだと思う。
同様に今のソフトバンクは選手層が段違いだから、困ったら選手を変えるというだけでかなり勝てているように思える。
どちらに理にかなった戦略ではあるけど、森や工藤が本当に名将なのかというとかなり疑問だな。 >>195
パリーグが一般の目に触れるのはオールスターと日本シリーズだけだったから
パリーグで知られてるのが西武だけだった 全盛期西武は全員に華があった。
清原はクスリで失敗こそしたがいつかは復帰して欲しいな。 しばらくの間、日本シリーズで西武ライオンズに勝ったのは阪神タイガースだけだったな 塁間27.431mまあリードを入れれば「25mくらい」でとりあえずいいとして
調べてみたら二盗にかかる時間早くて3秒台前半
>>234こいつ完全に嘘つきだな >>151
中学〜大学、社会人の野球部所属でなければOKじゃなかったっけ。 工藤、ナベQ、郭泰源といったエース級がローテーション守って、石井丈裕と渡辺智男という地味なヤバい投手揃えて、潮崎、杉山といったチートセットアッパーがいて、鹿取が締める
こんなの本当に無茶苦茶だろ?
先発だけで100勝近く出来ただろうに >>235
25mのスタートダッシュより距離が延びた方が加速するってお前の説の論拠がガタガタだな >>243
ばあか
クイックなしで投げると二塁送球までが2.5秒だ
いまはクイック徹底だから其れより速く着かないとアウトだ 25mの二塁まで三秒だとしてもマラドーナは30m4秒近いんだが >>87
羽生田で忘れられないのが87年の後楽園での落球事件。9回ツーアウト、これを取れば試合終了というライト線際の凡フライを守備固めのはずの羽生田がグラブの土手に当ててまさかの落球w 急いで拾ってホームに向かうランナーを刺そうと凄まじいバックホーム!
もタッチする伊東がこれまた落球w
結局そのままサヨナラ負けだった。
誰か覚えている人いる...って書こうと思ったらwikiにも書いてあった。有名だったんだねw >>246
あのね、スタートの合図を聞いてから反応するまでの時間、
スタート時点では初速度0、
25m付近から計ると仮定すると初速度付き、
そっから50mまでのタイムを取ったとして
どっからどう考えても正比例にはなりえないでしょ?
>>247
ああそう、じゃあ例えば↓とか、こっちのほうが嘘なの?
http://g-times.jp/stopwatch/ オ~オ~アキヤマノテツジンリストォ~♪ジェットキリュウデダキュウガキエルゥ~♪ 実家が西友の裏だったから、エンドレス松崎しげるに"いつまでミラクル元年やねん!"と突っ込んでいたあの頃 >>150
「出会ったら挨拶する」「勝手に帰らない」「ベンチでは声出し」「監督室にはノックしてから」「凡打でも一塁まで全力」
…中畑最初の訓示が泣けるわ。よくこんな底辺校みたいなゴミ組織立て直したもんだw 俺らが小学中学の頃の日シリはデーゲームで
大概西武が出てた記憶 >>251
西武時代に堤に甘やかされてダメになったんやで >>200
東尾は封筒の上からでもクジを盲牌できる >>214
森は野球は徹底管理だったが私生活は放任主義だったからな
だけど選手やコーチに派閥を作らせるのだけは許さなかった
タニマチや派閥の親分に遊びに引きずり回されて駄目になっていく選手が多いからな
派閥外の外様選手なんかが嫌がらせされたりチームに打ち解けにくくなったりするし
森がいなくなったあとの清原がそんな感じだった
ポスト秋山ポスト清原で育てていた垣内から清原は自分の地位が脅かされると危惧してスタメン定着を狙ってる伸び代がある大事な時期に遊びに連れ回って深酒を重ねさせて潰して中途半端な選手になってしまった
やんちゃしすぎる選手を叱る怖い先輩がいないってのも増長させる原因だな
そういう先輩が眼を光らせてるからはめを外しすぎたりすることに抑えが効く
だけど清原は西武から巨人に移籍したので古くから恐れている先輩やコーチがいなかったから好き勝手やるようになって身を崩した
PLの大先輩吉村がいた頃は大人しかったそうだが
監督やオーナーのひいきの選手を甘やかせるとろくなことにならないってのも清原や松坂で実証してみせた
かつて西鉄黄金時代を率いた三原監督も弱いチームには弱いだけの理由があるといって幹部連中からひいきにされて好き勝手してた選手は容赦なくトレードに出した
巨人にトレードされた張本は多摩川グラウンドで寒いからって練習せずに折れたバットに火を付けて焚き火してたら後ろから関根潤三コーチからイスでぼこぼこにされたそうだ
ギャオスが野村より関根の方が恐ろしかったというのは逃げの投球でピンチを広げたときにマウンドに来てニコニコした顔で足をスパイクで踏みつけながらふざけてるの?死ぬの?っていい放つからなんだと >>25
懐かしいお(´;ω;`)
強かったなぁ。 >>259
昔、上柳のANNで関根監督の振る舞いを面白おかしく報告(勿論架空)するコーナーがあったけど、御本人も凄いなw デストラーデがあんな感じになってしまうとは思わなかった 良くも悪くも森監督は石橋を叩いても渡らないタイプの指揮官
圧倒的に強いチームを確実に勝たせる手腕に秀でても
そこそこの戦力でそれなりに勝たせる手腕は持ち合わせていない >>259
関根さんもヤバイが張本が頭おかしすぎるw 西武はなんでこの黄金期ユニを捨てちゃったかね
残念だ
帽子をLにするだけでよかったのに 伊東も若手の頃の話はやべえんだよな
ブルペンで1球で交代って投手に言われて立ち直れないくらい落ち込んだとかw >>262
関根潤三は近鉄でコーチしてたからなのかパリーグ流の長所を伸ばす指導が得意なんだよね
伸び悩んでた広沢と若い池山にお前らは大きいのが打てるから小さく当てるバッティングなどせずに思いきって振ってこい。せこいバッティングで凡退したら二軍だからな。二人で200三振してもいいから思いきってやれっていったら300三振しましてねわははって呑気に笑ってた
池山は野村時代になって配球を読んで当てていくってバッティングやって三割打てたけどそのあとは自分がどうやってホームラン打ってたかどうやってフルスイングしてたかが分からなくなって打撃が崩れた
それと関根は根本があいつはインテリやくざだって恐れる相手だったそうだ
学生時代は愚連隊でピストルを持ち歩いてたんだと >>61
森監督は戦略家じゃなくて戦術家
強い駒を動かす才はあっても強い駒を揃える才まで持っていない
それこそ根本陸夫みたいな外交、政治に秀でた戦略家が上に居ないと
基礎的な戦力そのものが構成できない デストラーデがフロリダマーリンズに行って大して活躍しなかった時に
メジャーはすげえレベルだなと思った 黄金期の西武は厳しいイメージがあるな
でも工藤や渡辺久信はチャラいイメージ
もちろん工藤渡辺共に実力は認めてるよ
ヤクルトも古田岡林広沢池山内藤なんかはバブルというか浮かれてたイメージ >>87
>>250
イチローがレーザービームというワードを浸透させる前は
羽生田の鉄砲肩と表現してた
強肩を鉄砲肩と呼んでた昭和の風景 >>245
時期が微妙に違うかもだけど
個人的には永射保が大好きだったわ
ロッテのリーなんか永射を全然打てなかった >>268
若手のころ試合で使ってもらったら投手が自分のサインを全く無視してる
おかしいなと思ってよく見ると投手がマウンド上でベンチの方をチラチラ見てる
投手は伊東じゃなくてベンチの出すサインに従っていた
めっちゃ落ち込んだって まるでゲーム機で野球ゲームをしているかのように
勝ちが計算できるメンバーだったよな。 >>259
私生活は根本管理部長が目を光らせていた
清原が昨日どこで飲んでたとか、あの店は止めとけとか、
何で知ってるのか分からないけど、全ての行動が筒抜けだったらしい >>267
グッズを売って儲けようとしたから
YGマークはダサくて見れたもんじゃないが、
半身不随になったアイドルが身に付けてるTシャツ等の西武グッズはアリだと思う 秋山のホークストレードは驚いたなー
結局あれは森監督と不仲だったからなのか?
根本がいたから出来たことではあるけど
結果としてはトレードでホークス行って大正解だったね 野村がID野球を標榜して新しい野球だ、データ野球だってもてはやされたけど野村にいわせればあれは自分たちが70年代にやってた野球をセリーグでやっただけなんだと
パリーグは三原水原西本広岡と名監督が揃ってた時期があってその頃はプレイングマネージャーだった野村は相手監督との頭脳戦で鍛えられたのだそう
セに来てビックリしたのは古くさい練習と打って投げるだけみたいな単純な野球をやってたことなんだと
自分たちの若い頃は巨人の野球を日本シリーズでみて最新の練習や最新の野球を学んだのにあの名門が落ちぶれたもんだとぼやいてた >>270
根本は自分や他人の適性をよくわかっていて
自分は人を集めてチームの土台を作ることが仕事と割り切っていたから
根本が監督のころはまるで勝ててない
でも土台ができたらそこで広岡や森など駒を使うのが上手い監督を招聘するからそこからめっちゃ勝ち出す >>267
去年だかオリックスが昔のユニ着るイベントで西武は時代的にポリバケツで合わせるところをなぜか2008年頃のやつだったな 秋山清原デストラーデのAKD砲は俺のファミスタで最強だったよ 87年のファミスタでは3割打者ゼロだったよな
巨人の方が明らかに強かった >>279
根本が裏社会の連中に清原だけは手を出すなと釘を刺してたそうだからな
ヤバイことがありそうだとすぐに連絡がいった
石毛や伊東もスキャンダルを根本に揉み消してもらったんだそうだ
根本は球団運営費以外に本社から根本個人に流れてる金があってそれを指摘する人がいてその事に触れたら大事になるぞって言われたらしい
それは球団管理部長の他に本社の総会屋対策や土地転がしをやっててその対策費用だったんだと
まあそういう人物だから裏表プロアマ政財界の人脈に顔が利く寝業師の根本と言われたんだろうけど >>282
三原水原西本広岡と野村が揃ってた時期なんてねーぞwww
野村克也プレイングマネージャー時代
南海 1970〜77
三原脩パ・リーグ監督時代
西鉄 1951〜59
近鉄 1968〜70
西本幸雄パ・リーグ監督時代
大毎 1960
阪急 1963〜73
近鉄 1974〜81
水原茂
東映 1961〜67
広岡達朗パ・リーグ監督時代
西武 1982〜85 >>281
あれは根本の作戦勝ち
森との不仲
秋山のマザコン気味の性格
ダイエーの巨大資金
というのでうまいこと森にFAで出ていったら戦力がた落ちで損するからトレードで代わりの選手取れた方がまだましって思わせた
ホークスに移籍した根本と秋山夫妻がシーズン中に料亭で密会ってのがスポーツ新聞にすっぱ抜かれてそれで焦って根本の持ってきたトレードに乗っかった
実は根本と秋山夫妻が料亭で会ってたのは根本が秋山夫妻の仲人してて最近の夫婦仲はどうなんだ?と世間話をして飯を食ってただけ
根本は秋山自身が関東での生活を気に入っててFAで他球団に移籍したいとは考えてなかったことを知ってた
スポーツ新聞にリークしたのも根本
そのおかげて秋山が取れるし
その後の西武がチームのために頑張っても要らなくなったら用済みでぽいっとトレードされてしまうって選手たちが球団や幹部連中を信じなくなってチームが崩壊していった >>286
いきさつは知らんがあの年は森監督が先発投手をなるべく完投させる方針を打ち出していたとのこと
先発投手陣は全試合の半分強を完投して
チーム防御率はリーグ唯一の2点台で当然トップ
89〜90年の巨人もこれと似た感じだった 広岡時代の打順(うろ覚え)
1番 石毛
2番 山崎
3番 スティーブ
4番 田淵
5番 テリー
6番 大田
7番 片平
8番 大石
9番 立花
個人的には黄金時代よりも好き 西武マネーでFAで他球団のスター選手獲りまくってやるぜ!
とナベツネと組んでFA制度導入させたが、結果はホークスに獲られまくりwww >>288
書き方が悪かった
揃ってたというより野球をしたとか野球を教わったという感じか
西本は大毎で三原大洋と戦って情報戦や奇策、用兵の差で敗けたのがコンプレックスになって細かい野球を研究した
広島と近鉄の日本シリーズで江夏の21球で江夏が自分の思ってるセオリーと違うことを次々とやられて混乱してたらノーアウト満塁という大ピンチになってしまったというのもパリーグの細かいデータ野球によるもの
江夏は後に自分がまた現役でやるとしたら誰のもとで野球をやりたいかって聞かれて西本と答えてたな
自分が驚かされた知将の西本に野球を教わりたいんだと むしろ西武にライバル球団が欲しいからという理由で
根元がダイエーに移って
そこでやりたい放題やった結果らしいけど >>291
森時代の西武純粋培養の選手よりは
ロッテ、阪神、南海、福岡時代の一癖ある選手が集まってて
ある意味面白かったな >>291
まだ西鉄時代の荒々しい空気が多分に残ってたよね 西武は悪どいドラフトを延々と続けてズルしまくってたから日本一になっても全く人気が出なかった >>292
清原欲しくて巨人主導で導入された制度だよ ドラフト破りや登板日漏洩、野球賭博関与、ナベツネも関わってて巨人の経営権を手放して院政をしくことになった原因の一場などへの裏金とか西武どころではないど汚いことをさんざんやってるがな >>301
巨人が反対すれば選手会の意向なんて意味が無い ナベツネはFa反対派やもんな
たかが選手が偉そうなこといってんじゃないよほんと ホームランバッターで走れてめっちゃ華がある。今で言ったら案外ギータが一番近いかも
ただギータは打率も凄いけどw ただ守備や走塁は秋山の方が上だろうな >>303
松井は今もナベツネのことが嫌いなのかなあ。 130試合で38本43盗塁は凄いな
打撃センスがあんまりないのが残念だった 「ホームランを打ったらバク宙をしましょう」と書いてあったん? >>302
おまえ主導の話してたんじゃなかったのかよ >>295
半ドーム悪いみたいな前提になってるけど、良い面もあるんだよな
やっぱり雨に濡れないのが良いし、かといって閉鎖空間のドームでもないから、外との繋がりもあって外と中を自由に簡単に移動できるしな
めちゃくちゃ熱くもめちゃくちゃ寒くもない時期なら悪くないし
寒いのはたくさん着ればどうにかなるからね。
問題は熱い日だろうな。選手も含め
西武HDは金持ちだから空調機能とか設備も改善できそうだけど
実際多額投資する改造も着々とされてるしね
あと半ドームはホームラン出易いのかな、西武の選手ホームラン打ちまくるから盛り上がる ずいぶん長くAK砲だったけど、一緒に飯をくったことすらないって言ってたもんな
それでもなんの問題もないのがプロらしい >>290
更に巨人の方は、投手が自分で打たないと勝てないと云うオマケ付きw
>>303
そうなの?
俺は“なんでも欲しがるシゲちゃん”の為にナベツネが主導したのかと思ってた… >>310
逆に王長嶋のようなバチバチしたライバル関係もないっていうのが、森監督がトレードに出した表向きの理由の一つ 1989年も優勝してたら巨人のV9を抜くV10までいってたんだよな
しかも1989年の3位も2厘差で3位っていう >>313
ブライアント一人にやられた
あのダブルヘッダー見に行きました... >>310
AKに限らず、選手間での個人的な付き合いはあまり無かったそうだからな。 >>309
今年のホーム開幕戦、寒すぎて着込んでもどうにもならなかったから試合終盤に早めに帰ったわ >>309
屋根無しなんて必要ないって訳じゃないんだよね。飽くまでも次善の策。
楽しみにしてた観戦が雨で中止になったらやはりへこむよ…
それに仰る通り、猫屋敷は半開放式なのが良いんだよね。
俺もからくり屋敷みたいな巨大体育館だと流石にちょっとと思うw
まぁ、夏場の選手達は気の毒だけど…
こっちはビールが美味いから暑いのもありかな?っとw まあONは王さんが長嶋をミスターっていって立ててたしKYは衣笠が山本浩二を立ててたしAKは清原が先輩の秋山に遠慮してる部分があったりして両雄列び立たずとはならなくて上手くいってたしな
キャラの違いってのもある
引っ張り専門で川上から時と場合を考えてバッティングしろと叱られても我関せずで我が道を行くけどここで長打を狙われるより確実に右打ちやセンター前で一点取られた方がダメージがでかいって場面で強かった長嶋さんとか
だけど打点王取ってたのはぶん回しの王だった訳だけど
ぶん回して三振王、エラーが多くて失策王とか走攻守揃った山本浩二と比べて荒削りだけど性格は控えめで山本浩二を立ててた衣笠とか
監督から嫌われてた先輩の秋山と猫可愛がりされてた後輩の清原とか 1992年のシリーズは最高だったなあ
ヤクルトは投げられない主力投手が数人いたから
4-2ぐらいで西武かな?と思ってたけど紙一重だったね >>315
清原と元木が一緒に飲んだことが一度もなかったってのは衝撃だったけどなw
どんだけプロ舎弟なんだよ >>257
まるで清原が被害者みたいな事言ってワロタw 清原も秋山やナベQといった先輩の事は怖がってたんだよね。
番長番長言われてたけど実際は後輩キャラの方が性に合ってそう。 アクセスも球場の目の前まで路線が伸び専用駅は珍しいからな
武蔵野西部の埼玉と東京の西部の近い地域から大多数は集めたら良いだけだからね
あとは池袋から直通で来るビジターや遠方からのファンのアクセス向上
ラビューを飯能や秩父だけじゃなくて、西武球場前とか本川越にも出せば良くなりそうだけどな
同じ埼玉なのにさいたま市とかのファンどうする問題があるから
これは大宮を準本拠地にしてたまに開催すれば良いわ
さいたま市は逆にJリーグのレッズとアルディージャがあるしね
川越にもJリーグクラブ欲しいよ 昨日、黄金時代を築いた森元監督の本を読んだばかり
なんてタイムリーなんだ!!
西武の黄金時代って、Jリーグ開幕前後で
野球人気がスゴかった
クラスで西武ファンと巨人ファンがどっちが強いか
喧嘩になって、先生が止めに入ったこともあったな・・
セとパだから、普段戦わないからこそ喧嘩が起きた
いまよりも選手が輝いて見えたのは
自分が子供だったからだろうか? ここの馬鹿達は清原は高卒1年目で30本打てて天才とか言うが
毎年30本打てるなら分かるが打ててないじゃん ここの馬鹿達は清原は高卒1年目で30本打てて天才とか言うが
毎年30本打てるなら分かるが打ててないじゃん >>308
巨人が反対するものは、選手会の議題にも上がらないの
選手会の要望なんて、出来レースのセレモニー
その図式が崩れたのが、1リーグ制導入時の騒動
今まで言いなりだった選手会が反発して、飼い犬に手を噛まれたナベツネが「たかが選手」と本音を漏らした >>319
二戦目にタイゲンが負傷したのが大きいな 森監督は名監督
日本シリーズで桑田が第1戦に先発した時点で勝ちを確信したらしい
本当か嘘か知らんが 今ヤクルトの村上が清原越えたとか言われてるが清原の足元にも及ばない
高卒1年目で3割30本体とか100年に一人の逸材 今週のじゅん散歩はところさわなんだけど
高田さんが立ち寄ったお店に飾られてたのは
サンフレッチェ広島のユニフォームだった >>317
屋根を乗せるにしても開閉式の屋根が付いてりゃな…
堤帝国時代ならそれくらい出来たろ >>326
デビュー当時は苦戦していて、相手投手の研究ノート作ってだんだん克服していったが、
1年目の活躍で「こんなもんか」と思って、それ以後はノートを止めたらしいw >>167
西武渡辺、近鉄阿波野もそうだが日ハム西崎もいて華やかだったな >>218
あーその談話スマホで見つけて読んだな
自分の時はノムさんだったな
「秋山を歩かせたら辻、秋山、奈良原と三人の俊足選手が並ぶから
何してくるかわからないから勝負した」って 当時の野球少年の間じゃ西武すごい人気あったもんな
巨人のナイターしかテレビ放送がない時代にパ・リーグの埼玉のチームが人気とか凄いことだよ
正攻法で強いのに細かい野球も仕込まれててスキがない
甲子園のヒーロー清原に度肝を抜く身体能力の秋山、めちゃくちゃ人気あった
それを囲える西武グループの体力も凄かったんだろうけど >>323
まぁ、取り敢えず荒川のこっち側をテリトリーとすると云う事でw
やっとの事で本川越の裏口が出来て東上線からの敷居も幾分低くなったしw
後は直通列車と言いつつ所沢や西所で長時間停車するの止めて欲しいわ(´・ω・`) >>27
土日の本拠地デーゲームはTBSとテレ朝で毎回放送してたよね
記憶あやふやだけど
あと何故か気になったのは巨人は全試合中継されてたがビジターだと阪神戦はテレ朝
広島戦はTBSがなんとなく多くなかった
中日がフジだったかな
なんか系列縛りでもあるのかと当時思ったけどこれって勘違い? 世紀のトレードは色々言われてるけど
橋本だけは来てくれて本当に良かった
まあ、内山と1対1でも取れたかもしれないが >>314
二戦目の先発が高山だったのには萎えたよw 対戦成績では圧倒してるけど弱かったころのダイエーによくやられてた印象あるな >>61
弱いチームを強くする監督っていうのは戦力補強の人材確保にまで口を突っ込めるGM的な権限を与えられる星野みたいなタイプじゃないと難しい 必勝法を受け継いだのが工藤監督
必敗法を受け継いだのが石毛監督 西友の優勝セールは恒例行事だったから野球に興味ない主婦層も西武の順位とセール日は気にしてたな >>328
森監督は一戦目は負けても引きずらないタイプの渡辺か工藤
二戦目は翌日移動日だから負けてそのままの雰囲気で移動するのは良くないんで
一番信頼できる泰源を起用したって言ってた、あのハプニングは誤算だったね >>25
監督経験者は石毛以外全員優勝してるから
指導者としても優秀なんだよな 野村克也がライオンズOBなのが意外過ぎ南海ファンはどう受け止めたの
土井正博も生え抜きかと思ったら違うのかよ
ていうか根本もクラウン時代から居たのかよ
なんでクラウン時代は剛腕ふるえなかったの
貧乏だから?じゃ西武堤と巡り会えたのがとんでもない奇跡が起きたのか まあ、あのトレードは色々な要素が秋山に悪く出てたよなあ
FAが導入されて、翌年には秋山がFA資格を得る
その時点で球界2位の年俸で引きとめるには落合以上の3〜4億が予想された
その年の秋山は得点圏打率が2割を切ったり、盗塁も9個に終わるなど
年齢的な衰えが指摘された上に、首脳陣と起用法について揉めてた
その隙を策士の根本に突かれたって感じ >>1
秋山といえばイチローが出てきて4割近く打っていた時、「4割?打者の夢だよ」となぜか
忌々しく答えていたな、自分が2割5分打者だったからか? 根本と堤は巨人も真っ青な選手獲得法を当時バンバンやってたよな
謎のドラフト外指名やら強行指名 あの頃の人に「21世紀はホークスが常勝チームになるんだぜ」とか言ったらキチガイ扱いされるんだろうなあ 森が監督だったから、あの頃の西部って人気それほどでもなかった気がするんだが >>349
間にロッテも挟んでるし、
別に南海ファンから嫌われるとかはなかったんじゃないかな >>162
笘篠は腰痛だったり怪我でちょいちょい抜ける現監督の代わりにセカンド入ることも多かったからレフトに置かずに取っときたいってのはある
吉竹は外野専任だから 当時の西武の方が今の西武より強いとか何の冗談だ?
90年あたりの映像を今見たら酷いもんだぞ
いかにこの30年でスポーツが進化したかが分かる >>351
93年のプロ野球ニュースで
簡単なフライをポトーンと落とした時
解説者に「ふてくされてプレーしてますよね」って言われてた 3連発打つ人は何人も居たけど
負けたらほぼ優勝争いから脱落という超大切な試合で
それを成し遂げたブライアントはやっぱ神様仏様ブライアント様だわ >>185
引退して腰の手術してホークスの現役と競争して一番早くてもう一回現役やろうかな、とうそぶいた男 >>188
そしてまずい本塁突入で野村監督に怒られる広沢w 近鉄ファンだったが、たまに出てくる広橋、行沢、西岡などの控え組にいい仕事されて大事な星を落としたイメージがあるな
あと鈴木健にもよく打たれたな >>359
先発は右ピッチャーが多いからか吉竹のイメージが強い
笘篠は代打で左殺しの笘篠ってライオンズナイターでよく言ってなかったっけ 今でこそGMなんて仕事内容が一般的になったけど
あの時代に編成部長の名前やフロントの仕事自体が知られるのが凄いね
寝技師なんてあだ名までついて
そもそも選手上がりで編成部長って他球団や過去にどんだけ居たのよ
マジで王貞治が監督で成功するなんて絶対あり得ない血迷ったかと思ったのになぁ >>346
関西だけど阪急もそうだったよ。阪神日本一の時ファンは熱狂してたけど、
野球に関心のない知り合いのオバハンは「バーゲンはショボイ」って文句言ってたw >>360
こう云う時に直接対決させる人って如何なもんかね?
其処はその時代での他者との比較などで推し量るものだと思うが?
74式とティーゲルを比べて勝ち誇っても仕方ないと思うんだけどね? 85年の日本シリーズだと秋山・伊東・辻・工藤といった面々もまだガチガチで阪神に飲み込まれたんだよなあ。
公式戦40発以上の秋山がシリーズでは0HRに終わった >>370
1、4、7試合だね。
当時は減りつつあったけど、7戦まで行った時にエースが3回投げるのはそんなに珍しくない
ただ、延長戦が2回あったのに3戦とも完投ってのは凄いw >>245
工藤とナベ久は隔年活躍
郭はスペランカー
石井と渡辺は確変 >>269
衣笠が呑んで夜中に帰って来たら関根さんが寮の玄関で待ってて素振りした話好き 森と広岡って仲良いんだっけ悪いんだっけ。
あの二人は元巨人なのに巨人の監督にお呼びがかからなかったりよく分からん。
広岡が長島と仲悪かったんだっけ。 >>286
ファミスタのライオネルズは大抵3割打者不在 当時のレギュラーのほとんどが後に監督になるという恐ろしいメンバー
まさか田辺まで監督になるとは思わなかったわw >>377
森と広岡は現役時代から親友という感じだったけど、
広岡監督と森ヘッドコーチの最終年に成績不振で仲が悪くなった。
広岡が森のクビを主張してクビにしたけど、
根本は森に長期政権を任せるつもりだったから、予定通り森を監督にして、
仲の悪さは決定的になった
広岡の性格的に、森が名将って言われるのも気に入らないと思うw
その西武の基礎を作ったのは俺だって感じで >>228
> おいおいマラドーナの30m走のタイムは3.9秒だぞ
そのまま100mに置き換えると14秒近い
はい? 西武ライオンズ創生期をうっすら知ってる
万年下位の落ちこぼれ集団の雰囲気だったのに
今で言うと楽天やDeNAが一気に最強帝国まで変身した感じか
根本が天才GMだ 田辺は伊原の辞任から監督代行の流れでそのままなったようなもんだからな
選手とコーチで長く貢献してくれたから監督やらせてみよう的な感じだったんだろう >>341
秋山がトレードされたショックをごまかすために
佐々木は首位打者すげえ村田は10勝投手だ
脳内補完して紛らわしたけど一番役にたったのは橋本だったねw >>228
だから
マラドーナなんやん
遅いから
相手の重心の逆を取るドリブル
ピッチを俯瞰してグランド全体をコントロールする選択肢
見方を上がるまでボールを隠すキープ
見せて食いつかせてさっと逃げる
マラドーナが速かったら
メッシになっちまう
得点力と突破ではメッシに劣るけど
シャビやイニエスタの役割も出来て
チーム力を上げられる
得点王は1回しか取らなかったけど
(ヾノ・ω・`) >>386
しかも現役生活が一番長かったという
あと村田に関しては福岡の「黒い職業の人たち」と付き合いがあるって噂があって
根本さんが「このままじゃこいつはダメになる」ってのが週刊誌に載ってた
まあ移籍後も結局成績は残せなかったけど… >>384
石井一がそんな風になったら俺は憤死するよ…(´・ω・`) >>377
広岡も森も巨人の本流(川上・長嶋)と対立してチームを離れてるから。
広岡は川上と現役時代から対立、森と長嶋は仲が悪い。
巨人の監督は第1期黄金時代の藤本定義はじめ三原脩、水原茂なんかは
最終的にライバルチームの監督でキャリアを終えてる。
川上、長嶋に続いて原は巨人の箱入りで終わりそうだけど。 石毛とかのスキャンダル記事を事前にもみ消すってどんな方法使えばマスコミに圧力をかけられるの
大物政治家だってスキャンダル消せないのに ホストと同居して遊びまわっていたのに、仕事も頑張って凄い 森監督は安定感に欠けるナベキューや秋山を信頼していなかった
堤オーナーは暗くて地味な森監督を嫌っていたってのが面白い >>392
そりゃ当時の堤王国は日本のというか世界有数の金持ちだからな >>291
根本監督時代の打順
7 マルーフ
8 立花
9 タイロン
D 田淵
3 土井
4 山崎
5 山村(兄)
2 野村
6 行沢
P 東尾 松沼兄弟 森(繁) 永射 古沢 森さん去年メラドに来てたな。
トークショーの動画つべで見たけど元気そうだった。見た目は流石に老けたけど、語り口調もそのままで相変わらず頭の良い人だわ。 >>394
森を嫌って出ていった谷繁が、ある意味一番森野球を踏襲してる落合の下でやってたっていうのも >>1
やはり引き締まった体型だとユニ姿も、
ピチピチスタイルが映えるな。
石毛やオーレ、この頃は清原さえもシュッとして
ユニ姿もカッコ良かった。
今のダボタボスタイル、どないかせえよ。 >>319
西村が投げられなかったからなぁ
荒木、高野、伊東が故障明け
2戦目で荒木が投げ、3戦目にルーキーで実績もなかった石井一久が投げざるを得ない状況だった
岡林が初戦で12回、第4戦で8回、第7戦で10回と全て完投の計30イニング
魂の力投だったよ >>385
監督就任会見で記者たちが潮崎監督はどこに座るんですかとか言ってたら田辺代行が出てきたとかだっけ 「今の最新情報が欲しいんだよ。記者席へ行って聞いてこい!」と。
監督命令なので、仕方なくネット裏記者席に向かい情報を集め急いでベンチ裏に戻ったが、監督の姿はなし。
そして、研修中の女性アナから「あの〜、監督から『試合が終わったらホテルに来ないか』と誘われたんですけど…」と困惑した表情で相談された。
要するに、彼女を口説くのに私が邪魔なので、近鉄の最新情報などという名目で「文化放送コンビ隔離作戦」を取ったというわけだ。
おえええ、きもっ >>35
巨人で運気下がる?
西武時代からチームメイトに小便飲ませたりやりたい放題だったのに?
制御出来なかったとはいえ、被害者だわ >>404
上にも書かれているが、ノムが次の塁を埋めて奈良原の方が
色々やってきそうで嫌だった、と
まあ、岡林以外のピッチャーだったら、敬遠させてたんじゃないかなって気がするけどね >>407
奈良原は日ハムに移籍して相手選手として見たときにこんなにいやらしい奴だったんだと初めて気が付いた >>391
でも川上とは晩年仲直りしてたんじゃなかったかな。
王の後継に広岡が巨人の監督やるという話もあった。
広岡が王の後は嫌だと言って、結局長島の後釜をやったこともある藤田になったけど。 >>409
広岡が川上が正しかったと分かって川上に詫び入れたって話じゃなかった? >>400
おかわりやアグーのぴっちりユニ…(´・ω・`) >>409
王の後に広岡なら巨人の監督純血主義に少し風穴が空いたのにな。
他球団の監督やってから巨人に出戻ったケースはないし。 黄金時代はプリンスホテルや伊豆箱根鉄道など西武グループの社員が
応援に駆り出されていたよ。
野球に興味の無い社員にとっては苦痛の時間だったそうだ。
今は知らん。 清原?
tps://video.twimg.com/ext_tw_video/1170164386012360704/pu/vid/720x720/FyPNqd829OmZxToz.mp4 >>360
打撃陣だけ見れば甲乙付け難いが
投手陣は今の方がアレだしなぁ
中継ぎ抑えは揃ってるけど先発が何というかまともなのが ヤクルトは岡林とか故障明け投手しかいなくて明日なき戦いって感じだったが面白かったなあ 森監督のチームが今の西武と対戦したら、森のリードと守備、ファーストサードの守備につけ込んでくるだろうな >>355
ダイエーになってから豊富な資金で強くなる空気はあったよ
思ったより時間がかかったけど 秋山と清原って仲良しだったんだよな
秋山が無駄な盗塁しまくってもキヨは怒らなかったし
田渕が言ってたけど銀座でコージと飲んでたら大男二人が来店してよくみたら秋山とキヨ
当然4人で飲んで大騒ぎしたんだと
二人で飲みに行くほど仲が良かった 結局西武って根こそぎ人脈からホークスにかっぱらわれた様なもんだからな・・・禿の和田すら
ヤクルトに移籍したし・・・・。 >>5
当時の近鉄でもセ・リーグなら余裕で優勝出来た筈 >>425
楽天に第二の“それ”をやられなけりゃ良いんだがな… >>4
>四番・清原、五番・デストラーデが自分の仕事をしてくれる
>ので、ほとんどの場合が(三番の)自分と勝負してくれるの
>はありがたかったですよ。
1985年の阪神で死ぬほど当たってるバースと勝負してた
のはこれだよね
歩かせても掛布とかと勝負しなきゃならないから >>20
バブル崩壊後は西武黄金時代じゃなくパ・リーグ
暗黒時代になってたけどね
90年代の西武の客入りが悲惨なことになってた
と言われてるけどダイエー日ハムロッテの負け犬
球団が居るんじゃ盛り上がりようがない
ダイエーが根本さんを引き抜かなかったら本当に
パ・リーグはどうなってたか >>27
そう
昔はライオンズの応援番組をやってたから関東地方
は西武ファンの子供も多かったんだよ >>427
森西武と仰木近鉄の対戦カードは当時のパリーグとは思えないくらい盛り上がってたもんな >>50
負け犬球団の存在が全て悪いんだよ
だから混戦が面白いの
当時のパ・リーグは
・阪急・・・野手は育つが投手が育たない
・日ハム・・・近藤貞雄がチームを崩壊させる
・ロッテ・・・落合博満放出でチーム崩壊
・南海・・・長期低迷
だから近鉄しか対抗馬がない
そしてその近鉄もそんな層の厚いチームじゃないからね >>69
違う違う
森西武や落合中日のようなレギュラーほぼ固定の
チームだと世代交代が容易には出来ないんだよ
東尾西武がようやく優勝した年は松井大友高木大
の123番だぜ
森時代の主力なんてほとんど残ってない >>93
前任者の近藤貞雄のせいでチームが腐りきってた
のも事実なんで古葉竹識だけ叩くのもかわいそう
だけどね >>61 少なくともノムさんは森を名監督と
思ってはいるようだが、ただここのスレの
人達なら知ってるだろうが 森と言えば
別名「岐阜の貯金箱」と言われるぐらい
ドケチな男で有名だから 第一期長嶋政権の時
川上哲治から 森をコーチにしろと言われたらしいが
長嶋が無視したそうだ 川上の事も嫌っていたが
それ以上にドケチな森と長嶋じゃあ 水と油だよ
ヨコハマの監督失敗も西武に比べて 落ち着きのない
いわゆる子供じみたチームだったのもあるだろうが
やっぱりケチな男は人望が無いんだよ 選手もそこは
良く見てるからね少しの金を惜しんで 人望を無くす
そりゃハワイから帰ってこれないだろ、 >>132
当の楽天ファンは動きすぎる野村に辟易したたんだけどな >>146
田淵幸一のおかげ
田淵が文句を言わず広岡監督に従ったんで他の
選手は表立って監督に反抗出来なくなった 清原による西武メンバーの印象
辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々買ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある。 >>381
いやいや根本は投手起用などの采配や練習方針なんかのチーム運営は森がやってて広岡はスポークスマンみたいなものって気付いてたんだよ
だから森と広岡の仲が悪くなってどちらかを切るってなったとき表向きは森は成績不振の責任を取って辞任で一年浪人、森がいなくなったら広岡は駄目だろうから成績が悪かったら辞めたあとに森を後任として西武に復帰させるというのは決まってた
実は森と広岡が仲違いしたのはホステスの取り合いだったとか >>401
シーズン活躍した西村が居ない、川崎は故障で0勝
抑えも内藤の10S?が最高でベンチ入りはしてたけどこっちも故障がちで登板なし
次点の角も峠は過ぎてて6Sだったし >>392
西武の資金力は凄かったからな
石毛が若いときにハワイに修行で行かされたときに大麻を吸ったとか現地で女遊びをしたとか噂があったらしいんだわ
西武グループの広告をその会社の出版物から全部引き上げるだのなんだので圧力掛けて潰したそうな >>166,>>174
2006年の青木リグスの12番ってのもあるけどね
この年は青木が盗塁王でリグスは39本塁打を記録
した
「ストレートは打っていい変化球は待て」ってベンチ
と選手で合意が出来てれば問題ないんだよ
それをしないバカ畑清は知的障害者だってだけ >>176
どうせ工藤くらいしかあげられないんだろうなw >>209
外れ1位だな
巨人としては清原を抽選で外して桑田まで横取り
という事態だけは避けたかった >>401
野村いわく西武は大企業の野球
巨大戦力で普通に野球をやって当たり前に勝つ
だけど良い選手を揃えすぎてそいつらの顔を立てるためにヤクルト相手に相性が悪い投手もローテや普段の起用方通り使わないとならなかった
一流の投手たちはプライドが高すぎてなんで俺が先発じゃなく中継ぎ待機なんだと腐らせてしまうからなんだと
ヤクルトは中小企業の野球だから大企業に対抗するには相手の苦手な投手を徹底的に重点起用して当てていくってやれたんだと
岡林が苦手だった西武に本人にお前は投げすぎでこのシリーズで潰れてしまうかも知れない。だけど選手を一人二人潰してでも勝つ価値があるプロ野球史上に残る最強チームだからやってくれ
お前が潰れたらその後の生活をヤクルトに責任を取って面倒をみさせることを約束するからといって実行した >>282
ID野球というキャッチフレーズを付けたことで
どういう野球なのか相手を幻惑させることに
なった
これぞ野村野球の真髄なんだよ >>450
平成元年も捲り勝ちしちゃった場合、深刻な問題だったリリーフ強化で潮崎一位指名はともかく鹿取のトレードまではやってないかもしれん。
そうすると後の五連覇、三年連続日本一もないわけで >>439
いや監督時代は監督賞で大盤振る舞いってやったりしたそうだぞ
まあ森の懐からではなく本社から出てたんだろうけど
人身掌握はやらないとチームが保てんわ
まあ森はケチで有名だったのは事実で牧野ヘッドから野村と仲が良かった森に日本シリーズで当たるチームの情報を貰ってきてくれと手土産と謝礼金を持たせて送り出したらそれを懐に入れてたのが牧野がいつもお世話になって済まんねと野村に尋ねたときにばれてた
だけど野村は森と好物の甘いものを食べながら野球の話を夜通しするのが好きだったから気にも止めてなかった
野村は森とは逆で人に奢ったり大盤振る舞いするのが好きな浪費家で酒飲めない、賭け事やらない、ゴルフもやらないって感じだったから周りから浮きがちだっただけなんだよな >>323
秋津駅と新秋津駅が離れてるのが全て
武蔵野線経由だと実はさいたま市から結構近いんだよ >>342
日ハムからの1位指名を拒否してプリンスホテル
入りした高山ね
西武のドラフトでさすがにアウトと思うのは高山と
川村(阪急の1位指名を拒否してプリンスホテル)
くらいなもん 土井のおじいちゃんは最後はライオンズのユニホーム着て有終の美を飾って欲しいわ >>28
その佐々木も晩年は西武に
と、思ったらその大半がダイエーに行ってるな(笑) 親会社の巨人以上の豊富な資金、史上最恐のGM、そのGMが揃えた逸材たち
それを指揮するV9巨人の流れを汲んだ名監督たち
強くないはずがない(´・ω・`)
森が去り、根本がさり、堤が去って、西武は全く別のチームになってしまったな >>223
>ブレーブス全盛期「昔ホークスは強かったのにな」
>ライオンズ全盛期「昔ブレーブスは強かったのにな」
>ホークス全盛期「昔ライオンズは強かったのにな」
とりあえず、ブレーブス全盛の立役者は知らないが、根元が神ってことで。 >>71
先発が揃ってる…?
初回に点数を取られまくる先発投手って(´・ω・`) >>461
阪急が黄金期を迎えた原因の30〜40%くらいは
1968年のドラフトなのではないだろうか(´・ω・`) >>384
田淵獲得のためとはいえレギュラー3人を一気に
放出だからなあ
真弓の穴は3年目に石毛でやっと埋まったが >>167
近鉄オリックスはグッドルーザーだったな
当時のパは西武以外荒い野球するんで勢いがある時はあるが
西武以外は実は怖くないチームしかいなかった >>396
山村を放出して南海から片平を獲得
南海にしては大損とまではいかなかったトレード 今の西武が強いのは源田が入ったからなんだよね
ショートが上手ければノーアウトランナー一塁でヒット打たれてノーアウト一三塁の大ピンチがゲッツーでツーアウトランナーなしに出来るからな
打線でも源田が入る前から大物打ちが揃ってたけど今の破壊力になったのは小技と足が使えてアベレージも残せる源田が二番に入って一二番コンビが完成したことが大きい
森西武も広島との日本シリーズでAKDを封じて西武の得点力を奪うには辻平野を封じ込めればいいって辻シフト平野シフトを編み出して抑え込んで西武の得点力を奪ったから戦力的にショボかった広島に大苦戦させられた
今オフに秋山が抜けたらかなりヤバい 西武がテイクオフ出来たのは何と言ってもは根本管理部長と広岡監督の組み合わせが良かったな
あの2人じゃなければ、いくら堤が金を出したところでどうにもならなかったはず
1970年代後半からの広島の黄金期の基礎を作ったのも
実は根本(監督)と広岡(コーチ)だったとかなんとか >>463
ドラフト会議のおかげで長池徳士を獲得出来たのは
大きかったね
もちろん小林オーナーが全部自分の責任で西本監督
に任せたのが大きいんだけど >>415
遠く離れた近江鉄道の電車・バスにもライオンズカラーの車体がいたからな >>426
落合中日は森繁とか辻とか西武の黄金時代を知ってる人材をコーチとして抱え込んで、まんま黄金時代の西武の野球をしてたよな >>454
そうそう。
俺は与野だけど開始の1時間半前の電車に乗れば試合開始に確実間に合うよ。駅から駅は1時間弱だ。
さいたま市でも武蔵野線埼京線京浜東北線は遠くない。逆に大宮より北は不便かもしれんが、どっちかっていうとさいたま市内の乗り継ぎに難があるんじゃないか? 古田と伊東という歴史に残る名キャッチャー対決
打力を含めた総合力なら古田だが、テレビで見ていて伊東のリードは次に何を投げさせるのか予想つかなかった >>473
伊東は故障が多くて隔年で活躍する古田と違って壊れなかったのも大ききな
パリーグはホームクロスプレイがセなんかより強烈でばかでかい外人がブロック崩しで体当たりしてくるのに
ただ若い頃は球界No.1の強肩といわれた肩は晩年はボロボロだった 監督の手腕が取り上げられること多いけど、黒江ヘッドコーチの存在も大きいよな
その後ホークスでも結果出してるんだし >>443
いやいやって
だから根本は森に長期政権を任せるつもりだったってかいてるじゃんw 西武の黄金時代は
いい意味でロボットが野球やってるみたいだったな
ベースボールマシン軍団だった 堤「来年も監督やりたければどうぞ」
森(ムキーやめたるわ)
日本シリーズ中に辞任発表 >>8
阪神には韓国系の人も多いし実際秋山は出自的にも相性良さそうなんだよね
秋山なら絶対強くしてくれるあんしん館もあるし >>478
そこじゃないぞ
広岡が森より自分が名将だと思ってるってくだりだぞ >>392
清原がシャブで捕まった時もその手の噂は出ていたな >>103
そうそう、1991年の優勝特番、あれ髪の毛どうした?と思ったよ。 >>87
めちゃくちゃ羨ましいわ
一生の思い出だなおい >>87
俺は秋山と並んでパチンコ打ったことあるぞw 日本シリーズとはセリーグ優勝チームと西武ライオンズが戦う事と言われてもおかしくないくらい強かったな
最後の秋空の西武球場見るとあー今年もそろそろ終わるなと思ったもんだ >>25
野村か潮崎のシンカーを見て
高津にあのシンカーをパクれと命じたのは
有名 >>15
ユニホームが違うからかな?
昔はスマートでカッコ良かった
今のダボっとしたユニホームは好きになれない >>465
でも、近鉄の監督が鈴木になった時に緻密な野球を目指していて
それについて西武の選手がこんなことを言ってるんだよね。近鉄は何をやってくるかわからないから怖かった
自分たちと同じような野球をやるなら、自分たちの方が上なので負けるはずがない、と >>474
スポーツマンNo1決定戦番組で「26歳飯田が跳んだあああああ!!!」って
ありえない高さの跳び箱を超えてたのは覚えてる
93年とか全盛期の頃だったかな 西武が巨人に4タテしてあっという間に終わった日本シリーズだったな
前年は近鉄が巨人に3連勝したけど加藤の一件で巨人が奮起した >>423
ダイエーは球団持って何年もしないうちにバブル崩壊で親の方が危うくなったから >>274
リーは左バッターなのに永射が苦手だから右打席で打った時はビックリした >>392
当該雑誌を西武線のキヨスク(清原のことじゃない)に置かない
その新聞雑誌に西武グループ全体で広告を打たない
この時代に西武関連企業からの広告料収入を断たれるのは一番の圧力 >>46
村田のフォークを打ったローボールヒッター
パンチ力もあった
応援歌が片平のテーマだったのが懐かしかった 今の西武が昔の西武とCS戦ったら1つ取れたらいいところか >>46
石毛が引退したら清原サード、森ファーストっていうプランもあったらしい
他のチームだったらもっとやれてただろうな >>502
清原欠場時には4番ファーストだったらしたからね
規定足らずだったけど3割打った年もあったはず >>483
広岡が自分を森より名将だと思ってるなんてひと言も書いてないぞw とりあえずAKB砲のBはブコビッチなのかバークレオなのか >>506
どっちにもなるのがイニシャルのいいところ >>501
150キロ投げたらエースの時代と150キロを4隅に投げたらエースの時代じゃ比較にならんよ
打者の飛距離でも東京ドームが巨大球場扱いされてたような時代だし >>508
ブコビッチのつづりはVukovichでVな >>511
バークレオはタイ・ヴァン・バークレオTy Van Burkleo(通称はタイラー)だからBで問題ないぞ >>501
言い争い誘発したくはないけど、森のリード読まれて、バッテリーエラー誘発する待ち方されて、ファーストとサードをセーフティで狙われて、中村の読み外されてって感じでボロボロかも
防ぎようがないのは源田の守備くらいかな >>509
郭泰源は156km/hを四隅に投げ分けれたけどな
伊東いわく糸を通すようなコントロールとは郭泰源のことだそうな
ナベQの152km/hはどこに飛んでいくのか分からなかったけど >>502
森って清原と同じ年にドラフト指名されたけど、1年後に入団してるんだよな >>501
工藤、郭、渡辺久、石井、潮崎は今でも通用するやろう あの頃は145で速球投手、150で豪速球投手の扱いだったかな
>>511
だから燃えプロでは「Vコビ」だった まあスピードに関してはガンの性能とかが違い過ぎて、
30年くらい前のは今のより10キロくらい遅いって話だけどね
もちろん、今の選手の方が、全体的に速くなってるのは間違いないんだけど 秋山のインタビューは嫌だろうなぁ
活舌が致命的で何言ってるかよくわからん >>518
光を当ててその反射の速度で計測するものだからな
MLBでも球速が上がってるけどそれはガンの精度が上がってるというのが一番大きいらしい
日本のよりも高性能だから日本の投手がMLBに行くと日本のときより5km/h程度球速が速く表示されるんだとさ >>520
お前は知らないんだろうけどガンの設定って簡単に変えられるんやでw >>518
そうだろね
全体の球速が上がってそれだけで通用しなくなるなら20年活躍する選手はいるわけないな >>521
知っとるわ
だから計測が甘めの神宮で記録された160km/h五十嵐とか館山とかの球速記録は眉唾物として扱われただろ 昔はナゴヤ球場のスピードガンは怪しいって言われてたよねw
鈴木孝政あたりはナゴヤ球場と後楽園で10キロ違うとかw 東京ドームとかが辛いんだっけか
甘いやつはスピードガンの設置位置か設定からいじってるのかは知らんけど デストラーデがメジャーに移籍して代わりに来た助っ人がトレンティーノだった >>16
86年から89年にかけてのペナント争いは決して楽ではなく紙一重だった。89年はペナントを
逃してしまった。 今の時代の方が確実にレベル上やけど、昔の選手でもトップクラスは今でも通用するやろう スローカーブのすっぽ抜けが125キロになるのは明らかにおかしいけどね。 森が特別優れてるてたとは思えない。
広岡からいい形で選手を引き継いだのと
西武が金持ってたのとアマのプリンスホテルを
持ってたのが大きい。戦う駒が一番揃ってたのに
加えて、森とコーチの伊原らが緊張感を与えたり細かい野球で
チーム内競争を促したのが一番。
証拠に森も伊原も他チームや黄金期を過ぎた西武での実績は散々。
以前森が西武退団後にNHKで解説してた時、ノーアウト一三塁で
ダイエーの引き継いだ投手が犠牲フライで一点だけ取られて
その回を終えたとき、「首脳陣も堪らないですね1点とられて」みたいなこと
いってて、耳を疑うと同時に普通だったら1点で済んでよく抑えたっていうところを
そこまで言うのが森の強みなんだと思った。 >>514
郭が156キロを出した試合では郭は負け投手になっている。
昔のレベルも決して甘くはない。 毎試合30点取られて負けるようなチームを伊原さんは引き受けたので。
それを4位にまで押し上げた手腕は中々。 >>529
高校野球とかの守備フォーメーションとか連携の動きなんかは断然上がってるけど今はプロ野球は少子化で人材不足なのが出てて選手が小粒すぎるぞ
イチローとかカブレラとか稼頭央とかが活躍してた90年代中盤から2000年くらいまでが日本プロ野球のピークかなと思うわ
まあ黄金時代の西武は今のプロ野球に連れてきても優勝出来るだけのチームだとは思うけどね
あれはオーパーツみたいなもんだろ >>532
沢村や金田はもっと速かったらしいからな
一概に昔より今のほうがレベルが高いとは言えないよな >>531
森は長期戦のチームマネージメントが抜群に優れてたから長年チームの強さを維持出来たんだぞ
普通は一年の計画を立てるときに今年はライバルがこのくらいの強さだからうちはこのくらい勝たないといけないと計画を立てるが森は今年はこれだけ敗けられるからそれを基準に無理せずにチーム運営をすれば優勝出来るだからな
昔は130試合制で基本は一週間にやるのは移動日の月と予備日に充てられる木を除いた5試合だった
5試合で最初の火曜の試合を取ればあとは●○●○のオセロでも貯金1出来る
はじめの火曜を落とすと残り四試合でどこかで連勝して三つ勝たないと借金になる
だけど森は無理に勝ちを拾いにいって選手を消耗させるのを避けた
あくまで目先の勝ちではなく最後に優勝出来ればいいという考え方だった
だからチームの調子が良くて連勝が狙えそうな感じでも無理な投手起用したりするのを避けた
勝負どころまでチーム力を温存させて追い込みのときは総動員のスクランブル体制が出来たのも余裕を持った選手起用をしてたから
あえて負け試合を作ってた
西武後期はオーナーとの関係が悪くなったから中継ぎや新谷を酷使したけどな
森じゃなかったら選手が疲弊してあんなに長く黄金時代は続かなかったわ
普通は連覇するチームは無理がきてそのうちガクッと落ちるのにな 辻平野の1、2番コンビは過大評価で、
後ろにAKDの大砲+石毛が控えているのに
二人とも毎年得点が驚くほど低かった 92年のベストナインは凄かった
10人中8人が西武の選手だった そうか?
秋山源田の一二番や石毛金森の一二番や稼頭央大友の一二番の方が派手だけど辻平野は二人で色々小技で嫌がらせ出来るし塁に出たらうるさいし平野はバントで確実に送って怖いAKDに回すしで黄金時代の西武は辻平野の役割は重要だったと思うけどな >>188
あの辻のバックホームねぇ…
結果はアウトなんだけど辻のファインプレー
ではなくて三塁走者広澤の走塁ミスだからなぁ
辻の送球は難しい体勢からもあってそれてた所を広澤がフォースプレイの状況で捕手伊東にぶつかりに行ってしまった
ゲッツー崩れ狙いだったんだろうけど
送球は見えてたはずで咄嗟に手だけでもベース狙いに切り替えてたらセーフだったが完全に身体が伊東に行ってしまう走塁ミス
まぁあれで点入ればその後ヤクルトが大量点したかもしれないし点取り合って結局西武が優勝したかもわからないが。 辻のバックホームと脚を伸ばして執念で捕球した伊東を見た野村は口あんぐりであれは人間の出来る動きではない。勝ちたいという執念が形になった念力野球だ。うちごときの覚悟では勝てないと悟ったっていってるけどな
古田にあれこそがうちと西武の違い、西武というチームの強さだといってたそうだしな 辻と平野に関しては得点の多さで評価されてないからねえ
逆に、得点でも抜けてたら、いぶし銀みたいな評価じゃなかったんじゃねw この黄金期西武の核は石毛
ああいう職人気質タイプの人が上にいると凄いプロ意識が芽生える 辻は身長はあるけど手が短いから外の球を苦手にしててインコースをおっ付けて右打ちするのが得意だった
苦手な外の球をひたすらカットしていつの間にか出塁するという嫌らしさだった
投手は立ち上がりからそんなしつこいのと対戦して精神消耗させられるんだからたまったものではないわな >>546
93年にヤクルトに敗けたのは早めにデッドボールで石毛を潰したのが大きいからな
デストラーデが抜けてたのも痛かったけど石毛が機能しないのはどうにも塞ぎようがない欠点になってしまう 辻が出て平野が送ってAKBかAKDだもんな
その後ろには石毛がいるんだからそら強いわ
伊東も田辺も打撃悪くなかったしな >>549
伊東が捕手なのに足が速くて盗塁までするって嫌がらせのようなチームだったからな
上位の強打者を抑えてほっとしたら下位の嫌らしいやつらから小技で攻められるという でも広澤のプレイがセーフで92年をヤクルトが
制してたら
また西武が締まり整えて93年、94年対巨人も制してた気はするんだけどな
タラレバで当てはめると以降の事実も変わるので意味はないんだけども。 >>150
それは言い訳だな。森は横浜で無能だった。
権藤の時代はマジ強かったんだから。 その後、まさかギャオス内藤と池山が
マウンド上で接吻するとはね >167
たしか阪急V3の頃のパ・リーグ入場者数が250万
清原入団の年のパ・リーグは570万
それが近鉄ロッテのダブルヘッダーの翌年は800万超えだもんな
よくニュースステーションがアレを中継してくれたわ 森は金城を2番にしたのが大失敗
なんで首位打者にバントばっかやらそうとしたのか不思議 >>552
権藤は放任主義で練習は二軍のやつらだけで一軍ということは技術を身につけたエリートだから体力を整えるだけでいいという考えで選手に好かれてただけだけどな
スカウトの尽力で集めてきた戦力が形になったのとタイミングが重なった
まあその後これじゃまずいって石井琢朗などの主力選手たちのクーデターでチームを逐われるのはお家芸だったけどな >>555
森にスタメンを決める決定権はなかったんだぞ
試合前に本社から電話が掛かってきて今日はこのメンバーでやれって言われてそれを実行するだけだった 森さん一度の失敗でハワイに行っちゃったからな
もったいない 森には弱いチームを強くするって能力はないかもしれないけど強いチームを維持運営するって能力は誰よりも高いからな
もし本当に巨人を復活させるために森を巨人の監督として招聘するという案が通ってたら巨人は今とは違った形で安定した強いチームだったろうな
日テレ主導の話で御大の川上やうるさ型のOB連中も認めて実現寸前だったのが長嶋の大反対で流れたらしいけど 秋山は良い選手だけど3番は絶対石毛のほうが良かったよね そんな秋山がダイエーに来てくれたのは
当時ビックリしましたわ 秋山は自分のポテンシャルを生かしきれなかった印象
あのへっぴり腰の打撃フォームを見よ
あれはひどい >>36
>ショートダッシュ30回やマラソンやったら
サッカー選手勝つんだろうけどなぁ
広岡西武の秋季キャンプのウォーミングアップは、100mダッシュ100本 0566 名無しさん@恐縮です 2019/09/10 04:33:53
>>36
>ショートダッシュ30回やマラソンやったら
サッカー選手勝つんだろうけどなぁ
広岡西武の秋季キャンプのウォーミングアップは、100mダッシュ100本
その後、個人の実技練習や全体の連携をやって、筋トレ
最後の締めで10kmだかタイムをとってマラソン
タイムが悪いと追加の罰走
夕食後に任意の夜間練習に全員、毎晩参加 >>563
森の反りが合わずにダイエーへ
秋山が最終回の打席で送りバントのサインを出させて、
ちょっと不貞腐れて、打席を外して拒否してな
その後、プロ野球ニュースで豊田が、
「森監督が秋山は扱いが難しいと愚痴ってた」と暴露
そのオフにダイエーへ移籍
表向きは、「恒例のお母さんのいる故郷の九州に返してあげた」ということだが >>564
腰痛持ちでな
浩二や落合と同じ
腰が悪いからへっぴり腰やアウトステップになる >>559
表向きには広岡が森は巨人監督の器ではないと大々的に論陣を張っていたな
森と長嶋との不仲も昔から有名
森と長嶋は川上辞任と同じ年に引退してな
川上は森を含めたコーチ人事を長嶋に提案したが、長嶋がガン無視して、
森を巨人から追い出したりな >>542
30年近く前のプレーをようそこまで詳細に語れるなあw 秋山がソフトバンクの監督に就任した当初、引退してずっと休んでたから腰が癒えたとか言って、遠投やったらどのチーム内の現役選手よりも遠くに投げてたのはワロタw やっぱり根本さんの恐ろしい人脈と寝業師ぶりは異常だな
教え子だった西武主力メンバーを引き抜き
巨人の象徴的ワンちゃんを監督に据えるとか
根本しかできん >>538
まんま落合博満が中日監督時代にやったことが被る
いいお手本だな >>529
逆じゃね?
80年代にハンカチがプロに成れたかどうか…
何故か昔の方がフィジカルエリート多いんだよな シリーズのときの気持ちの持ちようすごいなw
高校野球の常連校が強いわけだわ >>560
石毛に怪我と衰えが見え始めたから6番打つようになった
>>575
その為に辻呼んだ ピッチャーが豪華なイメージ
ダイエー時代しかしらないなぁ >>580
レベルが高いと言っても今の履正社とKKコンビのPLがやっても履正社は勝てると思えないけどな >>581
いや流石にあの時のPLでも今の高校野球で勝つのは相当難しいでしょう
選手個人の能力、特に筋力は圧倒的に今の方が上
清原桑田の才能が特出してるとしても、総合力で考えたら今の方が上だと思う >>582
まあせやろな。
あらゆるスポーツの記録の推移を見ても40年前の記録は大した事なくなってる。
まあ映像見たら一目瞭然やけどな。
体つきが全然違う。 >>440
うわべしか見てないファンと
敵チームの中心選手の感想なら
どちらが信憑性があるかなんて一目瞭然 最近は少し変わってきたけど100m走のタイムって黒人を入れなかったら前の東京オリンピックの頃と変わらないんだよね
投擲競技の世界記録なんかは30数年前のものがほとんど
800mから3000mまでの中距離走は全て20数年前のものが世界記録
走り幅跳びや走り高跳びは30年前のものが世界記録
棒高跳びも20年前のものが世界記録 >>572
現役中は手術できなかったからな。
引退して手術して、コンディション上がったw >>567
守備練習や実践の走りも加えたら1日の走行距離は25kmくらいか
だが得津が言うには金田が監督の頃には40km以上は走っていたそうだし
大阪偕星も毎日40km以上走りこんでいるので上には上がいるな 心肺能力や骨の強さは明治の頃からずっと下がり続けてるんだぞ
投擲能力も戦前戦後でどんどん下がり続けてる
運動に適した短足でガッチリした腰回りっていう古臭い体型が減っていってるというのと
ガキの頃に農作業手伝わされたりして足腰や背筋などが鍛えられるということがないからだそう >>586
投擲w
女子100、200も30年前の記録やなw
中距離は馬軍団かw >>581
今の高校生って甲子園出てくる高校は控えでも145km投げるし、バッターもそれを弾き返しよんで
高校生レベルでいうたら90年代半ばがめっちゃ低いと思う 優勝しすぎてつまらんと言われたチーム
それだけ強かった >>589
沢村栄治は160km
カネやんは170km投げとったんやろw >>590
陸上競技は古い記録が多い
マラソンと短距離走は新しいものが多いけど >>593
速い球を投げるのは才能
強い足腰、どっしりとした下半身 >>595
マジか?
昔の人を否定する必要はないと思う。
カールルイスやペレはすごかったしベイブルースも偉大なプレイヤーや。
同じくあの時代のライオンズも素晴らしいチームや。
でも現代に持ってきてレベルどうのというのはキツイもんがあるで。 秋山が過大評価というやつはわかってないな
打撃よりも更に守備が超一流だっただろ >>434
「かっとばせ!キヨハラくん」もあったからね
地方でも西武ファンのちびっこは多かったよ。みんな読んでたから >>176
別所
長嶋
江川
桑田
元木
長野
菅野
その他ドラフト逆指名での人身売買まがいの裏金譲渡多数
今の一瞬で思いついただけでこんだけ出てきたわww あと内海もいたな
オリックスに抽選で負けた途端
人質として李とかいう名前の当時の敦賀気比の捕手を
下位指名する念の入れようw まああの頃強かったのは根本の抜け道ドラフトが全てなんですけどね >>200
そうだな。原や松井の時の抽選箱も不透明だったな >>591
広島のスカウト曰く、1988年の津久見川崎以降、松坂登場の1998年までの10年間は、
甲子園で川崎松坂ランクの投手は全くいなかったんだとか 1990年前後の甲子園での好投手といえば東邦山田 東亜川島 西日本短大の森尾がいるが、
三人ともコントロールが異常に良い投手で剛球投手ではない >>599
江川から下は他球団が邪魔しただけじゃねえかよ
西武の汚さとは次元が違う >>441
それだけ阪神を見返してやりたかったんだよな >>447
ドラ1拒否→プリンスホテル→西武の高山や川村はさすがにどうかと思ったぞ >>600
んで内海が巨人入団した翌年にクビになっちゃったというw どこのそうだったかもしれんが、選手はファンサービスとかしなかったな
皆無ってくらいだった。
それでも人気を保てたのは、人気選手と丞相のせいだろうな。
地元密着というほどもなかった
不人気球団になって、埼玉強調しだしたけどw >>607
読売より汚い球団なんて有るわけないだろ
お前らはドラフト破り、密約による他球団入団拒否だけではなく野球賭博ですら有耶無耶にして当該選手を永久追放処分をしなかったよな
30年近く前の日本シリーズで完膚無きほどに叩き潰されたのをまだ根に持ってんのか >>7
アレひどかったなw
当時の世相もあるけど、マザコンはある意味暴力よりイメージダウンだったw 熊本の底辺高出身らしい 松中信彦と同じ学校って聞いた 日本シリーズ 西武vs巨人
1990年 日本シリーズ 西武4連勝
2002年 日本シリーズ 巨人4連勝 >>612
西武のインチキドラフトの数々は散々ここに出てるのになぜ見てないふりをするのか >>617
インチキドラフトだ?
ドラフトのルール破りすらしでかした球団のいうことじゃねぇな
練習生のドラフト外入団は認められていたわけだし >>610
巨人が「あくまでも戦力になってくれると期待したからこそ指名しました」などと言い張ってて笑った >>614
秋山は地域一番校、田舎だから公立思考
松中は今の秀岳館
全く違うぞ >>611
西武沿線のどこからでも1時間で球場に行ける立地を見れば、地元密着の極みであることは一目瞭然
周辺に歓楽街がなく子どもたちが安心して観戦できることが親御さんにとっては何よりのサービスだった >>622
手を振るくらいはしてくれてもいいけどね球場で >>607
西武が裏でやってると言われたことを巨人は表でやってるだけ
そしてそれはどの球団でもやってる
根本が徹底的にやっただけ
逆指名宣言(制度としての逆指名ではない)させて他球団を牽制した選手の代表例である江川も本来なら巨人じゃなくてもよかったと言ってる >>622
鉄道会社が多く親会社だったプロ野球は地域密着の定義が沿線なんだよね
だから未だに埼玉県というよりまさに西武(西武蔵)の方が現状を表してる >>619
ルール破ったってどれのこと言ってんの?
もしかしてドラフトで指名されたら拒否権などなく必ず入団しなければいけないとでも思ってんのか? 空白の一日じゃね?
今の様に何でも一瞬で出来る時代じゃないし確認の為の一日と考えるのが普通
法的には「穴」だったからややこしいがな >>547
源田にそのへん授けられないかなぁ…
もう少し出塁率を上乗せして欲しい。 >>626
それなら西武は全く問題ないな
読売と違って球界のルールを動かしたりする力があるわけでもないしな
ドラフト施政化でルールに沿って補強しただけだから >>627
それはルール破りじゃなくルールの不備なだけだな ルールの不備ならルールの不備すらおかしていない西武のやり方はなにも問題ないことになるな >>629
もしかしてFA制度も巨人もしくはナベツネが主導で導入されたとか思っちゃってる人? 不備があったからこそ囲い込みやドラフト外入団がなくなったんだろうにバカじゃねえの
それも読売ガーナベツネガーかw 江川のはその範囲に収まってないズルい行為と判断されてたから巨人ファン以外は嫌いな選手でずば抜けてたんだろ
興行打つとこがファン無視してどうすんだ? 大谷だって同じことを巨人がやってたら猛バッシングされてるわな
ハムだからされてないだけで
けっきょくは巨人かそうじゃないかってだけなんだよな
いい加減マスゴミに踊らされるのやめろよ いまだに江川事件のことをネチネチ言ってるやつって
巨人が絡んでない荒川事件や柳川事件のこととか知らなそう 松沼博 あらかじめ各球団のドラフト指名を断らせ78年ドラフト外で獲得
松沼雅 あらかじめ各球団のドラフト指名を断らせ78年ドラフト外で獲得
秋山 あらかじめ各球団のドラフト指名を断らせ80年ドラフト外で獲得
石毛 プリンスホテルに退避→80年ドラフト1位で獲得
伊東 所沢高校に転校させ球団職員として採用→81年ドラフト1位で獲得
工藤 就職の噂を流し81年ドラフト6位で獲得、就職予定だった熊谷組には謎の工事大量発注
川村一 プリンスホテルに退避→83年ドラフト4位で獲得
高山郁 プリンスホテルに退避→84年ドラフト3位で獲得
鈴木健 進学の噂を流し87年ドラフト1位で獲得 >>635
大谷はちゃんと(?)叩かれたぞ
ハムは二刀流を提案して他の球団を黙らせた
マスゴミが情報操作するというなら母体が読売の巨人軍はその大元になっちゃうぞw
>>637
この選手達がズルイと言われるのは何より結果を出したから
どこの球団でも裏金積んだ選手なんて少なくない
松沼兄弟は巨人も同じことやろうとして西武に競り負けただけだぞw >>636
お前も新浦の国籍を楯にした中退&ドラフト回避を知らなさそうだけどな 私にとって
「西武 秋山」 は
秋山幸二 唯一人。
永遠に。 ホークスが今年リーグ優勝逃したら、監督で復帰してくれ >>574
当時のダイエーが田淵ではなく稲尾さんを監督に
招聘してたらどうなってただろう?(実際そのような
話は出てた)
福岡市民から熱狂的に迎えられて平和台球場は
連日満員御礼で根本さんを引き抜こうなんて話が
出てこなかったかも知れない
そうなれば王監督招聘もあり得なかった 試合前の練習での羽生田の肩を見たくてよく球場に行っていたが
練習での羽生田が見たいだけなので練習が終わると試合を見ずに帰っていた
平野秋山吉竹なんかとは明らかにレベルが違っていた キチガイが暴れてんな
空白の一日を擁護すんのは無理があるぞ >>637
松沼兄弟は弟の方の評価が高かったが「兄と一緒じゃ
なきゃ嫌だ」と拒否してたんだよ
そこで西武が「兄弟セットでOK」と提案したんで入団に
合意したの
工藤は本当に就職希望で根本さんも指名するつもりは
全くなかった
でも広岡監督にせっつかれたので仕方なく強行指名
つかお前ネットで拾ってきた歪んだ情報ばっかじゃねえか >>42
根本派 東尾、森繁、秋山、渡辺久、田辺、デーブ
広岡派 田淵、石毛、工藤、伊東、辻
森派 清原
森を信奉しているのが清原と石井琢朗以外に浮かばないな >>112
清原はファーストストライクを捨ててないよ
清原はファーストストライクが来るまで待つと書いてある。
ボール球に手を出さないだけ。 >>157
森と仲が悪かったし
オーナーは清原ばかりを特別扱いするし >>654
不動の下位打線だったら守備走塁は文句ない選手(2つ合わせるなら西武時代はほぼ間違いなく国内選手最高選手)だし
格下であるが故に大事にされたんだとうけどな
主軸となると露骨に反発されると管理野球が成り立たなくなるし仕方なかったわな 黄金期のライオンズの選手たちが引退してからもそれぞれ活躍してきたのは見事なり。清原は残念 フリースインガーで自分勝手な盗塁をする選手を森さんが評価するわけがない
OPS1ごえ2回でチームバッティングもできるキヨのほうが評価高かったのは当然だな 何かのインタビューで秋山は前で清原が打つと硬くなるけど
清原は全く気にしないからこの順番とか言ってた >>148
長見
原口
宮地
って野手じゃなかったっけ? >>121
清原の出塁率は高すぎる
五番なんかもったいない >>651
まさか松沼兄がタレント名鑑絡みで見るようになるとは 工藤は広岡が、「あの子はカーブだけでプロでメシが食える」と買っていたな
大久保は根本の高校の後輩ということもあるけど、
広岡は田淵の後釜と考えていた
ところが広岡が根本と喧嘩して突然の解任
森監督に変わって、しかも一塁に清原が入ってきて AKDはホームランは多いが打率は低かったね
巨人のクロマティ原吉村のほうが打率は良かった
打率よりも出塁率やホームラン重視というセイバーの先駆けのようなグリーンアップ
ともっともらしいことを言ってみる >>340
巨人戦のビジターは対戦相手と曜日で中継局がほぼ決まってる
(中止で変更の場合除く)
阪神戦は火木が関テレ水日が朝日水金が毎日土曜が読売とNHK
中日は火木がフジ水金日がTBS土曜日がNHK
広島は水金日がTBS火木フジ金がテレ朝土はNHK
ヤクルトは全部フジ
大洋は火木土がフジ水金日がTBS
だったと思う >>594
マラソンはシューズとか
ペースメーカーのおかげ >>142
上半身の使い方すら知らないようなのが身体能力てwがに股踵着地野郎をマンせー出来る阿呆は言うことがちがうwww >>667
血液ドーピングとかあるしなぁ
高地トレーニングとかやるようになったってのもある >>653
清原は秋山が盗塁すれば必ず援護的な
振り遅れの空振りをやってて可哀想な気もした
森野球の申し子というか
清原がもし居なかったら森の野球は実現しなかったはず
多分森ってゲッツー崩れの間に一点入るとか
ああいう凡打で点取る野球が理想なんだと思う >>643
3割打ったこともあるし普通のチームなら6番あたり打ってても遜色ない選手だぞ
>>645
日本シリーズの涙見てたら純情なガキ清原と猛烈なバッシングの嵐の中で黙々とやってたクールなタフガイ桑田との対比は鮮明だった
>>661
投手で入って後に野手転向
高卒ルーキーの宮地が花開いたのがアラサーっていうロマン
>>670
凡打“でも”ねw
去年山賊が1点も取れなかった試合が10試合以上あった
こういうあらの多い強打の現西武は黄金時代と真逆のチームだね 秋山曰く
「頑張って盗塁してたけど森監督に無理して走らなくてもいいって言わたから盗塁はやめた」 地味の積み重ねが大きな貯金を生み
損して得とれを地で行く
商売人ぽい発想かね森監督って
私生活では一切身銭も切らないらしいけど >>25>>66>>92
森博幸は清原欠場時に何度か4番一塁で出たことも
91年は173打席だが打率.303に7本塁打でOPS.900
07-10年に西武に戻ってコーチをつとめ、
今年の春から松本前監督に代わって千葉経大付の監督
まあ打力は左翼に入る左打者の中では一番あっただろうけど
守備が一番不安だったので代打が多かった >>42
当時左翼手の座を争ったメンバー
現高校野球監督 森、吉竹
現大学野球監督 安部、大塚
元社会人クラブチーム監督 羽生田
笘篠は監督経験はないが、83年入団から97年まで現役、引退後も18年を除きずっとコーチ
二軍監督をつとめ、黄金時代初期に内野手だった行沢も今は大学野球監督
ちなみに毎年名鑑に花の独身貴族継続中と書いてたが、50歳を超えて結婚した 自分も野球見始めて森監督で色々野球教わった
テレビの中でなんだけど
相手が嫌がる事を熟してやがるから揺さぶりがエゲツない
セオリーと見せて奇襲、奇襲と見せてセオリーは野村なんか目じゃないよ
平野のエンドランとかマジで何度も騙された
同時期の広島阿南も子供心に勉強になって
ノックアウト投手を交代させる時に
王監督なら点取られた直後替えるのに一人アウト取って落ち着いてから交代とか
阿南で初めてみた
古葉の時は見てない >>645
監督就任時に西武グループのこととか、清原のこととかよく調べたらしい。清原は学校では普段番長ガキ大将系だけど野球に対しては真面目とか >>189
同時期にこれだけインチキ入団がいればそりゃ強いわな >>681
それネタ投稿だから2つ3つ間違いあるぞ
工藤は進学じゃなく熊谷組への就職なので明らかに間違い >>67
平野も独立リーグの監督経験あり
しかも総合優勝 >>262
若い頃の遊び人だった衣笠が合宿抜け出し、夜中にこっそり帰ってくると
寮の玄関に関根コーチが座ってたとか(根本監督・関根コーチのコンビ)
そのときの関根コーチの言葉は、あの一種独特の女性的な感じもするソフトな感じで
「サチオ、待ってたよ、さあ素振りしよう」だったとか
そのまま朝まで素振りしてたという >>365
広橋と西岡は左殺しとして知られてた
>>455
高山は引退後10年ほど球界を離れてたが
独立リーグからSBコーチになって
複数球団でかれこれ15年くらい投手コーチだな >>682
その後に熊谷組へ西武グループから謎の大量発注があったのが恐ろしい 堤「西武買ったからクラウンの江川指名権も俺のもんだろ。(部下に)お前アメリカ行って江川に会ってこい」
部下「三菱の社員が囲ってて会えませんでした」
堤「あいつら許さん。西武グループが契約してた三菱車全部契約打ち切って日産に切り替えだ」
三菱「ギャーなんで」
ただの腹いせでこんな事が出来たのが西武堤 91年オリックスも味があるで
1(二) 福良淳一
2(遊) 小川博文
3(三) 松永浩美
4(指) 石嶺和彦
5(一) ブーマー
6(右) 藤井康雄
7(捕) 中嶋聡
8(左) 高橋智
9(中) 本西厚博
(投) 星野伸之
(投) 長谷川滋利 >>19
90年のGがペナントすごい勢いで勝って(カープに22・5ゲーム差)今度こそ森西武を
倒せるかと思って日シリ見てたらもう誰かがランナーに出てるだけで何かしてきそうで
とても息苦しさを感じた思い出がある。あのシリーズの後ちょっと抑うつ状態になりました
(埼玉県民だけど)... >>41
この試合このままヤクルトが勝つだろうと思ってたしいくらなんでもってところでホーム
インされたので震え上がったよ 伊原さん、森さん恐ろしいと... 90年のシリーズ前、森監督は「うちがあんなヘボチームに負けるわけがない」ってチーム内では言ってたらしいな 森監督の采配は
相手は発狂したくなるイヤらしい野球
猫が虫をいたぶる感じでとことん冷酷
日本シリーズでもセリーグ各チームが飲み込まれた
シーズン中でもたまに相手が余裕の大量リードしたのになぜか
逆にプレッシャーで潰れて逆転されるシーンが当たり前
諦めたらそこで終了だよ発言の試合も
暴投やら押し出しで
転げて勝手に負けてくれたのを皮肉で笑っただけ
でもさらに陰険で粘着質で言ったら森なんて赤ん坊レベルなのが堤義明 当時の西武が凄いのは
セリーグチームのファンでも
西武の固定スタメンがほぼ分かること >>689
名前だけだよ…
衰えとか球場変更とかで成績的には微妙 >>688
世界一の大富豪になったことがある堤
まあ王様というか皇帝の気分だったろうな >>689
このメンツがみんな元気で
翌年もブーマー抜けた以外は大差無い。
イチローが入り込む余地が無いのは一目瞭然。
意地でもドイガーを止めないのはキチガイ >>689
藤井がお立ち台で「オリックスはこんな弱いチームじゃありません」って泣いた年だっけ? 自分のまわりでも
常勝黒字を目指すべき派と
ブーム(勢い)で優勝持ち回りで充分派で
口論になる >>699
全然元気じゃなかったし…
内野の本塁打数とか結構ヤバかったはず >>75
今のソフバンみたいに誰が監督しても勝てる様な金満球団じゃないよ
秋山、清原、デストラーデと聞くと他球団ファンでも当時を思い出すが
今のソフバンは数年したら柳田くらいしか思い出せないよ
井口、城島、松中、バルデス、ズレータの並びは鮮明に覚えてるけどね >>207
埼玉県民(南東部なのであまりライオンズ当時好きじゃなかった)なのでそういう思い入れ
がある。テレビ埼玉で見る真っ青な空のデーゲームのマウンドで純白の下地ユニフォー
ムのとてもスタイルも良くて精悍でかっこいたたずまいの渡辺久信。
さわやかな秋空からだんだん薄暗くなる風景の中、沈みゆく夕陽を背景にした(憎たらしい)
ライオンズの胴上げ。今でも10月頃にキンモクセイの香りが漂い始めると、あの頃の苦々し
いような切ないような気持ちがよみがえる。プロ野球には花鳥風月が大事だよなぁと感じる。 >>705
外野は座席がなくて芝生だったんだよな
5月とかは幼稚園児が遠足に来てたような >>702
ホームが広いGSに変わったから。
当時のメンツ、別に劣化してないから
本当なら無理に外してイチロー捩じ込むのは
普通は無い。けど足と肩とミートを買って
抜擢したけど結果出なかっただけ。 >>435
ニュースステーションに出演時、小宮さんに電話番号きいたり面白かったよな >>670
中村紀や張本は「俺の打席でチョロチョロするな!」と、
自分の打席で盗塁する走者を威嚇したりな
野村や落合も恫喝こそしないが、露骨に嫌がってな
野村もノリがそれをして横浜で二軍落ちになった時に、
「四番打者を信用してじっくり打たせないだめた」と、ノリを擁護 >>707
監督が守備重視で球場が広くなって成績は下がった…でも選手は劣化してない…?
もしかして91年以降はオリックスが常勝してた…? 西武球場は出来た頃は日本で最新鋭の豪華施設
まだ寒いキャンプやオープン戦では、
一斗缶に折れたバットを入れて焚き火して暖をとったが、
西武球場はベンチしたからヒーターの暖風
それだけで、「お!すげー」と
今では清宮のオヤジに「あんな汚い寮に息子を入れたくない」と、
面と向かって言われる始末 そりゃチームの勝利と個人成績(カリスマ?)なんて両立出来りゃ最高だけど、現実問題そうもいかないし
人気だっていろいろあるし…
何が正解とも言いにくい >>709
若い時の清原は秋山のせいでカウント不利になっても動じない
そういう打席では打ちに行かずファールで逃げて四球選ぶのがやたら多かった
意図せずして相手が集中力がなくなるくらい攻撃の時間が長くなり重圧につながった
森監督は多分何も考えない盗塁は嫌いなんだろうけど効果はメチャあった オリックスは90年代オールAクラスだからな
西武と並んで超優等生よ
今は知らんw >>713
野村、落合、中村紀あたりはメモ取って相手投手研究して
配球読みして打つタイプだったからな
ここは変化球でストライク取りに来るだろ、って所を狙って盗塁されたらそりゃ困る >>603
そうだろうな、投手力無視の智辯和歌山が勝ち捲っていた時代だしな >>716
タイトルを取るくらいの全盛期ならそれでいいと思うよ
でもノリの場合はな・・・ >>715
ダイエー二軍監督の時に選手にジャンケンさせてオーダーを決めたりな
オリックスの監督でもイマイチ
石毛は新人の頃からミーティングでスピーチをさせられたくらい、
入団時から筋金入りの幹部候補生だったのに 一方、清原は一年目はノートに書いて相手投手の研究をしていたが
結果を出せたのに満足して二年目からはやめてしまった。一方で、デストラーデをどうでもいい場面で打って成績伸ばしてたと評してる
清原はそんなだから主要タイトル取れなかったんだ >>687
高校大学の有望選手をプリウスホテルに囲って
ライオンズ入団という露骨な事をしていたな 秋山・石毛はその経験が監督業で活かされてなかったねw 秋山というといまだに離婚を連想しちゃう
一番活躍してる時に離婚だったから >>645
デストラーデは清原をメンタルが難しい選手と語ってた。 >>648
個人的に羽生田は87年の開幕してすぐだったか、後楽園で落球したイメージが強い
東尾ぎ投げてたかな
子供ながらダメじゃんって思った 昔はどうしてこんなに盗塁できたんだろう。
セリーグ記録 76盗塁(1983年 松本匡史 読売ジャイアンツ)
パリーグ記録 106盗塁(1972年 福本豊 阪急ブレーブス) >>725
巨人時代にタフィが清原のバットをいじったらガチギレなんて事件もあったな >>718
横浜時代のノリの場合
本人的には育ちつつあった内村や梶谷への、若手の教育という側面があると思われる
走者が盗塁しやすい0-2や1-2といったバッティングカウントの変化球でストライク取りにくる所狙って盗塁稼ぐのが多かった
それでノリが「”場面によっては”走者を動かさず打者に任せてほしい」と相談するに至ったと考えられる
打者が打ちやすい場面を走者のために潰して盗塁してたわけで
あれはノリがどうこう以前に監督やコーチの指導に疑問を覚える ああ、今だとストライクボール逆で2-0、2-1だったな むかしは西武の応援歌しか知らんかった
毎年のように優勝セールでかかってた
巨人は巨人の星が応援歌だと思ってた >>296
キャンプ初日の広岡「お前らは月給泥棒!」
このメンバー+東尾に対してな >>729
当時は中畑監督時代だな
しかし直後にノリは二軍行き
チームとしてはノリの態度はチームに悪影響と考えたんだな >>719
石毛さんはチームキャプテン兼斬り込み隊長、守備でも皆を牽引しバラエティでも笑いを取っちゃう
完璧超人だけど日本シリーズとか見る度に
最前列で檄入れるのはいいがいつも帽子被って無くて本当嫌いだた >>719
投げやり采配みたいにネタにされるけどダイエー2軍のクジ引きオーダーは
「二軍で中軸打者だからって一軍でも即クリーンナップってわけでもなく
バントとか小技を指示される局面での起用も当然あるだろう
だからあらゆる場面に対応できるように」ということでのランダムオーダーだったらしいが
その狙いが誰にもサッパリ伝わってなかったらしい 西武、ヤクルト=クラスの人気者がかぶる帽子
巨人、阪神=いじめっ子とか嫌なやつがかぶる帽子
日ハム、近鉄、阪急=ひねくれものがかぶる帽子
大洋、ロッテ、中日=いじめられっ子がかぶる帽子
野球帽はこんなイメージ >>736
二軍の主軸が一軍でバントをさせられることはあるだろうが、
二軍の下位打者が一軍の主軸とかまずないしなぁ。
狙いはわかるが現実味がないかも。
まあ、主軸の気持ちを理解する機会にはなるけど。 >>329
森「第3戦、巨人が江川先発で助かった、加藤初ならイヤだった」 石毛はおそらく怪我で調整とかを抜かせば二軍経験がないよね
二軍監督は不向きだったかも
いきなり一軍のヘッドコーチとかでもよかったかな?
結果論だが >>693
世田谷西リトルシニアの総監督
2010-14は球界復帰し横浜のコーチ >>329
>>740
森はいうもシリーズ前は死んだふりでマスコミ発信を控えて、
話しても自虐的に自信がなさそうな、相手を怖がるフリをしてな
それでシリーズが終わると、「あそこで相手があんなことしてくれて助かったよ」とか、
上から目線で後出しジャンケンするんだよね >>738
そういえば広島はかぶってる人あんまいなかったなあ >>589
和式便所と洋式トイレどちらを常用の違いもあるかも。 >>745
本当はシンシナティ・レッズの帽子なのにカープ坊や扱い 今は椅子の生活
マンションとか和室が一部屋あるかないか
昔は床に腰を下ろして、立ち上がるのもいちいち足腰を踏ん張って
布団の上げ下ろし
和式便所とか
あと車や交通機関が普及していなかったから、田舎だと山道を片道一時間歩いて通学とか普通だし
日本人に肥満が増えたのはカロリー摂取が増えたことより、
日常の運動量がかなり減ったせいともいうしな >>727
今ほどクイックする投手がいなかったからじゃない? >>41
一応最後の決勝打は秋山の犠牲フライなんだけどなあ >>744
それを後出しジャンケンとは言わないだろ
戦力的には大差ないむしろ劣勢かもしれない
でも相手のミスで勝つチャンスが巡って来たってこと
それこそ先に出た広沢の本塁突入
広沢にミスがなければ勝負がどっちに転がったか分からない
当時の西武の最大の武器は卒のなさ >>718
中村を懲罰で落としてからチーム成績も急降下
したんだが >>721
中尾は中日に指名されて入団してるし囲ってたってのは
違うんじゃないか?
高山と川村は囲う以外の何物でもないが アキとキヨは仲が良かったからトラブルにならなかったけど3番打者に塁上でちょろちょろされたら
そら迷惑だよな
キヨは仲が悪かったデストラーデは自分勝手なやつと酷評してるw
当時は長打力がある打者を1番に据える戦略はなかったからな
今年のアストロズの1番は33本塁打だ 石毛一番打ってたぞ
あと佐々木誠とか
秋山は移籍後一番も打った
その前だと福本蓑田や大石も一発ある 1985年の阪神は真弓が一番だな
全部が一番打者の時に打ったわけではないだろうが、34本打ってる >>560
石毛金森田尾スティーブの並びが好きだったなぁ
誰かも書いてたけど一番石毛は切り込み隊長みたいなイメージ 秋山は打率出塁率ともに1番としては不適格だからなあ
イメージとしては信頼度下がるから足は速くとも3番よりは5番が適格だった様な気はする 石毛はデビュー年に落合と首位打者争ってなかったけ? 秋山は「卒業」と言う題の自分の本に「西武に入団して寮に入居
した時、風呂に入る時は下駄をはいて入れと言われた」と書いて
いる。ライバルにケガをさせてチャンスを奪おうとする者もいる、と
説明されて驚いたと。
まあ、選手同士が食うか食われるかの関係は想像がつくが
今もそうなんだろうか? いまは仲良しクラブだからそういうのはないだろうな
昔は先輩が後輩をぶん殴るなんて当たり前だったけど今やったら大問題になる
カープのヒゲの木下さんが当時はみんな仲が悪くて会話なんか殆どなかったといってたな
やんちゃだった高橋慶彦はミスター赤ヘルに殴られたこともあるw
後に親友の星野の暴力を公然と批判してた浩二さんが殴るんだからよっぽど腹に据えかねたんだろうが
さすがにアキのそのエピソードは冗談だろうが 金村なんて入団当初選手寮で暮らしてたが
二軍の先輩からいじめられて、無視されたり
給料日になると部屋からお金が盗まれたことがあったので一年で寮出たって本に書いてた 森昌彦は、「監督やコーチに付け届けやお歳暮とか送るのやめよう」という、
巨人の二軍選手間の取り決めを無視してガンガン贈り物を送って、おべっか使って、
一軍に上がったと、ジャイアント馬場が本に書いていたな。
馬場は「自分が世間知らずの子供だった。社長になってわかったが見え見えのお世辞でも言わられば嬉しいものだ」と書いてはいたが。 そういう贈り物をされて贈られた側が怒るケースがあるとすれば
贈られた側が受け取ることで贈った相手に弱みを握られると感じた時かね >>763
顔が似てると言われた鈴木健がルーキーの時の初めての近鉄戦で金村に「お兄ちゃーん」と駆け寄ったらしいw
そんな金村はサードでサードコーチャー伊原と壮絶なヤジりあいというか口喧嘩
その後西武移籍して監督伊原w >>766
監督が伊原になったのは金村が引退してから2年後だぞ 妻に「ポン酢買ってきて。間違えないで」と念を押されて買ってきたら怒られた……「理不尽」「普段の食卓を把握すべき」ほか解決策・考察など
http://icoy.mandhplum.net/t43h/102574.html 外野手出身監督で初めて時代をつくる監督になれたのに辞めちゃって残念だ
ノムの鼻をあかして欲しかったわ デストラーデは退団して帰国する際に見送りに来た清原に
タイトル獲得を祈ってると言ったら何時も俺のタイトルを
邪魔してたやないかと返されたってエピソード好き。 ファミコン、西武黄金期、ビックリマンチョコ
俺の少年時代、だいたいこんな感じだった >>774
あと週刊少年ジャンプかね
奇しくも西武と黄金期がかぶってた 子供向け雑誌とアニメ、あとテレビは巨人中心だったけどね
中高くらいからCSとか周囲の影響で(あと反抗期からか)地元チームはじめとして他チームに流れるかんじ ミラクル元年って改めてご連絡させて頂きます。凄い歌詞 >>777
間違っちゃった
「ミラクル元年」って改めて凄い歌詞 >>774
俺も似たようなものだが当時の思い出としては
少年漫画の主人公が西武ライオンズの帽子を
被っているのが多かった。「セニョールパ」なんて
破天荒な助っ人の活躍する漫画も懐かしい。 地平を駈ける獅子を見たを作った人は印税すごいんだろうな
と思ってぐぐったら
阿久悠 小林亜星なんだな
そりゃクオリティ高いはずだ >>773
チーム内でタイトル争い出来るってのが強いチームだわな ライオンズは所沢移転時にかなり帽子配ったんじゃなかったっけ?
西武自体が球場と遊園地をファミリー向けで推してたし
一方近鉄は全く無いし、歓楽も南大阪に出るから地元からは総スカンという… >>423
>思ったより時間がかかったけど
笑笑笑
典型的な後出し馬鹿乙 石毛とか伊東とか指導者で成功しそうと思ってたタイプがダメで、秋山、工藤、ナベ久と投手が何故か監督として良かったり、辻みたいな地味な選手がド派手なチーム作ったり、田辺が何故か監督したり、黄金期のその後は予想外なことが多い >>786
そのチームの事情もあるし…
あと監督となるとフロントからの権限とか地元(メディア)からの応援とか
そして特に資金力も関わってくる(原が上手くやれる理由) >>786
伊東は性格的に衝突するけど、指導者、解説者としては引っ張りだこでしょ 西武ファンから見ての伊原元監督はどういうイメージなんだろう >>786
伊東は一応日本一になってるだろ
リーグは二位だったけど
そのあとロッテで監督やって今はドラゴンズのヘッドやってるし問題があるとは思えんが >>789
あの人すぐ切れてたよねw
山アに「お前なんかいらねーんだよ」っていったり
バレンタイン監督と挑発合戦したり
清原コピペでも「最悪、殴られたこともある」とかね
でもあちこちに呼ばれるってことは優秀だったのかな >>791
野村にルンバ扱いされてやり返して言い返したり
人間性はあれだよな
上司に伊原は勘弁 >ブンブン丸(池山隆寛)、広沢克己(広澤克実)
なんやこれ 西武はなぜか主力が出てくよなあ、それでも強いけど
現役でも、涌井、岸、浅村、菊池 主力が出て行ってもすぐ穴が埋まるのが凄い
特にショート >>791
鬼軍曹で嫌われ役やるには最適なんだろ
走塁コーチとしても優秀だろ >>781
お披露目で歌詞を見ながら歌うしげる松崎を見て堤が一言 >>789
ライオンズブルーの血が流れているのかと思ったらオリックスブルーだった >>786
ロッテみたいなクソみたいな組織と戦力の球団で5年間で3回もAクラスになった伊東は石毛なんかより全然成功してるだろ >>800
たしかその年チーム最多(他がヤバイ)、チームもBクラス
そして実は西武も石毛が26だかで最多だったような…(こっちは一応Aクラス) >>801
西武は新外国人のジェリーがかろうじて1本差で
石毛に勝利
テリーの退団と田淵の衰えで大砲が居なくなった
しかし翌年秋山が40本塁打を放ってブレイク
近鉄はデービスが開幕から在籍してたらチーム
最多本塁打だっただろうね
ただこの年は本塁打を西武は153本近鉄は174本
記録してるんだよなあ
貧打には程遠い 松永、大石、佐々木、こゆき
このくらいの時のパリーグの1番は適度にパンチ力ある選手がチームの核弾頭(最近言わないな)として印象的だった 外野手監督ダメだって言うけど俺が見た範囲だと
佐々木恭介以外リーグ優勝はしてるような
ノムの根拠の無い主張が通説になっちゃってるだけじゃね >>804
高橋由伸がダメだったね
状況的に可哀想な面もあるけど >>764
森がさらに汚いのは自分はそうやって平気で人を出し抜いておきながら
他の選手のことは告げ口しまくってた点だな
ちなみにこの件にも馬場が言及していたが
こちらは直接森の名前を出さなかった辺り割と本気で根に持ってるようだった >>501
今の西武はブライアントがいた頃の近鉄に近いイメージやな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています