【インタビュー】「八甲田山」最初の犠牲者役・大竹まことが極寒ロケ回想「撮影は最後までいた」 2018/12/21
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2018年12月21日 12:00
「八甲田山」のシネマコンサートが1月14日に東京・NHKホールで開催される。このたび同作に出演した大竹まことのインタビューコメントが到着した。
199名の犠牲者を出した、明治35年の八甲田雪中行軍遭難事件をもとにする本作。高倉健、北大路欣也、加山雄三、緒形拳、丹波哲郎、三國連太郎らが出演し、森谷司郎が監督、橋本忍が脚本を担当した。
劇団・表現劇場の仲間とともに本作のロケに参加した大竹。撮影は事件当時とほぼ同じ気象条件の青森・八甲田山で行われ、あまりの寒さに逃げ出した俳優もいたという。
大竹は「俺たち兵隊の衣装は日露戦争の頃と同じでペラッペラなわけさ。その時点で70年ぐらい前の靴を履かされるんだよ」と述懐。映画には凍傷対策のため靴下に唐辛子をまぶして靴を履くシーンがあるが、撮影現場でも同じことが行われた。
ロケ現場には、宿舎より1時間から3時間をかけて徒歩で向かったという。「偉い俳優さんたちは雪上車だけど、俺たちは歩き。で、出番まで待つ。あんまり寒いもんだから、雪に穴掘って潜って顔だけ出して待つんだよ」と過酷な現場を振り返る大竹。
さらに「そんな中、風速30mの吹雪を起こす機械回すんだよ。ただでさえ寒いのに」と想像を絶する現場の一端を明かした。
「俺はエキストラに毛が生えたような役だからね」と笑う大竹が演じたのは、最初の犠牲者となる輸送隊員C。しかし本人はあまり覚えていないようで「俺、一番最初には死ぬんだけど、そのあとも出てたような気がする。だって撮影は最後までいたしなあ」と告白する場面も。
シネマコンサートについては「芥川也寸志さんの書いたメロディは、聴いてるだけでも寒くなってくる。本当にいい音楽だから、生のオーケストラで聴けば体感温度も下がって、映画を楽しめることでしょう」と期待を寄せた。
「八甲田山」シネマ・コンサート
2019年1月14日(月・祝) 東京都 NHKホール
開場 15:00 / 開演 16:00
料金:9800円 ※未就学児入場不可
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https://natalie.mu/eiga/news/313176
(c)橋本プロ/東宝映画/シナノ企画 >>566
自分も見てない(こわいから)
思うに、八甲田山は不毛さを味わう映画なのかも。
無事に生き残ったのも日露戦争で死んだ。大量犠牲の末ロスケには勝ったけど
時は流れて、結局は北方領土取られて今に至る >>586
史実における悲劇の映画だから、救われるわけでもスカッとするわけでもないからなあ 音楽がいいですねえ
芥川也寸志は旋律美を大切にした作曲家で
武蔵坊弁慶も良かったな >>587
それは認めるが
実質は薄氷の勝利だったのに
実力以上に過信して鼻高々になって30年後に鼻っ柱を根元からへし折られてしまった >>590
『八甲田山』『八つ墓村』他、メロディーラインの美しさから哀愁が漂ってくる。 >>328
実家近所だけど、現地でそんな話聞いたことない。
代々続く金持ちのボンボンとは聞いたけど。 >>51
その薬師丸ひろ子を楽屋で刺したのが嶋大介 以前高倉健の先祖が江戸時代に書いた旅日記が
発見されたとローカルニュースでやってたから日本人だろ >>598
そんな事言ってると
後で痛い目見るよ三國さん >>593
だよね。
国内で革命が起きて大変な時だったから、対日本戦だけに集中出来てたら日本は負けてたんじゃね? >>545
例を出すならその前の白村江だわさ
無策で当たって木っ端微塵
んでGHQのごとく唐が一時的に朝廷管理で律令国家への道
ってのが日本の歴史 >>596
>>328は高倉健を同朋にしたいんだよ。 雪国の小学生はくっそ重い荷物背負わされて12年間毎日雪中行軍してるけどね
冬休みだって12月後半から1月中旬までで一番キツイ1月後半から2月とか普通に学校だし
八甲田で死んだのって現代で例えたらスタッドレスも履かず雪道走ってるような西側から来た知恵遅れの雑魚でしょ? >>607
お前口が悪いな
周りから嫌われてるだろ
でも核心はついてるところもある
握り飯を持ってたらしいけど背嚢に入れてた連中は握り飯が凍って食えなかったらしいな
でもガチの雪国出身の奴らは握り飯を懐に入れたから凍らずに食べられたとか
やっぱ経験値は偉大だな
その経験値を積んだ連中を階級が低いからとないがしろにした結果がこのザマだ >>594
山崎努が無双すんのも芥川也寸志だっけ?
あのBGMのせいで3割増しで怖いw >>587
日露戦争で負けてたら大陸の利権から撤退してただろうから
日本の経済成長はもっと早かった可能性がある
それと軍の発言権が弱くなってた。
ロシアは革命が失敗してソ連にならずロシアは弱体化したままで続いて、
WW1も大規模化せずしたがってWW2も起きなかった・・・
という流れになってだろう ロシアは日露戦争で大陸で勝つことは出来たポーツマス条約が締結されて戦争が終わった時にはロシア軍120万人と日本軍40万人が対峙してて日本はこれが全ての兵力だけどロシアはまだ増やす余地はあった
けどロシアも戦費はフランスからの借金だったし艦隊が壊滅したから日本本土への侵攻は出来ないし潮時だったってことだね 昨日、犬神家の一族のドラマやったらしいんだよね
ジャニーズのひと主演で
もちろん見ちゃいないが
大野雄二のあの名曲がCMで使われていた
名曲を汚すなよ!と思ってしまったw >>601
その革命勢力に資金や武器のスポンサーとなり政情不安を煽っていたのが帝国陸軍明石大佐だけどね
自国の実力と攻勢点の限界を知り抜いて
開戦前から戦争の止める為の工作を絶やさず
その殆ど全てを想定通りに終わらせた奇跡の戦争だよ >>365
おお、あの銅像の人の子孫か!
ほかにも生存者の孫のブログも見たことがある
手足のないお祖父ちゃんと孫たちでよく散歩して遊んでいたのだが
地面に何かを落とすとお祖父ちゃんは拾うことができなくて
とても悲しそうにしていたのだとか
普段は明るいお祖父ちゃんだったので印象に残っているんだそうだ(涙)
>>388
ソフト化もされず完全に忘れ去られてるな >>607
その通りで日本の軍や日本兵が無能で貧弱で生命力が無かったって事だと思いますね
太平洋戦争でも日本兵がフィリピンの原住民に首刈られてぶっ殺されてたの「日本兵が土人に殺されたのは恥ずかしい」って隠蔽してたらしいです テレビでも散々やったし、見たことは無くとも40歳以上なら9割知ってる
その世代で知らないと言えば、むしろ芸能より一般常識を疑われるレベル
30台以下に対する知名度は分からん >>615
当時の邦画で最高収益の記録を作ったはず
超大ヒット作だよ >>36
それな
人権も何もなかった時代を懐かしがる馬鹿は
正しい歴史をちゃんと学んでほしい 日清戦争で既に凍傷が多発してるのに青森連隊に雪中行軍のノウハウがないってのもなんだかなーって話で >>589
映画は「娯楽」ではあるけど、スカッとしたり感動する必要はないんだよな。
色んな感情を味わわせてくれる総合芸術なわけで(一応、芸術と言っとくw)、
後味悪いのも一興。(余韻が深く長く残って、色んなことを考えさせてくれる)
ラストに全くカタルシスのない平面的な映画もあるけど(50年代のヨーロッパ映画)、
「娯楽」という観点抜きにして観ると、些細なシーンの中に渦巻くような葛藤を垣間見れて、
それが作品全体を引き締め、人間の深い業をまざまざと感じる。そこがクセになって何度も見てしまう。 森谷監督は黒澤の助監督。
それはそれはいじめられたそうだ。 >>624
これと「日本のいちばん長い日」(旧作)は年に一回は見返してしまうよ
娯楽性無視のフェイクドキュメンタリーだけど
事実を基にしてるから映画の持つ力が全然違う
浅間山荘や日航機墜落の映画もあるけど、まだ歴史が浅過ぎて生々し過ぎて
いろいろ考えさせられる >>627
生々しすぎてというか監督や制作会社によってバイアスがかかるから
イデオロギーや損得を絡めてる映画も多いしな >>621
青森歩兵第5連隊は冬のロシア軍の侵攻で青森海岸沿いの列車が不通となった場合、物資の運搬を人力ソリで代替可能かの調査
弘前歩兵第31連隊は「雪中行軍に関する服装、行軍方法等」の全般に亘る研究
両連隊は日程を初めお互いの雪中行軍予定を知らずに計画を立てたので映画の様な連隊間、福島大尉と神成大尉の間での打ち合わせ等はなかった。 >>615
映画は観てない人にも「天は我々を見放した」という劇中のセリフは有名になった
その汎用性もあって当時の小学生の間でも流行ったよ >>615
色んな意味で有名な映画よ
一回見ておいて損はない
現代社会でもよくある話が、この頃からあったんだなって思うよ 1977年か 4時間超えのめちゃくちゃ長編じゃないですか
内容は怖い感じじゃないの よく解らんことあるんだけど
青森に連隊が2つも必要だったの?
今でも、青森と弘前に連隊あるしなんか意味あるの? >>632
最後どうなるかもう解ってるのに
段々部隊がバラバラになっていくのを見てると寒気してきた
こんな感じでダメになっていくのかってのも思ってしまった
記憶にあるのはあの「天は我々を見放した」と
後藤伍長のぎょろ目、本当に生きてたのか!ってなった
ラストの拳銃の音は今でも記憶にある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています