アフリカ・コンゴ出身の父・ウィリーさんと日本人の母・有里子さんの間に生まれた中正。東京・練馬区の開進第二中時代に所属した東練馬シニアで頭角を現した。


 特に走力を含めたパワフルな身体能力は群を抜き、バッティングの飛距離は中学生のレベルではなかった。学校では陸上部に籍を置き、1年生で100メートル障害走で都大会2位、3年時には砲丸投げで同大会制覇と華々しい活躍。こうした評判から、進学した横浜でも注目の的となった。すぐに中軸を任され、1年夏の神奈川県大会3回戦では横浜スタジアムのバックスクリーン直撃の本塁打。“名刺代わり”にアーチを量産した。だが、今夏の南神奈川大会では鎌倉学園との決勝で放った高校通算40号2ランが、本塁打の打ち止めになった。


 順風満帆というわけではなかった。今年の春先からスランプに陥ったのだ。登板すればMAX149キロの速球を操る投手としての力量も買われ、二刀流に挑戦した弊害があったのか、センスと身体能力に頼り過ぎたのか。春の関東大会では当初、登録メンバーから外されている。しかも、レギュラーだけが許される寮生活から90分もかけての自宅通学を命じられる時期もあった。


 ある在京球団スカウトは「そうしたつらい期間は選手にとって試練。そこから立ち直る前向きな気持ちと努力こそ、選手を評価する物差しになる」と話し、「使えないと思われたら切られます」と当然の状況だったろうと推測した。


 平田監督はこう言った。


「この子の潜在能力は図抜けています」


 こんなものじゃない。まだまだ伸びる、と聞こえた。


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