【音楽】ヒット曲は1000曲超え 作曲家・都倉俊一氏、文化功労者選出 原点は「ポール・マッカートニーの衝撃」
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2018-10-26 11:30
「ペッパー警部」「ひと夏の経験」「あずさ2号」などのヒットで知られる作曲家・都倉俊一氏(70)が、今年度の文化功労者に選ばれた。
このほど都内で開かれた会見で都倉氏は、作詞家、スタッフ、歌い手に感謝したうえで、「平成の最後の年にこの栄誉をいただいて、次の御代に昭和、平成のレガシーを伝えるのも一つ、僕の役目かなと考えています」と喜びを語った。
1969年、大学在学中に中山千夏に提供した「あなたの心に」で作曲家デビュー。71年から放送開始された伝説のオーディション番組『スター誕生』では阿久悠さん(故人)らとともに審査員を務め、山口百恵、ピンク・レディーらを発掘して楽曲を提供した。
世に出したヒット曲は1000曲を超え、レコード売上枚数は4000万枚超のヒットメーカー。日本音楽著作権協会(JASRAC)の評議員・会長を歴任し、日本の著作権保護期間の延長など、音楽等の創作に携わる人たちの権利を守り、環境整備に尽力してきた功績も評価された。
昨年大みそかには平尾昌晃さんの後任として『NHK紅白歌合戦』で「蛍の光」の指揮者を務めた。
都倉氏は「栄誉をいただきました。これも非常に長い間、音楽を愛してくださった多くの皆様の支えがあったからこそだと思い、心から感謝申し上げます。我々はピアノの前で譜面書いているだけの仕事なので、すばらしい言葉をくださった作詞家というパートナー、スタジオで一生懸命一緒に音を作ってくださったスタッフ、何よりも我々の曲を世の人々に伝えてくださった歌い手の皆さんに感謝を申し上げたいです」と謙そんを交えながら喜びをかみしめた。
文化功労者選出は文部科学省からの内示で知ったといい、「まずは家内に報告いたしまして、喜んでもらいました」と照れ笑い。現在は日本の舞台芸術文化の復興と国内アーティスト育成を目的とする財団法人「日本ミュージカル育成基金」を設立準備中。
将来的には若者の海外留学を含めた研修システムの確立、日本における本格的なミュージカル制作を目指していることから「現役の間にこういう栄誉をいただき、背中をドーンと押されて『これからも頑張れ』という勇気をいただいた気がしております」と語った。以下、主な一問一答。
――作曲家になろうと思った動機、影響を受けた人は?
音楽が好きで子どもの頃からバイオリンをやったり、ピアノをやったりしていたので、音楽は絶えず周りにありました。学生時代はバンドをやったり、高校生の頃はドイツで育ったので、クラシックが強い環境でしたが、ビートルズやローリング・ストーンズのモノマネバンドをやったりしている中で、僕は人前で何かをやることより、裏でやっているほうが好きだなと。音楽活動はしたい。でもあんまり人前でやるのは得意ではなく、音を作るほうが好きだった。それが動機といえば動機。
作曲家になろうと思ってなったわけではないんです。ソングライターとして影響を受けたのはポール・マッカートニー。いろんな作曲家の影響をもちろん受けてきましたけれども、中学生か高校生のときに出会ったポール・マッカートニーのメロディーは非常に衝撃的でした。
――阿久悠さんとのエピソードをお聞かせください。
阿久悠さんという盟友を得て、長い間一緒に仕事をして、一回り上の先輩なんですがいい兄貴分で本当にかわいがってもらいました。作詞家と作曲家という立場で、お互いに畏敬の念を持っていました。その逆に、言葉がなくてもツーカーの間柄だった。
「ペッパー警部」という曲ができたときに、「ペッパーってどういう意味? なんで警部なんだ」と聞かれて、2人で「なんでだろうね?」ってお答えして。我々はお互いに「どうして?」って聞いたことがないんです。
聞いた瞬間に、僕たちの世界じゃなくなっちゃう。理屈はないんです。「夏だからメルヘン書こうよ」っていう話になって、「夏は渚だね」「じゃあメルヘンはシンドバッド」にしようかと言って「渚のシンドバッド」になった。そういう遊び心といいますか。
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続きます >>1 続き
――社会現象となった、山口百恵さん、ピンク・レディーにまつわる思い出。
山口百恵さんはこれだけのレジェンドになったにはなっただけの理由があり、彼女が持っていた神秘性、彼女が持つ人を引きつける引力、そういうものが彼女をつくったんじゃないかなと思います。初めて僕のところに来たときは中学生だったと思いますが、桜田淳子さんや他のアイドルの女の子に比べても地味な子。カメラマンの皆さんが「もっとニコッと笑って」と言っても笑えないような子でした。ある時、僕たちが作った彼女の世界よりも、彼女が持っている世界に我々が入っていったほうがずっと魅力的だということに気がついたんですね。ハタチで引退するまで彼女はそれを貫いたし、スタッフもみんな理解していました。
ピンク・レディーもやはり『スター誕生』という番組で地味に出てきてわけですけど、僕も阿久悠さんも振付の土居甫さんもプロデューサーの飯田久彦さんも、誰一人としてあんなに大きな社会現象になるなんて信じていた人はまずいません。我々は一生懸命レールに乗せてドーンと押したわけですけど、あまりにピンク・レディーがレールの上を速く走りすぎて、我々が追いつけなくなってしまったみたいなところがあります。4年くらいの間でしたが、今考えても不思議な感じがします。
――昭和、平成の音楽を言葉で表現できるようでしたら。
古賀政男さんや吉田正さんなど戦前から戦後にかけて音楽を作ってこられた方に比べると、情緒がなくなったと言われたことがあります。それからニューミュージックとか、J-POPの時代になって、手作りから機械作りになり、ポップスをずっと作ってきた我々ですら情緒がなくなってきたと思います。しかし、その時代その時代に完全消滅するものと、次の時代にもずっと伝わっていくものとがある。実はそれが情緒であって、どんな時代でもどこか心に感じるもので、音楽の形式や作り方ではなく、人間が持っているものだと思うんです。
僕は曲を作るときに、人間の情緒を信じなくなったら芸術は作れないと思う。すごく完成されている音ではなく、すごく粗野だったり、役者さんや歌い手さんがとちったりしても、見ている人の情緒に訴えられるのが芸術の命だと思うんです。どんな時代になっても、平成が終わって次の御代になっても、美しいものを見たりおいしいものを食べて感激したり、人間はそういう心を持っていると信じながら芸術をつくっていくべきで、僕の場合はそれが音楽であり、根本はメロディーなんです。
――70・80・90年代と今のアーティストとの違いがあれば。
違いは必然的にあります。伝説的な話でありますけれども、美空ひばりさんはスタジオでオーケストラと同時で録音して、3回くらい歌って、はい、終わり。スタジオで録音するということが非常に真剣勝負だった。我々の時代になってマルチトラックというのが発明され、デジタル化されていくと、歌い手さんが音程を外してもコンピューターで全部直せてしまう。アーティストの真剣さ、現実的な技術も変わってくることは事実ですね。でも、どの時代でも本当に歌のうまい天才はいるんですよ。こういう子が実力とともに認められるためにも、生の声を届ける必要性を感じています。
僕の大きな夢がありまして、日本のミュージカルをはじめとするライブエンターテインメントをなんとか世界的にしたい。日本は世界で二番目に大きな音楽マーケットですが、ライブエンターテインメントは欧米に比べて遅れている。日本には成熟した大人のエンターテインメントがあまりにも少なすぎるんです。アーティストの実力や真価が問われるのはライブなので、ブロードウェイ(米ニューヨーク)やウエスト・エンド(英ロンドン)みたいなライブエンターテインメントの土壌を日本でも創っていきたい。そうすると自然にそこに通用するアーティストも育っていきますし、ぜひ実現したいと思います。
終わり 1000曲?そんなにヒット曲あったっけ?せいぜい50曲くらいだったと思う。 作曲家ももらってええよな
評価されるのは作詞家が多くて気になっててん ピンクレディーで25曲くらい、山本リンダで5曲、その他で20曲くらいしかないじゃん。盛りすぎだ。 南野陽子「アイドル時代、事務所が私名義で不動産投資して借金数億円、20年かけて私が返済しました」
https://www.lo gsoku.com/r/2ch.net/morningcoffee/1259320275/ 前にテレビで
何十年かぶりにカナダからの手紙を女性歌手とデュエットしてて「ラブレタ〜フロム〜カナダ〜♪」のとこを「ラブレタ〜フロム〜カナダからあ〜♪」ってずっと歌ってて
相手の歌手が合わせにくそうだったけど
よく考えたらリハーサルしてるからみんな気づいてるはずなのに誰も指摘する人がいなかったのかなと、
まあ、それくらい大物なのはわかるけど「先生、フロムは何々からって意味があるのでラブレタ〜フロム〜カナダから〜♪の、から〜は要らないですよ」って言えよ小堺よ この人がNHKの昼のFMの「日曜喫茶室」ってのに昔出て、
「イエスタディ」は最初の歌詞が「スクランブルエッグ」だった、
みたいな事やウンチク語ってたよ かなり前から、都倉俊一の名前を聞かなくなった印象があるのだけど
活動はしていたの? JASRACの取立ては凄まじいものがありますが、JASRAC会長の
都倉俊一は南野陽子に多額の借金を背負わせた責任はどう感じてるのでしょうか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10104116240 まだそんな若かったのか
弟子のピンクレディーや百恵あたりが還暦超えてるはずなのに
わかるのは井上順シリーズ、リンダシリーズ、フィンガー5シリーズ、ペドロ&カプリシャスシリーズ、ピンクレディーシリーズくらいか? >>17
作曲は評価できる人がいないんじゃないの? >>19
でもみんなインパクトあるヒット曲だよな。。。
調べたら下記の曲が都倉俊一らしいぞ
あずさ2号 私のハートはストップモーション 若さのカタルシス
ルイルイ 地球はひとつ ブルドッグ
ジョニイへの伝言 五番街のマリーへ どうにも止まらない
狙い撃ち 渋谷区歌 今日もどこかでデビルマン >>44
山口百恵は都倉俊一じゃね?
別のレッスン生が部屋のドア開けたら対面座位でイタシテた最中だった・・・
ってなウワサ聞いた気がするw >>20
作曲家デビューの中山千夏「あなたの心に」とか割とそうかもね すぎやまこういち氏とか菊池俊輔氏の方が上だと思うが、すでに受賞されてるのかな? 都倉ベスト10
1位HOWワンダフル!
2位逃避行
3位どうにもとまらない
4位私のハートはストップモーション
5位五番街のマリー
6位渚のシンドバッド
7位コスモス街道
8位冬の色
9位FOREVER
10位ハリウッドスキャンダル この程度の作曲家に受賞させるなら、小室哲哉にも、そのうちあげなきゃね? >>37
事務所が勝手に南野陽子の名前で借金してたのか
>アイドル時代に所属していた事務所が、勝手に南野陽子の名前を使って不動産投資をして
失敗したツケを負わされ、その返済に20年かかったというのである。 筒美京平を差し置いて都倉はないだろと思って調べたら紫綬褒章もらってた >>48
残念ながら都倉のほうがヒットメイカーとして上 ピンクレディーベスト5
1位渚のシンドバッド
2位UFO
3位カルメン77
4位マンデーモナリザクラブ
5位ジパング
6位乾杯お嬢さん
7位SOS
8位サウスポー >>49
ハリウッドスキャンダル好きだったなあ
ちょうどその頃彼女ができてラブラブ気分だったのもあるかもしれんが 所属していたアイドルに事務所の借金を肩代わりさせて今ではジャスラックの会長さん >>14
まあ、どの程度のヒットを以ってヒット曲というのかということじゃろ。 70年代だけの人って印象
南野陽子のデビュー曲とかこれ本当に80年代の曲かよって古臭さだし ピンクレディーは透明人間とジパングと波乗りパイレーツが3トップだからな 誰だか知らんが、南野陽子に悪さしたヤクザだということは覚えた。 井上順「昨日・今日・明日」=ビートルズ「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」 >>49
うわ
サザンと勘違いした
3位も知らねーわ レイジーの地獄の天使も都倉俊一。影山ヒロノブの黒歴史(´・ω・`) 「ペッパー警部」という曲ができたときに、 ←曲ができた時ではなく、詞曲ができた時じゃない?
「ペッパーってどういう意味? なんで警部なんだ」と聞かれて、 ←誰に質問をされたの? 阿久悠さん?
2人で「なんでだろうね?」ってお答えして。 ←誰に、どの2人が答えたの?
我々はお互いに「どうして?」って聞いたことがないんです。 ←「ペッパー警部って何だ」って質問が出てるけど、これは阿久悠さんじゃないの? (acrylic)? @y_shingchang ・ 2017年7月10日
私は南野陽子さんのファンです。
彼女は事務所に借金を背負わされました。
そして「独立したいなら脱げ」と言われ、彼女はヌードの映画をとりました。
「この映画が公開される時に自殺しよう」と彼女は決めます。
しかし自殺しようとした時、彼女のお父さんが突然病死してしまいます。→
(acrylic)? @y_shingchang
→結局彼女は自殺せず、事務所が勝手に作った、彼女名義の借金を返すために
個人事務所を作りました。そして返し終えてから別の事務所に入ったのです。
その間、以前所属していた事務所は下げ記事を出させ続けました。
3:40 - 2017年7月10日
https://twitter.com/y_shingchang/status/884361665008943104
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) 都倉俊一
かつては鈴木雄大や南野陽子、BaBeを擁した芸能プロダクション
「株式会社エスワン・カンパニー」を経営していたが、1989年に南野が
独立した後、倒産。南野とは独立時に確執があったと一部で報道された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%BD%E5%80%89%E4%BF%8A%E4%B8%80 【芸能】南野陽子アイドル時代激白!事務所が勝手に名前を使って億単位の借金、全額返済に20年
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1279614559/
入浴シーンで色香…南野陽子アイドル時代激白!ワガママ、借金も 2010.07.20
http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100720/enn1007201626009-n2.htm
女優、南野陽子(43)がデビュー25周年を迎えた。トップアイドルとして君臨しながらも、
「ワガママ」とバッシングを受けたり、膨大な借金を被らされたりと芸能生活はまさに波瀾万丈。
荒波をくぐり抜け、ますますいい女になった大人のナンノを直撃した。(宇野貴文)
「デビューのころは、5年ぐらい仕事してお嫁さんになるのかな…と思っていたけど、真逆の道を
歩んできちゃった」
2代目スケバン刑事として大ブレークした10代。華やかな舞台の裏では悩み続けていた。
歌手、女優の仕事を別々の事務所が管理していたため、仕事がしばしばダブルブッキングし、
あらぬ誤解を招いた。
「寝ずに頑張ってるのに、『ナンノがワガママで現場に来ない』って書かれて。
『私はちゃんとやってるよ!』って悔しかったけど、やめたら自分が悪いと認めることになる。
決めたことは責任を持ってやろうと思ってました」と振り返る。
20代には、さらに深刻な事態が。事務所が勝手に名前を使って不動産投資などを行い、
億単位の借金を被らされたのだ。全額返済に20年かかったという。
「仕事を続けてこれたのは、やっぱり『悔しい』って気持ちがあったから。
しんどくて、くじけそうでも、神様は見てくれているし、わかってくれる人たちはわかってくれる。
その人たちを悲しませたくなかった」
清楚なイメージから想像できないタフな精神で、様々な役に挑戦してきた。
映画「私を抱いて そしてキスして」(1992年)ではHIV患者を熱演し、「寒椿」では
ヌードも披露。“脱アイドル”に見事成功した。
誕生日の6月23日にデビュー25周年を迎えた。 人として最低なのに文化功労者に選ぶ文科省
人格とゲイジュツは別ですかそうですか >>27
いや西洋の民謡とかメチャクチャパクってるから
そのうえ自身の曲も(山本リンダとピンクレディー)セルフパクリしてるしねw
五番街のマリーへなんて犯罪レベルだろ
元ネタ曲ロッホーローモンド(スコットランド民謡) >>42
ジャンル違うが遠藤実受賞で船村徹が受賞されなかったのは謎。 >>83
新婚旅行でぎっくり腰
どんだけ励んだんだよって。 実績では筒美京平の足下にも及ばないね。
ゴルフ場の風呂場で都倉の超ミニサイズのチンポコを見て思わず噴き出したライバル作曲家って誰だろう・・・
三木たかしあたり? >>101
ドリチン真性包茎が大信田礼子との離婚原因だとか。 初めて知ったのは、子供の頃にコサキンでネタにされてる人という印象だったから、
後に功績を知ってびっくりした。 阿久都コンビ
山本リンダ路線でピンクレディーを大ヒット 70歳って若いんだな。
テレビで大信田礼子と出ていたのを見た記憶があるけど、
そのころで25歳ぐらい。もっと大人に見えた。 都倉俊一、筒美京平、平尾昌晃
昭和の歌謡曲の作曲家と言えば、この3人 >>115
古賀政男とか船村徹はそこに入らないの? 三木たかしと都倉は同等
作風が都倉のほうがややポップス寄りか 都倉俊一と言えばスター誕生の審査員たな
ハンサムで低くて良い声してるカッコいい人がいるなと思ってた
隣にはゴツい顔したしゃがれ声の阿久悠がいたから余計に際立ってた >>66
いつも何処かでデビルマン、だったかな?
これとミクロイドSは、初回放送より再放送の方が、OPとEDをほぼフルサイズで聴けるようになった レッツゴーヤングで都倉とキャンディーズ司会の時期があったが、キャンのレコード曲で都倉曲は1曲も無かったし、あのピンクレディー担当なら 穂口>>>>>都倉 と判定してた(今も) 事務所やめたかったらヌード この慣行のおかげでトップスターのヌードを楽しめるわけだが
ひどいなあ 親とか本人とか弁護士ってのは動かないのか
アメリカにもあるだろうけど名を上げたい弁護士とかほっとかない案件にも思える ピンクレディ解散コンサートガラガラで可哀想だったな
子供の人気者だと飽きられるのも早いし極端に売れなくなる >>17
作曲家は国民栄誉賞4人いるけど、作詞家はいないよ 洋楽をちょこっといじってメロディーひねり出すんだろうな 国民栄誉賞ってのは総理が自分の政権の人気のために与える賞で
メディア露出は多いが国家としての権威のある賞ではない 外交官の息子で学習院のお坊ちゃん
大信田恵子と婚約したが育ちが違うからと婚約破棄したんだっけ? >>5
慶應幼稚舎だっけ?
この人も外交官の息子だもんな
名門の血筋 >>95
民謡は著作権ないから本当ならある意味賢いw >>106
>>108
若い頃の南野陽子食ったのなら羨ま >>20
タイトルならペッパー警部
サージェントぺバーだから >>133
育ちじゃなくておちんちんが異常にちっちゃくて離婚されたんだよ。 ペッパー警部の歌詞は曽根史郎(一発屋だった)の若いお巡りさんからヒントを得たんだろうな 今日もどこかでデビルマンのパーカッションが異常にカッコいい 台風ってか迫り来る感じの曲調好きだな
ひと夏の経験
狙いうち
サウスポー
ここら辺が神 バイブレーション
ハリウッドスキャンダル
半田健人は神のごとく崇めている
それこそ佐村河内守だか新垣隆だかしらないが
あんな仰々しい音楽を作るよりよっぽどこういう曲を作るほうが才能が必要だと思う
いくら音楽大学で高度な作曲技術を学ぼうが才能がなければこういう曲は書けないだろう 馬飼野康二の名前を挙げている人がいるが
あれは盗作の常習犯
刑務所にブチ込まれてもおかしくない人 筒美京平なんか、もうもらってんのこれ?
都倉より筒美京平だろー
都倉ってあなたの心にがデビューだったんかー
あれはてっきり中山千夏が作曲もしたのかと思っていた
わたしーひとりでーふかれてーみたいなーいつまでもーいつまでもー なぜかペッパー警部をかけてみんなと毎日踊ってた保育園期の思い出 >>14>>19>>49
80年以降何があったっけ? >>129
そういえば阿久悠にそんな話はなかったんか?
母は高校で同級生やった。 なによりも許せないのは、都倉俊一は全盛期のピンクレディを抱いた(かもしれない)事だ!! この人が何をどうやっても売れなかった少女隊が秋元康プロデュースに変わった途端チャートインしたのを見て
やはり過去の人なのだと思った
良くも悪くも70年代歌謡曲の象徴的存在 >>165
南野陽子のデビュー曲とかもそれ以降の曲と比べたら明らかに垢抜けない感じだよな。 >>135
萩田光雄と船山基紀が二大巨頭か
大村雅朗なんかも評価されるべきだよね
パープルタウンで思いっきりやらかしちゃったけどw この世代の作家達はパクリが罪だなんて思ってないのよ
むしろ「洋楽っぽい曲を作って売る」というカバーポップス〜和製ポップス由来の考え方だから
パクリ前提の商売だって事
それが変わったのはフォーク・ロック以降の「音楽活動は表現活動だ」「自分はアーティストだ」
という自意識を持った人達
つまりニューミュージック世代だ
そしてこの人は未だにニューミュージックに敵愾心を持ってんのよ
自分達の漁場を無礼な素人どもが荒らしたって思ってると思う うら若いアイドルに借金を5億も背負わせてどうしてのうのうとしてられるんだろ ヒット曲1000もねえだろ
筒美でもそんなにねえぞ ピンクレディーの歌だいたいそうなの?
だとしたら尊敬するわ >>1
>若者の海外留学を含めた研修システムの確立、
>日本における本格的なミュージカル制作を目指している
若かった南野の未来を潰すような借金を背負わせてよくこういう事が言えるね
昔のことだからアイドルが事務所の社長を訴えたらマスコミに叩かれて
イメージも最悪になって世の中から消されるから泣き寝入りして20年かけて返済した
それをいい事にご立派な芸術家気取っても犯罪者だった過去は消えないよ https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:jLYdHQaj81gJ:https://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1070832390+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja
芸能業界で28年間働いてました。
阿久悠先生は人間的にまず無いと思いますが
都倉俊一に関してはかなりスキモノだと言われてます。
自分が作曲したアイドルなどはすべて手を付けていると言われてました。
都倉はセックスさせてくれないと
作曲に応じないなんて話もあったくらいです。
表には出てませんが、女問題で訴訟まで起こされてます。
デビュー前の若いアイドル研修生などにも手を出してましたからね。 ポールとリチャード・ロジャースが20世紀ポピュラー界の
ツートップのメロディメーカーだと俺は思ってる。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています