そこで俺らが最後にネタをやるってなったときに、作家さんが3人いて、ネタ出しさせるんですけど、3人が3人とも震災を1個もネタにしなかった。「ふざけんな」って激怒して。無理矢理そのギリギリの線でネタを作って、ほぼ震災ネタで漫才をやったんですけど。

 行くも地獄、戻るも地獄なんだけど、不謹慎だって言われるギリギリのところを狙わないと「あいつら、日和ってネタにしなかったな」って思われるから。

 これだけ長くやってると、そうやって「ああ、そこには触れなかったんだ」って思われるだろうな、っていうのはつねにあるから。

 触れにくいネタでもやらないといけない。やっぱりそこで客席が変な空気になるのが嫌なんだよね。こっちの考えすぎかもしれないけど、何となく伝わってくるから。

 ――お客さんがどう思うかをつねに気にしているということですね。

 太田:要は、ウケるかウケないかの世界なんで。日和ったと思われたくはないし、かといって引かせたくもない。

■「怒られる」とかではなくウケるかどうか

 ――『時事漫才』のまえがきで、地下鉄サリン事件をネタにしていた時代と現在を比較して、「いまはその時代とはお笑いの許容度が大きく隔たっている」と書かれていますが、許容度が変わったというのは具体的にはどういうことでしょうか。

 太田:本質は変わらないと思うんだけどね。テレビっていうくくりで言うとそんなに変わってないかな。

 田中:ただ、分野によりますね。「オカマ」っていう言葉を使えるかどうかとか、LGBTに引っかかるようなことは本当に厳しくなっている。ここ5年とかでも全然違う。

 ――『とんねるずのみなさんのおかげでした』で石橋貴明さんが演じる「保毛尾田保毛男」というキャラクターが問題になったこともありましたね。

 田中:まさにあれが典型的ですよね。それこそ北朝鮮のネタをテレビでガンガンやれるなんて、10〜15年前じゃ考えられなかったことですからね。あと、パワハラ、セクハラ的なことも、いまではお客さんが引いちゃう場合もある。

 こっちはウケればいいんだけど、引くんだったらやらない。「怒られる・怒られない」以前に、それはちょっと考えますね。