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【高校野球】「痛いか?」ではなく「いけるか?」 甲子園でエースたちが潰されていく理由
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0001鉄チーズ烏 ★
垢版 |
2018/08/11(土) 07:21:36.34ID:CAP_USER9
 夏の甲子園は今年で100回を数える。

 かつての甲子園出場校では、チームの中に1人の大エースがいて、そのエースが最初から最後まで投げ抜くのが当たり前、という風潮が根強かった。近年では投手の肩や肘が消耗品であるとの認識が強まり、主力投手を複数作るチームも増えてきたが、それでも「エースに試合を託す」というスタイルのチームは未だに多い。

 今大会でも、例えば高知代表の高知商業はエースの北代真二郎投手が県大会を1人で投げ抜き、甲子園初戦の山梨学院戦でも12点を取られながら9回150球を投げきっている。プロ注目の金足農業・吉田輝星投手も、同じく秋田県大会を1人で投げ抜き、初戦の鹿児島実業戦で9回157球を投げきった。

 いずれもチームが勝利している以上、甲子園の戦略としては「正しかった」と言えるのかも知れないが、彼らの選手としての将来を考えれば一抹の不安は拭えない。豊かな才能を持ちながら、甲子園というシステムの中で「使い潰された」投手は、これまでにたくさんいるからだ。

 この8月、『甲子園という病』を上梓したスポーツジャーナリストの氏原英明氏は、ここ15年ほどの夏の甲子園大会を、ほぼ全試合観戦し続けてきた。
 その氏原氏が「見ていて身の毛のよだつ感覚に襲われた」と振り返る試合がある。2013年夏の甲子園2回戦、木更津総合対西脇工業戦だ。(以下、引用は『甲子園という病』による)

■スタジアムがざわついた「山なりのボール」

「1回表の木更津総合の攻撃は二つの安打などで1点を先制。攻守が入れ替わり、事件は起こった。
 守備に就く木更津総合の選手紹介アナウンスが甲子園に流れたが、その刹那、スタジアムはややざわついた。そう大きいものではなかったものの、いつもとは異なる雰囲気だったのは間違いなかった。
 1回裏、木更津総合の先発・千葉(貴央)が1球目を投じると、そのざわめきの正体が何であるかはすぐに理解できた。
 千葉は初球、これが全国大会の舞台で投じる球なのかというような、山なりのボールを投げたのだ。2球目、3球目、4球目……。そして、カウント3ボール2ストライクからの6球目も同じような山なりのボールを投じたのである。それは投球練習からすでにそうだったのだ。
 西脇工業の第1打者は虚をつかれたのか、空振り三振に終わったが、明らかに分かったのは、千葉の右肩が悲鳴を上げていたことだった」
 
 結局、千葉投手はこの後、マウンドを降りている。スタンドで観戦していた氏原氏は、「マウンドを後にする選手に送られる観衆の拍手が、これほど空しく感じられたのは初めてでした」と振り返る。
 
 当時2年生だった千葉投手は、結局3年生の夏は2試合に登板したのみで高校野球を終えている。大学は強豪の桐蔭横浜大学に進んだが、3年生の時点で公式戦の登板は一度もない。いわば、甲子園という舞台でその身を滅ぼしたに近かった。

   氏原氏は、その千葉投手を2017年秋に取材した。意外にも、彼の口から出てきたのは恨み節ではなく、自省の言葉だった。
 
「ケガでふがいないピッチングしかできなかったのは野球に申し訳なかったですね。このままの状態でマウンドに立つのは甲子園に申し訳ない。そんな気持ちでした」
「ケガで投げられなかったことも悔しかったんですけど、高校の監督さんが周りから批判を受けていることが一番辛かったです。僕は本当に五島(卓道・木更津総合)監督を信頼していました。監督さんが僕を無理やりに登板させたわけではなく、自分からわがままを言って投げていたのに、批判を受けているのは苦しかったです」
 
 当時大学3年生。それまで公式戦で投げられてはいなかったが、練習試合では登板し、ようやく復調してきたところだった。
 

>>2以降に続きます

8/11(土) 6:31配信 デイリー新潮
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180811-00546955-shincho-base
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