4日前の夜と同じように、日本対ウクライナ戦のあとにドイツのゲームをテレビ観戦した。ドイツ対ブラジル──4年前のW杯準決勝で、サッカー王国が屈辱にまみれたカードである。
ドイツはトーマス・ミュラーとエジルが離脱し、フンメルス、サミ・ケディラ、ヴェルナーらがスタメンから外れた。ブラジルはドイツほどメンバーを落とさなかったが、ネイマールはもちろんいない。

どちらもベストの布陣でなかったものの、プレーの強度は高く、攻守の切り替えも速い。何よりも、イージーミスが極端に少ない。
小さなミスが本当の意味で致命傷になってしまう攻防である。ウクライナ相手に日本が積み上げたミスを考えると、何だかぞっとしてしまう。このレベルといまこの時点で対戦したら、どんな結果になってしまうのか、と。

この日行われた違うカードが衝撃だった。スペイン対アルゼンチン戦の結果が6対1なのだ!
アルゼンチンのDF陣はサイズがある。日本よりデゥエルに強い。中盤では世界きっての“デゥエルマスター”のマスチェラーノが構えていた。それでも、スペインにいいように翻弄されてしまうのだ。
エースのメッシを欠いていたとはいえ、メッシが戦術のようになっているアルゼンチンの不安定さは、スペインには通用しなかったのだろう。

ウクライナ戦の日本に、話を戻そう。
ここにきて「個」のレベルが取り沙汰されているが、何をいまさらというのが率直の感想だ。昨年11月のブラジル戦やベルギー戦で、世界のトップ・オブ・トップとのレベルの違いは突きつけられたはずである。
それをまたマリやウクライナから感じた……では、昨年11月以降の4か月は何だったのか。W杯のたびに痛感させられてきたテーマではないか。

選手の立場からすれば、「個人」に課題を求めるしかない、ということかもしれない。ハリルホジッチ監督は、選手の発言に敏感に反応する。W杯を目前に控えたこの時期に、指揮官を刺激したくない心理は働いているはずだ。
世界のサッカーは、攻撃にも守備にもスピードを求める。局面では激しさを問う。ハリルホジッチ監督が言うところの「デゥエル」で、彼が日本代表に植え付けようとしてきたのは、何も間違ってはいない。

問題は、日本人の良さを生かせていないことである。まずタテに入れるのはいいとしても、そこから先の手立てがあまりにも不透明だ。
前線からのプレスがハマればショートカウンターへつなげられるが、それとてパスの出し手と受け手の「点」の関係が多い。

点ではデゥエルが強調されるからパスの出し手の選択肢を増やして「線」にする。それによって受け手へのプレッシャーを分散するのが、
クリスティアーノ・ロナウドもメッシもいない日本の手立てではなかったのか。

アタッキングサードでワンタッチのつなぎがほとんどなかったのは、チームの現状を分かりやすく映し出す。相手の組織を個で剥がせないと、プレーの選択肢は後ろ向きのパスしかなくなる。
タテパスを入れて、ボールを失って、守備をして、何とか奪って、またタテパスを入れて、また失ってという繰り返しでは、フィジカル的に消耗していくばかりだ。
強くないデゥエルで不利になる要素を、結果的に自分たちで増やしてしまっている。消耗すればプレーの精度が落ち、ボールを失う確率はさらに高まってしまう。

ウクライナ戦の日本は、1対2とリードされた70分以降に立て続けに決定機を許している。リアクションの攻防に体力を削り取られていったことを、示唆していたはずだ。

90分でも厳しいのだ。しかも、W杯では3人までしか交代できない。マリ戦やウクライナ戦のように、5人も6人も入れ替えることはできない。
連戦となればさらに疲労は蓄積していく。ポーランドとの第3戦までグループリーグ突破の可能性が残っていても、すでに身体は限界に達している、ということも想定される。

日本代表を率いているのはハリルホジッチ監督だが、日本代表は彼のものではない。日本サッカーのものである。
だとすれば、W杯への見通しがまるで立たない現状を、全員で共有するべきではないか。このまま彼を続投させるなら、せめて技術委員会からもっと意見をしていくべきではないか。

ロシアW杯で惨敗すれば、日本サッカーはさらに深い停滞感へはまり込んでいく。しかしそのとき、ハリルホジッチ監督はもう日本にいない。私たちの手元には、虚しい結果だけが残る──
そんなシナリオが、すでに見えてしまっている気がしてならないのだ。

2018年3月30日 12時54分 戸塚啓コラム
http://news.livedoor.com/article/detail/14507342/