3日放送のTBS系「消えた天才 超一流が勝てなかった人大追跡」(後6時)ではヤクルト時代、
プロ野球史上最高のスライダーを操った伊藤智仁さん(47)=現・富山GRNサンダーバーズ監督=の
「今」を追跡取材した。

 番組には、当時のヤクルト監督・野村克也さん(82)が出演。野村さんは「俺が潰した」と後悔してやまない
伊藤さんと25年ぶりに対面。初めて「申し訳ない」と謝罪した。

 野村さんが「稲尾和久か伊藤智仁。こういうのを天才って言うんだよ。プロ野球史上最高の投手」
と称える伊藤さんは150キロ超のストレートと高速スライダーを武器に1992年、ドラフト1位で
スワローズに入団。当時のドラフトの目玉選手は松井秀喜さん(43)だったが、スカウトが松井1位指名で
意見を固める中、野村さんはスカウトとケンカをしてまで、伊藤さん獲得の意思を通した。

 同年4月20日にプロ初登板初勝利を挙げると、7月までに7勝(2敗)をマークし、防御率は驚異の
0・91。デビューから大車輪の活躍を見せた伊藤さんだったが、投球中、右ヒジの靱帯を損傷し、
野球人生が一変。デビュー2か月半でその輝きを失った。

 理由は異常な投球数。2か月半で全投球数1733球と、明らかな登板過多だった。伊藤さんが靱帯を損傷した
1球を受けた当時の捕手・古田敦也さん(52)は「僕はマウンドに行って、投手コーチを呼んだ。
おかしいと気づいていた。それが最後だった」と話した。

 伊藤さんのケガから25年。「ヒジを壊していなければ、もっと長く活躍できた。俺が潰したんだ」と話した
野村さん。「まだ、ルーキーだったから、信頼されないといけない。実績をつくらなければいけないと必死で降板も
考えられなかった。今から思えば甘かったですね。考えが」と伊藤さんも問題の1球の瞬間を振り返った。

 そして、番組の最後で野村さんはヤクルトの2軍球場のベンチで伊藤さんと対面。1対1で話すのは今回が
初めてという2人。「結果的には(ドラフトで)松井を取らず、伊藤で大正解。日本一にもなれたし、
伊藤様、様だよ」と切り出した野村さん。

 そして、伊藤さんの故障について、「彼がヒジが痛いと言った時に責任は俺かなと思っていた。使い過ぎたかなと。
申し訳ない。それだけは彼に謝りたい。間違いなく、俺以外の監督だったら、(伊藤さんは)記録は残っている。
俺が邪魔したんだ。申し訳ない」と隣に座った伊藤さんに謝罪した。それに対し、伊藤さんは「ケガをしたのは
自分の責任だと思ってますし、そう思って欲しくない。最後まで投げるのが投手の使命だと思ってましたから。
監督、そう思わないで下さい」と、笑顔で話しかけた。

スポーツ報知
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