【訃報】 「ザ・フォーク・クルセダーズ」はしだのりひこさん死去
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2017年12月2日13時39分
「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られる「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった、
はしだのりひこ(本名・端田宣彦)さんが2日未明、死去した。72歳だった。レコード会社関係者が確認した。
はしださんは加藤和彦さん、きたやまおさむさんらのフォーククルセダーズに参加。その後、別グループで「風」「花嫁」などのヒット曲がある。
http://www.asahi.com/sp/articles/ASKD24G9TKD2UTFL001.html 君の微笑みを抱いて汽車に乗れば
涙が溢れてさよならが言えない 若いときに一世風靡して充実した人生だったのかも?
お金には一生困らなかっただろうね 北山修は精神科医として永六輔のラジオに準レギュラーとして出ていたな なんか、晩年は歌えなくなっていたような記憶があるが勘違いかな
伊勢正三もそうだけど声が超絶劣化することがあるんだよな あるいはイップスというようなものか 夜汽車に乗って嫁いでいく花嫁とか、どこからどう見ても昭和。
平成も終わっていくというのに。 いやきっと天国から追い出されて畑のど真ん中に落っこちて帰ってくるよ 友人がずっと「はだしのひとりっこ」て名前だと勘違いしてたなぁ 葉巻咥えって機関銃持ってるジャケットのシングルレコード目の前にあるわ >>24
成田空港でロールスロイスかベントレー乗っているの見たわ
運転席にいたから自分で運転していたんだろうな 超大物ですよね〜
フォークブームを日本に巻き起こした人
合掌。 一時期、関西ローカルのバラエティに主夫としての
体験談とか語って出演してたな。
それももう20年以上前か イムジン河こえて向こうにいっちゃったか。合掌。anyway. 今年4月の「京都フォーク・デイズ・ライブ きたやまおさむと京都フォークの世界」に車椅子で出演してるけど
「今日が最後の歌唱」と自分で言ってた通りになっちゃったな 風はオリコン2位 花嫁はオリコン1位
結構ヒット曲がある わい勤務医、10年以上前に北山修教授の授業を受け、感動した思い出 はしだのゲンに出てくる朝鮮人役のひとに違いねえイソジンがわ >>21
うん、人間死ぬのは一人で消えて行くんだねぇ〜。
後は、風が吹いてるだけだァ〜、寂しい!
でもオレは独りじゃ死なねぇぞ。辻元や枝野を道連れにするぞ。
ヤツら悪性癌だからムリかも まじか?犬HKのフォーク大全集で坂崎とギターひいてたな。 誰かがこの人見て虫みたいだなって言ってるの聞いて当腹立った事ある
冥福を祈る >>56
気持ち悪っ関係ないスレに来ないでくれないか 最近見かけないからおかしいなと思ってた
まだ若いのに…禿をこじらせたのかな… ちょっぴり寂しくて振り返っても
そこにはただ風が吹いているだけ >>53
そういう曲がチャートを占めるって
いまと違ってまともな時代だったんだな なぁお前、天国言うとこはそんなに甘いもんやおまへんのや スレタイがひらがなばかりで、すぎやまこういちが亡くなったのかとオモタ もう12月だけど最後にこの人がきたか……
今年最大クラスの訃報じゃないか? >>55
イムジン河はフォークルじゃなかった?
朝鮮総連が「朝鮮人の神聖な歌だ」と抗議したので歌えなくなったんだよね はしだのりひことシューベルツが思い浮かんだが、一曲も知らなかった >>1
フォークせがむの?
箸じゃ食べられないの? >>68
まだ12月が始まったばかりだぞ
これから最後の追い込みが始まるよ 新グループを結成しては良い曲を創った稀代のヒットメーカー。 藤沢ミエって今どんな感じなんだろうな
見てみたい気がする 最後はポルナレフとじいちゃんと孫しか残らないんだから、別に花京院が死のうが、アブドゥルが死のうが
たいしたことないだろ 主夫やってたって、いま思えばジョンのフォロワーだよな
アハードデイズナイ
アハードデイズナイ
アハードデイズナイ
アハードデイズナイ >>17
ああ、時代背景を良く解ってないのか
夜汽車で嫁ぐってのは、まあ駆け落ちに近いんだよね
だからこれは(主体的な)女の時代を告げる唄、なんだよ 子供ながら花嫁とか凄い好きだったわ
5歳くらいの頃「この人かっこいいよね」て言ったら
親戚のお姉さんに「エエエエエ」て驚かれたわ
後年我ながら目がおかしかったかもと思いました 「花嫁」って一種の革命歌なんだな
BeatlesのShe's Leaving Homeなどと同様に
Impressions - People Get Ready、
Gladys Knight &The Pips - Midnight Train to Georgia etc.
時代だな 桜玉吉のしわせのかたちに出てくるはすらのりひこの元ネタ? >>83
凡児の娘をよろしくの主題歌でしたね
本当に良い曲ですね 【1968年オリコン年間ランキング】
1位 159.6 星影のワルツ 千昌夫
2位 131.2 帰ってきたヨッパライ ザ・フォーク・クルセダーズ
3位 121.6 恋の季節 ピンキーとキラーズ
4位 82.4 小樽のひとよ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ
5位 76.9 恋のしずく 伊東ゆかり
6位 67.6 銀河のロマンス/花の首飾り ザ・タイガース
7位 58.3 サウンド・オブ・サイレンス サイモン&ガーファンクル
8位 52.9 ゆうべの秘密 小川知子
9位 51.7 マサチューセッツ ビージーズ
10位 50.7 シー・シー・シー ザ・タイガース
【1969年オリコン年間ランキング】
1位 109.0 夜明けのスキャット 由紀さおり
2位 102.3 港町ブルース 森進一
3位 100.3 ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ
4位 86.0 恋の季節 ピンキーとキラーズ
5位 82.0 黒ネコのタンゴ 皆川おさむ
6位 78.7 禁じられた恋 森山良子
7位 72.2 池袋の夜 青江三奈
8位 68.6 長崎は今日も雨だった 内山田洋とクールファイブ
9位 62.1 時には母のない子のように カルメン・マキ
10位 58.7 長崎ブルース 青江三奈
11位 58.4 グッド・ナイト・ベイビー キングトーンズ
12位 58.2 風 はしだのりひことシューベルツ
【1971年オリコン年間ランキング】
1位 110.3 わたしの城下町 小柳ルミ子
2位 102.7 知床旅情 加藤登紀子
3位 92.8 また逢う日まで 尾崎紀世彦
4位 77.8 傷だらけの人生 鶴田浩二
5位 66.6 ナオミの夢 ヘドバとダビデ
6位 60.5 よこはま・たそがれ 五木ひろし
7位 60.5 花嫁 はしだのりひことクライマックス
8位 55.4 雨のバラード 湯原昌幸
9位 54.4 望郷 森進一
10位 52.8 さらば恋人 堺正章 京都府立医大を卒業して
精神科医として普通に活躍してる
北山修だけなんか圧倒的に幸せそう >>80
大瀧氏は12月30日だったからね
愕然としたよ 72歳 早いなあ
フォークルは北山修だけになっちまった
いわゆる、フォーク、ニューミュージック、シンガーソングライターといった
最初の流れの人たちだからなあ 寂しいね
合掌 >>1
http://www.sankei.com/west/news/171202/wst1712020037-n1.html
【訃報】
はしだのりひこさん死去 フォーク歌手、72歳 「悲しくてやりきれない」「花嫁」などヒット
「悲しくてやりきれない」などの曲が大ヒットした
フォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった
フォークシンガー、はしだのりひこさんが2日、死去した。72歳だった。
10年ほど前から体調を崩し、表だった音楽活動などは行っていなかったが、
親族の話によると、2日未明に病院で亡くなった。
レコード会社のホームページなどによると、クルセダーズは、
京都の大学に通っていた加藤和彦さんやきたやまおさむさんらが結成し、
はしださんは昭和42年に参加。同年のプロデビュー曲「帰って来たヨッパライ」が大ヒットし、
オリコンで史上初のミリオンヒットを記録し、「京都フォーク」としてブームとなった。
クルセダーズは翌年に解散したが、その後に結成した別のグループ、
クライマックスで出した「花嫁」なども大ヒット。46年のNHK紅白歌合戦にも出場した。
10年ほど前から闘病生活を送っていたが、
今年4月に京都で開かれた音楽イベントには車いすで姿を見せていた。 >>9
両脇が180cmオーバーで、はしださんだけが165cmないくらいだから余計に小さく見える シューベルツの風は名曲
越智さんと杉田さんは健在かな。 >>1
「おらは死んじまっただ」「天国良いとこ、一度はおいで、酒は旨いし、ねーちゃんは綺麗だ」
実感しているんだろうな。合掌。 >>100
タイガースのピーとかも 堅気に戻って
中国文学の博士だし おっさん、おばさんホイホイ 俺もほとんど書き込まれた歌詞を唄えるけどw
合掌 >>95
そういや男の唄でmidnightって付くと、逃亡(夜逃げ、脱獄)とか暗いなw はしだのりひ、ことクライマックスさんが…(´;ω;`) 時代を築いたミュージシャン、イマドキの軽薄な連中は見習って欲しい
合掌 花嫁の女性ボーカル凄い良かった。もっと活躍してほしかった。 >>1
>>107
朝日だから誤報に決まってる
と思ったら産経でも出ちまったか… >>123
でもなんか夜には帰ってきそうで、やだなw ちょうどいい歳だな。よぼよぼで家族や世間に迷惑かけながら90まで生きるより100倍まし。 北山修「なぁおまえ、天国ちゅうとこはそんな甘いもんやおまへんのや」 >〜あの人の写真を胸に海辺のまちへ
相手は漁師かな >>129
このままでは小室等しか残らない悪寒www 昔新幹線の京都駅のホームで見かけたことある キオスクでなんか買っておられた 南無 >>133
歌は世につれ 世は歌につれ みたいなw 闘病中なのも知らんかったわ
合掌
いい歌をたくさんありがとう 紀元貮阡年ラストの 何のために が辛気臭くていやだった 朝日ソースじや捏造だろ
朝日なんかソースにするなよ
汚らわしい 10年くらい前に何かのバラエティに夫婦で出てて嫁のために花嫁を歌ってたな
そのころ既におじいちゃんみたいな感じだった
あの恰幅のいい嫁も8年前に亡くなったらしい 良い曲もあったけど、微妙なのもあったね
まあでもお悔やみ申し上げます >>111
杉田さんいっとき演歌にシフトしてたけど今はどうなんだか。後追いだがこの辺の時系列だと自分はトワ・エ・モワが好き ほんとに死んだのか… 借金取りから逃げる為の捏造じゃねーのか
大震災で昔からある手口。 当時の男の人にしては舌足らずの可愛い歌い方だったよね
初期のエンケンやあがた森魚に繋がるような イムジン河って朝鮮人か
フォークとかイルカも半島系か そこには只風が吹いているだけ〜♪
ご冥福をお祈りします >>32
40過ぎで免許を取ってから、ベントレーとフェラーリも何台も所有
亡妻の安井かずみの印税も入るのに病的な浪費癖で晩年は困窮 >>148
シンプルでねぇ
で、関係ないけど“若者たち”“空に星があるように”同様、なんかこう寂しげなんだよな…
熱を解放した後、みたいなね 人が歌ってる最中に後ろで2人で雑談してる五木ひろし(白いスーツ着てる)と三宅裕司
https://youtu.be/m_CFnreaOes 加藤和彦が亡くなったときも、体調がすぐれないということでマスコミの前に姿を見せなかったもんな。
一人また一人と知っている人が逝ってしまうのは寂しいなあ。 >>5
くものかいだんをー×二おらはのぼっただぶらぶらーと
この曲をBGMにして二秒に一回雷落ちてる中ドライブした親父は酷いと思う
おかげで帰ってきたよっぱらいどころかフォーククルセイダーズまで怒った母親に禁止された イムジン河・・・・
著作権がどーのこーの、朝鮮総連がイチャモン付けてポシャった歌だな >>32
加藤和彦、若い頃にもロンドンで中古のロールスロイスを買って(その時に運転手役で付き添ったのが景山民夫)、
日本に持ち帰り、当時の妻の加藤ミカが乗り回してしたそうだ。
フォークルの印税で買ったようだが、購入費より運搬費が高かったとか。 めちゃいい曲。合掌。
京都に住んでたらしいけど全然表に出てこなかったな。
https://youtu.be/m_CFnreaOes
『花嫁』 はしだのりひことクライマックス (昭和46年) >>161
そういや“あの”パンタもベントレーだったな
…なんなんだろあのひとたちw >>164
今もだけど、フォークやロックは紅白にはアウェイ
だから出ない人が多いのかも フォークルの再結成には呼ばれなかったね
加藤和彦は、「はしだはもともとオリジナルメンバーじゃないし」と冷たく説明していたが
はしだの体調なんかもあったんかね? >>170
フォークルの人たちとも杉田二郎とも喧嘩別れしたからじゃないかな
いろいろあったからね >>1
オッサンしかいない5ちゃんでも誰も知らんだろw 村上春樹原作の映画「風の歌を聴け」で、主人公の小林薫が目をつけた女の子のバイト先のレコード屋に行き何枚か適当にレコードを買うシーンがあり、
その中の一枚にはしだのりひことシューベルツがあったわ
ちなみに原作にははしだのレコードは出てこない >>170
嫁いで行くの〜
あたりで何故速くなってんのだろ? >>185
>>107だそうです
詳報は後日出るかと >>80
◯津さんは大丈夫だろうか?
あの人もかなりヤバイから かまやつ、加川、ケメ、エンケン、はしだ
今年はフォーク界隈死にまくりだな きたやま・加藤と疎遠だった。あとこの人いくつグループ作って壊したんだ? >>194
かまやつをフォークにするとは
只者でないな フォークルは3名とも素晴らしいミュージシャンだけど、
作詞家としての北山修は特に偉大だった。 酒はうまいし
ねーちゃんはきれいだー
わっ♪ わっ♪ わっ♪ 加藤和彦が安井かずみと二人で、六本木のスタジオ付きの家やハワイの別荘などでゴージャスにおしゃれに暮している頃、
フォーカスだかにはしだのりひこの自宅紹介記事が載った。
見開きの白黒写真で、雑然と散らかった六畳くらいの台所で、
妻と三、四人の子供とあぐらをかいて御膳を囲んでいた。
加藤夫妻とあまりに対照的な生活。 https://www.youtube.com/watch?v=FeQXRWSRIVU
花嫁のカバーだが、この人の歌声が何気に好きなんだよね
今月23日にライブがあるみたいだが、宮崎って、、無理だ あれだけヒット飛ばした人なのにフォーククルセイダーズのメンバーでした
他でもちょろっとヒットあるよ扱いのこの記事おかしくね? >>205
長期旅行をしていたときに、その歌をよく頭のなかで歌ってたよ
ひとり旅だったけど 北山修って凄いな
作詞の印税もあるし
子供も医者か フォーククルセダーズのプロデビューに当たっては、平沼らに代わってはしだのりひこが参加する
北山は声が良くスター性のある杉田二郎を3人目に推薦したが、加藤がプロ活動の条件にはしだの加入を主張した。 交通事故死した父親の葬儀で「おらは死んじまっただ」と口遊み、
祖父に激しく殴打されたのは良くない思い出w
まー確かに酔っ払い運転じゃなかったんだがw >>218
花嫁を乗せた蒸気機関車が動き出す雰囲気を表現 >>209
30代の人間が記事書いたらこんな感じだろ。
そもそも曲を聴いたことないだろうから。 はしだのりひことシューベルツ 風、さすらい人の子守唄
はしだのりひことクライマックス 花嫁、ふたりだけの旅
はしだのりひことエンドレス 嫁ぐ日 昔は頭の良い人が曲作って頭の良い人が聞いたが、今はバカが曲作ってバカが聞く。 >>92
さすらい人の子守唄も駆け落ちの歌だとか言ってたな。 「風」「花嫁」の歌を見出しトップに持ってくるべきだね。
ほとんどの人は知ってる。 >>167
イチャモンも何も著作権侵害は事実だから。
フォークルはイムジン河を朝鮮学校で聞いて
それに日本語歌詞を付けたわけだけど、
フォークルはイムジン河を朝鮮民謡だと思い込んでて
著作権は既に切れてると思って無断でレコードにした。
ところがイムジン河は1957年に発表された
フォークルのイムジン河が発売された1968年から
11年前の新しい曲だった。
フォークルは他人の曲をパクって自分の曲としてレコードにしたわけです。
北朝鮮は万国著作権条約に加盟してないので、
北朝鮮の曲をパクっても違法にはならないが、
道義的には問題ある。レコードには作曲者のクレジットすらなかったし。 >>161
加藤和彦が、ギターライフでよしだたくろうと対談した際に乗ってきたってことは40歳前のはず。 はしだのりひことつボイノリオがごっちゃになってた中学生時代 >>33
フォークブームの元祖は岡林信康じゃないのか?
はしだも岡林も同志社の神学部OBだが >>216
あんまり似てない上に苦い思い出はあるな
親戚の葬儀で似たような揉め事切欠に喪主の子供が脱走した上に毒性の高い某球根かじったから救急車呼ぶ騒ぎになった >>230
北朝鮮のテレビ放送を勝手に流してる日本のテレビ局も問題あるよな ググってみたら
「バラが咲いた」のほうが一年以上前のヒットだったんだな
マイク真木はピンピンしてる 「はしだのりひこ」といえば「ついでにとんちんかん」で抜作先生がネタにしてた 「風」
作詞:北山修
作曲:端田宣彦
「花嫁 」
作詞: 北山修
作曲: 端田宣彦・坂庭省悟 >>193
電話してチョーーーーーーーーダイ!!! フォーク・クルセダーズは日本で最初の本格的なロックバンドなんだよね。
スパイダースやタイガースとかのグループ・サウンズのがフォーク・クルより前だが、
GSは本格的なロックバンドとよべるものでななかった。
GSは作曲家の曲を演奏したアイドルバンドであって歌謡曲臭さがあった。 ラルクhydeの親は駆け落ちして和歌山へ
ちょうどhydeの親くらいの世代だな この人は日本の音楽史においても、かなりの大物だろう
小さいけどな 小学生の頃よく聞いたな2歳とは若すぎます。
ご冥福をお祈りします。 >>169
そうなんだ。高橋幸宏だと思ってた。あのエッセイのオチがとても面白かった。 >>238
辛気臭い歌を歌うはしりみたいなもんでも元祖ではないな ボーカルの姉ちゃんスカート短すぎw
スマホで簡単に盗撮される
https://youtu.be/m_CFnreaOes
『花嫁』 はしだのりひことクライマックス (昭和46年) 府立医大と同志社コンビのヒット曲なんて
今は生まれなそう
握手券つけないと フォークルは最後にちょっと加入しただけだから
主な功績は花嫁とかのシューベルツ以降だろうね >>250
ほほう
なるほどね
「そこにはただ風がふいているだけ」ここ好きだあ 女性ボーカルは紅白では赤組になるのが普通だが
クライマックスは白組であった >>235
今40代の自分が見て物凄いギャグにしか見えない
話題上高齢者専用スレなのは解ってるがかなり凄まじいな >>255
幸宏も加藤と景山と一緒にロンドンにいたけど、その日は体調が悪くてパスだったかな?
ロールスロイスは自分でなく運転手が運転するものだし、若い日本人ではディーラーになめられそうなので、
シェーファーというか執事みたいな役を景山が演じたとか >>92
あれは駆け落ちというか、親に反対された結婚だよね まさに70年代 白いウッドベースのイケメンが亡くなった時はネエーちゃん達は泣いた >>259
の動画見たけど
はしだのりひこってhydeより小ちゃく見えるけど
身長何cmぐらいだったのだろうか? >>92
見合い結婚が当たり前で、結婚前のセックスを婚前交渉とか言って眉をひそめられた時代 >>235
トランシーバーで歌って
ピエロの面つけたDJブースの
グループも後年の世代には
そう映るんじゃないかな。
知らんけど。 >>107
今や記者も全然知らないんだな
クルセダーズって略すヤツいないわ 「風」がヒットしたシューベルツのメンバーに若くして亡くなった人が居て、
それが原因で解散したみたいだね
俺の生まれる前だから後年聞いた話なんだけど
その人と天国で再会できたんだろうか?
合掌 かなーしくてーかなしくて
とてーもやりきれーない
の、曲の人かな? >>283
クルセイダーズというアメリカのクロスオーバーの有名バンドの存在も知らないのだろう
クロスオーバーというジャンルもわからんだろう >>70
と言うより、著作権侵害に当たったと思う。
作曲したのが朝鮮人(故人)だったから。 >>278
ラルクhyde 161or156cm < はしだのりひこ 163cm >>203
江藤潤主演の「風のアルペジオ」って映画があって、
はしだのりひこさんが病気の妻を介護しながらの主夫生活をもとにした
「お父さん、ご飯まだー」って本が原案になってるみたいで、いろいろあったのかも? >>290
原曲の作詞者は北朝鮮の国歌も作詞している
ちなみに国歌には金一族や政治関係の文言が一切入っていないためか
公で歌われる機会はあまりないらしい >>277
え?笑う?w
いやまじで、九州の島から駆け落ちらしい >>297
>>188のサムネで帽子をかぶっている人ですね >>283
土曜日で50代の音楽記者休みだったんじゃねーか?ってくらい
知らん世代に記事書かせるなよって思うよな。
Mr.Childrenをチルドレンと言うようなもんだ。 >>68
ちょっと前までこうだった・・・
本命、○央
対抗、歌
穴 ざこ iTunesで「花嫁」聞いてみたら、頭が抜けてた。音源残ってないのか? >>284
坂庭省吾さんですね。彼の弟さんと小学校同じクラスで
家も近かって坂庭さんとは兄弟共々よく遊んでました。 >>5
生き返らず成仏してください (´・ω・`) 年末の訃報、おひとり目は
はしだのりひこでしたか
そうとう前からいろいろと危ない感じでしたが
生きてはいらっしゃったのに、とうとうですね。合掌 >>305
TSUTAYAのフオーク大全集系の何枚か組には良く収録されてる。 帰ってきたヨッパライはジャンルではサイケじゃまいか? はしだのりひこ
イルカ
子供の頃ごっちゃになってた >>117
おっさん、おばはんやないで。65以上の老人ホイホイやで・・・ >>250
日本における本格的なロックバンドの始祖はジャックスだから >>315
逆だ
今年の我が家は喪中ハガキ来ない
団塊の両親がいて初めてかも 花嫁は、どの街からどの街へ
何線に乗って行ったのですか? 「天国良いとこ一度はおいで 酒は旨いし ねーちゃんは綺麗だ」って歌ってるんだから、良いところに行けて良かったんじゃないか コンサートでの帰ってきたヨッパライは地声で歌ってたよ 一度は、、って、一度行ったら帰れないやん?
しかもおいでって
と、昔思ったものだ >>317
ピーコック・リボルーションとかモッズとか通じそう >>284
坂庭省吾さんは勘違いでした。井上博さんでしたね。 >>73
>政治的配慮」から発売中止
当の朝鮮総連がクレームつけてきたからしゃーないわな >>327
誰が祖国をふたつに分けてしまったの
だからねえ >>174
伏見稲荷そばの荒物屋の息子だったような?
お稲荷さん行った時に見かけたことある。 >>295
「風のあるぺじお」で、本の題名は「おとうさんゴハンまーだ」でした。 こうやって聴いてみると「風」と「花嫁」は名曲中の名曲だな 関連でググると楽しい
経歴では谷村新司のほうが古かったり モッズはジャムで知ってる若い子も多いだろうw
ピーコックうんちゃらは流石に知らないだろうがw ウィキ見たら45年1月生まれなのね
団塊かと思っていたら戦中生まれでした
久米宏やタモリと同じ年の生まれか ちなみに自分は1970年生まれ
ここにカキコしている人の中では青二才の部類ですね
フォークルやシューベルツの頃はまだ生まれてないし、クライマックスの頃も赤ん坊だったので記憶にありません
ただ「イムジン河」や「風」や「花嫁」は世代を超えた名曲だと思っています >>330
病気を苦にした自殺とかもあるんやで
あまりにも痛い苦しいとかな・・・ 何故かCDもってる、花嫁でコーラスなのにやたら目立ってた人の印象 >>343
ピーコック革命とか同時代の人も知らなかった方が多い気がする >>345
石切神社の沿道で久しぶりに現役の
荒物屋を見かけたわ。 クルセイダーズってアメリカジャズフュージョンだよね 80年代に、大橋巨泉が景山民夫やたけしに当時流行遅れだった幅広の派手なネクタイをからかわれて、
「馬鹿野郎!これはピーコック革命だぜ!」とか時代がかった言い訳をしてさらに失笑を買っていたわ。 ここまで「不思議犬トントン」無し。
坂上忍も嘆くわ。合掌・・・ 坂崎のはしだカバーもいいよね。
うまいし声も似せてさすが。 フォークルの 戦争は知らない が好き
作詞北山修かと思ったら寺山修司だった 林竹ようこの旦那は、お笑いマンガ道場の司会者
柏村武昭なww > 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られる
同世代に人には本当に悲しくてやりきれない >>351
物心ついた頃に「花嫁」とか
小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が流れてたから
お嫁さんのイメージが植え付けられた感があります。 イルカとそっくりだったよな
主部のハシリ
ご冥福をお祈りします >>99
印象的な曲ばっかりだなあ
今は似たような曲が多くてつまらない >>370
カラオケで歌われたりCDが売れないと印税入らないからね 人は誰もただ一人旅に〜出て〜♪
人は誰も故郷を振り返〜る〜♪ 村八分の浅田哲とやってたバンドではどんな音出してたのかな 10年前から闘病らしいが死因は何なんだろうか?気になるいな、
死因を発表する事に問題がる様なしいではないだろうに。
風は好きな曲、今聞いてもジンとくる、ご冥福をお祈りしま。 >>115
ピーは博士なのか
慶応で先生やってるとこまでしか知らなかった 花嫁って、共作扱いだけどほんとは作曲したのは坂庭省悟
それを、はしだは勝手に自分作曲名義でリリース
そんな、はしだの人間性にキレて坂庭は死ぬまではしだとは犬猿状態だったらしいな 帰って来たヨッパライはANN独占ヘビロテで火がついたんだよな >>365
パブリカにギター積み込んで週末に夜中のドライブした人かな? フォークルが再結成してた時に
懐かしの人は今みたいな番組でこの人が出てきて
またやりたいですねみたいなこと喋ってて
凄い闇を感じた たかしまあきひこも
鬼籍入りして、もう1年たつ
あとは
はいだしょうこ
と
おのののか
だな >>385
(´;ω;`) 酒は美味いしねーちゃんは綺麗だ
ワー ワー♪ワンワー 最後にテレビで見た時もえらく老けてて
大丈夫かなと思った記憶があるな >>398
つのだひろとよしだたくろうが未だ残ってるだろう?w 飛び石連休とかいうちっこい芸人がはしだにそっくりだった 凄く
不思議なんだけど
英米がサイケデリックロックやブルースロックで
まさにロックが爆発していたのに
なぜか日本ではフォークブームだったんだよな。
不思議だよね。
その中心だったフォーク・クルセイダーズの加藤和彦が
まっさきに、日本語ロックとして完成度の高い
サディスティック・ミカバンドで英国で成功した。
はしだのりひこって晩年、どうやって生計たてていたんだろう?
加藤和彦は奥さんの遺産もあったし
無駄遣いしなければ十分一生普通以上の生活できたのに
自分で自分の首をしめる浪費生活で自殺したんだよね。
うつ病というけど原因は金銭問題だと思う。
はしだのりひこは病死なんだろうか? パッチギ見て中学生なのにフォークルのアルバム買っちまったな
親父から渋いなぁと言われた思い出 中学の組合活動ばかりやってた国語の教師が「風」が大好きで教室で口ずさんでたわ w はしだのりひこ
白木みのる
山田隆雄
とか小さい人は子どもに強いインパクトを与えるよね。 ちょっぴり寂しくて、振り返っても〜
そこには田中星児がついてくるだけ〜♪ フォーク・クルセイダーズの
北山修は
京都府立医大から
九州大学医学部教授まで上り詰めたんだから
成功者に間違いない。
でもフォークルの北山修という立ち位置が
学会や大学でも大きかったと思う。
精神科医師というフィールドがそのまま
フォークソングや作詞とリンクしていたことも
大きかったと思う。
北山修のファンは学会や大学にも多くいたろうし。 平成生まれだけど「風」「花嫁」は大好きだ
昔の曲ってどの歌手も普通に歌がうまい
今はアイドルがいっぱいいるけど、歌のうまい人があんまりいないから聴く気になれない 風も花嫁も最高の曲だったな
ちんちくりんでダサいおっさんだったけど才能は加藤和彦にも負けてなかった >>410
精神科の医師というのはほとんど患者と区別がつかないくらいヘンは人が多いけど
北山はどうだったんだろうかな >>404
アメリカの真似で学生運動=フォークだったからね
ブルースロックは流行ってたよ
シュガーベイブが帰れコールされるくらい 70過ぎか。ずいぶんやつれてるな。闘病の末亡くなった可能性が強い あらー。最近見ないなと思っていたら。
ご冥福をお祈りいたします。 >>423
きたやまおさむがバリバリのギンギンの左翼だが、はしださんもそうなのか
まあ京都だから仕方ないか 今から考えてみると
フォーク・クルセイダーズは突出した存在だったと思う。
100万枚を売った「おらは死んじまっただ」もあるけど
とにかく珠玉の名曲が多い。
はしだのシューベルツは正統派のフォークロックの名曲をつくりだしたし
北山修も歴史に残る名曲の作詞で名前を残した。
加藤和彦はその後、ロックの大立者になっていった。
加藤の自殺の影響は凄く大きかったと思う。
中村とうようの自殺 今野雄二の自殺も
引き金は、加藤の自殺だったろう。
理由はおめおめと老醜をさらさないということに
尽きたと思う。 これ最後に坂崎幸之助が残って第三期WANDSみたいになるんじゃないの 取り敢えずギターさえ買えればフォークは何とかなるw
なもんで貧乏な東洋のお猿さん達は
好むと好まざるとに係わらずフォークに走らざるを得なかったw
まーベトナム反戦運動での米フォーク隆盛の影響もあるがw 天国一度はおいで酒は飲めるしねぇ〜ちゃんは綺麗だ
わぁーわぁーわぁ ついに本当に
『オラは死んじまっただ』になりましたね
天国で綺麗なねーちゃんと宜しくやって下さい >>415
藤沢ミエさん、クライマックス解散後は京都のクラブで結構長い間歌っていました。
現在は普通の主婦。 イムジン河は歌えなくなっても問題ない
日本で誰が祖国を分けたの言われても関係ないしな >>418
日本語のロックは長い間成功しなかった。
はっぴいえんどですら、歌詞はともかく
曲にうまくのっていたと思えない。
純粋にコマーシャルベースで日本語のロックが成功したのは
レベッカ以降だと思う。
それでも、結局歌謡曲化して、ジュディマリやプリプリになってしまった。
洋楽のロックはむしろ山下達朗のようなポップソングして継承されたと思う。 >>404
アメリカでフォークブームの頃に日本でもフォークブームはあったが、
慶応とか青学とかの東京のお坊ちゃん大学生や左翼運動を真面目にやってる人とか、
ごく一部のコアなファンだけの小さいブームだった。
マイク真木とか大学生のフォークコンサートに高校生の細野晴臣が参加して驚かれたとかなんとか。
ごく一部の先端的な若者の趣味だったのね。
70年代になるとフォークも地方の中高生も聞くようになり、歌謡曲化や四畳半フォークなど和風化も進んで大衆化。 再結成してデビューする時、平沼さんが外れてはしだになったのは何故だったんだろう。
当初から1年の予定だったらしいから平沼さんが家業を継ぐため辞退というのはおかしいと
当時から思ってた。まぁスター性ということでははしだで正解なんだろうけど。 デブではあったが決して美人ではなかった藤沢ミエさん >>404
ロックは
金や練習スペースとかかかるからな はっぴいえんどがどうたらこうたら
GSは明らかに日本語ロックの成功例やろが 才能がいまいち正当に評価されない
人だったと思う。
寂しいな…。 今野雄二は大好きなブライアンフェリーの来日中に自殺したんだよね
ロキシーのことを必死に日本で紹介して、来日するたびにフェリーを追っかけて、男グルーピーとかいわれていたが フォーククルセダーズはザが付くのか。
ザが付くやつと付かない奴がいて、めんどくさいな。 >>443
昔の日本でエレキやバンドやったのは成毛滋とか加山雄三とか金持ちのボンボンだね 他の二人が180ぐらいあってすごいちっちゃく見えるなこの人 >>445
日本の歌謡曲に初めてリズムを持ち込んだ意義は大きいけど
ほとんど
業界の先生が書いた歌詞と曲だったからな >>8
彼が参加する前の曲なのでレコード収録には参加してなかったんじゃね
フォークル後のグループでヒットした風や花嫁のほうが彼らしい曲 GSブーム、ミカバンド、原田真二が日本語ロックの系譜w
※個人の感想ですw >>445
GSは演奏歌い方含め
どう考えても歌謡曲をバンドでやっただけとしか思えない。
といってもスパイダースはちょっとモンキーズに近いサウンド。
GSは事務所が歌謡曲をやらせたんだし、本人達は腐っていたらしいけど。 >>451
ほとんどのGSのレコードが、成毛滋や江藤勲とか数名のセッションマンが代演だしね。 フォークルも北山修だけになってしまったか
加藤和彦の死も返す返す惜しいことだ オリメンじゃなかったからな
最近も坂崎が公認だったし
この人の声が好きだった
バンド変えるたびにヒット曲出したのも才能だわ
合掌 >>16
伊勢正三、最近少しだけ声が戻ってきた。
若い頃と比べたらダメだけど。 花嫁は夜汽車に乗って嫁いでいくの
命かけて結ばれた
帰れない何があっても
駆け落ちの歌だと思っていた >>446
イムジン河とかだから左翼イメージが付いたかな? フォーククルセイダーズと言えばイムジン川とかいう北朝鮮のプロパガンダソングが有名だよね
朝鮮語でも歌ってた >>440
その後集まる時は、なぜか
はしだだけ仲間外れにされてた印象ある
宗教絡みなのか
よくわからない >>449
寺尾聡も
金持ちの道楽? アマチュアはそうでもない
クラスに一つはエレキバンドがあった時代ですし
当時、金持ちの道楽はカーレース はしださんに左翼のイメージはないな
北山修はA6の仲間だから確実だがw 大阪万博の時に来日したメリーホプキンとテレビで共演してたな
はしだが風を弾き語りする横でメリーが軽くハミングしてた 左翼だの思想というより、軽く考えてただけだったんだと思うよ
他国の出来事を知ったかぶって歌えば誰だって良い顔しない >>447
今野雄二も結局、金銭問題で自殺だと思う。
先細りしていく仕事と資産で
加藤も今野も中村とうようも自殺した。
以前の日本のような景気のままなら全員生きていたろう。
派遣社員が自殺するのと同時並行で経済的不安感を
抱えたこういう不安定な音楽業界の人は
自殺していったんだろう。
そりゃ北山修は死なないよね。
国立大学の退職金と共済組合の年金がたんまりあるし
悠々自適でしょ。
国民年金しかなく、資産のたくわえもなけりゃ
加藤・今野・中村とうようが
将来に絶望感しかなかったのは
当然だろう。 時は魔法使い
って曲が、NHK銀河テレビ小説の主題歌になってた気がする 井上大輔の自殺は金銭問題とちゃう
妻の介護疲れと自身の目の病気 エレキの神様寺内タケシは土浦の土建屋の御曹司
土浦三高ができたのは寺内のために親父さんが県に頼んだからという説があるほどの家
寺内が東京の大学に進学するときは一軒家をばあやさん付きで用意してやった
親父さんは寺内に家業をついで欲しかったが寺内がエレキにのめりこんでばかりいるのでぶち切れて
ある日寺内の不在中に家を取り壊してしまった
「帰って来たら家がなくなっていてそりびっくりしたよ」 >>423
クルセダースってキリスト教の「十字軍」の意味なんだけどな つまりキリスト教徒の最右翼w ホークルの再結成に参加しなかったのはなぜ?
知ってる人おせえて 帰ってきたヨッパライは初めて買ったレコードだったな… >>476
あれも
結局金銭問題だと思うよ。
奥さんが目が見えなくて
自分も目が見えなくなったら
将来設計なんかできっこない。
奥さんも結局後追い自殺した。
夫婦2人とも盲目では行き場なくなった。
有名人で成功者だったから
先細りで貧困に落ちていくことに耐えられなかったんだろう。
加藤和彦も同じだろう。
まさか先々生活保護とかありえない選択だったろうし。 命懸けて燃えた 恋が結ばれる
ウチラ夫婦も、この歌の通りだったから
このフレーズ聴く度に涙ぐんでどうしようもなくなる。
合掌 なぜかわからんが
オール阪神さんとイメージがかぶる人だった。 >>464
散々出てるけど、イムジン河は元々北の歌だから
日本語詞をつけて歌ったのがフォークル 結局
国立大学教授の精神科医の
公務員の北山修だけが
生き残った
というのが
今の日本を象徴してるね。 >>477
ジョージ川口、寺内タケシ、村上ポンタは戦後楽隊屋ホラ吹き列伝のスリートップ
でも話半分、いやそれ以下としても寺内タケシは裕福な育ちだと思うよ >>496
本人が忘れているフレーズまで完コピしてくれるから重宝じゃん イムジン オール ザ ピーポー ♪
by ジョンレノン そこにはただ風が吹いているだけ〜♪
名曲だったな(´・ω・`) GSが落ち目になってフォークルが登場した印象があったけど、フォークルが
活動してたのはまさにGSブーム真っ最中だったんだな。 同じ頃に中山千夏のヒット曲あなたのこころにを思い出した きいた話だと
大体昔
音楽やっていた人はある程度裕福だったときいたな。
楽器を買う金自体必要だったから。
ビートルズもリンゴ以外は
中流層だといわれてる。
リンゴは実際最下層出身。
ストーンズのミックはもちろん上流層出身だし
英国最高峰のロンドン大学の経済学部卒だ。
日本でいうなら慶應経済卒みたいなもの。 おかっぱ頭で女物の下着付けてるって噂だったけど真相は知らない
風とか流行歌として知ってたのに高校の音楽に載ってた
いろいろグループ作ってられたけど花嫁とかは結婚式とかでずっと歌われてた
近年はTV見ないこともあって晩年を知らない テレビ側の利権と離れて、
ラジオで宣伝して、レコードを売るビジネススタイルの最初の成功例かな >>464
当時は韓国も朴の独裁で、後に亡命中の金大中を日本から拉致して殺そうとしたほどのヤバい政権だったことくらい知っておけ。 中村とうようは就活で膨大なレコードや楽器とかのコレクションを、教師をしていた音大だか美大だかに寄付したが、
大学がそれをぞんざいに扱ってきちんと整理や展示をしなくてな
それへの怒りと絶望もあったかと思う 「花嫁」は、
なんとなくウエディングドレス着て夜汽車に乗ってるイメージだが、
よく考えるとそんなわけはないな。
ジーパンかなんかだろう。
でも、ウエディングドレスで夜汽車に乗るイメージが、
あの歌のヒットの要因でもあると思う。 チャーだって医者の息子だし、
高中もおそらくボンボン >>505
ミックの親は体育の先生で中流
下層出身のバンドマンもあるけど、そういうのは中卒でバンドの使い走りのボーヤになってかな
落語や相撲の弟子入りみたく >>494
イムジン河は作詞者(正確には翻訳者)が「偶然」出会った朝鮮学校の在日に教わった曲。
この曲は韓国の圧力によって放送禁止となった。
その後、中断していた北朝鮮への帰還事業が再開された。
北朝鮮の工作かどうか定かではない。 結局この人らは在日なの?
加藤和彦とかモロそっちの顔してるけど >>379
由紀さおりがピンクマルティーニと1969ってアルバム出したでしょ。
ピンクマルティーニのトーマス・ローダーデールは1970年生まれなんだそうだが、
自身が生まれる前年の曲でアルバム作ったわけだ。
シンプルでありながらメロディアスで余韻が残る曲が多いよね。 シューベルツのメンバー井上博が若くして亡くなったとき、絶望してもう音楽やる気も
無くなったといって業界から消えて入ったんだよな。
その後どうしたのか誰も気に留めなくなった。 不細工はつらい エレキバンドブームの頃はだいたいひと夏バイトすれば
おもちゃに毛の生えたような安物エレキが買えた
フォークギターのほうが高かった
わいが買ったヤマハ製は当時でも24000円 もち月賦 >>508
金大中は北の工作員だよ。今の文も多分… は〜な〜よめは〜
よぎしゃ〜にのって〜
昔の曲は歌詞の語尾を伸ばすのが多い >>505
ビルワイマンはおっさんだし華はないし下手だけど、オーデイションに自前のベースアンプを持ってきたから採用
当時のロンドンのクラブはアンプは持ち込みだったからアンプ持ちは重宝
ビルワイマンは貧乏育ちだが働いてアンプを買ったのね >>528
ビル・ワイマンが抜けた「ブードゥーラウンジ」は、
ベースの音が締まっていいアルバムになった。
と、ストーンズのスレで言ったら叩かれるかと思ったけど、
別に反対意見のレスもなかった。 >>515
高中は大井町で雀荘やってた中国人の息子だよ >>522
昔の日本のエレキは家具屋のグヤトーンとか、下手したら下駄屋さんも作っていたとか
楽器でなく、とにかく木工ができてギターの形をしていればいいということかな?
鉄板エレキなんてのもあったそうだし
アメリカのフェンダーもラジオ屋でレアフェンダーもギター弾けない人だけど >>531
ああそうか、家具屋だからグヤか、勉強になった。 >>512
成毛滋のうちは門から玄関まで車で行くって言ってたな スタートミーアップの締まりのないベースが好きだけど、あれもビルワイマンが弾いている保証もないしなぁ
ライブでは弾いているが >>515
高中はお父さんが中国人
蒲田の雀荘で育った
貧乏ではないけど庶民だとおもう >>440
BSで後に北山さんやらの番組インタビュー聞いたら
それが正解だと思う
ハナからプロになりたいと全員思わなかったらしいし
レコード会社に強引にやらせられたみたいなことも言ってたよ >>533
道具屋かな?とにかく楽器職人でなく木工職人 林竹洋子は柏村武昭とのコンビでラジオでかつやくしてたけど結婚してたんだな 知らんかった 代表曲
花嫁は死んじまっただ
後には風がふいているだけ 赤松愛 結構大きな鉄工所の息子 本人は後継いで大きな家に住んでます
キーボードは金持ちの息子しか出来んわ フォークルと山下達郎は卒業記念の解散自主制作盤からプロデビューだね >>528
ビートルズの初期のドラマーだったトミー・ムーアは付き合ってた女に
「あんな不良バンドは辞めろ。」と言われて脱退したが、最後にビートルズに
貸したドラムセットは行方不明になり踏んだり蹴ったり。 >>16
はしだは超絶劣化していたよ
何か蚊のなくような声でしか歌えなくなっていた 紅白で追加するには、不謹慎と言われるタイミングかな。 >>543
でも指が何本か無くなってるらしいね、旋盤関係だと思うけど 「風」はボブディランからちょっといただいた感じかな。
パクリまではいかないけど。 和田アキ子は大阪のジャズ喫茶で歌っている頃にGSの彼氏ができて、プロになる前に彼氏のためにキーボードを買ってあげたらしい 「風」は本当に大好きで名曲だと思う
小学校高学年くらいまで、シューベルトの曲に日本語で歌詞を乗っけた歌だと思い込んでた >>516
なんだ
ミックって全く普通の一般家庭だったんだな。
教育熱心でロンドン大学卒業したんだ。
中退しなかったのはエライな。 【衝撃】坂口憲二、芸能界復帰はもう無理だった
https://goo.gl/UtJ648 >>537
第2次フォークルの結成は、北山さんの大学が1年休学になったからその間だけって条件でやったんだよね
それが終わったら大学に戻って、それぞれの道に進むと決めていた
実際に進路通りに進んだのは北山さんだけだったけど >>541
はしだのりひこの代役が坂崎だからw
本人が居れば代役は必要とされないw
逆もまた真なりで、
代役が居れば本人が必要とされないw >>543
大村憲司も工場の鉄工所の息子
高校時代に本物のモズライト、大学でギブソンのフルアコ二、三本買ってもらい、アメリカ留学もさせてもらったボンボン
中学高校もボンボンの桑名正博と同じ >>552
英国のミドルクラスって
日本人のイメージより、かなり上だぞ
勝ち組ってやつ >>161
使いすぎで追いつかなかったということ?
一億円あったら使ってまうのか。
そら病むわ。 >>527
ブリジストンの創業者の直系。おそらく鳩山より資産ある。
鳩山兄弟はそれぞれ200億円 合計400億円だけど
ブリジストン直系なら普通に数千億円だと思う。
全盛時の堀江みたいなもの。
それでも今のゾゾタウン創業者のが資産あるんかww >>558
キャロルがオンボロの車で移動していたら、
ファニカンの桑名正博が外車で追い抜いていったとか何とか・・・、 はしだのりひこって行方不明だったと聞いたが?
連絡すら取れなかったとか誰かが言ってた >>543
うちは裕福とはほど遠いが、親がピアノ習わせてくれたんで
アマチュアバンドのキーボードのピンチヒッター程度はできる
ちな親が買ってくれたのは安いエレピアン
でもいろんなキーボードを自前で揃えようとしたらやはり金かかるから
やはりある程度の金銭的余裕ないと無理だわな >>552
ミックはインテリだよ
誰だったか困ってた有名ミュージシャンの税務相談に乗ったってエピソードも有る位 >>560
借金まみれで首が回らなくなって自殺したんでしょう?
芸術家タイプによくいるタイプ。
奥さんが制御しなきゃあっという間に金使い混んじゃう
小室哲哉とかそういう >>566
ピアノができる人って、ギターやっても上手いんだよな。
やはり指の訓練の度合いが違うのか。
クラプトンもヴァンヘイレンもチャーもピアノやってた。 >>536
wikiでは大井町になってるな
どこかでよんだインタビューでは蒲田
だったような 欧米のミュージシャンって70になっても、もちろん全盛期と同じとまではいかないまでも
普通に聴けるくらいには歌えるのに、なぜ日本人ミュージシャンはわずか10年前の自分の
ヒット曲すらまともに歌えなくなる人が多いんだろうか? >>552
つーか、上流ってのは貴族のことだから
いわゆるブルジョワってのも中流だからね >>358
筋肉が縮む病気、とあるよ
なんで脳梗塞w 俺の人生のひとつのの時代を担った人がまた消えた
ていうかもう死んでると思ってた >>537
映画の撮影中に大島渚と加藤が衣装のことで物凄いケンカになって
「こんな世界はイヤだ。辞めたい。」と思ったと言ってたね。楽しい世界だったら
もう少しいたんだろうか。 加藤和彦は
秋葉原の電気街で
一人で歩いているのをみたことある。
自殺の数年前だったと思う。
沈痛な面持ちだったな。
芸能人って堅実な生活に戻れないんだろうな。
まして生活保護おちとか
名声を得た人にはぜったい無理だろうしな。
でも有名な女優さんで30代はじめで
生活保護をうけはじめていた女優さんが
心臓疾患かなんかで急死してたな。
凄い美人女優だった。 >>6
こういう奴って、これを書く為だけに訃報スレが立つのを今か今かと、じーっと待ち構えてるんだろうな…ご苦労な人生だことよ はしだのりひこと何々ってバンド一体いくつあるんだ? はしだのりひことシューベルト.・・・・・・風
はしだのりひこクライマックス.・・・・・・花嫁
はしだのりひことエンドレス.・・・・・・ 嫁ぐ日 あの頃ミュージシャンや深夜放送DJのエッセイ集をよく出していた新書館って今でもあるんだな >>571
高中が徹子の部屋に出た時に大井町の雀荘の息子だって言ってたよ
下の階から麻雀の音がするなかで育ったって フォークルというよりもシューベルツのイメージが強い
ご冥福をお祈りします おらはシンディローパーだ
おらはシンディローパーだ 自分はアーティストに憧れたけど
それを仕事にしたいとは絶対おもわなかった。
どう考えてもそれで一生生活していけると
おもえなかったし。
結果論だけど、正解だった。
そんな才能も生活力もなかったしな。 4月に京都フォークデイズに久しぶりに登場してたんだよな。
話してた内容からしてALSだったんだな。
お疲れさまでした…
https://www.youtube.com/watch?v=He1USGbEjjs >>591
それは多分別
♪酒が飲める酒が飲める酒が飲めるぞ〜 フォークの広報部長がなぎらけんいち
宣伝部長&現場担当が坂崎幸之助
日本にロックを持ち込んだのは
加藤和彦とかまやつひろし
晩年かまやつさんは僕の曲は
すべてパクリって自分でも言っててワロタ >>369
ある時代の曲、特にフォーク系なら何でも弾き語りできるだろうな。 >>77
「風」「さすらい人の子守唄」「夕陽よおやすみ」「朝陽の前に」「白い鳥にのって」
などなど。シューベルツは日本フォーク界でもトップレベルに実力のあるグループだったと思う。 今年かまやつひろしもお亡くなりになったんだな
かまやつさんもはしださんも子供の時のヒーローだった >>91
「帰って来たヨッパライ」の時ははしだはまだ加入していなかった。当時は加藤、北山と平沼義男だった。 無事これ名馬
バブル崩壊以後の日本人の人生は
これに尽きる。
大学進学先も学部もそうだし。
日本のアーティストが女性中心なのは
女性には今だに結婚という安全パイの幻想あるせいだろう。
実際には安全パイでもなんでもないのにね。
離婚したら殆ど貧困層に落ちてるのにね。 このグループの影響もあって、この辺の世代って北朝鮮にシンパシー感じちゃってんでしょ
今の北朝鮮を見てどう思ってんだろ
日本のせいだーとか本気で信じてんだろうな
困ったもんだよ シューベルツはファーストアルバムのタイトルが確か「未完成」だったな
これがやりたくてシューベルツって名前にしたのかって思った記憶が >>17
今なら格安夜行バスだなw
しかし、嫁ぐってのがもう死語かなあ。 この時代の音楽を語る
「それはテケテケから始まった」シリーズをツベで見ると面白い 「イムジン河」テープで逆再生したら、ほんとに「悲しくてやりきれない」になるの? >>505
幼少の頃からレコード買いまくって聴きまくり
いい楽器を買ってもらって習わせてもらう環境にないとな
日本は一時期今のAFN等のラジオがその代わりになったり
ギターが入ってきた時期でみんな下手くそだったから通用して
ライブで回数重ねて上手くなって言った例もあるが
やっぱり基本裕福家庭だよな >>572
オペラ歌手の中丸さんね
安井かずみの建てた六本木の家に帰ったら嫁が逃げていて、家財道具を一切合切、ドアノブまで持ち出されて空っぽだったとか
中丸をマリアカラスにするために、加藤はオナシスのようにサポートしようとかなり金や時間を割いたとかなんとか >>95
People Get Readay ってラリーカールトンがカバーしてたな 上念さん悲しむだろうなあ・・・人
あ、上念司さんね >>157
元々松山猛が朝鮮学校の生徒が歌ってるのを耳にして朝鮮半島の民謡だと思い込んだままフォークルに紹介した。
フォークルは世界各国の民謡のカバーを主に活動してたのでその一つとして歌ってた。 >>605
日本は女子選手は比較的世界で通用するのもそのためだね 風は本当に良い曲
昭和は良い時代だったなとつくづく思う
今は音楽、政治がクソ過ぎる >>565
加藤さんが亡くなった後の追悼コンサートの最後で、北山さんがそう言ってた記憶がある
僕らは決して仲が悪い訳じゃないんですって >>618
フォークルのイムジン河とか赤い鳥の竹田の子守唄とか今だったらヤバい曲ばっか >>271
運転手ならショファーっすよ。
でも普通のロールスは自分で運転してもおかしくない。
生沢徹は自分で運転してた。
70年代くらいまでの日本て、物凄くローカルなんだな〜。 才能のある人だったよね
「花嫁」は時代を超えた名曲
ご冥福を はーなーよめはー
よぎしゃーにのってー
とついーでーゆーくーのー >>95
映画の卒業のイメージもあるかもよ
花嫁略奪ネタはアメリカ映画の伝統らしいが >>629
はーるまふじは
貴の若にのって
どついていーくのー 昨日、久しぶりに花嫁聴いたのにショック・・・
はしださんの曲はいい曲がたくさんあったな
北山さんも辛いだろうね >>5
はしだのりひこは帰ってきたヨッパライのレコーディングにしてないけどな 加藤氏とドクター北山の身長が高いので、余計に背が低く見えたはしださん。
RIP… >>217
2002年に正式加入してるし、今も北山と坂崎のコンビとして継続状態ではあるからな。
>>250
ワイルドワンズとか寺内タケシとブルージーンズとか
ジャッキー吉川とブルーコメッツとかあった訳なんだが。 >>95
あとアメリカのカントリーやブルースもそういう歌詞が多いかと
他の町に引っ越して心機一転、一発逆転みたいな
水前寺清子や高橋真梨子にもあるけどさ >>615
中丸が加藤和彦と結婚したときはクラシック界ではあまり歓迎されなかったんだよねえ
期待のオペラ歌手になんか変なのがついたって感じで
まあ加藤もクラシックも好きだった俺はなんだその受けとめ方って思ってたけど >>45
なあ〜お前、天国言うとこはそんな甘いもんやおまへんやん
もっと真面目にやれ! >>630
ダスティン・ホフマンがヒーローて感じだからね
今は個性派で変人てイメージだけど >>636
その辺はGSやエレキバンドとしてはベテランというか、その前の時代のジャズやカントリーやロカビリー上がりだね
沢田研二いわく、自分たちも自作しようとしたけど、経験不足で、ロックともフォークともつかないような半端なのしかまだ作れなかったと 風
って怖い歌だよ
振りかえったら、風がふいているだけなんて 吉田拓郎なんて、ギターでなく
最初はウクレレで
曲作ってたくらいだから >>596
そうそう、その歌!
違う人やったんか…… >>631
激しく吹いた
重箱の隅で恐縮だけど、貴ノ岩ね >>638
加藤の周りではズズを裏切ったってイメージが強かったみたいだけどね >>621
風は当時としても特異
子供心に他の曲と全然違うなと思ってたよ
外国の民謡風というか
チャート1位続けてたんで一層際立ってた 曲は、はしだのりひことシューベルツの風しか知らないけど
名前はクライマックスの方しか知らない
>>428
ググったら、一年以内が続いてた
加藤和彦 2009年10月16日
今野雄二 2010年8月2日
中村とうよう 2011年7月21日 GSザ・タイガースが前身のファニーズ時代に
大阪のジャズ喫茶ナンバ一番でフォークルと出演した時
ファニーズがプロデビューすると聞き加藤は羨ましかったそうな 加藤さんがNHKのスタジオパークからこんにちはに出て、中丸に機内から国際電話をして十万円取られちゃったとか言ってたなぁ
司会のアナウンサーが僕もロックを聴いていてとか話を合わせようとしても、
加藤さん、バカにして話に付き合わなかったが >>638
なかにし礼が加藤和彦のことを、作詞界のアイドルだった安井かずみを
奪っていった、とんでもないやつだと発言したのを思い出した。
よりのよって加藤の訃報を伝える番組で…呆れた。 >>440
元々北山は平沼の後釜には杉田二郎を入れたがってたらしいね。
抜群の歌唱力に咥えて北山加藤と近い高身長だったから。
>>541
https://www.youtube.com/watch?v=A7AQZHvH6JY ビジュアル含めたテレビ映えとかを考えれば杉田二郎よりはしださんかね? >>657
そのエピ聞くと加藤と杉田ってあんま仲良くなかったのかなーって思う >>643
まぁ、それこそビートルズを見たブルージーンズとスパイダースが土台を作って
ブルーコメッツとワイルドワンズ、サベージあたりが続いたまでは良いんだけど
そこに目を付けたレコード会社や大手プロダクションが未熟な連中を青田買いしまくったのがアカンかったわけだな。 戦争を知らずに僕らは生まれた
戦争を知らないこどーもたち >>109
当時の二人に合わせて踵の高い“ロンドンブーツ”を履いて演奏したりしてたけど、
座敷とかで靴を脱いで上がったら一人だけメンバーが消える
よく見たら、裾が余ったズボンを“長袴”みたいにずるずる引きずりながら付いてくるチビがいる、
って本人がネタにしてたくらいだったな >>661
そうですね
沢田研二いわく、ピーク時はGSバンドが200もあったそうです
レコードデビューしたバンドなのかジャズ喫茶レベルなのかはわからんけど >>650
そもそもズズはトノバンが湯水のようにお金を使うことを悩んでいたと言われている。
歌謡曲の作詞で印税がずっと入り続けていたズズ。
一方トノバンはフォークル以降自身の大きなヒットはなく、
歌謡曲やニューミュージック系の歌手でヒットがあったのも80年代まで。
おしどり夫婦ではあるけれど見方によってはヒモだったトノバン。
ズズがなくなったとき感動的な弔辞を読んだのもつかの間、
すぐに中丸と結婚?婚約?の記者会見をしたせいで、
ズズ関係の人脈を一気に失った。
結局中丸にお金吸い取られてポイ捨てされた。 >>628
本人が歌わず女性ボーカルだけだったらもっと名作になったのでは・・・ >>404
ミカバンドはたいして成功してない
クリストーマスがからんだので話題になった程度で
実際はロキシーの前座やったのが上限だから。 ワンピースに文金高島田結って、
駅で買った駅弁と陶器製のお茶を
窓横に置いて
ギュッと口を結んだ花嫁が
目に浮かんでしまうんだ。 >>612
beatlesのshe loves youを逆回転したらチューリップの僕が作った愛の歌になった。 >>666
あの下手うま系ちりめんビブラートは苦手な人も多いと思う >>612
ならないよ、そもそも締め切りギリギリで苦し紛れにイムジン河を逆再生したときのメロディーから着想を得ただけだし。 以前、最後にテレビ見た時、パーキンソン病かなと思った
再結成にも加わらなかったしな
昨夜BSでイルカみて思い出して、つべで花嫁みたばかり >>665
よしだたくろうのプロデュースとかしてるしな
ミカバンドとか斬新
にしてなかなかダンディー
でも、ズズみたいに生まれつきのものじゃないんだろう
日本の音楽の夜明けに貢献してるレジェンドである事は間違いない >>88
そう。今年、約10年ぶりにステージに立った。 悲しくてやりきれない
いい曲だった
子供のころすでに懐メロだったけど >>653
風を知ってて花嫁知らないとかありえんわ。何歳? >>404
>>668
ミカバンドはイギリスで評判になり、テレビや雑誌に出たり、ロキシー前座の批評も良かったけど、売れたり儲かったわけではないみたい
ロキシー前座はノーギャラだし、英国までの飛行機代も自腹
東芝レコードに頼み込んでなんとか飛行機代をを出してもらった
ただ黒船はまだ英国で発売されていて、デュランデュランやデイーボとかも持っているとか >>661
初期スパイダースはビートルズより前というか同期くらいでビートバンドと呼ばれてたが
夕日が泣いている で分岐点66年以降はどっぷり歌謡ロックバンドに成り下がってた
ビートルズはその後の来日なのでマネしてたのはそれ以前だよ デイトリッパーなど 音楽の教科書に載ってて知った人が多いんじゃね?
悲しくてやりきれないとか、あのすばらしい愛をもう一度とか… >>678
マジで?
テレビで明らかに動きがなくて、小刻みに震えてたからなあ
表情にも乏しくて、テレビ出ていいのかって思うぐらいだったから 結構動画残ってるもんだな。昭和40年代前半なのに。
しかし 花嫁とか風とか今あらためて聴くと涙腺が緩むわw
ジジイになったというか何というか・・
花嫁なんて、腹くくった厳しい決意の歌だよな。 >>622
はしださんがフォークル人脈と絡むのを辞めたとか。
またフォークル解散ライブにはしだの新バンド、シューベルツが出てて、それを加藤さんが起こっていたそうな。
加藤さん仲間にお別れしてたのかな。亡くなる直前にはしださんの元に電話がかかってきたそうで、話をしたのは解散以来だったそう。 >>665
加藤さんも安井かずみとコンビの頃は、ソロアルバムがテレビやコンサートのプロモーションなしでアルバムが10万枚売れるというのが売りだったな
それにプロデュースや作曲や劇伴音楽なんかもまめにやっていたし、普通にしていれば楽々食えるはずだがね 「花嫁」って覚えやすい凄くいい歌だけど
結婚式で歌う歌ではないな >>690
イムジン河ははしださんが加入する前のアマチュア時代から歌ってた曲 >>687
そうそう
フォークル解散する前に、新しいバンド組んでたはしだに
起こってたのかも 70年万博ライブで来日したメリー・ホプキンのMCしてた >>680
スパイダースの「フリフリ」やブルージーンズの「ユア・ベイビー」は1965年
この辺は来日前からビートルズを聞いてロックの時代の到来を嗅ぎつけてやった勢。
(この年のリヴァプール・ファイブの来日ツアーが与えた影響も大きかったらしいが)
ついでに言えばナベプロの反応が早くて植木等にブルージーンズのバックを付けてビートルズの影響を受けた「遺憾に存じます」をリリースした、
これも1965年だ。加山雄三がブルージーンズと組んだ「夜空の星」も65年、元々ベンチャーズでのエレキブームの下地があったとはいえ
既に当時からビートルズ時代の到来を予期した動きは既に始まっていた。
それが来日を期にバンド少年達に火が点きまずビートルズを見たくてTBJを抜けてた加瀬がワイルドワンズを結成した。
そして「想い出の渚」が大ヒットしたあたりから他のレコード会社が目を付けてどんどん出てきたわけで。 >>691
親戚一同が揃った披露宴で歌う歌じゃないね 仲間内でひっそり挙げる式ならいいんじゃね 紅白で植木等のバックで寺内タケシがエレキ弾いているのYouTubeで観たわ >>689
これ考えると生きてるうちにまたステージに立てて本当良かったって思いしかない。 >>695
ああわかった。
リアルタイム知らない世代ね。 >>514
小さなカバンに詰めた
花嫁衣装は
ふるさとの丘に咲いてた
野菊の花束
なので、ウエディングドレスで夜汽車に乗るイメージは全くないよ 加藤和彦は傍目に見てもブルジョワ嗜好がきつかったもんな
それが自らの命を絶つ一因だろうね >>557
南こうせつとはよくセッションしてるけどな
目を閉じて聞くと、たまにどっちが歌ってるのか分からなくなるw >>703
親から反対された結婚、それこそふるさとの丘に咲いていた野菊を摘んで花束にして、
それだけ持って愛する人の元へ夜汽車に乗る、そんな歌だからな。
野菊と言えばシューベルツの「娘はどこへ」でも出てくるが北山は野菊をそう言う故郷の丘を
駆け回った幼少期の思い出の象徴としてみてそう。 >>705
新結成記念解散音楽會の「ライカはローリングストーン」で
思いっきりこうせつのモノマネやってたなw 「帰ってきたヨッパライ」コミックソング
「南こうせつとかぐや姫」コミックバンド ♪しゃーららー はしだのりひこは余命宣告されていたんだろうな、だから最後の歌唱とか言ったんだろうね
たぶん余命宣告されているのを娘さんあたりから聞いて北山修が知って
死ぬ前にもう一度ファンの前で歌わせた方んだろうね、
はしだのりひこに歌手としての花道を飾らせる意味と同時に
ファンに感謝とお別れの顔見せの意味でね。
何とか歌えるうちにステージに立てて良かったと思う、
ご冥福をお祈りします。 >>17
「歌は世につれ」そのまんまだよ。
先に亡くなっているが、共同作曲した坂庭省吾さんの「花嫁」を聴いてみたらいい曲だと思えるぞ。youtubeにあるから。 自殺したと思ってた
ひどい勘違いをしてたものだ
やっぱり帰ってきたヨッパライ、さすらいのヨッパライ、イムジン河が好きだわ 自分は46で全然世代じゃないけどフォークルにハマって復刻CDとかで聴きまくったな
戦争は知らないが好きだった 北山修は横柄な団塊丸出しで無理
こいつが一番先に死ねばよかった 共同通信の記事によるとパーキンソン病だったそうだ。 >>612
うそらしい
坂崎幸之助が本人から聞いたって 俺たちオッサンの世代では超大物だな。
大物感は全くなかったがw 全然関係ないけど、雪村いづみっててっきりもう亡くなってたと思ったら
まだご存命だったのを昨日気づいた 加藤和彦とすごく仲悪かったんでしょ?
世代がずっと前なんでどういう感じなのか分からないけど 間違っている火が居ても仕方ないが、ブルージーンズはエルヴィス、ポールアンカ、コニ―フランシス世代
スパイダーズはメンバーのかまやつと田辺がその世代、堺や他のメンバーがビートルズ世代
ビートルズも日本で知られたのは結成から2年後「抱きしめたい」から
ビートルズは、ヘレンシャピロ「悲しき片思い」やロネッツ「ビーマイベイビー」の前座をやっていた
加藤や端田はそれを学生時代ラジオで聞いていた世代、安井和美も加藤にとっては芸能界の大先輩、
雲の上の作詞家だった、嫁にしたが、なかにし礼が怒っていたなw >>723
それもあるかもねw
ところで「ぼんちの娘をよろしく」って書いたんだが、自分でもなんか変だなと思って思い出した。
おさむちゃんでーすとはちゃう、凡児の娘をよろしくだったw >>391
今日の朝日新聞の別刷りにちょうど記事が載っていた いい記事だな ビートルズは、ヘレンシャピロ「悲しき片思い」やロネッツ「ビーマイベイビー」の前座をやっていた
逆だよ >>689
痛々しいがこれは凄い
しかも北山修と
再結成に参加しなかったのはやはり体調不良であって、仲違いではなかったわけだな 端田はワインをたしなむとか仲間のダサさをバカにし恰好を付け芸能人そのものに染まっていく態度の加藤が大嫌いだった >>1
https://this.kiji.is/309573744753378401?c=39546741839462401歌手のはしだのりひこさんが死去
ザ・フォーク・クルセダーズ
2017/12/2 18:00
「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られる
フォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」のメンバーだった歌手、
はしだのりひこ(本名端田宣彦)さんが
2日午前1時16分、パーキンソン病のため京都市の病院で死去した。
72歳。京都市出身。
葬儀・告別式は6日正午から京都市伏見区深草下横縄町25、
セレマ稲荷シティホールで。喪主は長男篤人(あつひと)氏。
同志社大在学中に音楽活動を始め、きたやまおさむさんや加藤和彦さんらが結成した
クルセダーズに1967年から参加。「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。
フォーク世代を代表する一人だった。 >>690
フォークルは利用されただけ。
あっち系のグループも歌ってたらしいが。 >>733
わかるわかる 加藤の貴族趣味は鼻につく 弘田三枝子がアイドルだった時代w
最近60年代がマイ・ブームだわw
邦楽も洋楽もw >>514
映画「卒業」のラストでダスティンホフマンが挙式中のキャサリンロスを
連れて逃げ出すシーンとイメージを重ねてるんぢゃ? >>736
利用されたんじゃなくて単にただの朝鮮民謡と思って歌っただけ。 >>737
爺さん。それはスノッブって言うんやでぇ。
免許も無いのにロールスロイス買って、後部座席でワインを飲むとかね。
加藤和彦や今野雄二みたいのはネット社会になってから駆逐される運命だったわな。2人とも紹介業で中身無いから。 日本の女子アスリートが世界で通用していたのは昔の話
今は男子アスリートのみ
その代わり男子アスリートは昔とは比較にならないほど大活躍中 55才だけど、風とか花嫁の印象は胸にこびり付いてる
亡くなったメンバーに向けてライブで歌ったダニーボーイは心に染みました
ご冥福をお祈りします 「瀬戸の花嫁」は祝福され船で田舎を後にする。
「花嫁」は駆け落ちして夜汽車で逃げるように旅立つ。
どっちもある意味その時代を象徴する花嫁ソング 加藤も今野も才能あるよ
レコードも評論もちゃんとしたのを残してしている
イレブンPMの軽薄な海外情報レポーターなイメージもあるけど >>615
安井かずみは天才だったけど
中丸は根性悪のただの金食い虫。
しらないけどおそらく目いっぱいカードで金引き出していったと思う。
家でていくとき、通帳からカードから全部もっていく屑女がいる。
その典型。
そんな女を選んだのも自業自得。最初から人間的に中丸って評判最悪だったし。 >>742
紹介業か
現実の日本では、
派遣会社が横行してるけどな キザで身の丈に合わない浪費家でも、加藤和彦のポパイで披露したタキシードプラスジーンズ姿は本当に粋でしたわ
グッチのスリッポンの靴?だか、リーバイスのヴィンテージとか全部自前
あんなにおしゃれな人は本当に珍しい >>742
ありがとよ
その「スノッブ」という言葉がなんぼ思い出そうとして浮かんでこんかって
悶々としてたんや >>742
たけしが本で加藤をそんな風に批判していたな >>749
元々、
メンズクラブでバンドメンバー募集したんだよな >>746
今野ってゲイのレポーターや思うてました
えらいすんません キィワードは
忖度 インスタ映え そして川口アパート イムジン河は、当時通っていたピアノ教室が、クラシックとフォークやポップスを交互にやらせるとこだっだんで渡された楽譜の中で簡単そうな譜面だったんで元曲知らずに弾いた
先生が「この曲独特でしょ 朝鮮の曲なのよ」て言っていたなあ >>727
ピーと平沼さんは高校の同級生じゃなかったかな。フォークルの楽屋にピーが来て
「今度東京に行くことになった。」と言ったとか。フォークルとタイガースはアマチュア
バンドコンテストに一緒に出てたような記憶が。 >>250
最初とか起源とかいらない
音楽は基本旬が大事だからなんの役にもたたない たけしは自分を嫌いと言った奴を全員批判してたな。ルサンチマンだけだよ。 >>620
女と男は違うんだよという固定観念が日本にはある。
うちの姉にも若い時にいわれた。
でも同じように、杏が兄貴にいっていたのにはびっくりした。
杏は母親の借金で青学の高等部を退学して大学進学をあきらめたけど
兄も大学やめるといったとき、男と女は違うんだよ、大学いかなくちゃ駄目だといったそうだ。 >>689
辛い闘病だったんですね。
ここを見てると一気に50年前の記憶が甦る。。 「卒業」は、世界で一番パロディにされたりパクられたり着想のヒントになったりした映画かもしれない
「花嫁」のヒントにもなったかも
実際に観てみると、決してそんなにスタンダードな感じじゃなく、結構クセがある映画なんだけどな
名作には間違いないと思うけど はしだのりひこって村八分のメンバーを家に居候させたりしてたんだよな
親が言うにはTVで共産党支持を表明して表舞台から消えたって言ってたけど本当なのかね?
まあ主夫になっただけかもしれんが >>636
いっそ高見沢をいれて
進化したフォーク・クルセダーズにしたら? >>761
サイモンとガーファンクルの
音楽が素晴らしかったから 中丸ってちょっと前にえみちゃんねるでセレブ自慢していたよ
ヨーロッパの自宅がお城でマリーアントワネット風な生活ぶりを披露していた
加藤との結婚生活もうれしそうにニコニコして語っていた
加藤に貴族御用達の乗馬靴を誂えてもらったとか
加藤があんな死に方したのにどんな神経しているんだろうと思ったし
そんなセレブがえみちゃんねるのひな壇に座る仕事っておかしいだろう
って首ひねったわ この人死んでも「ふーん」くらいなんだけど、今の誰が死んだくらいなのか教えてくれよオッサン >>742
加藤和彦は贅沢三昧に拵えたヨーロッパ三部作で音楽家としての足跡も残しましたがな
スポンサーは安井かずみだったにしても はしだのりこで記憶にあるのは
男性の服ではサイズが合わないから
服はすべて婦人用品だってことだ
下着も婦人用だって言っていた
だからたぶん150センチ台だと思う 今頃天国で「酒はうまいし ネエーチャンはきれいだ〜ワーワーワッワ〜」って歌ってるよw >>88
教えて頂いてありがとうございました(/ _ ; ) フォーク・クルセダーズは直接体験した世代じゃないけど自分が物心ついた時「娘をよろしく」という番組のオープニングテーマを女性ボーカルのグループで歌ってたのを覚えてる
子供心に良い曲だと思った
ご冥福をお祈りします >>773
あーマジか
その時が来たら結構クるものがあるかもな はしだのりひこって未婚の父としても有名だったよ
どんな事情か分からないけど
ヒッピー文化の影響だったのかな
そのあとは主夫ってポジションであまりメディアに出なかった
あとから入籍したのかな >>772
はぁ?
それ外で言わない方がいいと思うよw >>756
だから北山はタイガースが先に東京に出て活躍したのを悔しがってたらしいなw >>765
それだったら杉田二郎を入れるんじゃないか?で、
きたやま「あの時入れたくても入れられなかった杉田二郎をやっとフォークルに入れられた。加藤は怒るだろうなー」とか言うんだよ。 >>785
そうでした
本当に良い曲 大好きな曲です >>704
アルバム 「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」は音楽雑誌で絶賛されていたよね。
加藤和彦は、それなりの資産もあったろうしプロデュース能力も高かったのに
自滅したとしかいいようないな。自分の能力以上に散財して自殺だから。
しかも安井かずみの莫大な資産を使いきって。
今野雄二・中村とうようは日本のデフレ経済とともに居場所をなくしていったと思う。
簡単にいえば市場経済の敗者だったと思う。
それこそナマポの未来を受け入れるなら今でも生きていたろうけど
美学が許さなかったということだろう。 >>746
無い。
彼らがやってたのは、情報を手に入れ難かった時代にカネとコネを使って凡人より先に情報を仕入れて、
その情報でマウンティングして、さも「自分は最先端やってます」と周りにペテンにかけてただけ。
それがネットの発達でオレらの方が最先端の情報を得る様になったら、2人とも何も発信出来なくなった。
元ネタをオレらでも簡単に手に入れられるなら、「先に知ってる」ってだけの人は通用しなくなる。
で、自殺した。アナログしか無かった昭和だから通用した人。 シューベルツで風を歌いクライマックスで花嫁を歌った >>788
ネットって。普及したのは死ぬ前の5年くらいじゃねえか
50過ぎたら新しい創作なんてできねえし、別に嫉妬しないだろに 高校の時、初めて原宿に行ってレオンに入ったら隣にはしだのりひこがいた
東京って凄いな〜って思ったよ >>788
得た情報を作品に落とし込むのがどれだけ大変か理解してないな
ついでに言えば全ての制作物は先人や流行の影響を取り込んで落とし込むんだよ
完全なオリジナルなんて存在しないから 「花嫁」より知名度は低いんだろうけど、
「凡児の娘をよろしく」のテーマ曲だった
「嫁ぐ日」(はしだのりひことエンドレス)
も好きだった >>92
やっと歌詞を理解できたw
ありがとうござる >>751
たけしは
単純に加藤和彦が弱いものいじめの芸をする武みたいな芸は品がないといったんだよ。
それで北野武は猛反発したけど加藤和彦がロック界で高い位置にあるなんて
ほぼ全くしらなかったはず。
でも実際当時の北野武は今と違って相当にゲス根性で弱いものをいじめて
笑をとる嫌な奴だったのは事実。ものすごい見栄っ張りで嘘ばっかりで
兄貴が東大卒だとさんざんラジオで平気で嘘つきまくりだった。
北野武が変貌するのは映画を撮り始めて
高い評価を得るようになってから。北野は間違いなく変化していった。
大体、それまでと違う世界と交流するようになったし。
ベネチアの映画人 大島渚 坂本龍一 デヴィッド・ボウイ等々
これで内面変化して成長しないわけないし。
嘘つきまくりで、学歴コンプレックスの塊だった北野も
東京芸大大学院の特任教授だから人生わかんないよね。
確かに今時点でいうなら、北野武は、加藤和彦の到達点より
上にきた。でも喧嘩していた当時は加藤のが上だった。 >>438
初期レベッカが特にそんな感じ
これとか完全に歌謡曲から脱却してる
REBECCA NOTHING TO LOSE
https://youtu.be/oNHkE3YWLdQ >>505
今もメジャーデビューしてる連中の実家は大抵お金持ち 加藤和彦は、クリエーターだったよ
今野は紹介業かもしれんが 加藤は最後のミカバンドがひどかったからな。
奴の全盛期はほぼ安井のセンスだったのだろう。 >>792
1990年代はWindows95以前でも既にネットは世界と日本を繋いでたから。
1980年代でも後半になると洋楽の情報も楽に手に入る様になったし。
2人は才能では無く、カネで作品を作って発信してたんだなと。
だから安井かずみが亡くなってカネが尽きたら、そこで終了。
とかくバカにされる小室哲哉でさえ、自己破産してカネが無くても作品を作って発信できるのに。 >>505
そんなんばっかりだよ
昔から革命家って金持ちのボンボンばっかだから
60年代の学生運動でもそういう人は多かった >>534
マンガに出てくるお金持ちって実在したんだΣ(゚∀゚ノ)ノ 今年4月のイベントに出たときのが音源だけようつべにあったが涙が出た シューベルツの時代にもう半世紀も前に亡くなったメンバーがいたよね、確か。 >>799
日本語を完全に洋楽に乗っけることを成功させたのは
レベッカであるのは間違いない。
「ラズベリー・ドリーム」「ムーン」「ONE MORE KISS」とか珠玉名曲を
次々に作った。NOKKO・土橋時代は完璧な名曲が多い。アルバムに捨て曲がなかった。
もちろん木暮時代もいいけど。
NOKKOが年齢以上に容貌が精神薬のせいか劣化したのが残念。
内面もすっかり変わってオバサン。
年とっても現役感あるアーティストも一杯いるのに非常に残念。 >>564
キャロルのメンバーが「自分達の専用スタジオを作るのが夢!」って語ってたのをアマチュア時代からスタジオを持ってたファニカンは鼻で笑ってたんだとか >>805
成毛御殿と八神御殿は有名。腹を壊してたら死ねる家の広さを恨むレベル。 リードヴォーカルだったけど3人の中じゃ一番才能がなかったな >>802
ミカバンドの後釜にNOKKOを入れる案があった。
2代目をNOKKOにしていれば
絶対に先の展開があったと思う。
NOKKOもパニック症候群になって引退しないで済んだ。 >>543
エレキブームやGSブームの時、本物の金持ちの息子はドラムをやってたそうだ。
ドラムセットの値段の高さもさる事ながら、広い家と自分の部屋が無いとドラムは練習出来ないから格が違うと泉谷しげるが言ってた。
ギターも小金持ちはエレキギターで貧乏人はアコギ。 メロディメイカーだった
「嫁ぐ日」って曲も良かった >>803
IT事情にくわしいものだけど
本当のネット社会は2000年代からだよ。
常時接続が通常になったのは。 >>818
浜田省吾は仕方なくドラムやった勝ち組
格が違う >>804
ネットウヨとか
経団連の太鼓持ち
って大体貧乏人か貧乏人出身だよね。
保守系とかいわれてる人は結構貧乏人が多い。
渡部昇一も苦学生だったし。 >>803
加藤が制作意欲をなくしたのは安井かずみが死んだから
周りからも散々ソロアルバムを作れと言われたが、その度に「歌いたくてもズズがいないから歌詞がないんだよ」 >>820
常時接続である必要は無いから。
ネットに詳しいなら知ってるだろうがイエローケーブルの頃ですら、好事家は欧米と情報のやり取りは出来たし、
Webboy買えば普通の人でもネットが手に入った。Macのクソ高いApple talk経由の外付けモデムとかね。
テレホーダイは時間帯が丁度良かった。時差を埋めてくれた。 >>818
アマチュアの使えるドラム設置の貸しスタジオも少なかっただろうしね
俺は中学の頃のバンドは、メンバーの親の会社の取引先の会社の事務所の一部屋にそこの社長の息子のドラマがあってそこで練習したわ >>438
>>799
それに最初に成功したのはキャロルだっての。 確かにあの当時のプロは情報が命の面もあるね
あの音はどうやって出してるのか? 使ってる機材は?
すべて外国の情報が頼り
(ストーンズのサティスファクションの音はどうやって出してんだろう?
当時日本にエフェクターなんてもんは無かった ベンチャーズの音(チョーキング)はどうやって?
ライトゲージ弦も知らなかった とにかく情報が欲しい)
作曲する奴は日本で売れてない曲の情報を仕入れてパクる >>825
一般人はそんなことしないし
興味もなかった。
大体、あれほど騒がれたリナックスでさえ
今ではwindowsのが信頼度高いといわれるように
なった完全に劣勢だし。
ニッチ市場は初戦ニッチ。 イムジン河なんて歌ってる時点で作詞した奴は絶対に在チョンだよな >>787
加藤はともかく今野雄二と中村とうようが金に困ったという話は聞いたことないが
まあ、硬派な音楽評論雑誌が売れない時代にはなったが、中村も編集長もやめてセミリタイアだったしさ
中村が死んだ後のMMがアイドルやサブカルの特集が多くなったが スパイダーズはサティスファクションの音を出したくて、
ギターアンプのスピーカーのコーン紙を破ったりわけのわからん実験もしたとか >>829
キャロルとボウイは
インチキ英語ぽい日本語にしたわけで
日本語を自然に洋楽に完全にのせることができたのは
NOKKO土橋だよ。
インチキ英語路線を完成させて日本語の洋楽路線を
完成させたのが桑田圭祐。
山下達朗はポップスとして
完璧に日本語を洋楽にのせた。
宇多田ヒカルはそういうことを一切考えもしないで
洋楽に日本語をのせた。 >>830
キース・リチャーズは大好きなロバジョンの音を攻略するのにゼロから実験して、
ロバジョンと同じくアコギでナチュラルコンプレッサーを掛ける方法を見つけたそうだ。
壁の角に向かってアコギを弾いて、マイクを後ろに立てると、壁に反響した音が後ろで集まって
コンプレッサーが掛かったような、ロバジョンみたいな音になるんだと。
情報をカネで買わないで、自分で探すのが「好きこそ物の上手なれ」で、それが才能だと個人的に思う。
だからカネで情報仕入れてドヤ顔してた連中が死に絶えたのは、日本の音楽シーンに取って良かったと思う。
故人にゃ悪いが、そう思う。 はしだのりひこの訃報スレなのに
上流階級とか下層階級とか
このてのやつらはどんなスレにでも来るな、
執拗に。 >>830
NHKの番組で
高橋幸弘は
リンゴのドラムの音のだしかたを凄い研究したといってた。
細野はベースで左手で音の伸びを止めるんだと
映像みて学んだといってた。 今でも海外の情報を取り入れる競争はあるだろう
ただネットに全ての最新情報が転がっているわけではないし、
仮にあるとしてもそれを拾うのはセンスやコツや経験もいるだろうがね
北山いわく、加藤はビートルズのホワイトアルバムをコピーするのに、ギターのストロークがアップかダウンかまで何度も聞き返してコピーしたと
ビートルズのアルバムなんて当時でも日本中どこでも買えたしさ
ソースをどう吸収するかは個人の能力だわ >>834
アンプのナチュラルディストーション=歪み自体も偶然の産物だからね。
プリアンプとパワーアンプなんて概念が無かった頃だし、ファズなんて知りようがない。 実は音の革命で
ものすごい研究熱心だったのは
ジミー・ペイジで
いくつも器材を作ったらしい。
レッド・ツェッペリンの成功は
ジミー・ペイジのエフェクター開発の勝利でもあるらしい。
今から聞いても1stと2ndの音作りはどうやってやったんだろうと思ってしまう。 村下孝蔵はキャラバンのドラムソロをアコギで演奏した天才 情報で知ると取り入れるのは速い すぐに外国から取り寄せる
特にスパイーダーズ 機材に金を懸けた最右翼かな
寺内タケシも機材に金を懸けた >>836
古いな宇多田みたいな、洋楽パクリを持ち上げているの
サブカル中高年特有の無意味な批評文化
日本の音楽はだから駄目 さっきから情報を買うとかあるけどどういうことかいな? >>847
どこの音楽は良いの?
おじさんに教えてください。 今から考えると、ジミ・ヘンドリックスとビートルズが
結構同時代で、サージェントペッパーをきいたばかりの
ジミ・ヘンドリックスがライブでそれを披露した。
しかもそこにポール・マッカートニーが来ていて
その演奏に感銘をうけて絶賛した。
アビーロードとレッドツェッペリンUも全く同時期で
全く違うロックが同時期に存在したこと自体が驚異。
当時は圧倒的にレッドツェッペリンUの評価が高く最先端の音だと絶賛された。
アビーロードも売れまくったけど
ちょっと古臭いロックンロールアルバムだとおもわれた。
いまだと、アビーロードのが相当評価高いよね。 >>830
岸辺シローがタイガース入る前はアメリカで最新情報を仕入れて日本で知識を提供したらしいな。 >>847
じゃ誰がいいの??
具体的名あげてよ。 >>843
歌の中では最後にシャバに戻されるけど… >>848
海外から色々(専門誌とか)取り寄せてたり
海外から情報を仕入れる それには金が要る そういう事じゃないかな はしだのりひこと無関係な話を延々と書くの止めてくれよ どのニュースも、
「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られる…
この書き方を見て、マスコミにも、当時を知る世代の記者は、もういない
みな引退してしまったんだなと、改めて感じる
本当に寂しくなった >>851
岸部シロー、タイガース入った頃はメチャクチャ可愛かったんだよなあ
その数年後にカッパの沙悟浄がはまり役になるとは思いもしなかった ( ´D`)ノ<これで残るは北山先生だけか。
教授職も辞めちゃったしな。 >>810
井上博だよ
半世紀ぶりに再会しているだろうね 思うんだけど
やっぱり一生現役感ないと寂しいよね。
そんなことは不可能なんだけど。
大資産家以外、一生現役って難しいしな。
はしだのりひこの晩年は寂しい。 思えばはしだのりひこの歌い方を真似して歌の練習したな
しかし、50年前のバンドなのにみんないろんなことよく知ってるな >>578
最近になって2008年に死去していたことが
明るみになった川越美和のことかな?
伝説のサックス奏者・阿部薫と結婚してた
作家・女優の鈴木いづみも、阿部の死の
8年後の36歳の時、首吊り自殺。
生活が破綻していた晩年は生活保護だった。
阿部薫 鈴木いづみカップルのことを
このスレの加藤和彦 安井かずみの
書き込みでなぜか思い出した。
加藤 安井カップルよりインディーな
表現形態にいたのでマイナーな存在に
思えるかもしれないが、
才能は負けていなかったと思う。
生き様が凄惨すぎて痛々しく過ぎるが、
それだけに鮮烈だった。 >>1
悲しくてやりきれないは、コトリンゴや多部未華子もカバーしてる名曲。
ほんとに悲しくなる訃報だ。
>>865
自分も花嫁のオリジナルは後年知った
ただ、パロマの家族揃って歌合戦でよく歌われているので覚えた >>866
晩年の鈴木いずみに少し会ったことが
あるが、怖くて目を合わせるのも嫌な
タイプだった、
凡人には理解が難しかったなあ…。 花嫁でもないのにドキドキする
心筋梗塞のまえぶれか 帰ってきたヨッパライのジャケットとかサイケ調だけどLSDやったことあるのかな >>854
アメリカ行って、日本で売ってないレコード買い漁るとか、それをネタに日本で作品作ったりね。
日本で手に入らないネタだからパクりとは言われない。「凄いね」って言われる。
昔は海外アーティストのアルバムは全部、売ってなかったから。3枚目からとか平気であった。
デビューアルバム欲しければ輸入盤屋で仕入れるしかないんだけど、
昔はアメリカ人ですら住んでる場所に依存してて仕入れられないアルバムやシングルが多くて、
欲しければ直接、アメリカで売ってる土地に行って買う(か、その土地の友人に頼む)しか無かった。 悲しくなるとよく風を聞いてたわ。すげー名曲じゃん。
なんか、寂しいですわ。 >>881
はいだじゃなくてはしだ。だから全くの赤の他人 フォークルの「何のために」とかクライマックスの「ふたりだけの旅」もいい曲だね >>879
あー、松本伊代の声質によくあう歌だよなあ 働くのやめて、主夫の走りになってたよなぁ
山田パンダと共に
最近見ないなと心配してたら病気だったのかな
あの震え声のビブラートの歌い方は苦手だったし性格も悪くて有名だったが
楽曲は名曲が残ってるからこれからも歌い継がれていくだろうな
フォークルは北山修、ひとりになっちゃったね
フォークル以外なら杉田二郎もいるか >>863
井上博、イケメンだったよなぁ
いま生きてても彼のファンだけは根強くいたと思う タイガースのプロデュース内田裕也かよ!
って誰??ロックンロールパン、、 >>890
パンダってシャンシャン?
山田なら俺の知り合いの工作の縁だな >>886
郷ひろみ「お嫁サンバ」をねじこむ余地はないか 話題がどんどん飛ぶのは当然だよ。
フォーク・クルセダーズはまさに日本の音楽の分岐点だったし。
シングルを史上初めて100万枚売ったということ以上に
職業作家が商売のために作詞作曲するのでなく
「自己主張する」音楽として変貌していったまさに分岐点だから。
洋楽と全く同じレベルで音楽を考えていく初めてのバンドだったんじゃないかな?
実際加藤和彦は以降、YMO人脈と密接に結びついていったまさにロック史上の大立者だった。
北山修とはしだのりひこはいわゆるニューミュージックの発祥といっていい。
音楽がまさにはじまった「ビッグバン=フォーク・クルセダーズ」だよ。
比較するのも難しいけど、チャックベリーがロックの創始者であるのと同じように
フォーククルセダーズは日本のロック・フォーク・ポップスの原点。 ジョンレノン、大滝詠一、はしだのりひこ
12月の雨の日はミュージシャンがよく死ぬ気がする 「何のために」はエリナ・リグビー、「ドラキュラの恋」はハートに火をつけて、
「百まで生きよう」は言わずもがなだな。 モンゴル力士の八百長が話題になってますが、野球界にたくさんいる在日韓国人が
これをやってないと思いますか?
しかも彼らはモンゴル力士と違って日本人に成りすましているのでさらに八百長が
しやすい状況なんですよ。
作られたヒーローがどれだけ野球界には多いことか、想像するだけで思い当たりますね。
まともな日本人の野球選手で実力が本当にある選手はみなメジャーに行くんですよ。
日本人選手のメジャー移籍に批判的なのは、八百長をやってる在日韓国人のインチキ野郎。
彼らがやってきた欺瞞に満ちた記録とその正体がバレるのを恐れている、というわけです。 >>624
BSの番組でも言ってたけど北山さんが精神科医だったから
余計に無念だったみたいだわ
>>890
杉田二郎も声が出なくなったよ
肺か気管支やられてるんじゃないかっていう感じの歌い方 【訃報】
「ザ・フォーク・クルセダーズ」はしだのりひこさん死去
相方が!先に行ったから!首を長くして待ってるぞーーーーーーーーーーーー!!
おう!おう!やっと来たかとーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー天国で!!
合掌ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!! 日本では
ロックを日本語にのせるのが難しくて
海外ではロック全盛だったけど
日本ではフォークロックが全盛だったんだよな。
そしてその作詞作曲できるオリジナル曲で
当時、日本の最高レベルの曲を提供したのが
フォーク・クルセダーズだった。
そのメンバーが加藤和彦 北山修 はしだのりひこ。
日本の作詞作曲アーティストの原点。
彼らなくして今の日本の音楽は成立しないくらい重要。 はしださんの最後の歌声聞いたら泣けた。
杉田さんより声出てたしはしださんもそれをジョークにしてたのを聞いて余計切なかった。 君といつまでも 加山雄三 1965年12月
帰って来たヨッパライ フォークル 1967年12月
日本のシンガーソング・ライター、ニューミュージックのはしりは加山雄三 加藤は、イムジン川を出したかったが。顔見たらわかる。 >>900
レノンは暗殺、大滝さんは大動脈解離だったな >>2
あの話は名作回やで
新必殺仕事人30話「主水御用納めする」 赤い鳥とフォークルが2大フォークグループだろうな。
ほんと、名曲がいっぱいある。 同時期のフォーク
東京 ザ・ブロードサイド・フォー マイク真木
京都 フォークル
大阪 ロック・キャンディーズ(谷村新司)
それぞれ色が違う 「悲しくてやりきれない」は「イムイジ河」の逆回し 豆な。 >>559
あちらの社会学の定義だと、郊外に一戸建ての家をローン無しで購入し、住み込みの家政婦がいる・・・
日本だと富裕層だね はしだのりひこは
左翼的なものに対する懐疑を10年ぐらい前に言ってた
歌謡曲に対するアンチテーゼのフォークってのが昔あったんだけど
その意味って今になってみると
なんだったんだろう?なんで対立なんかしてたんだろう。意味なかったんじゃないか。
みたいなことを言ってた だから、左翼的なものを否定したはしだのりひこと
未だに左翼の北山修が相容れなかったのは当然よね 外山恒一のおかげでこのグループを知れた。青年は仕事を辞める〜♪ >>864
芸術家タイプはどんなに金持ちでも全部使っちゃうんだよ
小室哲哉も何十億儲けたけど全部使って借金まみれだったし
加藤和彦も同じだった >>925
それ1989年ぐらいから言ってたよ
田川律という評論家に反論してたからな 主夫やって実際の生活に触れると左翼的なもんなんて馬鹿馬鹿しいのが実感できたんだろうな >>865
フォークル系の曲だと合唱曲化した曲もちょくちょくあるし
リバイバルブームで「これあの曲だったんだ」って気になって聞くような若い世代も多少はいただろうからね
かくいう自分もそうなんだけど。 ゲーセンの対戦クイズゲームで、イムジン河がどこの国にあるか答えさせる問題が出ると重宝したな
しかも学問地理ジャンルじゃなく芸能音楽ジャンルだから不意を突かれる
で、大抵の人はわかんなくてベトナムあたりを選んでしまう >>903
今は独自で活動してるおちゆうじを呼び戻すしかないな。
平沼の方はどうだろう。 全世代型の日本のポップスの走りは加山雄三、
日本型フォークの走りは荒木一郎
アメリカンフォークとポップスの影響を受けた学生音楽の走りがフォークル >>839
在チョンがどうのこうの書いてるのもいるし・・・
本当邪魔だし面倒くさい >>932
小室さんは香港だがでのビジネスの失敗でしょ
まあビジネスも広義の道楽かもだが
はしださんと無関係なレス失礼 >>889
ありがとうございます
作曲のリンド&リンダースは聞き覚えのある名前です
一番古い記憶のテレビ(たぶん日曜昼)に坂本スミ子と出てたと思う フォークルは凄いよね
とんでもない名曲だらけ
時代と共に忘れ去られるのかと思うと惜しいな スパイダース、モップス他GSは洋楽をそのまんまカバーしてたけど
ビートルズサウンドを研究していた加藤はテープの逆回転とかありきたりじゃない
コード進行を使ったりしてたね「オーブル街」「青年は荒野をめざす」とか
北山がボーカルの「百まで生きよう」はパロディで作曲してるね
https://www.youtube.com/watch?v=vAzaOZfgf0M >>948
スパイダースだってオリジナルはたくさんある 当時保育園児だったが「花嫁」のボーカルの姉ちゃんの声が凄く好きだったなあ
記憶にある最も古い曲が「花嫁」だ 加藤やメンバーだってステージではアメリカのフォークを歌ってるだろ
GSの洋楽のカバーもそういうもんだよ 加藤和彦の歌声をきいて
これだけのとんでもない
才能のある人が自殺してしまったんだと
愕然とする。やはり哀しい。
はしだのりひこは
ともあれ天寿を全うした。
やはり人の死は哀しい。
そして自分はやっぱり100歳までいきたい。 年代順で
前段階影響、坂本九、弘田三枝子、中尾ミエ、伊東ゆかり、藤木孝、ジェリー藤尾など
自作自演
1、加山雄三
2、荒木一郎
3、マイク真木、森山良子、ブロードサイドフォー
途中影響ーーーグループサウンズ
4、フォークル、大阪京都勢、吉田拓郎、加川良、エンケン、小室など
5、九州勢、五輪真弓、荒井由美(グループサウンズ追っかけ)、多数多過ぎw グループを作っては解散、作っては解散だったな
音楽の才能には恵まれたのに、人をまとめるのは苦手だったか
「風」を一夏中口ずさんで心の危機を乗り越えられたことに感謝 「風」はNHKのみんなの歌で流れてたので覚えてる。
子供番組では、
風雲ライオン丸
ふしぎ犬トントン 他にもあったかな?
70年代までの人という印象。
他にもあったかな? >>200
北山ラジオやイベント、コンサートで精神科医でもあって人脈も広いのに一回もはしだを呼ばないよな。
よっぽどはしだは嫌われていたのか あしたのジョーのアニメで
ジョーを慕うこどもたちが少年院に行こうとしてトロッコ乗りながら
花嫁を歌うシーンが好きだった 何のために
ザ・フォーク・クルセダーズ
作詞:北山 修、作曲:はしだのりひこ
http://www.dailymotion.com/video/x1163n4
完全にビートルズの
エリナー・リグビー
の影響でつくった曲だね。
ザ・フォーク・クルセダーズは3人とも突出して
才能あったんだね。 でも
最初から
北山修が生き残るだろうとおもっていた。
一番如才ないし人間関係作るのも巧いし。
加藤和彦がとてつもなく音楽的才能あったけど
不安定な感じは確かにした。
はしだのりひこは才能あったけど
加藤ほどのひきだしがなかったので長続きさせるのは
難しいだろうなとはおもっていた。
関西でどうしているんだろうとはおもっていた。
他人の人生なんだけどいろいろと考えてしまった。
この3人の人生はあまりにも対照的だ。 >>963
この人の歌はみんなで歌える歌声喫茶で歌われるようなフォークソングの最後だな。
真夜中のギターの様な形でフォークと歌謡曲が融合していって、花嫁の1971年はシモンズのデビューした年でもありこれが事実上のフォークの最後の頃。
学生運動や沖縄返還などこのあたりでお菊時代が変わり、天地真理などアイドル全盛期になり音楽もフォークからニューミュージックに切り替わっていった。 もう年末も近いですね
2017年墓銘録
神山 繁(俳優)、加茂公成(テニスプレーヤー)、松方弘樹(俳優)、藤村俊二(タレント)、時天空慶晃(元力士)、岡野俊一郎(元サッカー協会会長)、三浦朱門(小説家)、
中山美保(喜劇女優)、土屋嘉男(俳優)、松野莉奈(アイドル)、谷口ジロー(漫画家)、船村徹(作曲家)、鈴木清順(映画監督)、林京子(作家)、
ムッシュかまやつ(ミュージシャン)、渡瀬恒彦(俳優)、大岡信(詩人)、加川良(フォークシンガー)、京唄子(漫才師)、ペギー葉山(歌手)、渡部昇一(評論家)、
三代目・三遊亭圓歌(落語家)、阿部四郎(女子プロレスレフェリー)、佐田の山晋松(力士)、土門正夫(アナウンサー)、月丘夢路(女優)、北原じゅん(作曲家)、日下武史(俳優)、
与謝野馨(政治家)、杉本苑子(作家)、野際陽子(女優)、小林麻央(キャスター)、森慎二(プロ野球選手)、上田利治(プロ野球監督)、中嶋しゅう(俳優)、
砂川啓介(俳優)、日野原重明(医師)、平尾昌晃(作曲家)、山川啓介(作詞家)、倉嶋厚(気象予報士)、中島春雄(スーツアクター)、出光元(俳優)、
羽田孜(政治家)、谷口稜曄(反核運動家)、槐柳二(声優)、三條正人(「鶴岡雅義と東京ロマンチカ」ヴォーカル)、橋本力(俳優)、西室泰三(元東芝社長)、亀渕友香(ゴスペルシンガー)、
遠藤賢司(シンガーソングライター)、篠沢秀夫(学習院大学名誉教授)、中村鋭一(ラジオパーソナリティ)、鶴ひろみ(声優)、はしだのりひこ(ミュージシャン) 10数年前にフォークルが期間限定で再結成された時も参加していなかったね。
代わりに坂崎幸之助が参加していた。 風や花嫁は中学の頃音楽の副読本に載ってたな
1970年代の話だ >>971
あ、この人も亡くなってたのか、が多いな。 初めて買ったレコードが小学生の時に買った帰ってきたヨッパライだった ついこの間エンケンが亡くなったばかりなのに・・・
神様、あんたちょっと連れて行き過ぎだぞ!
悲しくてやりきれない >>942
地上波でやって欲しい
BSでしかやらなさそうだし はしださん、死んでしまったんか。
同志社大学。
風。
シューベルツ、クライマックス。
おかっぱ頭で低い背丈。
クルセダーズの
加藤和彦183センチ、北山修180センチと並ぶと、
155センチのはしださんは子どもだった。
だが、歌の巧さは天下一品、天性のもの。
ハウスハズバンド。
さらば、はしださん。
風。 フォークルの功績ってでかいよ。
あの時代にイムジン河歌うんだから政治的なメッセージでもハイセンスでインテリだわ。
平和、反権力ってのは岡林とか高田渡に代表されるフォークだけどGSってのは電子楽器は使っているがただの洋楽カブレの歌謡曲だからな。
それにインテリジェンスが加わっているのだからさ >>963
森田健作の「おれは男だ!」でも女子高生が花嫁を合唱するシーンがあった。 >>216
ハルマ「おじいちゃんは正しい」
白鵬「土俵に上げてやりたい」 はしだの実家、父親の職業は教会。
岡林も実家、父親の職業は教会。
はしだは同志社中学、同志社高校、同志社大学神学部。
北山修ジキルハイドは、京都府立医科大学。
加藤和彦の実家は京都の老舗の染物屋。
岡林信康はメンタームの近江兄弟社中、同志社大学神学部。
文化的な育ちだった。 あまりにもグループ結成→解散をやりすぎたのとかなり妬みやすい性格だったらしく
その影響ではしだの周囲から人間が去っていき80年代半ばには過去の人になってた。
クライマックスが藤沢ミエのボーカルで花嫁をヒットさせたのに
次曲からは藤沢をリードボーカルから外したりした。
杉田も苦々しい思い出が多いらしくコンサートにはしだを呼ぶ事はしなかった 確かに、クライマックス、シューベルツ、エンドレス
壊し屋はしだ
政界の小沢一郎と似たところはあった。 >>982
チータ主演の「ありがとう」でも佐良直美が「花嫁」を口ずさむシーンがあった >>985
「帰ってきたヨッバライ」の木魚は、どこから持ってきた? http://www.asahi.com/articles/ASKD25VR2KD2UCVL00D.html
過去が「ただ風が吹いているだけ」に はしださん哀悼
2017年12月2日20時44分
ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバーでフォーク歌手のはしだのりひこさんが亡くなり、
ともに歌った仲間らから追悼のコメントが寄せられた。
ザ・フォーク・クルセダーズの元メンバー、きたやまおさむさん(71)は
「(今年の)春に引っ張り出して京都でコンサートをやった時、一緒に作った曲「風」を歌った。
あの歌詞の通り過去が『ただ風が吹いているだけ』になって、寂しい。
長い闘病生活だったが、ノリちゃん、本当にお疲れさま。
あなたは素晴らしいメロディーメーカーだった。良い曲をありがとう」。
「はしだのりひことシューベルツ」の元メンバー、杉田二郎さん(71)は
「今年の4月に京都でのコンサートで車椅子状態ではありましたが、
共演させていただき、お元気なお姿に喜んでおりました。
突然の訃報(ふほう)に接し驚いております。
はしだのりひこさんにはアマチュア時代から大変お世話になり、
はしださんがいなければ、今の杉田二郎は存在しないぐらい、
いろんなことを教えていただきました。
まだまだフォークの世界で頑張っていただきたかったのに、残念です。
シューベルツの名曲『風』は現在も杉田がコンサートで歌っていますが、
今後も永遠に歌い続けていきたいと思います。
ご冥福をお祈りいたします」とコメントした。 >>438
はっぴぃえんどは日本語ロック論争の急先鋒だからよ。
内田裕也がのれば日本語にこだわる必要がないとはっぴぃえんどを批判したらしいが
はっぴぃえんど的にはGSは海外の模倣、フォークはリズムが物足りない
そこで電子楽器を使いつつ日本を生かした日本人の為の日本語ロックにこだわった。
フォークルは歌謡曲やフォークからまだ脱せられていなかったと俺はみている。 子供会の合唱で花嫁歌った
子供が歌う歌じゃねーよなw >>990
あれは加藤和彦が仏教だから。
加藤和彦は仏教系大学龍谷大学出身。 ニール・ヤングも72歳だけど
ますますお盛んで元気。
馬力が違うんだなぁ。。。 >>992
日本語ロック論争自体、中村とうようが作り出したもので
そんなものに実体はないという意見もあんだよ
つい先日も竹田和夫がラジオで「裕也さんは普段あんな事言ってない」と発言していた
あの手の文章を真に受けた桑田や佐野がそういう事に拘って創作をやった面はあるがな
全く影響受けてない人達もいる
あと松本隆の言う事は全て後付け >>992
単なる雑誌の企画
そんな論争は一般にはまったくなかった このスレッドは1000を超えました。
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