まず、主役の2人がいる。次に、彼らを取り巻く友人たちが3、4人いて、さらにその周囲に目玉のルーキーや全体を締めるベテランがいる。大体、メインの出演者はそんなところだ。MAX8人程度に収まる。

これ、かのアメリカのNASAが唱える組織学的にも、人間が一度に把握できる最適人数は「8人」であり、意外と理に適っているんですね。いわゆる「マジックナンバー・エイト」。視聴者が登場人物に感情移入できて、物語を楽しめる最適人数が8人なのだ。

だが、前述のように1990年代の終盤、気がつけば芸能プロダクションの発言力が増しており、ドラマの出演者が日に日に増えていった。とてもじゃないが、8人の枠に収まり切れないようになった。

そこで、作り手たちは、ラブストーリーに変わる、新たなドラマのフォーマットを探し始めたのだ。そして、多様なドラマを試すうちに行き着いたのが、群像劇をベースとする「お仕事ドラマ」だった。

中でも、刑事ドラマや医療ドラマが重宝された。なぜなら、その種のドラマなら、メインの登場人物が10人以上でも処理できるし、犯人役や患者役で、毎回のように新人や大物俳優を起用できるから。

そのお仕事路線は、あのドラマの大ヒットで、いよいよ決定的になる。

2001年1月クール。21世紀が幕を開けて最初の月9ドラマ『HERO』が放映された。主演は木村拓哉である。月9史上初めて「お仕事ドラマ」を前面に謳ったエポックメーキングな作品だった。

ドラマの舞台は、東京地検の城西支部である。そこには個性的な検事や、彼らをサポートする事務官らがおり、チームは日々、様々な難事件に遭遇しては、その真相を解き明かしていった。

同ドラマは初回から最終回まで、全話視聴率30%超えを達成した。これは日本の民放ドラマ史上、唯一の快挙である。そして同ドラマの成功は、日本の連ドラ界に大きな変革をもたらす。

即ち、これ以降、月9枠にとどまらず、連ドラ界全体に「お仕事ドラマ」が大流行するのだ――。

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