山田太一氏 脳出血で事実上の断筆宣言「もう原稿書けない」
2017.08.17 18:00

『男たちの旅路』『岸辺のアルバム』『ふぞろいの林檎たち』
──テレビ史に残る多くの名作ドラマを生み出してきた脚本家・山田太一氏。
久しく新作が発表されていないが、この間、自身に大きな変化があったという。
老年時代を題材とした作品も多い山田氏が、83歳になった今、自身の「老後」について初めて語った。

山田太一氏の自宅は、『岸辺のアルバム』(TBS・1977年放送)の舞台になった多摩川にほど近い、
神奈川県川崎市の閑静な住宅街にある。妻の和子さんと2人で暮らしているというが、最近は2階の仕事場ではなく、
1階のリビングで過ごすことが多くなったという山田氏。ゆっくりと噛みしめるように語り始めた。

「今はスムーズに言葉が出てこない状態です。一生懸命しゃべろうとはしているのですが……」

山田氏が病魔に襲われたのは今年1月。
自宅を出たところで倒れ、意識不明のまま救急車で搬送された。脳出血だった。

「倒れてから最初の3日間くらいは、まったく記憶がないんです。みんなビックリしたみたいですけど、
僕はまったく覚えていないからビックリしようがない(苦笑)」

和子さんによれば、それまでは病気知らずで、風邪もほとんどひいたことがなかったという。

「『病気になるのは、病気になりたい奴だ』って豪語していました(笑い)。
病院も大嫌いで、『病院に行くくらいだったら、俺は死ぬ』って言っていたくらい。
いまも定期的にリハビリに通わなければいけないのですが、『遠いし、行きたくない』なんて言うので、
困っちゃうんです」(和子さん)

退院したのは6月のことだ。言語機能は回復しつつあるが、脚本の執筆ができる状態ではないという。

「文字を書くにも簡単な手紙を書くのが精一杯で、すぐに疲れ果ててしまうんですよ。
今はテレビドラマを観る気力も湧かなくて、テレビは夜7時のNHKニュースを眺める程度ですね。
まだ右足も引きずっている状態ですから、『危ない』とひとりで散歩に出ることも許してもらえません。

40年も前に高齢者を題材とした作品を発表してきましたが、当時はまだ40代で、高齢者の悩みは想像でしか描けなかった。
僕は60歳を過ぎても老いを感じたことはほとんどありませんでしたが、今は死を身近に感じています。
社会的には“弱者”になったのかもしれません。こうして病気で身体の自由も利かなくなってみると、
思うところはたくさんあります」

(後略、全文はソースで)
NEWSポストセブン
http://www.news-postseven.com/archives/20170817_605250.html
「スムーズに言葉が出てこない」と語る山田太一氏
https://parts.news-postseven.com/picture/2017/08/yamada_taichi1.jpg