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米軍が殺害ソレイマニは大量殺人テロの親玉だった
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2022/04/14(木) 21:24:42.68ID:avkcIqD70
米軍が殺害、ソレイマニは大量殺人テロの親玉だった 「米国vsイラン」危機の深層
2020.1.6(月) 黒井 文太郎
米軍に殺害されたイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官(2018年7月資料写真、写真:Abaca/アフロ) (黒井 文太郎:軍事ジャーナリスト)
2020年1月3日、米軍の無人機がイラクの首都バグダッドにあるバグダッド国際空港を攻撃し、イラン革命防衛隊コッズ部隊のカセム・ソレイマニ司令官と、親イラン派民兵「人民動員隊」(PMF)のアブ・マフディ・ムハンディス副司令官を殺害した。
コッズ部隊はイラン革命防衛隊の特殊工作部隊で、主に海外での破壊工作を担当している。
PMFはそんなコッズ部隊の指揮下にあるイラクのシーア派民兵の集合体である。
ムハンディス副司令官は、その中でも最強硬派の「カタイブ・ヒズボラ」の司令官だ。
発端はイラクの「反イラン」デモ
カタイブ・ヒズボラは2019年12月27日にイラク北部・キルクークの米軍基地をロケット砲で攻撃して軍属の米国人1人を殺害するなど、イラク駐留米軍への攻撃を繰り返していた。
対する米軍は翌28日にカタイブ・ヒズボラの拠点を空爆。
それを受けて、同31日からは、在バグダッド米国大使館へのデモが発生。
デモ隊は大使館の壁を放火したり、大使館内への侵入を試みたりするほど激化したが、このデモもPMF支持者が動員されたものだ。
こうした事態に、米国のトランプ大統領は対応を迫られた。
米紙「ニューヨーク・タイムズ」によると、トランプ大統領は12月29日にエスパー国防長官らから複数のプランを提示されたが、31日に米国大使館がデモ隊に襲撃されたことに激怒し、民兵の拠点への爆撃以上の作戦の検討を指示。
最終的に1月2日夕刻、ソレイマニ司令官殺害の命令を下したという。
同紙によれば、ソレイマニ殺害計画はもともと、大統領の選択肢を増やす目的で、米国の国防当局がとりあえず含めていたものだったらしい。
ソレイマニ殺害はたしかに事件としては衝撃的だったが、当然、そこに至った経緯はある。なにもトランプ大統領が唐突に決めたわけではない。
まず、もともとは近年、イランがイラクでの影響力を拡大し、ほとんど「支配」するに至ってきたという背景があった。
サダム・フセイン打倒後にイラクの政権を握ったシーア派政権はもともとイランとの関係は深かったが、2014年から本格化したISとの戦いで、さらにイランの影響力が拡大した。
ISとの戦いにはイラク政府軍に加えてシーア派民兵が参戦している。
その民兵組織「人民動員隊」(PMF)はイラク革命防衛隊コッズ部隊の指導下にあった。その工作を指揮していたのがソレイマニ司令官である。
PMFはイラク政府の軍や治安部隊、警察に匹敵する勢力となり、IS敗走後のスンニ派地区で住民を虐待するなど、暴虐の限りを尽くした。
その勢いはさらに強まり、2016年11月には、ほとんどイランの傀儡と化していたイラク国会で、PMFはイラク政府の正規の部隊と認定された。
イラク政府もイランの強い影響下に置かれたが、同時に、ソレイマニ司令官はPMFを中心に強大な「支配権」を手に入れていた。
その後、2017年7月にモスルが奪還されると、2018年から2019年にかけてISは壊滅。イランのイラクでの影響力はますます強化された。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/58843
JBpress (ジェイビープレス)
https://jbpress.ismedia.jp/
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2022/04/14(木) 21:34:57.59ID:avkcIqD70
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アフガニスタン戦争と歴史をわかりやすく|なぜ米軍撤退?タリバンとは?
2021年8月15日
アフガニスタンでは、タリバン勢力が勢いを増しています。
そんなアフガニスタンはどういった歴史を歩んできたのでしょうか。また、アメリカはなぜアフガニスタンに侵攻して撤退を決めたのでしょうか。
簡単にわかりやすく説明します。
アフガニスタンの簡単な近代の歴史
アフガニスタンは18世紀に独立をしましたが、イギリスとロシアの勢力争いに巻き込まれてイギリスの保護国になります。
そして、1919年に独立をしましたが、今度はロシア(当時はソ連)の影響で共産主義政権ができていました。
ここから第二次世界大戦後の1979年にソ連軍の介入によって現在に到る混乱の歴史を辿ります。
ソ連のアフガニスタン侵攻
1979年にソ連はアフガニスタンに侵攻します。
1978年にアフガニスタンで共産党政権が樹立されましたが、これに対してイスラム法学者などが「伝統の破壊」を理由に反発します。このイスラム勢力に対処するために、ソ連が侵攻しました。
この時に、アフガニスタンから隣国のパキスタンやイランに難民が発生しました。
そして、1989年にソ連軍はイスラム勢力を抑えられずに全軍を撤退することになります。
ソ連不在でアフガニスタン内戦
ソ連という外敵が消えたことによって、アフガニスタン国内で争いが起こるようになります。これがアフガニスタン内戦です。
隣国のパキスタンなどの介入があって、タリバン(ターリバーン)勢力が力を握るようになります。
アメリカのアフガニスタン侵攻から撤退まで
2001年の同時多発テロが発生してから、アメリカはタリバン政権に事件の首謀者であるアルカイダのウサーマ・ビン・ラーディンの身柄の引き渡しを要求します。
しかし、タリバン政権はこれを拒否するのでした。
そして、2001年にアメリカはアフガニスタンに侵攻します。そして、首都のカブールを奪還してアメリカの監視のもとで暫定政権が発足しました。一方のタリバンは勢力を後退させますが、残党はまだ過激な活動を続けていました。
ちなみに、このブッシュ政権下のアフガニスタン侵攻や2003年のイラク戦争で、アメリカ軍がイスラム社会におけるタブーを続々と犯してしまったため、アメリカはイスラム社会から憎悪の対象になっていました。
その後、2008年にアメリカでオバマ政権が発足しますが、彼は選挙中にアフガニスタンから米軍を撤退させることを表明していました。しかし、結局戦争を終わらせることはできませんでした。
それから2017年にトランプ政権が誕生します。そして、2020年にはタリバンと和平合意を結んで2021年5月1日までに完全撤退を宣言します。
2021年にバイデン政権に変わり、アフガニスタンに駐留する米軍を9月11日までに完全撤退させることを表明しました。
なぜアフガニスタンから米軍は撤退するのか
米軍がアフガニスタンから撤退する理由は以下の通りです。

アメリカの死者、負傷者数の増加
アフガニスタンの民間人の死者を出した
アメリカの戦争費用の増加
アメリカは、ピーク時に9万人をアフガニスタンに派遣して、米軍の死者は約2430人、負傷者は2万2000人余りを出しました。
また、アフガニスタンの民間人の死者数は10万人を超えています。誤爆などの犠牲になりました。
そして、アメリカの戦争費用は7700億ドル(約88兆円)と発表しています。しかし、障害を負ってしまった兵士の治療費などを含めるとまだ3倍に膨らむとも言われています。
https://news-japan.tokyo/afghanistan-war/
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