続・嫁がウザ可愛いくて死ぬ
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>>192
お気遣い感謝します。
>>193
飽きますよねw ごめんなさい! 詳しい結果が出るまでは、嫁の職場へ挨拶に行ったり、映画を見に行ったり脱毛した時の為の帽子を買ったり、美容院へ髪をバッサリ切りに行ったりとなんだかんだ毎日忙しく過ごしていた。
嫁が脱毛した時に、人からの視線を嫁に集中させないように俺も坊主頭にした。
嫁の母からは「そんなのとまでしなくていいのに〜」と言われたけど、この坊主頭にするという行為は俺にとって一緒に戦っていく決意表明みたいなものだった。 そしていよいよ詳しい結果「がんの顔つき」がわかる日が来た。
おそらく今日から抗がん剤の治療が始まるだろうということで、日記をつけることを提案してみた。
なるべく病状とかその時の気持ちなんかも把握しておきたいという気持ちがあったからだ。
病院の前に日記帳を買いに行った。
『今日は買い物行ったら何買うの〜?』
「えーっとね、ノートとすみっコちゃんと、おやつ!」
『笑笑 おやつ、食べられるかなぁ?』
「食べてもいいんだよ!頑張った人は」
「あ、気持ち悪くならないかってこと?」
『そう』
「大丈夫だよ、きっと。だって食べたいもん!」
『笑笑 そうだね笑』
今日から抗がん剤の治療が始まるとは思えないくらいのんきなことを言う嫁と買い物を済ませ病院へ向かった。 病院に着いて受付を済ませてから嫁に喉は乾いてないか聞くと「今はいらない…」と返事が帰ってきた。
こないだの検査の結果を聞いた時程ではないけど、少し緊張しているようだった。
いつも外に出るとすぐ喉乾いた〜ジュース買って〜というのに、今日は全くねだってこない。
「お茶大丈夫?」と再度確認すると
ストロー付きのが飲みたいけど自販機には売ってないからとのことだってので、売店まで買いに走った。 「あれ?ストローのじゃない……。」
嫁がコンビニの袋を覗き込みながら不満げに呟いた。
『?ストロー?あるよ?』
「そーじゃなくて笑 パックのストローのお茶が飲みたかった…!」
『いーの、これで。飲めるでしょ。』
「じゃあさ。これからは、フタができるストローが付いたやつがいるね!」
『なにそれ。そんなのあるの?』
「うん!あるの!」
『いーりーまーせん。ほら、飲みな。』
「ケチ……。ハゲ…。」
そう言いながら、お茶を一口飲んだ。
そんなことをしていたら、待合にも徐々に人が増えきた。 嫁は落ち着かない様子で両手を握って額に擦り付けてなにやら拝んでいた。
『今日は大丈夫だよ』
と声をかけてもずっと拝み続けていた。
中待合に入ると、こないだカウンセリングをしてくれた看護師さんが向こうの方からやってくるのが見えた。
「あっ!あの人だ。声かけた方がいいかな…?」
『そうだね。こないだはすみませんでしたって声かけてみる?』
そう言うと嫁は看護師さんの顔を見ながら軽く会釈をした。
そしたら向こうも嫁に気づいて「あっ!」と声をあげてから、優しく笑い会釈をしてくれた。
「こないだはすみませんでした。」
『いいのよ、いいのよ〜!全部私にぶつけてくれて!』
笑いながら手を降ってナースステーションの方へ歩いて行った。
「ちゃんとごめんなさい言えた。」
『ん、えらかったね。』
「あの人も嬉しかったかなぁ?」
『そうだねぇ。全部吐き出してもらうのがあの人達の仕事だからね。』
それからしばらく経った頃、嫁の番がきた。 中に入ると先生が笑顔で迎えてくれた。
『こんにちは〜。どうぞそちらへお荷物置いてくださいね〜。あっ、髪切りました?さっぱりと〜!』
『さて、嫁さんのデータ届きました。がんの顔つきですが……』
そう言いながら、ゆっくりとパソコンの画面をクリックする。
ついにがんの顔つきが分かる。
『がんの顔つきは……1〜3まである中の2。真ん中ね。』
「真ん中……」
『そう。よくあるタイプ。』
『進行度は……<の下に=があったから、やや速い?かな。』
『嫁さんのがんの種類は……ルミナルAとBの間。この辺…かな?』
と、紙に書いて丁寧に教えてくれた。 『なので、ホルモン治療もできます。それで……こないだお話した治験の治療が受けられなくなっちゃったんだけど……ごめんなさい。』
実は前回の診察の時に治験を受けてみないかと薦められていて、その時、治験の知識が全くと言っていい程なく、嫁は人様のお役に立てるなら是非…!と言っていたのだが、治験を受けるまでにまた検査をして治療が1ヶ月先延ばしになること、1ヶ月待っても必ずしも治験を受けられるとは限らない、受けられたとしても新薬を投与されるグループに入れるとは限らないということ、まず、1ヶ月治療が先延ばしになることに俺と嫁の両親が大反対していたので、ちょうど良かったと言えば良かった。 「実は治験のお話、お断りするつもりでしたので、大丈夫です。」
嫁がそう言うと、先生は少しホッとしたようだった。
『そうでしたか。では、これから抗がん剤の治療を進めて行きますが……いつからにしますか?』
「今日からとかでも大丈夫ですか…?」
『大丈夫ですよ!早い方がいいもんね。では今からお薬の準備とかがあるので、少しお待ちいただくことになりますが。』 『これからの抗がん剤のスケジュールですが、まずACという抗がん剤を3ヶ月。3週間に1回点滴します。その後に、パクリタキセルという抗がん剤を3ヶ月、毎週。来れる?これが無理ならドセタキセルという抗がん剤になるんだけど。こっちは3週間に1回。』
「毎週で大丈夫です。」
『大丈夫?で、抗がん剤の副作用なんだけど、まず最初にする方ね。必ず髪の毛は抜けちゃう……。あとは嘔吐と、白血球が下がってお熱が出ちゃうかもしれないの。でも、今はとっても良いお薬が出てるから、嘔吐もそれほどないと思うし、お熱が出ても薬を飲めば大丈夫だから。もし、不安なことがあればすぐに病院に電話してね。』
ゆっくり丁寧に確認するように話てくれた。 抗がん剤の治療を受ける前に薬の量を決める為、体重と身長を計り、看護師さんからの説明や話を聞いた。
『今から抗がん剤の治療を受ける前に、吐き気止めを飲んでもらわないといけないから、お水を買って少し待っててね。今から治療室まで案内するから。』 言われた通り水を買って待っていると、『さぁ、行きましょうか』と看護師さんがきた。
案内されている途中でも、嫁が安心するような言葉をたくさんかけてくれた。
『何かあったらなんでも話してね!頑張ってね!』
そう言いながら笑顔で手を振り、治療室を出て行った。
嫁も手を振り笑顔で見送った。
受付の看護師さんに『こちらは初めてですか?』と声をかけられた。
嫁は真っ直ぐ看護師さんを見て
「初めてです。これからよろしくお願いします!」と元気よく返事をした。
嫁も頑張ると決めたんだ…何があっても支えよう。そう心に誓った。 いつも保守ありがとうございます。なかなか更新できなくてごめんなさい……。実はまだ治療が続いていて、先週の金曜日にやっとキリがついたのですが、まだ副作用が酷く日にち薬で回復しているところです。 では、続きを書いていきます。
受付にファイルを出すと、
『これから治療を受けられる際に、ベッドとリクライニング付きの椅子、どちらにされますか?』
と看護師さんに聞かれた。
周りを見渡すと、通路を挟んでカーテンで仕切られたベッドの列と、低い壁で仕切られた椅子の個室とで分けられていた。
すぐ近くのベッドには年配の男性が横になっていて、ちょうど治療を受けている最中だった。
嫁が黙って考え込んでいると、
『同じ治療されている方は椅子で受けられる方が多いですよ。』
と教えてくれた。
「じゃあ…椅子で笑」
そう答えると、受付からすぐ近くの、大きな窓から太陽の光が差し込む明るいところに案内された。
白い大きな歯医者さんにあるようなリクライニングの椅子。
その前に小さなテーブルが備え付けてあり、テレビも置いてある。いたれりつくせりの環境だ。 ここに来るまでは、薄暗い病室でベッドに横になってじっと点滴が終わるのを想像していたものだから正直驚いた。
付き添いの人用のパイプ椅子もあり、ドアのない解放された満喫の個室のような居心地は悪くなさそうだ。
席に座るとまた別の看護師さんがやって来て、今から薬の準備をするので少し時間がかかること、治療が始まると外へは出られないこと、付き添いの人の出入りは自由で、飲食も可能。テレビを見るにはイヤホンがいることなどを説明してくれた。
「おやついいって!」
『んーでもまだどうなるかわからないからとりあえず飲み物だけにしとこう。イヤホンも買ってこようか?』
「えー……チョコがよかったぁ。イヤホンはいいや。」
『じゃあ、ちょっと行ってくるよ。』 買い物から戻って、買ってきたリンゴジュースを飲みながら話をしていると、看護師さんがやってきて『今日はどちらの腕とか決まっていないのですが、どちらが採りやすいとかありますか?』と聞いてきた。
嫁の腕は血管が出にくいようで、いつも看護師さんを苦戦させているらしく
「すみません、両方採りにくいみたいで……ちょっと見てもらってもいいですか?こないだもパンパンめっちゃ叩かれたんですけど……。」と、両腕を差し出していた。
『あー、そうですねぇ……。じゃあ、少し温めましょうか?』
と、腕にあったかいホッカイロのような物を乗せられた。
『そろそろ、よさそうですかね?では、準備しますね。』
「怖いねぇ…」
嫁は注射が大の苦手だ。 『そうですよね。怖いですよね。』
嫁の気持ちに寄り添いながら点滴の説明を始めた。
『まず、最初に吐き気止めの点滴を15分流します。その次にこの赤い点滴5分。その次にこちらの点滴を30分。最後に生理食塩水で血管のお薬を流して終わりです。』
『2番目と3番目のお薬が抗がん剤で、赤い点滴の時にまれに痛みや腫れが起こることがあるのですが、この間ずっと私がついてますので大丈夫ですからね。』
ゆっくり丁寧にわかりやすく説明してくれていたので嫁の不安も和らいだようだった。
点滴の針は手首の近くのところに刺されていた。
それはどうしてなのか嫁が聞くと、長い間、ずっとピンと腕を伸ばしていないといけないから、なるべく楽な姿勢で出来る場所を探してるとのことだった。
なるほど。と納得して、いよいよ点滴の瞬間がやってきた。
左手で今日買った小さいぬいぐるみを握りしめながら目をつぶり、針を刺す痛みに耐える嫁。
嫁がそーっと目を開けると、針は刺し終わった後で、腕にテープを貼ってくれていた。
「はぁ〜……」思わず安堵のため息が漏れる。
『お疲れ様でした。頑張りましたね。すみっコぐらしも応援してくれていましたもんね。』
と看護師さんに言われ、ふと、嫁の左手を見ると原型がわからないくらいに握り潰されたすみっコちゃんがいた。
『私、あまり詳しくないんですが……』
と申し訳なさそうに看護師さんが言うので、
「ペンギンです。こんにちは。」
とお辞儀をさせて挨拶をするように嫁が動かせて見せていた。
俺も看護師さんも笑って和やかな雰囲気になった。 『吐き気止めの点滴の時に気分が悪くなる方がいらっしゃるみたいなので何かあれば声かけてくださいね。』
「あ……そう言われてみればなんか……」
『あっ……まだ……お薬入ってないですね〜笑』
「笑笑」
『頭にも点滴刺してもらえ!笑』
そんな冗談も言いながら、看護師さんもいなくなり、嫁と二人きりになった時に
『ここにいるとさ、自分だけが不幸じゃないって思えるね。』
と嫁に言うと、
「そうだね」
と、窓の外を見ながら静かに嫁が言った。 同級か子宮ガンで余命半年って言われてのを2年生きて
この8月に亡くなったと聞かされた自分にはタイムリー。よく頑張ったと思う。
そんな自分もガンではないけど、何かあれば死ぬ病気だけどね。
一歩間違えば、8月に死んでたかも。 >>220
ありがとうございます。無事で良かったと思ってくれる人が一人でもいてくれることが嬉しいです。 >>221
同級生がお亡くなりになったとのこと、心中お察しします。いつ何が起こるかわからないですよね。自分達もそんな年齢なんだと実感しました。
何かあれば死ぬ病気というのも爆弾を抱えているようですよね。今、生きてこうしてここにコメントしてくださったこと自分も嬉しく思います。良かった……。ありがとうございます。 保守ありがとうございます。
抗がん剤の服用が終わって1週間経ち、嫁も少しづつ元気に動けるようになってきました。
昨日洗った掛け布団のシーツがまだ掛けていなくて
「あ〜シーツかけるのめんどくさいなぁ……」
とソファーに寝転びながら言う嫁。
『シーツかかってなくても寝れるでしょ』
「ん〜でもシーツかかってる方がサラサラで気持ちいいから…あっ!!そういえば今日旦那くんのお布団干したんだった!!ずっと干してあるわ!」
『え!?笑』
慌てて外を見に行くとすっかり冷たくなった布団が干してあった。
『ご注文の冷やし布団はこちらですか?笑笑笑笑』って言いながら嫁に布団をかけたらキャッキャッとはしゃいで
「なーんで嫁ちゃんにかけるんだよ!!お前がこれで寝るんだろ!」
冷やし布団の押し付け合いw 仕方ないからそのままシーツを一緒にかけることにしたんだけど
『ん?この紐なに?布団と結ぶの?』
「糸を繋げることも結び……人を繋げることも結び……あんた?今、夢を見とるな?」
突然、君の名は。ごっこをする嫁。
ふざけまくってなかなか進まないw
さぁ!できたと思ったら布団が中でクロスしてるし……。
「なんでやねん!笑笑笑笑」
『いやこっちのセリフだし!笑 ちゃんとやれよ!』
「あんな、うち今までこれ2人分を1人でやっててんやんかぁ。せやからあんた1人でやってみ。頭つこて。」
謎の関西弁……。
こっちが1人で悪戦苦闘してると
「犬ちゃんも中に入り。ほれ、中に入り。一生出てこれへんで。ここ入ったら一生出てこれへんで。ここ。ファスナー閉めたらなもう一生ママとパパに会えへんで。ゆーたら不時着よ。」
お座りして嫁の言うこと聞く犬と入れ入れやかましい嫁。
手伝えやwww 『ほら、もう一つやるぞ!この布団は紐掛けるとこついてないの?』
「……ついてるやん。」
『どこ?』
「角っちょについてるやん、三角みたいに。」
『あ〜あったあった!そっち側やれよw』
「そっちが布団ぐいって引っ張るさかいこっちがスルンてなってできひんやんかぁ。あんなぁうちなぁ……」
ゴチャゴチャうるせぇwww
『真ん中の結ぶとこある?』
「あるやん。探してみ。」
『え?え?』
「あるやん。こ!こ!こ!れ!……な?わかる?こ!れ!」
『やかましいわw』
「犬ちゃんはよ入り!こん中入り!」
しっぽフリフリする犬。
『はーやくファスナー閉めろよw そっちだぞ!』
「あんなうち急かされるの嫌いやねんか」
『はよw』
「半分までしたであとやって!もう知らん!」
そのままソファーにダイブしてなんかまだブツブツ言ってた。
『はい!出来上がり!』って布団ふわって敷布団にかけたら嫁に当たったらしく
「痛っ!いったぁ!なにするん?いったぁ。もうあかんわ、いったぁ。」
布団で痛いてどーゆーこと?w て思いながらそのまま無視しといた。
こんな感じで毎日過ごしてます。 また時間がある時に去年の闘病の様子も書いていきたいと思います。
それでは。 酷い聞き方して申し訳なかったと反省しております
嫁ちゃんが無事で良かった
生きていてくれてありがとう >>231
そう言ってもらえて嬉しいです。ありがとうございます。 >>234
大丈夫ですよ〜!いつも書いていますが、どんなコメントもありがたいです。こちらこそ思うように書き進めることが出来なくて申し訳ない気持ちでした。
「無事で良かった生きていてくれてありがとう」
そう思ってくださることが自分達夫婦にとって一番嬉しいことです。ありがとうございます。 ずっと来れなくてごめんなさい。続き書かないとと思いながらなかなか書けず……。もう簡潔に書いてこのスレ落とそうかなとも考えています。話落ち着いたらTwitterにでも書いていこうかなぁ。 抗がん剤の点滴をしてから約1週間が経った頃、幸い嫁は副作用も軽く済んでおり、普段通りの生活が送れていた。
嫁が受けている抗がん剤、AC療法(アドリアマイシン+エンドキサン)の主な副作用は
脱毛95%
吐き気・嘔吐35%
白血球減少・発熱75%
心毒性2%
一般的な抗がん剤の副作用のイメージは、やはり脱毛だろう。
そして、吐き気・嘔吐。
あとは、意外と知られていない味覚障害と便秘。
ここら辺の副作用はやはり必ずなるものとして、ある程度の覚悟はできていた。
が、今は良い薬があり、吐き気と嘔吐の副作用に効く吐き気止めのおかげで、嫁の場合、少しムカムカする程度の気持ち悪さが2.3日続いただけで、前述の通り普段通り過ごせていた。
たまに激しい下痢になることもありぐったりすることもあったけれど他の人と比べると軽い方だったと思う。 副作用による脱毛が始まるのが、抗がん剤を投与してから14日目頃らしく、いくらボブからショートにしたとはいえ、自分の髪の毛が大量に抜けていく様を見るのはさすがの嫁も耐えられないと思い、バリカンで断髪式をすることにした。
最初はいつにするかなかなか踏ん切りがつかない感じだったけど、いざ坊主頭にしたらスッキリして吹っ切れたように見えた。
それから徐々に抜け落ちていく嫁の髪の毛を見る度に、抗がん剤の恐ろしさとやっぱり嫁はがんなんだという現実を思い知らされた。 抜けた髪の毛を呆然とただ見つめていたり、髪の毛を気にしている時はなるべく気を逸らすように、俺が掃除をしたりその姿も可愛いと褒めるようにしていた。
どんな姿になろうと嫁は嫁だし、こうして今生きてくれているだけでありがたくて、一日一日一緒に過ごせることが幸せだった。
今まで当たり前のように過ごしていた日々が当たり前ではなくなった。
告知されてからは嫁の傍に一緒についててやりたくてしばらく仕事も休んでほとんどの家事は俺がやっていた。 料理もするようになった。
今まで全くやったことがないとまでは言わないけど、毎日献立を考えて仕事から帰ってきて夕飯を作るということは決して容易いことではなかった。
切り方炒め方、全てにおいて手際が悪く、なにより味覚障害のある嫁の口に合うもの作るのは大変だった。
「嫁ちゃん毎日やってたんだよ〜ちょっとすごいなぁって思ったでしょ〜w」
嫁は笑ってからかってきたけど、この言葉は俺の胸にグサッと突き刺さった。
(今まで俺は……なんであんなに偉そうにしていたんだろう)
(仕事で疲れたからって一日寝て買い物も嫁一人に行かせて……)
(仕事してるからって…仕事してたら偉いのかよ。)
俺はとんたバカヤロウだ。 それでも嫁はあの時の俺を責めたり怒ったりすることはなく、今やっていることをとても感謝してくれた。
「嫁ちゃんがんになってよかったなぁ〜」
『ん?なんだよ?俺は変わってやりたいよ……。』
「だってさぁ、旦那くんお料理してくれるようになったし、お母さんも家に来てくれるし、毎日楽しい!」
「旦那くんでもお母さんでもお父さんでもお姉ちゃんでもなく、嫁ちゃんでよかった。」
「嫁ちゃんがなったことにはきっと意味があるから。嫁ちゃんじゃなきゃみんな耐えられないと思うよ。」
そう言って嫁は笑った。
告知をされてから嫁が泣くことは無かった。
弱音も吐かず、ただ一日を生きる
その姿に俺も頑張らなくてはという気にさせられた。 ACという月1の抗がん剤が終了した後は、パクリタキセルという抗がん剤に変わった。
この抗がん剤は週1で通院することになり、通院の日は仕事を休んで付き添うことにした。
前の抗がん剤と違い、投与時間も2時間と長いため俺は本を、嫁はおやつを持って通院していた。
通院とはいえ、毎週のこの時間を俺は気に入っていた。嫁もそうだったと思う。
注射嫌いの嫁にとって針を刺す瞬間はやはり憂鬱なようだったけど、病院の前日は「明日のおやつ何にしようかなぁ〜」と、まるで遠足に行くような感じでおやつを選んで楽しみにしていた。 嫁が通っていた病院の看護師さんはみんな優しく全員が声をかけてくれるので嫁もリラックスして楽しくお喋りをしながら過ごしていた。
嫁は脱毛してからウィッグはつけておらず、帽子を被ったりバンダナを頭に巻いていた。
女性では珍しい方かもしれないけど、ここではそれを否定されることもなく嫁のバンダナを褒めてくれていたし、嫁自身も髪の毛がないことを恥じることもなく「このバンダナお気に入りなんです〜」と無邪気に話に花を咲かせていた。 こうして、たくさんの人の優しさに支えられて
週1の抗がん剤も無事に終了し手術前の検査までこぎつけた。 俺のカーチャンもバンダナ派だぜ
便秘って副作用なんだな知らなかった すっかりご無沙汰していてすみません。なんか書き込みなかった…。こちらはみんな元気にしています。
抗がん剤の服用が終わって1ヶ月以上経ちますが、だいぶ薬も抜けて来て以前のように動けるようになってきました。
俺が仕事で遅い日は、一人で自転車に乗って買い物へ行って夕飯を作って待っていてくれます。 年明けに、術後一年の検査があるようで、その検査で異常がなねれば経過観察に入ります。
みなさま応援ありがとうございました。 >>255
お母様もバンダナ派だったんですね。そうのんですよ。自分もドラマやなんかで見たイメージでしかなくて、吐いたり髪の毛抜ける〜くらいしか知らなかったのですが、いろんな副作用があるみたいですね。個人差もあるようなのでお母様は便秘の症状は出てなかったのかもしれません。 お疲れ様でした
スレタイがオチではなかったようで何よりです
いつまでもステキな夫婦でいてくださいね ウチの嫁も身悶えするくらい可愛い
体重が10年で1.8倍になった今でも可愛い
でも、そろそろ人間ドックに入れて健康状態を確認しないと・・・ヤバいかも 嫁ちゃん頑張れ
わんこと>>1ちゃんと楽しい日々が待ってるぞ ご無沙汰しています。保守や励ましのコメントありがとうございます。嫁ががんになってから2回目の年越しです。去年は手術が控えていましたが、今年は治療も終わり元気に年を越せて嬉しいです。
今朝、犬の散歩に行った時に嫁に
「今年お世話になった人に俺言うね。」と、トントンと肩を叩かれて
「ありがとう!」とニコッと笑ってお礼を言われましたw
「1くんは誰かにお礼言ったりしないのかなぁ?チラッ」
と、催促されたのでドンッと強めに肩を叩いて(嫁よろけてたw)
「おぅっ!ありがとなっ!」
と言うと、「ふふっ」と嬉しそうに笑ってました。 このスレを立てた時に、終わりをどこまで書くか悩んだのですが、一応キリのいいところで手術するまでで完結ということにしたいと思います。
それでは、最後少し続き書いていきます。 術前の検査の結果は心電図も肺機能の方も血液検査も全部異常なしだった。
超音波の方も、前回は厚みもあって胸いっぱいで、機械で測れないくらいだったしこりの厚みも無くなって機械で測れる範囲までに収まっているとのことだった。
そして何より驚いたのがPET検査の結果で、
前回は胸全体にがんがあったのな今回は全部なくなっていたのだ。
パソコンで前回検査した画像を見ると胸全体にサーモグラフィーのように色がついているが、今回の画像にはそれが全くない。 がんが画像ではなくなっていてもまだ今は手術しなくてもいいですよということはできないらしく、予定通り全摘とリンパ節切除の手術は行うと言われた。
嫁もそのつもりだったようで、わかりましたと返事をしていた。
俺たちは手術することを『生きるための選択』と言っていた。
胸がなくなっても命さえあれば……。
嫁さえ生きていてくれれば。
助けたい。助かってほしい。生きて欲しい。
その一心でここまでやってきた。
がんが小さくなってほとんど消えていたと聞いて、今までの治療で嫁が頑張ってきたことは無駄ではなかったんだと嬉しく思った。 そして入院当日
朝食は、抗がん剤の治療中によく作っていた嫁のお気に入りのピザトーストを焼いてやった。
どんなに食欲がない時も美味しそうに食べていた元気が出るごはんだ。
家を出る前に入院グッズの確認をしてから、嫁は犬を抱っこして耳元でなにやら内緒話をしていた。
いつものように車に乗り込み、病院へと向かった。
しばらく離れ離れの生活。
結婚してからこんなに離れて暮らすのははじめてだった。 病院に着くと、入院受付には何人か待っていた。
もうこの頃には新型コロナウィルスが流行りはじめていて、受付では渡航歴を聞かれ、体温も計らされた。
でもまだ面会ができないほどではなかった。
入院手続きが済んで病室へ行ってからは、看護師さんが入れ替わり立ち代り入ってきて、フロアの説明やら、血液検査、手術の説明、麻酔の説明、術後のリハビリの説明、手術する箇所の確認や印をつけるなど、やることがいっぱいでなかなか忙しかった。 麻酔の説明を聞いてから嫁は、
そのまま起きて来なかった人はいるのかということが気になったらしく、しつこく先生に聞いて先生を困らせていた。
麻酔をしてる最中は人工呼吸器をつけるらしく、
その時に口を開くので稀に顎が外れる方もいると先生が言うと
「顎……外れたらどうなりますか、はめてもらえますか……」
と、すごく怯えてずっと顎の心配をしていた。
後でわざわざ主治医の先生が
『顎、大丈夫ですからね。明日はよろしくお願いします。』
と挨拶に来てくれて、嫁も少し安心したようだった。 そしていよいよ手術当日。
手術は朝一の手術だった。
手術前日の夜22時以降から翌日の朝まで絶食なんだけど、
嫁はこの話をされた時に、手術が怖いとか術後の痛みとかよりも、ごはんが食べられないことを心配していた。
これには先生も笑っていた。 いよいよ手術の時間がやってきた。
担当する看護師さんが呼びに来てくれて、手術室までは歩いて行く。
なんとなくドラマとかで見たイメージだと、ストレッチャーで運ばれて行くのかと思っていたから嫁も俺も少しビックリした。
付き添いの人も手術室の前までは一緒に行っていいとのことだったので、着いて行くことにした。
手術室の前まで来ると、他にも手術を受ける人とその家族の人達がいた。
『付き添いの方はここまでになります。』
看護師さんにそう言われると嫁は振り返って俺に抱きついてきた。
周りにいた手術を受ける人達が「あらぁ〜」といった感じで、微笑ましくこちらを見ていた。
『頑張ってな。大丈夫だからな。』
しばらく抱きついたまま黙って、それからスっと離れて笑顔でピースして手術へ向かって行った。
その後ろ姿をしばらく見送っていた。 手術が始まってすぐくらいに嫁の両親も病院へ到着した。
3人揃って病室で手術が終わるのを待った。
待っている間の時間はとてつもなく長く感じた。
いろんな話をする中で、嫁のお母さんが俺にしみじみとお礼を言ってくれた。
「1くん…本当にありがとうね。1くんには感謝しかないわ。今まで苦労かけたね。」
『家族として当たり前のことをしてるだけですから』
今までのことを思い返すと、嫁ががんと告知されてから、辛いとかしんといとかは思ったことなかったな。
毎日を一生懸命生きる嫁を支えることに必死で、今まで過ごしてきた元気だった日々よりも濃くて楽しい日々だったと思えた。 予定通り4時間の手術が終わり、主治医の先生に呼ばれ手術の報告を聞いた。
手術は予定通りの時間で終わったこと
がんは全て取り除けたこと
嫁の両親には今までの治療の経過なども話していた。
その後しばらくして嫁がベッドで運ばれて病室へ戻ってきた。
口には酸素マスクがついていた。
『よく頑張ったな』
と声をかけると、嫁は苦しそうに小さく頷いた。
起きてはいるけど、まだ意識は朦朧としていてハッキリ喋れない状態だ。
痛々しい姿を見たら泣けてきて、嫁の両親に
『ちょっとお世話になった看護師さんに挨拶してきます!』
と言い、病室を出てから一人で泣いた。
そして嫁にまた改めてラインをした。
『本当によく頑張ったね。頑張ってくれてありがとうね。』
そして、直接よめ すみません、最後誤字ありましたがw これで一応スレとしては終わります。
皆さん、長い間ご支援ありがとうございました!
もう既にまとめに載せていただいて嬉しいです。
2021年は皆さまにとっても良い年になりますように! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています