暇だから自分語りする
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文章書くの上手くないし書き溜めとかしてないから細々とやっていくよ 27年前比較的珍しい苗字の家の二人目の子として産まれ、苗字を訂正し続ける人生が始まった
苗字に反して実に平凡な名前をつけてくれた両親に今ではとても感謝している 産まれた時点で父親は30代後半、母親は30代前半と時代をやや先取りした両親である
一人目は2歳上の姉で小さい頃はよく遊んでもらってたからかお姉ちゃん子だった >>14
そうかそういう理解もあるんだな
分かりにくくて申し訳ない
別に難読な苗字じゃないけど初対面ではほぼ間違われるから訂正しまくりなんだ 5ちゃんの自分語りしてる人に比べると何でもない平凡な人生だと思う
よく言えば恵まれてるけど悪く言えば無味乾燥 子供が2学年差というのは結構定番だからか姉が幼稚園に入ると姉の友達の下の兄弟と遊ぶようになり皆で同じ幼稚園に入った 5歳になる少し前に叔父さんが死んだ
死因は胃癌だったらしい
当時は死という概念を理解していなかったから状況が全く分かってなかった
葬儀では空気を読んで静かにしていただけである そんなこんなありつつも小学校に入学
幼稚園からの友達も多くが同じ小学校に来たため特に友達に困ることもなく順調に小学生時代を過ごす 忘れてたけど高校まで東京にいた
後から親に言われたけど中学受験のために都心の方にある小学校に通うプランもあったらしい
どちらが良かったかは今でも分からない 習い事は英会話と書道と水泳と空手をやっていた
後は進研ゼミを小5くらいまで
空手以外は何だかんだ今でも何かしらの役に立っているからやっておくもんだと思ってる 今思えばピアノはやっておけば良かった
親に言われて練習してみたけど即挫折した
後は何かしら球技もやればよかった
今でも球技は壊滅的にできない 小学校も4年くらいになると気になる女の子くらいはできた
できたけど5年の時に転校していった
勉強は得意な方だった
だから親に勉強しろと言われるのが理解できなかった 4年生くらいまではゲームをして順調に視力を下げ続け5年生辺りでゲームに飽きて友達と外で遊ぶようになった
運動能力そのものはそんなに悪い方では無いからか外で走り回ってた頃はリレーの選手になったこともあった ちなみに身長は毎年5cmずつ伸びていたが周りも同じかそれ以上に伸びたためずっと小さかった 今では考えられないけど当時はテレビのモノマネとかしてギャグ要員もできた
当時の自分は我ながら小さくて高性能だったと思う
告白されたような気もするけど有耶無耶のまま終わった しかし当時ヒエラルキーの頂点にいた野球少年達としては当然面白くない
出る杭は打たれた
とは言え酷くはなかった
ちょっとムカつく程度でイジメにも満たないレベル
しかしそれから大人しくするようになった
現在の自分の人格はこの辺りから形成され始めた ここで10レスぶりに姉が登場する
小学校中学年くらいから外ではあまり接触しなくなっていた姉は中学に入ってから凄まじい影響力を発揮してきた
この姉のせいでクソみてーな中学生活を送る羽目になったと言ってもいい 少し前に勉強は得意だったと書いたが姉は自分と違って非常に真面目だった
そして両親は東京の片隅に住むにしてはそれなりに優秀な学歴の持ち主である
そんな絵に描いたような秀才が普通の公立中学に入ればその弟が入るまでにその名を轟かせるのは必然だった あれだけ書いたけどさすがに都内でしかも地元では最大の中学だったから毎回1位ではなかった
でも4位以下は1回あるか無いかくらいの抜群の安定感だった
その弟の自分は入る前からハードル爆上がり そして入って最初の定期試験でラッキーパンチで1桁順位を取っちゃうもんだからもうそういう目でしか見られない
姉と違ってちゃらんぽらんのてきとう人間に育っていた自分はそれでもその期待に応えようとしてしまった 絶賛思春期で周囲の目が怖かった
言われるがままに生徒会役員に立候補して退くに退けなくて最終的に生徒会長になるという失態 定期試験はと言うと徐々に順位を下げていった
元々真面目じゃないので当然の帰結なのだが親にはあーだこーだ言われた
姉にできるんだからお前もできるだろみたいな んなこと言われても勉強したくないもんはしたくない
勉強するふりして父親が置いてた週刊誌の袋とじを見てた
今思えば父親は袋とじをめちゃくちゃ丁寧に開いてたな 中2最初の48位が最低順位でこの時は結構怒られた気がする
それ以降は10〜20位辺りをフラフラしてた
姉に比べれば物足りない成績だったのだろう
実際大して勉強してなかったし 部活は一応小学校時代水泳やってたこともあって水泳部に入部
選手コースのガチ勢に敵う訳もなかったのだが一応中2までは真面目に参加してた 生徒会は最初に担任に頼まれて立候補したら後は周りに会長やるんだろと思われ、実際に言われ自分でもやらなくちゃいけないような気になってた
親は多分内申のことを考えてたと思う 生徒会長になった後、何かの時に先生に「お前は肩書が欲しかっただけだろ」って怒られたことがあるけどこれはまぁ割と図星
肩書が欲しいというよりは周囲の反応が怖くて退くに退けなかっただけだけど言い換えると肩書があればそれで良かったから こうして本当はやりたくないけど表向きはやりたいことになってることを散々やりつつ受験生になった 高校受験には父親の意向が絡んでいた
30で書いたけど父親は大学受験をした人なら多分誰でも知ってる割と名のある大学を出ている
そして歴史とか伝統とかそういうのが大好きなのである 東京なんだから歴史と伝統のある高校なんざいくらでもあるけれど父親は国立を卒業しているため公立志向なのであった
だから父親は旧制府立一中に行かせたかった
現在は都立ナンバーワンのあの高校 姉は洒落にならないくらいの秀才だったため中3の秋までみっちり部活に打ち込みそこから勉強してあっさり合格
我が姉ながら大したもんである
当時は今程東大合格者出してなかったから難易度は低かったと思うけれど 一応カタログスペック上は同等なはずの自分はと言うと多少は勉強をして偏差値も上がったものの結構際どいラインだった
部活は3年の時は半分くらいしか行かなかった
成長が遅かったのもあって全然タイム伸びなかったし伸びたところで…というのも正直あった 結論から言うと第一志望の某都立は落ちた
勉強が足りなかったと言えばそれまでである
こうして半ば滑り止めだった某私立の男子校に入学し男まみれの高校生活が始まる ちなみに好きになりかけたり気になってた女子は大体引っ越して疎遠になったから大学入るまで異性関係は何もない
親が悪いとは思わないけれど見合い結婚だから恋愛方面はどっちも全然駄目なんだよな それはそれとして灰色の高校生活が始まった
見渡す限りの男
女は担任のおばさんだけ
それはそれで楽しいけどそんなのは負け惜しみである 当時は大したことなかったけど進学校を名乗っていた高校だったので中学受験組に合わせるために授業が超スピードで進んだ 部活はさすがに水泳をやる気は無かったのでマイナー競技を始めた
同じ種目をやってる部は自分含めて2人だけ 勉強は相変わらずてきとうだったけどそれなりに成績は良かった
2年で文理分けだったため文系を選んだ
親戚で弁護士の人がいて漠然と弁護士いいなーって思ってたのがその理由である
これが人生最大の間違いだと当時は気付かなかった ちなみに自分が灰色の高校生活を満喫している間に姉は猛勉強して国立大の医学部医学科にストレートで合格していった
例年なら落ちてる点数だったので現役合格は完全にラッキーなのは誰もが認めるところ
1浪したら多分合格したと思うけど1年儲けたな 高2で文系を選択し、父親の影響で国立志向になってしまったため国立選抜クラスに入ってしまう
高1の成績は文句なしに上位だったので選抜は余裕だった 高2は特に何もないまま灰色の高校生活を貪っていた
愚かなものである
部活ではちょこちょこ大会に出て高2の冬で引退した 受験生になるもののやる気は一向に出ない
志望校だけは無駄に高く設定していたので箸にも棒にもかからない
この頃になると完全に真面目の皮を脱ぎ定期試験の勉強など殆どしなかった 何故かセンター試験のためだけの地学はぶっちぎりのトップだった
あまりに点が良かったので先生に寝てていいとまで言われた
現代文も授業と試験問題がリンクしないのでトップクラスだった
他は平均程度の点だった 定期試験なんぞできなくても良かったが模試は頑張ってたためクラスでも上位だった
親もこの頃になると定期試験の結果には何も言わなくなっていた そんな感じでてきとうに手を抜きつつ入試本番
浪人覚悟で前期しか出願せず無事浪人ルートに突入
姉と比べるとクズさが際立つから困る 浪人したらさすがに少しは真面目になった
ちなみに塾は嫌いだったしお金もかかるので行かなかった
元々大して勉強してなかったため偏差値はそこそこ伸びた 浪人生は伸びないなんてのは嘘だなって思った
文系にも関わらず数学大好きだったので数学ばっかやってたら呆気なく全国上位の仲間入り
所詮は文系数学だしな 数学という超強力な武器を得たことで志望校合格が現実味を帯びてきた
どうしてもやる気にならなかった世界史はセンター後に詰め込むことにした その結果また落ちた
去年とは違い数点の差だったが不合格は不合格
もっと勉強していれば…と思ったしその年だけ数学が鬼難化して思う程点が伸びなかったので違う年なら…とも思ったけど2浪以上する価値は無いと思っていたので受験終了 結局父親と同じ大学に入るという蛙の子は蛙を体現することに
ちなみに私立は前日に赤本開いただけだけど最難関のところは開いた瞬間あ、これ無理って思った
これが1つ下の大学群になると全く落ちる気がしなかったため差はでかいなと思った こうして灰色の高校生活と暗黒の浪人生活が終わり鈍色の大学生活が始まった
ここに及んでまだ司法試験受ける気でいたため取りあえず勉強系のサークルに入り好スタートを切ることを目論む しかし親元を離れ一人暮らしを始めたのをいいことに出会い系に手を出す
20歳目前で童貞を卒業する
相手は30代のお姉さんでダイナマイトボディーの持ち主だった 一般教養は楽々終わり専門の勉強に入る
あまり勉強に身が入らないながらも順調に単位は取得していく
周りでは伊藤塾に魂を売る人続出 皆割と平気で100万突っ込んでてビビる
ちなみに同期で最速で司法試験に合格した人は独学だった
塾は宗教だなと改めて思う 非童貞となったことは周りに隠しつつ鈍色の大学生活を謳歌する
勉強は多少やってる感を出していた
途中フラグを立てつつもへし折っていく
そして大学3年の春に転機が訪れる ある日実家で弁護士の親戚と食事をしていた時にその勤務の実態を聞いた
要するに割に合わないとのことだった
その親戚も今では事務所を辞めて他のところで仕事をしている 当時司法修習生は貸与制で借金スタートだった
勉強しまくった挙句借金スタートでしかも割に合わない仕事…と思うとぬるま湯でふやけきっていた自分には無理だと悟った そこで自分は司法試験を諦めた
暫く将来を考えないまま就活の時期が来るもやりたいことなど無かった
バリバリの理系一家出身なので文系の仕事と言われてもイマイチピンと来なかった そもそも別に法律に特段の興味があった訳でもなくただ漠然となりたかっただけなのであった
そしてそのなりたい気持ちを失った時に法律を勉強する理由が無くなった 勉強はしたくない
正直興味も無いし働きたいとも思わない
かといって就職しないわけにもいかない
高校で文系を選んだことをこの時死ぬ程後悔した 大学4年で就活っぽいことをして公務員試験もいくつか受けたけど結局全滅したため新卒カードを残すために急遽休学し延長線に入った この頃に今の仕事を見つけて次年度の募集に応募した
他にも色々やったが最終的に採用されたのがここだけだった
正直やる気などほぼ感じられなかったと思うからそりゃそうだという気もする こうして5年に及ぶ鈍色の大学生活が終わった
結局勉強したことは全て投げ捨てたようなものである
当時は親には申し訳ないと思ったがそれよりも仕事見つかって良かったという安堵の方が大きかった 無事仕事の研修も終わり運良く関東に配属された
5年ぶりに関東に戻ることになった
この辺りでふと結婚について考えた 自分の家は曽祖父の代から男は1人しかいない
正確には叔父さんがいたが結婚する前に亡くなったため実質1人である
最初の方に書いたけど結構珍しい苗字で世帯数もそんなに多くない 自分に子供がいなければ多分苗字は消える
消えないかもしれないけど若い男性が何故かググっても出てこないため結構望みは薄い
ちなみに姉は多分結婚しない(できない) もしかしたら一族の命運を握ってるんじゃねってちょっと思ってしまった
最初は結婚するか…と思ったけどすぐに思い直した よく考えると結婚したからといって子宝に恵まれるとは限らない
仮に恵まれても全員女の子かもしれない
男の子が産まれても大人になるまで成長する保証はない
成長しても様々な理由で結婚しないかもしれない
結婚してもまた上と同じことが始まる
何より自分と同じ立場に立たなくてはならない 男の子2人いればちょっと違うかもしれない
それでも父親の代の男の子供は結局自分しかいない
まぁ婿養子という選択もあるけれど
何にせよもうどうにもならない可能性の方が高い めっちゃ読み応えあるな
文才ないなんて嘘でしょ
続き待ってます >>82
読んでる人いたんだな
ありがとう
仕事少しして家帰ってなんやかんやしてた
明日続き書く >>84
小説でも書いたことあるのかな?
読ませる文章書くなーと思った すまん仕事休みだと全然開かないな
少し続きを書いていく 考えた結果結婚してもしなくてもどっちでもいいという結論になった
ならもういっそ遊び人になろうと思った 子供はどちらでもいいとなると結婚する意味は正直無いと思った
てきとうに遊んでいる方が楽でいい
そう考えた自分は1人でクラブへ行った 1人では何もできないことを悟った
中には1人で動き回る猛者もいたがさすがに1回目では真似できなかった
というか何回行っても真似できる気がしなかった そこでメンタルを鍛えるために街コンに行くことにした
そして何回か行ったところで知り合ったのが妻である 妻はその場にいた中では2番目に可愛かった
しかし正直なところ別にタイプでは無かった
もっとも妻からしても自分はタイプでは無かったと思う 何故妻が自分に近付いたかというと単に年齢が最も近かったかららしい
だからこの時点では自分は勿論恐らく妻も付き合うなど微塵も考えてなかったと思う 妻とは街コンから2週間くらいで2回会って飲んだり遊んだりした
ラインは大体1日1往復くらいと軽い感じの関係だった
状況が変わったのは2回目に会って少ししてからのことだった 話の流れは忘れたがどこかで自分がディズニーシーに全然行ってないという話をしたらディズニーシーに行くことになったのである
さすがにこれは付き合うことを嫌でも意識した 開業した年に行って以来実に17年ぶりにディズニーシーに来た
そもそも舞浜駅で降りるのすら10年ぶりだったが…
灰色の高校生活と地方で鈍色の大学生活を送ったことが原因である デートはつつがなく終わった
正直ディズニーシーは記憶も曖昧だったのでエスコートなんて全くできなかったが
欲しそうにしてたステラルーのぬいぐるみをお土産買う別行動でこっそり買って帳尻合わせを図った 翌日はお互い休みだったので妻の家に泊まった
実はデートの前から決まっていたので余計に付き合うことを意識させられた
しかし家にお邪魔する前に居酒屋でこう言われた そろそろ寝ます
>>85
自分は失敗作ですよ
努力を放棄して楽してる出来損ないです
>>86
どちらかと言うと作文は苦手でした
読みにくくならないようにテンポはちょっと意識してます >>100
見合い結婚は親のことです
恐らく二人とも恋愛経験は無いと思われます 「私好き好き言われるとなんか引いちゃうんだよね」
冷静になればほーんってなるだけだが当時は飲んでたのもあって冷静じゃなかった
さてどうやって告白したものかと考えたまま家に行き何事もなく寝た ざっくり書くとね
34歳 前科持ち 高校中退 年金未納 免許ゴールド 職歴ほぼバイトだけ 163cm 53kg 化粧で加工しまくりスッピンドブス
料理できない 片付けまあまあ 洗濯は好き 気分屋 以上 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています