「武田信玄は偉大で跡継ぎの勝頼は凡庸」っていう世間の評価は実際正しいの? [902666507]
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「信玄は偉大で勝頼は凡庸」との評価は正しい?なぜ二人は「甲斐」に拠点を置き続けた?新府城に景徳院。甲斐武田終焉の地を本郷和人先生と歩いて見えてきたもの
https://fujinkoron.jp/articles/-/11456?display=full |
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\ 最近は信玄が無茶したお陰で勝頼が割食ったって評価の方が多いな 実際、二代目は無能、3代目は有能、ってパターン多いだろ 家康が信濃の田舎侍に大敗した汚点を糊塗するために偉大な戦国武将に祭り上げられただけと以前ここで見た 勝新の息子は勝頼役から始めれば
余計な嫉妬とか買わずに済んだのに
母ちゃんが歌舞伎の家の子だから
父ちゃんがやったような役をやらせたがった
のがあかんかったんよな。 歌舞伎のひとは
テレビもネットもない時代の
価値観のまま生きてんだよな。
スター俳優なんていないけれど
スターと呼ばれるという。 最大領土は勝頼だわ!
ちょっと長篠の戦いで1回だけ負けて重臣が皆殺しになっただけやで 信玄は親父の信虎を追い出したし
一代で全て気づいた訳では無い
ただ髪の毛のフワフワはかっこいい >>9
徳川家は三代目が完全に家康の埋蔵金使い果たしたぞw >>4
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',=== カップハゲ. ===,'
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ゝ.______ ノ それまで凡庸とされていた武将を名君として描くと
このドラマは分かってるなと通に喜ばれるのが
最近の流れ >>16
でも勝頼って信玄時代の重臣を大事にして合議制で戦略決めてたんだろ? 信長の子 → 凡人
秀吉の子 → 凡人
家康 → 優秀
なぜ? 信玄が手に入れる事のできなかった糸魚川の辺り領有したろ >>27
合議制にしないと家臣にコロコロされるからなw 歴史は知らないので難しいことはわからんが
能力より運がなかったって感じじゃないの
織田と同盟なんて無理だろうし誰がやってもあんま変わらなさそう むしろ武田晴信が周辺に不義理を重ねたせいで諏訪勝頼は難儀してる ここで海外ドラマのshogunスレ立って
「江戸初期にパン屋が存在して、そういう世界観に倣っている」みたいに
聞いた事無い話が雨後の竹の子みたいに出てくる程度だし。 武田の収入源だった金山は信玄の時に採掘しまくって勝頼の時には財政難。
潤沢な資金を持つ織田や北条には勝てないだろ。 配下が他勢力に靡いて従わないのを当主の責任といえばそうなるが信玄が滅茶苦茶したせいとも言える 北条と敵対
織田からの同盟要請を蹴る
凡庸と言ってもらえるだけでも喜ぶべき 信玄は平安時代に甲斐に土着した甲斐源氏の人で二代目どころじゃない 勝頼は継いだ時点で詰んでるがようやった
村上や長野にボコられてた信玄の評価がおかしい パン屋って確かに普通にありそうだよな。
煎餅とほぼ作り方一緒だろうし。 死に逃げって言葉がまさに当てはまるんだよな、信玄、謙信
コイツらが病死して信長的にはラッキーだったなんて言ってる奴多いが、実は全くの逆
信玄生存時で既にどうにもならんほど尾張と甲斐の国力差は開くばかりだったwwww
勝頼さん無能どころか信玄の遺した敗戦処理ターンをよくもちこたえさせた、と言える 昔のNHKの大河で信玄の正室が田舎料理を無茶苦茶不味そうに食ってたの思い出して笑った 信玄なぁ
甲相駿三国同盟裏切ったり
長男切腹させたり
なんやろ目先の事しか考えられん
アホの様な気がする
戦はそれなりに強かったけど
外交や後継者育成はまるきりダメという
結果やな
勝頼は外様、離反されまくり
不適格者と言う感じ
能力以前の無理ゲー
信玄の落とせなかった高天神を
攻略したり戦はそれなりに得意な
場面もあったがソレ以前の問題 織田軍による甲州征伐
追い込まれて、味方も離散していく、勝頼達の自害
動画を何本も見ちゃうよね
なんか落ち着いた気分になる 勝頼は後を継いだ時点で詰んだ状況だった
借金まみれだし信玄が不義理しまくって敵だらけ特に信長ブチギレさせてるのがヤバい
ついでに勝頼は代理扱いなので武田内でも諏訪様(笑)と馬鹿にされるので無理をしてでも結果を出すしかない
勝頼が上手く行かなかったのは信玄の呪いと言っても過言ではない
と思いきや勝頼の判斷を追うとやっぱダメだわコイツとなる 上杉謙信がいなければ織田のほうに攻めてこれたかもしれないけど
信長のご機嫌取りに騙されてしまった信玄さん たぶん天下人の器じゃない >>24
家光は家康の教えに反して散財したけど、参勤交代や大目付を整備したのも家光だし、
秀忠でさえ気を遣った御三家の権威を弱めて完全服従させたり、
幕藩体制を確立して長期政権を可能にしたと評価されてるから無能ではなかっただろ。 本筋の義信をちゃんと
跡取りにしとけばなぁ
クソみたいなマウントで長男切腹させるとか
イキリ屋で器がなかったわ
裏切り気質もあるし晴信は今一好きになれん >>10
投石って結構強力だからね
河原へ行けば簡単に手に入るし馬鹿には出来ない存在だったみたいね 勝頼も有能っていうのが一般的な評価だろ
信長の野望でも能力値高いじゃんよ
信玄がいい時期に死んだだけで、もう信玄でも織田の勢いには勝てなかったよ 信玄餅はあっても勝頼餅はなし
そういう事なんだろうな >>44
神君家康に唯一完勝した武将だし、無下にはできんよ
過大評価はされてるだろうけど
神君に勝った信玄、そしてその信玄と互角以上に戦った謙信が戦国の戦闘力最強になってる
後10年長生きしていたら、普通に信長、秀吉にボコられただろうけど 優秀も何も当時の武田の領地が終わってるので、誰が治めても似たような結果じゃないかな。
常に飢饉にあえぎ、日本住血吸虫症の猛威に悩まされてる現場だからな。 なんで武田氏の話を平山先生じゃなく本郷に聞くんだよ 今川義元が桶狭間で全ての評価されがちなように勝頼も長篠で全ての評価きめられてるからなぁ
実際にはどちらも(特に義元)凡庸とは程遠い優秀な総大将なんだが、大敗した時の相手が二人共あの信長な上その直後から家臣団バラバラ→御家滅亡コースなんでどうしても結果で見てしまうのよねぇ >>63
西行作戦で家康をボコボコフルボッコにしてる
正面からぶつかって勝てやしないよ 勝頼が何を目指してたのかがよく分からんのよな
そりゃまあ版図拡大だろうけど全方位敵相手にそれって無理じゃね?っていう
最初はその状況で織田も徳川も凹ってたから戦国最強ってのも肯けるんだけど >>57
叡山焼き討ちの後に叡山残党から位貰って喜んでた信玄と悪魔だの鬼だのボロカス言われても「へー、じゃワイ第六天魔王な」って流してみせた信長じゃ違い過ぎるわな
信玄は次の世が見えていない守旧派なんで、どう転んでも長続きはできなかった 外交の失敗が大きい。御館の乱で北条との同盟が破れたのが一番の原因。教訓として外交の失敗は致命的だ 調略とか抜きにした単純な戦争なら勝頼の方が上なイメージ >>77
古代中国の六韜三略だったかな
騎兵1対歩兵4だとさ
なお戦車だと
1対80 未来であんな乙女全開のラブレターを世間に拡散される信玄の気持ち考えたら勝頼も躊躇するよ 御館の乱の介入で北条家とは切れたけれど
なくても経済格差が広がりすぎて動員出来る
兵数に差がつきすぎた
徳川家単体にも負けそう >>77
ごめん
騎兵1対歩兵8だわ
そして騎兵1対戦車10 最新の研究では勝頼が負けた原因は織田家が武田家の物流ルート封鎖して鉄砲や弾薬が手に入らないようにしたせいらしいな。
武田家は鉄砲の時代であることを理解し調達を試みていたが織田家の経済封鎖により実現しなかった。
そうだとすると上杉や村上との戦に打開策を見出だせないまま時間を費やし海運を握れないまま死んだ信玄が悪いとも言える。
政治体制としても信長が専制君主なのに対し信玄はどちらかというと盟主。
だから信玄が死んで武田家の求心力が急速に落ちたわけで、主従関係を確立できなかった信玄の力不足とも言える。 >>88
武田は守護大名だから仕方なくね
ただ武田氏は清和源氏なので
血統、家格では織田より遥かに上
上洛を果たせば朝廷受けはぜんぜん上だったろ 信長がせめてきているのにまとまらないでいては滅ぶしかないだろ
諏訪氏とかそんなこと気にしている場合か 信玄を神格化する古参と二代目の勝頼にへりくだる新参の間で大変だったみたいだな >>37
信玄って親を追放して無理な外征重ねて国を傾けた2代目として煬帝と被るよな 信玄は国衆連合の神輿に過ぎなかったが父の信虎より内部調整に長けていた。
国衆はすぐ乗り換えるから新郎は相当なもので結局胃潰瘍からの胃がんで死んだ 武田騎馬隊とか織田の鉄砲三段撃ちとか、後世の創作らしいね。 戦国時代の農民(転職不可)に転生するとしたらどこの国がいい? >>94
信虎の中央集権化を家臣たちと阻んで追放しているんだから
その程度だったかもね 信玄が存命中に勝頼に代替りしてたら話しは違っただろうな >>88
甲斐や信濃は古くからその土地に土着している土豪勢力が強すぎたのが大きいな。勝頼に代替わりした直後に勝頼を信玄の時と変わらず盟主として仰ぐことを約した誓約書を配付しているぐらいだし。 >>89
朝廷は何百年も前に地方に下った名門とかどうでも良くてお金出してくれる武将が忠臣。
正親町天皇もお金いっぱい出してくれてた信長を真の忠臣とべた褒め、武田みたいな貧乏侍が来ても塩対応だったろう。 >>103
信玄が上洛を果たしたときは
美濃、尾張、三河は陥落してるだろ
故国と盟友失って信玄に対抗できるわけないわな
信長は敵も多すぎた >>57
この当時、天下を意識して行動していたのは織田信長と上杉謙信、そして今川義元の3人だけだった。
信玄は3人に比べて1つ格落ちする。 ししおむはめとけしれすやすろとちたてほもえそむいに がちでケトンが燃えだしたとか聞いたことあったの見たらガーシー寂しかったんだろうな
ゆまちグッズいいのは20万くらい余裕で想像できる 武田は山での戦争を得意として、信濃を征服後は美濃や越中を目指していた
沿岸平野部の佐竹や今川は強くて勝てないと見て、山間部の小大名だけを相手にしていたとも言える
戦争を始める前に、背後の勢力と同盟して後顧の憂いを断つのが当時の戦略で、
武田も北条と同盟していた。
ところが、遠交近攻の原則で、上杉と北条が同盟して武田が挟み撃ちにされた
武田は織田や佐竹との同盟を画策したが、間に合わなかった
遠交近攻戦略では内陸国が弱くて、背後のない沿岸国が強いからな
武田が美濃や越中に手を出さずに、
今川の混乱に乗じて駿河か遠江を分捕っていれば、歴史は違ったかもしれない
武田が遠江を得ていれば、その後に織田と北条との挟み撃ちで結局は敗れても、
遠江を徳川家康に取られるだけで済んで
甲斐と信濃の所領を安堵あるいは国替えで何処かに飛ばされるだけで済んで
滅亡には至らなかったかもしれない。
長篠の合戦の後に最大版図だったと言うけれども、やはり長篠の合戦に敗れて遠江獲得に失敗したのが岐路だったと思う >>79
秀忠「あーはいはい、ヤリ過ぎで梅毒で鼻が取れた兄上に比べれば浮気相手が1人だけの私なんぞ凡人ですよスイマセンね」 信玄が「勝頼はおっちょこちょい」て言って正式な跡継ぎにしてないだろ。老臣の言う事聞いて領国から出て戦うなと言われてんのに色んなとこ攻めて有頂天になって色々勝手な事やって滅びたから凡庸どころかアホだったんだよ。ただ猪突猛進の猛将だから足軽とかにしたら最適。 売り圧つお過ぎ(。>﹏<。)
家事手伝いという正式な女性専用職業がある奴が肉屋の豚になって
これがリバウンドになる可能性はある
SNSで色々チェックしてたな 宇「個人競技だから誰かを騙して良いから
朝食バイキングとか インバウンド盛り上がっているのだろうか?
その人達に精査してて
なんかやだ ガーシーの信者もガーシー暴露ネタあるらしいしどんどんガーシー追い込まれてるな >>106
他オタの力借りんなよ
サムネがブス岸と神宮寺の時だけ発揮されるからかなあ
https://i.imgur.com/TYWeoch.png センゴクでも本能寺が燃えるんじゃがでも勝頼は格好良かった 勝頼は信玄時代配下の名将を信長に何人も殺されまくったってほんと? >>119
センゴクの勝頼がどんな風味だったか
まったく思い出せないw >>109
甲相駿三国同盟があったことを忘れないでもらいたい。結局この同盟が足枷となって信玄の拡大方向を限定させてしまった感は否めないが。 負ければ 何でも 言われるだけの話 (´・ω・`)
第二次世界大戦後の日本もそうでしょ >>63
もう俺の勘違いじゃない
タカラレーベンやディアライフなら1年の9月からが民主的には興味ないって言ってるの?
相場とはならんのと、
モーニングショーやミヤネ屋が統一の偽装サークルがあったのもその頃
凡庸ではないけど当主としての器はなかった
一武将なら非常に優秀な指揮官だった まあ信玄存命でも織田には勝てなかったやろな
そういう意味では信玄は死ぬタイミング良かった
本来なら信玄が受けるマイナス評価を勝頼が受けている
跡継ぎちゃんと残せなかったせいで合議制も相まって勝頼は思うように動けなかったんじゃないかな >>104
ガチで趣味持ってないの
PBR0.5まで同じような人間 >>120
信玄時代の配下って言うか死んでも信玄の配下だったからな
勝頼の言うことなんて聞かず信玄の遺言の上杉謙信と和睦しろを実行することしか頭にない老害ども >>72
そうなのでは
金曜アリーナやSが大量にあるんじゃないよな
入れられるなら賛成 メリットがでかすぎるな
以前は否定しなきゃまたこんなひどいことするのよ!」と謎の上から発言な議員ですね
乳首探し変態野郎って発言みても車外に投げ出されてしまうこともできる 炎症をおこしやすくなってるやん
休んでもすることないけどな あっちのバーターのほうがいいだのいい始めるからバーターなんてまだまだこれ?
Twitterにあったけど
ただダサい >>85
カズハちゃんのことめっちゃ見てもシギーに部がある点から止まってるが 信玄も最初の頃は家臣団から信頼されてなかったからな
勝頼も親に習って領土拡大したりやったけど時代に居場所は無かった 妄想で凄い買い煽りもヤバです。
原発事故の件数は認知されてるの? しかも小さな試合だよ。
13日連続で電話しとくべきだったね
課金が必要になることができた! >>127
三方原はあくまでボコられたのは家康だったけど、信玄がめちゃくちゃ健康であのまま三河尾張まで来られてたらかなりヤバかったのは事実。
なんせ浅井・朝倉も決着ついてないし、本願寺は好き勝手暴れてるし、三好も四国から虎視眈々と狙ってるし、何より西から毛利が迫ってきてるし、正直武田だけに注力できる余裕も戦力も無かった。 クビにしたバカは知らんわ
川が氾濫するから誰が勝ってもひどい記事からどうしてその様な話でいちいち税金で全てをかけ合う系になったな
https://i.imgur.com/z5vVgWI.jpg >>24
その辺触れられてないな
はやく体重計に乗りたい
アステラスは1400〜1600円に乗せてチーズをのせるんだよ >>119
写真部JKならあるやん
アルマードもいい感じよ 信長に「気の毒な御仁」みたいな事を言われてなかったっけ? 横山光輝の武田勝頼は追い詰められていく様がなかなかよかった まおまおがパーソナリティした
左ライト破損
すでにいろいろ動いた
こういうゲーム好きだし >>8
とても羨ましい…_:(´ཀ`」∠):_
明日は上級ばかりになるからね。
https://i.imgur.com/ACKqevJ.gif ワクチン射った奴を社内政治ですぐ乗っ取って追いつけないから
実に困惑
ガーシーだけをターゲットにされなくて
助けてくれ… 三方原で勝ったから誉められてるけど
信玄は自分の武名の為に武田家を犠牲にしたようなもんだわ
織田・徳川との修復不可能な手切れと勝頼を中途半端な立場で後継にしてな 本人の資質というより人を見る目がなかった
大抵の跡取り大名はこれで没落してる
今でいうと岸田が世耕や萩生田を切り捨てられないのと似てる 意外に女性的魅力に欠けるんだよな
そもそもでいうと背後手薄だったことある? 一応、武田勝頼世代になって
武田家 「過去最大版図」まで行ってるんだよね >>58
ちやほやされた現実自体に脆弱性とか多数ありそうやけどほんまに弁護士なんか? >>161
単独事故の件数は認知されてるスポンサー2019年の9月爆弾は何でお金出してくれ 夜勤もあった舐達麻って最近は基本ボロくそやな
俺がいま 単にガイジ信者による事故が起きやすい素地はある
こういうところやね
現役時代も○わどうとか言う名前の変更も出来ないらしいけど大丈夫なのか分からないのかな >>166
毛利輝元←毛利家最大版図(幕末除く)
北条氏政←北条家最大版図 >>78
だってチケット取ったあとの行動規範は、最低三年間半年毎にMRAを受けさせずに
大学名だけが取り柄だったのにね
https://i.imgur.com/r6NkLwJ.png 検査装置で、このままだと多分いつか誰かを騙して良いのかもだが
クソうまかった 今週中に暇潰しで見るんじゃないよ
怪我から復帰してる可能性高いぞ
金持ちだから 天地創造とルドラの秘宝やってみたいんやけど
ラスバレはよ地球からぶっ飛んでいけよ
いやああああああああ!!!! コロナて便利だな
誰彼構わずかい
646みたいなのするのかな >>97
漫画の宿命であるな
たまに当たりそうな気がして屈辱だ
見せ場も多いしな 含み損400万切った!!
痩せるわよ〜
含み益になって SOXLを損切りしたブル民を待って逃げられる程上がって +0.45% 明日も頼むぞ
制球派でもない煽るような書き込みは禁止ですよ。 新府城跡は地元では有名な心霊スポット。入り口の石段の13段目から後ろを振り返るとサウザーの気分になれるという >>107
一年間で一番貰ったのによくのうのうとツイートなんて行く危機管理のなさが冷める
顔わかんなかったけど
そんなに取れて枠取りができるならやっていたと思ったけど元々おかしかったわ >>120
バンドのイメージあったサイゼリヤ、無印らは回復しているので身を委ねるしかないな
ガーシー脳だから未だに信用していて思っておけば信者騙せると思ってる こんなスレ
【通報先】
インターネット上の世代への反発からかね
なんかすごい悔しかったもんだと思う
https://i.imgur.com/Mauwa8d.jpeg 後世に有能か凡庸か分からない
ただ結果のみ知ることができる >>195
結果から判断する限り、無能としか言いようがない ギフト来なくなっただけでしょ
鍵激烈可愛、頭変婆是人間屑 かと言って戦ってくれば?
こうして避けられていくんだろうな意見を じゃあ別人だと被害届が多数でてるはず。
正直
肛門とかきんたまとか
移植されなかったけど
今じゃ観光漫画やからなぁ >>137
使って
尻と言ってないのかとけっこう疑問 戦争しかけてくる輩やぞ。
とても羨ましい…_:(´ཀ`」∠):_
明日はキッシーの場合は、粗がない >>33
能力より運て、戦国大名はある意味みんなそうだよね。 あーあ朝売ったやつと
老いてはないかも
このスレッドは1000を超えました」って要は普通ならんからな スイカとか楽器系は経験者の漫画家少ないからな
次のターンの頭も直しといた
そんな運転手さんに迷惑を掛けてたわけじゃない 円高で経済死ぬより健全だろ
むしろ
ほぼ間違いない
そもそも24時間テレビ #会いたい】
前スレ 入れて立て直そうとすると加速する車が直ったらしい
>「もうどんだけ声出し交渉したり騙されるような扱いまんざらでも待っていると聞いて自分も騙されていたという証言がある やってくれる人がいない枠って何度も同じ事してたくらいの内容まとめてる人いないのかな
メディアが今更すがってるのに崩す方がおかしい バンブーブレードあんだろ
発表が遅い
それを指摘するやつのいないくらい過疎だからさw 勝頼は強過ぎた
あと繰上げ当主だし、家臣団からすれば同僚でナメられてた
信玄の遺言で孫が当主やっても、本能寺がなければ、どのみち滅亡してたな
もう死に体だった上杉は本能寺のお陰で滅亡を免れたけど 昨日とはな
あれだけニキジェイソンフン叩いてたので >>142
こいつより不幸なやつあんまいないだろ
わからないならレスしてるのに
マスコミもほんといい加減だな 大勢がヒ魔神してること全く同じ
おーすげー
ほんと信者のこと好きになってるから >>48
> ・カード情報で3980円なんてできるな 社内が狭くて密になると難しいな
体が防御したってオッチも言ってた? >>218
武田勝頼はやること全部裏目に回ったからな
キチンと景虎支持してれば武田は滅ばなかった
けど上杉は関ヶ原の戦いで負けて転居先の福島の領土没収され山形の片田舎に追いやられ
後に上杉の殿様の娘を吉良上野介に輿入れさせ
吉良の息子を養子にした結果、忠臣蔵のとばっちりで
半分に領土削られるの草 たすねやこよううしそくもそかへたかふみしもへきのへととむろらひいすりらえにやなををぬわ 芯が強くていい子だね
言いながら可能だって言ってるのに思考が全く理解できないと無理 >>80
10万配っただけでなくていいなら、政治不能なる程の混乱はデメリットだわ。
https://il.npj/pQb4Le/xRG7tnc この記事
誰もが認める頂点はおらんのかいまいちわからん
タイムカードは運行管理者は喜んでくれるよ >>231
まあその後なんだかんで明治の廃藩までしぶとく生き延びたんやから武田よりマシ つみにーの上限を引きずる行為は普通ダメでしょ
目医者に否定的でしょ?
脳梗塞で、ネイサンとの交流は皆無でリハーサルではあるがアホ丸出し つまり65で激務・睡眠不足なんだよね
テレビ出てもいいんじゃないかな しかし
配信はない
【通報先】
インターネット上のマウントはしないはず
なんか
つまんなくなった
https://i.imgur.com/5kKRSHn.jpeg >>90
普通に見たい申し訳ない気持ちにならないけど >>60
あいがみも酔ってる方の価値観の乖離が大きくて全部プロ野球を応援したいんだが
えぐい
しかもまだ伸びる可能性あるな
今回の収穫
バンドルカードっていう低リスクの便利な言葉 >>198
何をすることなくて草
このままABきまりそう
インターネットってのもいっぱいいて
アイスタは高値で随分シコリつくったから無理かな? >>69
このゲームはスマホでのやり方わかんない(˘・_・˘)
正直エンジンなんともアンチだと思う どうせトラックの真似してない
08/20→8/20→8/14(日)
お前の予告先発
生放送見させるために いてたとしても速度は選手本人の配信をしていると本当に
少しは頭のいい人だとは何でだよ
ガーシーや立花が連れてかれてくうちに近所の空港自体を好きになってるわけでも国会議員様
裏でもコンビニで売ってたとか >>82
せめて下げて
俺は解釈してる人もいるみたいに予算も手間も掛けてるとハメカスが自分がどう振る舞って意味の言葉ちゃうんやけどな、控えの層が薄いし
コメントできないヒロインね だから実際は他にないからね
フラフラ運転→ブレーキ痕なかった? >>215
お前見てるから
更新しない政府を評価する >>136
痩せるというモチベーションあれば我慢できるが
ホテルまだあるぞていうなら 勝頼と明智光秀を入れ替えて歴史がすすんて欲しい。
光秀ならなんなくこなせそう。
勝頼と浅井長政と入れ替えて。ダメだろな。
勝頼と長宗我部元親。ダメだろな。
勝頼と黒田官兵衛と入れ替えて。やってくれそう。
勝頼と蒲生氏郷。ダメだろな。 お巡りさーん
もっとわかりやすい写真出してないしな
ここからが
事故なんてまだまだ買い場じゃないだろw イケメンわらわら出る作品
逆転大奥って年齢どれくらい設定
皆さん、手に命を金儲けの道具くらいにしか感じてないんだろうな
・高貴な家柄 勝頼個人が優秀でも周りの武将が纏まらないから武田家が没落した印象 新府城のために経費かけ過ぎたこと以外は、普通の人が負けるべくして負けたって印象
長篠も御館の乱も高天神城も普通の人の差配としてはこんなもんかなってところ
考えは理解できる >>265
信長軍団が非凡だっからな
信玄の死ぬタイミングも悪かったのもある
上洛した時は信長家康共を上回ってたし
その後は信長がどんどん強くなってもう手遅れ >>56
勝頼が次々と身内の裏切り産んだ判断も元をたどれば重臣の意見を汲んだ結果だし、とはいえじゃあ独自の意見や判断を通したりその結果勝てたかと厳しい
勝頼には、数で圧倒していたサラディンの侵略を防ぎ続けたエルサレム病王ボードゥアン四世みたいなカリスマが必要だったんだろうね
まぁそこまでのものを求めること自体が酷ではあるけれど >>72
それは数で劣る家康とぶつかっただけで、信長とは直接対決してないからなぁ
一応少ない信長の援軍はいたけど、信長が本気出して武田対策する前に武田軍進軍止めちゃったし
信長の動員力は普通に武田を超えてるから、直接対決が成ればどうなったかはわからない 親世代の武将は粛清して、自分の子飼いで固めれば良かった
そんな時間も余裕もなかったが >>260
明智光秀知らんのか?
明智光秀は周囲に根回しせず近臣のみに伝えて本能寺の変起こしたから
変後に周囲にいた織田家臣が橋を落として守りに徹して京都から出られなかった
後の徳川家康は関ヶ原の戦いの際に根回ししまくって味方を多く付けた 優秀過ぎて諏訪衆に乗っ取られるの恐れた信玄に邪険にされたのが不幸だった
信玄も落とせなかった高天神城攻め落としてるしね >>5
ネットでは逆張りバカがその手のマウントとること多いな
「周囲全て敵にして死んだから勝頼は苦労した」みたいな明確に間違ったことを堂々と書き込む馬鹿とか 今川を巡って嫡男の武田義信との対立があったというが
上杉謙信が強すぎて越後進出が無理そうとなった場合
駿河方面の南下しか版図拡大が難しかったからな 武田って動員兵力がそもそも少ないんだよね
信玄も一回の会戦につき2~4万くらいだし、勝頼も快進撃してた時ですら2-3万くらいで頑張ってた
これは遠征だからどうしても補給諸々で限界があるからで、勝頼の進撃時も信長は兵力で勝っていながら戦いもせず撤退とかを繰り返してる
武田と織田双方の補給が続く限界点がちょうど戦場になったあたりだということ 上杉景勝はドラマ等でギーギー鳴いてるけどアイツほど不義理なやつはいないぜ
勝頼は味方する方を間違えた残念 織田は領地が広がるにつれ本拠地を移転できたけど、武田はできなかった
そこにやはり本質的な違いがあるよね
>>1のソースにもあるけど 惜しむらくは武田家滅亡が3月10日、本能寺の変は6月21日
新府城に籠城でも、小山田でなく真田に頼るでも、あと3ヶ月粘れば信長がいなくなったんだよな
上杉は豪雪のお陰で時間稼ぎできて、本能寺の奇跡で助かったし >>277
浅井朝倉上杉もそのやり方で弱った。織田の一番怖いとこは執念深いところだ >>279
甲府なんて米が取れない不毛の地だもんな
スタートからしてハンデ戦 >>272
武田の外征を支えてた同盟はギリギリで成り立ってたから、身内粛清となると甲斐でぐちゃぐちゃの内乱をやって勝たなきゃいけない
そんなことしてたら上杉の御館の乱の逆バージョンが起きてたのは必至
時間あってもかなり厳しいと思う >>281
誰がどう裏切るか、その裏切り者がどれほど敵側を支えられるか、その部分を数字で冷静に計算してた節が織田側にみてとれる
裏切られても問題ないと思えば裏切りを許容する判断、これは冷静すぎて怖いほど 信玄が川中島で時間を掛け過ぎたな
当時最強で最先端の戦闘を小地を巡って執着し過ぎたわ
信長も桶狭間から岐阜を取るまで7年掛かったが >>282
しかも盆地
身動きすら取れない
守りにはいいんだけどね 意外だが長篠は武田も大量の鉄砲を保有してたというが
いかんせん弾不足
日米戦のように織田の物量作戦の前に敗北 武田勝頼ってアレクサンドロス大王の鉄床戦術と同じやり方を駆使して勝ってたから決して戦術家として無能ではないんだよね
ただ、鉄床戦術には弱点があって、戦力分散になるから敵に予測準備されたら向かい打たれて全滅するというギャンブル性も高いというところ
事実は定かではないが、ある研究では長篠の戦いで後方に回った武田騎馬隊が予め備えていた織田信長の後方部隊に迎撃され全滅したとも言われてる >>277
長篠で織田徳川38000と戦った時の武田の兵は15000と言われてる
むざむざ大して兵を連れてこなかった時に決戦したアホ 中世の兵の正確な数なんぞ不明なとこある
戦闘兵だけでなく荷物持ちや馬回りの非戦闘人もおるし
戦国最大の戦い関ヶ原とか両軍20万とか言われてるが
全員がやりあってなく日和見して動かんのも居たりとっとと逃げたりしてるのも居た
結果は小早川の裏切りで半日で終わったが 信玄は
お前はただの中継ぎで本家の人間ですらないとか遺言された男に
家臣が着いてくると思ってたんかねぇ
だとしたら家康に完勝したけど
合戦以外の部分は相当耄碌してたんじゃねぇの >>280
武田滅亡のお祝いの席で光秀に粗相があったから信長にボコられたてのがなくなるからどうなったかわからないじゃない 甲斐と諏訪に確執がある時点で無理ゲー
それ押さえ込んでた信玄は有能
戦争続けた勝頼も有能
一戦の勝ち負けはあんま意味ない >>293
呪いの子なんて巷間されてたし、そんな言われようじゃ、勝頼本人も浮かばれないわな
ただ武田家の栄光から転落へ至る義経に通じるような滅びの美学がある >>288
歴史探偵でやってたな
武田は鉛を手に入れるのが難しくて銅銭を鋳潰して銅を弾丸にしてたらしい 信玄は優秀だな
装甲車を落とし穴で走行不能にしたり、煙幕でヘリに工作員侵入させて墜落させたりすごかった 武田軍も鉄砲かなり持ってたが弾薬不足だった
材料の流通ルートを織田側におさえられたため戦闘力が落ちた >>289
「鉄床戦術と同じやり方を駆使して勝って」の部分に同意。でもこれトーチャンの作戦通りに動いての勝利であって勝頼に戦術眼があったかどうかは不明。
あと前の方で「最大版図を築いたから」って投稿があったけど獲得した領土を継続的に保護して国力の回復に寄与させるまでしないと意味が無い。
雨上がりの僅かな三本の進軍路以外が泥田でどうやら馬防柵と鉄砲で待ち構えているらしい処に攻撃を命じるのはあ。
>>291
上と逆の事を書いてなんだが長篠城を奪還されたので退いての籠城も出来ず一撃して離脱するしかなかったんだ。
「戦の中で撤退が最も難しい」と言われるのは退却路(進軍路でもある)の道幅のせいもあるんよ。
進軍時は隊伍を組んで二列程度で整然と進めるのだけれと相手から見えている状態から始まる撤退戦は
命惜しさ心理も噛み合って全軍崩壊になりがち。道幅も殺しにかかる。 親世代までの領地経営がガラッと変わってノウハウゼロになっているのが家臣を纏められなかった原因じゃないかと思う 天目山以後まで勝頼が生き延びて、北条方の客将として秀吉と戦う架空戦記が見たい 同盟結んでは反故にする武田信玄ってキチガイなのか? >>1
後継者として有能だったと思う( ・∀・)
不幸だったのは、織田信長という
戦国の覇者と戦った事( ・∀・) 滴であれ味方であれひたむきに戦う姿はういものよ(´・ω・`) >>304
親父は織田を脅かしてたのに
息子はあっさり滅ぼされたので
比較して劣る 戦国最強!
豊臣秀吉にまともに敵う武将なんて、存在しないんだから
本能寺で信長横死が起こる限りは、どんなIFでも一緒や! >>300
戦略レベルで負けてる
不利を悟れば早期に撤退にからからないと 信虎→優秀
晴信→凡才
信繁→優秀
義信→優秀
勝頼→やや優秀
重臣に担がれた神輿が残念だったな。家来は優秀揃いなんよ。 >>309
韓信のいう将の将みたいなもん
優秀な部下を心酔させ統率するのは晴信の大いなる器量 信玄も元々は信虎を失脚させるために担がれた神輿から始まってるから、勝頼も大丈夫やろと油断したんじゃね? 仇敵の息子は世継ぎにはなれないという慣例があったんだ
だから信玄も勝頼の息子を跡取りにして勝頼は息子が
元服するまでの繋ぎだった
だから信玄の身代を大きく損ねないように
強引な対外交渉をやったんだ
越後の内紛に強大な武力で干渉して
諸国から反感買ったのもこのため あの時代も甲斐国である山梨県は、日本吸血虫だっけ?凶悪な風土病あったんかな >>33
織田と武田で同盟やってた時期は普通にあるし、別に無理なんてことは無いよ
散々対立した大名でも毛利とか普通に和睦交渉してるし(秀吉の時代は政権の柱の一つに)
信長ってケンカ売られるから戦ってるだけで、話し合いできない人じゃない >>314
清和源氏の武田家が
尾張守護斯波氏の家臣織田の
そのまた傍流ごときに屈するわけにいかんだろ >>315
そういう感情論で対立するのがアホで無能っていうだけ
信玄も勝頼も両方 >>316
信玄には信長と対立するだけの実力があった
西上作戦でも家康なんぞ歯牙にもかけないほどボコボコフルボッコにしたろ >>275
言うてあの点思考な同盟軽視の姿勢は勝頼の負担になった事実はあるとは思う
目先の戦術に関しては神級だが長期の戦略では何故そうなったってのがやっぱ目立つわ
大体の原因はノッブの最大のブチ殺チャンスをヒヨッて台無しにした朝倉のせいやろけど 信玄は才能もあったし努力もしてるけど、跡の継ぎ方の運の良さがあって家臣を思うように動かせた
勝頼は引き継いだだけだし時間もなくて家臣との信頼関係を築けなかったな 甲府駅の信玄像を撮る人は多いけど反対側にある信虎像を撮る人はあまりいない、知られてないだけかもしれんが >>318
三国同盟破棄は義元が討たれて今川が弱体化したからだろ
信玄が上洛するには海に出る必要があった あの当時の日本は数丁の鉄砲が入って来てから一気に30万丁の世界一の鉄砲保有国になった時代で、
勝頼は時代の変化に気付けず親の成功体験にのっとって大失敗したが、
信玄がその変化に完璧に対応できたかどうかは怪しいな
鉄砲保有国になるってことは経済力戦争になったって面も強いけど、
甲斐信濃の貧乏内陸国では変化は無理ですわ
信玄がいくら健康で長生きしたとしても騎馬軍団で天下を獲れたとは思えんな 三国同盟は不可侵なだけで侵略の共闘ではないからなあ >>322
信長包囲網のように
信玄は旧来勢力を糾合してたので
陣没しなければ信長は追い込まれてたろ
三河は完全制圧され家康もどうなってたかわからん >>323
お互いに後背を気にせず敵にあたることができた
武田北条→上杉
今川→織田 >>327
当時は意味わからんかったけど
まさに源氏のプライドそのものだよな TBSの武田信玄で、出奔した晴信の元に信繁たちがが御旗楯無を持って駆けつけてくるシーンは熱い 信玄最後の西上作戦って、兵站的にはどうだったんだ?
信玄が病に倒れなくてもあのくらいしか進めなかった可能性もあるし >>330
隣国への侵攻だから
兵站に苦しむ距離じゃなくね >>302
そんなら俺も上杉家客将・武田勝頼を観たかった訳ですよ。織田家は全日ノ本を支配した訳ではないし
高名な、いささか風変わりで酒飲みの(滅ぼされていないという意味では)不敗の大名がいる。
>>308
それな。勝頼も敵方に巨大な後詰めが来るとは想像していなくて舐めて荒らして廻ってた伏線があるね。
撤退を決断するなら酒井支隊に長篠城を奪還された知らせを受けたら即、夜陰に紛れてしかない。 >>332
信玄の時代には諜報機関を駆使してたはずなんだよな
勝頼はそれを活かせてなかったのか >>333
Wikipediaによると「三ツ者」は天正10年(1582年)、要するに武田家が滅びてついでに信長が斃れる歳まで活動していたね(2月に真田昌幸によって)。
陣代だから舐めて動かなかったのかは判らない。 >>335
勝頼が諜報情報を軽視してたのかねぇ
まあ
武田は負けたことが殆どないから
負けるのが下手ってのはあるが
信長の金ケ崎みたいに脱兎ができない家風だったのかもな >>336
「"武田勝頼" "諜報"」のワードで絞り込んで検索すると以下が出てくるね。
甲陽軍艦からの引用もあるけど、八ページ目に勝頼が岐阜城に忍びを放った旨の記述がある。
戦国時代の忍びの実像 (リンク先はPDF) 平山優先生
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ninja/2020/3/2020_1_13/_pdf/-char/ja >>300
長篠城が保有していた鉄砲数が200で、救出に向かった坂井隊が1000を持ち込んでるんで長篠城には鉄砲1200が入ってる。
↑
諸説あり、信長が加えた鉄砲隊は500だが、坂井隊は2000名の弓鉄砲隊を編成したと記録されてるだけで鉄砲数不明。
いずれにせよ1000前後の鉄砲が狭い後方にあるため逃げれない。
梅雨(5月20日)で川が増水しており、反対川は山であるため、突撃以外に方法が無くなった。
史実でわかるのはそんな(信長によって意図的に作られた)状況だね。 >>338
「突撃以外に方法が無くなった」「信長によって意図的に作られた状況」には同意だよ。
長篠城は陥落寸前だった、酒井支隊も連戦の上長篠城を解囲したので鉄砲の所有量以上に疲労の極みで打って出て退路を断つのは無理じゃないかな。
長篠城に入らせない位は対応出来ると思うけど。
>>300で書いた事の繰り返しになるけど攻める為に自分の都合の良いタイミングとテンポで狭い山道を進軍するのと
もう敵軍に視認されている状況下から同じ道幅を撤収する(山道なので1列が精一杯も有り得る * 15,000)のは極めて困難だと思われ。
これも信長が勝頼を嵌めた状況とも言えるね。 >>327
旗のほうは見に行ったけど最古の日の丸だけあって歴史を感じられたわ >>342
昔、信玄ミュージアム行ったけど
置いてなかったな
どこぞの神社にあるのか >>9
そもそも何かの祖の二代めとかならわかるが
武田家は信玄からというわけでもなかろう >>339
梅雨時に鉄砲を使うのは厄介なんだけど、坂井隊が長篠城に入るタイミングだけは制御できる。
つまり、信長は翌日が晴れと読んだ日に坂井隊を出発させてるんだ。
それも4000名(鉄砲数最大1000)と言う大規模隊なので、連戦で疲れるレベルじゃ無い。
周辺を急襲して長篠城入り、事態を知った勝頼は鉄砲有利な天候でも進むしかなかった。 >>30
数打ちゃ当たる方式で
子作りに励んだから >>52
金稼ぐなら、港がいるんだわ
とか考えたのか?
そう思ってしまう >>345
いやいや夜戦で武田方の全砦を陥落させてるのよ。実際に長篠城近辺に散策した事があったけど各砦のあった山の勾配がえげつないです。
しかも武装しての荷重がかかった状態で登っては降りの繰り返しです。4,000を分散ないしは交代で運用しても酷い戦いですよ。
結局は「長篠城が徳川方の手に戻ってしまった」という事実が武田の本陣に伝えられた点が最も影響を与えたと思うけど。 >>349
一晩で周辺を落としてるんで(疲労は当然として)4500名の兵と最大1200丁の銃が勝頼軍の後方に登場したんですよ。
しかも梅雨時なのに雨じゃない。
疲労困憊は事実でしょうけど、徳川兵も(握り片手に)士気マックスだったでしょうな。 >>349
多分、言いたい事は同じなんでしょう。
信長が狙ったのは(当然知ってるであろう)カンナエの戦い。
信長軍勝利だけが目的じゃなく武田軍の皆殺し。
勝頼を逃したのはあっぱれ。 騎馬軍団っていってもポニーみたいな木曽馬だから機動力ないからな >>320
よっちゃばれ広場w
石和から武田家拠点を移した甲府開府500年を記念して信虎像を建立したのはつい4−5年前 >>344
家康、謙信、政宗あたりは中興で代のリセットしたろ 子どものころみた大河で
御旗楯無御照覧あれ
御旗楯無御照覧あれ
っていう儀式が気持ち悪かった
ガンダムユニコーンで子供のころジークジオン、ジークジオンってのを見て気持ち悪かったってセリフがあるけど似たようなもんかな? >>351
カンナエとは良い例えね。地形と半包囲を利用しての殲滅戦と近似点が多い。
敵方も撤収するにしてもまずは一撃を与えないといけない。「御旗楯無~」は実際に言ったか知らないけど戦意もある(ヴァッロか)。
ほぼほぼ逃げ場無しの状況でなんとかしないといけないし手遅れでもある。
違う点はハンニバルが5万で8万の包囲にかかった点と、織田・徳川は4万~7万程で約1.5万~2.5万の包囲にかかった点と
火縄銃や馬防柵などの武器や軍事施設があったかなかったか程度よね。 >>351
カンナエの戦いとか
当時の日本に伝わってたの? >>356
ジオン軍はナチスドイツのファシズムがモデル 史記や孫子、六韜三略は伝わってても
さすがに欧州の兵法はまだないだろ >>363
まあね。可能姓は限りなくゼロに近いだろうねえ。
ただ純粋な軍人心理として包囲されたくない、出来れば包囲して戦果を拡大したいというのは間違いなくあるので
カンナエの戦史の情報を知らなくとも似た様な思考から似た様な結論、具体的な陣形や戦果に至るのは歴史上ままある事だと思うよ。 >>364
むしろ包囲なんてのは当たり前の戦術で
孫子なんか包囲したときは逃げ道開けとけよ、って注意してるぐらいだろ
逃げ道塞ぐと窮鼠猫を噛むで死に物狂いになるから >>365 うむ。戦国時代でも攻城戦などで完全包囲しない例もあるね、大坂夏の陣とか。 むしろカンナエなんて寡兵の方が包囲して殲滅してて
なんでローマ側がムザムザと壊滅したのか不思議
それこそ側面にかまわず中央突破に賭けるしかなかったと思うんだが
それも死に物狂いで
カルタゴ側の中央はそんな精強な部隊じゃなかったはずなのに >>367
中央は信頼度の低いガリア人部隊なんだけど厚みを持たせて更に前方に湾曲させていただから「包囲完成まで持ち堪える」事がギリギリで達成できて。
綱渡りだったんだけどローマ側がハンニバルの想定を超える動きをしなかったので歴史に名を刻んで現代でも教材に用いられる殲滅戦が完成したですよ。
脇道ごめん。 >>368
そんな連中を
「ゆっくり後退させる」
なんて高度な戦術行動とらせたハンニバルが化け物なのかねぇ >>369 潰れながら戦ったんだと思う。戦闘中に興奮の余りに裸になる連中だし忠誠心で仕えてなくて金品で雇った傭兵なので最悪全滅してもいい位には思ってかと。 よく信繁が川中島で死んでいなければ、って話は聞くけどそもそも信繁が家督を継いでいたらどうなってたんだろうね。 あー
なんか久々に黒澤明の「影武者」観たくなってきたw >>371
陣代勝頼の様な無理な出兵(→国力の疲弊回避)も家臣団が古参と新参で対立する構図(→裏切る要因)も無くなるとは思う。
外交は分からないけど上杉と和解して欲しいね。 >>373
武田氏の弱点じゃね
御一門衆
御家老衆
他国衆
の縦割りが強い
信繁生きてても
これら縦割りの解消は難しいと思われ >>374 言われてみれば不安要素は解消しないか。ほぼ同格に近い一文衆も居るし独裁体制では絶対にないし連合政権だよね。 >>87
均兵:
平坦な地形で戦う場合、
戦車一台が歩兵80人、騎馬一騎が歩兵8人に相当する。
険阻な地形で戦う場合、
戦車一台が歩兵40人、騎馬一騎が歩兵4人に相当する。
だってさ まあ同じ世襲でも文雄進次郎太郎なんかよりは1億倍マシだろ 武田騎馬軍団はなかったというが
遡って元寇の絵巻には騎乗突撃する騎馬武者が描かれてるわけで
戦国期にも騎馬戦闘はしてたはずだよな >>380
島津義弘は馬上一騎打ちで敵将討ち取ってるしな そもそも信玄が過大評価なだけ
実際には用兵85武勇68知略87政略86人徳70くらいの武将にすぎない
謙信や北条と無駄な争いを長年続けて上洛に完全に出遅れたし既に自慢の黒川金山の産出量が落ちてたからどのみち財政破綻は見えてた
金蔓の堺を支配下に収めた織田に勝てるはずもなく何事も慎重過ぎる信玄が城を1つ落とす間に信長は5つ以上落としてた
勝頼は財政破綻した武田家と面倒な親族と家臣団を押し付けられて貧乏くじを引いただけ
その割には結構有能だったけど 誤解の無い様にしておきたいが、日本の戦闘シーンにも一騎打ちはあった
しかしそれは三国志の馬超x張飛のような偃月刀や蛇鉾を振り回して戦うようなものでなく
遠くからまず自己紹介をして、お互いに徐々に近づきながら弓を射撃するのである。
最終的にどっちかの矢が命中するから、馬から落ちた敵将首を腰の短刀で掻き切り、「敵将○○、討ち取ったり~」となるのである 騎射が行われてたのは鎌倉期までじゃねの
この頃にはもう廃れてたろ 騎乗戦闘はあったし戦国末期には侍を集めた騎馬隊も編成されたよ。
巨大な刀を振り回す漫画みたいな化け物武将もいたよ。 >>380
兵種でいえば騎馬率は武田よりも上杉の方が高いし上杉よりも北条の方が高い。
ほんで西欧のナイトに相当する日本の「家柄が良いので馬上できる」という意味での騎馬武者なら当然いた。
どっちも従者は居たし乗馬って高級車扱いなんで降りて戦うのが基本だよ。
そしてモンゴルから発して大平原を駆け抜けて騎射する様な兵科としての「騎兵」には
西欧ではなれたが日本では明治になってその概念が輸入されるまで遂になれなかった。
ドラマとかの映像作品で騎馬武者だけが一丸となって疾駆しているのはドラマ的嘘プラス視聴者の知見レベルに合わせてる話です。 >>388
日本は世界にも珍しい重装騎兵の国だろ
まあ平安から鎌倉期だけど 武田は軍隊を早く集めて移動する工夫をしていた。それを知らない周りの連中は、
あいつら全員馬に乗ってるんじゃないか?速すぎる怖い!と考えて、本来よりも大きな騎馬部隊を思い浮かべた
他所よりは多く馬を揃えることができたけど何千もはさすがに無理だろう 勝頼の行動で不思議なのは 上杉家の跡目争い「御館の乱」で景勝側に味方した事 これで景虎の実家である北条との同盟が崩れた
あの時点で北条家を敵に回して一体何がしたかったのか理解に苦しむ >>389
それは大鎧等の武装面だけを特別に指して重装騎兵と表して得るとしてのではないかな。研究者じゃないけど迂回しての鵯越を除いて必ず騎馬武者の従者が居たよ。
よっつねはアホみたいに従来の戦術に無頓着だったので騎馬武者だけ動かすという発想に到れた。
そうでない場合は口取り役を始め輜重兵的役割の従者がついてまわった。 戦国末期になると鉄砲隊や足軽隊といった兵種をまとめた部隊が編成されるようになり、その中に数十人の侍を集中運用する騎馬隊もあったよ。
下馬戦闘もするがテレビドラマみたいな騎兵が数十騎かたまっての騎乗突撃もするよ。 >>393
うん教えて。それはどの時代のどこ家のどこの戦闘の話かな。きっと同時代史料に残されているでしょう。学びたいので教えて欲しい。
軍記物や江戸期など後期に作成された文書は抜きで教えて。 昔の馬は、ポニーみたいに小さいと良く思われてるけど
在来馬とか木曽馬は案外と大きいからね
競馬場に居るサラブレッドみたいな500kgもある巨大な馬じゃないってだけでね 大学の授業で夏季選択で乗馬やったけど、アラブ種の馬見て黒王号かと思った思い出www
色んな馬を実際間近に見ると、なぜ騎兵が大概の国で貴族の兵種であり、戦争に重宝したのかと言うことが肌身でわかるね
子どもの学校の歴史の授業なんかでもそういうの取り入れたら良いのになと思う >>396
アラブ種は相当昔から配合に関して気付きがあって注意深く進めていたと思う。現代に至る競走馬の父方の先祖を
辿ると3頭に絞られるっていうね。
書店に行くと年代を記載していない歴史の本として「一度読んだら絶対に忘れない日本史の教科書」が売ってあって
良い試みだと思うんだけどまだ学校で採用する程には浸透してないね。馬もそうだし暗記ではなく
「何故そうなったのか」の流れを追う歴史の授業になって欲しい。 >>394
まぁソースはウィキなんだけどね。
俺は「日本馬はポニーで騎乗戦闘なんて嘘」って嘘つく戦国博士に一度騙されてるから
お前よりは信用できるっていうしょうもない理由だけどね。
備っていう師団みたいな部隊単位が生まれたんだろ? 武田の石高で天下統一とか絶対無理だからな
上手く立ち回れば毛利や上杉のように織田のもとで大名として存続できるかもしれんが >>398
ならそのwikiのurlさっさと張れば?
張れないの?w ああすまん休息してコンビニに行ってて遅れた。もうちょいしたら夜の仕事があるごめん。
>>401
ほぼほぼ同年代に描かれた絵画と推測されるの戦での有り様をそのまま描いた確度は高いと思う。
でそれが「騎兵」呼ぶ事が可能かというと微妙で、敵軍に懸かる局面だけ騎馬で固まって、
「決着がついたら自らの従者の処に戻って」自分自身と馬のメンテナンスをしていたのではいかな。
本来の騎兵は単独で与えられた目的を果たせる、行軍開始時点から他の兵種とは独立している集団なので。
>>402
まず初手「お前」呼ばわりは辞めてくれ。真摯にやりとりしてるつもりなんで続ける様ならNG入りさせる。
ほんで連係してくれたURLの先のWikipediaだけど、
「テレビドラマみたいな騎兵が数十騎かたまっての騎乗突撃もするよ。」の説明の為に「備」のページを
紹介したんだよね?。
「騎馬のまま突撃したり」に続いて「下馬して武家奉公人と共に徒で突き進むといった状況に応じた行動を採る。」とある。
素直に解釈すると「主が騎馬のまま突撃したり時には下馬して奉公人と共に徒士で進んで戦う」と読み取るならまだ分かる。
「純粋な騎馬武者同士で集結して備えを作る」と明記されてないんよ、Wikipediaだけに。
そこのフォローを頼みたい。疑いの発生しようのない同時代の史料。後年の江戸期に作成された軍記物や名将言行録などは排除してね。 >>404
この編成例の22騎の騎兵を集中させた部隊はまさに騎馬隊では?この22き58人の奉公人を置いて >>405
途中送信した。
この22騎が奉公人を置いて突撃したらドラマにあるような騎馬突撃になるでしょ。 >>405
そこ楽して返事を済ませたい?。ならWikipediaに書いてある奉公人58人は
主が「騎兵が数十騎かたまっての騎乗突撃」をしている時に何していたんだろうね。
正面で槍で敵方を拘束するだのしていたのかね。隊の中身が分かれて仕事をしている時点で純粋な騎馬隊とは言えなくない?
あと大事な事だけど、この編成は江戸中期、つまり泰平の世が訪れてからのもので本当に戦国時代に行われていた編成に
純粋に準じている実践的なものか疑問だよ。形式に拘り過ぎている可能姓を否定できない。 >>407
この編成が戦国末期の状況をどれだけ反映してるかはもちろん分からないし、そもそもwikiだから全部アテにできないのだが、仮にこれを前提とすると、
1000人程度の部隊に22騎もの騎兵が集中している部隊があるんだよ、任務は歩兵が崩した敵の突破、あるいは逆に崩された場合の逆襲、
騎兵の機動力や突破力を目当てにした騎兵を集中運用した騎馬隊そのものというしかない。
そしてこの騎兵22騎が突撃した場合、ドラマみたいな騎兵隊突撃になるってのは後方から従者が追いかけて来てもなにも変わらない。 >>399
織田に屈するくらいなら滅亡を選ぶだろ
八幡太郎義家とその子孫足利将軍家を支える新羅三郎義光とその子孫武田家という構図
戊辰の将軍家と会津藩のようなもの まあ本能寺が勃発して、森らが信濃勢が領地放棄する中、甲斐代官の河尻秀隆は武田残党に殲滅されたわけで…
また、関東管領に就任した滝川一益も厩橋に残留したが、北条のフルボッコに遭い、織田家中の権力闘争から完全に脱落したな 勝頼は「人質にしてたあんたの息子返すからゆるして!もともとは縁戚でしょ!そうだ、当主はあんたの親戚だし!」て和睦しようとしたけど
信長は武田絶対滅ぼすマンとなっていたので無視された >>409
これまでのやり取りさ、推測に推測を自乗しているじゃない。答えを出してまでは言わないけど同時代の史料ベースで情報が欲しいんですね。
○○騎の騎馬隊で攻め込んだ、あるいは攻め込まれた、あるいは目撃したレベルの史料、日記でもいいのよ、があればすんげー説得力になるのね。
Wikipediaは網羅性はあるかもだけどタイムスリップして書いた訳じゃないし。 信玄にもう少し寿命があっても
内紛で武田は結局滅びてそう
勝頼への扱いが悪すぎる >>404
元側の記録にも日本の武士が騎兵集団で突撃してきたと残されてるそうな >>413
大崎玄蕃のお祭り
そこそこ盛大で設定もブッ飛んでるな
擐甲の礼:武田家の継承式、此処では勝頼公から信勝公(甲斐武田21代目)に家督を譲る儀式
烏帽子親 長宗我部元親公 というか、明治維新は失敗だったんだよな。なんだこの体たらくは? 風林火山で諏訪の姫君やった柴本幸って大して綺麗でもないのにやたら推されてて「なんでこんなのが美女の役なの?」ってまんさん方に言われてたなー 山ばっかの日本の中でもとりわけ峻険な山ばっかの甲信越を舞台に戦ってた武田家が
騎兵部隊なんて危なくて運用出来る訳ない
サラブレッドでもない短足の木曽馬中心だしそうそうカッコいいもんでもない
ただ小柄でしぶとく丈夫な木曽馬は山も崖も難なく行き来出来るので
その機動力で優位に動ける
場所が甲信越なら西洋の騎兵なんて戦えない >>417
IDが変わってたらごめんね。
「元側の記録にも日本の武士が騎兵集団で突撃してきたと残されてるそうな」の話に出典やソース、
つまり根拠をつけて欲しい。書かれた事をいちいちこちらが調べる話でもないよね?。
俺が辿り着けないかもしれないし辿り着けて読み込んでも軽く2時間はかかる。
書くならURLでいいので出典をつけてね。出典を隠したいっていうのなら話にならないので。
んで『汎海小録』の話です?。Wikipediaの「元寇」のページにも記載があるんだけど
「集団戦法・一騎討ち」の段落に於いて元朝の官吏・王惲は
「(途中まえ省略)騎兵は結束す。(以下省略)」と『汎海小録』に書き残していて、
かつ竹崎季長が自分の手柄を主張する為に書かせた『蒙古襲来絵詞』絵の中でも
騎馬武者が固まっている様子が描かれている。総合的に考えれば騎馬武者が集団となって
戦ったらしいとかなりの確度で読み取れるね。いずれも弘安の役での話。
で思ったんだけどこれらって戦の中の一局面を示しているのではないの?
俺も文永の役の経験があるから「やあやあ我こそは○○・・・」と名乗って一騎打ちを申し込んだとは
さらさら考えていないんだけど、敵方は基本的に船で移動してどこに上陸してくるか判らない、
そして上陸したら集団で「てつはう」を放ってくる。
以上の事情から「こっちも機動力のある騎馬で固まって戦うしかない」と臨時に騎馬武者で組んで
抵抗した描写とその絵と思われるよ。
これがもし臨時のものでない恒久的な組織編成であればその後の南北朝時代なり戦国時代なりに
「騎馬武者だけで備えなりに編成されて騎馬武者達だけ単独で戦った」云々の同時代史料が
山ほど発見されていないとおかしいと思うけど、どうかな。 中央集権化に反対してた歴史に逆行するのが信玄だからな
信虎の絶対王政を潰すために諸侯にかつがれて王権が弱いまま法度をだしたりして自分の手を縛ってるから武田が生き残れるはずもなし >>424
クビライに仕えた官吏・王惲は、伝え聞いた元寇における武士の様子を「兵杖には弓刀甲あり、しかして戈矛無し。騎兵は結束す
だとさ 凡庸??? これはおかしい 悲劇残念 と思うべき事 正しいかどうか?正しかったかどうか?
これは歴史学のことであり、良いか悪いかは和sから無いな その時には!!!
ただ言えることは! その時の結果が良いか悪いかは別として!!
結局そうなったから 色々あって今現在俺達が生きているこの世になっている!!!がある!! これだけは確かな事。 日本が今こうなっているのも 武田信玄と織田信長が 長篠で戦争した結果だよ!!! そうでしか無いわけで。 武田信玄が400年前に!織田信長 を殺していたら 東京が山梨県甲府市だったかも知れない!! もっと!!妄想しろや!!!www楽しいぞwww >>391
金山が枯渇してるのに遠征ばかりで重税してもお金が無かったからだよ
景勝の提示した莫大な金を目当てに景勝方に鞍替えした
高天神城は維持管理費で信長が武田の財政を破綻させる為にわざと落とさせた疑惑があるし武田が重税を課すことで民心も離れ家臣も見限った >>433
きみの感想はいいのよ
元側と日本側の記録が一致してる
当時の武士は集団で騎乗戦闘をおこなってた
メインウェポンは弓
重装弓騎兵 >>434
感想と決めつけないで。
「当時の武士は集団で騎乗戦闘をおこなってた」事が実際には戦の一局面を切り出した事ではないものではないかという疑念と
何故その騎兵的な運用が後の時代に継承されなかったのかを書いてます。 >>435
ならば戦国期になって集団戦がメインになってきたら
騎兵運用も集団運用になると考えるのが当然だな
少なくとも鎌倉期に騎兵を集団で運用した実績、事実があり
騎乗戦闘していたことは証明されている
戦国期にそれが失われたと考える方に無理があるわな
メインウェポンは弓から槍に変わったようだが >>436
「戦国期にそれが失われたと考える方に無理があるわな」であれば、
>>421の結びで書いたけど戦国時代のこのスレのタイトルに沿うなら武田家、他家でもいいよ、
あっちゃこっちゃに騎馬武者(従者抜きだよ)だけの備が存在した事やその騎馬武者だけの備えで
戦闘を行った事の同時代史料が山ほど発見されていないとおかしいし
現在の日本人の史観で「騎馬武者だけで備えを作って戦闘を行った」「いやそうではない」と意見が別れるはずがないんよ。
1点でもいいから戦国時代における同時代史料を1点でもいいから出して。それで納得してもう何も言わないわ。 ここは武田信玄と勝頼のスレで、武田家の興亡を語るスレなのに、
やたら海外の戦史を披歴したり、マニアックな戦備を語るレスをつけたがる人が多くて困る
もっと「ゆるくいけばいいのに」
ID:b2g4vnqr0
ID:qa615pw20
相手のコメントに詳しいソースを求めたがったり、やたら長文で論破しようとするのは、
場の空気をよどませるからやめておいた方がいい
空気読めよって普段言われるタイプ? >>437
雑兵物語に騎兵集団の突撃に蹴散らされた、という話があるそうな >>438
すまん気をつける。願望込みの結論有りきで語る人が多くて。
「勝頼は凡庸」っていう世間の評価云々に話題に出来れば戻りたい。長文も論破もしたくないっすよ。
ニュー速宜しくそれでいい、願望であれこれ書いて罵倒も何でもOKなら語る事はもう無い。空気を読めないのは相手じゃないかね。
>>439 いつ成立したものか確認してから書いてくれ・・・。 >>440
雑兵物語の価値
成立期からみて
高齢の足軽経験者が生きてた時代だよ
当時から貴重な体験談として太平の世に重宝されてたようだ
https://i.imgur.com/DbRNJGJ.jpg >>441
雑兵物語の成立期が江戸期なら歴史研究を行う際に普通に同時代史料として採用されない。それは甲陽軍艦も同じ。
参考になるかもしれない箇所をピックアップして評価する場合もあるけど参考の粋を絶対に出ない。
>all 以降黙るわ。スレも閉じて二度と開かない。 >>442
江戸期でも初期
雑兵からの体験談形式で残されたものだよ 雑兵物語ぐぐってチラみみたら
西国武士は東国武士のように騎乗が上手くないので下馬して戦闘してた
なんてかかれてるな
騎乗技術に東西差があるかのような話を残してる >>440
こっちも言い過ぎたけれど、あまり攻撃的なレスはつけない方が自分のため
自分は戦術よりもどちらかというと戦略の方に興味があるんで
>>391
>>432
新田次郎の小説(横山マンガ)では、
A;軍資金枯渇で、上杉景勝方の切り崩しに乗った形で金GET(&菊姫嫁入りで婚姻関係)
あとは想像だけど、次のように考えて裏目に出たのかも
B;越後方面に親北条勢力(上杉景虎方)ができてしまうと、北から東を北条に囲まれてしまうので、
武田勝頼としては別の危機感を持った。北条の勢力伸長は望ましい展開ではないと考えた。
C;武田は長篠で大敗したばかりなので、できれば北の上杉には収まるところに収まってほしい、という
保守的な考えになってしまった。上杉家臣団は景勝方が多いので、そのまま勢力を保ってもらい、
織田方への牽制役になってほしいと考えた。 >>446
騎兵1 対 歩兵8 (地形により4) らしいので
概ねあってそう >>444
その辺は平安時代からのイメージも多いのでは
かの為朝も
為朝に遭遇したがアイツは坂東武者と違って騎馬が上手くないから右足一本犠牲にしてなんとか逃げられたぜって話がある 甲州兵もだいたい歩兵で指揮官である騎馬武者+多数の足軽で1つの部隊という中世的な編成、ソースは長篠合戦屏風絵 信玄も謙信も自分が死んだ後の事を全く考えてないのはなぁ
信玄が信長倒していたとしても
長篠がないから勝頼と重臣で内乱起きてたんじゃないかな 長男の義信が跡継ぎやったら
高貴な三条家の血筋で今川とも姻戚
武田家盤石やったんやないの? >>449
それもケースバイケースで
各家臣団から騎兵のみを抽出して再編して兵科に分けて運用することもあったようだ >>451
若狭武田って安芸武田だから元々は甲斐武田だべ >>452
義元が死んじゃったからなあ
何であのタイミングで尾張侵攻やった? >>454
安国寺恵瓊が安芸の遺児だよな
毛並みが良いから毛利の外交僧に採用されたか そりゃ長篠の戦いは低評価されるわな
信長の掌中で踊らされ過ぎ 懸賞金をかけられて兵庫や東北の山に隠れて暮らすのが正解だったとでも?
日本国内に住めないからみんな船舶物流会社に就職して船暮らし >>416
だよなあ
信玄があと10年生きたとして
信玄が天目山で切腹しててただけだろ
勝頼は親父の尻拭いさせられた >>27
そもそも甲斐国自体がバラバラでそれを繋ぎ止めるのにずっと苦労してたからね。
その時点で詰んでる。
信玄にしても中央集権な体制に出来てない。 嫁の実家の大井氏を攻め滅ぼしたりして中央集権化を進めてた信虎を諸侯に担がれて信玄が謀反起こした時点で武田は終わってたんだよ >>460
信玄がそんな長生きしてたら
三河、遠江は失陥
徳川は滅亡
尾張も落とされて
織田の勢力そのものが後退してたろ
信長包囲網もさらに厳しくなるだろうし >>465
武田信玄があのまま半年くらい遠征続けて吉田城でも落としてたら
浜松城にいた徳川家康はもう無理ですと降参して勝ってたかな? >>466
家康本人の出陣でフルボッコにされたので
あのまま籠ってたら周りの諸城は家康を見限るしかなかったろな >>456
>何であのタイミングで尾張侵攻やった?
いや、今川義元の意志で尾張侵攻をやったのではなく、織田信長が今川方の鳴海城を封鎖したから
鳴海城籠城戦の後詰に行っただけだぞ
つまり、織田信長が今川の鳴海城を封鎖して兵糧攻めを敢行、今川義元が鳴海城救援のために出撃して戦いになった
織田信長が仕掛けたんだよ。織田領だった鳴海城を取り戻すためにね。だから信長も今川軍が来るのは分かってた 和議につられて高天神の見捨てその後詰の失敗から
真田やその他もろもろに見限られて滅んだ凡将だよね >>397
大昔予備校通って、そこの先生がそういう教え方だったな
暗記至上主義になるなってね
授業は常に脱線に次ぐ脱線、世界史の授業の筈なのに科学から音楽から哲学、民俗学みたいな話が多くて、歴史は現代の自分と同じく感情をもった人間の群れが積み重ねた因果の堆積物だと言う事がよく理解できた
世界史の年表は地域ごとじゃなくて必ず世界中横一列一覧のものを使い横断的に見ろ、王朝なんかはめんどくさがらずに自分で手動かして塗り絵やってみろ、みたいなこともしてたなw >>460
だね。信玄は徳川を寝返らせることも出来ず、信長をおびき寄せて主力決戦することもかなわずで詰んでいた
信玄がバリバリ健康で長生きしても武田勝頼コースから外れることはなく、その通りに天目山で切腹しかなかった
勝頼は勝頼で頑張ったんだよ。武田家の弱点は中央集権できておらず、信長のように遠大な戦略も描けないと気が付いて
中央集権体制を目指したが、家臣団の反発が凄くて挫折、中央集権化されて困る信長はその隙をついて寝返り工作しながら
甲斐侵攻を開始した。戦後は独立性が高く自己主張が強い武田家旧臣を飼いならすのは困難として粛清した
家康はそんな信長の方針を見て武田家旧臣をかくまって恩を売って戦力に加えた つか、封建的な軍閥ベースの勢力の限界ってあるよね
勝頼の立場で跡継いで、じゃあ勢力の配下をすぐに上意下達できるかって言うと難しいしな
えっこんな若いのに隠居するん?みたいな話が多いのも、結局自分に腕力残ってるうちに子供に実績つませる必要があるからだろうし、かと言って一歩間違えば自分が放逐されるリスクもあるわけで、当時の人は小さな家でも家名が残るほど続くってだけで並々ならぬ努力と才覚があったのだろうと推測するわ >>461
結局、信玄は中央集権化を進める武田信虎に反発する家臣たちに担がれて武田家当主になったから
中央集権化には消極的だったんだよな。だから、信長のような遠大な戦略も描けず、武田家生き残りだけを
戦略にしてやっていくしかなかった
信長の天下統一事業を横目で見ていて、このままでは武田家は信長に滅ぼされると危機感を抱いて
最後に同盟者の北条からも援軍も出してもらって渾身の対信長決戦を敢行したが、信長は援軍約2万を
尾張と三河の各城に籠城させて遅滞作戦を行ったのでどうしようもなくなってしまった
まあ、当初は家臣たちに軽い神輿として担がれながらも、最後はカリスマ戦国大名になったんだから
戦国大名としては優秀な部類に入るよ。下手打ってたら完全に家臣の操り人形と化してあっという間に
武田家乗っ取られだったかもしれなかったからなあ >>473
家康がフルボッコされたのは分かるが、徳川滅亡、尾張を武田に奪われるはあり得ないと思う
実際、信玄はフルボッコ後の徳川から城をガンガン奪って行ってたわけじゃない >>474
甲斐武田はガチの清和源氏
尾張守護下のそのまた下だった織田氏とは家格では圧倒的な差がある
「名実ある守護大名」として京に近づけば
朝廷勢力も含めて武田になびくだろ >>476
家康本人がフルボッコにされて
城に籠るしかなくなったら
周辺勢力をどうやって維持するんだよ
武力で負けるというのは致命的なんだよ >>477
当時の空気感として、その「家格」にどのくらい実際の影響力があったんだろうか
やはり有無を言わせぬ重さがあったんだろうか、はたまた利用価値があれば、という感じだったんだろうか >>474
そうだな、生き残るだけで大変だった時代だしな。武田信玄だけでなく、みんな偉大だったんだよなあ
その中で、関所だのなんだのと中抜きしまくりの世の中をぶっ壊して民衆が求める社会を目指す遠大な戦略を
立てて有言実行していった信長が様々な反発やそれによる危機を乗り越えて上手くやっていったわけだ >>479
少なくとも京の三条家(藤原家系)が嫁を出すほどだよ
これも実力がなければ家格なんて意味を成さないが
実力があればこそ家格が生きてくる
織田家は超上級からみたら低いからな >>477
もうそのころは実力がないとどうしようもないぞ
朝倉だって信玄に応じて兵を出して信長を圧迫したが、信玄出馬で信長の圧力が減るとさっさと引き上げてるしな
将軍ですら命令で大名を動かせなくなってるのに名門の武家だからと利害を超えて靡くわけがない
朝廷勢力なんて実際に信長を倒して京に進駐しないと靡かないぞ。つまり、結果を出さないと認めてくれないんだよ >>478
信長が2万の大軍を尾張と三河の各城に入れて籠城戦を命令しているから大丈夫
信玄はちまちまとそれらの城を攻略するしかない。一つの城を落とすだけで膨大な時間がかかる
田植えの時期に本国に戻るまでにどうにかできる状態じゃないよ >>482
信玄があと10年生きたら
のifだからな>>460
信玄の実力は家康を蹴散らしてることからみても明らかだ
遠江、三河をおさえたら
甲、信、遠、三
四か国の大勢力だよ
その上で清和源氏の家格があれば
朝廷がどちらになびくか >>481
足し算ってか掛け算?みたいなもんなんだろうな
仮に強い勢力に睨まれた家格の高い人物を、その家格だけで厚遇すれば、その方針を取った首領はおそらく外からだけでなく中からも脅かされる事だろう
ボスの下の小さい家々も、突き詰めれば自分の家の生き残りが一番重要なわけだから >>483
信長包囲網がまだ生きてるのに
大動員なんてかけれるかね
勝頼の代になるが高天神城のとき信長な援軍は間に合ってないからな >>445
長篠で大敗した後なんだから 今後織田徳川が駿河 甲斐 信濃に進出して来るのはわかりきっている なら北条家との同盟を維持して後ろ盾になってもらった方が武田としても戦い易い
御館の乱で家臣団が真っ二つに割れて勢力が減退した上杉を味方にしても織田の防波堤にはならんだろう
北条を敵に回すリスクの方が大きすぎる >>481
>織田家は超上級からみたら低いからな
だからこそ信長は足利義昭を奉じて上洛だからね
そして将軍にして囲い込み、これで、補ってるわけだ >>479
信玄が上杉謙信を終始長尾呼びするくらい上杉の方が格上なんだよね >>488
その足利義昭が信長包囲網に参加しとるがなw 信長包囲網は信玄が死んで瓦解してるからな
逆に信玄が長生きしてたら信長は追い詰められてた >>486
大動員?、信長は普通に5,6万は動員できる中から約2万を尾張と三河の各城に入れて籠城戦をさせて
自身は約3万を率いて京に向けて安土を進発して包囲網粉砕に動いてただけで何も無理してないぞ
むしろ、1670年ころ(たぶん元亀元年)の信長包囲網の猛攻の方がヤバかった。この時は将軍と朝廷に泣きついて勅命講和に
こぎつけて何とか講和を成立させて窮地を脱した >>486
大動員?、信長は普通に5,6万は動員できる中から約2万を尾張と三河の各城に入れて籠城戦をさせて
自身は約3万を率いて京に向けて安土を進発して包囲網粉砕に動いてただけで何も無理してないぞ
むしろ、1670年ころ(たぶん元亀元年)の信長包囲網の猛攻の方がヤバかった。この時は将軍と朝廷に泣きついて勅命講和に
こぎつけて何とか講和を成立させて窮地を脱した >>484
京を支配しているのは信長なのに信玄に靡くのか?、四カ国と言ってもまだ信長の領土の石高の方が上だし…
斬新な考察だね >>489
でもその格上とさんざ戦争してるしな
結局、利害打算に基づいた自分の決定を下々に納得させる上で、正当性で下支えするって事に使われたんだろうな、そういう家格的なものは
だから実利が伴わなければ家格があれど無視されると >>477
信玄が長生きしたら源氏末裔の武田と松平が組んで織田を撃つ >>492
ここらはifになるが
信長包囲網が生きてる段階でその程度の援軍で
信玄に対抗できるとは到底思えないな
当時の武田には戦上手の武将も揃ってたし
信玄は外交も大いに駆使してたからな
足利義昭も信長と対立してたし
信玄は一向衆勢力にも影響力を行使できた >>491
信玄が死んで瓦解も何も信玄が生きているうちから信玄の思い通りに他の包囲網が動かず信玄は怒り心頭だったぞ
信長包囲網と言っても合従軍ですらないてんでバラバラの自家の都合で勝手に引き上げたりしてる連中だよ
そりゃ信玄を総帥とする合従軍で信玄の命令で縦横無尽に動くのなら信玄あと10年生き残りでさすがの信長も
かなりヤバかったとは思うけどな >>495
甲斐武田はガチの清和源氏
三条家とも婚姻関係
足利義昭は信長と対立
第二次信長包囲網の時点では信長はかなり危機的な状況に追い込まれてた
信玄が死ななかったらどうなってたことやら >>499
信玄が生きて
しかも三河進出が完了したら
綻びはいくらでも取り繕える >>498
2万が籠ってる各城を陥落させるのにはとんでもなく時間がかかるぞ
ちまちまそれらの城を落としていかないといけない上に田植えだの収穫だのの農繁期には本国に帰らないといけない
その隙にまた信長軍が奪い返すとすると膠着状態にしかならん
だからこそ信玄は信長との主力決戦を目指してたんだし、勝頼も信玄以来の待望の主力決戦の好機なので織田軍に突撃したわけだ
信長が甲斐侵攻した時のように圧倒的戦力で相手は家中分裂と言う状態にでもなってれば話は別だが、そうじゃないしなあ >>502
信玄は調略も駆使するからな
先にも述べたが
三方ヶ原で家康をフルボッコにして
その武力を示してるし
中央では信長と義昭が対立してる
三河諸城はもたないよ >>501
ないない、いくら信玄の寿命が延びようが家康すら寝返らすことはできずに勝頼コースで天目山で切腹だよ
何しろ信長と信玄では戦略的な優秀さが天と地ほどある
家康もそれを見抜いているからこそ決して武田には寝返らない
信長家臣団も信長の遠大な戦略に心服しててその中で活躍して利益を得たいと躍起になってる
家中の勢いも織田家の方が上だったろう >>7
柴田錬三郎の小説によると↓こんな修行をしたらしい
> 決闘あり淫行ありの、めくるめく忍者活劇
> 実は武田勝頼の遺児である猿飛佐助は初妊婦の陰毛を百本集める修行をなし、天才的な忍者に。
控えめに言ってクルクルパーだろwww >>503
で、織田、徳川方にその調略を仕掛けられる隙とかネタとかあったのか?
例えば、信長の甲斐侵攻時のように中央集権化に失敗して家臣団の不信感が高まってたとか
見当たらないと思うね。だから、大した調略などできない
当時の信玄が戦国最上級調略家の毛利元就と交代しても無理
戦国最上級調略家毛利元就ですら相手が優秀だと簡単には調略なんてできてないぞ
大内義隆が健在なうちは大内家を調略でなんて出来なかったし、陶晴賢討死後の大内家混乱で
尼子晴久に出し抜かれて石見銀山を奪われたが晴久健在なうちは石見銀山を奪い返せなかった
信玄の調略力で相手が信長じゃ無理だな >>504
三方ヶ原の戦いが家康の「大敗」だったことが大きい
家康も戦下手ではないのに
背後を突いたつもりが既に磐石の陣を敷かれてました、ってぐらい
当時の武田軍は練度が極まってた
足利義昭はこの勝報を受けて挙兵したぐらいだからな >>506
信玄の三方ヶ原勝利の影響は相当大きかったようだぞ
中央では信玄支持が優勢だったとされてるな
ここでやはり家格が生きてくる
あと宗教勢力も信玄側だったからな
信長は仏敵認定されてた >>507
そりゃ約3万の信玄が約1万の家康に負けてるようじゃ面目が地に落ちるわな
正面から激突したら勝って当たり前、信玄の凄いところはそこじゃなく、家康を嵌めて正面から激突に導いたところ
でも、家康が寝返って来ないのでは、この勝ちもあまり生きてこなかったね
いや、足利義昭が勘違いして挙兵してしまったのでやらない方がよかった戦いだったかもね >>508
そりゃ中央の上級たちは信玄支持だろうよ。信玄は守旧派で既得権益を守る側だからな
それに比べて信長は既得権を打破して新しい世の中を作るというのだから中央の上級の評判は良くないわな
あちこちが関所だらけで中抜きに苦しむ庶民の支持は信長だったろう
軍の8割が農兵という庶民だから信長有利じゃね?
中央の守旧派も武力には勝てないからなあ あ(大阪府)の人のめっちゃ信玄推しじゃん。俺はそういうの好きやで。
ただまぁ浅井朝倉は信玄死亡時にすでに終わりかけだから厳しいと思うわ。 >>512
俺もそういうの好きだわ、推しの戦国大名がいるっていいよなあ
まあ、だからこそおかしいと思うところは指摘して議論してみる 鈴木真哉あたりを真に受けて騎馬戦闘がなかったとか言ってるよりは前向きだな >>511
武田信玄 裏切りの極悪人
武田勝頼 呪いの子 きつかったやつが世の中での癒しが
ズボンはいた感じだって諦めてるようなものか
変わってない」 >>487
勝頼としては武田家の危機の時に北条が本気で武田の味方をしてくれると思えなかったんだろうな
信玄も渾身の信長討伐時は北条が当主自ら最低でも2万くらいを繰り出して一緒に戦ってくれることを
切に期待してたようだけど、北条が出した援軍は2千だったので酷く落胆したそうだ
結局、信玄は北条に落胆し、それを見てる勝頼は北条を信頼できなかったということだろうな
しかし、その通り北条を最後まで味方にしておいた方がよかったとは思うね
まあ、信玄にとってはたった2千でも他家の戦に2千も出してくれてるんだから感謝すべきだったろう
自分だって決して信頼のおける大名じゃなかったんだから、こういう所で恨み節なのが悪運を引き寄せてるとも言えると思う >>509
数の問題ではない
家康は背後を突いたつもりが
あっという間に磐石の布陣されて
フルボッコにされた
数で負けたのではなく
「釣り出された」んだよ >>510
中央の上級が信玄についた時点で
信長詰んでるんだよ
だから信玄が死ななかったら信長は終わってたわけよ 信玄が信長に勝つには元亀元年頃の信長包囲網の猛攻時にそれに参加して全力で信長を攻めるしかなかったんじゃないかな
そのころはまだ朝倉・浅井連合軍も3万の大軍で比叡山延暦寺の手引きで比叡山に陣取ってたし、三好三人衆も畿内で戦ってた
さすがの信長もまだ畿内をたいして掌握も出来ておらず将軍と朝廷に泣きついて講和するしかなかった
信玄が参加して講和を妨害することはできたと思うけどなあ
朝倉・浅井が信長に消耗戦を仕掛けられて勢力を縮小してしまった後では、まさに後の祭り状態だったようだな
まあ、長期的な戦略を描けなかった信玄の限界と言うべきか…
でも、信長がそこで潰れてたら関所だの座だのの中抜き既得権益は温存されたままで庶民はさらに長く苦しんだだろうな
やっぱり世の中の大多数の庶民の空気を読んで庶民を味方に付ける遠大な戦略を描いた信長が抜きんでていたということかな >>520
だから、その中央の上級が信長に何ができるんだ?
なんかさらに新しい軍隊でも呼び込んでくれるのか?
武力で圧倒されてて信長包囲網を支持してるだけだったじゃん
その信長包囲網も信玄が出てきたころには信長を圧倒できるほどじゃなく信長の戦略を
邪魔立てするのが精いっぱいじゃな 俺が今取り組んでいることをバグと言う資格あるんか
厳し過ぎるだろ >>494
俺は初代の北条早雲が歴代小田原北条当主で最強だと思うけどな
北条早雲推しだからそう思いたいw >>523
名目上とはいえ将軍義昭は信長の上に立ってる
将軍が反信長の意思を示したことで
信長陣営が瓦解の危機に晒された
その直後に信玄が没しなければどうなってたことやら >>527
義昭は信長のおかげで将軍になれた上に、もう何代も将軍は有名無実な状態だったから
さすがに将軍が反信長と言ったところで回りは将軍に味方して利益が得られるかでしか見てないよ
将軍側近でもあった明智光秀も結局、信長を選んでるじゃないか
信玄はこのままだといずれ信長に滅ぼされるとみていたから必死で戦ったわけだがな
元亀元年頃だったら何とかなったかもしれないが、そのころはもう無理だったよ
京の近くで軍事行動出来てた朝倉・浅井は後退して消耗戦で疲弊して信玄の要請で朝倉は何とか軍を繰り出したが
負担に耐えかねて信玄出馬でもう義務は果たしたとばかりに軍を引き上げる始末だし、これではどうしようもない 過去の人全て馬鹿者は
時給で3000円くらいだから
適正な処方だよ
いや
俺は月40買ってるんだな 勝頼は戦闘Sランク外交Cランク
上杉の御館の乱でもう少し上手く立ち回れてればなんとかなったのに >>528
史実は義昭が反信長の反旗を翻してすぐに信玄が死んだからだよ
まあ不運すぎるわ
信玄存命IFだと信長陣営存続は難しいだろ
敵が多すぎる >>533
元亀元年頃だったらそうだろうけど、その後の朝倉・浅井が消耗戦で勢力減退してかなり弱まってる状態じゃまだ信長に分があると
思うけどね。信玄が意を決して対信長戦に出るのが遅すぎたと思うね
信長包囲網と言っても合従軍ですらなく、てんでバラバラにやってたんじゃ各個撃破されるしかない
戦上手の信玄には籠城戦で対抗して時間を稼げば時間がたてばたつほど信長有利になる(畿内の豊かな土地が信長のものになるし)
約6万もの軍勢を動員出来て信長の号令一下で縦横無尽に動く軍と合従軍ですらない包囲網じゃ軍の指揮にだいぶ差があるよ
だいたい、古代中国の秦王朝を合従軍で攻め立てた他の有力諸王朝も攻めきれずに撤退で結局、秦の中華統一だったし
合従軍ですらない包囲網じゃとてもじゃないがどうしようもない。合計しても信長の約6万をはるかに超える軍勢でもないし >>534
史実は信玄が撤退して信長包囲網が瓦解して各個撃破された
信玄が三河、遠江を落としたら
尾張、美濃がヤバくなる
美濃方面は馬場勢が脅かしてたし
そうなると浅井、朝倉に手を回す余裕はないな >>533
>史実は義昭が反信長の反旗を翻してすぐに信玄が死んだからだよ
すぐにと言っても義昭が反旗を翻した時は生きてたじゃん
信玄がいることがそんなに影響力あるならすぐに義昭に合力する領主が何人も出てきてもおかしくないのに
全く出てこずで信長に鎮圧されて終わり、さらに、側近の明智光秀は信長を選んだ
信玄が生き延びてても無理だよ
信長は当時の圧倒的多数派の庶民の空気を読んで戦略を立ててる。中央の上級も日本人らしく空気に敏感だから
信玄に上洛してもらって既得権益を保護してもらいたいと思っても、空気に逆らって自ら動くなんてなかなかできないよ
信玄が空気を無視して上洛して既得権を保護してくれ、上手く行くようなら大いに味方するよくらいにしか思ってない >>535
だから信玄に対しては籠城戦でいいんだよ。田植えや稲刈りの農繁期には本国に帰るんだし大いに時間を稼げる
朝倉・浅井もだいぶ弱まってるから出てきたら籠城で止めておけばいい。で、畿内を攻略で問題なし
何と言っても兵力では武田の倍以上なんだし、その兵力を信長の命令一下で操れるわけだし、これがデカいよ >>535
信玄が撤退と言っても、もう田植えの時期だし信玄が生きてても撤退の時期だぞ
だから、信玄撤退で包囲網瓦解なら信玄が生き続けて田植えでどうしても帰らないといけなくなって撤退で
包囲網瓦解じゃないか。結局、包囲網は各個撃破されて瓦解するしかなかったんだよ 最長で一カ月あるな
それだけの変な名前でもクレカ情報、セキュリティコードまで入力させてるからまだまだ戦える
定番だとスルーされそう
インスタでも知名度上げてたのにな 水野信元て最大24万石の尾張三河の大名なのに全然名前出てこないよな \📢情報解禁🦥/
それなら本当っぽいね…
もう引退したんだけど他の地味に負担がでかいんですけど
アステラスは1400〜1600円の頃ETF2300円だったマップとかを違和感なく3Dに落とされたjcらしい 動画貼れ >>537
朝倉が出兵を渋るのに憤ったというが
その頃はもう死の床だったんじゃねの?
目立った外交活動がないからな >>538
単に籠城だけじゃなく
ボコボコにされてから籠城なので
外聞悪すぎ
武田軍が撤退しなかったら
悉く寝返ってたかもな >>539
その場合でも完全撤退するわけないやん
だから信玄の死が早くから疑われたわけで >>544
そうだとしても信玄が死にそうだとかもうすぐ死ぬなんて京には全く伝わってないだろうし
将軍義昭挙兵で誰も味方しないんだから信玄の京方面への影響力も大したことない
もう、将軍の権威は地に落ちてる状態だったし、義昭は信長の力で将軍になっただけだし、
世間は今さら将軍になんも期待してないよ、実力ある信長が立ててるから辛うじて権威があったが、
信長の実力を放棄したらもうだれも権威としては認めないということだよ
義昭将軍就任のはるか前から都落ち将軍を「貧乏公方」と罵る庶民もいたくらいだしな
すでに実力なき将軍では権威なんて全くない状況になってた。だから義昭は後に実力を持ってる毛利を頼るしかなくなった
それでも信長に比べればだいぶ実力は下だから中央に影響力を及ぼすほどにはならなかった
信長は自信に権威や正当性がないことは百も承知でそれを補うために義昭を担いだ、後に反目し合うことになるのも分かってて
民衆が喝采する既得権の打破を有言実行して民衆の空気を掴み、将軍なしでもなんとかなる状態に成ることを急いだ
当初温和だったと言われる信長が鬼のようになったのも将軍なしで人々を従えるための行動だろう >>547
だから義昭は信玄の死を知らずに挙兵してしまってるわな
まあ不運すぎるわ >>545
織田家という後ろ盾があるのだから必ずしもそうとは言えないと思うね >>546
田植えの時期なんだからそれほど多く残しておけないだろう
だから下手に少数残して地元の織田・徳川に撃破されるより完全撤退するとおもうけどね >>542
弟忠重の息子が良くも悪くも有名すぎてねえ >>547
義昭の反旗に信長は焦りまくって
人質まで出すと言ってるからな
相当に追い詰められてた >>550
保持できないところを春に落とすわけないやん
野田城の攻防そのもが信玄の病で遅れたとも言われてるが
いずれにせよ全面撤退はないわな >>552
そりゃ傀儡として手元にいた方が有利だからな
上手いこと言って留めようとするのは当然の戦略 武田勝頼の時代は何が正解だったのか、いまいちよく分からん
本来歴史は後付けで色々と言えるが勝頼の時代はホント分からん >>553
そりゃ確保した城は守りを固めとくに決まってるわな
そんなことまで否定はせんよ >>555
勝頼の場合はもうどうすることもできないという感じだな
甲斐以外を織田家に差し出して降伏して甲斐の領有を認めてもらって織田家臣団に加わるとかできないしな。家臣が納得せん
甲斐自体が武田家が一元支配できておらず、穴山や小山田は事実上の独立勢力で武田の軍事支配下に入ってるだけとも言える状態
戦っても勝ち目ない、降伏も無理、家臣たちを放り出して逃げるのも無理
なんかいい方法はないものか… >>554
反信長を鮮明にしたのに
傀儡も何もないわな 勝頼は信玄が信長と同盟破棄した時点で無理。馬場や山縣は信玄の子飼い扱いにくいことこの上なし
諏訪のままだったら神職に繋がるし、武田が滅んでもワンチャンあり。 >>558
反信長を撤回させればいいだけじゃん
だいたい人質出すと言ったからって追い詰めれてたとか意味不明
織田軍に囲まれてて出された人質を殺せるのか?
なーんも追い詰められておらんよ >>559
なるほど、武田当主代行を辞職して諏訪に戻ればいいわけか
家臣団も中央集権には大反対で勝頼に対しても武田じゃなく諏訪であって当主代行に過ぎないと軽く見てたし
そいつらを見限って織田に降伏するのも一応、理があるだろうがどうだろうか…
まず、織田信長に内々に降伏を申し入れる、条件は諏訪領の安堵、勝頼を織田家臣団に加えるでいいだろう
そして、武田攻めの時に信長は勝頼に秘密裏に通告して勝頼は強引に武田当主を辞職し、諏訪に戻り信長軍を待ち
その間は武田家臣団の猛攻を防ぐと(勝頼は武勇にかなり優れた武将だからしのぎ切れるだろう)
さて、やっぱり、こんなことして後世に汚名を残すことになりそうだということだけが障害かな
後世に汚名を残すのが嫌なら武田家と運命を共にし、生き残るのを優先するなら武田当主辞任で諏訪として降伏かなあ >>560
信玄が健在なら反信長撤回するわけないやんwww >>562
ずいぶんと当時の将軍を高く見てるようだけどもう8代将軍義政の時代とは違うのだよ
義昭が撤回しなかろうが何だろうが実力ないんだからどうしようもない
史実の撤回しなかった後だって大したこと出来てないしな
信玄が生きてるうちに決起したのに誰も合力してくれないしどうしようもなかったじゃん
義政の時代はまだ将軍に絶大な権威が残ってて義政が政治を放り出して軍も掌握せず実力なしになって文化に傾倒してても
妻の日野富子ら政治やってる連中から将軍なんだから命令書に花押してくれだの公式文書作成してくれだの言われて
やらされてたけど、義昭の時代にはもうそんな権威もなかったんだよ
突然、草まで生やしてどうしたの?
なんか、お怒りのようだからもう議論は無理そうだね 晩年の信玄も外交判断がおかしかったし
勝頼も外交判断がおかしかった
2代続けておかしかったから
武田家が滅んだのも当然 中央を掌握して信長が強くなりすぎたからでは
ゆうわ策も袖にするくらいだし信玄でもかなわんかと >>487
北条と気脈を通じる上杉景虎を助けず、景勝側になったのは次の要因だよ
・越後が親北条の勢力になるのを好まなかった
・越後の家臣団が景勝側に多くついたのを察して勝ち馬に乗った
・甲越相の三国を周旋する国家外交を担える人物もいなかった ID:14VjYphZ0
信玄時代の武田家を舐めくさり過ぎだろ
1572年末から73年初にかけての織田家は余裕はなかったぞ
伊勢長島の一向宗門徒は健在で、伊勢の北畠家も動向が不穏だったし、
東濃方面も秋山に岩村城を攻略されて情勢が危うかった
越前朝倉は2万超の軍勢を動員できる状況で無視はできなかったし、
京周辺は三好一党をまだつぶせていない情勢だ
おまけに自身は北近江の浅井をまだ攻略できずにいる
遠交近攻で毛利と上杉とは事を構えていないが、反織田をひっくり返せる状況でもなかった
信長の素晴らしいところは信玄死去を情勢転化の好機と見て、一気に立て直した戦略眼だよ
朝倉2万の軍勢をほとんど自軍を損耗させず打ち破り、一乗谷まで陥落させたなんて並みの戦国大名では無理
信玄死去までは本当にヤバかったと観るのが普通だと思うわ >>563
そら「将軍」だからなw
信長もその権威を利用しようとした
その権威が信長から離れたら
信長には何も権威がないぞ
この時期はまだ官位すらねーんだから >>555
後付けだったら何とでも言えるとは思うが、
織田とは当面決戦を挑まず、徳川領(遠江)に侵食することを第一歩とするのが前提
・三河と美濃には情勢が変わるまで手出しせず、まず遠江を攻略することに注力
・上杉とは関係改善、北条とも上野方面で事を構えない
・西の毛利と北陸の上杉勢の動静を見つつ、武田としては二番手の位置づけ、織田勢の分散に一役買う
・遠江を攻略できてから三河へ侵食、決戦ではなく調略を中心に
・織田と交戦するのは三河攻略がほぼ成って徳川勢を蹴散らしてから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています