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「ビッグバン直後」の宇宙は直径1.5m 岡くんぐらいだった😲 [659060378]
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0001名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US]
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2024/03/08(金) 01:15:12.00ID:5axw5ssu0?2BP(7000)

さかのぼって推測できる限界は時間にして
高温のビッグバンの発生から10-35秒、
距離でいうと1.5メートルまでということがわかっている。

大きさを特定できるもっとも初期の段階の宇宙は、
人間と同じくらいの大きさだったということになる。

https://forbesjapan.com/articles/detail/64524/page4
0002名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US]
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2024/03/08(金) 01:15:29.03ID:5axw5ssu0?2BP(7000)

スゲー
0003名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [US]
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2024/03/08(金) 01:15:43.76ID:5axw5ssu0?2BP(7000)

ゆぴー
0005名無しさん@涙目です。(やわらか銀行) [CN]
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2024/03/08(金) 01:17:52.52ID:WvxJMhJ50
神「ぎりセーフ」
0006名無しさん@涙目です。(東京都) [ニダ]
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2024/03/08(金) 01:24:20.24ID:FLboCs0l0
光速で30秒だととんでもねぇ距離のはずだが
ビッグバンから30秒経ってもまだそんな大きさなの?
ビッグバン直後は何か物理法則が違うのか??
0007名無しさん@涙目です。(茸) [GB]
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2024/03/08(金) 01:29:39.73ID:4/JfGdqL0
>>6
よく嫁
0012名無しさん@涙目です。(庭) [US]
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2024/03/08(金) 01:41:13.23ID:uuPgUarX0
ユピーッ!←この時に宇宙が膨らんだって事か
0014名無しさん@涙目です。(庭) [ニダ]
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2024/03/08(金) 02:00:16.34ID:k4R70jmW0
>>13
岡あさんの子宮や
0016名無しさん@涙目です。(ジパング) [CA]
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2024/03/08(金) 02:07:24.96ID:0BUTZvHB0
インフレーションが凄すぎて 今の宇宙空間って既に消滅後の残像で 実際は存在してなさそう
単に空間上に情報保存された現象を再生してるか情報放出してるだけの世界だったり
0017名無しさん@涙目です。(庭) [GB]
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2024/03/08(金) 03:04:35.43ID:UsNSjXF00
ビッグクランチで集束した何かがをビッグバンを発生させて次の宇宙であるこの時空が構成されたに10ペリカ
フラクタル的に考えて宇宙も心臓のように膨張と収縮を繰り返してるだけな気がする
0019名無しさん@涙目です。(千葉県) [US]
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2024/03/08(金) 04:13:11.67ID:9iKzChTV0
>>6
今の宇宙とは状態が違うから
生まれたばかりの宇宙は今ではあり得ない法則が成り立つとかなんとか
0022名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:24:03.88ID:0HKdc/n/0
『神の国』が語る千年王国
■『神の国』の基礎知識

 ヨハネの黙示録やその他の黙示文書の中でいきいきと語られている千年王国思想は、西暦1、2世紀頃の人々にはまさに文字どおりに受け取られた。人々は千年王国が現実的にいますぐにも実現すると信じ、同時にそれを待望したのである。このような流行はキリスト教徒の範囲を超えて広まったので、キリスト教の拡大にも役立った。
 しかし、いますぐにも実現するはずの千年王国がなかなか実現しないという現実は、千年王国思想に対する疑いも生み出した。3世紀になると、古代教会の有力神学者だったオリゲネスが、千年王国は決して物質的なものではなく、信者の心の中にだけ現れる現象だという考えを主張した。4世紀末期には、キリスト教はローマ帝国の国教となり、地中海世界で最も強力な宗教になっており、教会の組織も整っていた。したがって、明日にもこの世が終わるという千年王国思想が、いまや支配者である教会によって拒否されるのは当然の成りゆきだった。
 このような流れを決定づけたのが、5世紀初頭に書かれた聖アウグスティヌス(354~430年)の『神の国』である。
 アウグスティヌスは396年から、カルタゴからそう遠くないアフリカ北岸にあったヒッポの教会の司教を務めたが、『告白』、『三位一体論』などの著作によってキリスト教会だけでなく後世のヨーロッパの思想に多大な影響を与えた人物で、中世最大の教父といわれている人物である。
 『神の国』はその主著だが、この中でアウグスティヌスは、神の国(千年王国)はキリスト教発生とともに始まっており、教会の中に実現されていると主張したのである。
 時宜にかなったこの考えはすぐにも教会によって正当な教理と認められた。これ以降、少なくとも教会側にとっては、千年王国思想は完全に否定されるべきものとなったのである。実のところ、アウグスティヌスは神の国と地上の教会を完全に同一視したわけではなかったし、終末を信じていないわけではなかったが、彼の著作が千年王国思想を封じ込める働きをしたことは確かだった。もちろん、教会の外側では、千年王国思想を信じる人たちは多かったが。
 ここでは、このあたりのことに注意しながら、アウグスティヌスが語る千年王国の概観や教会によって拒絶されるまでの千年王国思想の流れを追ってみたい。
0023名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:24:11.84ID:0HKdc/n/0
■千年王国思想の流行

 千年王国思想が隆盛を極めたのは1~2世紀の時代である。この当時の人々は千年王国の到来を熱狂的に信じていたが、ノーマン・コーンは『千年王国の追求』という本の中で、このような熱狂の例としてモンタノス主義者の運動を取り上げている。
 それによれば、西暦156年に、フリギアにおいて、モンタノスという人物が、自分はヨハネの黙示録に預言された聖霊の化身であると宣言したことがあった。すると、すぐにも彼のまわりに熱狂的な信者が集まり、個人的な幻想体験を神から授かったものと信じるようになったという。その幻想のテーマは、神の王国に関するもので、間もなく新しいエルサレムが天からフリギアの地に降りて来るというもので、このために彼らはすべてのキリスト教徒をフリギアに召集し、断食などをしながら、主の再臨を待とうとしたのである。177年以降にキリスト教徒たちへの迫害が強化されると、モンタノス主義は小アジアやアフリカ、ローマ、ガリアにまで広まった。
 千年王国が到来するという期待は、4世紀にはメシアとローマ帝国皇帝を同一視する最後の皇帝の神話も生み出した。この神話は、ローマ帝国皇帝の末裔である最後の皇帝が、悪の代表であるゴグとマゴグを打ち破り、その後にローマ帝国の終焉の徴として、神に帝冠を返還するというものだが、この神話はその後1000年間もキリスト教徒の間に生きていたといわれる。
 このように、千年王国思想は古代はもちろん古代末期においても多くの人々に受け入れられており、創造性にも富んでいた。
 しかし、組織においても制度においても確立されたキリスト教会にとって、このような思想が受け入れがたいのも事実だった。アウグスティヌスの『神の国』が書かれたのはこのような時代だった。
0024名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:25:49.94ID:0HKdc/n/0
教会こそ実現された千年王国である 西暦410年に西ゴート族がローマに侵入して略奪をほしいままにするという忌まわしい災厄があったが、この事件は反キリスト教的な動きを活発にした。ローマを襲った災厄は、古来の神々を捨てた神罰であって、いまこそキリスト教を退けなければならないと考えられたからだ。アウグスティヌスの『神の国』はこのような人々の非難からキリスト教を守るために書かれたものである。
神の国は教会の中に実現されているという考えはこの書の中で述べられており、これが教会の教理として認められたわけだが、アウグスティヌスの主張は中世以降においてしばしば誤解されたというのが現在の一般的な見方である。例えば、アウグスティヌスは神の国と教会とを完全に同一のものとはいっていないが、これらを同一のものと考えることから、教会をこの世で至上のものとするような誤謬が生まれたというのである。
 では、アウグスティヌスにとって、神の国とはどのようなものなのだろうか?『神の国』では、神の国は地上の国と対比されており、神を愛し、自己をさげすむ愛が神の国を、自己を愛し、神をさげすむ愛が地上の国を造ったとしている。これら2つの国がどこにあるかについては2通りの解釈がある。1つによれば、神の国は教会であり、地上の国は現実の諸国家ということになる。もう1つによれば、どちらも理念であって、現実と対応させられないものだという。
したがって、神の国は教会によって実現されてはいるが、これら2つは完全に一致するものではないのである。もしも、これらが一致するものならば、教会は完全に理想的な存在となるわけだが、アウグスティヌスはそのようにはいっていない。彼によれば、教会の中にも邪悪なものは存在し、教会の外にも善なるものは存在するのである。そこで、神の国は教会において実現されてはいるものの、それはまだ不完全なものだということになる。アウグスティヌスによれば、地上に実現された神の国はこのように不完全なもので、やがて終末において完全なものとなるために、時間の中を進んでいくものなのである。 この神の国が始まったのは、イエス・キリストが誕生したときである。それいらいずっと地上における神の国は存在している。しかし、終末がいつ来るか、地上における神の国がどれだけ続くかということにはアウグスティヌスは答えない。そのようなことは神だけが知っているからである
0025名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:27:03.75ID:0HKdc/n/0
どこまでも均質に続く時間

 アウグスティヌスは教会の中に神の国(千年王国)は実現されているとし、それがいつやってくるかわからない終末の日まで続くと考えている。
 終末の日がいつ来るかわからない以上は、終末までのプログラムを思い描くのは無意味だということである。
 黙示文学や古代ユダヤには、神が世界を創造した7日間という創世記の記述に基づいて、世界の歴史を7千年とする考えがしばしば見られる。世界は6千年間持続し、その後で神の子が悪しき者たちを退治して、7千年目に真の休息(神の国)が手にはいるというのである。
 アウグスティヌスもこのような考えを認めており、イエスは第六時代の初めに誕生したと考えていた。また、彼は古代ギリシアの思想に見られたような循環的な歴史観を徹底的に非難しており、歴史は直線的に進むと考えていた。
 しかし、アウグスティヌスは進歩というような考えは認めなかったのである。彼にいわせれば、人間にとっては時間は均質なものなのである。終末の日は必ず訪れ、そのときには神の国は真に完成したものとなるが、神の国が築かれる過程は神だけに明らかであり、人間の目には見えないものだからである。

■それでもこの世の終末はある

 イエス・キリストが出現したときから地上における神の国は実現され、終末の日はいつ来るかわからないと考えていたアウグスティヌスだが、終末の日が来たときに死者が復活することや、最後の審判が行われるということは信じていたようである。
 千年王国がすでに実現されているというと、新約聖書正典であるヨハネの黙示録に完全に反するようだが、アウグスティヌスには初めからそれに対抗しようなどという意図はまったくないのである。
 例えば、ヨハネの黙示録には、千年王国を語る部分に、天使がサタンを千年の間縛り、底なしの淵に投げ入れたという記述がある。もしも、この千年を千年王国樹立の初めの出来事とすれば、千年王国が続く千年間は悪の存在しない世界だと解釈でき、アウグスティヌスの語る地上の神の国が不完全だということと矛盾することになる。しかし、アウグスティヌスはこの千年という記述を次のように解釈するのである。
0026名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:27:20.79ID:0HKdc/n/0
「ところで千年は、わたしの見るところでは、二つの仕方で理解されることができる。その一つは、あの出来事は最後の千年に、すなわちいわば第六日――その終わりの時間がいま経過していて、さらに夕べをもたぬ安息日、つまり終わりなき聖徒たちの休息がつづく――その第六日たる第六千年に起こるのであるから、ヨハネはまだ世の終わりに至るまで残っているこの日の、つまりこの千年の最後の部分を、あたかも全体によって部分を表すような語り方で千年の呼んだのである。いま一つは、完全な数によって時の充実そのものが注目されるよう、たしかにヨハネはこの世の年数全体のために千年を用いた」
 これによれば、悪魔が縛られるのは千年王国が続く期間の最後の頃のこととなるし、千年という数も、実際の千年を表していると考えなくてもすむことになる。そして、アウグスティヌスの考えは、ヨハネの黙示論とも矛盾しなくてすむようになるのである。
 『神の国』の中でも、とくに第20巻から22巻にかけて、アウグスティヌスは過去のさまざまなキリスト教文献に現れた終末の預言をとりあげて吟味しているが、その中には終末ということに関して興味深い記述が多いのである。
 ここで、その一例を挙げてみよう。終末の日に死者たちが生きているときと同じ完全な身体で復活するというのは黙示文書で必ず語られることだが、もしも、ある危機的な状況で人肉食が行われ、喰われた人間も喰った人間も死んでいた場合はどうなるのだろうか? 喰われた人間の身体は喰った人間の身体の一部分になっているのだから、これらの死者が両方とも生きているときと同じ姿で復活するのは不可能なように感じられる。
 アウグスティヌスによれば、この場合でも両者は生きていたときの姿で復活するのである。というのは、喰われてしまった人間の肉は、喰った人間から見れば借り物なので、それは喰われた人間に返される。喰ったものを返してしまうと喰った人間には不足が生じる。この不足した部分は、人肉を喰う以前にどこかへ失われたといえるが、その失われたものもすっかり回収されるからである。また、世界のどこにも見つからない場合は、神がそれを造って補うことができるのである。
0027名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:27:45.54ID:0HKdc/n/0
フィオーレのヨアキムが語る千年王国
■フィオーレのヨアキムについての基礎知識

 近代の歴史観には歴史を3段階に分けて、その3段階目において歴史が完成するとする考えがしばしば見られる。20世紀思想の大きな潮流の1つだったマルクス主義も人類の歴史を原始共産主義、階級社会、国家が消滅した後に実現する自由な社会主義という3段階に分け、最後の段階で歴史は完成すると考えている。
 ここで、歴史をそれぞれ特徴のある3段階に分け、しかも段階ごとに歴史が進歩して最後の段階で完成するという見方を近代的な歴史観とするなら、このような歴史観はけっして近代に発明されたものではないといえる。
 12世紀の終わり頃に、イタリア半島先端のフィオーレの修道院長を務めていたヨアキム(1135-1202)こそ、このような体系的歴史観を最初に創始した人物なのである。
 もちろん、歴史が最終的に完成するとする考えは、それだけでも十分に終末論的(千年王国的)なものであり、紀元前後のユダヤ教やキリスト教に登場していたことは確かである。しかし、古代や中世の大部分の時期においては、このような考え方は、始まりから終わりまでを見通すような体系的な歴史観として語られたことはなかった。とりわけ中世においては、歴史が完成することで地上において理想的な国が実現されるという千年王国的思想は、教会によって遠ざけられた。こうした時代に、歴史が地上において完成され、歴史の内部において千年王国が樹立されるという思想を復活させ、さらには始まりから終末までに至る全歴史を詳細に段階づけて、巨大な体系的歴史観として完成したのがヨアキムだったのである。
0028名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:29:41.59ID:0HKdc/n/0
■数の象徴が歴史の進行を解明する 自分のことを重要なキリスト教歴史神学者の1人だと主張したフィオーレ修道院長ヨアキムは、聖書を霊的に解釈することで、この世の全歴史の進行は過去・現在・未来のすべての事柄に関して理解可能であると考えていた。霊的解釈の意味は必ずしも明確ではないが、ヨアキムにとっては予型論(旧約聖書の記述が新約の内容を予示しているとする考え)と寓意によって聖書を読むことが大事だとされた。 これに加えて、ヨアキムは数による象徴を重要視した。中でもとりわけ重要とされたのは、1、3、4、5、7、12だった。ヨアキムは終末までの全歴史を3つの部分、5つの部分、7つの部分などに分けて説明するが、それは現実に根拠を持つというよりは、その数自体が重要だったからである。
このように数の象徴性を重要視する考えは、古代の宇宙論や占星術と関係するものだが、古代や中世の人々にとって、それだけで重要なことだったといわれている。したがって、ヨアキムの終末論的歴史観に数多くの数が登場するのは、現実に根拠があるというよりは、その数自体に根拠があるのであって、それを用いることによって歴史が解明できるとヨアキムが考えていたからだということに注意してほしい。

■聖三位一体こそ真理
歴史を解釈するためにヨアキムが用いた象徴的な数の中でも、最も重要視されたのは1と3だった。これらの数は、キリスト教神学の中でも基本的な要件である三位一体論(注1) にも用いられているが、1180年以降にヨアキムは2度の霊感を受け、三位一体論こそが真理を手に入れる方法だと悟ったといわれる。 そこで、ヨアキムの歴史理解は神が3つの位格を持っているように、歴史もまた3段階を持っているということから始まる。3段階はそれぞれ〈父の時代〉〈子の時代〉〈聖霊の時代〉とされる。〈父の時代〉は父が支配する時代であり、過酷な律法の時代である。〈子の時代〉は子の支配する福音の時代だとされる。したがって、この時代が成就するとき、人々は過酷な律法から解放されるのである。〈聖霊の時代〉は聖霊が支配する時代であり、より完全な自由が実現する時代である。3段階にはそれぞれ余人を導くような代表的な人々がいるが、それは第1段階においては夫婦者(父は子をもうけるから)、第2段階では聖職者(イエスは神の言葉だから)、第3段階では修道士(聖霊のたまものを受ける特権者だから)とされる。
0029名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:29:56.79ID:0HKdc/n/0
こうして、時代は霊的な意味で完成に向かい、最後の段階で千年王国的世界が実現するとされたのである。〈聖霊の時代〉において歴史が完成するのは、旧約の文字は父に帰し、新約の文字は子に帰し、父とこの双方から発する霊的理解は聖霊に帰すると、ヨアキムが考えたからである。時代が霊的に完成に向かうとする考えは、この世の歴史は〈旧約時代〉と〈新約時代〉の2つの時代があり、その間に霊的進歩が存在しているというキリスト教の基本的な考えに基づいている。このため、象徴的にはとくに重要な数ではない2という数も、ヨアキムは重要なものだと考える。さらに、歴史を3段階に分けることの利点として、ヨアキムはこの3段階の前に律法以前の時代を、後に世界終末以降の永遠の国を想定することで、歴史を5段階に分けることも可能だからだと考える。
 しかし、千年王国が実現するのは歴史の第3の段階が始まったときではない。ヨアキムの考えでは歴史の3段階は互いに重なり合った部分を持っている。(図1参照)これは、それぞれの段階は前の段階において準備されるからだとヨアキムは考える。こうして、歴史はさらに細分化され、4つに分けることが可能になるが、このうち歴史の第3段階が完全に成就される第4時代が、千年王国に相当する時代とされるのである。

(注1)新約聖書のマタイの福音書などで語られている「父なる神、子なるキリスト、聖霊」の3者は、3つの異なる神なのではなく、唯一の神の3つの位格だとする論理。
0030名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:30:12.27ID:0HKdc/n/0
西暦1200年に歴史が完成する

 ヨアキムは歴史の全体を3段階から4時代へと細分化したが、このうちでヨアキム自身が存在しているのは当然、人々が福音の下に生きている第3の時代である。これだけでも、歴史全体から見れば千年王国が近づいていることはわかるが、どれほど近いかはわからない。そこで、ヨアキムは全歴史をさらに7つの世に細分化していく。(図2参照)7という数は象徴的に重要なだけでなく、神が6日間で世界を創造し、7日目に休息したという創世記の記述にも用いられている数である。
 7つの世のそれぞれには聖書や教会史に基づいて人間の21世代が存在するとされ、歴史の3段階のそれぞれに61世代が存在する。これら世代を用いることで、ヨアキムは歴史の3段階をさらに詳しく説明している。つまり、第1段階はアダムに始まり、アブラハムによって実を結び、キリストで終焉する。第2段階はウジヤに始まり、洗礼者ヨハネの父ザカリアにおいて実を結び、42世代目に終焉する。第3段階は聖ベネディクトゥスに始まり、彼から22世代目に実を結び、世界の終焉において終焉するのである。
 さらに、ヨアキムは歴史の第2段階に所属する世代は正確に一世代30年と計算するので、ヨアキム自身は第2段階の40世代目に位置することになる。したがって、歴史が完成し、千年王国が到来するのももう間もなくだと考えられたのである。計算上、それは1260年に到来することになるはずだが、ヨアキムは、それは数年後、つまり1200年頃に訪れるだろうと予言している。
0031名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:30:24.43ID:0HKdc/n/0
■ヨハネの黙示録の予言の意味

 千年王国が西暦1200年頃から始まるという考えを、ヨアキムはヨハネの黙示録から手に入れている。
 ヨアキムによれば、ヨハネの黙示録は全体で第8部に分けられる。(注2) そして、この8部分は、この世に教会が誕生して以降の教会史の7つの時期と、それに続いて8番目にやってくる永遠の至福の時期を予告しているとされる。
 これらの8時期のうち、第5時期まではすでに終わっており、ヨアキムは第6時期にいる。第7時期は千年王国の時代である。
 したがって、第6の時期まではこの世にはキリスト教徒に対するさまざまな迫害があり、義人たちの最大の敵である反キリストが存在することになるが、ヨアキムは黙示録を霊的に読み解くことで、各時期の代表的対立関係と反キリストを次のように指摘している。
〈第1の時期〉 聖職者 VS シナゴーグ (反キリスト:ヘロデ)
〈第2の時期〉 殉教者 VS 異教徒 (反キリスト:ネロ)
〈第3の時期〉 博士 VS 異端 (反キリスト:コンスタンティウス)
〈第4の時期〉 処女 VS イスラム教徒 (反キリスト:ムハンマド)
〈第5の時期) ローマ教会 VS バビロン (反キリスト:ハインリヒ4世)
〈第6の時期〉 霊的な人々 VS 竜・海からの獣・陸からの獣 (反キリスト:サラディン)(最大の反キリスト)
 第6の時代に2人の反キリストが登場するのは、それがまさに千年王国直前の時期だからであり、それだけ大きな迫害が起こるのである。その迫害はすでに数年後に迫っており、最後の2人の反キリストが登場したときには、彼らは3年半にわたって地上を支配し、教会を荒廃させるだろうといっている。
 また、ヨアキムはこの時代に反キリストと連携してキリスト教徒を迫害する勢力として、イスラム勢力と西欧の異端を上げている。
0032名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:30:41.26ID:0HKdc/n/0
■ヨアキムの語る千年王国とその終わり

 さて、反キリストの支配の時代が終わることでついに千年王国がやってくるわけだが、それはただ待っていればやって来るという種類のものではない。当然、そこには闘争がある。
 この闘争を指導するのは、この時代に出現した〈新しい導師〉であり、彼と共に〈霊的な人々〉も戦いに加わるとヨアキムはいっている。古い時代のキリスト教黙示論と同じく、この戦いが勝利のうちに終わることで、千年王国が到来するのである。戦いの勝利は、キリストが悪の勢力を掃討し、獣を火の湖に投げ込み、サタンを冥府につないだときにもたらされるという。ただし、ヨアキムにとっては、この王国は単純にキリストの再臨に結びつくのではなく、あくまでも聖霊の業だと考えられている。
 千年王国それ自体については、ヨアキムは選民による修道共同体のようなものだと考えている。歴史の第3段階の始まりに、西欧修道制の父といわれる聖ベネディクトゥスが置かれているのもそのためである。この世界は当然、平和で調和のとれた理想郷であって、選ばれた選民たちが修道院の中で外部から離れて修道士らしい生活をするのに都合よくなっている。修道院の周りには、農業・工業・商業に携わる人々も暮らしているが、これらの人々も平和な暮らしを享受し、選民たちの生活を支えているのである。
 こうして、地上の千年王国は長期間にわたって続くが、ヨハネの黙示録が語るのと同じように、やがてそれにも終わりが来る。このときに当たって、かつての戦いで敗北して逃げ出していた反キリストが、ゴグとその軍隊と一緒に再び出現してくる。この大決戦が、歴史の第3段階の終わりを印すのである。
 このとき、死者たちの復活と最後の審判があり、これによって地上の歴史はすべて終了する。この世は完全に破滅し、以降は彼岸の世界において、文字どおり永遠に続く王国が打ち立てられるのである。
0033名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:30:59.88ID:0HKdc/n/0
カンパネッラの語る「太陽の都」
●カンパネッラについての基礎知識

 トンマーゾ・カンパネッラ(1568-1639)の著書『太陽の都』(1602年執筆。1623年出版)はトマス・モアの『ユートピア』と同様に、ユートピア小説あるいはユートピア論として知られるものである。
 ここで、ユートピアと千年王国の違いを簡単に指摘しておくと、ユートピアは、千年王国と同様に理想の国あるいは幸福な国を意味するが、トマス・モア自身がいっているように、“どこにもない国”であって、結局のところ実現することのない国だといえる。これに対し、千年王国はけっして“どこにもない国”ではなく、いつか必ずこの地上において実現されると考えられた国である。したがって、ユートピアと千年王国は基本的に性格が異なっているといえる。
 それにもかかわらず、ここでカンパネッラの『太陽の都』を取り上げるのは、彼自身が千年王国の到来を熱望しており、この著書にもその影響が見て取れるからである。
 カンパネッラは千年王国説で後世に大きな影響を与えたフィオーレのヨアキムと同じイタリア半島のカラブリア地方に生まれた。彼は幼いときから神童と呼ばれ、13歳で聖職者を志したが、生まれは貧しい労働者の息子だった。このことが彼の思想形成に大きな影響を与えたといわれる。労働階級の貧しさを知っている彼にしてみれば、よりよい時代の到来のために具体的に戦うことは人間として当然のことに思えたからだ。修道士となったカンパネッラは21歳の時から各地を旅し、30歳の時に再び生地に戻ると、そこでカラブリアを改革しようという共産主義的な政治運動に巻き込まれる。この当時、スペインの植民地だったカラブリアは収奪や迫害によって見るも無惨な状態だったことが、彼の政治運動の背景にあるといわれる。この革命運動によって、カンパネッラが目指したものこそ、同郷の先輩であるヨアキムが唱えた千年王国だったのである。
 しかし、この革命は失敗に終わり、カンパネッラは捕らえられると、それから27年間も獄につながれることになった。この獄中生活において、自分が目指していた世界を書きつづった書が『太陽の都』なのである。この書が絶対に実現することのないユートピア論でありながら、千年王国的な期待を持っているのもこのためだといえるだろう。
0034名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:31:19.02ID:0HKdc/n/0
カラブリアの挫折した1600年革命

 カンパネッラの革命計画は1599年に計画された。彼の考えでは、神秘的な数である700と900を加えた1600年は特別な年であり、洪水を含めた宇宙的規模の天変地異が生じ、世界が刷新されるはずだったからである。そして、新しい王国は彼の生まれ故郷であるカラブリアに誕生するはずだった。こうした考えに基づいて、彼はスペインと反宗教改革を推進していた教会側に戦いを挑もうとしたのである。カンパネッラはまったく預言者のように語ったので、仲間内では完全にカリスマ的存在であり、新しい王国が誕生したときにはその立法者になるはずだったといわれている。
 しかし、密告者が現れたことで、この計画は瓦解する。1599年が終わる前に、革命計画に加担した百数十人が捕らえられ、ナポリへ送られた。とはいえ、カンパネッラの情熱は消えず、獄中において『太陽の都』が執筆されたのである。

■ユートピア的千年王国「太陽の都」

 『太陽の都』は、ある修道会に属する騎士に対し、航海士であるジェノヴァ人が、自分が訪れた不思議な都市のことを物語るという対話形式の作品である。
 この都市こそ、カンパネッラが千年王国だと考えた理想的都市であり、革命の後に樹立されるはずだった国家だと想像できる。
 ジェノヴァ人はこの都市について、統治形態・政体・教育・生活形態などに細かく分類して語っている。
 太陽都市の視覚的な形は、こうした分類の中でもとくに重要とはいえないが、ジェノヴァ人自身が最初に語っていることなので、ここでも太陽都市の全体像を捕らえるために最初に確認しておきたい。
0035名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:35:18.03ID:0HKdc/n/0
ジェノヴァ人によれば、太陽都市はとある島の赤道直下の広い平原にある。その平原に丘があり、太陽都市の大部分はその上にある。都市は中世の城塞都市と同じように分厚い壁に囲まれており、直径が2マイル以上、周囲が7マイルもある。城壁は都市の内部にもあり、都市全体は7つの環状の地区に分けられており、それぞれ7つの惑星にちなんだ名前が付けられている。城壁の上には塔や砲台も供えられており、仮に敵対勢力の攻撃があったとしても完全に守られるような仕組みになっている。
 このように、中世の城塞都市としては完璧に近い都市の中で、理想的な生活が送られているのである。
0036名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:36:21.77ID:0HKdc/n/0
最高統治者は「太陽」

 太陽都市の内容に関しては、統治形態と市民の生活に大別できる。
 都市の最高統治者は「太陽」と呼ばれるが、これには「形而上学」という意味があるという。したがって、太陽都市では形而上学である「太陽」がすべての根本であって、「太陽」なしには何も決定できない。太陽都市におけるすべての存在は「太陽」から始まるツリー構造の中に治まることになるのである。
 最高統治者である「太陽」には3人の補佐役がいる。これらは太陽都市の言葉で「ポン」「シン」「モル」と呼ばれるが、それぞれ「力」「知恵」「愛」という意味だという。3人の補佐役は当然その名前にふさわしい仕事をしている。「力」は戦争・和平・軍略をつかさどり、「知恵」はあらゆる学問や芸術を、「愛」は立派な種族を維持できるように生殖をつかさどるという。「知恵」の下には学芸の分野ごとに文官がおり、「占星学者」「宇宙学者」「幾何学者」「論理学者」などという名前が付いている。このような名前は都市の役人にもつけられており、太陽都市には人間の美徳と同じ数だけ役人がいるが、これらの役人には「高邁」「貞潔」「剛毅」「公正」「勤勉」「真理」などという名が付いているとされている。
 ところで、役人や文官の選任は4人の統治者によって行われるから問題はないが、最高統治者である「太陽」になるのは大変なことである。「太陽」になる人物はあらゆる民族の歴史、祭祀・祭礼、いろいろな政体の国家、立法者たちや学芸の創始者たちのことなどを知り尽くしており、かつ技芸にも通じていなければならないからである。また、たとえ能力は十分でも35歳になるまではその地位につくことはないし、「太陽」は終身職なので、現任者よりも優れていない限りは、変更はされないのだという。
0037名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:36:49.97ID:0HKdc/n/0
管理された太陽都市

 太陽都市の市民生活の中で最も基本となっているのは、すべてのものが共有で、私有が禁じられているということである。これは太陽市民の哲学から来るもので、自分だけの家を持ったり、自分だけの妻子を持ったりするから、利己心が生まれ、横領や偽善や詐欺のようなことが起こるのだという。
 自分の家を持たない太陽市民たちは当然、共同生活をしている。共同生活は環状都市ごとに分かれて行われているが、定期的に人員の異動がある。仕事は人々の適性に応じて完全に分担されており、貴族のように遊んでいるものは1人もいない。子供たちの教育や育成も都市が管理している。子供たちは幼いうちから共同で育てられ、あらゆる学芸や技術を修得させられる。したがって、大人になったときには、どんな職業についても困らない能力を身に付けているという。このようなことが行われるのは、子供たちは個人の持ち物ではなく都市のためのものだと考えられているからだが、都市の役に立つよりよい子供が生まれるようにするという考えによって、太陽都市では性生活まで完全に管理されている。何日に一度、何時に、誰と誰が性交するかということが、役人によって決められているのである。例えば、体の大きな精力的な男は大きな美しい女と、太った女はやせた男と、やせた女は太った女と性交するという決まりがあるが、これはこうすることで釣り合いをとるためなのだという。
 こうして、何もかもが共同体のために管理されることによって、太陽都市では理想的な市民生活が営まれているというのである。そこには、いわゆる凶悪犯罪である窃盗、殺人、強姦、近親相姦などは存在しない。恩知らず、不親切、意地悪、嘘などは存在するが、こうした罪は厳罰に処せられるという。
0038名無しさん@涙目です。(庭) [EU]
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2024/03/08(金) 05:37:06.33ID:0HKdc/n/0
太陽の都に訪れる終末

 このように理想の生活を実現している太陽都市の生活はいかにも永遠に続きそうな感じがする。しかし、千年王国を夢見たカンパネッラが描く太陽市民たちは終末の到来を確実に信じているとされている。太陽市民たちはあらゆる学問を研究しているが、とりわけ天文学に深い関心を持っており、その研究結果から、世界の終末は確実だとされるのである。
 したがって、彼らの終末論は天体の動きと大いに関係している。その考えによれば、世界の各時代は一連の惑星の順序に従って順次継起し、惑星の遠地点が1000年か1600年ごとに変化することで、世界も大きく変化してしまうという。さらに、木星と土星が地球を挟んで180度の角度になる大会合(注1) が、人類に大きな影響を与えるという。
 終末の時期は明確にはされていないが、比較的近い未来のことだと考えられているようである。『太陽の都』が書かれた時代はルネッサンスの時代で、この書によれば過去百年間の間に過去四千年の世界の歴史よりも多くのものを生み出し、過去五千年にもまさる書物が刊行され、羅針盤、印刷術、鉄砲なども発明されたが、これは世界が統合される前兆なのだという。しかも、当時の進歩も天体の影響によってもたらされたもので、巨蟹宮で大会合が生じていたとき水星の遠地点が第四の三角宮 (注2)にあったためだとされている。
 ところが、このような状態の後で、土星の遠地点が磨羯宮にはいり、水星の遠地点が人馬宮に、火星の遠地点が処女宮にはいり、カシオペア座に新しい星が出現し、さらに大会合が第一の三角宮(注3) にもどると、新しい大君主国が興り、法や学芸は改革され、新しい預言者が生まれ、革新が起こるのである。
 また、これらのことと並行して、夏至冬至や春夏秋冬の変化、黄道傾斜や両極の変化、天空における星座の混乱が起こり、大会合に続いては、日食や月食も起こるという。このような大異変があって、この世は終末を迎えるのである。
 ところで、太陽市民たちはキリスト教徒ではなく、彼ら自身の神を崇拝しているが、福音書の中で星や太陽や月が示す前兆についてキリストが語った預言も正しいと信じているという。
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