一番好きな戦国武将 3位「徳川家康」、2位「伊達政宗」、1位は? [837857943]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
LINEリサーチは、15〜64歳の男女を対象に「一番好きな戦国武将」について調査した。全体1位は「織田信長」(14.1%)が選ばれた。
https://image.itmedia.co.jp/business/articles/2312/08/l_mk_se_04_w490.png
2位は「伊達政宗」(6.6%)、3位は「徳川家康」(5.5%)という結果になった。
https://image.itmedia.co.jp/business/articles/2312/08/l_mk_se_00_w490.png
全体1位は「織田信長」
1位の「織田信長」は強さや破天荒さの魅力が、これまで小説や漫画、ドラマ、映画など数多くの作品の題材となっている。最近でも、
木村拓哉さんと綾瀬はるかさん共演の映画『レジェンド&バタフライ』や北野武監督の『首』などが話題となり、人気の高さがうかがえた。
2位以降の「伊達政宗」「徳川家康」「真田幸村」「上杉謙信」は、ポイントに大きな差はみられなかった。一方で「この中にはいない」と
回答した人は33.6%と、3割超にも達した。
15〜64歳の男女を対象に、インターネットで実施した。期間は11月1〜6日、有効回答数は5260人。
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2312/08/news053.html 真田幸村とか伊達政宗とか前田慶次とか好きな奴って地元民以外は漫画かゲームでかじった浅い知識しか無さそう 好きと言うか他を知らないんだろうw
俺は北条氏康、全てに完璧 >>6
昔だって司馬遼太郎の小説読んで
とかだろ
変わんねーじゃん こんなもんに好きも嫌いもないわね
戦争に反対しますと言いながら戦国時代大好きなのはなんでだね >>7
氏康って華々しい話に乏しくね?
武田、上杉を退けたのも籠城戦で、だろ 無いわ
関東人にとったアンケートか?
太閤はんがいないはずはない 無いわ関東人にとったアンケートか?
1豊臣秀吉
2石田三成
3真田幸村
でいいだろ 信長みたいなぜんぜんいい人じゃない人が好きってどういうことだよ? >>14
秀吉はたしかに凄まじいが
晩節汚してるからな 伊達家、上杉家、前田慶次と直接関わりが有るのが山形県米沢市 >>17
善悪じゃなくて
一般人が英雄を知るソースが
漫画やゲームであろうが
小説であろうが
エンタメソースという点で大差ないだろ?
ってことよ >>17
善悪じゃなくて
一般人が英雄を知るソースが
漫画やゲームであろうが
小説であろうが
エンタメソースという点で大差ないだろ?
ってことよ 強さも破天荒さも、東朝鮮人の間では嫌われる理由になるけどなw >>15
おまえそれ
信長から寧々への手紙(実在)を読んで
同じこと言えるの? 俺が生まれてたら圧倒的に俺なんだが生まれた時代が悪かった >>29
評価下がる?
どういう意味?
低い身分から関白にまで上がった
という点において凄まじいだろ
この点は三英傑の中で最も優れてるわな うちの地元の大将、里見義堯が好きだわ。
超大国北条に屈しない名将なんだけど、知名度低くて悲しいわ。 斉藤道三
坂口安吾の梟雄読むゆ青空文庫にあるゆ
本麒麟ぐびぐび >>6
歴史なんて基本的に勝った方の都合の良い資料しか残ってないんだから漫画やゲームでしか知識得てない人と大差ないんじゃない? >>35
強い
野戦で秀吉に勝ってるからな
秀吉自身もクソ強くて戦績ほぼ負けなしなのに >>37
日本の場合はいわゆる公刊の正史が少ないので
そんなことなくね?
この時代の記録も私撰の記録ベースだし 何百年か経ったら安倍とかポッポも色々脚色されてドラマになるのか いつも思うけど真田幸村って他の武将と並べるとワンランク下って感じじゃね? 六角定頼とか立花 宗茂、朝倉宗滴の名を挙げる人はいないのか >>29
朝鮮人が跋扈し続ける限り評価の下がり続ける男というのが正しい 真田幸村をあげるのは素人
玄人は真田昌幸
知らんけど 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康くらいしか知らない奴が3択で回答してそうだな 大河の関ヶ原で家康→小早川の大砲打ち込むシーンがなかったけど、あれもう今は無かったことになってるの? >>13
信州の田舎者をイメージしたのかもしれんが見事に俺の真田幸村像を壊してくれたw そうね、最近室町幕府とか調べてたけど兎に角朝廷も幕府も地方大名も宗教勢力グッダグダで、これを調整した信長と戦乱を納めた家康はヤベーなって思うようになったわ
政宗はやっぱゲームや漫画の影響かね実際は佐竹にボコられたりしてるし 伊達政宗て具体的に何が評価されてるのかよく分からん >>17
まぁ悪かどうかはさておいても、乃木希典の評価を不当に低くした責任はあるかな >>64
大河やってたときかな?
竹中直人=秀吉って感じにはまってた 秀吉はなぁ後半狂ったからな
家康より酷い簒奪者で信長が居なければ立身出世なんか無理だったのに大恩人で信長の嫁や子殺し平気でやるから怖いよ
あと身長140cmで片手が六本指、何百人女抱いても子が出来ない無性性って言われてる
明らかに奇形児だから怖さ倍増 会った事も無い人間を好きも嫌いもあったもんじゃないだろ >>35
将軍になったと言う知識しかない人が推してるんだよ
ボクは強いのが一番が好き!!みたいな 大河ドラマの中で秀吉、家康を王、長嶋世代とするなら伊達政宗は清原世代。それほどの年齢差があり正宗が上洛を目指すには登場が遅すぎた
って説明はわかりやすかった
徳川家康が天下泰平を作り上げた戦国武将なら伊達政宗もまた後発スタートなわりに出世した世渡り上手な英雄 好きではないが他人から一番学んだ武将は家康だとは思う
家督を譲ってからは信長みたいに長男と一緒に殺害されないように
別々で暮らしてたし 器用な人間じゃない家康が最期には勝ったのはなかなか興味深い 秀吉は子供さえちゃんと出来たらあそこまで狂わなかったのかな >「この中にはいない」と回答した人は33.6%と
選択式のアンケなのは仕方ないにしても、その他で名前書かせて集計しないと駄目でしょ
トップでも14%しかないんだkあら 政宗は関東(佐竹氏)に互角以上に戦えた数少ない大名
しかし佐竹は南の北条に主力を当てており伊達は片手間対応
なんか勘違いしてしまう東北人
北条は家康に裏切られた事が全て >>77
しかもどう考えても秀頼は実子じゃないしなw 大河やっても3位なのか
まぁあの家康像では仕方ないか >>84
明智光秀がさらに極悪扱いなので
それを討った功績が非常に大きい 大河ドラマは真田丸しか見てないから知識偏ってるかも
伊達政宗はずんだ餅のイメージしかないわ(´・ω・`) >>11
やっぱ川越夜戦やろなぁ。
当時の関東管領上杉家を破るってのは、たとえ大大名で大名同士の戦いに勝つってのとはチョット別格だっただろ。
今で言えば暴力団が県警からの家宅捜索を撃破しちゃった感じ。 正宗は眼帯とザンボット3みたいな兜がカッコいいだけでは? 正宗は眼帯とザンボット3みたいな兜がカッコいいだけでは? >>79
秀吉がどの性別年代でもランキングに掠りもしないとか普通におかしいのよなぁ 最近のお気に入りは立花道雪とその周り
馬鹿殿(大友宗麟)を支えて、島津・毛利(ついでに家康)に孤軍奮闘する一族が清々しい >>88
雑賀衆は信長の野望に出てくる武将すら本当に実在したのかよく判ってないからな。 >>90
その関東管領上杉家が評価されてないからな
影虎が継ぐまでは なぜ「伊達政宗」が人気なの?中途半端に成し遂げなかった奴じゃん >>100
最近、武田信玄やってないからな
>>101
伊達者の語源になるぐらい影響力はあった やはり信長は他の戦国武将とは次元の違う傑物だと思うよ
群雄割拠の状態で、誰かが天下を目指したらどうなる?
強くなった勢力にみんながなびく?
実際にはそうはならず、出る杭は寄ってたかって打たれるんだよ
そこを恐れずに成し遂げようとした胆力、統一までに戦を繰り返す事を視野に入れた軍の運用、
経済政策や先進技術の積極採用など、非常に合理的で型破りと言える >>94
立花家の子孫いわく、立花家はマイナーな家らしい
何年か前に立花家の子孫だと判明したラジオDJが番組内で言ってた >>93
最近大河でも猛烈に秀吉サゲしてるからなぁ >>103
信長→秀吉で天下が固まったのが大きい
もし信長が討たれたあとにドングリの背比べでgdgdになってたら
乱世は終わらなかったかも 女がこういうののアンケートに
参入するようになると
不細工だの女好きだのは不利だな。 立花でドラマやれば宗茂、銀千代、高橋紹運、バカ殿、島津といいドラマ作れそうなんだよなー >>108
秀吉は晩年が残念だけどね
秀吉は信長が生きてる頃の評価だと、「人たらし」と言われるぐらい人身掌握が上手かったのに
思うに秀吉は下から目線の使い方が上手かったんだろうね
生まれの身分の低さを上手く利用して、下には親しみやすく、上には警戒心を与えない
野心を露わにする事もないが上の期待に応えてるうちにぐんぐん出世と
そのスタンスがトップになると急に崩れて、信頼できる弟も死んでからは歯止めが効かなくなったんだろうな >>101
中央の武将と渡り合ったから過剰に持ち上げられてる。
阿弖流為や藤原秀衡が持ち上げられてるのと同様。 >>111
高橋紹運はドラマ化して欲しいな
あれだけ敵も味方も鮮やかな連中も珍しい >>112
秀吉は一族血統レベルで弱すぎだもんな
弟の秀長も優秀だったのに息子が早世してその後は恵まれなかったし 秀吉も統一するまでと辞世の句は大好きなんだけどなぁ >>111 改易されて浪人生活からの旧領返り咲きという夢を魅せてくれる要素もあって俺も一推しだわ。朝鮮の役での活躍をどれだけ描けるか。 おれも信長だな
真面目で常識人で他者からの評判を非常に気にするところとかわかりやすくて好き >>101
ゲームやアニメでよく描かれてるからじゃね
こういうの投票するのが本当の歴史好きとは限らない >>1
日本では韓国の名将 李舜臣の人気が高く、関羽や趙雲、諸葛亮よりも評価が高い >>6
新撰組の墓にアニメや漫画キャラのイラストをお供えされて、隊士のひ孫がブチギレてたな
フィクションと混同すんなって
逆に伊達家の末裔は伊達政宗を商標登録して荒稼ぎしてる
武将を商標登録なんて出来んの?って思ったわ 普通に考えたら
織田信長と豊臣秀吉のツートップなんだが
アレによるネガキャン洗脳があるからね >>101
名門とはいえ徴兵すらままならないクソ田舎の弱小外様大名から
政治外交謀略で幕府副将軍、家光の後見人にまで成り上がったから
政宗の成り上がりっぷりも凄まじいのに
秀吉褒めるけど政宗ディスる奴こそ浅い知識しかないのよな 名前がほぼ出ないけど弱小国人から中国地方どころか四国や九州の一部まで広大な領土広げた毛利元就はもっと評価されていい気がするがな >>128
伊達家くらい有名だとそういうのあるんだな
うちはマイナーだからそんな話聞いたことない
まあ地元の公務員とか官僚とかで根を張ってるらしいが 三國無双とかああいうのに登場してた場合子孫とか
末裔は権利主張できるのかな
それこそ国持ち大名ぐらいじゃないとダメかな 伊達政宗って英語喋りながら沢山の刀振り回す変人でしょ? お前ら勘違いしてないか?
戦国時代で最も偉大だとか功績の大きい武将のアンケートじゃないぞ?
好きな武将なんだから、功績は要素の一つに過ぎん
伊達政宗が上位に入るのはカッコいいからだよ
漫画やゲームでも必ずイケメンにされてるし、名前もカッコいいしね
反面、秀吉の人気が功績に対して低いのは、あんまカッコ良くないから
容姿はチビでサルで、知恵は働くけど武勇は無い
カッコ良さがイマイチなんだよ 名前がほぼ出ないけど弱小国人から中国地方どころか四国や九州の一部まで広大な領土広げた毛利元就はもっと評価されていい気がするがな >>152
そんなこと言ったら徳川家康なんて脱糞と爪噛みくらいしか逸話の無い小太りデブの雑魚だよ! >>35
全てを貪欲に呑み込んでゆくところ
敵対してた勢力すらも転じて味方にするところ
底知れない器の大きさがあるんじゃなかろうか
項羽と劉邦の劉邦みたいな >>35
全てを貪欲に呑み込んでゆくところ
敵対してた勢力すらも転じて味方にするところ
底知れない器の大きさがあるんじゃなかろうか
項羽と劉邦の劉邦みたいな >>156
上下関係が厳しく、冗談など許されないイメージのある戦国の武士の中で、家臣にうんこ漏らした事をイジられる愛されキャラだぞ
こんな事が許されるなんて家康以外では想像つかない 子役としては売れたが
大人俳優としては
がっかりされる容姿だと
思わないでいられる環境って
怖いよな。 >>162
フロイスは信長の事を長身痩躯と評していた
その他いろいろある資料からも当時の平均身長(160cm弱)よりだいぶ高い170cmぐらいと推測されてるぞ 天子様を誘拐殺害した極悪人と京都人は理解してます。 杏の父ちゃんの引き立て役。
というより
杏の父ちゃんを想像して
ガッカリされるという
ある意味、不幸。 >>161 そうか家康には
「鼻紙は勿体無いから何回も繰り返し使え」 とか
「ふんどしは最初から黄色に染めておいたほうが汚れが目立たない」 とか
家臣にも吝嗇ケチンボを呆れられる逸話なら幾つもあったなw 今でも平均すると1日1人は
日本の女が米兵にレイプされてる。
米兵には治外法権があるから、
ジャップの警察はレイプ犯を逮捕できない
ジャップの右翼、保守で
米兵のレイプ犯に復讐した人間は
1人もいないそうだ。1人も。
ジャップの右翼、保守なんて、
そろって米兵の犬の玉無しの屑よ。
さらに極右の女、高市早苗でさえ、
この米兵のレイプし放題の状況を「問題無し」
と答弁したらしい。ゴミはどこまでもゴミだな >>152
格好の良さで言えば、韓国の名将、李舜臣が日本ではNO1だろう
たった数百人の舞台で日本の10万人の軍勢を完全に撃退したのだから、勇猛さが群を抜いている >>14
関東人にアンケート取ったら
太田道灌
北条氏康
豊島泰経
になるわ 織田はドーピングの検査をしてなかったから合戦の勝利は無効だろ 小牧・長久手の戦いは家康が勝ってるけど、秀吉はその時は四国制圧と2正面作戦中で、その後の地震が無かったら家康は滅んでたぞ。 子供のころ真田幸村と言う武将が
居ないと言うことを知って
歴史ネタは色々疑う様になった >>178
黒田官兵衛いるやろ
この天才がいなきゃ秀吉は天下取れなかった
息子もすげーし >>12
キリスト教による日本人奴隷化を食い止めた豊臣秀吉には感謝しかない 京都と東国の動向を掴みやすかった尾張三河勢が戦国で有利に立ち回れたのは地政学的には当然だったな 前田利常の家臣平野弥次右衛門の従者に五右衛門という人物がいた。
大坂の陣の際、真田丸を攻めていた五右衛門は、主人である弥次右衛門の
楯になり、十八発もの銃弾を全身に浴びてしまう。だが五右衛門は
「なんのこれしき、かすり傷でござるわ!」と笑い捨てた。
五右衛門の剛気を称賛した真田丸の兵達は、
「名を聞かせ給え」と五右衛門に声をかけた。
「う……」だが五右衛門は困惑した。なぜならば、まだ名乗る姓を
許されていなかったからだ。これを見た主人の平野弥次右衛門はすかさず
「我が姓をつかわす!」と叫んだ。
これに五右衛門は胸を張り、大声で真田丸に答えた。
「われは平野弥次右衛門が下人、五右衛門である!
これまで御供したる褒美として、たった今、姓を賜って
平野五右衛門となり申した!」
すると真田丸から、平野五右衛門を称える祝福の拍手が
湧き上がったのであった。 >>178
黒田官兵衛とかは人気も知名度も上位陣では
ランキングとったら5位圏内は無理でも10位前後にはなりそう >>186
日本には李舜臣のように将軍と軍師を兼ねる有能な人材が極めて少なかったからな
韓国の歴史を見ると、いかに日本には人材がいなかったかが一目瞭然 >>183
豊臣秀吉は韓国を侵略した悪魔
韓国の人々の苦しみを考慮すれば、感謝などできるはずがない 尾張(+美濃+伊勢+近江)が天下取ったのは
純粋な石高(+港、関所の税)が
圧倒的だったからだな
東海(伊勢湾岸)は藤原氏の本拠地だし
古代から現在までチートレベルでずーと豊か
3種の神器の内、2宝もあるのは
イカレてる >>133
ほとんどの武士がその「中途半端」すら成し遂げられない過酷な時代に大大名として生き残っただけでも凄いんだよね もし家臣だったらそんなこと言ってる余裕なんかないぞ 関ケ原で家臣を大量に殺してまで生き残った島津義弘を名君扱いするのだけはムリ
あいつのバカ戦法が後の日本軍の特攻に繋がったと思うから 猿飛佐助や霧隠才蔵っていかにも手練れな忍者っぽいよね
そういうの題材にした創作物がそれなりに人気出るわけだ >>6
伊達政宗は大河が大当たりしたからだろ
自分もそうだけど 真田信之
弟ばかり目立ってるけど
弟は大阪の陣の一発屋だからね >>195
頭悪すぎて草
部分最適より全体最適を優先するなんてことは世界のあらゆるところに見られる事象 >>180
東照大権現様を追い詰めたなんて人物の名前をまんまに使うわけ無いからね
真田信繁の名前を変えて幕府の目をごまかしただけのこと 真田の猛攻で家康が討ち死にした説は俺はガチだと思ってる
夏の陣以降の一年は影武者でわざわざ一度久能山に葬ったのを日光に改葬したのは本物と影武者の遺体をすり替える為と見る >>184
それは三河だけの話だろう
尾張パゴヤはパッと出のタダのラッキー田舎者
三河政権たる室町幕府の支配層一覧(三河繋がり優遇)
■将軍御一家
【三代将軍足利義満時代】(3家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・今川氏(三河国幡豆郡今川、三河県西尾市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
【八代将軍足利義政時代】(4家)
・西条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・東条吉良氏(三河国幡豆郡吉良、三河県西尾市)
・石橋氏(三河国設楽郡石橋、三河県新城市)
・渋川氏(上野国群馬郡渋川)
■三管領(将軍に次ぐ最高の役職、将軍を補佐して幕政を統括)
幕府執事(管領の前身)(3家)
・高氏(三河国額田郡菅生、三河県岡崎市)
・仁木氏(三河国額田郡仁木、三河県岡崎市)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
管領(3家)
・細川氏(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
・斯波氏(三河国碧海郡矢作、三河県岡崎市)←初代足利家氏は、祖父より三河国碧海郡碧海荘を相伝し本拠とした
・畠山氏(武蔵国男衾郡畠山)←初代畠山義純は三河国生まれ
■七頭(管領家とともに幕政に参加できた七家)(7家)
・一色氏(三河国幡豆郡一色、三河県西尾市)(四職)
・山名氏(上野国多胡郡山名)(四職)←初代山名義範の実父は、矢田城主(三河国幡豆郡矢田、三河県西尾市)の矢田義清
・京極氏(山城国葛野郡京極)(四職)←京極高秀(佐々木道誉の嫡男)親子は三河国額田郡下和田郷(三河県岡崎市)の領主
・赤松氏(播磨国播磨郡赤松)(四職)←善住寺(三河県豊川市)に赤松円心親子の墓あり、赤松円心は一時、赤田和城(三河県岡崎市)に隠れ住む
・土岐氏(美濃国土岐郡)(五職)
・上杉氏(丹波郡何鹿郡上杉)(関東管領)←事実上の初代上杉頼重の屋敷あり(日名屋敷、三河県岡崎市)
・伊勢氏(出自不明)(政所執事)←活動を記録した最古の資料では、初代伊勢俊継は父、叔父、従兄弟と共に三河国額田郡賀茂郡(三河県岡崎市・豊田市)で活動 >>217
戦前の寺内正毅首相も戸沢氏庶流だぜ
宇多田ヒカルは正毅の曾姪孫 尾張と三河に親族がいる奴らは除外しろ
答え決まってるし 伊達政宗が登場する頃には殆ど戦国時代終わってるからなあ
戦国武将と呼べるのか微妙 >>14
全員不細工
>>221
もう少し早く産まれたかった政宗
もう少し遅く産まれたかったカズ 日本の長い歴史の中で戦国武将くらいしか誇るものがない地域の人って
妙に肩入れするよね >>205
真田昌幸が凄いんだ
土豪から大名へ 戦上手 息子たちも優秀 >>195
結果を見れば正しい判断
さっさと降ってたら島津家は残ってない
島津家のバーサーカーっぷりを見せつける事で、家康はこいつら征伐するために九州まで遠征したらどれだけの時間と費用がかかり損害が出るだろうって考えて、
その結果として、改易や減封されたりせずに本領安堵という寛大な措置になったんだぞ
こいつら滅ぼして損害出すより手懐けて中国方面の守りに利用した方が賢いって思った訳だ 第一、武将という言葉が最近のだし概念があいまい。
大名とかにしろよ 第19代・徳川家広さん
「もっとも偉大な武将は豊臣秀吉である」 >>187
その稀代の名軍師兼名将の騙し討ちを
圧倒的少数で打ち砕いて戦死させた
古今無双、神算遠謀の将島津義弘公定期 ゲームの織田信長が豪傑顔なのがなんか違和感ある 実際は温水さんみたいじゃなかったのかな >>195
むしろ家臣は喜んで死んでいったんだぞ。
あの主君のためなら死んでもいいと思われ
るくらいに島津義弘は尊敬されていた。
朝鮮出兵でも唯一恩賞が出るくらいの働き ぶりだったし。
>>230
会津の上杉はそういう意味で少し早まった気がする。徳川軍団には結城秀康や本多正信筆頭に上杉贔屓が沢山いたからうまく利用すればもう少し緩い処分になってた。
直江状のあいつ 政宗は戦国武将としては大した事ない
盛氏真で混乱状態芦名を倒しただけで
優秀なのは天下人相手にハッタリで生き残ったことと仙台藩を成長させた江戸時代藩主としては相当優秀
戦国武将としては地方統一した毛利長宗我部島津より一段下だな >>239
秀吉の追求をのらりくらり躱し続けたのは大したもんだろ
北条は潰されたし でも政宗って、若くして領土を拡大したスピードでなんか記録持ってるんでしょ
信長よりも早いペースで領土を拡大したとか >>240
そうだよ
伊達政宗は乱世の奸雄としては一歩及ばないが治世の能信としては一流だという評価が正しいと思う これ戦国『武将』か?
これじゃあ戦国『大名』だろバカチン共が >>242
桶狭間自体が偶然の産物。大雨降って視界ゼロになったから信長は本陣奇襲になっただけで桶狭間山頂に陣があったから普通は絶対無理だった >>246
武将の意味を辞書でひいてみろよ
軍を統率する者は大名だうが征夷大将軍だろうが武将なんだよ 伊達政宗って東北から天下取れるの?
よくわかんないけど京都まで行かないといけないんでしょ >>17
小説家の描いた設定を史観とか言っちゃうゴミメンタルwww 渋谷東急の壁に貼られてた篤姫役綾瀬はるかはかっこよかった >>250
気候や人口考えたら無理です。関東でも
難しい。あの時代の人口や生産の中心が近畿だから近畿からの物流遮断されて干されたら
保たない。関ヶ原が1日で終わったから良かったけど長期化してたら物資が不足して家康もヤバかった。米はともかく武器や鎧、鉄砲の弾薬が不足してくる。家康が前田を「優遇」したのは前田領の五箇山で硝酸という火薬の原料とれるから >>242
そうとも限らん。>>247氏の言う通りで今川義元は万全の体制で陣を張ってた
まさかのとてつもない土砂降りの雨で兵たちの意識が織田方から離れて心理的空白状態になった上に
泥濘で各部隊の連携が取れなくなったから織田方としては絶妙な奇襲攻撃になった
もちろん、信長が情報を集めてあわよくば本陣も狙おうという積極的な動きをしてたのも功を奏した原因
まあ、豪雨がなければ今川の一部隊を叩いて撤退を繰り返すゲリラ戦で今川軍にある程度の負担を与えるという
遅滞戦術を繰り出すだけだっただろうから信長にとっては偶然の僥倖になったわけだが 信長、秀吉、家康以外は雑魚よ
どれだけ活躍しようがしょせん誰かの家来 >>247
10回やれば9回は成功したって研究(乱取り説)があるね。
↑
乱取りは勝者の特権だが、この当時の村落は簡単な防護柵で村を守っていたため、ある程度の部隊が必要。
このため主戦場から距離があり、複数の村落を同時に襲える位置で待機する必要があったが、この観点から考えると桶狭間は絶好のポイントだった。(もちろん信長も周知してる)
今川軍はのんびり休んでたんじゃなく、勝ち確定と同時に戦力を割いて村落を襲うために出撃した。
そして、この隙を狙った信長の手勢が正面攻撃を仕掛けてくる。 戦国時代の女性の誰かに巨乳で美人って記録が残ってたら今どき一番人気だったろうにな 信長、秀吉で日本を統一してそれを盗み盗ったのが家康
伊達はただの雑魚 >>255
>>257
以前は桶狭間田楽狭間という狭い谷間に本陣構えていた今川馬鹿だという話もあったが、実際は桶狭間山山頂という見晴らしのいいとこに義元の本陣があった。そこを織田方が駆け上って攻めてきても本来はすぐに撃退できるんだが大雨で視界ゼロになり織田方が至近距離にくるまで今川方も気づかず混乱、義元は山を降りて田楽狭間というところまで逃げたとこで織田方に追いつかれ討ち取られた。
信長もこの大雨なら博打できるかもと即断したんだろうな織田方は首打ち捨てを指示して
るからね >>261
乱取り説だと、桶狭間本陣は部隊を村々に送ってるため手勢が少ないのと、獲物を持って戻ってくる時間だったため信長の軍勢を戻りつつある味方と勘違いしたとなってるね。
この乱取り説が正しいと仮定した場合、豪雨の助けは「勝てるとは思ってたが、こんなに簡単とは思わなかった」って感じかもね。 >>257
乱取り説と言っても大軍の中で農兵が乱取りに出かけてても義元本陣とその周辺部隊合計で5千は残ってたそうだから
2千弱の信長軍が豪雨もなく正面から山の上の義元本陣目がけて突撃しても勝ち目ないぞ
突然の大豪雨で奇襲攻撃になったから成功したとしか思えん
滝川一益が本能寺の変で北条に裏切られて北条軍と激突した時も桶狭間と同じような配置で戦ったが
豪雨はなく、桶狭間の戦いと同じように北条前軍を撃破壊走させて北条本陣に迫ったが総反撃されて撃破され壊走してる >>266
その周辺部隊の大半を乱取りに送ってたって説だね。
勝ったんだから5000からの兵を遊ばせていても意味がない。本陣の防御は最低限として、金品や女や兵糧の強奪に人員を割いた方が効果的。 >>261
>首打ち捨てを指示
桶狭間の戦い参加者の話を書いた信長公記では信長が「分捕りはせず切り捨てにせよと」指示してると書かれてるね
切り捨て戦法にしたことで進撃速度がだいぶ上がって義元の首を取りやすくなったと言えるだろうな
分捕り:敵を切った後に首を切り落として確保し、その首を持って次の首を狙うので手間暇かかって進撃しにくい
切り捨て:敵を切ってそのままにして次に当たるので進撃しやすい
切り捨ては自分の手柄を証明するのが難しいという問題があったが、軍監を定めて各自の手柄を把握する手段を講じてた
同僚に証言してもらう場合もあった >>267
2万ほどいる今川軍の大半が乱取りに出かけてて義元周辺に5千ほどが残ってたという話だぞ
残ってた5千もさらに乱取りに行かせて信長軍と同数程度にするわけないだろ
桶狭間山にいる義元からは信長軍の動きが丸見えで今川前軍に迫ってるのが分かってたんだぞ >>269
普通は恩賞の査定が難しいし、配下からも
不満が出るけど生きるか死ぬかのやばい時
だという認識が共有されてたからみんな
納得して従ったんだろ。
証言という話ならおそらく証言等による
手柄の証明が難しい単独で戦うより集団
で束になって戦ってたんだろうか?最初
から少人数だから固まって戦わんと逆に
今川方に各個撃破されてしまうから、
>>264
それが自然かと。姿見えても味方だと勘違い
して最接近するまで敵とは分からなかった
と。 あと義元はこのとき上洛は狙ってないあくまで尾張制圧作戦が主目的。上洛しようにも
美濃には斎藤義龍いるし近江には浅井や六角
いるからそれらと通過交渉しないといけない。あの時代上洛に近かったのは尼子晴久。
尼子は一時尼崎まで進出していたから。
火事で通行止めになってる山陽道の兵庫の
トンネルが尼子山トンネルという名前で
わかるが尼子が播磨にもきてた >>264
>信長の軍勢を戻りつつある味方と勘違いした
それはないと思う。桶狭間山から信長軍の動きが丸見えでどの方向から信長軍が迫ってるか義元が完全に把握してた
もちろん、信長軍は織田方の勢力圏から進撃してきてる
乱取り部隊は今川方の勢力圏で乱取りして帰ってくるから現れる方向が全然違うので分かるはず
乱取りで人数が減ってたのは正しいと思うが、当時の軍は農兵が8割と言われてるから2万が5千に減るくらいで
信長軍の2千弱の2倍以上の兵力で義元は対峙してたと思う >>274
義元は織田方に包囲され窮地に陥ってた鳴海城を救うために進撃してきたそうだしな
信長も包囲したんだから義元が大軍で後詰に来ることは分かってたはず >>273
今川が2万5千の大軍で攻めてきてるのはみんな分かってたから手柄の証明が確実な分捕りじゃないととこだわってられない
というのもあったんだろうな
とにかく上手く戦って今川軍を追い返さないとどうしようもないしな
切り捨てだと手柄の証明がーなんてグズグズ言ってる場合じゃなかった >>276
義元も家督を氏真に譲って三河方面の対策に
専念していたから義元が来やすかったんだよ。数年前に背後の北条家とも和睦できた >>277
手柄云々言わなくても合戦で目立つ働きしてれば味方のうわさになって一目おかれそのうち抜擢されるようになる。前田利家だって当時は浪人していたけど武勇は有名だったからみんなが陣借りを助けてやって手柄を立てさせ
帰参させた。もっとも前田利家は後年その ときの最大の恩人の柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで裏切ってるが。 >>278
小田原北条家は今川にとっては元々は家臣筋で義元が主家筋の今川が家臣筋の北条に都合のいいように武田と戦わされてるのが
気に入らず、武田と和睦して北条と敵対したのが今川と北条の対立の始まりだったが、上手いこと武田も巻き込んで和睦できた
のは素晴らしい政治手腕だったと思う
やっぱり義元は優秀だよ。北条の都合のいいように動いてた今川を北条との敵対を恐れずに方針転換して
さらに、武田も巻き込んで北条と和睦だもんな。雪斎がいたというのもあるだろうけど優秀な助言者と上手く政治を
行ってたわけだし >>279
まあ、その通りなんだけど、前田利家級の優秀な者には全く及ばないが普通より少々優秀程度の者は手柄の証明を確実にしたいと
思うのが人情だよ >>280
主筋家来筋といっても北条からすりゃうち
はお前の親父を助けてやっただろ?という
考えあったし家柄でも今川と同格でしょう。
北条家の初代の伊勢宗瑞は幕府の政所執事の一族という名門で今川とは同格の家柄。宗瑞の姉か叔母が今川の正室で今川が後継問題で内戦になってた時に幕府の調停役ということで宗瑞が下向してきた。伊勢氏だからという
威光で関東管領の上杉や太田道灌もその
仲裁認めたくらいで。
まあ今川は寿桂尼という天才がいて、この
オバサンが公家の娘という立場を利用して
武田信玄の嫁取りを仲立ちできたのが
今川が武田と結べた理由。信玄の嫁の
三条夫人は姉が幕府管領の正室、妹が
本願寺顕如の嫁という破格の名門だか
ら武田も納得 信長 ブラック企業ワンマン社長
秀吉 ブラック企業隠したワンマン社長
家康 ホワイトに見せたワンマン社長
西郷 独裁社長、部下意見聞くが、裏では
大久保 独裁社長
安倍 「」
キッシー 鳴かぬなら国民から取れホトトギス 義を守りての滅亡と
義を捨てての栄華は
天地格別にて候
現代の為政者こそ氏綱公の精神が求められている >>284
まあ、北条からしたらその通りだが、義元からしたら元々は家臣筋だろうという思いもあったろうとして書いた
とはいえ、義元が今川当主になったころは主筋も家臣筋もなくなってたから、もう、いい加減に北条の都合を無視して
今川の都合で動いて北条と敵対もやむなしとなったというのもあるかもね
北条からしたらその通り家格は同格だし早雲が今川の窮地を救ったというのもあるから主筋うんぬんなんてこだわりは無くなって
たろうし、今川からしたら早雲は死ぬまで一貫して今川当主に臣下の礼を取ってたけど救ってもらったし幕府との折衝では
早雲が主にやってくれてたというのもあるから北条が家臣筋うんぬんなんてこだわりもなかったかもね >>287
伊勢家の当主の伊勢貞宗という大物が幕府の
影の将軍のような存在がいて、将軍や管領がコロコロ変わって交渉やりにくい当時なら伊勢氏である宗瑞の存在は貴重だったんじゃないですか今川も。 >>289
うん、貴重だったし、なくてはならない存在だっただろうな
宗瑞のおかげで関東管領の家督相続介入も逃れ、後の家督争いも解決し、遠江や三河への遠征も上手くやってもらって
厄介な関東管領に対しては伊豆奪取で関東方面に蓋をしてくれたし幕府との折衝もやってくれたしで
おんぶにだっこ状態だったしな
今川からしたら宗瑞は同格の名門で幕府政所執事である伊勢家の人間で幕府奉公衆でもあったから政治的にだいぶ助けられただろう
幕府からの今川に都合の悪い命令も宗瑞が上手く回避してくれたようだし、関東管領との問題は宗瑞が全部引き受けてくれたし
名目上は宗瑞は駿河守護代で今川家臣だったが、実質的には宗瑞には頭が上がらない状態だったろう >>291
何より今川氏親からすりゃ数少ない有力な親戚の叔父さんだから。後継者争いで今川一族が弱体化してしまい自分を助けてくれる親族少なかったから。後年今川が臨済宗の坊主をやたら利用しだすのも宗瑞の代わりに外交できる人がいないから 水野勝成って
前半生は余りにも無茶苦茶
中半生はどっかの黒槍艦隊みたいに毎回先陣突撃
後半生は名君の鑑
と思ったら最晩年は島原でヒャッハー
これほど大河にしたら映える素材
居ないと思うんだが >>230
引きこもり最強と不肖の三男坊がゴネ得したんじゃなかったか? >>293
>宗瑞の代わりに外交できる人がいない
確かにな。今川は主君だけでなく家臣たちも宗瑞におんぶにだっこで、よそ者のくせに偉そうなと反発する気骨ある家臣なんて
全くいなかったようだし、今川家中全てが宗瑞に頼ってる状態だった
まあ、範満との家督争いで範満派は壊滅したようだし、その家督争いで氏親派では宗瑞が事実上の総帥状態で
宗瑞姉の御台所様と氏親はもちろん家臣たちも宗瑞を頼みに戦ったし、その後の統治や領土拡張も宗瑞頼りで
遠江や三河遠征も宗瑞が総大将で戦ったしで、なんでもかんでも宗瑞頼みだったようだから仕方ないか
よそ者と言っても御台所様の弟で主君の叔父でしかも幕府政界におもいっきり顔が効く今川と同格の京都伊勢氏の
人間だし、気骨あるもへったくれもないかw >>243
いや伊達者の代名詞ともなったような
当時の文化的先駆者じゃね? >>297
文化的にも色々優れてるね政宗は
戦う戦国武将というよりは平和だけど権力渦巻く時代を生き残りそれも楽しく生きることにすごい能力を発揮した人 織田信長は長篠の戦い直後に町に行って見かけたホームレスが可哀想だからと町民に大金渡したり
インチキ占いやって諸国回って若い女とヤリまくってた坊主もどきと対面してインチキ暴いて処刑したり
意外と良いエピソードあるんだよなw まあ信長はいつの時代も人気だな
家康は今大河やってる影響だろ
にしても秀吉はずいぶんと人気落としたな
農民からの成り上がりストーリーはいつの時代も夢があるのに 政宗って何でこんなに人気なんだ?クズでゲスな無能なのに >>250
東日本大震災経験者が伊達政宗
ちょうど400年前に似た地震が起きて大損害被ってて
その際初めて津波という言葉が生まれた
しかも塩害で岩手で植物が10年も育たず
農民が何度も年貢取立てを減らすよう上奏してる いつも思うんだけど上杉謙信の功績ってなに?何が評価されてるの? 信長って征夷大将軍断ったんだっけ
秀吉は関白だけど征夷大将軍にはなれなかった
家康は征夷大将軍になっている 上杉家は東国(越後信野駿河より東側)の紛争を関東管領としておさめていた >>303
信長は戦前ではあまり評価が高くなかったそうだぞ
調子に乗って家臣に討たれたうつけ者で桶狭間もイチかバチかの賭けに勝っただけの幸運という評価だったそうだ
最近では桶狭間の戦いも義元の首を狙ってはいたが、首を取れなくてもゲリラ戦で今川軍に負担をかけて
遅滞戦術を取りつつ鳴海城救援を上手く妨害しようという積極的な動きが功を奏して幸運を招き寄せたように
語られてたりしてる。つまり、手をこまねいてないで弱者なりの上手い戦い方をしてたというわけだ
他にも色々と弱者が強者に成り上がるための上手い政治をしてたと思う >>294
島原の乱のときには幕府側で実戦経験あるひとほとんどいなかったんでしょう?立花宗茂や細川三斎くらいがいたが外様
>>296
扇ヶ谷上杉家の介入を阻止したのが功績と
して一番デカいしこれに誰も文句いえなか
った。今川範満の母親が扇ヶ谷家だったか
ら今川乗っ取ってやれと太田道灌が派遣さ
れてきたわけでそれを上手く丸めこめて
引き上げさせたのも宗瑞が幕府から派遣
されてきた代理人として見做されたから
ことが大きい。あと宗瑞はその功績から
今川家の執政にでもなって専横できたは
ずなのにそれをやらなかった。
>>306
末の松山の波越さじが本当だったんだな。
東日本大震災で実証されたが。
>>307
武田信玄と渡り合ったからじゃない?あ
と織田軍を敗走させ織田を倒せる寸前ま
でいったこと。脳溢血で死んで無ければ
謙信は安土城落として上洛していた可能性
たかい。 >>307
北条氏康との関東オセロゲームを優勢に進めた >>305
大河ドラマが大ヒットしたからだろう
当時は戦国時代なんて全く興味なかったおばさんたちも「伊達政宗偉い」とか語ってたくらいだった
俺は10年早く生まれてたら天下取れてたは言い過ぎだろうと思ってたけどな >>305
>>315
最上義光が大河のせいで腹黒い武将にされ
た。実際は「有髪僧」と書いた鉄の棒を
振り回す怪力の名将だったのに >>307
江戸時代的には
家康をボコった武田は強くないとダメな設定
↓からの
武田とガチでやりあった上杉も強くないとダメな設定に >>307
上杉謙信は合戦が異常に強かったからだろう
武田軍1万8千から2万をたった8千で戦って弟や有力家臣を打ち取る大打撃を与えて引き分けたと言われてるくらいだしな
あと、筋目を通して侵略には消極的だったとか人格者的に言われてるのもあるだろう
アンチ謙信は関東での乱取り苅田などの所業を非難したりしてるけどな
まあ、謙信にしてみれば越後の山奥の極貧農民を食わせるために乱取り苅田を黙認して人身売買市も設けてやったんだろうけど
アンチからすれば何が人格者だよ糞がとなるわけだ
平地の湿地帯では青苧という当時の衣服の繊維を量産して京に上洛ついでに販売ルートを確保するなどして
平地の民が平和裏に食っていけるようにしたが、山地ではそれが出来ずに公共事業的な関東遠征になってしまったのがなあ… >>312
明治政府は打倒した徳川の評判を下げて朝鮮出兵した秀吉の評価をあげた
戦後は朝鮮出兵をした秀吉の評価を下げて信長の評価をあげた
秀吉は信長の神格化を恐れて信長の法要のときにあえて見苦しい信長像を描かせて信長の評価を下げた
信長は神になろうとしていたし天皇を神とする時代では評判は下げられていたのでは 謙信よりも養子の景勝のほうが評価されてたんじゃなかった?直江状で徳川家を挑発した
のに徳川家武将からは武闘派吏僚派の垣根を超えて上杉赦免を求める声が出たとか
>>317
真田は最強クラス扱い。なんせ家康の馬印を倒したんだから。家康の馬印が倒れたのは三方ヶ原の戦いと大阪夏の陣くらいだから >>288
水呑み百姓 → 戦国大名 → 将軍就任を断る → 副天皇陛下
こんな天才、他にいるだろうか? >>320
明治天皇が信長好きで信長を神社に祀ってる。信長は明治になって神になった。 >>320
太閤はんは豊国大明神に
家康はんは東照大権現に
二人とも神になっとりますわ >>313
>今川家の執政にでもなって専横できたはずなのにそれをやらなかった。
だよな。駿河守護代だったし、実質的に執政状態だったからやろうと思えばてきただろうけどな
富士川以東はいつの間にか帰属がはっきりしなくなってて実質、北条支配だったようだし
だからこそ今川義元は北条と手切れするに際して富士川以東を攻めて国境画定に動いたし
今川家臣たちも北条早雲は頼りにしてたようだしな
今川家並みの名家の出で幕府に思いっきり顔が効き、非常に優秀で主君にも忠義を尽くす
今川氏親にとっては夢のような家臣だったろうな
まあ、家臣とはいっても半分は幕臣みたいなもんだから完全な家臣とは言えないかもだけど >>213
御苦労にも、列挙した人物たち
パゴヤ人・秀吉一人で全員吹っ飛ぶけどね >>325
礼法の家だったから動きもスマートな感じだったんだろ。残ってる肖像画みてもそんな感じ。田舎武士からすりゃそれだけで萎えてしまう。これが京都の幕府の役人なのかと
卑屈になるだろいまも外交交渉では交渉側の
見た目や挙措仕草が影響与えるとかいう >>320
そういう政治的な理由もあるかもしれんが、やっぱり謀反で討ち死には評価下がるよ
昔は信長の政治的な優秀さなんてあまり知られてなかったようだし
謀反で討ち死にと言えば大内義隆もそうだが、大内義隆も結構やり手の優秀な政治家だったけど
いまだに男色話で盛り上がるだけの文弱の大名として昔の信長みたいに評価されないままだ
信長も昔は今の大内義隆みたいに評価されない状態だったようだ
大内義隆は北九州制覇、松浦党を傘下に収めて倭寇の総元締めになって明との勘合貿易交渉を上手くやってぼろ儲け
戦上手の尼子晴久と安芸の国を奪い合って尼子軍3万を蹴散らすとともに戦略勝ちして安芸制覇、月山富田城攻めでは
大失敗だったが備後も尼子と争い6年ほどかけたが制覇した。当時、経済的に日本最大最強の大名だったと言ってもいいだろう 信長の高評価はその後に軍団長レベルの羽柴秀吉が独力で
天下を獲って日本統一したからこその名声だし
謀反の光秀が近畿を抑えたままこの時代が少し続いてたら、信長以前の三好家以下の出来星評価で終わってるのは確実 >>329
尼子晴久は一時は尼崎まで進出して上洛
一歩前だったのになぜそうなった? >>328
確かになw、分かるわ
俺も当時の今川家臣だったら思わず「我ら家臣団も宗瑞殿を尊重いたしますゆえどうぞ今川家を宜しくお頼み申す」とか
言っちゃうと思うわw
ホント、宗瑞が鎧姿で陣頭指揮してる肖像画を見ると名家に恥じぬ優秀な武将としての気品が満ち溢れてるのを感じるわ
確かに田舎武士のからしたらそんな姿に圧倒されるわな 尼子経久は緒形拳さんが格好良過ぎて好き
緒方直人のクールな信長も好き >>331
いや、だから大内義隆の戦略眼が非常に優れてたんだよ
戦上手で戦国時代でも最上位格の尼子晴久だったが、約3万を動員した安芸での毛利攻めでは
大内義隆との主力決戦を企図していたようだが、義隆は見抜いてて最強家臣の陶隆房に1万を預けて後詰に出し
自身は大軍を維持して防府から岩国に陣を移して陶と尼子との戦い次第で参戦の構え、陶があっさり勝って尼子撤退
その後も経済力の差を生かして尼子とは主力決戦せず戦上手の家臣たちを上手く使って尼子の勢力圏を切り取っていった
月山富田城攻めは反対だったようだが、その戦上手の武断派に押し切られていやいや決行して成果を出せずに撤退だったけどな
それからは戦略が分からん武断派に押し切られないために中国皇帝型の独裁権を志向して当時では前代未聞の
年貢の収納まで大内の役人が行って家臣たちの領地経営権を奪っていったが、さすがに武断派が切れて謀反となった次第 大虐殺魔の信長が岐阜の街のあちこちに飾られててすごい嫌 >>327
吹っ飛んだのは、猿吉一味なんだが?
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) >>333
格好良かったよなあ、あれだけで大河ドラマの毛利元就を評価できるわ >>6
しれば知るほど伊達政宗にはハマる。
天才かつ馬鹿なのが素晴らしい >>344
馬鹿と天才は紙一重と言われてるけど、その紙一重を股にかけて馬鹿と天才両方に足を突っ込んでいるわけかw
それは素晴らしいわ 墓(寺院墓地)の運営をしている有名寺院【真言宗/四国・徳島】(宗祖:空海)[特徴:真言密教の阿闍梨が護摩や供養や加持祈祷]
弘法寺(徳島)大覚寺派←日和佐町http://www.kohbohji.co.jp/
鯖大師本坊(徳島)高野派(納骨堂)←海陽町http://www.sabadaishihonbou.jp/hounou/index.html
安楽寺(徳島)高野派(納骨堂)←上板町で、四国88ヶ所6番札所/宿坊ありhttps://shikoku6.or.jp/
※高野派別格本山・薬師寺のお札ネット申込https://yakuouji.net/product-category/gomaku 2017-07-04大阪・難波から四国・徳島まで片道2,000円!?格安フェリー切符で日帰り飲みをしてみる
https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/chimidoro/17-00181
2023/09/08人気ラーメン店「春陽軒」24年春以降に復活 店主夫婦の体調回復 徳島ラーメン順礼(徳島新聞)
https://www.topics.or.jp/articles/-/955573 立江寺(徳島)高野派別格本山/四国88ヶ所19番札所の宿坊https://www.tatsueji.com/stay
十楽寺(徳島)真言宗単立/四国88ヶ所7番札所の宿坊https://jyuurakuji.com/
薬王寺(徳島)高野派別格本山/四国88ヶ所23番札所の温泉https://yakuouji.net/yakuohji-spa >>307
武田信玄が長生きしてれば、甲斐源氏武田氏による幕府が誕生したかもしれない。
また、上杉謙信も49歳と短命だったが、もう少し生きていれば織田軍蹴散らして上洛し、足利幕府を再興し執権になったかもな。
それくらい、織田にとってはこの二人が亡くなってくれたことが幸運だった。 >>353
武田は無理だったと思う。というか信玄が信長との主力決戦を企図して三河を攻めてたが、信長はその手に乗らずに
2万を尾張と三河の各支城に入れて防御に徹してて信玄は田植えの時期までにそれらを攻略して上洛は無理になってた
謙信は死ぬ直前に上洛軍を実際に起こしていて死ななければ約3万〜4万の軍が上洛を目指してたそうだ
これも微妙だと思う。信長は信玄のときと同じく戦上手な相手とは主力決戦なんてしないだろうし、そうなると
守りに徹してる各支城を攻略していかないといけなくなり、間に合うかどうかが問題になる… 信玄の最後の西方進出では明らかに信長との主力決戦を企図しての戦略だったと思う
徳川を攻め立てて信長が救援に駆け付け決戦で織田軍を蹴散らして上洛を目論んでいたのだろう
信長がビビッて救援に来なければ徳川が織田を見限り武田に寝返って、次の機会には上洛という計算
しかし、信長は防御に徹して徳川を助けに来ず安土から3万で正反対の京に進軍、にもかかわらず徳川は寝返らずで
さすがの信玄も万事休すだった。それからほどなく胃がんで死去したと言われてるが、そりゃ、ここまで目論見通りに
行かないとさすがに胃がおかしくなるわな…
似たようなことは西日本でもあって、尼子晴久の毛利吉田郡山城攻めがそうだ
尼子晴久は大内義隆との主力決戦を企図して大内の大軍に対抗できる3万を動員して攻めた
義隆がビビッて助けに来なければ毛利が大内を見限って尼子方に再度寝返りという目論見だったろう
実際は大内義隆は見抜いて最強家臣の陶隆房に1万を預けて後詰に行かせてまず尼子の強さを測ることにし
自身は大軍を維持して防府から岩国に陣を移して状況次第で尼子にとどめを刺すべく参戦という戦略を取った
鬼強の陶隆房が同じく鬼強の毛利元就と協力して尼子軍に痛撃を浴びせて勝ち、戦上手の晴久は作戦失敗を悟り義隆が来る前に撤退
結局、戦上手で強いからと言っても相手が乗って来なければ主力決戦はできないし、できなければちまちまと支城を落として
行かないといけなくなり非常に時間がかかる。信玄も謙信も若い頃から上洛して天下に号令を目指さなかった以上、無理なんだと
思うわ 大谷吉継かな
親友のために死ぬとわかってて戦うところ辺りがくる いや、謙信の場合は圧倒的にカリスマもあったから、もし謙信上洛となれば、多くの反信長の大名が従った可能性がある。
それこそ関ヶ原の後にさえ他家に親上杉がいたのは謙信が半ば神格化、今風に言えばレジェンドだったから。 信長は制圧した国の国衆を取り込んで戦力がどんどん肥大化していって
方面軍だけで北陸とか四国とか中国地方の平定作戦の派遣をそれぞれ命じられるくらい多正面作戦やってたけど
信玄も謙信も毛利も自国のことで精一杯の戦力しかないからな
信長に勝つには毛利上杉武田が連動して上洛する必要があった 謙信は上洛はしたよね
越後一国、甲斐一国の大名が信長に勝てることはない
緒戦で勝てたとしてもね
信長が信玄上洛を恐れたのはそれどころではなかっただけ
信長包囲網に参加した将軍、浅井、浅倉、武田、石山本願寺は
その後に全て滅ぼされている
個々全く相手になっていない >>357
まあ、それも考えられるから微妙だと書いたが、そこらへんは全く未知数なんだよな
昔読んだ考察本では3,4万で上洛目指して途中から越前とかの一向衆徒などが合流してきて5万を超えるだろうと
考察してたが、それで上洛可能かも微妙だと思う >>359
合従軍で信長を倒すということか…
古代中国の斉はそれで1,2城を残して全て陥落して95%以上の国土を失いほぼ滅亡状態になったけど
秦も合従軍の攻撃で窮地に陥ったけどはねのけてるね。斉も各国への説得活動で合従軍を撤退させて復活したけどな
なんだかんだ合従軍も足並みがきっちりそろわないとなかなか難しいんだよな
そして、足並みをきっちりそろえるのが非常に難しい >>360
そうだった、謙信は対信長と関係ない時代に上洛して文字通り将軍を守護してた時があったな
ちゃっかり青苧の販売ルートまで確保してたそうだ
足利義輝にはもっと長く居てくれと懇願されたそうだが、いつまでも越後を留守にするわけにもいかんしな
信長がさも信玄や謙信を恐れてたなんて書いてる本もあるが、さほどでもないと思うね
そりゃどっちも戦上手で厄介な相手だが、面積当たりの収穫量が低い土地を占領してるに過ぎない相手なんて
後回しにするに決まってる。まずは豊かな畿内からになるのが当たり前なのに、恐れて手を出せなかったとか
頓珍漢なこと言われてもなあ 戦国時代はすでに江戸時代からエンターテイメントに毒されており、歴史ではありません >>367
この手のアンケートは色んなところで取られてるけど、信長が毎回一位だからな
信長は功績とカッコ良さが両立してる 慶長遣欧使節とかいう外患誘致が成功してたら日本はスペインの植民地になって伊達政宗はジパング総督になってたのかな 上杉謙信には天下統一のような大局観はなし
ただ人殺しが好きなクズ 実際、天下統一を考えてたのって信長だけじゃないかな
秀吉は信長の家臣になったから統一に向かったわけで
武田も上杉も毛利も島津も長宗我部も、基本的に自領を守ることと勢力拡大程度しか考えてないでしょ
政宗は天下統一に向けて動いてる勢力に触発されただけだと思う >>372
秀吉が居なかったら信長の名前すら残らなかったからw
信長最大の功績は、日本で初めて天下を統一した天才秀吉を見出したこと 信長は足利将軍家を滅ぼしたわけだから
その時点で天下統一したと判じても良い
従二位右大臣まで登り辞任
関白、太政大臣、征夷大将軍どれかへの推任を保留
たぶん天皇をぶっ殺そうとしてた思う
信長皇帝になっていたら日本の未来は全く違うものだっただろうね
信長はスケールが桁外れ >>375
物知らない田舎者か?
ノビナガ、猿吉一味は滅んだが
足利氏、徳川氏は三河縁故で裏で手を結んで、日本の最上級に未だに君臨しているが
細川護煕墓参記念碑(三河県岡崎市)
http://sakuraoffice.com/hosokawamorihiro.html
現代社会における日本の由緒正しい支配層(金では買えないステイタス)
公家(No.1、No.2)
・近衛家←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・鷹司家←現当主(伊勢神宮大宮司)は大給松平家(三河国加茂郡大給、三河県豊田市)からの養子
武家(No.1、No.2)
・足利家(喜連川家)←現当主は細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)からの養子
・細川家(三河国額田郡細川、三河県岡崎市)
細川家
菩提寺
・隣松寺(三河県豊田市幸町隣松寺126)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46)
大給松平家
菩提寺・墓所
・松明院(三河県岡崎市細川町字根古屋123)
・蓮性院(三河県岡崎市細川町字権水56)
・大給城(三河県豊田市大内町字城下)
氏神
・村積神社(三河県岡崎市奥山田町字山田46) 戦国最強は家康で仕方ないにしても、次は御家がはるか後まで続いたかどうかも考慮すべきだと俺は思うぞ。
そうなると織田も豊臣も徳川の次にはならない。多分中国の毛利あたりが来ると思う >>254
ちなみに関ヶ原の戦い後も島津に懲罰与えようとしたけど
島津が逆らうと戦国時代に逆戻りになると恐れた家康が
西軍大名で唯一本領安堵となり前田家に次ぐ石高になったが
後に薩摩藩が日清日露戦争で活躍したけど
その縁で天皇家に島津の血が入って皆丸顔になった >>378
薩摩島津な
島津忠義の丸顔が香淳皇后に引き継がれ、その子孫皆丸顔
愛子もかなり引き継いでるし
島津の遺伝子怖い もう幸村呼びはやめにするべき
トルコ風呂が無くなったように 仙台で青葉城みたときは感動した。この思いをどう形容したらいいだろうか?
青葉燃える
青葉の乱
青葉の魂
青葉が行く
青葉怒る
青葉の野望
青葉吠える 伊達政宗ってゲームでしか知らない。オカンとか身内があたおかって印象 >>305
伊達者の語源となるぐらい
当時から人気があった >>381
日本の貧民が奴隷として買われてるのを知ってブチ切れてたな >>390
トルデシリャス条約に喧嘩を売ることができた世界唯一の漢
それが豊臣秀吉 >>372
俺もそう思う
他にいるとしたら大内義隆くらいだろう
大内義隆は金の力で天下を牛耳ることは考えたことがあると思う
勘合貿易再開などで大内の経済力をガンガン上げてたし独裁権確立を目指してたし
目論見通りに行ってたら父の義興みたいに上洛して金ばら撒いて畿内を金の力で支配しようとしてそう
金だけでなく陶隆房という西国最強武将もいて軍事的にも凄かったしな
問題は月山富田城という小田原城の次に堅固で攻略困難な城を持ってて晴久が戦上手で政治的にも優秀な尼子だな
上洛にあたって尼子とどう折り合いをつけるかが最大の問題 であるか腐臭のする堕落国家においては織田が人気となるは致し方ないな >>393
ニュー速には小田さんを挙げるような通はあまりいないんじゃないかな
居ても通ぶってると思われるのが嫌で書かないとかありそうだ
匿名掲示板なんだから好きなこと書けばいいと思うけどな 武将が地元だからって贔屓するのが謎
血縁あるわけでもなくたいてい他所から来てる
長い歴史の中でピンポイントの戦国時代に暴れただけ
俺は大友家直系だけど戦国大名なんてまったく評価しない 一番好きな武将か…
考えたことないけど、やっぱり北条早雲かな
1) 北条早雲:非常に優秀で忠義にも厚い。俺が苦手な男色話も聞かないから好印象
2) 毛利元就:非常に優秀で頭の良さは戦国時代ピカ一、男色話無し、しかし、恐ろしい梟雄でもあり早雲ほど好印象ではないな
3) 尼子晴久:非常に優秀で戦上手、しかし、大内義隆の戦略には分が悪かったのが玉に瑕(経済力の差で仕方なしか)
4) 織田信長:非常に優秀で画期的な政策も多く魅力的だが男色話がちょっとね…
5) 大内義隆:非常に優秀で戦略眼に優れてて政治的には魅力的だが男色話が凄すぎて引くわw
個人的には今のところはこの順番だなあ >>397
美形小姓に「そちに姉は居るか?」
最も優秀で天下統一して男色無し()なら文句なしで豊臣秀吉の一択 >>397
織田信長は子ども24人いるの知らないだろ? >>398
大名を用事で大阪城とかに呼んだ隙に
大名の留守狙って正室や側室とやったりして数百人と関係持ったくせに
子どもが出来たのは淀君だけというw
しかも子どもは秀吉と違って巨漢だった 信長がもっと長生きして秀吉とタッグを組んだら
大東亜共栄圏が実現しただろう
アジア版ローマ帝国だ >>397
それよりも韓国の名将 李舜臣の方が日本では人気がある >>402
秀吉は李舜臣に大敗しているし、日本の衰退を加速させることになっただろうな 自分で作ったネズミの味噌汁食って死にかける歴史上の人物って後にも先にも伊達政宗くらいだろな。 >>404
大敗はしてない
唐が参戦してきて苦戦はしたが >>398
>美形小姓に「そちに姉は居るか?」
www、さすが秀吉、俺の気持ちと同じでいいわw
>最も優秀で天下統一して男色無し()なら文句なしで豊臣秀吉の一択
まあ、そうなんだが、秀吉の時代はもう戦国時代という感じでもないしな、実際、まだ、戦国時代なんだろうけどな
信長がすでに北条や東北も傘下に収めて毛利も講和気分でほぼ天下統一状態だったし >>399
知ってるけど、男色しなかったわけじゃなかろう
前田利家なんて信長と肌を合わせたことを誇りにして自慢してたし >>400
秀頼は身長197pの巨漢だったそうだしな
昔、相撲やってた把瑠都とちょうど同じくらいの身長だな
とても秀吉の子供とは思えん… >>402
信長の天下統一後の戦略はその通りだったようだぞ
帝を殺して取って代わるなんて話もあるが、信長のやり方はそうじゃなく
大東亜征服で皇族を中国や朝鮮やフィリピンなどに派遣してその地の天皇にして天皇を東アジアの各地域の権威にして
織田家が大東亜皇帝(仮称)として天皇を超える東アジア全体の権威になる構想だったと予想してる本もある
俺もそんな感じだろうなと思う(信長らしい画期的な構想で納得できるから) >>7
伊勢・後北条氏は傑物続きだね。盛時、氏綱、氏康と。四公六民とか目安箱とかもっと評価されても良いと思う。 しかし信長って死ぬ1年くらい前まで関西の田舎大名でしかなかった しかし明智殿が謀反してくれなかったら日本は西欧の植民地になってたかもよ。
宗教もキリスト教になって、公用語も変わっていたかもしれん。 きほん信長は利用できる時はもちあげて利用するけど使えなくなったら将棋の駒のようにポイするから
敵対勢力の仏教への当て馬としてキリストを保護したけど必要なくなればキリストを保護するとは思えんな
当初は宣教師は信長絶賛してたけど最後のほうはポイされそうになって信長の悪口ばかり言ってた >>423
当時の幕府も今の人もキリスト教にビビりすぎだと思うんだがなぁ、
島原の乱も税金絞りすぎが原因のDQN領主のせいだし >>172
そうすると在日韓国人犯罪は一日1000件超えるな
在日韓国人を嫌うのは当たり前なんだから出て行けよ >>426
宣教師による大量の日本人奴隷連行、アジア侵略植民地化とか見てれば妥当な判断。
今の日本の文化は江戸期に確立されてっから、それがなかったことになる。
フィリピンとかインドみたいなもんやな。
それがなかったことになる。 >>426
ないない
そもそも宣教師=植民地化の尖兵だから
欧州以外でキリスト教とか流行ってるところ全部過去の植民地だろアメリカ含めて >>422
桶狭間が1560年
右近衛大将が1575年
本能寺は1582年だけど? >>430
「信長、秀吉の対外進出路線続けてたらキリスト教に支配されて植民地になってただろうな」って話じゃろ?
そもそもキリスト教がそんなに流行るか、教会が世俗権力に対してそこまで支配力を持ち得るのか、信長路線なら植民地になってた論には色々飛躍があるんだが 1000人くらいのスペイン軍が九州に上陸したら小西行長や高山右近が合流して京都に攻め上がるというような中南米で起こったような事が日本でも起きうるかっていったら起きないじゃろ。
宣教師が植民地化の尖兵ってのと信長のままなら植民地になってたってのの間には大きな隔たりがある。 そもそも西欧の軍事的経済的侵略を防ぐ防波堤にする為に唐入りしたんだよ
(当然他の思惑もあったが)
まあどのみちスペインで政変起きたから事なきを得たんだが
でも歴史的事象なんていつどこでどう起きるか分からんから議論しても無駄やろ 伊達って白装束着てごめんちゃいってしただけじゃないの >>436
可愛がってくれた父ちゃん銃殺したんやで >>393
5ちゃんは小田氏ばっかりで大掾氏や江戸氏が目立たなくて可哀想
あいつらだって懸命に生きてたのに >>439
結城なんて徳川松平に乗っ取られた上に姓すら残せなかったからな
まさに生き残ったもん勝ち スペインなんて家康の許可を得て関ヶ原浪人たちを大量の銀で傭兵にしてたオランダに
インドネシアの各拠点を浪人突撃で次々に落とされていった程度の実力だろ
スペインじゃ当時の日本をどうする事も出来んよ。他の宗教に不寛容なキリスト教もそこまで浸透しないだろうし >>440
結城氏は関東の名族だったのにあっけない幕切れだったな…
結城合戦から立ち直れず戦国時代に突入しても目立たずって感じに思えるが、正直、よく知らんわ >>434
薩摩忘れただろ
幕末に京都守護してたのに土佐も仲間に加わると聞いて
幕府裏切ったけど おまえら・・・
世界史の知識は皆無かよ?
スペイン無敵艦隊が撃破されて没落が始まるのが1588年だよ
以後、対イギリス戦でも必死、負けっぱなし
東南アジアでも天下統一した秀吉の臣従恫喝に恐れをなして逃亡してるしレベルだ そもそも外征に20万人を送り込めるレベルの超絶軍事国家だった豊臣期日本と勝負になる訳が無いだろ
無敵艦隊スペインも全力で3万程度の動員力しかないっていうのに 立花宗茂って脚色無しで大河ドラマ級のネタが豊富なのになんでどこも取り上げないのかな?
誾千代奥さんとの関係
少年時代の苦労や初陣、父の戦死、朝鮮の役、関ケ原後の浪人時代、
江戸でのエピソード、柳川の殿様に返り咲くまで、島原の乱。
一年では扱いきれないほど波乱万丈なのに! 立花宗茂侯 ウィキペディア拝観
正に歴戦の勇者っうのはこうゆう御仁かもな こういう投票をするなら信長秀吉秀吉を除く好きな戦国大名とした方が面白い結果になりそうだ 家康は「戦国武将」としては不人気で
「日本の偉人」としては人気なイメージ
>>10
宮崎駿とか水木しげるとか反戦思想だけど
それとは別に戦艦や戦車好き >>453
雑想ノートでそのらへんの矛盾を開けっ広げに肯定してて草生える 花の慶次だと利家がセコい老害みたいに描かれてたけど
調べたら前田慶次郎利益はさほど大柄ではなく
武勇よりも茶や歌に精通した文化人で
利家のが槍の名手かつ身長も具足から推定して180前後と当時としては相当な大男で
漫画の慶次のイメージに近かった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています