「天寿をまっとう」に近いものがあるかもしれないが、「松陰先生がこういわれた」という話がある。
松下村塾の近所の子どもが病気で亡くなった。10歳だった。
その子を知る塾生たちは「まだ幼いのに」「将来があったはずなのに」と悲しみ嘆く。
松陰先生も同じかと思いきや、いつも通り、何の変わりもない。
先生はあの子が亡くなったことをご存知ないのかもしれない、と思った塾生の一人が松陰先生に話しかける。
「先生、近所のあの男の子が亡くなりました」
「知ってるよ」
「まだ10歳だったそうです」
「らしいな」
「先生は10歳の子が、それも顔見知りの子が亡くなって悲しくはないんですか?」
「悲しくはないし、悲しむ必要もない」
「なぜですか!」
「あの子も亡くなるまでの10年間のなかで、人生の春、人生の夏、人生の秋、そして人生の冬を歩いてきたはずだ。人生の春夏秋冬を全うした彼に対して、なぜこちらが悲しまなければならないのか」

短かろうが長かろうが、人の一生は春夏秋冬のワンサイクル。
だから、それぞれの季節を懸命に生きよという松陰先生の教えなのだと思うが、
くだんの校長、もしかすると、言葉のごく一部だけを切り取られての叩きにあっているのかもしれない。

知らんけど。