【画像】中国で紀元前246年に製造された、ほぼ完全な形で見つかった兵馬俑がヤバいと世界で話題 [271912485]
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これは、ほぼ完全な形で見つかったわずかな兵馬俑の一つです。彼の靴底のディテールに注目してください。2,200年前でも履物のグリップと牽引が考慮されていたことが分かります。
各等身大の粘土の兵士は完全にユニークに作られ、8,000体の兵馬俑全体の中でまったく同じものはありません。
紀元前210-209年に墓が完成した直後、武器を saげ、焼かれ、屋根が崩れて兵馬俑が損傷しました。現在展示されている他の兵馬俑は手間をかけて修復されました。さらに注目すべきは、当初これらの兵馬俑が熟練した職人によって鮮やかな色で描かれていたことです。
残念ながら、1970年代の発掘時に空気と日光にさらされると、色がほぼ直ちに収縮し、数分で消失しました。
これらの兵馬俑は、統一された中国の最初の皇帝である秦始皇の墓を守るために配置されました。今日まで、その墓はまだ開かれていません。古代の歴史家によれば、墓には真夜中の空を模倣するために真珠で飾られた王国と宮殿が含まれています。墓には非常に珍しい工芸品も含まれ、侵入しようとする者を射るためにクロスボウが仕掛けられていると言われています。その位置を秘密にするために、労働者たちは皇帝と共に埋葬されました。
漢代の歴史家である司馬遷はまた、墓の中で「水銀が百の川、黄河、長江、そして海を流れるように造られた」と述べています。現代のテストでは、周囲の土壌に非常に高い水銀の濃度が示されています。
https://i.imgur.com/Fea14U9.jpg
https://i.imgur.com/7mjmxz0.jpg
色が多少残っている兵馬俑
https://i.imgur.com/Euv5Hlw.jpg
その頃の日本の代表作品
https://i.imgur.com/kZnmYte.jpg
https://i.imgur.com/ZZY4SE1.jpg
http://5ch.net いつもの後から加えた常習詐欺ですよねこれ(´・ω・`) こんなに文明が発達してたのにな
勢力広げるうちに色々混ざって文明も民度も落ちてしまったんだな やろやんやろやん不快な方言を公共の掲示板に書く西日本の低学歴の馬鹿ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็
マジでウゼーから死んで詫びろ土人ด็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็็ >>7-8
IDコロコロして自作自演してんじゃねぇよクズ人間 これ日本を小馬鹿にする趣旨やろうけど
つい30年前まで全員笑いながら自転車で通勤してた中国が僅か30年でスマホ作ってるからな
当時の日中の陶器製造技術レベルがこの程度の差ならそんなに差が無い事は現代の中国が証明してる。 >>12
スレ立て人と同じ「業者」かつ「朝鮮人」です
目的は「中国人が立ててると錯覚させて日中軋轢を生むこと」
要は自民党(統一教会=米共和党)がやってることと同じ >>14
んなわけない
三国志時代とどんぐり時代には天地の開きがあるだろ >>14
中国の話なら、キングダム見ればわかるけどあの時代に10万という兵を動員して戦争してし
でも日本はちょんまげ+刀ではダメだと西洋文明取り入れて文明開化した。
一方のチャンコロどもは、アヘン戦争とかに負けてぐだぐだだが
そもそもあの国はすぐれた思想家もたくさんいたのに、たいてい中国統一→腐敗→反乱でボロボロ→統一
の歴史だからロクに平和な時代がなかったのが不幸だね。徳川家康すげーだろw 兵馬俑と万里の長城
共に始皇帝なのがすげーな
未だに残ってる遺跡として
それ以降だとなんかあるかね?
中国は早く民主化してくれたら色々面白いんだけどな 「この兵馬俑は本物か?」
「間違いありません!」
「なぜ言い切れるのだ?」
「made in chinaと刻印されてます!」
HAHAHAHA! 紀元前なんて、日本は卑弥呼あたりが亀の甲羅炙って占いしてた時代だろ・・すげーじゃんw >>19
流石に10万は盛ってると思うがなぁ
中国の思想家って結局春秋戦国時代の諸子百家だしねー
漢以降だと紀伝体の開祖の司馬遷かな?って感じだけだし
漢以降だとあまりパットしないというか
やはり戦争!群雄割拠!でないと中国は駄目なんよ こんなすごい文明を築いていたのになんで路上でウンコするような国民しか生き残ってないの? >>28
共産党のせいだろうな。でもその理屈でいけばエジプトとかメソポタミアとか
その後没落したのばっかりやん。最近だと世界を牛耳ってたブリカスとかスペインも凋落したねえ 日本に追い付かれるなんて、落ちぶれたね(´・ω・`) >>22
時代は不明だけど、膨大な数のピラミッドがある。 カッコいいな~。
色の残ってる奴なんて生々しさがあるよね。
まぁ、日本には遮光器土偶という超カッコいい土偶があるから負けたきはしないけどな!! >>32
そもそもこのころの日本なんて、文字すらないから日本の記録は
中国に残ってる記述しかないって時点で終わっとる 万里の長城って、当時からこのサイズがあったわけではなく
後世にどんどん延長修復して今の長さになってる
紀元前からの遺構は殆ど残ってない 兵馬俑ももちろん
武具がいい状態で全部残ってるのがヤバイ >>36
そもそも、火山が噴火して隆起した土地だからな。プレートが多いから地震災害も多いしw
>>37
最初はあんな立派なのじゃなくて土固めただけの部分も多いしな >>30
10万ってとこだけは眉唾だよなw
キングダムだし 中国はあの広大な土地と国民抱えて覇権取れないのがむしろ謎やろ
なんで未だにこのレベルやねん、、、って話で
それに凄い文明築いたー言うなら世界最大版図やった現モンゴルの没落といい、、、
世界初の民主国家のギリシャや
すべての道はローマに通じるのイタリアといい
国家運営は中々難しい 今の中国人と別人種としか思えん
まあ文革で優秀な人達は粛清されたからなあ >>44
始皇帝も、中国とったあとなんで南下しなかったのかねえ・・あんだけ軍隊もってるなら
今のインドあたりまで楽にとれそうだけどな。中国だけで満足するとかありえんw >>33
なんよねー
夏の遺跡か!?ってのも数年前出てたが共産党のせいで未だに発掘進まないし
北京原人の化石の原本とか今は無いからなー 兵馬俑って作りものに見えるけど、本当は人間を〇してそのまま
型をとったって可能性もあるな。人間を食うのくらい朝飯前な奴らだからありえる その頃の日本は神話時代で異世界転生ものみたいに
みんな魔法使って八岐大蛇とか普通に倒していたんだよな
やっぱり日本人はすげーや 魏志にある倭人は骨の焼き跡で占いするとか当時の中国が2000年ぐらい前にやってた風習だからな 日本は両面宿儺がいたからな
大変だったんだよ(´・ω・`) >>52
キリストのいう神が天地を作ったとか
天照なんとかも天地を作ったり、神様多すぎ問題 万里の長城は秦が中華統一した当時からいくつも点在してた国境壁を繋げただけ
あんな立派なものではなく土壁
ちなみにキングダムに出てくる信の同期的な若将軍の蒙恬が作った >>31
民度が低いから共産党如きに支配されてるんだろうが 日本人が三国志大好きなのってある意味、コーエーのおかげだよな
んで、マイナーだった文芸春秋時代もキングさんのおかげでだいぶマシになったなw >>49
当時の中原ってそれだけ凄かったんかねー?
あそこで領土拡張止めるの考えると始皇帝ってホントに争いのない世界にしたかっただけなんかもね
歴史上あの若さで領土拡張止めた君主もあんま聞かないし
胡亥のせいか超高のせいかわからんが漢民族でなく秦の治世が100年でも続いてたif中国の歴史は気になるよね
領土拡大と法治主義等
今の中国はもっと栄えてたと思う >>63
ifの話したらきりないけど、領土広げるだけ広げて自爆したモンゴリアン帝国もあるしな
そもそも遊牧民は内政にほぼ関心がなかったのも痛いね。あれで内政も完璧ならとんでもない
巨大国家ができてたなw そりゃこの時代、ヨーロッパじゃギリシャローマの時代だからな
栄えてるところは水道橋すらある時代だし驚くほどでもないよ? >>64
ソ連も今のウクライナとか周辺国含めてすげー優秀な人材の宝庫だったのに
共産党がすべてをムニエルにしたねえ。。中国もその共産党のせいで貴重な人材とか書物がw >>64
あいつら昔から焚書坑儒とかやるからグレートリセットは文化を壊すのが文化なんだよ >>1
そんなことよりテレビ見ていたら速報でドクズのキッシンジャーがおっ死んだらしい。
これで中共もユダ公もいっかんの終わり。
めでたしめでたし。 項羽の配下が始皇帝の陵墓に突入したら罠で何人も死んだとかいうインディージョーンズみたいな話だが本当なんかね
板踏んだら矢が飛んでくるトラップとか仕掛けてからどのくらい生きて作動すんだろう >>68
欧州も同じことしてたけどな。キリスト教マンセーのせいでな。
歴史とはあまり関係ないと思われた、ファンタジーなギリシャ神話は許されてたので
奇跡的に残ってるよなw >>62
文芸春秋時代ってなんや?
コーエーより吉川英治、横山光輝あたりの流れちゃう?まぁ吉川英治が偉大すぎた
吉川英治が封神演義やら史記やら春秋戦国時代あたりを書いてたら日本でも春秋戦国時代もっと有名だったかも >>74
そんな広い地下空間作る技術無いだろうから
狭い通路で生き埋めになった程度じゃねえの? >>74
ま、もちろん罠のすべてが作動したわけではないだろうが
今と違って電気ではなく物理的な仕掛けだろうから踏むと矢が飛び出すみたいな
何か引っ張ってるようなのはさすがに嘘だろう(何十年も弓を引いた状態を維持できん)けど
落とし穴的なものは問題ないんじゃね そらまぁその時代の中国は偉大で尊敬しとるよもちろん
今の中国は嫌いだけど >>75
ローマギリシャ技術芸術は一旦リセットされたんだよな >>9
草
ジャップランドの2枚目か
確かに似てるわ >>79
始皇帝の時代のチャンコロは、ある意味満州とかモンゴルどもにやられて死滅したよな
わずかに残った国民党の残党が生き残ったが台湾に逃げたし >>67
>>75
宗教を文化・思想と定義すると共産主義も宗教だしねー
異文化排除といいユダヤの一神教の流れというか
一神教は攻めには強いが停滞しがちなんよ、、、
隆盛を誇った中等メソポタミア、もしくはトルコオスマン辺りの今の没落ぶりを見ると
悲しくなるな なんで東洋人は醜いんだろうね
古代から醜かったなんて >>1
鮮やかな色で描かれた
というよりは
鮮やかな色で塗られた
とか
彩られた
ではないか >>1すげーな、靴底あるじゃん。グリップ効かせてたんか? >>6
アホか
それは古墳時代の埴輪だろ
兵馬俑から600年以上あとの日本の最新技術 >>91
昔の日本人「中国には兵馬俑あるんだってよ」
偉い人「それなら作るか」
昔の日本人「こんな感じです」
偉い人「はに丸やんw」 >>93
ゴムではないが、水を踏んでもすべらないようにスリップタイヤみたいな
水を逃す構造になってるのがすげーな >>90
確かに冷静に考えたら
当時の秦は一般兵にこの装備をデフォで揃えてたと考えると半端ないな
度量の統一と道の整備したせいで簡単に負けちゃうからなーというか項羽が化け物すぎるというか、、、、 >>97
乞食とか初期は、江戸時代に「これ翻訳しておかないと将来読めなくなるで」っていう人がいたので
改編したんだけど、その人の意訳も含まれてるんだろうな。原書残ってたら歴史家が解明したかもw 某大御所悟空の声優が、今はワンピーの主役のゴムゴムの海賊王になりたい奴の声の人をディスってたな
余りに仕事がないから、事務所で掃除ばっかしてたとか、NH〇の声ぐらいしか仕事がなかったとか >>74
それは司馬遼太郎などの創作だからな
盗掘と放火をしたことは後の調査で判明してる
兵馬俑は始皇帝を埋葬するために殉教と称して人々を殺して埋める代わりに
人形を作って埋葬したので、そんな罰当たりなことはしない
そもそもそんなもんがあったら函谷関に設置してるだろw >>98
古事記といい史記以前の書物といい
何かしら出てきたら楽しいんだが
謎が多すぎて
いきなり章邯って誰やねん!?になるからなー >>103
でも、天皇って一応ファンタジー含むとはいえ、初代からきちんと説明ができてるのはすごいよな >>98
中国には司馬遷という2000年前の人が生涯かけて中国2000年の歴史を書いた史記を残した
それを水戸光圀が読んで感銘を受けて大日本史を残したけど
完成までには100年以上掛かった >>1
一番さいごの、なんかアベちゃんに似てるなw >>107
4大文明が全部没落してる時点でお察し。中国はまだマシな部類 >>110
縄文土器の紐でガラを付けるってのもどうせ大陸から教わったんでしょ。知らんけどw 常識的な教育を受けた日本人なら
誰しも中国の歴史に一目置いているので
そんな必死にアピールしなくても大丈夫よ
「黄河文明」の一言で大抵論破できる >>103
信長公記の豊臣秀吉や明智光秀も急に出てきたけど >>107
劣化したんじゃない
異民族が勝手に中華の末裔を自称してるだけ >>112
一目置いている → ×
昔の中国はよかった → 〇 >>97
古事記とか信じてないわ
勝者の歴史とか信じてるのはアホだけ >>114
すべては共産党がアカンのや。まあブリカスが茶欲しさにアヘン戦争で負けたのも痛いけどw >>118
だから共産党は関係ないって
民度が低かったから共産党に支配されただけw >>119
そもそも、始皇帝が徳川幕府みたいに平和な世の中にして1000年以上続いてたらなw どうみても本当の漢民族は滅びてるよな。
本当のギリシャ人がどこぞに消えたのと同じで。 >>22
始皇帝の時代に民主主義なんてないぞ
帝国主義だからこそ出来た品物 >>26
卑弥呼は3世紀頃。
三国志の時代。
卑弥呼の使者が曹操の息子の曹丕に会っている。 >>107
天下取ったら敵の文化壊して0からスタートしてるからだろ そう考えると中国って沈没寸前まで逝って現在に至るんだな >>115
オーソドックスなパワープレイが嫌なんだろ
だから元いた場所で争うのを諦め、はるばる大陸の端っこの島まで渡ってきたのかもね >>122
そういう意味では共和制ローマはすごいな >>125
中華統一()→腐敗→国民の氾濫→また戦国時代に逆戻り→統一
の繰り返しだからな。。チャンコロの中に家康みたいな逸材がいればw
でもどっちにしろモンゴル帝国の餌食だからな >>129
ローマがすごいのは、政治だけじゃなくて土木技術や衛生観念も含めてくれ。
見ろよ、西欧がキリスト教の思想に染まってからの暗黒ぶり。
土木技術も衛生観念も、そして政治すらも失われたんだぞ。 しかしブサイクだなー3番目の画像とか
これが東洋人なんて酷すぎる
ミロのビーナスと同じ人間と思えない >>116
現在の中国も十分凄いと思うが…
あの守りに入らない常に攻め続けるスタンスは日本も少し見習った方が良い >>1
エジプトとかチグリスユーフラテスとかインドやローマ帝国と比べてどっちがすごいの? >>1
こんなんだから韓国朝鮮統一教会に支配されるんだよ >>6
日本人ってリアルにしようという意欲が少ないよな >>132
いやほんと
なんで衰退したのかね
帝政になったから、だっけ >>134
でも、支那中共になってから一度たりとも戦争に勝ってないぞ >>6
ゲームなんかでもリアルより、可愛くデフォルメしたほうが受けるし☺ >>19
源平合戦は更に酷いが
一ノ谷の戦いじゃ平家が関ヶ原の戦いの軍勢並の兵力を集めたのに義経の奇襲で大敗したことになってるけど
関ヶ原の戦いですら兵力集めるのに両軍必死だったのに
どうやって平家がその軍勢を集めたのか?w >>138
絶対神の存在で、学者も民衆も学ぶこと、研究することを怠ったから。
神の摂理、神の真理、神の領域、全てがタブーになった。 >>139
中国は対外戦争0勝じゃない?
元はモンゴルとして朝鮮は属国とすると 何でこれほどのものを紀元前に作った
連中が今じゃただの土人に成り果てたんやろな >>141
西国にはまだまだ平家方がいたからじゃねの? >>134
それは俺もそう思うけど、レンタチャリとかEVとかの墓場見てたらそうとも言い切れない
最近の不動産バブル崩壊とかもやべーし。マジで日本以上に失われた時代がくるぞw
石橋を叩き壊して新しいのができないと渡らない日本人と
石橋が万が一壊れたら埋めるアルで渡っちゃうチャンコロのハイブリッドなら・・w >>142
あー、ローマは多神教だったけ
一神教に染まると停滞するのか >>143
御情けで中華民国は勝ったことにしてあげたけど、厳密には全敗してるわな >>144
中華民といえる人間が、モンゴルに乗っ取られたり、朝鮮とか満州とかにちゃいちゃいされて
血が混じってしまったからだなw >>1
中国なんてノグソの国だろ?
こんなん作れるわけないじゃんw
日本が作ったものを盗んだだけだよこれ
反日パヨク支那人のデマに騙されんなよ? >>148
ギリシャ神話とかの土着神ってのは一神教ではないからね。日本の神道だって仏教OKだし
インドのヒンズー教も別に他の宗教は排除してないだろう。ようはユダヤ教から続く
イスラームとかキリスト教が宗教戦争とかの大元だからな。ろくなことしねーわw やっぱり古代中国は偉大で父の国だと思うわ
今の背乗り中国は糞だけど >>152
ギリシャ、ローマ時代には哲学とか思想も大いに発展したのに
「神の教え」に駆逐されたか >>120
後の劉邦が400年も治世作ったけど
ただ漢の後の晋が内乱起きた時に傭兵として諸外国から雇ったら
あっさり諸外国に乗っ取られ、ずっと諸外国から蹂躙され漢民族の統一王朝は1000年後の明になるまで出来なかった
その明も日本の豊臣秀吉の侵攻がきっかけで滅亡したw >>153
日本「このままちょんまげ+日本刀では西洋に勝てない。だから西洋に学ぼう」(大成功)
チャンコロ「このままではアカン。今までの歴史書とか頭のいい奴はみな殺しアル。あと鉄も作るある。雀を皆殺しアル」(大失敗) >>155
ロクに作物も育たない痩せた土地の欧州がその後躍進したけど
争いばっかりになったのはキリスト教のせいかもなw >>138
小国時代は国民全員ストイックに勤労し質朴に暮らした
勢力が伸張し植民都市が増え、富が増大すると民は贅を楽しみ労苦を厭うようになった
同時に増えすぎた領地の維持には多量の兵が必要になり、そこを穴埋めしたのがガリアや北アフリカなんかの植民都市出身者
彼らの増加と地位向上がローマのアイデンティティを失わせ、最終ガリア人により取って代わられることとなった
適当だけどこんな感じだったかな?多分プロフェッサーみたいな人が赤ペンしてくれると思うけど >>144
今後アメリカを抜いて世界一の大国になるんだろ
世界帝国を企んでるし秦の始皇帝の集大成 昔兵馬俑ってあまりにもリアルだから
生きてる人間に土ぬって焼いたと思ってたわ。 >>157
これもひとつの「教義」に染まった悪弊だよなぁ
でも今の中共は改革解放後に経済面で柔軟になったので侮れん 大昔にそんなに差があったのにあっという間に日本に追い抜かれちゃって情けないよね >>160
西側が制裁に舵を切ったので
アメリカを抜くのは難しくなったと言われてるな >>162
ケ小平の時代に「先に豊かになる人」政策したおかげ。共産主義だから
共産的な一方で資本主義的なものを入れないとダメになるとこういう政策した。
これがなかったら今でもにっちもさっちもいってないw >>157
今彼らがやってんのは「このままじゃ民主主義と資本主義には勝てん、以下略」だからなあ
馬鹿にするのもええけど、いまや彼らは的確に我々西側の体制の脆弱性を突いてくる厄介な敵ですよ
常時監視され、反抗したらスライス標本にされる社会が嫌なら用心しないとね >>163
というか
明治維新からたった50年で列強になった日本が異常だろw >>28
人種がまったく違う
三国志等の種族は
五胡十六国時代に完全に滅亡した
変わって蛮族の五胡が支配し
現在の中国人は五胡の混血 >>138
中国は戦乱ばかり重ねたのが原因
日本が荒廃したのは足利政権と太平洋戦争だけだったけど
中国は漢滅亡から清設立までと、清末期から国共内戦で人民解放軍が中国統一するまでずっと戦乱で荒れてた >>148
一神教そのものが悪いんじゃなくて、それに巣食う聖職者、かな。 >>167
今は30年40年かけても足踏みなのにね
衣食足りた事の負の部分なのかもね、俺等先人に比べて甘っちょろいんだろうな >>167
日本は、島国だから不利だと思ってる奴が多いが逆。イギリスもだけど島国のほうが
攻めるのが大変なんだぞ。海を渡らないとならない。
あと日本は識字率も高いし工業もチート級(戦艦ヤマトとかな)だったのも幸いした
これが戦後日本だけ復興できて他のアジアがイマイチだった理由 >>152
一神教そのものの元祖はアテン神への宗教改革を行ったアクエンアテンから 社会主義の名の下にポリコレ全スルーしてるのが強み
ポリコレは文明発展の足枷にしかならん >>173
日本がこんだけ大国になれたのは、徳川幕府という国をまとめる役割ができたのと
長いこと平和だったこと。これが徳川の後に反乱起きてまた戦国時代に逆戻りしてたら
ペリーとかに簡単に占領されてたぞ。 本当に年代あってんのかね
これだけでなく各発掘物って
酸化具合とか物次第で変わるもんやし >>172
つまり人材豊かだったのよ
今はどうか?
人的劣化著しいと思うわ >>176
そこらは元寇のときも同じだな
統一政権があったから対抗できてた はにわの方が癒し効果あってビジネスになるので日本の勝ち ※ 今飾られてるものはほとんど現代に作り直した想像レプリカです >>168
戦乱恐れて山奥の四川に逃れてた中華民族いたんだけど
豊臣秀吉の朝鮮侵攻で明が分裂した時に四川を支配した
張献忠という男によって四川にいた住民の9割が殺され中華民族が滅亡したw
後に清が人々を四川に移住させて復興させたけど インチキくせー
あいつら平気で捏造するからな
その原動力は日本の歴史 >>178
今に続く、民主主義ってのはGHQやダメリカの押し付けだからな。
自分たちが食う分まで税金でもっていかれたフレンチみたいな革命起こして勝ち取った国とはバックグラウンドが違う
日本人に民主主義は早すぎたw >>175
そのポリコレ、そのアカが広めたものだとしたら、どうよ?
道理が通ると思わない? >>185
さすがに兵馬俑は捏造じゃないだろ
史記にも記述されてたわけで >>170
一神教というのは「俺の意見は絶対だ」
神がこう言ってますと言えば決定 >>187
でも皇室制度は存続してるやん
ここらはアメリカとは異なる仕組みだ 発見当時、顔が全部違うってんで一体一体モデルがいるとか言われてたけど実際どうなんだろうな
ピラミッドも所々手抜きの跡とかあるらしいし、いくら古代支那でも適当な仕事をする奴等はいただろう >>172
日本が戦後復興できたのは朝鮮戦争で日本によく行き来してた欧米人との交流のお陰
日本人が黒人と違って手先が器用で勤勉で色々やってくれるからな >>180
なので西欧は常に、体制側と反体制側を援助する形でたっぷりと内戦を行わせ、国の中に対立と怨恨の種を深く植え付け民族としての力を充分に削いでから徐ろに植民地化する
日本も徳川幕府が大政奉還せず延々争っていたらどうなっていたことか >>1
こうして見ると中国は2000年間全く進化してなかったんだな >>195
皇室がマシだったのはなぜか国民に人気があったんだよね。だから戦国時代にも皇室を断絶するより
利用する方が価値があると、秀吉も家康も利用したわけだし。GHQも悩んだんだろうが
このあと利用価値があると皇室を継続した。でもGHQが潰してくれてたらどうなったかねえ >>196
始皇帝の場合は手抜きとかすると処刑、しなければ出世するという社会
しかも5家族を1組にしてお互い見張ってたから
後の劉邦になってこういう法律は廃止された >>197
戦争は武器商人が儲かるのは歴史が証明してる。ほぼ農業しかやることがなかったダメリカが
世界であんだけ存在感増したのも戦争で兵器を平気に大量生産できたからだよ。 >>199
日本は天皇を奉戴してたのが大きい
どっちが正統かシロクロつけやすい >>197
朝鮮戦争の特需がなくても日本は普通に復興してたよ >>1
文革さえなければ今もこのクオリティを引き継いだまさに4000年の歴史を継承出来たのになぁ
中華民国で4000年の歴史に幕を下ろしてしまい今の中華人民共和国は100年の歴史も無い新しい国だね >>201
何だかんだで「神の子孫」という方便が効いてたというね
だから天皇を他の血筋が簒奪するのを困難にしてた
中国の皇帝は「神の代理人」だったから徳を失えば簒奪OKという論理が成立した >>209
そーいや、キリストにしてもムハンマドにしてもあくまで伝道師であって
そいつらが神ではないんだよなw >>187
フランス革命は半分くらい、貴族の反乱みたいなもんだと思うが
身分制度に依らない資本を通じた搾取と支配にいち早く乗っかった貴族連中が、鈍臭く守旧的なお仲間を、良い具合に「民衆から搾取する悪い貴族」筆頭ブルボン家、を仕立て上げた
その傍らで自分たちは無事民衆の不満からタゲ逸らしし、築き上げた富をキープしつつ時代の荒波をのりこえた
って側面は否めないよね
今の欧州の富裕層の中に少なからず貴族の出自はいるでしょ >>8
どんぐり食べてる豚さんはおいしいって言うけどどんぐり食べてたから人も食べられてたのかな?悲しいね しかし何故か後の漢代の兵馬俑は大きさも写実性もショボくなるという謎。 日本と中国の大きな違い
中国は一族処刑はよくやってたので残酷ではない
日本は一族処刑となると残酷だと言い出す
日本で荒木村重や豊臣秀次の子孫が生き残ってるのは
赤ちゃんまで殺すのは可哀想だからとして逃がされたけど
中国人は赤ちゃんでも容赦ないからな >>216
始皇帝「兵馬俑作れ。写実的にな金かかってもかまわんw」
部下「ええー(下らんことに金かけるなコイツ)」
漢王朝「兵馬俑だけど作ってもいいけど金かかるから簡素なのでいいや」
部下「おお!漢(おとこ)だぜ」 日本は人型めんどくさくなって円筒にしていくからなあ
神様は寛容だよ 兵馬俑で並んでるシロモノが現代に作られたレプリカだと知らない人?
1人づつ顔が違う()
草w >>212
一応キリストは神の子とか受肉した神そのものという教えもあるからなぁ
ムハマンドはよくわからん >>1
卑弥呼という呪い婆さんが国を治めてた頃の日本と、中国の三国志時代が同じ頃というからな。 >>184
山奥は蛮族のテリトリーで山奥へ逃げる事は不可能
逃げるとすれば海の向こうだが
それもなかった
まあ、周、秦の時代に台湾や日本に来て人は僅かだがいる
>>28
三国志時代の種族は華夏族
漢の最盛期人口6000万人
三国志時代600万人
三国志末期~西晋100万人
西晋は政治争いばかりしてて国力はボロボロ
そこで人材を補うため蛮族である五胡に
文明文化を与え使役した
政治腐敗と五胡が力を付け、五胡が西晋を滅ぼす
五胡十六国時代へ突入
晋はかろうじて生き残り東晋として存続
しかし戦乱のさなかに滅亡
ここで華夏族の純種族は完全に滅亡した
現在の中国人は
五胡である匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の混血
曹操孫権劉備の子孫とかほざいてるのは全部嘘
ただし五胡に漢が皇帝の血族を娶らせたりや李信の子孫の李陵は匈奴に血を残してるから
劉邦、李信の子孫なら可能性はある
しかし嘘が多くてどいつが本物なのかは解るわけはない >>220
人柱なんてのはどこでもあるよね。それをかわいそうだとはにゃ!にしたというわけで >>48
中国なら秦より前だけど、三星堆遺跡とシーマオ遺跡が気になる >>226
ディズニー「中に人なんて入ってません!みっきーはみっきーなのでつ」 日本で世界最古の土器出土
↓4ヶ月後
中国で世界最古の土器出土
(尚現物は紛失した模様) 埴輪の技術は現代日本アニメのデフォルメキャラとして受け継がれてるのだよ(´・ω・`) >>229
台湾に逃げたチャンコロも直系だけど違うんだよな・・もはやチョンやモンゴルとかいろんなの混ざってるよね >>206
してないな
できてたら平成で没落しないと思う そういや、兵馬俑の青銅の武器が錆びてないのはクロムメッキで処理されてるからだ オーパーツだ古代中国凄い!
みたいの最近言わなくなったな クロムメッキが否定されたらしいが 日本人は中国といえば昔から中国で変わらないと思ってるけど
それは地域であって人じゃないからね
人は変わりまくりなんだど
モンゴルが中国だったときもあるしベトナムが中国だったこともある >>240
中華民国から中華人民共和国に変わったころが一番のターニングだね 日本に住んでると
そこに住んでる人は古来永劫変わらないと思いやすいけど
中国は逆
変わるのが普通 当時それだけの技術を持っていたなら
今頃は超文明のSFの世界になっていてもおかしくないのに
何でほかと同じくらいにしか発展していないんだろうな? 中央集権と崩壊分裂と統一の繰り返し
そのうち現中国共産党も各地の軍閥で分裂
地方国家化するのは歴史の必然 >>244
栄枯盛衰いうてな。太陽が沈まない国といわれたブリカスもスペインも見る影ナシだろ
未来永劫繁栄が続くとは限らんのだ。ダメリカもいつまで続かねw 2200年前でこのクオリティは凄すぎ
これだけ緻密なものを作る技術者がありながらなんで中国は電気もエンジンも作れなかったんだよ
私利私欲の権力闘争に明け暮れて人類の進歩に貢献しなかったのは怠慢であり大罪だよ
中国人の英知を覇権ではなく文明の進歩に向けるべき 日本は孝霊天皇の時代
始皇帝から予算をせしめた徐福が3000人の渡来人とライニティした 日本人の感性ってスゴいよな。
https://i.imgur.com/7LjpNJY.jpg
感性じゃなく写実だったらどうしようって思うけど。 中国「うちの方が古い!」
世界「ほな、鑑定しよか」
中国「無くなったテヘペロ」 抽象化、単純化を技術や芸術の劣等要素と見なすのは、なにも解っていない証拠 どういう思想でこんなもん作ったんだろうな
世界中見渡してもここだけだろこんなの作ったの >>247
アメリカが海軍力で世界を圧倒してるうちは問題ない
アメリカの海軍力を無効化できるテクノロジーが出現するかとうが、だな >>254
にんとく「せやな」
クフ王「理解できん」 >>254
メソポタミア文明とかの感性が日本まで流れてきてたんだろ
あそこら辺も目がデカい変なの多いし >>249
中国は学問(科学)が発展しなかった
universityという考えもなかった
そこが西洋との大きな差
科学によるものは全て西洋が生み出した * *
* + うそです
n ∧_∧ n
+ (ヨ(* ´∀`)E)
Y Y * >>260
漢方の考えは素晴らしいと思う。漢方でたまに死人が出るとアンチ漢方が「みろ危険ニダ」とか言うけどw
チャンコロというアホみたいな国で産まれたのが不幸だね >>178
人材じゃなくて大勢の人の努力のたまものだろ
例えば欧米の植民地支配で日本にやって来た奴らを撃退した重装弓騎兵
その存在は常識ではあり得ないらしい
日々の修練のたまもので
重い鎧を身を纏い余裕で動け、
遠距離なら弓で近距離なら刀で戦い
馬での機動力もあったから
敵を何度も撃退出来た
まあ長距離船旅の疲れや台風も味方したんだろうけどな
黒船来航なんかは植民地支配の偵察に来たのに
相当の戦力に国民の識字率の高さ等から
外交した方が良いと判断されたんだよな
関係ないけど俺の脳内でペリーの容姿がフランシスコ・ザビエルの頭になってるんだが、なぜだろう? >>265
大奥みたいなまーんのすくつで、まーんの世話するためにはチンコを切るのは仕方ないけどね
でも平民でも公務員になれるって夢があるのはいいと思うけどな。 >>267
あの時代のことなら、徳川幕府を逆にやられるかもしれないほど各藩に自由をもたせたのがよかった
そのせいで、税収はほぼないのに日本全国の世話を幕府がする羽目になって金がなくて無理ゲーで大政奉還になったけどw >>40
1000年後のミケランジェロが度肝抜かれるくらいだからな。
次元が違いすぎて意味がわからんくらい凄い。 >>19
>中国の話なら、キングダム見ればわかるけどあの時代に10万という兵を動員して戦争してし
>でも日本はちょんまげ+刀ではダメだと西洋文明取り入れて文明開化した。
お前この部分だけでめちゃくちゃな頭してるのわかるぞw >>267
いや、明治維新から列強に至るまでの発展のことよ
人材に恵まれたから発展できたってこと >>272
それをいったらオメ
三国志の赤壁は100万w >>6
かわええ😊この頃からこんなセンスだったんだな 中国歴史に出てくる数字の実数は基本1/10換算で正解に近い >>1
>その位置を秘密にするために、労働者たちは皇帝と共に埋葬されました。
さらっと怖い >>205
んだなー
実権あるなし別にして、一統で通された(形になってる)権威があった、てのはでかいな
権力を放棄する方にしても、カッコがつく形になってるからなんぼか揉めにくい
これ錦の御旗なしで、単に勃興した反幕府勢力に降りますよ、って話なら、幕府の中の抵抗論者をどこまで抑え込めたものだろうかね
なまじ戦国から遠ざかってる分、おぼこいってかドグマティックになってるから、どうせなら徳川の家紋背負って戦って死のうや、とかなってもおかしくないのかもね、総白虎隊状態 >>204
GHQが恐れて日本で武器は作らせてないけど
それ以外の服や電化製品作らせて成長した >>218
劉邦らは兵馬俑作ってないぞw
劉邦の親族や側近の墓が見つかってるけど皆簡素な墓だけど >>1
これ当時の靴底は何で出来てたんだろ、革だと思ってたけど違うんだな…
ゴムやウレタンじゃなきゃこんな凹凸つけられないし、そもそもグリップパターンが出来たのが20世紀入ってからだし、どうなってんだ? >>282
天皇って、戦国時代とか空気だったけど生き残り方がうまいよな。
ロクに箔のない明治政府に担がれてなんか戦時中は神みたいな扱いになってしまったのは不幸w >>285
コンクリで道路に丸いわっかで跡つけるやん。アレみたいな感じじゃね? 東博にあるよなハニワ
あそこ好きだわ
特別展行った後寄ってく
でもそこで力尽きて別棟は無理なんだわ >>216
始皇帝は自分の子や一族ですら封建せずに中華の全ての富は自分のものだからあれだけのを造れた
漢は高祖が統一し一族功臣を封建し全ての富が皇帝のものではなく楚漢戦争で領土は荒れ果てた上に英布(鯨布)の乱やら匈奴攻め(しかも敗北)に軍費が掛かり国庫に余裕なし状態
それから地道に国庫を増やしていったが景帝の頃に呉楚七国の乱で増やした国庫を軍費で放出…鎮圧した後にまた地道に国庫を増やし国庫が溢れる位になった頃に武帝が即位し数度の匈奴征伐やら大宛・朝鮮・越南征伐や河水の氾濫復旧で国庫を空にする
重税や呉楚の王を取り潰しで国庫を増やそうとするも滅亡寸前から復活した匈奴に大敗しその後武帝が崩御し国庫もまた増えていったが王莽の簒奪から新成立→反乱と…常に国庫が無くなる状態の繰り返しで大きく立派な兵馬俑を造れなかったのもあるかと >>205
これでかかったな
君臨すれども統治せずを自然とやっていた
公家が早めに文化風流に流れたからなー
天皇陛下がいたからここまで日本は平和で纏まれたんよな >>286
いや、天皇から官位を与えられて治めるってのは
摂関時代から延々と続いてるぞ
天皇から官位を授からす日本を治めた者はおらん >>290
天皇が簒奪を免れなのは
早い段階で実権を損ねたことと
神の子孫を名乗って簒奪を困難にしてきたことだな >>289
だとしたら陳勝・呉広の乱が起きる前に反乱起きてると思う
始皇帝は言うて公平やったと思うよ >>291
そうかーすげーな。やっぱ国民に人気あるからそういうことができたんだね >>293
ひんべー「はにまるさまーさっき飲んだじゃないですかあ」 >>295
人気もなにも
神の子孫ってのが効いてるだろ 昔の天皇って貧乏だよ
幕府に金くださいって懇願してる >>286
戦国時代各地の大名がこぞって朝貢して官位を貰ってたやんけ
信長も天皇陛下を抑えてたし
秀吉は公家の縁戚に入って豊臣姓を貰って関白として日本惣無事令やし
天皇陛下を皆敬ってたよ >>167
結局大事なのが教育なのは変わらないって事だろうな >>287
付けるのはいくらでも方法ある
不思議なのは靴底の素材の話よ >>300
いまはその教育を阻害するものが多すぎるな
昔の偉人は脇目も振らず学業に没頭してたんだろな
まあ芸者遊びしてたやつもいるがw >>300
やろねー
中世近代までは戦争も内省も一部が教育出来ていても社会は回ったけど
大量生産に統一規格、第一次世界大戦からの国家総動員的な戦争
武器も槍持って叩いてりゃいい歩兵から複雑な専門知識も必要になってきた兵器へ
外交、内政共に知識の門戸を広げないと国が発展しなくなってきてるのはあるわなー >>299
応仁の乱で没落した天皇を救ったのが織田信長の上洛
織田信長が足利将軍と共に復権させた
豊臣秀吉か大金貢いだんだけど、それが仇となり
徳川家康の時代に大乱交事件起こしたせいで
後に禁中並公家諸法度で規制されたw >>237
豊かな生活を享受しながら没落したって、どこのパヨクだよw
日本が没落なら、ヨーロッパも軒並み没落だわな >>300
それは思う。日本は農民でも寺子屋で識字率も高いし、
宣教師どもにコロっと騙される国が多い中で、仏教+神道が浸透してたのもあるだろうが
ザビ「改宗してくださいよー」農民「でも祖先は救われないんすよね?」
ザビ「祖先はキリストの礼拝受けてないんで死後救われないっす」農民「なら嫌だ」
ザビ「(コイツら土人かと舐めてたら、けっこう賢いなあ・・)」 >>289
劉邦の時代は匈奴にまったく歯が立たなかっただろ
もし仮に匈奴が漢を制圧していたら、匈奴が「中華」の後継者ということになっていたんだろうな
中華なんてこの程度のもの 嬴政「中華どころか世界を統一する!」
信「無理だってやめとけよw」 お手本通りに作るより
漫画チックのほうが面白いけど >>44
ローマ帝国が滅んでから18世紀くらいまでは政権が変わりつつも周辺に強い影響を与えた大帝国じゃね? >>309
日本人は古来からデフォルメに長けてる民族だな >>289
そうでもないぞ
呂后の時代で荒れたのは禁中だけで戦争も無く
匈奴には服従してたから民衆は今より暮らしやすかった
あと呉楚の乱は関ヶ原の戦いみたいに東西を分けたのにあっという間に片付いたので影響低かった
ただその乱後は酷吏が民衆や盗賊から財産取り上げて国に収めて功績を上げたので
結果として国が豊かになった 地図ガチャで大当たり引いたのに、民度が低くてリードを保てなかったってこと? >>294
陳勝・呉広の乱のような反乱がたまたま始皇帝存命時に起きなかっただけ
そもそも始皇帝は30代で病死したからな
水銀食ってたというのは後世の創作だけど、始皇帝稜には水銀が流れていた形跡があったから
始皇帝が水銀によく接してて若死にした可能性が非常に高い >>307
500年後、匈奴が中国を支配することになるの知らんのか?w まぁ確かに”昔の”中国は凄かったよ。日本で使われてる漢字もそっちの文化だし
まぁあくまで昔の中国人の話ね >>306
それは豊臣秀吉と徳川家康が厳しく取り締まったのが原因だが
後に統一教会やエホバの証人などクソみたいなキリスト教が生まれたので
取り締まったのは正解だった 漢の時代に生まれたものはコレ、有能過ぎ
紙
史記
葛根湯 早熟だがそこで進化が止まってしまったんだな
現代の中国に世界をリードする文化は存在しない 葛根湯発明したのが中国なのに、今じゃ中国にある葛根湯を信じず
日本で製造販売されてる葛根湯を中国人が買い漁るのってアホだなw >>321
アジアではネジが発明できなかったからな
ここらへんで西欧の民族と能力差を感じる 「見てきたけどもういい加減学ぶことないですよ」と進言した菅原道真の頃(894年)までは支那の方が進んでたんだろう 三国時代あたりまでの中国はほんと最先端行ってたよな
官僚政治みたいになって発展しなくなったんだっけ 文明の破壊つーか
文字がコロコロ変わって知識層ってのが形成されないと衰退する
誰が知識を伝えるのか?という話になるからな
墨は保つが紙や竹の保存期間が保たない
読めない文字が掛かれた紙なんて火起こしの材料にしかならない
古代の知識人にとって知識は自分達が特権を維持するためのツールだけど
錬金術とかもいい例で、知識ってのは広く広めないと
病気や事故で亡くなれば、そこまで蓄えた知識はご破算になるからね
エジプトとかもそうだし秘密主義を抱えた知識層が衰退を招く
fateなんかでも魔術師が知識の伝承に拘って不死を求めるのは
つまり不死になれば、知識は永遠に保存できる、つー考え方 なんか前に兵馬俑はギリシャの彫刻家が指導しとんじゃないかって話を聞いたな 当時の中国と日本は差がありすぎる
流石中国父さんと韓国兄さんやで >>337
よくわからんがギリシャの影響がみられるらしい >>339
項羽が焼き討ちしなければ
記録が残ってたのかもねぇ >>144
戦争に負けると負けた一族もろとも抹殺よくて奴隷
なのですべてリセットされてしまう >>341
洗衣院だっけ
宋の皇族女官がこぞって売春婦に落とされたやつ >>319
いや徳川家康は最初は取り締まりなんかしなかった
オランダが「カソリックは悪党で布教して侵略してんのや」ってたれ込んでから取り締まりが厳しくなった 京都の泉屋博古館ってとこで古代中国の青銅器とか見たけど素直にスゲーとは思ったな >>343
そもそも、鎖国してるのにオランダと貿易してたのは、ブリカス+スペの2国に比べて
出遅れてた感あったし、オランダはプロテスタントだから布教に熱心でなかったので幕府はOKした
おかげで、オランダから欧州の情報を得られたのはデカい 中国文化は紀元前からしっかりとしたものがあったからな
現在の中国がどうであれリスペクトに値する 兵馬俑の前は生きた人間を埋めてたという⋯おそチャイナ 30年位前に見てきた。
当時の中国が世界の憧れだったであろう事を実感する迫力だった。 >>358
紀元前なんて人の往来がそんな広域じゃないから
憧れもクソもないだろ >>359
シルクロードって知ってる?
当時は、オスマントルコ大帝国から中華までが栄えていた地区だ。
旧約聖書の世界な。
その前はギリシャとかローマな。
少しは歴史を勉強しょうな。 >>285
革に鉄の鋲とか
あるいは革の縫い目を表現してるとか >>360
それは漢の武帝が西域調査を命じて開拓されたルートだろ
それ以前に西域との交易はなかったんじゃねの? 世界三大墳墓
高さ最高 ピラミッド ← エジプト文明 順当
体積最高 始皇帝陵 ← 中国文明 順当
面積最高 伝仁徳天皇陵 ← 日本文明!? 何故なのか? 古代ローマの靴、カリガ
https://i.imgur.com/EB3ZBXk.jpg
これ自体は現代に作ったものだろうけど、滑り止めの鋲はあったらしい 古代中国人の文明開化っぷりから見た現代中国人の劣化っぷりにはため息しか出んな🧐 >>305
少子化なんだが…
>>285
木じゃない? >>366
ぜんぜん違う人間たちに入れ替わってるからな >>371
よくあること。エジプトだっていつのまにか「あっらー」な人に変わってたし >>371
日本も弥生時代に入れ替わったんじゃないの? >>1
中井貴一の番組で見たわ
跪射俑ってやつだろ、弩を撃つ
ミャンマー国境に近い雲南省のヌー族が伝統的に使ってるってさ
秦は南方の異民族(蛮族)も従えてたって 始皇帝の時代から2000年近く停滞というか、むしろ衰退してしてたって事だな
>>206
1949年の経済成長率マイナスだぞ
朝鮮戦争無かったらドン底だよ。アメリカだって日本の工業化許さんかっただろう >>379
というか日本の戦後の発展は大陸が赤化したからだろ >>379
日本が復活したのは朝鮮戦争のおかげ
朝鮮人が殺し合って日本が復活した
朝鮮様様 >>368
ヨーロッパも日本も少子化だな
で?
>>379
おまえの脳内では1949年の経済状態が永遠に続くことになってるのか? >>384
あれわざとデフォルメしてるんだって
リアルに作れないんじゃなくて >>138
古代ローマの最盛期は五賢帝時代
それ以前、2100年前前後には共和制の矛盾が噴出して内戦が続き
元老院主導の体制ではもう駄目だと判断したカエサルが根本的な改革に乗り出したが
共和派がカエサルの真意を理解せず暗殺してしまう
カエサルを継いだアウグストゥスが一見元老院を尊重するようふるまいつつ実際はカエサルの改革を引き継いだためローマは強国へ復活した はにははもう最古のゆるキャラでいいだろ (´・ω・`) 日本人は昔っからアニメみたいなのが好きだったのかな
リアルな描写より >>1 のハニワ画像は、
細い湾曲させた腕の作り込みは、兵馬俑に比べて大変に難しいと思われるのでハニワ技術に1票を投じたい。 ハニワは田中さんの所のおじいさんが趣味で作ってた奴だからな
変なの作ったら殺されるのとは意気込みが違う >>9
昔中国人が猫拾って育ててたってニュースの夫婦が
汚沢と安倍さんにそっくりだったニュースがあったんだぞ
まだ民主政権前ぐらいだからタイムリーだった 問題はこの兵馬俑を発掘したのが中国共産党政府だということ
しかも始皇帝陵から1.5kmも離れてる場所でどこまでが本当で
どこまで年代が一致するかもはっきりしない >>349
兵馬俑のあともな
明朝まで殉死殉葬は続いた
明の途中で殉死が禁止されたが何だかんだと地方では続いていたらしい
清で改めて殉死殉葬の禁止が出され、その慣例はほぼ無くなった 日本の埴輪のほうはウルトラマンっぽいな
つまりシンプルであることを信条とする成田亨の美意識に近いということだろう
https://i.imgur.com/kZnmYte.jpg >>159
農民=兵士だったが
植民地獲得→安い穀物流入→自作農崩壊→職業兵士制に(給与制→私兵化)→特権階級による農地専有→市民階級没落→階級対立→カエサルの改革(失敗)→アウグストゥスの改革(成功)→五賢帝時代→領土拡大→蛮族の侵入略奪増加→国境線防備の限界→東西正副四帝による分担→東西分裂傾向、帝位継承の不安定化→更なる蛮族の侵入と帝国内定住(帰還しない)→キリスト教拡大による宗教的、政治的混乱→キリスト教の国教化(皇帝がキリストの羊に)→軍事力の急激な低下→西ゴートのイタリア侵攻→スティリコ(ゲルマン系)奮戦、敗北→ローマ蹂躙→西ローマ滅亡 >>389
帝政になって復活しても、それは賢帝のうちだけで
結局変な奴が帝位についてgdgdしてなかったけ
野蛮な皇帝が暗殺されたりとか >>260
朱子学には宇宙と一体になるという思想もあったはずだけど >>401
よくキリスト教のせいでローマ帝国が弱体化したと言われるけど、そこは因果が逆だと思うんだよね
東ローマはキリスト教国として生き残るわけだし >>404
朱子学 草
社会を停滞させただけの儒教の中でも癌中の最大癌w
支那・朝鮮東アジアの社会退行は思考停止朱子学のせい
日本でも江戸幕府時代に朱子学洗脳されてその禍害が未だに残ってる >>402
皇帝位の継承がうまくいかず各地の軍団が勝手に軍団長を皇帝に宣言させて複数の皇帝が乱立したりしてた
いわゆる軍人皇帝時代かね
ローマ皇帝位は基本世襲じゃないので >>405
生き残るけど
それはペルシャとかの西アジア的絶対君主国のごとくになってしまった
帝政ローマの皇帝は自ら戦場で指揮をとる伝統などあったがそうしたローマ的要素は失われた >>406
学問的な話と実社会に与えた影響とをごっちゃにしてるな
>>260は学問を話題にしてるからそれに応えた
実社会ならそりゃ陽明学なんかの方がいいさ ギザのピラミッドは紀元前2500年だよ
それに比べたら子供騙し >>407
コロシアムで野獣と対決する武闘派皇帝を暗殺しようとしたとき
腕利きの暗殺者ですら勝てないかもしれないので毒を盛ってデバフかけてから仕留めた、なんてのがあるな 8000体もの数どうやって作ったのかね?
楽して同じ様なの作りそうなもんだけどな >>1
いや、人物埴輪は紀元前にはない
紀元前ジャップスの焼成技術はその水準にない
まだ人型は低温で焼く縄文土偶がせいぜい
弥生土器からの変化上どこを基点とするかは諸説あるが教科書にあるような円筒埴輪が現れたのが3世紀
4世紀に建物や動物など具象物を模した形象埴輪
(ただし馬埴輪は高句麗の影響を受けた5世紀から)
5世紀になって画像の人物埴輪が出てくる >>1
実物を忠実にコピーするだけなら才能なくても時間さえあればできるんだよね
難しいのはものの本質をつかみ描くこと
兵馬俑より遮光土偶のほうがすごいと思うわw 炭素原子どーたらかーたらやれば年代測定出来るんだけっけ?鑑定しないの? 歴史ってさー
その時代の人間を適当に騙せれば良いんだな
って思った😁 >>26
卑弥呼は始皇帝よりずっとあとの話だね
始皇帝が死んで劉邦が漢を建国したのが三国志の時代より確か400年ぐらい前だから >>336
その靴の裏なんだかなー胡散臭いなー
いつぞやのオリンピックでCGの花火使ったくらいだからなー >>415
確かこの兵馬俑ってそれぞれ全部違う顔してるんじゃなかったかな
モデルがいるんだろうがあの時代でしかも短期間で作るのなんてすげえだろ >>422
今もそうだよ
支配者が支配しやすいルールに従わせて民は盲目にそれに従うだけ
疑問や嫌と思う奴が支配者を倒してそいつが新たなルールを作り成り代わるだけ たまたま土の成分が良くてそのまま残ってるとやってたな
他でも作ってたとしても
ほとんど残ってないってダケの可能性もあるんだよね >>6
世界の誰が見ようが「ハニワ」って回答する記号性と独自性だな。要はキャラクター性が極めて高い工芸ってこったよ。 >>144
ネトウヨってすげぇな
30年前の認識を未だに引きずってるのか
日本の失われた30年でネトウヨの人生も失われてしまったんだな >>435
いや
土人だよ
ほんとマジで
遠目には摩天楼で発展してるように見えるけどな >>1
まあこの埴輪も明らかに中国から伝わったモノで、日本人の技術不足や芸術的センスの悪さと言うよりは中国南部独特の『あの世』感や『幽霊』感を表しているらしいけどな。 >>426
万里の長城に何百万人も動員できる人間カエラすれば
1万人のモデルで1万人に土偶作らせるのなんてわけないだろ
中華皇帝の権力甘く見過 >>439
万里の長城作ろうとしたのが始皇帝だが
その後万里の長城を引き継いで伸ばし
1800年後の清の時代になり不要とされ未完のまま放置された
それから350年後の世界遺産に登録されるまではただの邪魔な壁でしかなかった この靴のモデルになった靴底の素材ってなんでできてるの?
こんな模様をつくれる柔軟な素材が当時あったの? >>442 もともとは底も布で、荒い糸みたいなもので滑り止めにしてたけど
それを再現するのは無理だから、◎みたいなくぼみで表現したのかね はに丸(田中真弓さん)とひんべえ(安西正弘さん)はうる星やつらの藤波竜之介親子でもある 昔の中国人と今の中国人違いすぎ
優秀な人物はどっか行っちゃったよね >>441
別にそんなこと言ってないんだが
公共事業に数百万平気で動員できる権力だつってんの ピラミッドとかジッグラトとかその数千年も前のものなんだよな >>397
年々、生き生きとした像が開発されてるよなw >>451
だよなw
やりすぎてバレバレやん
左手にスマホもってたりしてな >>457
なるほどこれが出てきそうな状況ってことかねw >>1
日本人って、この頃からすでにデフォルメしてキャラ化するのが得意なのな >>446
今の万里の長城は建設に千年以上もかけてるから数百人規模じゃないぞwww >>459
パクろうとしたけど技術的に無理だった……じゃないの? >>446
数百万人規模じゃなくて数億人規模
人類史上1番無駄に時間を費やした建築物だけど今じゃ中国の誇りみたいなもんか 文化大革命で良し悪し関係無くで伝統文化がかなり失われたからな
流石に万里の長城や紫禁城は残っとるけど
こういう出土品も見つかってもぶっ壊されて又埋められてたろうに
イタイのは伝統技術やらがそこで途絶えて二度と再現出来んのとかな 中国のがメンヘラ多いから天才多いのよ
円周率も中国独自で出してたり
一方日本人の気質は
「円周率?3.12でも3.16でもなんでもいい」
これになりがち
わっかるっかなー? >>1
紀元前でこのレベルの置き物作れるんやな
ローマやギリシャとかも紀元前から芸術がかなり発展してたし
エジプトとかもっと前から高文明やったいうし
それが戦争や天災で失わてしまったとか多そう イギリス「うちのアヘンは薬です子供の夜泣きに舐めさせたり、グラッドストンが紅茶に入れてよく飲んでるぐらい安全です。」
シナ人「タバコみたいに吸っちゃうもんね。らりほーらりほーらりるれろ!」 >>463
たぶん、たくさんの数が必要になったんだろうな >>463
ムンクみてえな感性の才人がいたのかもだな。 >>447
中東とかエジプトとか天文学、数学が得意だったけど
中国はそういうのはダメだね
あんまり科学的じゃないね
漢方も経験だし
科学的な証明はない >>465
日本人はそんな大雑把な気質の人種じゃない 感性天才型はそいつにしかわからんから一代で終わり
理論型は文法や数学で誰でもやり方や作り方を真似出来るものは後世に残るけど >>463
だんだん作るの面倒で雑になって
「どうせ埋めるだけだし、もうこれでいいじゃん」
ってなっただけじゃね? >>17
サムネにモザイク掛けてあるせいで、エロい画像だと思って期待して開いた >>1
こういう靴底って大して滑り止めにならんのよね
ギザギザじゃないと >>438
当時から人種が入れ変わってるからなw
ローマやエジプトやギリシャと同じで遺跡建設時とは別の人たち >>7
ドングリを計画栽培してたんだが?
結構凄い事なんだぞ 😑紀元前246年がこんなに凄いのに
何で世界征服ができなかった?
もっとガンバらないと >>483
秦国が中華初の統一王朝なんだけど、しかも今の中国よりも国土は小さいし世界征服なんて絶対に無理 >>483
ギリシャの方がもっと凄かったから…
そもそも秦の元となる大秦はローマ帝国の呼称だし 王朝に命令されて命脅かされながら造った作品と、どんぐり拾いながらキャッキャと遊びで造った人形を比べられてどうだと訊かれてもな… >>6
単色それも茶色の着ぐるみでこんなに可愛げがあるのは奇跡的
有象無象の新ゆるキャラがどんだけ出てきても負けてない こんなの作ったやつらとやりあった匈奴って半端なかったんだな >>475
あれ実物大なのか
俺の身長とあんま変わらんかったぞ
当時の中国人ってデカいのか
そりゃ日本人を倭人と呼ぶわw >>1
万里の長城と同じで
時代を経て作り直してるんじゃないのか
明代の兵馬俑とかだったりしてw これだもん中に人の死体そのまま入ってるって言われるよね
日本でうっかり壊したら空洞だったけど 若い頃から死後の準備をしてた始皇帝が晩年、不老長寿に傾倒していったのが面白い
権力者ってそういうモノなのか バブル崩壊でいいことないし
こんなもん作って世界の話題を集めてみました
ってかんじだな >>494
さすがに蒸発するだろ肉とか
骨や髪の毛は知らんが 3Dプリンターだろ?
まあ靴の裏はやりすぎ、もしくはスニーカーを使った痕跡を忘れてた。 >>483
武力で制圧するだけじゃなく法をもって統一国家を作るには共通言語が必要なんじゃないの
公文書を発給しても翻訳する必要がある異文化圏では支配体制が築き難く漢字文化圏の範囲から出ることは考えなかったのでは >>499
中国はもともと歴史はあるから改竄するイメージは無いなぁ
韓国だったならお前と同じ感想漏らすけどw >>505
改竄つか
新王朝が自らの正当性を示すために前王朝を悪し様に書いて残すのがデフォじゃねの? 中国はこんな頃から他国よりも進んでたのに
現代で他国と横並びなのは情けないなぁ >>505
「中国」こそ歴史改竄の本場だろ
数千年に渡る「中華」なるものが存在して、自分たちがその継承者だなんて話が虚構であって、
民族の移動、消長の激しい大陸にあって、今の支那人は古代文明があった場所に現在偶々住まう人々であるのに過ぎないんだから >>167
オランダ経由で科学医学は入って来ていたし、薩摩長州も幕府軍も外国から武器買って軍隊を組織しとったし >>511
「列強」だよ
ロシアに勝って強国にまでのしあがった
尋常なことではないよ 芸術性では劣っていない→岡本太郎もビックリ
日本は現代のアニメに至るまで誇張と抽象化
写実的な外国漫画より人気が高い
縄文土偶や埴輪を見た外人は日本にはピカソが何人いたのか >>509
現代どころか10世紀ごろにはもうとっくに先進国じゃなくなってるだろ
2000年ぐらいは停滞してたんじゃね? >>509
中国は大陸でインドやヨーロッパと繋がってたのも影響大だと思うね
ただ長年の過去の栄光に縛られ過ぎていて新しい改革を受け入れられなかった
この辺はいまの日本も学ぶべきものがあると思うよ
どんどん他国に置いて行かれてるのにいまだにアジアのトップだと思ってる奴もここには多いし >>515
欧州も似たようなもんだろ
モンゴルに攻め込まれたり
ペストが大流行したりして >>506
どんな史書読んでも悪しざまに書いてるの見たこと無いわ
むしろ忖度までしてる
次の王朝が前の王朝の歴史を記すのが中華の習い 中国は共産党が無くなって民主化し武装解除して歴史や平和を大切にした教育をしたら凄いいい国になると思う
ネット民の民度がやけに高い部分があるし、やっぱり魯迅とか好きだし >>520
憲法9条信者みたいなこと言わないほうがいいと思うよ。馬鹿っぽく見えるから >>471
左右の目のアンシンメトリー感に作為を感じるよな。
絶妙な配置と思う。 >>514
芸術に優劣をつけることができるかってのはあるだろうけど
日本の場合は縄文土器みたいに複雑化するにしても弥生土器みたいに抽象化するにしても
写実の方向によらず見た目で楽しむ造形に発展する傾向があるんだろうな 空海上也の像って日本人が作ったのかな?
あれくそ上手くてデフォルメしなくても写実的な技術もあると思うわ >>1
秦のあとの偶像なんて日本のやつと大差ないぞ
むしろどうやったらそんな退化するのか知りたいくらい 文化大革命さえなければもう少しましだったんだろうな ほんとは全部カラフルだったんだってね
見てみたかったよね >>516
まあ、長い歴史で1895年の日清戦争終わってから120年くらいは日本はアジアでトップだったな、そういうこと でも今の中国って、エレベーターの中でウンコしたりするんだよね >>535
そりゃ兵馬俑建設の時代から2200年も易姓革命で人民同士で仁義なき殺し合いをし続ければ
エレベーターの中でウンコごとき気にする人間ではなくなるわな マンバンでスノボウェアさらにクロックスか
オシャレさんやな >>463
かわいいという概念の具現化か…
やるな日本人 >>505
いや、金儲けのために偽造する輩がいくらでもいるのが今の中国なんで油断してると騙されるぞ
なんなら「世界で中国人を最も信用してないのは中国人」まである >>543
で、君はその時代の日本刀の卓越性にどんな貢献をしたの?
それじゃあ、うちのパパ金持ちなんだからな!ってフカしてる幼児となんら変わらんマインドだぜ、成長しよ >>1
くだらねえ中国スレ立てまくってんじゃねぇよこの法輪功野郎 現代に生きてるのにリアルが最上なんて価値観の方が笑えるわw
中世に生きてる人間なら分からんでもないが
現代人なのにそんな物差しを持ってることに驚きだわ >>544
ありゃ気分害したのかな?申し訳ない
ハマるとど変態技術になる日本について>>1に対して韻を踏んでみました >>548
これ錆びないで出土したらしいね
紀元前にこれだけの冶金技術があった事が凄いわな >>553
隕石から作ったのかな
ヒヒイロカネやオリハルコンみたいw なんか嘘くさいな綺麗すぎる
中国の人もものも信用できない 中国人はなんでいまだにうちの高級マンションのエレベーターで小便してるんだ
そのころから比べて退化してるのか 昔のは立派かもだけど、こと美術や工芸、芸能に関しては中国は全く発展していない >>557
お前が高級マンションと思ってるものはただの便所ってこった 古代人にとって日本海は内海と言っても過言ではなかった
当時は大型帆船が使用され無寄港で300km以上の航海が可能、アジアの海を縦横無尽に走り廻っていたのは西暦200年代
縄文晩期は寒冷化に伴う環境の変化により、弥生海退と呼ばれる海水面の低下で干潟が一気に減少し、貝塚も消えていきます。
木の実、動物などの食料が減少した時代ですが、さらに、約3000年前に富士山が4回の爆発的噴火を起すなど、
関東平野一帯では富士山や箱根山の噴火が長期化したため食料の確保が難しくなり、急激な人口減少が起きたと考えられます。
そのため関東では遺跡がほとんど見当たらないという状況にまで至っています。
いわば空白地帯となった関東平野ですが、弥生後期(2~3世紀)になると再び人口増加に転じます。どこから?どのような人々が関東平野に移り住んだのでしょうか?
無人だった関東平野を開拓したのは誰か?
そもそも関東の原住民(実際は西からの移民)とは、東海やら近畿やら新潟やらの組織的な移住集団(弥生後期以降)から始まってる 。
「安達登 山梨大学 教授 2017-03-31」
東北、関東の5遺跡から出土した合計22個体の古墳人骨からDNAを抽出した。その結果、東日本古墳時代人の遺伝的特徴は現代人に非常に近かった。
古墳時代には既に、渡来人の遺伝的影響が東日本において集団の主体をなすほど大きくなっていた可能性を示していると考えられる。
遠藤光暁(青山学院大学教授)中国語音韻史・方言学、アジア地理言語学
池上二良「ツングース語学入門」『日本語の系統・基本論文集』1,和泉書房,117-121は頁谷や湿地を表すヤチ類の語が関東に分布していて、
それがツングース語由来であると想定しています。
関東の基層言語としてツングース系を想定する説として注目されます。
KAKENサイトの安達登「学際的研究で明らかにする関東地方縄文時代人の人類学的・考古学的実像」によると
関東・長野の縄文早期の古人骨17個体のうちN9b系が12個体を占めると報告されています。
つまり、N9b系は縄文時代に既に関東に存在していたこととなり,池上二良の示唆するツングース基層説と最もよく合致するのではないかと見られます。
https://i.imgur.com/m0xmWxT.png
https://i.imgur.com/fGaBql7.png 本格的な日本海交易の物流は弥生後期2~3世紀から始まっていた。この時代は日本列島に生きた人々が東アジアの強大な政権と本格的な交渉を開始した時期である。
対馬海流が朝鮮海峡から津軽海峡方面に流れ、沿岸部にはその反流が流れるため、舟で往来するのにはとても有効な海路である。
日本海というのは、地球規模でみた場合は大きな湖のようなもので、古代人にとって「内海」といっても過言ではなかった。
弥生後期2~3世紀からは朝鮮半島から直接、準構造船船団による組織的交易が新潟や東北方面にもたらされるのである。
方形周溝墓に鉄製武器を副葬する習俗は、朝鮮半島に由来するものである。
根塚遺跡の渦巻紋装飾を含めた3本の鉄剣は特注品であり、当時から長野県北部の人々は朝鮮の鉄器制作工人と直接交渉していたことになる。
長野県内の千曲川流域のいくつもの遺跡で朝鮮半島製の青銅器や鉄器が発見されているが、いずれも上越から峠を越えて運ばれたものである。
その分布は千曲川流域から、さらには関東地方まで強い影響を与えている。
この時期は中部地方や関東一帯でものを切ったりする利器が、鉄器に劇的に移り変わる時期にあたる。
鉄器とその素材は朝鮮半島の南東部に由来するものである。
実際に東北一円、新潟でもそうだが、消耗度の非常に高いアメリカ式石鏃(大阪府高槻市芝生遺跡で初めて見つかった際に、アメリカ原住民が使う矢じりとよく似ていたのでこの名がつけられた)
などには鉄を使わないので石の矢じりは残るが、木を伐採する石斧は急速に数を減じて、鉄斧が一斉に普及する様子を知ることができる。
丁度その頃に新潟県内の各所でも高地性集落が目立つようになるが、これは中国の『後漢書』などに、後漢の終わり頃「倭国、大いに乱れる」という記事が出てくる。それを彷彿とさせる状況と言える。
https://i.imgur.com/gV9WpIG.png 最も大陸成分の高い渡来系弥生人は、紀元前600年の愛知県朝日遺跡から出土している
この渡来系弥生人が使っていた甕形土器は東日本最古、弥生前期末の青森に伝わり、
稲作(津軽平野垂柳遺跡で656面の水田跡、弘前市砂沢遺跡においても弥生前期末の水田跡)をはじめとする弥生文化が受容されていた
特に弘前市砂沢遺跡112面の水田跡からは渡来系弥生人の足跡も発見され、形質人類学的にも注目をあつめた
https://i.imgur.com/d3ScV29.jpg
https://i.imgur.com/CtOEXtK.jpg
垂柳遺跡、砂沢遺跡の水田はその灌漑水路や農耕具、出土した石包丁など技術的には西日本の稲作技術と大差がない
つまり弥生前期、中期に西日本で既に完成された農耕技術が東北にも到達しているのである
その後続々と関東・東北での出土例が相次ぎ、西日本各地とそう時間的な差が無くコメ或いは稲作が東北地方にまで伝わっていた可能性をもはや誰も否定できなくなった
垂柳遺跡、砂沢遺跡の水田はそれを証明したのである 弥生時代前期の青森県砂沢遺跡(紀元前500年前)や垂柳遺跡が有名だがこれは弥生人の北限ではない
更に続縄文時代の北海道からも渡来系人骨が出土している
東日本の主な弥生集落遺跡
https://i.imgur.com/bb93dvs.png
続縄文時代前半恵山文化期の積丹半島西岸茶津4号遺跡出土人骨の歯の計測値による判別結果は、7個体のうち5個体が渡来系と判別されるに至った
内浦湾に面する北海道豊浦町礼文華遺跡出土人骨は、歯の計測値による判別分析や頭骨形態において渡来人的要素を持つことから、渡来人の遺伝的影響を強く受けていた可能性は極めて高いといえる
秋田のこの地方における当時(紀元前5世紀)の一般的な遺跡と考えられる地蔵田遺跡でも遠賀川式土器や環濠集落が見られる
日本海側の伝播は特に早かったと思われる
特に新潟の下谷地遺跡(弥生中期)は土器の9割を畿内系が占めており、畿内から東山ルートの陸路はこの頃から使われていたと考えられる
日本人の完成は古墳時代だった
https://i.imgur.com/X9eBn3C.png 秋田県地蔵田遺跡(2300年前)はこの地方一帯の当時の一般的な住居構造である環濠集落、遠賀川系土器集団である。
渡来系弥生人コロニーを形成していた。
初期の稲作農耕文化を携えた人々が他所から移り住んでできた弥生集落と考えられるが、東北地方北部における稲作農耕文化の受容、成立過程とその地域的特質を考えるうえで、
ひいてはわが国の稲作農耕文化成立の過程を具体的に知るうえで特に重要であり、その歴史的意義はきわめて大きい。
国立歴史博物館教授・藤尾慎一郎
日本経済新聞2023.05.26
「愛知県清須市から名古屋西区にかけて広がる朝日遺跡から出土した弥生前期後半(2600年前)の人骨の核ゲノムは渡来系だと判明。
この地域では弥生初期を特徴付ける遠賀川系土器が見つかっており、それを使っていたのが渡来系弥生人であることがゲノムで確認できたわけだ。
土器の系統と遺伝子が対応する可能性を示すもので興味深い」と藤尾氏。
https://i.imgur.com/QIOOu2U.png 3~4世紀、近畿勢力・東海勢力の関東・東北への集団移住 日本考古学協会 西川寿勝 2022 年 12 月 17 日
関東平野では東海の土器をもつ集落と近畿の土器をもつ集落がモザイク状に分布。
布留式土器の時代になるとさらに北に進出して分布が広がる。同時に東海の土器も茨城県・福島県・宮城県、そして岩手県まで北進。
人々が北へ移住する理由は不明。
https://i.imgur.com/JjWfCJd.png
https://i.imgur.com/xN1nfOC.png
3世紀(西暦200年)人口推定
陸奥(福島、宮城、岩手、青森): 2万9000
出羽(山形、秋田): 5000
北関東(茨城、群馬、栃木): 3万9000
南関東(千葉、埼玉、東京、神奈川): 6万
北陸(新潟、富山、石川、福井): 2万1000
東山(山梨、長野、飛騨): 8万7000
東海(静岡、愛知、岐阜): 5万4000
畿内(奈良、京都、大阪、神戸): 3万
畿内周辺(滋賀、三重、和歌山、兵庫): 7万
山陰(鳥取、島根): 1万8000
山陽(岡山、広島、山口): 4万9000
四国(徳島、香川、愛媛、高知): 3万
北九州(福岡、佐賀、長崎、大分): 4万1000
南九州(熊本、宮崎、鹿児島): 6万5000
総数60万
鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」2000年 東国における古墳時代地域経営の諸段階-上毛野地域を中心として-
国立歴史民俗博物館研究報告
第 211 集 2018 年 3 月
東海集団の大規模移入
南関東のうち相模湾・東京湾西岸では,弥生後期前半から中葉にかけて以下に述べる東海東部系土器の大規模な移入が知られている[比田井 1993,松本完1993 西川 2001 など]。
相模では,相模川西岸に東遠江(菊川式)・駿河(雌鹿塚式)の土器が,また相模川東岸には東三河(寄道式)と西遠江(伊場式)の土器が濃厚にみられ,
南武蔵には東遠江,駿河の土器が移入されるとともに,環濠集落が集中して形成される。
中期後半の宮ノ台文化が解体した後,集落再編と久ケ原式の成立がみられ,その外縁に東海東部系土器の移入が生じたのである。
これらはいずれも型式属性や土器組成が故地と同じでありながら,胎土は在地のものであり,また当初は故地の様式に忠実であったものが次第に在地化し,台付甕文化圏を広く成立させている。
これらの状況は,大規模な入植集団による地域再開発とその定着の道筋を示していると考えられる[大村 2015]。
続いて,弥生終末期から古墳時代初頭にかけても集団移動が確認できる。①地域では弥生後期の様相を引き継いだ土器様式が展開するなかに外来系土器の混成が認められるが,
②地域では主として東京湾岸系土器(内房地域)のまとまった移動が認められ,在地の土器群を一変させることが知られている。
それまで不詳だった方形周溝墓や方形環濠集落も出現している。大村直はこれを「終末期開拓移住」と性格付ける [比田井 2004,大村 2015]。 一方,③地域には,畿内の庄内式後半から布留 0 式並行期に S 字口縁台付甕を中核とした東海西部系土器(元屋敷式系)が出現する[田口 1981,若狭 2007]。
この時期に東海西部系土器の参入が厚くみられるのが,在来弥生集団が進出していなかった上毛野利根川沿岸低地部や武蔵北部の利根川・荒川流域である。
また,下毛野・那須,常陸北部,三浦半島,南武蔵の東京低地(古利根川・渡良瀬川が形成した武蔵と下総の間にある湾岸低地)にもS字甕がみられる。
特に上毛野の低地部では,東海西部系土器が様式的に完備した形で定着し,在地化を遂げる。墓制が東海起源の前方後方墳に転換し,東海西部系の木器様式,
排水溝をめぐらした低地性住居(平地建物)も出現する。
東海色は布留 1 式並行期まで継続し,故地との情報交流が継続しているが,その段階の葬送用器物として顕著なのが,東海でも伊勢地方に多い伊勢型二重口縁壷[田口 1981]の採用である。
また③地域では,後述するように東海西部系様式を保持する集団の外縁地帯(山麓や山間部)に,一時的に在来弥生系土器を保持した集団が併存し,次第に同化していく[若狭 1990]。
以上のような諸属性から,この地に東海西部を主体とする外来集団が組織的に移入したことは疑い310国立歴史民俗博物館研究報告なかろう。
なかでも,典型的な「伊勢型二重口縁壷」が葬送儀礼に用いられた上毛野西部に移入した集団は,主に伊勢地方に起源する可能性が考えられる。
ただし,上毛野から東に離れると,次第にS字甕・伊勢型二重口縁壷が薄れ,普通口縁のハケ整形台付甕やナデ整形平底甕,久ケ原系壺などが混在する。
そこでの集団構成は,大宮台地や上総の在来系集団を核に,各地の外来系集団を混成したものとみられる。
遺跡の分布からみた東海西部系集団の移入ルートは,太平洋岸の外洋を経由した後に,三浦半島を経由して東京湾から東京低地に入り,現荒川筋を遡上,大宮台地北部から現利根川流路を経つつ,
北武蔵と上毛野において利根川両岸に展開したとみられる[田口 2000]。 北西関東における東海西部系集団の定着
上述のように,古利根川,荒川水系は連接し,東京湾と北西関東内陸部を連絡していた。ここを遡上してきた外来系集団は利根川両岸に展開したが,なかでも中核的な定着地となったのが次の地域である。
ア.群馬県西部の利根川北岸・井野川下流(高崎市・玉村町地域)
イ.同利根川南岸,鏑川・神流川下流域(藤岡市・埼玉県児玉郡域)
ウ.利根川から荒川南岸(埼玉県本庄市・熊谷市)
エ.群馬県東部の利根川北岸域(群馬県伊勢崎市・太田市地域)
これらは,いずれも先行する弥生後期集団が不在であった低湿地域である。換言すれば,在来弥生集団が経営不可能であった未開地であるがゆえに外来集団の移入が可能だったのであり,
ここに東海地方固有の低湿地開発に適応した技術群が投入されたと考えられる。広大な空閑地を開拓するために,外来の人々は目的的に移入したのである。
なお,ここでは集団定着後の墓制として東海系譜の前方後方墳が成立する。
前方後方墳は,前方後円墳秩序の影響を受ける前後で,第Ⅰ群・第Ⅱ群前方後方墳にその歴史的性格が分かれることが指摘されるが [中井 2004,田中 2011],
③地域ではⅡ群前方後方墳として大型のものが成立するのが特徴的である。
100m級では,ア地域の元島名将軍塚古墳(95m),前橋八幡山古墳(130m),エ地域の藤本観音山古墳(116m),山王寺大枡塚古墳(96m)を挙げることができ,
とりわけ農業経営に成功し,動員力を獲得した地域であったと見られる。
なお,利根川水系以外では,那珂川水系の上流部に大型前方後方墳の集中がある。
駒形大塚古墳(64 m)からはじまり,前期を通じて前方後方墳を継続し,最終的に下侍塚古墳(84 m),上侍塚古墳(114 m)を輩出する那須地域である。
移入集団は当初から首長に統括されており,その首長墓の造営準備行為は水田開発準備と連動し,土器を献納する祭祀(集団意識の結集行為)を伴いながら進行したことが判明する。
すなわち,古墳造営が,新開地での開発推進と連動する「象徴行動」であることが確認できよう。 なお本古墳は,弥生後期の樽式土器を保持する在来集団の「伝統的居住域」と古墳時代外来集団による「新開地域」の境界地に築造されており,
記念物としてきわめて意図的な選地が行われ,外来集団と在来集団の統合のシンボルとしても機能したと考えられる。
荒川南岸の低地に営まれた集落跡からは,吉ケ谷式系,東海西部・東海東部系,畿内系,北陸系土器とともに,ガラス玉の製作を証明する土製鋳型や,
水晶・緑色凝灰岩・瑪瑙を用いた玉造りの痕跡が確認されており,遺跡内では河川跡と堰も検出された。
往時の上毛野の低地部には,地域経営をすすめる複数の首長系譜が移入し,上述のように大型前方後方墳の築造を成し遂げているが,
これらの集団は,上毛野の広大で安定した低湿地が未利用であるという情報を,弥生後期の情報ネットワークのなかで獲得し,
ここを経営する目的で大挙して移住したと考えられる。
上毛野の開発が急速に進められ,東日本でも突出した古墳文化を創出していく理由は,当初から低湿地利用を核とした地域経営システムが完成された形で扶植され,
かつ集団編成が多元的であったことに由来したのである。古墳膝下にある五領遺跡は布留式土器を多量に出土しており,このエリアの畿内との交流の濃厚さを教えている。
最も外来系集団の圧力が強かった上毛野西部平野部周辺では,樽式土器は急速に解体し,外来系集団に速やかに取り込まれた[若狭 1990]。
吉ケ谷式はさらに興味深い動きを示す。北武蔵から見て利根川対岸(北岸)の上毛野東部は,もとより在来弥生集団が希薄であり,弥生後期はほぼ無住地であった。
しかし古墳前期初頭になると,東海西部系集団の移入とともに吉ヶ谷式の拡散が起こり,上毛野東部利根川沿岸低地には東海西部系集団,
背後の赤城山や足尾山地の山麓部には吉ヶ谷系集団という住み分けが発生したのである[若狭 1990,深沢 2015]。 同時に,赤城山南麓には上毛野西部から樽系集団や,信濃を経由してきた北陸北東部系集団(北陸全般に共通する土器様式〔月影式,白江式〕を保持し,
能登・佐渡・越中・越後などの北東部地域固有の甕を組成する)も展開し,赤城山南麓では樽系集団,吉ケ谷系集団,北陸北東部系集団が混住し,
東海西部系土器(ただしこのエリアでは,模倣された土器が主体)を共伴するという複雑な様相を呈する。
弥生終末から古墳前期に東京湾から荒川・利根川を遡上した東海西部系集団はかなりの規模であり,河川両岸の空閑地となっていた低湿地に定着し,大規模な水田開発を行った。
同時に,反町遺跡に代表される集落の出土組成に東海東部系・南関東系・北陸北東部系の土器を含むように,この集団は近接集団と密接な交流関係を取り結び,
弥生後期の閉じた社会関係を大きく再編したことが明らかである。
長野県内では,木島平村・長野市・上田市・佐久市と千曲川流域一帯に点々と朝鮮半島南部で製作された鉄器と青銅器の出土例があり,いずれも弥生時代後期後半であることは重要である。
関東地方でも群馬県有馬遺跡や新保田中村前遺跡などの礫床木棺墓や,埼玉県観音寺遺跡などの方形周溝墓の主体部や周溝内埋葬などの副葬品として検出されている。
長野県内や関東地方の分布状況をみると,千曲川流域から群馬県方面,そこからさらに南関東や東関東方面へと分布が形成されたと考えられる。
そして千曲川流域への流入経路を考えると,直接の流入もとは高田平野であり,さらに北陸,北近畿,山陰と,日本海沿岸部を西にたどっていくことができる。
ざっくり言ってしまえば,そもそも,墳墓に鉄剣を主とする鉄製武器を副葬する習俗は朝鮮半島南部に顕著なもの。これが弥生時代後期後半に,中国地方から北陸へと分布を拡大しており,
その延長線上に千曲川流域や関東の鉄剣副葬習俗の普及があるとみられる。 こうした,弥生後期後半からの再編の波をうけ,西進の移入経路にあたっていた吉ケ谷集団は分解し,外来集団と接触する一方,一部は利根川を遡上した支流の鏑川流域,
あるいは利根川対岸の上毛野東部・下毛野地域に移住したとみられる。
同じ頃,上毛野西部では外来集団との関係で樽集団が変質を迫られ,一部は利根川を渡った上毛野東部に移り,吉ヶ谷集団とも交わりながら再編されていった。
地域開発に関してみると,低湿地部はその地に適した固有の技術群をもつ東海系集団が推し進めており,
彼らは未利用低地を開発するために首長に率いられ,目的的に移入してきたことが明らかである。
上述のように,上毛野地域における古墳前期の地域経済の進展は,主に低湿地の水田耕作の拡大によって成し遂げられていったが,
砂町遺跡の事例に代表されるように,その耕地整備は,滞留水を除去する排水措置の実施と,用水の安定管理に資する給水路の整備の両面によって保障されていた。
このため,当地域の政治経済圏は,基本的には河川水系に依拠していたことが明らかである。
また,地域開発はそれを主導する首長の墳墓の造営とも連動していたとみられたが,河川水系単位の経済力 ・ 動員力で成し遂げられる古墳の規模は,
上毛野では前橋八幡山古墳(130 m),前橋天神山古墳(129 m)にみる墳長 130 m 級が最大であり,また限界であった。
しかし,前期後半になると墳長 172 m の高崎市浅間山古墳,同 165 m の太田市別所茶臼山古墳のように,それまでの限界を超えた大型古墳(いずれも前方後円墳集成4期)が登場した。
これらは,水系経済圏を越えた複数領域の集団が共立した大首長の墓と考えられる。その成立にあたって,いくつかの要因が考えられる。 一つはそれまでの用水圏をさらに結合した広域用水圏の成立である。別所茶臼山古墳の成立はまさにそれにあたると考えられる。
茶臼山古墳の立地は,赤城山東南麓の大間々扇状地南端に発する水源を押さえており,上毛野東部の広域用水網を整備し,諸首長間の利害を調停した大首長=共立王[土生田 2008]の登場を教えている。
同古墳膝下の水源地には,導水路を備えた中溝・深町遺跡[福島 2000] が成立し,ここに首長の居所が置かれるとともに,石敷井戸や貯水池を配備した水の祭祀場,方形溝をめぐらした大型倉庫が装備され,
大首長の政治・経済・祭祀拠点(いわゆる首長居館)が象徴化,可視化されている[若狭 2011]。
そのヒントとなるのが,太田天神山古墳より以後に生起する,上毛野への渡来文化・渡来技術の導入と,それによって生起する様々な技術群の存在である。
結論を先に述べると,太田天神山古墳の成立は,これ以前の地域内事情を超越した「東アジア世界との交渉」がもたらしたものであると考える。
倭王権の一翼を担った上毛野勢力が対外活動のために結集するに当たって,それまでの経済圏を越えて,「外交・軍事指揮者」を共立したのがその歴史的背景であったと考えたい[若狭 2017]。
上毛野全域の集団は,外来文化という果実を手にするために大団結したのである。その結果として5世紀中葉以降の上毛野地域に現出したのが,
後述するような「渡来人と多様な技術群」であった[若狭 2011,亀田修一 2012]。
『日本書紀』神功~仁徳紀には,上毛野氏祖による朝鮮半島での度重なる軍事・外交活動(荒田別・鹿我別の新羅征討[神功49年],荒田別・巫別による百済からの王仁の招聘[応神15年],
竹葉瀬・田道による新羅征討と四邑民の連れ帰り[仁徳53年])が記されているが,この文献上の記述と,実際に上毛野地域で確認される考古学的事実(渡来文物の多出)との間には,整合する部分が認められる。
したがって,『日本書紀』の記事には5世紀の地域史の実態が埋め込まれていると考えられる[若狭 2015]。 日本語しか話せないのに日本sageしてる奴って自分が惨めだとは思わないのかねえ可哀想に 三陸河北新報社2022年8月24日
【東北学院大博物館学芸員 佐藤敏幸氏】
宮城県は弥生時代の集団遺跡がとにかく少ない。人類の集落や生活の痕跡が見えない中、古墳時代前期(4世紀)になって突然、蛇田の新金沼遺跡に集落が出現する。
石巻地方に古墳時代人が登場したのである。
突然、大集落が出現しただけでも驚きなのに、さらに驚いたのは住居から出土した土器である。関東・東海地方の特徴を持つ弥生土器よりも装飾のない「土師器(はじき)」と呼ばれる土器である。
東北地方の古墳時代は関東・東海地方の人々の移住から始まったのである。
ともかくも、こうして東北各地に移民による拠点集落ができていった。
岩手奥州の中半入遺跡、石巻の新金沼遺跡、大崎の名生館遺跡、多賀城の山王遺跡、仙台平野の南小泉遺跡、名取の清水遺跡などが有名だ。
いずれも結構な数の須恵器の出土が見られる。
宮城県大崎市青山横穴古墳群、大崎市混内山横穴古墳群、塩竈市清水洞窟
山形県米沢市戸塚山古墳、福島県喜多方市灰塚山古墳、福島県郡山市正直古墳群
いずれの古墳人も、縄文人の特性は見られず渡来系の特徴を持つ
当然、さまざまな道も生まれていった。
仙台平野から大崎平野をへて北上盆地に向かっては「山道」(さんどう)と呼ばれた幹線道路があったことも知られている。
「道奥」は道がなかったわけではなく、中央ヤマトがそのようにみなしただけだった。 弥生時代の遺跡は、最上川流域に極めて少ない。
古墳時代前期、すなわち米沢盆地は北陸ー会津ルートによるものであり、山形盆地は畿内ー仙台平野方面から、
庄内平野は北陸ー越後方面から、人々がかなり進出したことによるものであった。
人と物の頻繁な移動により、人口希薄なこの地に多くの人びとが移住するという外来的な要因によって、
最上川流域の古墳時代が開始されたのであったと考える。
馬を飼う文化と言語
古代史では蝦夷は馬を飼うのが特徴だと言われます。
しかし馬はもともと日本列島に生息しておらず、5世紀に古墳文化を担っていた人々が大陸から導入し、馬を飼う文化を広めました。
一方でアイヌ民族は馬を飼いませんでした。古代の蝦夷が馬を飼っていたのなら、
「蝦夷はアイヌ民族ではなく和人である」という可能性が高まります。
また、アイヌ語は形容詞がない代わりに動詞を形容詞的に使うなど、日本語とはまったく違う言語です。
12世紀以降の東北地方では日本語が話されていたことが文献からわかりますし、
それ以前に使われていたアイヌ語から急速に言語が入れ替わったと考えるのも難しいでしょう。
青森県西部で使われる津軽弁に日本語古語に由来する言葉が多いことからも、そこでは古くから日本語が話されていたことがうかがえます。
つまり、古代の東北地方にはアイヌ民族ではなく和人が住んでいたと推測できるのです。
考古学は物証が大切
事件が起きた時に伝聞や自白ではなく物証を求めるように、考古学でもその歴史が本当に起きたのかという証拠を探して裏をとります。
例えば日本列島各地の水田に住むマルタニシは弥生時代以降に出現したのですが、DNA分析によると朝鮮半島のものと同種です。
マルタニシは水田や水路に生息し食用とされていたと中国の6世紀の文献に書かれており、稲作と共に大陸から持ち込まれたと考えられます。
人間と共にあった様々なものや生き物から、人の移動や歴史の流れを読み取れるのです。 >>1
同じスレ執拗に建てるのはネタが無く必死なんだな ジャップがどんぐりを食べていたころ、中国では既に都があったからな
父さん凄い😊 >>582
まあ朝鮮人は日帝併合まで糞を食ってたからな 秦の時代はシナ人ではなく異邦人
夏、殷、周も異邦人
ほぼ完全な形で見つかった答えは→異邦人だから >>579
フランスが芸術の都だったのはルイ王朝時代
中国が先進国だったのは2000年前 人類は退化し続けてる説あるからなw
頂点はギリシア時代でそこから人口が増え続けるのと比例して退化してる >>1
この兵馬俑は韓国の職人が当時、韓国で一般的な技術を使って作ったもの
韓国人は日本人の祖先とされているが、いかに高い知識が韓国から渡来してきたのか、この兵馬俑一つを取ってみても分かる >>583
偉大なる韓民族はいまだに糞で発酵させた酒飲んでるだが >>589
それは勘違い
韓国併合の際、韓国に移り住んだ日本人が食糞文化を担っている
韓国人は本当に迷惑している >>590
併合以前に書かれた旅行記などに記されている
韓民族の文化をかすめ取ろうとするのは悪い癖ですよ >>551
うわあww
魔改造とか戦闘民族とか普段使いしてそう
自国を誇らしく思うのはその一員として極めて自然な好ましい感情なんだけど、ただひとつポイントがあって
無能なコイツラと比べて、的に他国卑下と同時にすべきじゃないって事だよ
それだけでせっかくの愛郷心も先祖への称賛もクソまみれのホルホル節になるんだわ、同じく日本が好きな日本人としていても、見ていて不快感しかない
更に言ってしまえば、そういう行為は往々にして、国や先祖を思慕する体で実態は「自分がマウントしたい、誰かを貶してストレス発散したい」という欲望の発露であるからね
故に皮肉ったわけだ、心当たりがあるなら改めてほしいもんだな >>584
殷、周、秦はメソポタミア方面からの移住組と言われてるね >>6
かわいいよね
埴輪の馬とかイノシシとかの動物っていちいち尻に穴が空いているのもかわいいと思う今日この頃 >>51
んなことはない
兵馬俑の全高ほとんど180cm以上だぞ
その当時にそんな高身長ウジャウジャいないだろ >>519
そりゃ創業期の皇帝はこんなにすごかったと書いて
末期の亡國の君はその子孫なのにこんな屑だから天命がこっちに来たと書くんだぞ >>594
すごいねえインドより西じゃん東洋人の原型きっとないよね >>582
どんぐりの時代にまったく暴力や戦争がなかったのが逆に驚いてる >>463
作った人の違いやろw
今だって素人が作れば後者になる ある意味技術さえあれぱ写実ってのは簡単に出来るのかもね。
素人が適当に作ったものではない(バランスのよい)デフォルメってのこそ難しかったりする?
美術には詳しくないからんからんけどさ。 >>1
>その頃の日本の代表作品
ゆるキャラが好いちょん 日本人が当時中国にあたるその場所に存在したらもっと凄い進歩に至ってたんだろうな >>604
ない
日本人つかアジアでは「ネジ」が発明できなかった
これは西欧人との大きな差だろ >>604
良くて漢やら明やら中華の覇者として名を連ねた後に新興勢力に滅ぼされてただけだぞ
あくまで僻地にあって中華文化圏に取り込まれまいと抗ってたからこそ今に続く日本という国がある ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています