子供の頃は貧乏だったけど楽しかったな [194767121]
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歌手の森口博子(54)が4日、TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」(日曜前10・00)にゲスト出演。幼少期の暮らしぶりについて語った。
【写真】ドキッ!開閉式スカート姿で登場した森口博子
福岡出身の森口は「私が40代の時、福岡のロケ、母校の大楠小学校へ行った時に、4階から、生まれた時から中学1年生ぐらいまで住んでたぼろっぼろの『みどり荘』のアパートが見えたんですよ」と告白。「めちゃくちゃうれしくなって、
ちょっとうるってきちゃった」という森口は後日再び見に行ったところ、「ボロボロのアパートがもうなくなって。新しいマンションに建て替わってたんですよ」と回顧した。
だが新しいマンションの名前は「エバーグリーン」だったとし、「悲しい気持ちとありがとうの気持ちでなんとも言えない気持ちでまた泣いちゃいました」と語った。
みどり荘にいた当時は、「そこで小学校2年で母が離婚して。女手ひとつで4人姉妹を育ててくれた。あのみどり荘、いろんなことがよぎっちゃうわけですよね」と森口。パーソナリティーの同局・安住紳一郎アナウンサーが「押し入れで
歌を歌ってたんでしたっけ」と尋ねると、森口は「押し入れじゃなくて、歩くと床が腐ってタンスが傾くおうちなんですよ。危険なうち。だからママが“ピンク・レディーと山本リンダは禁止”って。振りがあって危ないから。“振りがない
アグネス・チャンは良か”って。そういうみどり荘だったんです。じーっとして」と笑わせた。
「で、給食費も払えないような。もうお風呂もないので」と振り返ると、安住アナは「だからお母さん頑張りましたよね」と感心。森口は「頑張りましたよね。ありがたいです。本当に母があってこその森口博子ですね」としみじみと話した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/37a2aed085a448d230580d265e19552b0d6c27f8 ジャージとか穴が開いたらふつうにパッチしてたの着てたな
子供だからなんとも思わなったけど今考えると恥ずかしい 金持ちの家だと制限されるもんも多そうだったな
自由ってムズカシイなw 子供の頃の貧乏は耐えられるが大人になっても貧乏なのは耐えられない 分かる
正直人生のピークは7~10歳くらいまでだわ
その頃は貧乏をそこまで恥と理解してなかったし背が低くても気にならなかったし何より両親もまだ離婚してなかった 三角ベースとかモノマネとか色々あって、最終的にはアニソン歌手が最大の肩書で合ってる? 貧乏でも未来があったからな 今は夢も希望も未来もない貧乏 死の瞬間を待つのみ 何のために生まれて来たんだか えっ?ここが玄関?
お前んちの親父、ブックオフにいたぞ
えっ?わりばしも洗うの? 小学生の頃に家が貧しい子と仲が良かったんだけどある日貧乏を理由に虐められた事があってその時になにも出来なかった事がおっさんになった今でも後悔してる
その子はあの後にすぐ転校しちゃったんだよな みんな同じ感じで貧乏だったからね
いまの時代の貧乏とはちょっと違うんだよね
卑屈な感じがなかった ゲームだろうが音楽だろうがエロ本だろうが
友達ん家行ったりシェアするのが当たり前だったから
子供間では、あんまり格差つきづらかった気がする 学生の頃なんて貧乏でも普通に学校行けるレベルなら楽しいぞ
問題は学校も行けないレベルの貧乏だと洒落にならん地獄だぞ 子供の頃は貧しくてもお年玉とかでファミコンとかなんとか買えたけど、今はPS5とかメチャ高くて非正規のワイには買えないやん…。 今もお前らの大半は貧乏だろ?
もちろん俺も37歳アルバイト年収270万円だ 貧しいけれど
ツラく無かった
振り向きゃ俺たちのロカビリーナイト 駄菓子屋の店仕舞い手伝ってアイスバーとかもらってたなぁ お前らとは世代が違うな
俺の時は一億総中流といわれて貧乏なやつはいたけど特殊だったわ
でもあの時代の中流の子供たちはいま下流になってるんだろうな 金あってもしょうがない
子供の頃みたいに心の底から楽しいと思うことがなくなるからな
むしろ金がいくらあっても子供の頃みたいに楽しく思わないからむなしさまで感じる 住み込みのお手伝いさんが二人いて羽振り良かったよ
今はパジャマにツギ当てて着てる ここにいる連中の子供時代って
ドル円240円ぐらいで
まだ牛肉の輸入自由化になってなくて
第二次オイルショックがあって
なんて時代だろ
まだまだ日本中が貧乏だったんだよ
舶来品は高くて国産が安いじだい 大学時代は暇があっても金が無いとどうしようもないという感じで無為にゴロゴロしてたわ 30
金はそこそこあるけど欲しいものがないんだよね
車も買った最初のうちだけだし
キャンプも疲れるし
バイクも飽きたし
最近は自転車に戻ったな
電動アシスト自転車が中高年たちの心を掴んでる
子供の頃に戻ったようにはしゃいでるな
めちゃラクでちょっとしたバイクみたいに走る
>>30 変身サイボーグ1号買ってもらったから!
あなたたちとは違うんです うちはそこそこ金はあったけど、周りに貧しい家は多かったな
今は皆、それなりに給料貰ってるからそういう家は無くなったな 昔は皆んな貧乏やったし
他人と比較するから不幸になる 昭和の団地って最強だったな
今じゃ不良外国人の溜まり場だが ちびまる子ちゃんに出てくるようなボロ屋は
その辺にあったな。 でも貧乏で育ったやつの大半が
「貧乏は悪」って決めつけたから
その子供は今みたいなクソガキだらけになったんだろ
貧乏自慢も軽々しくすんじゃねえよ >安住「押し入れで歌を歌ってたんでしたっけ」
>森口は「押し入れじゃなくて、歩くと床が腐ってタンスが傾くおうちなんですよ。危険なうち。だからママが“ピンク・レディーと山本リンダは禁止”って。振りがあって危ないから。“振りがない
アグネス・チャンは良か”って。そういうみどり荘だったんです。じーっとして」
↑
いやだから家のどの場所で歌ってたの?
お茶の間の畳でなのか台所なのかトイレなのか
>>35
夏の坂道を、自転車でゼーゼー言いながら、汗だくで登ったり
古本屋で立ち読みて、涼んだり
レンタルビデオ屋で、週末に見る映画を選んだり
昔と同じことをやると今でも結構楽しいよ >>18
最近、こんな池沼wが増えたな!
何でだろ? 団塊ジュニアが結婚出産しなかったのが日本衰退の原因 >>49
つか、日本全体が割合貧乏だから、差が少ないだけ。
今もまた貧乏になってきてるしな。 >>48
昔はテレビもチャンネル争いするくらい好きなのが見れなくて我慢したけど今の子はテレビもスマホもPCもあって興味の無い話を聞かされるのに慣れてないんじゃないかね 金持ちの家に生まれたけど母親が家に住み着いてたデカい青大将殺してからおかしくなった 何もない分、自分の頭と体を使って遊んだからな
与えられたものをプレイするだけの消費行為は後々楽しい記憶としては残らないだろ 子供の頃は辛いことばかりだったわ。
1960年生まれだから日本人は、まだ貧乏だったし、こずかいなんて月に300円だったから10円のチロルチョコを買うか、お菓子を3日我慢して棒アイスを買うか悩んだもんだ。
甘味が全然足りないからレンゲ草の蜜を吸ったり、じじいの庭先に生えてるいちじくを盗んだり、空き瓶を探して酒屋に売ったりしてた。
いつもおなかを空かせていたし、今の方が菓子も飯も好きなものを食べられて全然いいわ。 >>52
それは無いw
どうせバブルの頃と比べてるんだろうけど、あんなの宝くじに当たったようなもんだぞ。 貧乏だったけど少ない小遣いで月刊の漫画雑誌を買うのが楽しみだったな
本屋もまだ町内に何件もあってそこで買ってもいいんだけど一番家から近いのは駄菓子屋で
そこに漫画雑誌も入荷するから漫画とちょっとした駄菓子を買うんだ
一冊の漫画を来月の発売日が来るまで何度も何度も読み返して次の号を待ったもんだ
お金なくて不便だったのに昭和のほうが楽しかったのはなぜなんだ? リコーダーもお下がりだったし夕飯カップラーメンだったりもしたな
子供ながら貧乏な家かと思ってたけど、大人になったら父親の年収2000万だったと聞いて意味がわからなかった >>44
その貧乏の中にも更に貧乏が居たしなw
冬でも汚れたランニングシャツと短パンの奴いたし、給食で残った食パンをかき集めてた奴とか。
誕生日会に行ったらケーキがご飯をホールケーキ状に盛ってイチゴの代わりに梅干しが乗ってたりw >>33
俺が子供の頃は、まだドル360円の固定相場だったわw >>32
その金持ちだと思ってた家も今見ると普通の一戸建てなんだよな。 >>28
一億総中流と言ってたけど実体は一億総貧乏だったけどな。
その中でも貧乏な奴は後進国かスラム民みたいな生活だったけど。 >>14
先行きが見えなくて不安しか無かったけど空元気を出して頑張ってただけだな。
そういう空元気も大事で、それで団塊世代は財を成したわけだが氷河期ははその空元気も無いから貧乏なんだよ。 >>59
思いで補正という奴じゃないかな。
今、それと同じ事なんていくらでも出来るけど、楽しくは無いだろうな。 >>58
いや、本当だよ
うちは裕福ではなかったがそれでも色々考えてみれば子供の時は恵まれてた 近所で見た2階建てのアパートは2階の入り口が別にあった
すぐ階段でそこからは下足厳禁
住民の靴が乱雑に並んでたの覚えてる ミセスグリーンアップルのボーカルの人ってオカマなんかな うちの近所に建つ予定の戸建て建売
もともとそこそこデカいボロい平屋潰して
3戸のミニ戸建て立つんだけど、
駅徒歩20分床面積100平米も無さそうなのに
一戸あたり7000万もする
35年ローン頭金ゼロで計算すると年200万以上、
夫婦2人で1人月10万づつ負担を35年も続けるのか。
なんか貧乏人が家買うの無理ゲーになってね? >>44
昔から格差社会
タミヤのラジコンが流行ったとき
金持ちの子は大勢で集まって競走会
それを羨ましそうに見てる買ってもらえない子達 >>78
ググって見たけど良さが分からんかった
俺らの頃はコンバットバギーとかだった
俺が持ってたのは935ターボ
子供心を鷲掴みにするリアル感 >>1
『新しいマンションの名前は「エバーグリーン」だった』
マップで見たら学校前の通りを挟んだ目の前だから
通学時間10秒〜教室まで見ても3分くらいだな
確かに近いし校舎からまる見えで近すぎて嫌なレベルwwwwww うちの親父は1部上場企業の幹部で
貧乏?なにそれ?の子供時代だったな
子供も3人だし
子供の頃貧乏て昔の映画や小説だけの
世界だろ?って思ってたわw 団塊より10年ほど後の世代だけど昔は風呂も薪で沸かしててさ、炊くのは子供の役目だった
今は鬼籍に入った親父もお袋も中卒に毛が生えた程度の学歴だったけど2馬力で懸命に働いてたな
まあ世の中全体が貧しかったけど妙に活気だけはあったと思う
4人に1人が大学に進学するかどうかの時代に大学まで行かせてもらい、なんとかそこそこ大手と言われる上場企業に就職することができた
定年まで40年近く一所懸命に働いて家を買い、子供たちも大学を出してやっと肩の荷が下りた
不思議なもんで金の無い若い頃にはあれこれ欲しい物があったけど、年を取りそこそこの余裕ができた今は欲しい物って特にないんだよな
今年小学校に入学した近所の女の子が、毎朝8時に自分より大きなランドセルを背負って胸を張って学校へと歩いて行く
おはようございます!と元気な声で挨拶をしてくれるその背中に頑張れ!ってエールを送ってる >>77
日曜朝だったかに放送してた日高のり子のRCカーグランプリとかお金持ちボンボンの趣味って感じで雲の上の出来事だったなあ
ミニ四駆が流行った時はみんなやってたけど 俺、フリーランスで月170万円もらってるから貧乏じゃない方だと思うよ。 そりゃ子供には未来があるからよ
俺らもうあと老いぼれて死ぬだけやん >>86
親父の資産と
自分で築いた資産で早期リタイア
すまんなw
世の中親ガチャ次第w >>72
氷河期世代は子供時代に運を使い果たしてるからなw 氷河期世代は多分日本で一番幸せな子供時代を過ごした世代なんだろうな >>93
親が裕福でバブルで儲けたから、ゲーム機は全種類買ってもらえて、お腹いっぱい好きなものを食べられて、大学は奨学金でなくても親が出してくれてバラ色の人生だったろうな。
それがあんな結末になるとは神様は公平だねw どうかなあ
Z世代なんかマイナスばっかだと思うんだよ
親は不景気で金が無いしコロナだし奨学金で借金背負うし就職先無いし
逆に団塊の世代なんかは出発点は焼け野原だけど死ぬまで全部プラスだったよ
中卒でも金の卵と言われて就職できたし会社は年功序列で昇進も簡単だったしバブルだったし年金すらもらい逃げできたしね >>95
そりゃ、3K肉体労働でも文句言わずにやるから金の卵言われるわ。
Z世代なんてわががまで文句ばかりでデスクワークしかやりたくないとか昇進するわけないわw >>95
年金は掛け金払わないと貰えないぞ。
生活保護みたいなもんだと勘違いしてないか? >>97
まだ年金制度が傾いてなかったから今みたいに払っても返ってこないかもしれないってのと逆って意味で書いたんだ
昔は任意だった時代もあったし掛け期間も長かったし女性は腰掛けの就職先に勝手に厚生年金を精算されてたりで実際貰えてない人が多いのは承知しているよ >>98
腰掛けOLの厚生年金は資格期間の25年を満たしてなかったからだけど、それも10年に短縮されただろ。
それ以下なら知らんけど。
年金は資格期間を満たして掛け金をちゃんと払っていれば誰でももらえるよ、そういう制度だから。 >>95
昭和50年代生まれくらいまでは成績悪いと大学はおろか高校も行かせて貰えなかった
貧乏なら公立高校しかいけないし私立高校は贅沢品
中卒で工業や理美容の専修学校に入れられたり就職させられた人も毎年クラスに3人4人程度はいた
貧乏な家の子は早くから働いて家に金を入れて支えた
貧乏な家に生まれたのも自己責任だし分不相応な贅沢な夢は見られなかった
大学なんてちゃんと金払える家の子か国立大に受かる成績の子しか行かなかった
奨学金なんていう無駄な借金背負って大学に遊びに行くより明日の生活費稼ぐ方が大事だった
昭和生まれの方があきらめたことは多かったしその老害達の我慢やあきらめのおかげで今の子供や若者の人権大事な社会ができている
どんだけ過保護にされてるかZ世代は自覚した方がいい 子供の頃はうちは貧乏だからと言われて育ってきたが
大きくなって考えると貧乏ではなかった
子供に我慢させるために言ってただけだっt >>61
そんなケーキがあったなんて
初めて知った。
親もどんな気持ちで作ってたのかな。
生クリームとバタークリームの差なんてまだ良い方だな。 友だちはみんな自転車持ってるのに俺だけ持ってなくて
走ってついていったわ 兄弟のお下がりを丈を詰めて下の子に着せたり、毛糸で母親がセーターやマフラーや手袋作ってくれるのが当たり前だったよな。
しかも、そのセーターが不要になると、ほどいて新しいセーターを作ってた。
今はシマムラやユニクロで買ってくるだけだ。 カラーTVが欲しくてしょうがなかったが20万円以上して買ってもらえなかったわ 金持ちの子は人生楽しそうだったけど、うちは貧乏だったから欲しいもの買ってもらえなくて指をくわえて見てるだけだったわ。
マジンガーZの超合金が欲しくてしょうがなかったから、ボール紙でパイルダーからマジンガーの頭部まで作って金持ちの友達に見せたら「すげー!こんなの作れるの?」って驚かれたのはうれしかったけど。 ライトがパカパカの折りたたみのカゴ付いた6段変速の自転車
明日買ってもらえるって前日にじいちゃんがどっかから中古のママチャリもらってきた
この時が最初で最後の人に抱いた殺意 ここのスレ切ねえ...
俺貧乏だけど全員に何か買ってやりたくなる
やっぱ金って大事だよなほんと 小学校の家庭科でサンドウィッチ作るのがあって
みんなコーヒーカップ持参なんだけど、茶渋だらけの
欠けたカップ持ってきてた子がいた。
普段は身なりがきちんとしてて、どこかの
おぼっちゃまみたいな奴だったが、そいつの家に行ったら
四畳半のボロアパートで、畳の真ん中が
10センチほど陥没していた。
俺はガキだったから無責任な視線を向けていたに違いない。
それがかえって辛い思い出だね。 記憶ではたこ焼き1個10円で1個でも爪楊枝直差しで売ってくれてた 子供の頃は無理矢理楽しみを探してたって感じかな。
お金が無いからいろんな遊びを自分で考えてやってた。
ゲゲゲの鬼太郎の家を木の上に繕うとして途中で枝が折れて中に居た友達3人と地面に落ちた痛みは今でも忘れないし、河原の土手に穴を掘って秘密基地を作ったら、途中で川の水が入ってきて崩れて死にそうになったのは懐かしい思い出だなw >>114
これ。
子供の頃が楽しかったんじゃなくて、楽しく過ごせる工夫をしてたから楽しかった。
大人になると楽しむ工夫をしなくなって量産型の娯楽につまらないと文句を言ってるだけ。
氷河期が今の日本は終わってる言うけど、こいつらが楽しく生きる工夫をしてないだけだわな。 「モノが溢れるような生活」より「モノが少し不足している生活」
の方がちょうどいいと思われ >>76
そこに中層マンション建てたのが良く無いか? >>92
ああ
俺が小学生2年の頃に親父が家にずっと居たが
半年間失業したり、職場が変わったりしてたらしい。そういうのが4年ほど続いて居たが、今になって思えば人生そんなものと思うわ @45歳 外食してる友達とか遊びに連れていってるもらってる友達とか、普通に羨ましかったよ。
旅行なんてなにそれ?状態だし、遊園地も行ってみたかった。 割と裕福な家だったけど、厳しい家だったから
ファミコン、自転車、超合金…何も買ってもらったことないな
旅行もないや 楽しくなかったな
親戚からは食パンの耳や穴が空いたりしみのついたお下がりの服押し付けられて子供心に屈辱的だった 他人に幸せにしてもらえる時間の事を人は幸福と云ふ。
だから長じては自分ではなく、他人を幸せにしなければならなひ。恩を返すために。
ただ、幸福な時間が無かった人間もいる。
こうした人は自分の為だけに当然、生きても良い。
生涯、幸福に至る事は無いのだから。 >>122
同じく
別に貧乏じゃないのにゲーム漫画アニメ禁止で買ってもらえず
クラスの話題にも付いてい行けず楽しくなかった 多分嘘だ 森口の叔父は船橋の高級焼肉店の経営者学生時代にバイトしていたがデビュー前にちょいちょいタカリに来てた交通費いくらだよ >>125
マンガとかは祖母が買ってくれてた学習雑誌の付録とかを必死でみてたなぁ
オレ長男で下に妹2人いるんだけど
オレだけ長男ってことで特別厳しかったみたいなんだよね
妹の部屋にいくと新しいラジカセがあったり、毎月リボンやらの雑誌があったりと色々傷ついたわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています