一機の援護機の姿もなく片道分の燃料だけを積んでの出撃は二度と帰らぬ覚悟をした決死の出撃であった [866556825]
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戦艦大和、最後の戦い
(4) 軍艦大和戦闘詳報
(4) 軍艦大和戦闘詳報 ※
(5) 戦闘経過
(5) 戦闘経過 ※
(6) 戦果被害
(6) 戦果被害 ※
(7) 戦果及被害
(7) 戦果及被害 ※
(8) 軍艦大和行動図
(8) 軍艦大和行動図 ※
(3) 爆撃を受ける戦艦大和(1945年3月)
(3) 爆撃を受ける戦艦大和(1945年3月) ※
そして昭和20年(1945年)4月5日、大和に海上特攻隊としての出撃命令が下りました (3)。目的地はアメリカ軍が上陸を始めた沖縄でした。 (4) はこの作戦の時の軍艦大和の戦闘詳報です。戦闘詳報とは、後の作戦指導を適切に行うために、一つの戦闘終了後にその戦闘の状況を詳しく上級指揮官に報告する文書のことです。同画像の右上には「軍極秘」の文字があります。
(5) のページ以下に、この時の大和の詳細な作戦行動が記されています。大和は4月6日15時20分に出撃します。出撃する艦艇は10隻、第二艦隊旗艦大和以下、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦冬月・涼月・磯風・浜風・雪風・朝霜・霞・初霜。 (5) の下の「記事」には、その配置図が記されています。
隊形を整えた艦隊に対して、伊藤整一第二艦隊司令長官は指揮下の各艦に対し「神機将ニ動カントス。皇国ノ隆替懸リテ此ノ一挙ニ存ス。各員奮戦敢闘、全敵ヲ必滅シ、以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ」、との訓示を伝えました(戸髙一成『戦艦大和に捧ぐ』PHP研究所、2007年、161頁)。
4月7日の8時40分、大和は米軍の航空機の編隊を視認しました。12時34分に「敵艦上機一五〇」に対し射撃を開始しました。しかし、数多くの米軍機からの攻撃を受け、およそ2時間後の14時23分に「前後部砲塔誘爆沈没」しました。 (6) によれば、大和の戦果は撃墜3機、撃破20機、その被害は「沈没(戦死艦長以下2498名)」と記されています。 (7) は大和の被害状況を絵図としてまとめたもの、(8) は戦闘詳報の中に収録されている大和の行動図です。
https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p16.html 燃料はそれなりに積んでいて、紫電改の航続距離の範囲内で上空援護は受けていた。 >大和の戦果は撃墜3機、撃破20機、その被害は「沈没(戦死艦長以下2498名)」と記されています。
このキルレシオよ
ただでさえ負けてるのに アメリカどころか中国にも負けた先の大戦踏まえて
また中国様に歯向かおうとする馬鹿な日本人
またお仕置きが必要だな 普通にまぬけだよな
投入タイミングも笑っちゃうわwそりゃ何も出来ずに沈むて >>2
満タンではないが責任者が帳簿外の燃料も載せたので
往復しても余裕の量。 帰ってきた特攻隊の話も色々あるのに何故燃料が片道分だと思ったのか ミッチャーのおいぼれが余計なことをしなければ戦艦で戦艦を沈められたのに! 生きて帰ってきた陸軍特攻隊員を教育し、再度特攻させるための施設「振武寮」
確か福岡市の薬院にあったんだよな >>14
第二艦隊が変に擬装航路をとらなければデイヨの旧式
戦艦部隊が迎撃していた筈。 米軍も日本海軍の戦艦ヒラヌマにB17で体当たり攻撃仕掛けたそうだし 冲縄の浅瀬に擱座させて砲台にする作戦だったので、
帰りの燃料なんて積む必要なかったんだよね。 欧米列強の亜細亜支配に楔を打ち込む為にも戦う必要があった 後部副砲の下に爆弾命中してずっとそれが燃えてたらしい
確かに煙突の後ろ燃えてるな
https://i.imgur.com/hp7V8z9.jpg 回避するだけでも燃料食うから、片道分なんて中途半端な量だけ積むわけない。 直掩機は途中までいたし燃料も片道だけではないだろ
適当なスレタイつけるなよ >>22
有名な写真だね
小学一年でこれを見た時から俺の人生は傾斜した 優秀なパイロットには往復分の燃料を入れたと整備士が言ってたらしい。 援護したくても沖縄行く途中で引き返さないと燃料がなくなるという
実際九州ちょいらへんまではついてきてたよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています