日本に江戸時代に餃子が伝わるも広まらず。餃子が広まったのは終戦直後から。 [194767121]
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日本に餃子が伝わったのは、江戸時代に入ってからです。水戸藩の書物には、「17世紀の終わりに『福包(ふくつつみ)』という鴨肉の
餃子が徳川光圀公・水戸黄門に献上された」と残っているそうです。
18世紀後半には、中国料理の本で初めて餃子が紹介されますが、当時は鶏や牛などの肉食が禁止されていたこともあり、
庶民の間で広まることはなかったそうです。その後、明治になって肉食が解禁されても、餃子が注目されることはありませんでした。
日本で餃子が注目されるようになったのは、第二次世界大戦後です。中国の東北地方(旧・満州)から帰国した兵士の方が、
現地で食べていた焼き餃子を再現しようとつくったところ、それが広まったという説が有力です。
「餃子のまち」と呼ばれる栃木県宇都宮市や、「宇都宮餃子のライバル」と言われている静岡県浜松市も、いずれも
中国や満州から帰ってきた兵士たちによって餃子が広まったと言われています。
他にも、満州で商売していた方々が、現地で教わった餃子を終戦後に日本へ引き揚げてから再現したケースもあるそうです。
全国各地で餃子を再現する家庭や、餃子を取り扱うお店が増えたことで、少しずつ日本に定着していきました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f283efc7e6e324ebd3be3852e04290ec50127934 【朗報】Z世代「韓国と日本は仲良くして!」
君ら氷河期、ゆとり世代も見習うとええで
https://i.imgur.com/ioU9Gu9.jpg ラーメンギョーザチャーハンの街中華3点セットで広まったイメージ 満州から引きあげた支那人が焼き餃子広めたんだっけ
焼きってとこがミソかな
本国じゃ水餃子だろ
あれうまくないから あっさり和食から
次第に油、肉に
なれてきてついに民衆に
も喜ばれるように
そんな感じだな 餃子好きだけど焼くのが面倒なので出来合いの惣菜で済ませている
あるいは鍋に放りこんで肉野菜と一緒に煮て食ってる 餃子の派生はユーラシアの各地にあるのに日本であまり伝わらなかったのなんでなの
やっぱりに肉餡が障壁だったのかしら >>13
ちっと腐りかかってたから焼いたんじゃないかねぇ ラーメンも水戸光圀喰ってるけど日本で流行るのもっと後だよな 満州あたりじゃ主食が餃子なんだって
水餃子らしいが() >>17
水餃子の残りだから火は入ってたんだろ
単に水分すって柔らかいから水分飛ばすために焼いたのでは 別にいつでもいい
日本人は日本人の口に合う味にしてその存在を喜ぶ
カレーにパスタにラーメンに中華
美味しく食べられてごちそうさまを言える今が大切 ロッパが色々書いてるぞ
戦前にもあるにはあったけど戦後に東京でブームがあったようだな
お好み焼きなんかと同じ感じっぽいな
https://www.aozora.gr.jp/cards/001558/files/52318_46262.html 昔は保存状態が悪かったんで余った水餃子を焼いて食ったら旨かったのが始まり マグロも赤身が好まれてトロは捨てられてたっていうし
脂っこいのが嫌だったんだろ >>10
宇都宮は第十四師団の本部司令が置かれてて、この師団が満州に駐留したから
師団に所属してた隊員の家族とか宇都宮の商人が満州に出入りしてたんだ。
第十四師団は大戦末期にはバラオに転属になってほぼ全滅しちゃったけど
残った家族が中華料理屋経営して戦後食つないだ。 >>30
そのわりには広める気のない自分だけ気持ち良ければそれでいいタイプのクズみたいな性格だけどな >>3
宇都宮に大きな駐屯地があったんだよね
家族が兄に東京から会いに泊まりがけで行った話しを聞いたことがある 俺の推測だと実際の江戸時代って
半ば内戦状態だったと思ってる。
それなら餃子どころじゃない。 餃子の具にニンニク入れるの当たり前って風潮やめてほしい
ニンニク食うとお腹ユルユルになってしまうんだよね
ニンニクの味は好きだけども 餃子の王将は付加価値付き餃子を売らんがために普通の餃子の味を意図的に落とした可能性がある 江戸時代って鎖国のイメージあるけど
鎖国論からして明治以降の神道側が言い出したことだろ。
でも実際にはオランダに傭兵として雇われて
フィリピン総督に服属要求するとか宣戦布告してたわけで。
まぁ書簡とやらは未だ確認出来ていないけどな。
馬鹿ウヨに現状やら諸々の説明求めて待つだけだな 江戸時代のころって肉はあんまとれてないんじゃないの
魚がよくきくが、魚だってごちそうだろ、野菜と米中心でしょ、どうせ >>2
でも出てくるの遅い、店員レベル低い
大阪で王将のすぐ近くに満州出来たがすぐ潰れた 島流しになった
戦国大名とか大奥の偉いさんとか
藩の家老とかはその後
どうなったんだろ。 水戸藩は清国に滅ぼされた明国の亡命者の身柄を引き取っていたんだよ
その明国人から中華思想が伝わり、藩の連中がそれを日本流に解釈した結果
親戚である江戸の将軍よりも天皇を崇敬するようになってしまった訳w >>16
餃子の形って中国の通貨だって話を聞いたな
その辺で「金を喰う」って感覚が合わなかったのかも >>16
ヒントはモンゴル帝国ね
東アジア~中央アジア~東欧の餃子風料理の分布は、そっくりモンゴル帝国の支配地域と重なる そもそも昔の日本に小麦がどれくらいあったのか全くわからん
そうめんやうどんは昔からあったろうけど
小麦粉が輸入されるようになるまで一部の人しか食べたことなかったのでは? 日本人には水餃子は合わないんじゃね
何も無い時代に焼いて食べたから日本人好みのなったんだよな >>51
米との二毛作で麦作ってる農家は多かったよ
特に東北は寒いから貴重な品だった 餃子なんか好きなのって
口が臭いかっぺと、何でも食べる中コロとキムチだけだろw >>2
ぎょうざの満州はむしろシシンプルな醤油ラーメンが好き
ショウガが効いてるの 肉なくてもニラがあればいけそうだけど
仏教の影響でニラ食べられなかったかな マグロの刺し身の餃子も旨いんだけど、普通はもったいないから刺し身で食べるか。 焼かなきゃ、肉、野菜、炭水化物の
バランスとれたいい食材なのに、
あれを油まみれにして焼くジャップはバカとしか
いいようがない ラーメンや餃子も亡命明国人から
水戸光圀に伝来したが流行ら無かった
満州帰りの200万人の家庭食として日本に来た時とは
影響度合いが違うって感じだな、 まぁ肉、挽き肉を何処で調達するかが大問題だったべな、当時の江戸社会では
ももんじ屋辺りに行けば四つ足の肉も手には入ったんだろうけど、挽き肉にするなんて習慣はあったんだろうか?
まぁ魚で擂り身は作ってたなぁ
でも擂り身とはまた細かさが違うし >>43
幕府が鎖国してなけりゃ安政の大獄も吉田松陰死刑も無く維新も無かったんだぞ クソ徳川は滅んで当然 新選組とか時代錯誤の化け物農民鎖国殺人鬼侍 小麦粉はある、韮もあった、今のようなものではないが白菜もあった
魚の擂り身で代用するとかは内陸部(小麦の産地)では出来なかったんだろうか? 江戸時代は豚を家畜として飼ってないから豚肉が手に入らない
狩猟で得られるイノシシ肉は供給不安定
江戸時代に肉類使った料理は広がらない 肉食をしなかったから饅頭の中にアンコを入れる和菓子が進化を遂げた訳で
それはそれでありがたい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています