菅原道真って家柄が悪かったけど超絶な天才だったんだろ。 [194767121]
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勉強が出来れば引き立てられるって凄いロマンじゃね? 福岡なんかに飛ばされて、屈辱と怒りで怨霊になる
そこまで嫌か?福岡? 受験経験があるなら、だれでも1回くらいは天神様系神社にお参りくらいしてるレベル 勉強家でクソ真面目なイメージだけど遊び人のイメージが強い在原業平と仲が良かったのが意外 横転の門読んでるけど博士家系のいいとこのお坊ちゃんやぞ。
藤原氏の政争に関わらなければ優秀な学者さんで終わってた。 >>13
家柄が低くて右大臣になれたのは吉備真備と菅原道真だけだっけ。 >>4
当時は太宰府は遠の朝廷と呼ばれた国内第二の都市。
菅原の道真は大臣。大臣クラスのポストがあったのはみやこ以外では太宰府だけ。
今で言えば、副総理が突然大阪府知事を命じられたようなもの。府知事とは大臣ポストではないけど、国内第二の都市に行けと言われた点では同じ。
大臣クラスなのに中央の政治に関われないとして恨んだ。 >>3
死後不吉な事が頻発するから
むりやり神に仕立て上げたんだよな >>4
怨霊になるための条件は冤罪などによって迫害されること
道真は大逆の罪を着せられて左遷された
当然朝廷は道真の罪は冤罪ではないと怨霊などにしなかった
ところが菅家廊下と呼ばれる道真の門下生たちが当時の官吏に大勢いた
彼らは道真の無罪を主張するために、彼の死後に起きた天災を道真の怨霊のせい、つまり道真は無実だと認めされようと働きかけた
そして道真の死後30年以上たって朝廷は道真への処罰は冤罪によるものとしぶしぶ認めた
道真を天神として祀ることを認めたのだが、せめてもの腹いせとして、道真の墓の上に天満宮を作らせたのである
太宰府天満宮を参拝する人々が道真の墓を踏みつけるようにしたわけだ 道真の怨霊の仕業とされる高級官人の死の例は多いが源光の泥沼に落ち込んで遺体が見つからなかったというのが妙にインパクトある >>4
現代でいえば東京で政府閣僚だったのが突然に大阪府知事にさせられたようなもんだもんな、それは怨霊になっても仕方ないかも… それも太宰府の政務に当たることは一切禁じられ俸給も出なかったからね >>22
そして学友だった長谷雄に仕送りしてもらって暮らしてた。
そら都の梅を思い出して恨み言のひとつも言うわ。 千葉県八千代市に菅原道真を左遷させた藤原時平を祀る神社がある。
藤原時平の末裔が建てたんだろうけどな。 土師氏の出なら学者家系と言うよりも、技術者家系だろうな。
軍事や経済じゃないから相当下と見られていたんだな。 >>4
当時は福岡とかないわwww
言いがかり付けられて飛ばされたんだ馬鹿か在日朝 鮮ゴキ.ブリ愛知県www 非業の死を遂げた人に対して、男なら天才、女なら美人って言っておけばいいだろうっていう風潮だろ 清涼殿、紫宸殿に落雷で、帝の目の前で何人もの公卿が焼け死んだりしたから、恐れ慄いて、道真の祟りじゃダートなった。
それで、生前は右大臣だった道真を太政大臣にして、従二位から正一位を追贈して、更には神様として祀った。 道真が主人公の応天の門はめちゃくちゃ面白いぞ。大河になるかもね いや、家柄も良かったろ
権力争いに負けて冷や飯食らう様になっただけで、当時の家柄で見れば親が従三位の時点で
数えられる程しかその上の位の奴なんかいないぞ
現に本人も天皇と非常に親しかった見たいで天皇が代替わりするまでは出世ロードを爆走する訳で
それこそ歴史ある名門の出では無かっただけで、家柄で言えば十分上位だよ >>4
道真は太宰府でも冷たく扱われたんで怒って資材を投じて新たに博多の町を作り太宰府が寂れたらしい >>27
酒鬼薔薇聖斗に殺された土師淳くんも医師の家系なのはご先祖の繋がりかな? >>7
正反対のタイプだから逆に気が合ったのかもな >>38
博多には元から太宰府の外港としての博多があったから別に菅原道真とか関係ない。
外交使節と商人が日本上陸してすぐ滞在する鴻臚館が飛鳥時代からあったし、外国人たちはそこから太宰府まで移動して太宰府の役人と面会した。 左遷されて福岡支社に飛ばされて本社の奴らを絶賛呪いました >>16
ローマ帝国じゃ軍の指揮官になれる資格の関係でむしろ執政官経験者がどんどん地方の総督に飛ばされてて面白い >>41
結構好き者で仕事もしたけど女遊びもしてたんじゃなかったかな 藤原の時代だと確定するちょい前の次代だし、家柄は悪くないかと
この辺の政敵を始末仕切ったからこその藤原の時代で、道真飛ばしたのはその一部だろう >>34
最近の研究によると落雷事件は実際に道真の仕業
つまりは雷の性質を熟知している道真門下の者たちが周囲に高い建物の無い状況を利用して
清涼殿などが雷の標的になるように細工をした説が有力 当時の天皇が藤原氏の専横を危惧し、秀才の道真を抜擢したが、その天皇が息子に譲位したあとに、藤原の奸計で左遷。
被害者なんだよね。 祟りと言ってもその子孫が栄えなかったというだけで追放の首謀者の藤原時平は40か50まで大臣勤め上げたけどね 子孫は太宰府天満宮の宮司だったりするけど、東大だの慶應だの学歴立派よ
やっぱり学者の家系は違うね
うちの親戚も学者の家に嫁いだのがいるけど、やはり東大が多いわ >>53
昌泰の変から8年後39歳だからまぁそこは微妙だが基経が55、忠平が69だからなあ ストライキして、いい加減にしろって道真に言われる基経が面白い >>54
そこの宮司の息子?だかがC欄3浪して入ったみたいな話もあるよね 菅原氏は本家の土師氏が神別氏族だから藤原氏と同格だよ
藤原北家が強大な権力を持っていたのは
冬嗣が薬子の変の後に嵯峨天皇から絶大な信任を得たから >>9
原作だとまだ中国行って新しい知識をって言ってたな >>57
話が混じってるけど、國學院に二浪三流だよ 「止足を知れ」
あー嫌なセリフ 現代でもあちこちであるんだろうなあこういうの 人間のやる事なんて100年1000年経とうが変わらんな 遣唐使が正式に廃止されたの894年だがこの時もうすでに最後の遣唐使が派遣されてから半世紀たってる
久し振りに送ってみっか!て話が出たときにもうそんなん無駄だろっていうことを道真は言ったのであって、
既に長いことやってなかったことを公式に終了ってことにしただけ Wikipedia見たら約一万社とか書いてあるな人気者だわ >>60
道真が若い頃の話だから黄巣の乱で唐が致命傷を受ける少し前で遣唐使の意義もまだ残ってたかも 吉備真備みたいなしぶとさがなかったですね
それがこの二人の差ですかね >>1
悪いと言ってもそれほど悪かったわけじゃない。
菊藤じゃ無かっただけ。 >>1
マータここからアホが歴史という作文作り出すのか >>69
実際には道真派の人たちが唐から密輸した火薬を使って時平を爆殺
火薬の存在を知らなかった当時の人たちに雷神の祟りだと思わせる事に成功したんだよ でもこいつ一人のおかげで天神という九州イチの繁華街ができたんだぜ
すごくね? >>74
そういうラノベで一発当てようとしてるのか。
楽しみにしてるよ!
面白ければ読むから。 >>16
まあでも、家屋敷も、都の取り巻きもすべておいて地縁のないとこへ赴任だもんな
本社勤務で生え抜き部署の本部長やってて社長ねらってます、みたいな王道コースが、一番大きい支店の支店長赴任で人脈全部切られて栄転かつ打ち止めみたいなもんだ
俺みたいな凡人ならまあいっか、ってなりそうだけど有能な野心家とかならなまじな冷遇より堪える結末だろうしね、ほんと権力闘争って昔から変わらんのな >>77
左遷と言えば聞こえはいいけど実質追放・蟄居だからね
政務に当たることは一切禁じられ、俸給も従者も与えられなかった >>16
違うんだよ
大宰権帥というのは実務の実態のあるポストと左遷用の実務皆無のポストがあって道真は後者 >>57>>62
今の宮司は福岡一の進学校の久留米大附設中高から東大行って卒業後に神職資格を取るために國學院
引退したお父さんは福岡県立一の進学校の修猷館高校から慶応
以前放送されたブラタモリで今の宮司が日本一進学プレッシャーが大きい家とネタにしてた 菅原道具
藤原不平等
垣武天皇
平特盛
武蔵坊KK >>79
太宰府は大陸からの玄関口で文化が真っ先に触れることが出来る。
道真にとってこれは左遷なのか?という説もある。
真実はどうか知らんけど。 都会の豪邸から僻地のほったて小屋へ
障子もボロボロですきま風で凍えそう
仕事もさせてもらえなくて食事もろくにできず腹ペコ状態
地元民はかかわると自分達も危ないから寄り付かず
殺す気満々で博多に行かせたんじゃないの? >>86
自宅から出ちゃいけなくて役所にも入れてもらえなかったんじゃないの? >>87
その通り
左遷というと降格させられて飛ばされて向こうで仕事に従事という認識になりますが、
道真にかけられた冤罪は大逆です
娘が斉世親王に嫁いでおり、醍醐天皇を廃して斉世親王を即位させようとしたという罪です
当然太宰府では罪人として、廃屋に蟄居させられ食事にも事欠くレベルでした
梅が枝餅の伝説はそんな道真に向けられたものです >>82
応天の門はリアリストすぎて不自然だったな、実際は宗教やオカルトチックなことにも精通してたのに
>>88
左遷道中は命狙われてた本人が言ってるし太宰府が治安悪いとも言ってて暗殺者に狙われて連れ子逃がした伝説もあるからな >>89
あまり歴史に忠実に書くと創作としてはつまらなくなるんで
創作を史実だと誤解するアホが出るという問題はあるがな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています