17人死亡の漁船転覆事故から未解決のまま12年・・・態度が豹変した調査官

「そんなことはなかったはずだ」…態度が豹変した調査官、漁船転覆事故から12年たっても消えない「疑念」と「恐怖」


第58寿和丸。2008年、太平洋上で碇泊中そに突如として転覆し、
17人もの犠牲者を出す事故を起こした中型漁船の名前である。
事故の直前まで平穏な時間を享受していたにも関わらず起きた突然の事故は、
しかし調査が不十分なままに調査報告書が出され、
原因が分からず「未解決」のまま時が流れた。

なぜ、沈みようがない状況下で悲劇は起こったのか。
調査報告書はなぜ、生存者の声を無視した形で公表されたのか。

ジャーナリストの伊澤理江さんが、
この忘れ去られた事件の真相を丹念な取材で描いた『黒い海 船は突然、深海へ消えた』から、
国の不可解な対応と事故の恐怖の後遺症が生存者への取材から明らかになっていく場面をお届けする。


■調査官の態度が豹変した
豊田は私にこんな話も明かした。事故原因をめぐって国の調査に応じたときの話である。
「最初に自分の取り調べをした調査官は、確かに俺にこう言ったよ。『事件の可能性が高い』ってね」

事件の可能性ありと言いながら、なぜ、波による事故という結論に至ったのか。
実は、第58寿和丸の事故調査には、発生直後とその後でそれぞれ別の機関が調査に当たっている。
事故後に機構改革があり、調査機関の組織形態が変わってしまったのだ(詳しくは後述する)。

調査を引き継いだ組織も、豊田に対する聴取を実施している。
しかし、豊田によると、調査官の態度は以前の組織と全く異なっていた。
「事件の可能性が高い」といった言葉が顧みられることはなく、調査官は高圧的な態度を崩さない。
異常に多かった油のことなどを豊田が語っても、
「そんなことはなかったはずだ」と否定しにかかってきた。

「俺は専門家だ」と調査官。

「その海を泳いだのは俺だ、目で見てきたのは俺だ」と豊田。

事実はこうなんだという押し付けは止まない。
聴取が始まって5分もしないうちに、30秒ほどのにらみ合いになった。
やがて、記録係が時計を見るような仕草を見せ、時間切れですと告げてこの時の聴取は終わったという。

なぜ、国は体験者の話をきちんと聞こうとしないのか。

私の質問に答える豊田の口調は一段と強くなった。
一気にまくし立てるように、憤りを含んだ言葉が次から次へと飛び出した。

<つづく>


https://news.yahoo.co.jp/articles/9d641a0d1a24c8885f25f67ad65823417611bea6