徳川家康「豊臣秀頼は大和伊勢に転居せよ」<==これに執拗にこだわったのはなぜ? [112181773]
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いや転居させるなら安房とか八王子みたいに徳川家直参に囲まれた土地のほうがよくね?
もし豊臣秀頼が「ハイわかりました。大和伊勢への転封を受け入れます」
といったら家康は困ってないか?
https://news.yahoo.co.jp/articles/fa71a290a2fc997c019b5974db161bb99427ae98 大阪城という大要塞から出すことが出来ればそれでよかったんだよ 飲めそうで飲めない要求を突きつけることに意味があるんだろ 大阪城から離さないと、恩顧の大名や浪人が集まって戦になる
史実としてなった
豊臣家は公家として歴史のある大和に移封されてたほうがよかった 大和伊勢というと寺社勢力が面倒臭くて統治が大変なんだってな
秀吉弟くらいの器量じゃないとやってけない
ミスするのを見越して改易するつもりだったんじゃねぇの >>5
秀頼が受け入れても
家康にとって問題なかった? 淀殿を見てるとやっぱり女は政治に口出しさせては駄目だと思う 大和や伊勢にって提示してる時点でせめてもの敬意を表してるでしょ 大阪生まれ大阪育ち生粋の大阪やろやん人を
関東のクソど田舎に住まわせるとアレルギー反応を起こすからやろやん >>10
国まるまるなら摂津より石高が大きい
伊勢なら海運の収入も見込める 織田一族だって政権の脅威にならなければふつうに存続できていたし
うまいこと恭順できていたら生き残れたかもね
関が原で生まれた大量の浪人不満分子の大掃除に利用された感はある 大阪城の規模と要塞としての機能、あと秀吉が貯め込んだ数百万両とも言われる財産
秀頼の血筋と人気がこれと組み合わさったら反徳川の浪人とかも集まって
天下を十分に揺るがす戦をもう1回できるわけだからな
とにかく秀頼を大阪城から出すことが大命題
ここから出しちまえば大和だろうが安房だろうが関係ないよ
そういう天下を揺るがす戦を起こす拠点にはなり得ないという意味で >>8
>淀君を見てると
どこで見たんだろう?
まさかドラマの設定上とかで
本当に見た気になってるんだろうか
だとしたら相当なバカとしか言いようがない どうせなら江戸城に一緒に住まわせればよかったのに御三卿みたいに >>2
出した後なら楽に料理できるからやで、出ればそれで済む訳ないやろ
家康は豊臣家を根絶やしにする腹を固めてたんやから 外堀をああいう手で埋めて来る相手の提案なんか飲めるわけないやろ これに従うべきだったよな。
あとは千姫とさっさと子どもを作って、そいつに即家督を譲れば、かなり厚遇される一族として残っていただろうに。 婚姻結んでるんだから大坂城出てれば滅ぼす理由ないやな >>25
徳川が生き残るためならてめぇの息子でも殺すジジィを信用できる訳ないやろ 家康は大阪夏の陣の落城寸前の状態でも秀頼の助命を受け入れてるからね、
せっかく助命を受け入れたのに秀頼さまが切腹しちゃうから、もう根切りにするしかねぇなってなただけ。
孫の婿で元主君は殺したくは無かったんだろ >>16
陸奥は陸奥で元から居た大名が居るので転封は難しい。出羽ならアリかもしれない。 日本史興味ないから世界史かガンダムか戦後史で例えてや >>28
最上領57万なら釣り合い取れる
のちに最上家は空中分解し1万石にされたんだし >>18
信玄と謙信がぽっくり死した時点で徳川の天下は決まったんだよな >>9
考えてるわけねえだろ
ノッブ一族みたいに秀頼の幼い子供ならあるいはってところだろうがまあ無理 案外吉野辺りに逃げた方が良かったかもや
淀殿が許さなそうだが >>10
何が敬意だよw
それができなかったからの冬夏の陣なんだから
西国ならともかく大和伊勢に移れってのは完全にバカにしてんだよ 山岡荘八の妄想願望家康とかバカな大河信じて
「家康は恒久の平和を望んでー」とかまじで信じてるバカ多くて草
てめえの息子も殺すし秀康とかなんで冷遇してんだよ
秀忠もそれを受け継いで兄弟追い詰めて殺してるし
って指摘されると悪行ガーとか発狂するしw
徳川の言う和平ってのは徳川宗家一強で誰も逆らえないようにしてるだけだ ここで秀頼がジャンピング土下座して家康の言いなりになってたら家康も殺すの難しい。
殺すには相応の理由って奴が必要で、それを無視して殺しまくったら人心が離れる。
家康が存命のうちは安泰でも、死後は子孫が同様の目に遭うだろう 金遣わせるためにアレコレやらせた
で、最後は怒らせて大阪の陣 大阪城は浪人達やキリシタン、家康をよく思わない大名達の抵抗場所の拠点となる可能性があったから
実際そうなったし 山岡小説は史実に無い狂言回しが途中でどっか消えちゃうのがなんともかんとも 転勤受け入れるってことは正式に臣従するってことだから 大和は寺領も多いし地縁の無い豊臣氏が入っていっても根は張れなかっただろう パクさんだからな伊勢はわかる
ただ、中臣鎌足も高句麗大和から鹿島、平泉へのルートを持っていた 秀吉がキチンと始末付けておけばよかっただけよな。
関東から追い出して朝鮮王に任じればよかった。
なろう勢は小牧長久手の失敗時点まで戻れ。 名門大好き家康は残す気はあったらしい
ただ実際に会ってみると、秀忠の残念ぶりとの差に気がついたみたいね
寧々と徳川家の関係は良好だったし
織田・浅井の血を徳川に入れる事も出来たから
あと、豊国祭りが盛り上がったのも気に食わなかったみたい
それでも千姫可愛やで一応秀忠には助命の打診もしても(多分、秀吉恩顧武将へのポーズ) >>50
会ってみたら、秀吉の面影皆無で秀吉と血が繋がってなさそうとかで
殺すことに決めたんじゃね。織田とか浅井とかの血があるから秀忠よりは
立派には見えたんだろうけど(´・ω・`) >>5
徹底的に牙抜いて公家として生かしたほうが、家康には圧倒的に有利だっただろうね。
大阪は未だにアンチ家康だらけ。 その後徳川が二百数十年続いたって後世視点でモノ言ってるだけ
豊臣が残ったまま家康が高齢で逝ってしまえば徳川政権が存続できたかどうか判らん
特に家康視点ではそうで豊臣は大阪だろうが伊勢だろうが絶対に根絶しておきたかった >>1
大仏とか伊勢神宮の修繕させるつもりだったんでねぇの?(適当) 羽柴なんて滅んで良かったんだよ
最上の姫へのむごい仕打ちや側室300人の事実を知って秀吉を大嫌いになったわ >>36
二百数十年の平和を実現したのは厳然たる事実
外敵とか
尊王攘夷と幕府嫌い拗らせすぎて
近代デモクラシーと全体主義の合の子みたいなの
始めた長州藩とかいう気違いいなけりゃ
もう少し続いた気がする もう少し続いた後にぶち殺されて植民地化してただろうな >>1
>>24
秀吉公の血筋が残っていたら、浪漫だねえ。 オレだって秀吉に江戸とかいう武蔵野のハズレに引っ越しさせられたんだからおまえも西大寺の辺をジャックしてみろよ! 断るのがわかってて提案したに決まってんだろ 「主家である豊臣家を断絶させる」という悪行を後代に残さず 自分でケリをつけてあの世に持って行くつもりだったんだよ家康は 難航不落と思われてた大坂城から、とにかく追い出したかった
あと、大坂は経済的、軍事的に重要なんで手に入れたかった
経済的、軍事的に要衝でもない大和や伊勢、紀州に豊臣が移れば、それで家康は満足したと思う
三代将軍家光の代に熊本の加藤みたいに取り潰されたかも知れないが、
移封に応じていれば家康の代には手を出さなかったと思う >>62
九州の小大名の木下家に、秀頼が九州まで逃れて木下家の当主になった、
と言う伝説が伝わってたそうだが、まぁ伝説に過ぎない
木下家は明治まで藩主として続いたが、明治政府に特に厚遇された訳でもないし
華族の爵位も下から二番目の子爵に過ぎない >>1
関西生まれなら関西に住みたいだろ?
大坂・京都はやれんが奈良ならどうだい?
オマケに伊勢つけるからさあ 家康も淀殿が大反対すると分かっていて言ってるんだろ
俺はちゃんと言い続けたんだぜ
なのに拒否され続けたんだよな
困っちゃうよね…これからの豊臣家どうしよう笑
みたいな 当時の大名達からは秀頼が秀吉と淀の間に出来た子供とは思われてなかったらしいな。大野治長との不倫の子なら、家康からしても滅ぼすのに抵抗はなかっただろ。 よくわからん一応家康は豊臣の臣下ちゃうの何の大義でそんな命令出せるの 豊臣家潰さないと子孫が必ず復讐するから家康の腹は決まっていたね >>13
やろやん群馬って最近見ないな
死んだ?逮捕された? 大和朝廷以来日本は建国から下剋上の繰り返しの歴史
邪馬台国がジオン、大和朝廷がザビ家の図式 遠い奥羽や九州に飛ばされるなら反体するのも解るが、
大坂近隣の大和伊勢ぐらいなら移封に応じるべきだった
これに反体した淀殿が豊臣滅亡の大戦犯
秀頼に権限あれば、「大和や伊勢で寺社建てまくりたい!」
と喜んで応じただろう 国家安康でのイチャモン付けはいくらなんでもとは思うが 大和伊勢は周辺の東西南北にあたる紀伊、尾張、京都、大阪を
天領と御三家でしっかりガードできるからな 新幹線も通らない僻地に都を開いた理由
それは半島からの追手から隠れるため >>10
大柄で色白な秀頼が秀吉の子じゃないことは誰の目にも明らかだったわけで、
運命と淀君に翻弄される秀頼に家康は同情していたと思う
家康は異父の兄弟姉妹に松平性を与えたり家臣の嫁にしたりと全員の世話をしてるし、
シンママにもおそらく同情心から婚姻関係を結んだりと面倒見がよかった
ただ、秀頼が秀忠に頭を下げられたのかっていうと疑わしい
あと、奥州行きは伊達のおじさんが嫌がったはずで秀忠が退けたんじゃないかな >>81
国家安康 君臣豊楽はいくらなんでもわかりやすすぎるしリスキーでしょう
大事件になって内部抗争が始まり有力武将の離反が起きた
あれは大野治長のミスじゃないかと思うんだよ 方広寺の鐘は大坂方の誰かがやらかした挑発行為なんだろうけど
あのくらいで関係が破綻したなら、仮に事件がなくても遅かれ早かれ破綻してたと思う ただのヤクザの因縁だろ
刀を振るのは暴力団なんだよ >>15
長益も三法師もまがりなりにも信長直系だったからなあ
とはいえ家督相続者その人ではやっぱりお目こぼしは出来なかったんじゃないかな 家康は老齢にもかかわらず政権とってから10年以上も豊臣に手出ししなかった
積極的に滅ぼす意思は無かったと思われる >>79
淀君の反応を読み切った上での転封命令だろ
大量失業者の失業対策(もしくは掃除)は為政者にとって必要な措置だから 大和で寺社勢力と揉めたら取り潰しを狙ったんだろうけど、
秀頼なら気前良く寺社に寄進して上手くいきそう >>60
家康は関ヶ原の責任取らせて改易させるつもりだったのに
結局それを断行できず8カ国の領地を2カ国に減らすだけで終わったのか >>94
もともと小一郎の領地だったしこの頃には上手く治まってたんじゃないかな 秀吉が家康に堀を埋めれば大阪城攻略出来るよってポロッと言ったのが敗因 >>1
だって家康は秀吉に一度は逆らって、小牧長久手の戦いとか大激戦をやってドローに持ち込んだあと、
三河遠江駿河など東海の覇者から、関東への国替えを受け入れたじゃないか。
だから家康は秀吉の息子に同じことを仕返してやりたくなった。ただの意趣返しだよ。
豊臣秀頼が関ヶ原以後治めていた摂津河内和泉三国の合計が65.7万石。
それ以外に全国商業流通のハブをおさえていたので実収入はもっと多い。
しかし安房の石高は4.5万石、八王子のある武蔵国多摩郡の当時の石高は約10万石。
いくらこれが転封の左遷人事だとしても収入減が厳しすぎる。
格上の親王任国の上総や常陸だったらまだサマになったろうけど、37万石と53万石でそう豊かな土地ではない。
大和大納言・豊臣秀長(秀頼の叔父)が治めていた大和44万石や、古名「美し国」と呼ばれた伊勢57万石は無難な選択だと思う。
大坂や京に比べればさみしくなるけど、しかし秀頼の大坂への執着心は強すぎた。歴史が変わったかもしれないのに、残念です。 >>75
豊臣家よりも偉い天皇から武家の棟梁である征夷大将軍に任じられたので命令出来る
家康は官位も確か右大臣とかで大納言の秀頼よりも偉い。 家康は公家としては存続してもいいと思ってたんだろう
でも胡散臭過ぎる血統だし消滅して良かったとも言える 晩年の家康、敵として戦った秀吉や信玄の事は若い侍たちに喜んで話すのに、
ずっと同盟相手だったはずの信長の話を聞かれたら不機嫌になったとかいう逸話があるからな、
豊臣家の事は別に嫌ってない。 >>101
だって信長は、家康の跡取り息子も正妻も殺させ、実の母の弟も処刑し母の実家を取りつぶしにしてしまった人だ。
だからどう見ても信長には徳川家康本人を狙っていた痕跡がある。
こんな険悪な視線を直視していた家康には、いくら歳月がたっても、信長との思い出は楽しい思い出じゃなかったろうね。 冷静に考えて摂関家を攻め滅ぼすってとんでもない話だよな >>103
その前例を秀吉自身が関白秀次を斬首したことで作ってしまった
因果応報 元服も初陣もいつだったのかわからない秀頼はなんとか生かしてやりたかったな
氏真の隣り住まいでもよかったし
大谷吉継がいれば… >>101
庄内藩酒井家の鶴岡市にある致道博物館では、家康公から拝領した刀と信長公から拝領した刀を並べて展示すると誰も侵入した形跡が無いのに夜中に防犯センサーが何かに反応しまくるから一緒に展示できないそうな 大和伊勢は朝鮮から来た人らの聖地
だからそこにこだわったんだよ >>101
その話は二次創作だろ
それと家康は途中から織田家の家臣化してるし
織田家の血筋も入ってる 上下関係をはっきりさせるための儀式でしか無い。
徳川とは姻戚関係も有るのだから、素直に従ってれば加増されて加賀の前田以上の大名になれた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています