黒田官兵衛が突然家臣をいじめだしたのは自分を嫌わせて長政の下で団結させるつもりだったから [194767121]
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最後の長政への言い草はどう考えても本音から出た嫌味やん 親を嫌いになったらあの親の子供なんて!と
やっぱり息子のことも嫌いになる 歴史上の人物を指すときってわかりやすさから大体は諱を使うよね
なんで、黒田官兵衛とか竹中半兵衛は通称をつかうんだろ? >>7
それはだいたい司馬遼太郎のせいと二兵衛の方が覚えやすいせい >>5
主君だからなあ
クソだった社長が引退した時、跡を継いだ息子が感じ良かったら安心感でやられるんじゃね
無能だったらメッキが剥がれるのも早そうだけど 現代の老害を見てれば計算ではなく前頭葉の劣化で本音が出ちゃうだけだと分かる。
官兵衛も同じだよ。
ファンからすれば知将の老獪な策略!みたいなストーリーにしたいだろうけど単なる老害です。 歴史のエピソードなんて後世の創作だからw
信じる奴はバカw >>1
家臣虐めたのは長政やその子達の方だぞ
そして実質黒田家は断絶してる
(現在の黒田家は徳川からの養子の子孫)
官兵衛について特筆すべき虐めの所業はない >>11
これは本当にそう。
歳取ると子供っぽい言動が目立つ
その言い訳として「お前のためにやってる」とか言う
典型的な毒親。
長政は徳川について正解だった。 >>2
茶器まわしたり
あえて取り上げて謀反を起こさせたり 黒田長政→鉄砲
菅正利→刀
林直利→槍
虎狩トリオ >>2
織田、武田、上杉、今川、毛利、足利
の独自BGMよかったな 親子で仲がいいとか
先が知れてるからな
息子は父親を全否定する位でないと 絶大な主の晩年が猜疑心の塊とか歴史では多いからな
官兵衛も晩年の秀吉の元で立ち回りが身に付いたんだろうね
歴史上では猜疑心の塊の主に対して無欲な忠誠心だと疑われるので
小さい手柄を事あるごとに報告して報酬をわざと貰う事によって生き延びた人とかいるしな 黒田のジジイと諸葛孔明は同じニオイがする
どっちもいけずやわ >>7
他にも後藤又兵衛や本多作左も通称が有名やな
講談なんかで定着したケースが多いのやろ
細川幽斎のような雅号や信玄や謙信みたいに法名が有名なケースもあるな ああ、そうなの。
随分面倒なことをするんだな。
自分に従わない家臣が増えたら仕事はやりにくくなるけどな。 長政は後藤又兵衛に嫌がらせしまくった器の小さいカスだろ >>2
俺は覇王伝派
伊達の尺八BGMが大好きでずっと聴いてたわ 清盛は情に温いのが失敗だったな
身内厚遇しすぎたのと頼朝や義経殺さなかったのが命取り
義経に関しては親父様と呼ばせて息子らと同様に育てた時期があるってんだから話にならんな
まぁその歴史があるから後の世では後継ぎは幼少であろうが必ず殺すようになったんだけどさ 官兵衛は幽閉されたりだとか極端な苦労した時期もあったからな。
性格歪んでって年取って更に抑えが効かなくなっても不思議じゃない。
子供としては苦労だったろうけど。 官兵衛は若い頃は確か頭はキレるが自信過剰だったんだよな
そこを竹中半兵衛が危惧して色々諭してたんだっけ >>31
江戸時代の長い平和も秀頼とその子供まで根絶やしにしたからこそかも知れないしね >>7
幕末の志士なんかは諱よりも通称の方が有名だな
坂本龍馬とか高杉晋作とか 高杉なんか諱は春風ちゃんだぞ
明治まで生きると名前を一種に絞らなければならなくなったから板垣退助みたいな例外除いて諱を本名にしてそちらでの方が有名だけど この人秀吉の下じゃなくて信長の下で直に家臣になってたら天下とってたんじゃねーかな >>35
信長は自分の甥っ子でもある幼少のまんぷく丸まで余裕で殺してるからな 官兵衛の生き様を見ていると軍師らしく自らを客観視出来る人だったんだと思う
だから自分が嫌われる事を厭わなかった
なかなか出来ん事です >>2
将星録と烈風伝かな
箱庭で城下町を作るのと武将を育てるのが楽しかった 頭は元々キレたが黒田官兵衛が利口になれたのは竹中半兵衛の影響らしいが
その官兵衛は石田三成の才能を早くに買ってたんだよな
同時に難があるのも見抜いてたんだけど晩年官兵衛は秀吉に遠ざけられたけど
そうじゃなかったら石田三成も違った形になってたのかなとかたまに思う事あるなw 軍師と呼ばれる官兵衛だけど、意外と戦功は知らないんだよな >>42
官兵衛が軍事担当、三成が政務担当、秀次が世継ぎで秀頼を養子にしていれば豊臣は滅亡しなかっただろうに
晩年の秀吉はボケてたとしか思えない >>44
青山の戦いくらいか
ぶっちゃけ交渉がメインのイメージ こういうのはほとんど結果論だと思ってる
こんな事すりゃただただ嫌われる可能性もあるわけで 備中高松城の水攻めを提案したのは実は花房正成で
後に黒田官兵衛が提案したと捏造された >>1
この人知ってる。
突然部屋に入ってきて
一人で右手でナニをしていた?
聞く人だろ。 少しぼけ始めていたかカーチャン('A`)は軍兵衛と言っていた 荒木村重の有岡城に1年近く閉じ込められて 人生観変わったのかな 黒田細川上杉らは徳川に責められても何とかなるように他のつぶされた家の家臣団を雇って密かに牙をとがらせた
一方伊達政宗は家光との相談役になりホモセの秘訣を教えつつ内緒でオランダに家臣を派遣し武器を買い付けた >>7
山本勘助もそうだな
軍師系はその傾向があるのかな 功績の割に伊達は実に上手くやったよな
豊臣政権下末期の徳川との婚姻関係も本当はNGなんだけどな
当時はもう石田三成がまとめきれてなかったので徳川に抱き込まれた奴が多くて
最重鎮の前田でさえ徳川を罰する事ができなかったんだよな
そこまで読んでたんだろう
政治的な立ち回りは非常に上手いよね >>53
脚色もあるだろうしどこまでが本当かはわからんが
その一件で戻ってこないのをスパイと疑われて信長に殺されたはずの自分の息子を
竹中半兵衛が実は町人の病死した子の死体とすり替えて首改めに出してたんだよな
それで実際は息子は半兵衛に匿われてて無事だったんで以降は半兵衛に心酔したんだよな
半兵衛のこの行動は命懸けだし秀吉にも厳罰が下る可能性のある事だからな 世襲にもメリットもあるんだけどね
派閥争いを生まないので粛清人事がないんだよ
簡単に言えば余計な争いで企業が人的に衰弱しないって側面もある
でもまぁ世襲でまともな人が舵切るならそれは良い事なんだけど
そうじゃないのが世の中多いからなぁ
周り見てて世襲で良い会社ってほぼ例外なく社長の親父が後継者の息子を若い頃に
他と同じように現場に放り込んでるよ
これはもう間違いなく言えるね
あと息子兄弟を共に仕事させると争い起きて結構分裂しちゃってるね
賢い所は会社をきちんと分けてるよ >>60
世襲だが、創業家に適当な人物がいない時は
優秀な番頭をトップに据える度量がある
これが豊田家と他の世襲制のボンクラ連中との決定的な違い 100日関ヶ原が続いてたら黒田官兵衛は
天下取れたのか? >>64
島津の本隊は関ヶ原に行ってないから、島津攻めで苦労したんじゃないかと予想 たった100日で九州制圧できるわけがない
関ヶ原の時に加藤清正はたった400人しかいない小西の城すら落とせなかった 見舞いに来た家臣を罵倒した話ならスレタイ通り家臣達が長政に心を寄せる様になる芝居でしょ。泰平の世になっちゃったから後は冒険はしないでじっくりいけよと。 黒田官兵衛唯一の活躍=中国大返し
「天才軍師」「日本の諸葛亮」は部下に広めさせた自己宣伝
実際は期限までに城を攻め落とせなかったのを部下のせいにしたり
水牢でずっとふやけてたり
脳筋息子のおかげで勝ち組に残ったり 単に高齢で呆けただけかもしれんな
呆けると怒りやすくなるし性格が変わったとかね
当時の寿命とか60生きれば長生きやし呆けるまで生きられる人も少ないから >>2
三国志はIIが至高だし、対戦ツールとして程良く優れてるからかな? >>65
そんときゃ島津に一緒にデカいことしようぜ!ってするでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています