徳川家が豊臣家を滅ぼした後なんで大きな戦がなくなって平和になったの [112181773]
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天下を取る能力を持った武将が皆殺しにされたということ カタカナで入れたら勝手に英語にしやがった
AIに手を噛まれた気分 参勤交代と天下普請
あとはgoogle先生に聞いてもいいから勉強しようね 徳川家が圧倒的な直轄領を抱えて一強状態だったこと
官僚制度が整い規模のあまり大きくない譜代大名が幕政を担い
外様大名が幕政に関われなかったこと
鎌倉幕府と室町幕府の失敗から学んだのかはわからんけどいいとこ取り出来ていた それ以前の時代から中央集権の形が醸成されてきたのが
最終的に家康の台頭で確立した
具体的には関ケ原での勝利で徳川を中心とした東軍勢が支配的になり、残敵が雑魚ばかりになる
この時点で特異点を超え群雄割拠が終わる >>1
関ヶ原で大阪方についた大名は殆どつぶされて、勝った徳川方についた大名も遠方にトバされたから 大阪の陣が関ヶ原のあとすぐに起きてたらもうちょっと戦乱が続いたかも
10数年間平和が続いて、兵も武将も1世代2世代交代してて(もちろん歴戦の勇士もいただろうけど)みんな嫌になっちゃうよな >>23
>>29
秀次つーか、秀長に子供がいるか長生きしてたら、だいぶ違ったな >>19
徳川幕府 260年日本を停滞国に
明治政府 50年で国連常任理事国に
韓国人「明治政府が憎い」 江戸時代の安定的な治世ってのは実際スゲーよな
鎌倉時代のような有力御家人の争いもないし、室町は言うに及ばず
領土替えさせて、参勤交代させて、大阪冬の陣夏の陣で対抗勢力と余った浪人ぶち殺して、天下普請で体力奪って
念が入ってる 権力なんて気まぐれで
一斉に諸藩に見限られたら終わりなんだよ 鎖国政策だろ
黒船来航で開国させられたらイギリスとかちょっかい出して
また国内で争う事になったもんな >>1
豊臣家を滅ぼしたから。すでに答えを自分で書いている。 大名を統御する事に失敗して戦続きだった室町時代を含めたら200年間戦争続きだったからな
疲れない訳ない 刀刈りされてブキを取り上げられたので戦えなかった( ´)Д(` ) 元々、天下取ってやろうなんて野望抱えてた大名はごく僅かで、
弱小だと潰されるからデカくなろうという地域覇権思考ばかりだったんだろ
安定した政権が誕生したら命賭けてまで分の悪いギャンブルに手を出そうって人間は少ない
現代だって革命目指してるのは頭が悪くて何も持ってない無敵の人たちだけ >>42
自力救済を終わらせた司法権の確立も大きいな リニアを名古屋開通優先してるのは裏で徳川の影響力かわ働いてるのではないかと思っている 徳川将軍家がモンスターカードのみをドローし続けたからだよ 参勤交代で金を使わせて戦力を削いだからな。
おかけで貧乏な藩がさらに貧乏になったと。
極貧の土佐藩とかな。 今現在少なくとも国内での戦争はないよね?そういうこと 一斉に見限られないようにする
徒党を組ませない
これに限る 各地の大名をあの手この手で嫌がらせして力を削いだからさw >>36
鎖国ってのは幕末ペリー来航のちょっと前にロシアが開国求めてきた時に初めて言語化された概念で結果的に江戸期は鎖国だったってだけだぞ
事実、清、朝鮮、オランダとは外交があったしな 関ヶ原の合戦が10万人ぐらい動員してたのに
明治維新に至る戦争ってしょぼいよな 家康さんも「鎌倉殿の13人」のファンなんだろ
ああ言うことにならんようにするのを一生懸命考えたんだよ
考えたのは天海さんかもしれんけどさw >>58
もうあの時代になると侍と言うより公務員だしな >>19
最後の将軍は悠々自適で写真撮りまくってただろが >>63
豊臣に与する武将を全て支配した訳じゃないからなあの頃は
敵対する勢力が居なかっただけで群雄割拠の風潮は続いていた
だから自領に幕府を開くしかない 要所は譜代で押さえているんだぞ。
反乱を起こした所で、討伐軍が派遣されて詰む。
幕末の変革期を迎えるまで待たねばならなかった。 家康の統治術は凄いよな平和になった後用済みになった奴らを難癖つけて粛正するのは足利義満や秀吉だってやった
義満は自分に味方した勢力を次々潰したし秀吉だって大陸に攻め込んで口減らしした
家康もやってるけど反乱起こらなかったし
すごい 家康ほどじゃないにしても秀忠っての為政者として優れた人物だったことも大きいんだろな
それ以降はシステムというか、慣行と体制にしたがって大体処理できる 粛清は国替えや取り潰しという形で継続してるし、初期の頃には家康の息子も粛清されてる。
それに幕府を滅ぼす力を得なければ自分たちが滅ぼされて、領地が他の大名に分配されるだけになる
のだから、アフォらしくて反乱など起こせんだろ。
参勤交代という散財制度を作った上で、幕府が行う公共事業に大大名に賦役を課すなどして、大名が
経済的に潤わないようにすることで、戦費を蓄えられないようにした。 戦国時代も長くなるにつれ正義が失われていった感があるかな? 毛利もやる気があったら関が原でやってただろうからなぁ。 みんなが一斉に徳川支持やーめよと言ったら
終わるのよ トンキンどもがデカイ顔出来るのは江戸に徳川を追いやった信長と江戸のインフラ整備をした上家康が天下を取り江戸に幕府開いたおかげや
トンキンは家康の命日には日光東照宮ヘ行って感謝の意を伝えろ >>59
参勤交代のシステムは下剋上を未然に防ぐしな
しかし一番有能だったのは薩長の藩士で諸大名の土地を召し上げて日本を一つの国にしてしまった >>68
毛利は吉川の暗躍で徳川の下でも安泰だったし他は軒並み関ヶ原敗戦からの改易のコンボで抵抗する余力なかったろ
まともに反抗できたとしても島津くらいじゃねえの? 参勤交代は家光の時代から
ある程度の自治を容認した幕藩体制と奉行などへの取り立て制度を敷き出世体制を確立した事により今まで国の中でしか出世できなかった者が幕府に取り立てられると言うヘッドハンティング制度でヤル気が出た
徳川は滅ぼすことより有能であれば国や身分など気にせずに直属登用してくれると殿様より凄いとなった
ある意味信長の手法を家康は取り入れた 近年では関ケ原の合戦が終わった1600年をもって徳川幕府の始まりと教えてるらしいな >>78
実際、江戸時代を通じて武家の教養として広がった朱子学によって尊皇攘夷思想が社会全体に広がり、
それが明治維新の下地になったわけだしな 平和を壊したのはアメリカなんだよな
なぜか日本人はアメリカじゃなく中国人と韓国人を憎むけど >>87
幕末の話ならアメリカとまず条約結んだから他の列強とも不平等とはいえ条約結んでやりとりできたんだぞ
むしろアメリカのおかげで植民地にならずにすんだ
あとシナと半島に関しては一切憎んではないよまともに相手しようと思わないだけで アメリカやイギリスやロシアが日本を植民地にしようと狙い
アメリカだけが成功した
ペリーが先に国交を結んだのが功を奏した >>70
秀吉は難癖付けてでも徳川を潰すべきだったな。 >>90
命令に従って戦やめようとしてた所を1人暴れて調子に乗っただけの片目のおじさん >>91
出自
これが実は一番重要だったと思う
日本人はフィクションなんかでも血統大事にするし卑しい生まれの豊臣の天下は堪えられなかったんだろうよ >>1
まあ、実は日本国内では、大坂の陣が日本史最大の内乱でそれ以後は大きな内乱は起きてない
明治大正昭和と
小規模なのはあるけど
基本的に対外戦争だった
大坂の陣以降大乱がないのは、鉄砲の発達で戦争そのものが高リスクになったからだよ
当時日本は世界有数の鉄砲保有国で陸軍国
大量の戦死者は出るけど、得られるメリットが少ない
日本国内に大きな厭戦気分が蔓延してたから、太平の江戸時代が生まれた
あと島国で基本的に外部から攻められるということがないから、のどかだった
昔から日本には城壁と手錠がなかったと言われてる
ヨーロッパには街には巨大な防壁があった
城塞都市と言うやつ
すぐに異民族が攻め込んでくるから
日本はもともと平和な国だったんだよ、世界的に見たら 信忠がナイスガイ過ぎてとーちゃんの殉死ムーブかましたのが一番いかん >>88
この前のNHKの番組見れば良かったのに
その間違った知識から生まれた偏った考えが崩壊してたはず >>87
憎しみは韓国の側だろw
日本は基地外の相手をしたくないだけ。 >>33
停滞国というのは間違いだな
江戸時代の発展と豊かな庶民文化の土台があればこそ明治維新は成ったんだよ
しかも明治維新も慶喜が大局観をもって抵抗しなかったことが誠に大きい >>87
ソ連特にコミンテルンで、良くも悪くも最後占領したのがアメリカじゃなかったらアカくなってた
それに今でも迷惑かけてるのはアカい勢力 >>91
冬を知らない西日本だけで緯度の高い朝鮮に攻め込んで冬を越す方法が分からず寒すぎて撤退ってすげー間抜けだよな
せめて北陸や岐阜の勢力連れてけって話
秀吉は岐阜の冬を知ってたはずだけどなあ
ボケたのかなあ 家康が習近平で、香港騒動が島原の乱
徹底的に政敵を潰して庶民を弾圧すればOK 一般常識として、秀吉が出した各種平和令が施行された段階で戦国時代は終わってる 関ヶ原で西軍にいてあたりまえだけど締め上げられた長州と薩摩がその300年後薩長同盟を結び
徳川を引きずり落とすのがまた面白い 戦争自体がし続けると消耗していって出来なくなる性質のものだから 関ヶ原で東軍として参加しておきながら、戦後に、やっべ、これからは徳川の天下になっちゃうじゃん。って今更ながらあわてた武将とかいそうw トーナメント戦の優勝者だから
以降トーナメント戦は行われ無かったんだよね? 藩主が幕府に歯向かう姿勢を見せれば
すぐに国替えやお取り潰しという悲惨な結末が待っているからな
それでなくとも幕府はキナ臭い藩に密偵を送って証拠を掴もうと暗躍している
仮に藩主が血迷って江戸幕府に抗おうなどと言い出しても
幕府に漏れる前に藩の重役たちが必死に揉み消そうとするだろう 明治維新の時に、15代目が徳川家康なら幕府圧勝してたよ
負けた理由は15代目がバカで
勝てる戦を捨てて、舟で江戸に1人でトンズラしたり
本当は勝ててただろ?っていう戦を全て負けてる。 >>59
家康は全然粛清してないだろ
どころか毛利や島津のような元西軍大名も温存させる大甘ぶり
関ヶ原の後日本人が全員平和の空気読んだとしか思えない >>33
廃仏毀釈で寺や仏像を破壊しまくったのが薩長率いる明治新政府
寺に放火して寺社の石像破壊する現代のチョンよりもっと大規模で邪悪だった >>33
そもそも欧米列強の海外進出、植民地支配が無ければ良かったんでないかい? >>99
つか、豊臣秀次に継がせてたら良かっただけなんだよなぁ まだもうちょっとだけ続くんじゃ
最終的に島原の乱でイエズス会を駆逐した 朱子学洗脳したからだよ
無能主君にも絶対忠誠
そのせいで日本社会は時代退行で全てが逆行
それまでの豊臣政権のグローバル大航海時代から転落、支那朝鮮アジアレベルまで落ちた >>113
そんで新政府の紋章が豊臣の五七桐っていうね
関ケ原の屈辱を晴らすのを忘れてなかったんだなっていうw >>114
少弐貞経 1272-1336
北朝方につき挙兵、嫡子を足利軍に参加させるが、留守城を南朝方に攻められて落城、自刃。
少弐頼尚 1294-1372
貞経の子。めげずに反撃し、さらに尊氏に従って畿内まで従軍。しかし観応の擾乱では直義側につき、在地の南朝方とも通じて尊氏方と戦う。しかし南朝方とも隙を生じて争い、本領を失う。
少弐冬資 -1375
頼尚の次男(長男は戦死)。南朝方と戦う関係上、北朝方について戦うが、今川了俊と隙を生じて暗殺される。
少弐頼澄
冬資の弟。兄の生前から南朝方について戦う。兄の死によって家督を継ぐが、南朝勢力の衰退に伴って勢力を失い、肥後に亡命して客死。
少弐貞頼 -1404
頼澄の子。北朝に帰順、本領回復。大内氏と宿命の対決を始める。抗争中に病死。本領の畳の上で死んだ唯一の当主。
少弐満貞 -1433
貞頼の子。大内氏と抗争。父の代に奪った博多を奪回される。さらに大内氏の攻撃を受け自刃、嫡子も戦死する。
少弐嘉頼 -1441
満貞の子。父の敗北により対馬に亡命、家名再興を狙うが果たせず客死。
少弐教頼 -1468
嘉頼の弟。幕府と修好して本領に復帰。しかしまたも大内氏に攻められ自刃。
少弐政資 -1497
教頼の子。大内氏が中央政界に向いていたせいか本領を回復、博多も奪取。しかし大内氏の矛先が再び九州に向くやまたも敗北、嫡子とともに自刃。
少弐資元 1491-1536
政資の子。細々と家を再建するが大内氏の追及激しく自刃。
少弐冬尚 1529-1559
資元の子。家臣竜造寺氏の助けで家を再興。しかし大内の謀略で竜造寺氏と対立、竜造寺一族を誅戮するが、反撃を受けて逆に追いつめられ自刃。少弐氏実質的に滅亡。
少弐政興 1534-?
冬尚の弟。家名再興を求めて大友氏を頼り、竜造寺氏と戦うが、果たせず本拠の城も1656年に落城、一命を助けられ出家。少弐氏完全に滅亡。没年不詳。甥が竜造寺に仕えたが沖田畷で戦死したとも伝えられる。
ttp://daimyoshibo.la.coocan.jp/ppri/shouni.html
滅亡するまで歴代当主の内、畳の上で死ねた人は唯一人、250年間ずっと殺し殺されやってるん家系とかもあるんだよな。
頭おかしい。 こうしてみると日本と欧州ってやっぱり似てるわ
あっちもウエストファリア条約以降は諸侯同士の争いがかなり減ってる 良くも悪くも、天皇を大事にしたからでね?秀吉は単に利用してただけだが、徳川は最後まで天皇を護るが主体だったと >>10
伊達政宗「あ?」
黒田官兵衛「えっ…」
島津義弘「はい?」 >>121
神仏分離は仏教弾圧が目的の改革じゃねぇぞ?
それまで不満持ってた民衆が拡大解釈して暴徒化したのであって、明治政府は寧ろ諌めてたんだけどな 敵対大名がいなくなったというのがわかりやすい理由だろうが
家康秀忠のシステム作りがうまかったのが第一だろうな >>120
鎌倉殿の13人観て鎌倉時代の歴史を勉強すると
大甘に感じるよな
古今東西歴史的に統一が成ると次にあるのは粛清だよ
中国の秦、漢、イスラムのアッバース朝、ウマイヤ朝
日本の天智・天武朝、鎌倉時代、室町時代、みんなそうだった
それがあたりまえ >>136
秀吉存命中なら余裕で潰せたよ
関東開発に家康が必要だったってだけ
家康は関東開発に全力を注いで秀吉の信頼を勝ち取って生き残った 日本全国同族経営にしたからだろ
種なし秀吉との一番の違い 朱子学は地上社会の癌 そのもの
発展することを拒み続けて停滞するだけだからね
260年の平和なんてものでは無く、まともな発展を許さない社会だっただけ
無能・徳川家康が実力社会を廃止して、思考停止社会を持ち込んだだけ 島原の乱をきっかけにキリスト教締め出したのが大きかったと思う >>143
いや小牧長久手で負けてるし
秀吉vs家康で秀吉が勝ちきれないだろ
それぐらい家康強かったわけで
もしまた負けたら天下人から転落になるので博打もうてない >>149
少なくとも
秀吉の種じゃないのは確実だろw 実際の所、平和かどうかわからん
小山ゆうの漫画とか徳川関係者は悪人だらけじゃん >>136
親族がいないもんだから安定のためには家康に頼るしかない >>148
天下統一した秀吉の力は小牧長久手の戦の時なんて比べ物にならないよw
だから家康は秀吉存命中は平伏する道を選んだ >>155
秀吉がかなりの懐柔策をとったから、だろ
潰そうとしたら家康を簡単に討伐できたか疑問だわ 徳川って各大名の力を削ぎまくって
各所に橋をかけない親藩譜代で固めて守ったはずが
アッサリ官軍の通過を許しまくってて
結局内弁慶のクソザコ連中で日本人そのものよね >>103
勝海舟の功績知ってたらその出鱈目な番組に騙される事はないからね
NHK()の大河じゃ語られないだろうけどw >>140
嘘つくなや
薩摩藩出身の田中頼庸はじめ明治政府関係者が廃仏毀釈を主導していたんやで 家康が鎌倉時代から信長秀吉の失敗まで研究しつくしたからだろ
家康本人も周りのブレーンも引き継いだ秀忠も優秀だった >>157
疑問もなにも経済力が桁違いだろw
戦争は経済力で決まるって小田原平定で見せつけて以降家康はもう勝てないと悟って秀吉の忠臣になったのよ >>149
当時も秀吉の子供だなんて建前上の話だけで認めてる人の方が少なかったのかもしれないな
だから求心力も強くなかったんだろう 100年間も戦ってたんだからみんな疲れたに決まってるだろ >>146
島国イギリスとえらく差が生じたのも無能のせいよな
経済、海外進出の面では無能
おかげで300年後の日本人が苦労した >>162
いざ家康を潰そうとしたら東日本の大名が家康につく可能性がある
元々秀吉にガッツリ忠誠誓ってるわけじゃないから
また反秀吉陣営を纏めるだけの政治力が家康にある
つまり、秀吉、家康の大名としての実力が拮抗してるので
討伐は容易ならざることになる >>166
ナイナイw
東国の武将なんて徳川の元敵だらけだぞw 100万石以上の大名を残さなかったのが大きいんじゃないか 外洋船の製造は一切禁止
船の帆は1枚までたった千石の小舟サイズまでしか許さず、海難事故だらけ
国内流通と経済の発展を妨げ続けただけ暗黒の260年
そりゃ海外からの侵略対象にもなるわ!
日本史に対して、大きな罪しかなかったのが徳川幕府の暗黒社会260年 マジレスすると
<長子相続の原則>を確立したからだよ
春日局の要請を家康が受け入れて
幕政は安泰となった >>102
殉死というか勝手にもう逃げられないと思い込んで勝手に自殺しただけやん
一緒にいたウラクサイは逃げたのに
>>108
リアルタイムで朝鮮出兵ならぬウクライナ出兵してるロシアだって冬将軍を知ってるはずなのに冬用装備が不足してるし 粛清や外征による過剰な軍事力の削減を豊臣がやってくれたから (´・ω・`)元日雇い土方で令和でもナマポの俺ですが
参勤交代→領主を人質
お国換え→地縁を切り反乱の芽を摘む >>165
日本は秀吉家康秀忠の作ったラインで100年間発展し続けたんだが
その後うまくいかなくなったらそれはその当時の人が改革するのが当たり前で
100年以上前の人間に責任を押し付けるのは見当違いも甚だしい 前田は102万石
伊達さんも徳川に味方したら秀吉に理不尽に取り上げられた福島側の領土30万石と10万石加増の約束してたけど欲張って東軍仲間の南部氏の花巻城で一揆を扇動したのがばれて反故にされた
欲張らなければ伊達領63万石に40万増えて103万石だった 土着の強そうなやつを転封、改易
重要地点は親戚に置き換える 権力を集中させない老中合議システムはよく出来ている 大名をサラリーマン化
今の自民党の議員みたいなもの
公認のためなら党の言いなり 何がダメって日本社会の発展なんてこれっぽっち1mmも考えてない
唯一考えてたのは、「徳川の天下存続」これだけ
そのためには、大名が困窮しようが社会停滞しようが民が貧困しようがお構いなしだったこと
百の罪あって一功無し
それが、無能徳川家康と朱子学暗黒江戸幕府 日本史の大不幸の260年 そもそも豊臣政権できてから大きな戦起こしたのは家康だけだしなぁ
豊臣政権の統治システムがそのまま江戸幕府がすり替わっただけだ
徳川がまずかったのはあまりにも海外交流や身分制限しすぎたために日本の停滞を招き列強に周辺国を荒らされ
やがて日清日露と日本が戦争を戦わなくてはいけなくなってしまった >>19
うちも武家で領地持ってたからな、余計な事すんなよ抜刀斎 今の鎌倉殿見ててもわかるが外戚、または執事的な家臣が
実権を握って主君をお飾りにしてやりたい放題するのが
1000年頃から600年くらいずーーーーっと続いてるからな 結論から言うと徳川幕府が圧倒的な軍事力になった
徳川幕府の支配地石高は800万石。旗本8万騎入れて総兵力17万人動員数で全く勝負にならない 倒した敵の子供を殺すのってかわいそうではあるけど、平家が助けてやった子供に恩を仇で返される形で滅亡させられたのみるに根絶やしは正解よな >>167
逆に西国に調略するかもしれん
いずれにせよ北条のように簡単に討伐できるタマじゃないよ >>1
天草の乱とかあったと思うけど。
ただ幕末を除いては、他の時代に比べて平和だったとは思う。 まあ家康が何の野心もなくそのまま死んだとしても
あの豊臣政権の脆弱性では内乱が起こって
それを利用されて植民地になってた可能性も十分あると思うよ >>188
まさにこれ。
過去の歴史から学んだんだろうな。頼朝早死にしたけど家康長生きしたからその準備も万端だったんだろうし。
直近で秀吉も見てるしなあ。 >>185
後半部分は判断が難しいな
鎖国がなければあっさり植民地になってたかもしらん >>193
北条馬鹿にしすぎだから・・・
北条は家康ですら勝てなかった大大名だぞw 徳川家康は世界の半分の金を保有してたんで260年間小判を発行できた
平和はカネで買うんだよ
幕末に金が無くなり小判発行出来なくなったんで終わった >>127
世界では内戦並みの扱いですよ。
特に(鬼公方)と言われた戦国武将が、
原城を水攻めで落とそうとしていたアホウ達に代わり、総司令官に付いてからはね。
キリシタンバテレン軍3万8千人
これに対して幕府軍を増強して総勢12万人に。
一挙に原城を総攻撃を開始してバテレン軍を皆殺しの惨殺。
悪府軍1万2千人も討ち死に。
合計5万人の死体の山が、あの狭い原城周辺に山積。
是を無造作に平然と、親子は成るべく纏めて上げて、土中に淡々と埋める幕府軍兵士達。
密かに観戦して居た、侵略植民地化の先兵の宣教師達が怯え切ってしまい其々が本国に連絡。
此処の民族の日本人達は、老若男女の全員が、全く死を恐れぬ恐るべき民族。
軍船の大軍を寄越しても、必ずや皆殺しにされて全滅にされます、御手出し無用!!!
是が効いてしまい、綱吉が鎖国を決意して発令したら全ての外国が、子犬の様に綱吉の言い成りに成ったそうです。
恐るべき日本人の正体は、ww2でも存分に発揮されて肉弾攻撃の連続で国連軍を震え上がらせ続けてしまいました。
その結果日本人は、連合軍を原爆に縋り付かせてしまい人類最初で最後の(多分w)被爆国民にされてしまいました。 昆布で儲けた島津藩が幕府を滅ぼすとか昆布強すぎだな >>197
鉄砲まで自分たちで作り始めやがったから植民地にするのは難しいって宣教師が本国に報告してたからそれはないよw >>198
それを言うなら秀吉は家康に勝てなかったやん 保元、平治の乱以降、全国政権の滅亡はすべてお家騒動が原因になってる
それを考えれば、家康が跡目相続について明確な基準を作ったことは大きな意味があった
江戸時代を通して徳川家は内紛を起こさなかった
(綱吉からの代替わり、家治からの代替わりなどはかなり怪しかった)
それでも宮廷内の争いにとどまった
お家騒動を原因とする大規模な兵乱というのはついに起こらなかった 外征を目論んでいたり実行した信長や秀吉が没落して家康の天下になったのも
太平の世を望んだ当時の日本人が選択した結果なのだ >>184
今沖縄を確保できてるのも薩摩藩のおかげだし
無能にとっては琉球も樺太も朝鮮も全部どうでもよかったんだよな
全ては徳川家のため!日ノ本は二の次!しかしその大事な子孫が400年後ベトナム人と結婚w
お家のためってのはくだらない >>184
戦続きの世の中が平和になって、一般庶民に至るまで生活はだいぶ楽になったんだけど、
それじゃ駄目ですか? 同族以外を排除しすぎた鎌倉幕府と諸大名に甘すぎた室町幕府の失敗に学んだから。 今でも徳川幕府が続いてたら日本はどうなってたんだろうか?世界からしたら北朝鮮みたいな感じなんかな? >>211
そう
長期にわたる天下太平による蓄積がなければ明治維新後の爆発的な成長はなかったろうな >>213
普通に江戸幕府も近代化しようとしてたから現在と似たりよったりになるんじゃね?
ただし戦前から皇室は象徴的立ち位置で実権は徳川家が握るかたちになるけど >>213
徳川が倒れてなかったらロシアとイギリスの植民地になってたよ >>1
徹底した管理社会作ったから。
大名に土地を与える代わりに、家族を江戸に置き人質として管理。
あらゆる治水やインフラに各藩から寄贈させた。
それを300年間維持して富を江戸に集約。
鎖国により藩が力を持つのを抑えた。 江戸時代って長い割には、その土地に根付いた歴史や文化なんかは余り文献残ってないような…
あちこち旅行したり、住んでみても >>211>>214
豊臣時代のまま大航海時代に乗っていれば、さらなる発展するし経済も沸騰して人口だってもっと増えてるよ
平和になって楽になったとか、それこそが江戸幕府朱子学洗脳そのもの
退化しきった中世暗黒社会から近代化が必要になった明治維新なんて、そもそも必要ないんだからw >>198
天正壬午の乱で大軍を動員した北条が徳川に敗北を重ね不利な条件で和睦した事が後年の小田原征伐の遠因やぞ 本当にそんな戦いあったんだろうかね。今生きてる人間誰も目撃した訳ではないし 人質を大坂に集めるのは秀吉もやってただろ
他の大名の人質を無理矢理あれこれして嫌われたのが三成なんだから >>217
徳川慶喜も議会を開いてフランス風の共和制にする考えだったからな >>209
逆にどのタイミングで家康を潰せばよかったと思うんだ?
俺はどのタイミングにしろ家康を潰すのは困難極まると思うぞ
だからこそ秀吉は家康を懐柔したわけで >>227
そもそも秀吉にとって家康は忠臣の一人でしか無いからなぁ
関東開発でからっけつの家康を秀吉が潰しにかかる理由がないのよ
秀頼のために家康潰しておくべきだったとかそういうのは先を知ってる俺たちだから言える話w >>225
参勤交代の目的は人質じゃなくて、その費用負担で戦費を作らせないため むしろナイスタイミングで死んだのは信長だよな
信長が完全に天下取ってたらキリスト教国家になってたかもしれないし
もう少しで全国制覇間近ってところで光秀に殺されたから英雄視されてるわけでね
日本中をキリスト教にしてたら本当の意味で魔王扱いだったかも知れない >>6
大名扱いの家って石高200石でも参勤交代したらしいな >>222
中央政府が貿易を管理できないと国内が安定せずに崩壊した可能性ある
絶対王政と一神教による統治は日本ではできないし >>222
大日本帝国の軌跡が数百年早まれば大英帝国と肩を並べることもあり得たかもな
可能性だけだけど
今はG7の末席付近で資源がなく江戸時代のように階層が固定化し始めて衰退しまくり >>222
全く持ってナンセンス
あの時代は内需に力を入れて正解
当時の技術力と国土には開発するだけのポテンシャルが十分にあった
だからたった100年で人口も経済力も倍増したんだよ 参勤交代で地方の財政はボロボロ、かと言って中央も同じく財政難って戦してたほうがまだ生産性あったんじゃね? >>222
封建社会が継続する以上は、他大名に対する厳しい統制は必須だっただろう。
それとも他大名に自由にさせて、日本が戦乱のリスクに晒され続けているほうが良かったとでも言うのかね。
戦乱のリスクが経済の成長を阻害することは全く頭にないのかね。 >>215
幕末に、外国船打払令とかで出費がかさんでやめようって話が出るんだけど、幕藩体制の根幹だからだめだって、意見が出るんだよねぇ
実際やってしまって、もう1回戻そうとするけどだめだった
わし、コロナ禍で行事ができなくなった町内会がどうなるか、少し心配しておる
金は余ってるはずだけど、会費の値下げとかを1回やったら、もう戻せなくなるだろうけど、それやってしまうとコロナ禍が終わって元の行事やろうとしてもお金が足りなくなる 大きな船一切禁止
一級河川には橋を掛けてはいけない
国道での車両通行禁止とか
そりゃ中世暗黒化もするわw
徳川一家を守る為だけに何でもアリ
ろくでもない政権だよ、朱子学江戸幕府
日本史上、最大最悪の癌時代 >>19
明治は薩長・・・つまり毛利と島津、豊臣の重臣が天下を取った世界が今、
日本国の家紋が桐花紋なのは豊臣の家紋だから >>238
街道や宿場町が整備され、職人が各地に生まれた事実を無視してはいけない >>33
日英同盟も憎んでるみたいね あれで日露戦争に勝って、日韓併合につながったって 参勤交代で無駄金使わなきゃならんし人質は取られるし移動は過酷だしで大名ってなんの為に大名やってたの?庄屋とかの方が楽しそう 厳しい規制で諸大名の力を奪ったからじゃね
あと徳川が天下取って割とすぐ金山発見したじゃん
あれで徳川がめちゃめちゃ力をつけた >>238
徳川政権は各地に関所とか作って橋かけるのも駄目!とかやってたからなw
経済より徳川最優先政策しまくった結果が国内の停滞 参勤交代かなやっぱ
定期的にお上りさせて
真のトップは徳川やと刷り込み洗脳
各国の財政を各地の街にばらまかせて謀反できないように生かすも殺すもせず統治
金がないと戦争できないしね >>229
最終的には共和制になるでしょ
日本でもブルジョワジーの力は無視できんし >>157
潰そうと本気出して準備してたら伏見大地震でやる気無くなったんだっけ? >>66
う~ん 欧米列強はもっと続いて、沢山武器売り込んで、借金の方に分割統治する気だったみたいね >>248
まあその金も湯水のように海外に流出させちゃったんですけどねw
幕府が金無くなるやべえってようやく気付いたのは綱吉が死んだ後の頃だったかなぁw >>249
江戸時代は参勤交代で五街道を通るから関東東海関西はウハウハですけどね
堺も一回焼け野原にした後家康が商業特区として再開発したし >>251
共和制にはならんでしょ
天皇がおるんやしなるとしたら立憲君主制よ >>222
信長ももっと長生きしてれば
秀吉と二人三脚でドイツと同盟して
第二のトルデシリャス条約でもって、地球を折半してるよ
ロシア・中国・朝鮮は存在してない
世界の共通語はドイツ語と日本語だろう >>254
当時の北海道の一部はプロイセンに割譲する寸前だったらしいな 徳川潰せそうな時期の秀吉は直系の子供がいなくてリスク負ってまでやる気でなかったんじゃねーか?
独り身でガンになってももういいや治療しないって人割といるやんね? >>254
結局日本人が天皇の威光にめっぽう弱いって知らなくてあてが外れたのが笑うw 戦国時代は群雄割拠の時代だけど皆早く終わらせて平和にしないと欧米列強に遅れてしまうと考えていたので江戸時代は平和で発展したわけよ >>256
宿場町が儲かる程度の経済効果なんてマジでゴミなのよw
いま関所と撤去復活させてみ?あっという間に経済大混乱だから >>262
日本の戦国時代に欧米列強なんて存在しない 戦国時代の終わりは....
1、本能寺の変
2、秀吉の北条、奥州征伐完了
3、関ヶ原の合戦
4、江戸幕府の成立
5、大阪の陣
6、島原の乱 >>257
そもそも天皇を担ぎ上げようというのは倒幕側のやり方であって
慶喜が天皇を担ぎ上げる必要性を感じていたかはわからん 家康は読書家で鎌倉幕府6代将軍記(全52巻)などを精読していた
ここが信長、秀吉との違い 島国で外敵こないから国内で敵対勢力の弱体化に腐心した 実際のところは島津や伊達などの一部の大名以外は、長い戦乱で配下豪族が強くなりすぎて体制を維持できなくなっていて、もっと巨大な組織に支配のお墨付きを貰いたい状況になっていたらしいな。 >>267
公武合体も知らんのか?
むしろ先に天皇担ぎ出してたのは江戸幕府側やぞ >>243
そうだよ
日本は2つの力が交互に権勢を発揮している
天津神、国津神
山幸彦、海幸彦
大和、出雲
天智、天武
山部、大海人
中臣、忌部
天武天皇が記紀を編纂して国家神道を制定
室町時代に藤原氏の吉田氏が吉田神道を支配
忌部の織田が宗教改革して
初の藤原氏以外の摂関家に豊臣氏がなり
豊臣氏を滅ぼして摂関家を藤原氏のみに戻した徳川氏
江戸時代を通して藤原氏の吉田神道が完全に神道を支配
明治維新で豊臣家紋の日本政府、天武天皇以来の国家神道を復活させて吉田神道解体、藤原摂関家はその他華族と同列化
藤原摂関家がソ連共産党や米国ロックフェラーと繋がり日本を敗戦革命
戦後日本は藤原摂関家が重役を支配
その戦後体制が終わったところ >>272
戦前は他の華族と同列で大した事なかったのに
戦後体制でいきなり重役を支配した藤原五摂家
近衛家
日本赤十字社名誉社長。国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任。
医療すなわち日本人の生命を支配
鷹司家
伊勢神宮大宮司を経て神社本庁統理。善光寺では占領期にいきなり二住職制が導入され、現在の大本願上人は鷹司家。
宗教(神道と仏教)すなわち日本人の精神を支配
九条家
平安神宮宮司、明治神宮権宮司など。
鷹司家の采配で神道の現場を支配
二条家
逓信省電気通信研究所無線器具課長、郵政省電波研究所次長、同省電波監理局監視長、同局次長などを歴任。伊勢神宮大宮司。
電波放映(テレビ電波、ラジオ電波など)を支配して情報統制して日本人を洗脳して戦後体制を監視
一条家
アンダーソン・毛利・友常法律事務所顧問。
法を支配して占領憲法を堅持して戦後体制を監視 明治維新は単なる関ケ原の戦いのリベンジだった
明治政府軍は徳川の開国に対して攘夷で外国を打ち払えの立場だったので政権交代した時に開国を止めるかと思ったら真逆の開国をやった
元々の目的は豊臣派のリベンジ >>263
とはいえ、流通経済金融の目覚ましい発展は江戸時代だからなぁ >>232
信長も硝石目当てに宣教師たちと南蛮貿易してたわけだから
別に心の底からキリスト教に染まってるわけじゃない
遅かれ早かれ秀吉のように政策転換してると思うよ >>264
欧米列強ていうのは黒船以降の発想かもだけど
早く戦国時代を終わらせて平和にしなければと武将達が思ってたっていうのは読んだよ 加藤を毒まんじゅうで暗殺して
福島を改易したからだろ >>270
伊達家臣団は滅ぼされた名家の家臣団が流れてくるから凄まじい名門揃い
人取橋の戦いで滅ぼされて伊達家臣団に加わった田村氏は坂上田村麻呂の子孫を自称するレジェンドw
関東の三浦だの安達もいる 江戸時代の庶民の暮らしってそれ以前の時代と比べて良くなったの? >>241
享保の改革
寛政の改革
天保の改革
全て経済抑制策の愚策なんだが改革とはコレ如何に
まるで現代の消費増税をみるような基本的な知識もないのが政権を握ってた暗黒時代 ID:kVRysrsX0 の意見はタラレバばっかりで具体的な話が何もない
挙句の果てに秀頼托卵説?家康は負けてない?西国を調略?小説ばっかり読んでる高校生かな? >>278
当時の日本人がヨーロッパをどう認識していたかはともかく、
その当時のヨーロッパにはそこまでの実力はなかったからな
ヨーロッパがやばい存在になるのは産業革命以降でしょ >>281
戦国時代までと比べて、江戸時代の人口増加のカーブがキツくなっているわけだから
庶民の暮らしは良くなったと言える >>282
それな
全部、目的が財政再建なとこが笑える まあ平時には食うには困ってないんでなけりゃもっと世が乱れてただろう >>275
関ヶ原の戦いはたった6時間で終わってしまった
西側の武将は不完全燃焼のまま250年以上負け組扱いだからな こういう話になるとその当時の軍事力ばかりを重視して、人口や思想といった部分を無視しがちだと思う 実際、この時代、タイミングによっては戦が無くて戦功を報告するなんてことも無く
出世も出来ずに死んでいったやつ多いんだろうなー
バター犬のようにひたすら舐めるだけ 京都を離れたので寺の坊主がデカい顔できなくなったからだよ >>282
江戸幕府の三大改革w 質素倹約・奢侈禁止令
でも未だにそれを教科書で改革と称して教えてるんだよ?
教えてる方も朱子学洗脳に未だに取り憑かれてる無能揃いなんだよ
悲しいけど、これが日本歴史教育界の現実 >>155
小牧長久手での直接対決では勝利した徳川だが、織田信雄が単独で秀吉と講和したことで大義名分を失った上に、領内は継戦困難な程疲弊した。
秀吉側は再戦に向けて準チョコレートだったものの、天正大地震での被害が大きく断念。
家康にしても、秀吉にしても戦どころでは無かったというのが現実だし、
結果として諸侯で唯一軍事的に勝利した実績を持ち、秀吉の妹の夫(近しい縁戚)になったのは、家康にとっては後の天下取りに大きな第一歩になった。 >>276
参勤と年貢米なんかで成り立ってる経済なんかで目覚ましいとか言ってたから駄目になっちゃったのよ江戸時代の日本はw
今もそうだけど一番経済を活性化させるのは貿易だからね。海外事情に疏すぎて産業革命乗り遅れたのは本当に痛かった
ほんとギリギリのタイミングで幕府潰れてくれて日本は助かった >>290
いや東軍の黒田や加藤や福島も西国だろ…
むしろ石田三成の息子を匿ってたのは青森の津軽氏だし… >>293
戦うしか能がない奴は海外に傭兵として出向き
そのまま歴史から消えていきました >>290
毛利はわざと無気力戦やってたのに
幕末は関ヶ原の恨みとかやってるからわけわからんわ 豊臣側の関係者をしこたま討ちまくったからじゃないの?そういうのが残ってたら後が面倒くて切りがないから戦国がいつまでも終わらない >>300
そら出陣しなけりゃ所領安堵の約束だったのに終わったら所領没収だものw >>184
朱子学で日本人の行動原理が体制の維持になってしまって、それが現代にも残ってるのは大きな問題だと思う
内部の力関係ばかり見てて変革ができず、外界の変革にもついていけない >>297
米や参勤交代云々は経済の一端でしかないな 寛政、天保の改革は戦後日本史では反動政策として否定的に教えられる傾向が高かったと思うが >>305
じゃあ日本が産業革命無しで列強に並ぶ道を教えてくれるかな?w 秀吉は家康に相当の借りを作ったからなあ
死の前の床で秀吉に手を取られ秀頼を頼むとか言われて笑い堪えるの大変だったろうな 江戸時代は守護大名が強大だった室町時代と比べて
外様大名は小さいし少ない
織田・豊臣時代までで大半の在地勢力がブッ潰された上に、
幕府開闢50年くらいで大半の地域が譜代大名の支配となるし
そりゃ戦乱も起こらんわなぁ、とは思う >>291
経済なんて、政治的安定があってのもので、今もそれは全く変わらない
経済経済と支那に飛びついた連中がどうなるのか、見もの 薩摩に長州、土佐
結局中央から遠いと統制取れなくなる >>308
家康がその気になったのは秀吉死後かなりたって反三成派や家臣連中に担がれてからだから
ぶっちゃけその時は本心から秀吉の遺言守ろうって思ってたよw 御三家とか作っといて晋みたいに八王の乱がおこらなかったのすげーよな 関ヶ原後の大名配置が芸術的に見事だったんだろうな
本当は島津とかも潰しておきたかったんだろうけど 鎌倉時代から生き残った3人衆の島津もごねられたらなんだかんだ手を引くし徳川に味方する約束してたのに一部家臣が勝手に大坂方についた南部氏も許してるし味方の東軍攻撃してた伊達さんも許されてるしなんだかんだ家康が箱の隅つついたのは国家案康と築山殿だけでしょ
室町幕府だったらここぞとばかりに取り潰されてるよ
足利義政とか俺と目を合わせないのは謀反企んでるからだはい族滅とか酷い言いがかり 思考停止「戦がなくなった平和のお陰で~」
未だに朱子学洗脳に染まってる輩がこのスレにも沢山居るし
旧態依然、日本の歴史教育の貧弱さ を如実に物語ってるね
これは世界と社会経済に無知な歴史学者にも大きな責任がある >>48
東海道新幹線を支配している
JR東海が主な開発機関で開発期間だから
そうなるだけやろ
東阪通すのに
名古屋を無視もありえんし めっちゃ血縁マニアだったんだぜ
ジャンプ漫画の信者的な 同じ脚本家・同じ役者なのに「独眼竜政宗」と「葵徳川三代」で家康の性格が正反対なのワロタ
https://nico.ms/sm7536589 国津神 ユダヤ教っぽい人達
天津神 キリスト教っぽい人達
一緒に上手くやって行こうぜ >>139
ロシア、中国、インド登場
まあ米国との差がつきすぎて、喧嘩できないと悟ったのでしょう 重臣になる家には大禄を与えず、親藩には政治参加させず、地方で大きな権力を握りそうな鎌倉公方みたいな役職は作らず
うまいよな >>215
そうでもないぞ
200石は年収で言うと2000万円
余裕で江戸まで旅行できるだろ >>8
一揆は戦でないぞ。
茶番みたいな扱いだからな >>63
それでは何処にだよ
全体の歴史を見ても
自分たちが暴れた室町時代みても
近畿に置くってありえん
名古屋か江戸か >>326
鎌倉公方や鎮西探題は失敗だったと分析するの凄いよな 日本って基本的に平和だったんだよ
戦争ばっかりしてた時代を戦国時代と特別に呼ぶぐらい
だから江戸太平の世も別に珍しいというほどのものじゃない
徳川が支配が上手だったのはあるだろうけど 平安時代も末期以外は概ね平和だったよ、武力支配じゃなかったのに >>307
そもそも江戸時代において流通、金融、経済の発展によって工業化社会への移行の下地の醸成と、資本をたんまり貯め込めたからこそ
江戸後期から明治にかけて日本でも産業革命成功したのでは? >>63
京都に幕府置いたら、
足利将軍家みたいに軟弱な公家貴族化して地方大名が将軍舐めて離反する
東国に幕府開いて、京都と距離置いた徳川将軍家は正解だった 家康が吾妻鑑愛読してたから こいつらアホだよといいながらw >>336
>流通、金融、経済の発展
これは、まさに豊臣秀吉の遺産、大坂を作っておいてくれたからだよ
徳川家康は、米だけで作ってれば良いというそこらの農家の親父脳 >>140
寺が幕府と組んで民草支配してたの知らんの?
普通に既存宗教の弾圧だよ 鎖国のせいだろ
外国からの武器管理を徹底した
維新で英国から大量の武器弾薬を輸入できるまで
大規模な反抗は無理だった >>234
道中でいかにお金ばらまいて派手にやるかで家格が問われると聞いた >>18
これと国家神道は中国の文革に匹敵する失敗だよな
中央集権国家にするためが理由なのも中国と同じだし >>345
参勤交代御一行を止める宿場町の利権争いもあったらしいね >>343
これ
加藤清正と福島正則を潰したのが大きかった >>123
いやいや、改易を飲み込ませただけすげーよ
関ヶ原の後、本気で毛利島津潰しにいこうものならとんでもねえ戦になってたろうよ、何せ毛利島津は関ヶ原のダメージ無いし立花や長宗我部も手を組むだろうし下手すりゃ東から上杉がやってくる可能性もある >>40
そして徳田新之助がお膝元の悪の芽を摘んでたしな あと徳川の情報機関がとても優秀で
全国の裏情報を知り尽くしていて事前に謀反の疑いありとみた場合
徹底的に潰していたとか? >>351
九州の爆弾福岡の黒田がいるじゃん
官兵衛はその気になったら九州制圧余裕みたいな事言ってたんだよな
もう少し関ヶ原が長引いたら九州取れただっけか 豊臣潰して徳川一強になっちゃって他の大名は太刀打ちできないから そりゃ身内差し出して陣地の保証を受けて 内通者が普通に跋扈してて謀反すらさせない参勤交代だからな
それと帝という天皇の存在も大きかったかも まあ秀吉は下剋上だったからね
家康もそうなんだけどさ まず朝鮮征伐で
殆どの大名のチカラを秀吉が
削いで、出兵しなかった家康が
結局余力を温存させた
関東へ左遷させたのが秀吉のミス
まぁ家康が朝鮮征伐に行ってたら
朝鮮打通して明征伐になってたろうな >>361
家康を朝鮮に派遣して活躍されたら朝鮮に所領与えねばならず、海の向こうで独立されたら困る >>362
海の向こうなら問題ないわな
江戸に島流しにしたのも
似たような理由や
何百年も朝鮮人やら犯罪者を
朝廷が送りこんでも一向に発展しない
お荷物地域だった関東をなんとか
開拓しろという一大事業だった
訳や国替えは
古代から豊かで栄えて、人心の
優れた東海地方と
言う藤原氏も平家も織田も徳川も
排出するチート地域から
ゴミの魔窟である関東に島流しに
したのよ >>354
そうしたら敵が島津立花連合から如水加藤軍団に変わるだけなんだよなぁ…
上杉と治部が成敗された後の逆賊討つべしの大義名分が無くなって、島津義弘が国元に辿り着いちまった事により義弘の独断で島津は東軍の味方ぞ。となっている時に強硬征伐行こうもんなら秀頼(まあ淀殿の意見になるだろうけど)から許可出ないだろうし、それに歯向かったらダブル加藤 福島 藤堂 前田は即秀頼側に付くだろうから逆に徳川は滅ぶだろうよ 朝廷の権威が落ちて戦国時代になった
群雄割拠していた連中はみんな豊臣の家臣になって平和になった
徳川が反乱を起こしてみんなを家臣にした
その後反乱を誰も起こさなかった >>17
それ、徳川幕府できて300年経ってからのことだからw
300年保てば十分だろ >>258
井沢元彦のトンデモ歴史本とか好きそう
>>364
朝鮮人の血は関東より東海関西の方が濃い
名古屋ブスっていうか河村たかしみたいな系統のブクブクして角ばった顔つきが多い
https://i.imgur.com/nWHvaQi.jpg >>159
勝海舟は福沢諭吉にディスられまくりなんだがな
アメリカに渡航した頃から何度も船酔いで吐いてた
情けない奴から始まって >>243
桐花紋は、古くは室町幕府や皇室が使っていたもので、豊臣も権威付けのために踏襲して使ったに過ぎない。 >>328
貨幣経済が発達してない頃の200石だからな
200石だと20haの農地と領民が居るからな
ざっと200人程度の集落の長だ
今の2000万円の年収程度ではないな
現在の人口比でいう従業員1000人くらいの
社長と同等だろう >>137
フランスはファルツ継承戦争スペイン継承戦争
オーストリア継承戦争七年戦争(フレンチインディアン戦争)ずっとやりつづけて
負債がフランス革命で爆発 だから、ロシアと中国を滅ぼしたらその後は平和になるんだよ >>340
家康が米だけ作ってれば良いって何をもとに行ってるの?
本格的な貨幣経済を導入したのは家康だし朱印船貿易も積極的だったんだが 参勤交代はよくできてるよ
本来目の届かない遠方ほど独立謀反のチャンスがあったはずなのに 徳川の世じゃなくて鎖国してなかったら、どこかタイミングで欧米とガチンコでやり合ったはず
結果、吉と出たか凶と出たか 駿府徳川150万石
豊臣200万石
江戸転封徳川250万石←これ 武家諸法度で普代だろうと少しでもあやしいヤツはお取り潰しだしな
そりゃ、戦無くてもビクビクもんやでー >>383
家康もよく関東転封を納得したよな
住み慣れた東海を捨てて
石高が増えるから、それで了承したのかな? 小泉竹中のやった緊縮財政デフレ不況とか
江戸幕府の3大改革みたいに
平成の改革と呼ばれて
経済発展を妨げた馬鹿改革と
将来の教科書に載るんだろうな 正直みんな疲れてて、温厚な徳川でいいやみたいな流れだろ >>383
徳川家250万石には譜代家臣領も含まれてるが
豊臣家の石高に
秀長の大和大納言家100万石
秀次100万石
秀勝28万石
とか親藩領が含まれてないし
福島正則や加藤清正とかの譜代領も含まれてないから比べ物にならない 今で例えると周金平だな
裏では相当えげつない事をしておる 沼地湿地だった所に東京都の基礎を築いたんだぜ
非凡な偉人ですわ 鉄砲が強すぎるから大名から鉄砲を取り上げて
最後に自分の保有する鉄砲を処分したとか見たけど
そんなにうまくいくものかね 親兄弟が憎しみあって殺しあう様な状態が何十年と続いていたから、
もうみんないい加減嫌気がさしてて、秀吉じゃあ治まらないから
徳川でもういいやコイツで感でああなったんだろうよ(´・ω・`) >>369
お前はワイドショーに怒らされているだけの情弱テレビ教徒か
それとも南京大虐殺をシナ猿大使の前で堂々と否定したり
韓国人による反日ヘイト展覧会に抗議したのが憎いのか? >>397
下っ端のチョンを叩きのめしたことで
半島からの侵略を牽制したんだぞ 信長はパワハラ野郎だし、
秀吉も負けず劣らずのコンプレックス丸出しのパワハラ野郎だったし、
そこそこ強くてそれなりに筋が通る徳川でいいやみたいなチョイスかと
生まれが不遇だったのが幸いだったな
エリートだったらパワハラ野郎でまた戦乱だったよ >>396
生類憐みの令は効果があったようだ。
↑
これ以前は漁師と、山間部の農家が狩猟用として相当数の鉄砲を持ってたが、名目が無くなり取り上げられた。 パワハラっていうかロジハラでめんどくせー奴だったかもな
私腹肥やすだけのエロおやじだったかもしれん 家康が信長秀吉を半面教師にし
大名の力を削ぎ、血統血筋を重視し、周辺国と仲良くしてシステムの面からガチガチに固めた結果 >>384
国内が安定してたから外に出ただけやろ
なにも矛盾してない IT戦国時代だとすると、信長がホリエモンで、秀吉がZOZOで、徳川が三木谷かな?
って感じする
この国のメンタルってこんな感じで決まるんやろなって
そんなスゲー奴が天下取るって感じでもなく、そこそこの奴がそこそこで上に立つ感じ つか徳川って藤原氏かなんかだろ
だから天皇家だからコイツでいいやってなったんよ
無理に京都取りに行かない感じが全体的に好感持たれたんやろねー 役不足、実力不足の出来の悪い低脳の関西人どもが日本を仕切ってたのが
関西人をクビにして関東の人間が日本を指揮するようになったんだから当然の事 単純に徳川新譜代連合が反徳川外様大名に対して
圧倒的経済力軍事力を有してたからだろう ひらがなもカタカナも
畿内のお人がつくらはったんえ? >>386
秀吉に逆らうと、尾張大納言・織田信雄みたいに取り潰されるから
旧主家である織田家ですら取り潰されるから従うしかない 島原の乱は、江戸時代初期に起こった江戸幕府のキリシタン弾圧に対する反乱。
日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。 スペインが勢い失ってオランダとかが台頭してきてアジアを重視しなくなったから 島原の乱鎮圧の1年半後にはポルトガル人が日本から追放され、いわゆる「鎖国」が始まった。
この内戦以降、禁門の変までの約230年間、死者数が3桁に及ぶ内戦は記録されていない。
これは19世紀以前の世界の他の国々では他に例がない平和の世である。 家康は淀君を悪女に仕立て上げて豊臣滅亡の理由にしたんだよ
たぶんそんなに悪い人じゃなかったと思うよ 信長と秀吉に有力大名はほぼ淘汰されて
徳川が天下取った時には上杉、伊達、毛利、島津くらいしか外様大名居ないしな
それらも領地減らされ力削がれて大人しくなった 豊臣秀吉も源氏の養子になって将軍になるべきだった
現に足利にそう申し入れている
それがなぜか藤原姓になって関白になってしまった
天皇の養子になって天皇になったのは居ないな
小室に期待だ
小室天皇は新たな時代を造るだろう
こういう恥知らずで図太い人間でないと歴史は造れない >>425
信雄改易しなければ、同じく内大臣の徳川に対抗できる大名だったのに
晩年の秀吉は、どこか空回りしてる 大坂夏の陣の翌年に死んだ家康
やり切った感でいっぱいだっただろな まあ、秀吉がいい意味で先に失敗してくれてることも大きいな
朝鮮出兵の失敗でさすがに江戸時代に大陸攻めろなんてことを言い出すやつはいなくなった
家康は秀吉の犯してくれた失敗の上に統治体制を築いたようなものだ
まさに羽柴がこねし天下餅だ なんで徳川の時代は北条氏のように将軍をお飾りにして実権握る勢力が現れなかったの? 京都から離れたからじゃね?
信長は、貴族に唆された明智に京都で殺されたし、
秀吉は、毒殺されたとか性病とか言われてるが、どうせ裏に貴族が居てたはず! >>11
これやね
他にも普代(昔からの家臣)大名は厚遇はするが、大きな領地は与えない
あと、長男が原則相続
室町時代とかは有力家臣が力を持ち、一発逆転を狙ってお家争いをきっかけカオスに発展していくパターン >>196
家康の愛読書は吾妻鏡やったそうやから
さもありなんやね たしかに相当えげつないことして天下取ったのに200年も地位を守ったのは頭が良かったんだろうな(´・ω・`) 島原の乱忘れるな
島原藩主松倉重家が石高を高く報告してしまったせいで農民への徴収が厳しく
庄屋の嫁の妊婦を拷問の末に殺してしまったことが発端になり
そこに反乱で駆け付けてきた元豊臣家浪人やキリシタンが混じり
4万人近い軍勢になったため征伐に向かったが初戦で大名の板倉重昌が射殺される事態になり
幕府側が立花宗茂や宮本武蔵など戦経験者を呼び集めて廃城になった原城に押し込められ壊滅した
それ以後、戊辰戦争まで大きな戦が起きなかった >>438
譜代については中期あたりまでは国替えを頻繁にやったしな
これも土着化を防ぐためだろう 豊臣家は滅ぼさなくても平和になってた思うけどね。
関ヶ原が終わったあとの徳川の石高は450万石以上で全国ぶっちぎりの多さであり、その分兵隊も多くて大名は誰も逆らえなかったし。
前田黒田細川浅野他有力大名も従ってたし。
鎌倉幕府と室町幕府は将軍執権が直接采配できる兵隊が少なかったから乱が絶えなかった。 >>66
倶利伽羅峠の戦い:7万5千、うち木曾義仲5千 >>432
酒井忠清が4代家綱の後に宮将軍迎えようとしたとか言われてる BSで再放送してる「おんな太閤記」が、めっちゃ面白い。 >>444
光格天皇知らんだろ
孝明天皇の曽祖父で、幕府が内政や外交に消極的だったから
天皇自ら仲裁に入って対処をし庶民から人気を得たんだけど
光格天皇の父親を天皇の位を与えようとしたら幕府から妨害され
政治から離れ太上天皇即位し幕府転覆を狙った
豊臣家を滅ぼさなかったら末裔に光格天皇みたいな人材が出ていたかもしれん 徳川家康が豊臣家の家臣じゃなくなったのってどのタイミングなの?
征夷大将軍になったのがそうだとすると、その前に朝廷に工作なりしてた段階でも実質的に家臣だったといっていいの? >>12
秀吉の時代も人質は取ってる
戦国時代も含め、傘下の武将からは人質を取るのが基本 >>432
実際政治に積極的だった将軍は綱吉までとあとは吉宗と慶喜くらいで
老中による合議が幕政の中心だったのでは
好き勝手する老中が出てくる可能性はあったかもしれんが
幕政には関われないものの何かあれば大兵力を動かせる御三家が抑止力になったのかもしれん >>447
オンデマンド入ってるけど見たことないんやけどマジで面白い? 世代も入れ替わった上に、戦国疲れで
徳川で、もうえーわ。になったから 日本の外に共通の敵がいる事がだんだん分かってきたからだろ? >>444
一度は豊臣家のものになった天下を徳川が奪ったのは間違いないからね
豊臣家が存在する以上は豊臣家のものに戻すべきという思想が生まれる余地ができてしまう あんまり日本史で大きく取り上げられんけど秀忠家光の大量粛清が一番大きいやろ
関ヶ原の処理と合わせて九州西国大名が代々維持していた大陸との交易路も接収できたのも大きい 結論とことん不安要素を除去したからだよ
国外勢力との結びつきをなくし
大名の政治基盤を脆弱にし
新興勢力の台頭を許さず
中国の統治を参考にすると非常にわかりやすい >>1
ほんとだよな
歴史を知れば知るほど徳川の手腕に興味湧くわな >>29
秀次ポジションを生かしたために起きたのが応仁の乱や観応の擾乱だからなあ >>432
北条氏、高氏、上杉氏など、トップの補佐役が世襲家だとそういうことが起こるが
江戸幕府はその辺も考えて回避した >>1
色々ルール作ったから、刀ダメ、参勤交代しろ、勝手に城作っちゃダメ、城増築もダメ、何かあると報告して指示を待て 島原の乱や由井正雪さえ知らないバカが、日本語を使ってんだからなw 信長いいね信長ダメ 光秀いいな光秀ダメ
秀吉いいね秀吉死んだら終わったな
家康いいね→→→徳川ダメ 龍馬いいね龍馬目立ちすぎダメ 西郷いいね西郷ダメ
大久保いいね大久保ダメ→総理いいね総理ダメ→総理無限ループ 関ケ原で家康倒してたら今頃大阪が首都だったのにと思うといまだに悔しい >>466
当時は江戸は田舎ですからねって家康が行ってたよ。 >>445
五千で七万破ったのか
平家は大将が顔に白粉とお歯黒して貴族化した弱兵だからなぁ >>469
斉藤実盛みたいな熊谷の武士も入ってるぞ 血気盛んな家光は台湾鄭成功からの救援要請受けるの前向きだった 第三次世界大戦が起こらないのと同じ理由だよ。
もうコリゴリなんでしょ戦争が あれよ、他の奴らは俺が俺がで天下取りたがりのアホだけど
家康だけはどこか一歩引いてるからノーマークで居られたんだよ
信長にも秀吉にも殺されなかった
で、そのうちに着々と足場を固めてった
「あ、家康さんなら良いっすよ(国取られる事無さそうだし安心安全)」
みたいなノリで
気づいたら天下取ってました感 で、それだとあまりにもカッコ悪いんでなんか凄そうな話脚色してるから嘘くさいだけでね
あれ?俺また何か天下取っちゃいました?みたいな流れなんよ(´・ω・`) 豊臣家が滅ぼされたのがきっかけで家康と三成が反目して関ヶ原の戦いが起こったし
その数年後には本能寺の変で信長が死んでるし
その後も上杉武田なんか何回も戦ってる >>281
平和な時代だから食料も安定供給されるし大都市に人は流れてきてそこで住宅や店も出来て人も金もあるから文化が生まれた。 >>290
元々徳川は豊臣の重臣なのに豊臣を滅ぼしたので逆臣、それに他の豊臣の重臣は負けてしまった。小早川の裏切りもあったし。
毛利は毎年正月には家臣から今年は敵を討ちますか?まだはやいの問答が恒例行事になっていたという。 本来必要無い関ヶ原の戦いで人減らしして更に各武将に牽制、幕府開いた後も何でもないことで難癖付けたり本当に何もなくても改易、お家おとりつぶしで譜代外様関係なく弱体化させたから >>297
年貢米はなかなかの発明。災害時にいくら貨幣があっても食うものが売ってなければ意味がない。米だと食える。
神社は高台にありここに米の備蓄されていた。災害時に使うため。 天皇ちゃんと囲める体制作れたから
ということで秀忠の役割が大きい 明治維新?!?
そんなモノは無かったんだよ!!
奴らがやったのは
神道潰しさ。
公家やら旧家の支配層
を殺して
金も銀も外国に融通。
つまりは〇〇はそっくり洋服に
着替えただけ。 天皇?
メディアだけの存在。
いいか?
今も昔も紙面やら画面の中で
作ってるだけだ。 出雲の銀と薩摩の金
それがキリスト教圏の狙い。
それを奪うため
いや世界戦略だよ。
奴らのな!
それが明治維新と呼ばれた乱の
正体。 徳川幕府の力の源泉は250年天皇を監禁したこと
朝廷への独占アクセス権を持っていたのが将軍家
徳川幕府は史上初めて天皇を法の下に置いた
しかし250年ぶりにだねって孝明天皇が出来た時からが終わりの始まり
孝明天皇は徳川幕府がんばれ派だったけど、天皇の権威が解き放たれるときは
天皇がどう思ってようと政治が動く時
というか歴代の日本政権どころかGHQまで天皇をちゃんと囲めるかがもっとも重要
もちろん今の日本の政権も天皇囲めなくなったら終わり 徳川幕府はリアルに京都御所に天皇を250年監禁し続けたからな
火事で焼き出された時以外は 一応教科書的には徳川3代家光までが武断政治
だから平和にはなっていない、幕府や武家諸法度に逆らったら改易減封
4代家綱からが文治政治
会津藩主保科正之や老中酒井忠清らが病弱な家綱に代わり政治を執り行い、それまでの圧政をやめて大名領知権を確立した
つまり、全国の大名や公家や寺社に、徳川幕府が「ここはお前の領地だ」と認め、それを各大名や公家が受け入れるシステムが確立された
支配とは土地人民の支配権の事だから、1664~5年のこの領知権の確立が全国統一と言って差し支えない
公家や天皇家も徳川幕府の承認で土地支配を許可された いいや
相当数公家は殺され
あるいは孤立させたのさ。
徳川はな。
そして明治だと偽り
また騙した。
だからその都は焼かれる 美味しいとこだけを取ろうと
そいつらを徹底的につけ回し
あるいは毒殺。
それが今の時代の始まり つまり、大昔も現代も変わらぬ手法で
支配体制を盗み取る。
それが徳川のシステムだ。 >>494
元々戦があってもそれは基本的には兵士対兵士で農民とか町民は無関係だった。
関ケ原の戦いの時は農民たちが山側から見物していたし出店も出た記録も残っている。
城攻めは基本的には武士が立てこもってたわけだし その関係無い者を天皇という
絶対支配人を作り大扇動を
繰り返して
徴兵制度なるものにしたのさ 戦は無くなったけど仮想敵は存在した。江戸の庶民の間では、子供が駄々をこねると親が「良い子にしてないと伊達が攻めて来るよ」と脅かしたという >>499
そんな事言い始まったら近代総力戦に入るまではみんなそうだよ だからその國の民の命を握る
医療利権は天皇が保有すると。
そういうこった >>499
兵農分離が進んだのは戦国時代も末期以降だし
江戸時代になっても地域によっては完全に分離してたわけじゃないよ
農民は兵士でもあったから無関係とは言えん >>492
島津は近衛家との結びつきを維持し続けた 武将全員参加の関ヶ原の戦いで決着が付いたからだよ。 ミカドは死んでから神道の者に
与えられる名前。
生きてるうちに名乗るは皆偽物。 徳川幕府の参勤交代制度
大名の正室と嫡子は江戸住まいという制度はかなり強烈な影響があった
世代を重ねると大名はみな江戸生まれの江戸育ち
国元の家臣とは文化も考え方もズレる
自分の封土より江戸に愛着がある大名ばかりになったから
今の世襲政治家と同じやね >>504
日本以外の外国は違うぞ。 街の周囲を取り囲む様に城壁がある。中国や欧州は皆そんな感じ。戦いは基本的には皆殺し。異民族の侵入だからな。
日本の戦みたいに大名が腹切れば部下は皆助かるなんてぬるい事はやらないから。 中央集権といっても諸藩の自治権は残したままだよな
改易しなかったのは浪人が増えて治安が悪くなるのを恐れたからだけ? >>513
イギリスもフランスも戦争は軍人の勝手な戦いだよ
だから宣戦に議会の承認(貴族に予算を出させたい)が要る
イギリスならクロムウェルのニューモデル軍から、フランスほかヨーロッパ大陸ならナポレオン戦争からが常備軍設置
そこから国どうしの戦いになる >>506
農民が兵士に使われてたのは非常時の侍で普段は農業やってた人達で本当の農民は食料配布や調理の後方支援。
そもそもそれなりの訓練をやっていない奴を戦場に連れていっても足手まといになるだけ。 >>513
同じ欧州勢どうしなら、まだ貴族の小競り合いで殺すな身代金取れ~!だったけどな
時々東からとか北からとか
蛮族が侵入するからなw ヨーロッパも常備軍が生まれるまでは傭兵部隊の戦い
金を使って傭兵を集め貴族同士でやり合う
だから金が要るし他の貴族からも金を出させないといけない
だから議会が生まれる
農民は「何やってんたかw」くらい
農民への略奪は日本でももちろんあった >>516
モンゴル人の欧州への侵略は全然違うから。騎士だけでやってた時代は基本的には傭兵。相手の国も傭兵なので戦いはなあなあで長引かせればなるほどお金はもらい続ける。そのため敵と内通してダラダラやってた。
まじでやりだしたのはフランス革命以降。市民軍とナポレオンで本気を出してやった。 >>1
平和には、なってないよ。
その後は、戊辰戦争や士農工商の流れを保ち論争(議論、討論会)
自民府連、新自由クラブ、公明、共産、社保、
民主党、維新、参政党、NHKぶっ飛ばせ党、令和新鮮太郎
天皇制、神社本庁、キリスト教根本主義守り議論繰り返してるらしいよ。
神農(親王、阿弖流爲、毛呂(麻呂) 、
新皇(蘇我、入鹿、その他の古墳群)
vs
キリスト教主義学校
プロテスタント、カトリック教徒、亜流モスク まー(´・ω・`)
なんやかんやでこの国は平安以降からずっと上級みんな親戚家族みたいなもんやからなー
中国みたいに異民族同士のぶつかり合いってあんまないんよ
蝦夷と沖縄くらいでさ 戦国時代とかってのも、そういうくそつまんな日本史を面白おかしくするために
色々脚色してるだけでな
要は自民党の派閥政治を面白くした感じな訳
実はチャカで殺しあってました風味の脚色的な?
まぁ、だから色々嘘くさいだけでな >>51
あまりにお金を使い方過ぎるから控えるように言ってもやめなかったんだっけ
武士って誰かに仕える者達だから嫌がるどころか我先に散財するとか >>513
同時代の三十年戦争は宗教戦争だからな
異教徒より異端のほうが扱いがハード
カトリック教国だけどハプスブルクと敵対するプロテスタント側についた
リシュリューフランス お偉ジジイさん曰く
↓
中核団体、革マル、セクト、赤軍、部落解放運動
創価学会、統一教会、大日本印刷(一部、創価) vs王子製紙
↑
++++++++線引きが困難で論争激化+++++++
↑
調査する団体(俗称、公安調査会、警察機関)
基本、首席勢とは、下記の団体を示す
俗称、100条委員会、公安委員会
↓
歴代の市長、歴代の医師会、参事官、日教組
公安委員委員長、検察庁職員、事務次官、裁判官
↓
日弁連→人権擁護団体で、稀に、行政や検察の敵
↓
引退者→町長、村長、宮司
↓
知事って、行政機関では、上に見えてるが、
制定した時期があって都道府県の役割では、下部組織
↓
推薦されて
県知事(都道府県への伝達、座長)選挙の票数得て、座長みたいな役割 内閣府関連から外されのは、線引きより上に触れてしまう
素行とか調査されて、お偉いさんや匿名のジジイさんに協議はいるらしい Twitterとか居たらそっちは、調査する機関じゃ無いから
こっち来いや 東京都や京都府、神奈川県とか、裏顔とかお偉いさんとか厳しいのよ
オッさんども曰く
バカッター、勉強不足らしいのよー、ニューヨークまで、小室、菊池、北野まわり、勉強教えに出てたり、
国葬議論、オンライン議論や討論会やってて、時間無くてネットで交流が年々増えてる模様 >>519
というか武士が農業をやってたわけだから
武士と農民に明確な線引きなんかない 参勤交代と貿易の禁止で資本の蓄えができなかったもんな
みんなが平等に貧しくなることで大きな戦いができなかった、とか
しらんけど 武家諸法度を制定して、それに少しでも違反した藩は容赦なく取り潰した。
加藤清正が幕府の許可を得ずに居城の改修工事をしただけで改易になったのは有名 そもそもTwitterで、渋谷のネット関係者、Eスポーツのご当地の学芸員や学生、クーポン派、ポイント派、
ご当地活性化のアプリの検討とか、ミーティング談話してたら人材不足してて、捜査や調査させられてて
そしたら税務職員、NHK、職員、職員、商工会議メンバーOBまで、不具合が出てる
>外資系の人道支援に見えたなりすまし団体(俗称、ロマンス詐欺、人身売買組織)
>不正受給やマルチ詐欺に巻き込まれて海外から帰国が出来ない人とか増えてる
責任の所在とか、どこが取るのって議論繰り返されて、国葬反対派や反ワクチン派まで、議論加速 TwitterとかTikTokやInstagramとか、
海外に関して、ハリケーンや洪水、熱波(日本の熱中症)で、コールドケース的に葬りされてる話
インターネット事業の改竄増えて、正式なデータすら出てない州立が増えてる。
>GWに三泊四日、日帰り韓国とか、出て調査旅行出て
不在の方々多い話 >>142
鎌倉殿~を見てると、秀吉が秀次を殺したのが残酷だとか
家康が豊臣家を滅ぼしたのがけしからんとか言ってるのがアホらしくなる。 >>538
ロシア側に反NATO軍ついた話
NATO軍とか国旗無きと迎撃されて、日本、韓国、フランス、イギリス死亡率高まった話 信忠が幕府開いてたらどうなったかね。それ考えると金柑頭ムカつく NATO寄りで、韓国、イギリス、既に空母出してる
韓国とか徴兵で、訓練士増えてる。 >>238
有識記者、NPOと自衛隊の義勇兵、二戸中隊
コロナの何派目かにTwitter出てるうちに壊滅してるって
世界大会出たのも格闘競技系や引率のポイント派戻ってない
聞くと、3.8万人の実態 伊達家が関が原後に最後の抗いで出陣しようとしたけど密偵の松尾芭蕉に見つかり報告され徳川が負けを覚悟したエピソードが好き >>469
当時どうやって東北で7万人もの兵士を集めたかが問題なんだけどw
木曾義仲5千も怪しい >自民や大阪維新や民主派の松下理論ありきなんて
東京都や都道府県、地方都市にほとんど居ない。統一と松下理論解体派増えてる
ここまで、真実に見せかけた御国や地方都市の知事の対面の為に、伏せ字のドッキリにしておくよ >>543
すまん、無断修繕は福島正則だった
加藤清正はそもそも普段からの素行が悪いのが理由 朝鮮通信使・金仁謙著 『日東壮遊歌』より
●1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、 銅の屋根で、黄金の内装だ。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
支那の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の1万倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」 と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。 >>199
天保あたりから金が不足しだして、金貨の鋳造に銀の含有率がどんどん増えだして
インフレになった
金の不足はイコール影響力の低下、権力の低下につながっていったんだろう 朝鮮通信使・金仁謙著 『日東壮遊歌』より その2
●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。 朝鮮通信使・金仁謙著 『日東壮遊歌』より その3
●1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。 凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ、この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。 美しすぎる。 あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、
美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。 朝鮮通信使・金仁謙著 『日東壮遊歌』より その4
●1764年2月16日 江戸
左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表現する事は、私の才能では不可能だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。 なんで江戸とかいう僻地に追いやられた徳川が豊臣に対抗できるぐらい成長できたんだぜ? 参勤交代で大名に金を溜め込ませないって策が賢かった >>556
当時は寂れてたけど
かつては関東の交通の要所
でも家康は太田道灌を個人的に評価していて
道灌にあやかって江戸を選んだ可能性も >>550
加藤清正を演じた新井浩文がレイプ事件起こして捕まったしな >>479
財政が赤字でめんどくさいのと、新政府軍の勢いだろうな >>558
士農工商穢多非人
今では穢多非人の方が特権階級持ってて草
奈良県では穢多非人だと公務員になれたし全然働かなくても金が入るというシステム構築したからな
そこに統一教会が付け込んで安倍ちゃん暗殺に至った >>550
清正は死ぬまで熊本藩主だろ
その後の世代で改易 >>479
徳川幕府は日本人の9割が農民だった
その農民が反徳川の藩主と共に尊皇攘夷で反乱起こしたら、1割以下の武士が抑えられる訳ねーだろw 一国一城令で抵抗する気もなくすだろ
援軍も連携もなく囲まれて終わり >>558
ねずとかいうトンデモ歴史家の動画やめいや
既に学校の歴史教育では明治政府が捏造した身分制度としての士農工商なんて習わない 戦争すると悲惨だということを、ようやく学んだってとこだろう。疲れたとも言える。WW2後の世界もそうだろ。
今、愚かなのはヨーロッパ。いつまで殺し合いするつもりなのか。 >>566
今の日本の歴史教育って
階級闘争史観を抹殺しようとしてるようだ
女工哀史も抹殺したし
労働者階級が資本家に組合作って団結して来ないようにする教育みたい
派遣の敵は正社員と教育しそうな勢い >>347
交代寄合という1万石以下だか地方の領地を統治して参勤交代をする準大名がいた
山名とか生駒あたりが有名かな
旗本は江戸に住んでお給料貰ってたからそこ違う 幕府の直轄地だけで約400万石もあるんだぞ
しかも目障りな外様は遠隔地に追いやって
参勤交代で普請で金を使わせて弱らせたんだから
そりゃ幕府の力が安泰である限りは戦争なんざ起きないわ >>400
むしろ目的の中国制圧を朝鮮に阻止されたw >>571
じゃあなんで幕末はあの体たらくなのかと
徳川幕府のまま近代化に着手できんかったのかねぇ
脳が固すぎたか >>573
各藩は藩校等教育をしっかりやってたけど、驚いたことに幕府直参の旗本とかって碌に教育を受けてない連中が多くて、読み書きもできない連中が一定数いたとか やっぱ参勤交代だわな。
あれは経済効果もあるし逆らえなくなる
あと少しでも粗があると即取り潰ししてみんなビビっていたのも原因だわな。
これやらなかったから幕末で滅んだ いや疲れたんだろ戦争に
やまない雨はないっていうようにいつかは終わる
ただそれだけだろ まぁ、産業革命に遅れすぎてたからな
火縄銃じゃ黒船に対抗できんかった
>>566
エタ否認の水平運動が原因だろ
戦後の話だよ >>577
喜連川藩っていう足利名門の藩とか面白いよ
5000石程度だけど、10万石クラスの格を認められてて、家格が高いから金がかかるんで
他の大名の参勤交代から金かっぱいでた >>574
さすがに旗本官僚が世襲とはいえ読み書きが怪しいはなくね?
江戸城勤めのことだろ? >>580
文字は下っぱ役人にやらせてたんだろ。旗本本人は口述でかたればいいだけ。それを次々に文章を書ければいいし、文章なら下っぱ役人に読ませればいい。 >>580
大政奉還後に旧徳川幕臣が静岡に移住して逼塞してたのを江原素六が助けたみたいな話の中でちらっと読んだだけなんで
ちゃんと調べたことないけど、幕府の昌平黌とかって諸藩に開かれた機関であって、幕臣の子弟の教育機関が無かったみたいな話は聞いた >>329
近現代でいえば70年代の大学で学生が機動隊に火炎瓶投げつけるような感じかね >>572
明と李氏朝鮮連合軍だけどな
日本軍優勢だったけど途中に秀吉が病死したから止めた
戦後財政難だった明に対し朝鮮防衛戦での恩賞が無かったから
そこから明が瓦解して滅んで満州民族の清が立った
それから280年後に日清日露戦争で日本が勝利したの忘れるなよw >>579
奥州の大藩、伊達家がいつも参勤交代の途中で喜連川藩に金たかられるんで喜連川藩避けて違う宿所に泊まったら、
そこに喜連川藩の殿様が先回りして待ってて驚いたとか >>584
財政にもよるが年貢を取り立てる役人と町の有力者との関係が悪化すると年貢も高くなることもあった。
所謂癒着の温床にもなっていた。
一揆は有力者を村から追い出すために茶番的に行うこともあったんだよ。 >>586
先回りしてるのが怖いっすねw
エモノの大名が参勤交代で通る橋の下で釣りして(儀礼上、家格が高い喜連川藩主相手にそのまま通るわけにはいけない)金を稼いだってエピソードが好きです >>566
勤勉で実直な人だぞ
今は知らんがそう授業や教科書で実際に習った世代も大勢いる
>>572
秀吉は白人植民地支配を防ぐために日本防衛の拠点作ろうとしてたんだよ
なのでキリスト教布教も禁止にしてる 喜連川藩主の一族にあたる新田岩松氏は家康に系図を差し出すのを断固拒否したため200石の交代寄合にまで落ちぶれてしまった
200石ではとても暮らしていけないので当主が猫の絵を描いて生計を立てていた
というのも新田岩松氏の当主は鼠避けの神通力があると信仰されていたからだった
猫の絵の価格を農民でも買えるレベルに設定していたので絵は飛ぶように売れたとか >>120
だからさ、家康さんは反面教師として
吾妻鏡を愛読してたんじゃ無いかなあって話さ
頼朝と同じ清和源氏だって話は胡散臭そーだけどw 無意味で無駄なことを地方に強要させて、積極的に発展を禁止したからな
今の日本と同じ
自分さえ良ければそれでよい、そういうトップに国が率いられた結果、世界から取り残されてゴミになった
隣の清朝や李朝も同じ 戦ができないように各藩が過剰なたくわえができないようにお金を使わせていたっていうのはいいんだけどさ
なんで幕府はお金なくなっちゃったの? よくさ大坂夏の陣が陰謀臭い事言われるけどさ
そもそも、秀吉のガキをおったてて院政やってたのがババアだろ
ババア政治じゃ国が治まらないのは明白だから殺しとこって話だろ
冷徹な判断だと思うよ
戦乱になる前に火を消したわけ 大抵の地域には江戸から残る城や城下町の名残が今でもあって
江戸だけでなくいかに日本各地で発展していたかその痕跡をたどることができるぞ >>593
幼い頃に父を失って人質生活をしてた境遇が似てるから
頼朝に親近感を持っていたともいうね >>588
家康も三河の一向衆に苦しめられたからな 大名の参勤交代強制や人質を江戸に住まわせたのが、大名の力を削いだからな 江戸時代に制度って世界史上最も成功した、完成された王政、独裁制といえる >>559
関東で一番栄えてる要所って鎌倉じゃん?って思ったけど、関東平野の中心から最も近い港ってなると江戸になるのかなるほど >>603
江戸の港は河口港で水深が低いから千石船みたいな大きな船は無理のほぼ漁港 そりゃ大規模な反乱は財政面とかで不可能だったもしれないけどさ
暗殺くらいなら可能だったんじゃないのか?
なんでやらなかったのだろうか? >>1
反抗的だたり、損得判断で一時的に徳川家に味方した大名を次々と潰したから。
今年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が相次ぐ暗殺と騙し討ちで話題だが、
やってる事は徳川と大差ない。
鎌倉殿の時代はまだ武士の世の始まりなので、余計に混沌としているから、やり方がえげつない。 >>564
その農民は明治に移行することに意欲が湧いたのはどんな状況だつたのか興味あるな >>603
家康が関東へ移るときは小田原が無事だったから
小田原の選択肢はあり得た
鎌倉はない
狭すぎる >>603
鎌倉ってメチャクチャ狭いし
港も作れねえ
800年前の港の跡には小さい漁船が三艘繋がって
ウィンドサーフィンのターンマークになってるだけ >>590
イエズス会って奴隷商人だったしな
キリスト教の闇を知ってた3大 >>588
檀家で寺が神社に対して強くなりすぎたんだわ >>585
>>590
攻め込む側は強くて当たり前
いくら強くても目的を遂げられないなら
負けだ
指示したやつ=秀吉が悪い 秀吉が死んだ時点で家康が次の覇者になることは多くの大名が感じてたから
秀吉の墓は立ち入り禁止にされて明治になるまで雑草に埋もれてた そいやなんで家康って江戸に移ったの?
東北なんて未開の地みたいなもんだったんだろ?
実質日本の東端じゃん 東北は数万年前から繁栄してた遺跡見つかってるよ
江戸城は実は家康よりも前からあって江戸は平安や鎌倉時代からある >>616
小田原征伐後に出た秀吉による国替え命令に従った。
本拠地として小田原、鎌倉、江戸の選択があったが、巨大都市を段階的に作れる立地である事を考慮して江戸を選択した。
家康は江戸城を小さな運河で渦巻き状に囲み、この運河をグルグルと増やす事で江戸を延々と巨大化していった。 戦国時代の系譜を女性で見ると新たな発見がある
徳川家光の従兄弟が豊臣秀頼とか >江戸城は実は家康よりも前からあって江戸は平安や鎌倉時代からある
知らんかった。
>小田原征伐後に出た秀吉による国替え命令に従った。
なるほど。
なるほどですね。
でもなんで京都からまた遠いところに作ったんだろ? >>1
豊臣は後継がいなかったからな
秀頼だけ
家康派子供いっぱいいたし
御三家作って、大奥作って後継もんが盤石だった >>621
関白を継いだ秀次にはいっぱい子どもがいた
既に関白を秀次に譲ってから豊臣政権の官僚組織を動かすのは秀次の名前だった
伏見城や名護屋城築城命令も秀次名義
秀頼が産まれてクーデターで豊臣政権をぶっ壊したのは秀吉自身 今川氏真も江戸時代は500石貰って悠々自適な旅三昧やらかしてたしな >>621
>>622
温厚で秀吉を上手にコントロールできた秀長が存命(51歳没)だったら、徳川幕府は産まれなかっただろうって番組があったな。 >>139
島津が関ヶ原に本隊をごっそり送ってたらどうなってたかなとは思う >>625
それ
本隊を送っていたら関ヶ原では西軍勝利だっただろう
ただ、留守の薩摩を黒田に攻められて占領されてたんじゃないかと思う
黒田は九州を平定、九州vs西軍の戦いが起こり、西軍は東軍の残党から挟み撃ちされてそう >>625
>>627
実際、黒田は準備万端で島津攻め直前だったのを家康に止められてるんだよな。 まああの巨大な武力には敵わないよね。俺が秀頼だったら、しばらく頭下げて、他の領地に移動させられても、家康が生きてるうちは、おとなしくしてたわ。家康が死んだら、豊臣の旗の下に大勢集まって来ただろうね >>629
大阪冬の陣が1614年、夏の陣が1615年、家康没が1616年なんだけど、自分の死期と秀頼のカリスマを天秤にかけて無茶な難癖つけたみたいなので、秀頼がどう行動しても絶対殺すマンだったと予想。
家康死因は胃癌説が有望で、本人も数年前から敏感に感じていたんだろう。
よく言われる天麩羅死因説は「徳川の世になってワシも安心じゃ、好きなモンを食って死にたい」じゃなかろうか(天麩羅食って気分が悪くなったものの死亡したのは3ヶ月後)。 政宗はがっつりやる気だったね
確かに青葉城下はなかなか考えて作ってる >>349
日本人が陰湿にならんかったわな
序列で水雷屋が機動艦隊を率いることもなかった 毛利はともかく島津を全く処罰出来なかったのは家康の失態の一つだろうな。それどころか1609年に琉球侵攻を許し、事実上の加増を認めた。伊達にしても島津にしても、やはり守護大名からの生き残り組には徳川でも手を出しづらいものがあったのかね。佐竹も義宣がもう少し柔軟に立ち回ってればな。 >>634
宮城県を見て回った時はワクワクしたわ。あれ白石で片倉小十郎が、亘理で伊達成実が受けて、名取川氾濫させて若林城(政宗の隠居所名目の城)で陣頭指揮するつもりだったんだろ。
仙台市内なんて駅を境に断層になってて橋渡るか狭い路地を迂回しないと侵入出来ない。南と西は山や渓谷に囲まれてて、北への連絡も簡単には切れない。
戦国時代の防衛思想がそのまま生きてたな。ゆえに今だに熊が出没することもある100万人都市、杜の都w >>396
1万石につき100丁は備えなきゃいけなかったけどね 三大ブスは明治維新で官軍に逆らった
名古屋、水戸、仙台が当てられた
県名と県庁所在地が違う県は新政府に
逆らった所が当てられたのだ 朝鮮通信使がもう争うのやめなさいと命じたからじゃないかな 関ヶ原戦後、佐竹みたいに島津と毛利も東北に飛ばせば良かった
東北で欧米との接触もなく武器も買えなければ、
倒幕運動も上手くいかなかっただろう >>575
初期に気軽に改易してたら増えまくった浪人が島原の乱に合流したり、由井正雪の乱起こしたりとかしたからビビったんだろ >>592
この千年は、
世界中で歴史が
おかしいからやり直しだな
世界中、なにか変
特にこの500年は
ヨーロッパ、日本、
南米、アメリカ、アフリカ、
何があったかしりたい >>611
イエズス会、
スペイン、
ポルトガル、
それから
イギリス
ここはきちんと明らかに
しないとね
南米が何でアルゼンチンや
ベネズエラから原住民が
消えたかとか 徳川は豊臣と大いくさしようとしたけど豊臣と奥州に挟まれるかもって
本田正信が助言したんだろうなあ 徳川家康と貞観政要の関係ってあったな、って思い出した
現代中国の支配者と唐の太宗そ鑑みるに、どっちがより開明的なのかわからなくなる
日本は権力分立やったり行政機関のフィードバックやったりで、なんだかんだ前進してるぞ。
諮問機関やら有識者会議の乱用で、責任の所在を曖昧にするっていうカスの責任逃れの手管は洗練化されてはいるkど、
同時に一人の暗君で全てがぶっ壊されるっていう可能性は少なくはなったんだよな。 >>282
時代に逆行する石高制を採用していた以上破綻は免れなかった
江戸幕府で強いて経済改革と呼べるものは田沼時代のみ 容赦なく反乱分子を粛清したからかな
豊臣家全て粛清
加担した大名も容赦なく粛清
徳川家康は末期は毛沢東に似てる 諸大名の序列の維持の為とはいえ、多少の石直しはやっても250年前の表高を基本そのまま採用し続けたのは凄い話だよな。
全国的な大規模検地をやらなければどんな経済政策も成り立つはずがない。 秀吉が関白の時に家康を東北に飛ばさなかったのが敗因やな
秀吉は生ぬるいわ >>656
スズメ駆除して数千万の餓死者出したり
政権復帰のために嫁の江青と紅衛兵煽って
既存の体制文化ぶっ壊したり
害悪のレベルが日本史じゃ測れないから
家康とか秀吉なんて毛沢東に比べればかわいい 秀次粛清が豊臣家崩壊の全て
秀次配下だった東海道沿いの諸将の忠誠心ダダ下がり
さらに豊臣秀長の大和大納言家100万石を秀長の娘おみやと結婚して継いだ秀保が死んだら、
秀長の娘おみやがまだいるのにお取り潰し
豊臣家最大の親藩を自分で潰した秀吉
そら豊臣家は滅びますわ >>660
秀次の妻たち、娘たち、侍女や乳母まで斬首したこともヤバかったね
幼児や側室になったばかりの少女まで
有力者たちのお嬢さまがたやその縁者なのに
そらみんな豊臣から離れるがな ぶっちゃけ参勤交代は楽しかったんだと思うぞ
江戸で将軍に会って、日光東照宮のすごい建物見て、全国から集まるおいしいもの食べて、吉原でハメ外して
確かに交通費はキツいが、それでも大きな不満もなくそれをやりたいと思わせるだけの体験があったはずだよ 秀吉の朝鮮出兵が頭おかしいみたいに言われるが
家光の代までフィリピン遠征が真剣に検討されていた件は
あまり話題にならないよな >>665
何だかんだ言って都会だからね。
参勤交代で随伴した下級武士ともなると、ほとんど仕事が無く、給与も少ないので、地元特産の漬物を作って売って儲けたり、その金持って江戸中を歩き回ったりと遊びまわった日記が数多く残ってる。
(自分用日記と国の妻に送った手紙の差異が面白い) >>666
今でも秀吉を憎んでいるチョンの戯言だろ >>258
当時の世で世界を征服するのに必要なのは差別意識だよ
占領先に生きる民を劣った虫けらとしか考えず、天然資源の如く容赦なく利用して棄てる非道さ
それができるのは一神教を頂く民だな
日本人には向かないね >>666
秀吉は信長の苛烈さを極端に強調してホンワカ話を封印したけど、似たような事を徳川陣営もやってるからね。 秀吉存命のころに徳川にいちゃもんつけて潰さなかったのはなんでなんだぜ? >>666
いずれもスペイン・ポルトガルの日本侵略対策の一環だよ。
秀吉がバテレン追放令を出したのも、スペインやポルトガルのキリスト教宣教師が侵略や奴隷貿易の始まりとなっていた事を知ったからであるし
日本一国ではその対処が難しいから明へ協力を持ちかけたのだけど、向こうはのらりくらりで話が進まないから
隣国かつ属国である朝鮮を攻めて揺さぶりをかけた。
またスペインのやり口として、侵略対象地域のある地区へ多数の信徒を移民させ、スペイン軍が攻めて来るのを合図に移民が蜂起して政府を攻撃する方法があって
それで熊本・島原に明や朝鮮、フィリピン等で得た信徒を移民させ、スペイン軍が日本を攻める時が来るまで雌伏するよう命じたのだが
待てど暮らせどスペインは来ず、我慢できなくなって暴発したのが島原の乱。 >>671
ソースとして怪しいけど、名将言行録にこう書いてある。
「秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ」
↑
ちな、秀吉が官兵衛の事を恐れてると伝え聞いた官兵衛は手早く家督を長政に譲り、剃髪して如水と名を改めた。←そーゆートコを怖がってるんだぞw >>673
家康は金に困ってる奴に融通してやったり
秀吉の勘気を被って困ってる奴を取りなしてやったり
将来のための味方作りが上手かった
徳川殿は律儀者みたいな評判ができあがって秀吉も警戒を解いていたんだろう >>674
信長時代の家康は窮地でも信長を裏切らず終始忠誠を尽くしており、秀吉もこれを良く知ってる。
家康が牙を見せ始めるのは(同格以下である)三成台頭の後からなので、秀吉存命中の家康は温厚律儀で信頼のおける人物だったんだろね。 >>120
秀忠の代で結構粛清されてないか?
本多正純とか福島正則とか >>656
習近平にも期待したい
粛清、独裁、そして長期の停滞
260年くらい続いてくれたら世界は安泰 鉄砲や大砲が普及して、剣の技とか関係なくなりアホらしくなったから。 >>675
相手が弱ければ約束でもなんでも破るけどなw
三河の一向衆への対応とか >>679
あのやり方は大阪冬の陣で堀りを埋めたやり口に酷似してて、家康の原点なのかもしれないねえ。 大政奉還まで平和だったイメージあるけど実は慶喜の先代から戦始まってたんだよな >>33
徳川幕府が政権握ってたら、欧米諸国の植民地になってただろ >>121
神仏分離は神道の物は神社へ、仏教の物は寺へ。キチンと分離して線引きしましょうね。が目的だった。国教としての神道は失敗だったけどね。
廃仏毀釈は寺請制度や仏教そのものへの不信がある人達を国学者が焚きつけたりして大騒ぎになった。 >>682
そうでもないから。ペリー提督との交渉も開国は応じたが貿易に関しては応じていない。双方オランダ語で交渉している。その当時、ジョン万次郎は既に幕府にいたけど直接は通訳はさせてなかった。渋澤栄一は欧州に派遣して視察させてたりしたし咸臨丸で福沢諭吉や勝海舟などが米国や欧州視察している。近代化の必要性は幕府側も熟知してた。実際の話、明治政府でも元幕臣達が活躍している。 徳川幕府は軍事力をなくしたのに
300年持ったよ
不思議でたまらない >>685
ただ日本が欧米風の国民国家になるためにはやはり天皇の存在は欠かせなかったのかもしれんな
というか天皇を利用するのが最も早道だったと思う 戦争めんどくさいし武士だけが戦うのではなく農民も参加しなきゃいけないしある意味農民は特攻隊と同じ じゃ江戸時代にいってみようか
クルクルばびんちょぱぺっぴぽヒヤヒヤどきっちょのモーグタン! >>690
まんがはじめて物語かw
今では民放での子供向けの良質な教養番組って殆ど見かけなくなってしまったからねぇ
( ;´・ω・`) 聖書の世界にタイムスリップするアニメがあった気がするんだが.... >>692
タツノコプロが製作したアニメ親子劇場だな。
キリスト教関連本の出版社であるいのちのことば社が監修している、れっきとした布教用アニメだよ スペインやポルトガルのキリスト教宣教師が入った地域では、元々崇拝していた神々が邪教として排除されるのを防ぐために
聖母マリアや諸聖人と習合させ、それを信仰することで伝統を守っていたが
日本みたく宣教師を排除した国だと、逆にキリスト教の教えを守るため聖母マリアと観音菩薩を習合させているんだよなw
立場が真逆になっても、やることは一緒というわけ >>689
当時の農民はガチムキで肉弾戦になると武士を圧倒する事もあるくらいお強い
https://i.imgur.com/UXiaILJ.jpg >>696
七人の侍で、野武士に怯える善良そうな農民も
裏で落武者狩りまくってて草 >>696
左の男大胸筋が女の胸みたいで気持ち悪いな >>696
そりゃ相撲なんかで遊んでたし
人力で畑耕したり、とにかく重労働だぞ
ひ弱じゃ米俵も運べないだろ 由井正雪みたいな反乱者もいるにはいたんだよ。
あと、天一坊みたく将軍の落胤を称して将軍家に入り込み、クーデターを企む者もね >>696
右上はぼっさんか?
明らかに時代違うだろ >>703
肉食ってないからな
しかし戦国時代に日本に来た外人が驚いたのは
日本の足軽は刀で切られても騒がず止血だけしてまたすぐ戦に戻るような寡黙なバーサーカーに見えたらしいよ >>690
行ったってわからんよw
マクロ的な問題なんだから現地に行ってどうこうする問題じゃない >>696
乳房を丸出しにしてる女性が3人くらいいるけど、これなんだ?
あと別にガチムキじゃなくね?現代日本の運動部の高校生の方が体格がいいくらいだろ。
労働の結果として自然に身につく筋肉こそが美しいっていう意識はわかるけど。
「明治初期、三重県鳥羽市答志島(とうしじま)の漁師たち(「ゴードン・スミスのニッポン仰天日記」より)」
うーむ、海女なん? >>696
昔はやっぱり乳出すの当たり前だったんだな
今は乳隠しすぎだよ 慶喜の大政奉還なんてようできたな。古参の家臣や血気盛んな若い侍に刺されてもおかしくなかったんじゃないか。 武士が貴族化して全く役に立たなかったのと
尾張藩の裏切りだね >>710
第2次長州征伐で圧倒的兵力差があったのにボロ雑巾のようにやられて負けたからな
あれで日本中が幕府軍は張子の虎だと知ってしまった
その後に続く鳥羽伏見の戦いもこれまた圧倒的兵力差があったのにボロ負け
私見だが日本史上で末期徳川ほど弱い軍はないな
あのとんでもない弱さで列強に対抗出来るわけがないわ >>169
江戸時代のうちに朝鮮、中国、東南アジアに侵攻すべきだったよね。 >>712
実は佐賀藩が幕末最強だったの
長崎警備やってたから西洋の情報や書物を入手できて、日本で初めて反射炉(大砲製造)と蒸気船を自作して近代的な武装をやってのけた
佐賀藩の仲良しが薩摩藩
薩摩藩と同盟関係にあったのが長州藩
あとは察してくれ 実質的に信長が天下を取ってたからな
その後は家臣や有力大名の間での争いでしかない >>691
この前つべで見たけど、今思うと俺の歴史好きはあの番組の影響もあるな
またあんなの作って欲しいけどTV局にも金無いしもう無理か
悲しいねえ 家康は先のことを見据えて反乱を起こしそうな大名を徹底的に弱体化したからな
秀吉みたいに行き当たりばったりで天下を取ったわけじゃないから色々しっかり考えてたよ >>712
幕府直属軍たる旗本八万旗が役立たずに成り下がってたから
倒幕を果たすべく士気旺盛な長州軍や薩摩軍に圧倒された >>719
旗本の代わりに出てきたのが新撰組など下級武士が編成した部隊だけどな
ただ明治政府軍は大多数の農民かつ南北戦争でのお下がりになった銃火器で武装してたので
勝てる訳が無いw >>708
昭和初期くらいまでは田舎なら、農作業や土木作業、漁師町で作業中ならば
女の上半身裸は珍しくなかった。 アレって残しておいたら、家康死んだ後に秀頼が江戸に攻め込んで秀忠とか家光ぶっ殺してたん? >>712
武装が違ってたんだから当たり前だろバーカ
戦国時代の武装の幕府軍がミニエー銃の長州藩に勝てない
禁門の変の時は市街地だったし銃火器も無かったので負けた >>723
公家風に育てられた秀頼にそんな野心はない
大坂城で安逸に暮らせればいい、ぐらいにしか思ってない
領国も関ヶ原戦後、摂津・河内・和泉70万石に減らされたし、関東八か国を支配する徳川に勝てる訳ない >>664
そこまで徹底的に秀次の血筋を殺したのに、真田幸村に嫁いだ秀次の娘が生き残って
今も子孫が繁栄してるのが笑える
秀吉の血筋は孫娘が尼になって断絶したのに >>1
中世日本の大内乱を終息させた徳川家康の描いたグランドデザインが優れていたのが原因その一だけど
中世末期に普及しだした鉄砲・大砲など火力の輸入コントロール権限を江戸幕府が独占したのがとても大きい。
地方の大名は幕府に反乱したくても、保有する火力の差が大きく、勝ち目がなかった。 >>1
それと徳川幕府が海外との戦争をやろうとしなかったのは、その前の豊臣秀吉の朝鮮侵略が大失敗に終わったからだろう。
もし秀吉が長生きしていれば、文禄・慶長の役に次ぐ第三次総攻撃を開始する予定だったそうだが、そのまえに豊臣政権の体力が尽きた。
海外侵略は、もし成功できれば獲得できる領土や富は多いかもしれないが、軍事力を消耗し、失敗すれば政権崩壊につながる危険な賭けだ。
秀吉とちがって、家康は堅実慎重な性格だったので、リスクの多い危険な賭けである海外侵略をやりたがらなかった。
それに欧州諸国もアジアへ大兵力を派遣する力がまだなく、植民地帝国主義の時代ではなかった。
海外へ攻める意思がなく、海外から攻められる危険性も少なければ、対外戦争が起きないのは当たり前です。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています