お釈迦様「修行は無駄。心安らかに生きた方がいい。」 [194767121]
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仏陀「なんか色々しんどい思いしてみたけど特に意味なかったわ」 やったことあるひとがいらんというのと
はなからやろうとしねえのは雲泥の差があるんだけどな
まあ無駄なことはねえよ
車軸が回るのも隙間があってこそだしなガバガバに作ればバラけちまうし、ぴっちりじゃ回らん
鵜呑みじゃ物事は進まんよ 元王子様が贅と欲の限りを尽くした後に無常に辿り着いたんだから、楽も苦も両方1回通っておいた方がいい気がする
その後の名を残した比丘も王族やたら多いし >>1
釈迦は弟子たちに修行しろ修行しろと言ってたのに
心の中では「そんなことしても無駄w」って考えてたのか
酷い話だな ___ハ__
シャカ 、____丿
シャカ ゙゙( ゚━゚) アミーゴ
シャカ /゙゙゙c○c○)) アミーゴ
シャカ __ハ__
シャカ 、____丿
シャカ (゚━゚ )´´ アモ-レ
((( ○。○。゙゙゙\ アモーレ それが南無阿弥陀仏であり南妙法蓮華経でしょ?
お経さえ唱えていれば修行しなくていいよっていう >>7
一応、悪人ほど高い解脱をするってことになってる
大乗仏教の創始者だって仲間が強姦や強盗を繰り返して全員死刑になるほどの極悪ギャング出身だし 苦しい思いしても、神や仏は何の見返りも与えない。
修行など完全に自己満足。 >>15
執着を捨てるために苦しい修行をするんやで? バラモン教徒に説いてたから目線合わせてる感じだけどまぁ現代人よな
ややこしくしたのは龍樹 修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ 釈迦「なんで修行僧は修行してんの?それ意味あんの?」 >>「修行は無駄。心安らかに生きた方がいい。」
でもその境地に達するまでに、厳しい修行を経ねばならなかったという…… >>24
修行と思っているうちはだめなんよ
勤行にしねえと 武田邦彦さんが言うのに釈迦とかキリストは本当にすごい。
遺伝子に書いてある情報にアクセス出来たのかもしれない
遺伝子は生物が誕生した頃からの教訓が延々と書いてあるからって。 お経は読めないわ
お経の試験あったら日本人ほとんど全滅だろ 日本の仏教はお釈迦様お釈迦様と祈る似非仏教だから大嫌い
したり顔で説法してるハゲをお盆で見るたびにカルト信徒がまた来たよって感覚になる >>29
釈迦は自分の教えを文字にすることに対して否定的だった >>14
南無妙法蓮華経は日蓮
南無阿弥陀仏は法然
南無阿弥陀仏はその通りだけど法蓮華経は中世日本だと戦で死んだ人への祈りのフレーズ
法然は岡山が産んだ唯一の偉人と言ってもいい
念仏唱えたらとりあえずOKという敷居の低さで上級利権だらけの仏教に革命を起こした >>29
お釈迦様的には読めなくてもいいんじゃね? 無駄な自己啓発も不要
そんなのより楽しいと思う事や人に役立つ事をすれば良い >>16
善人なおもて往生を遂ぐ
いわんや悪人をや
という言葉を何となく思い出した >>31
細かく言うとただ書にするのを否定してるわけではなく
下々にわからない言葉で書くな、だな >>35
悪人は犯罪者の事ではなく親鸞みたいな坊さんなのにセックスが止められず堕落した人間の事。 >>7
エロエロと禁欲生活を両方経験してこその寂聴だもんな キノコ食って腹下して死ぬってのがいいよな
人類の罪を背負ってとかなるとなんだなぁとなる 寺で何年も修行した坊主に高い金を払ってありがたいお経を詠んでもらわないと死後極楽浄土には行けませんっていうのが空海の教えだった
それをとりあえず南無阿弥陀仏って言えば極楽いけますよっていう敷居の低さで仏教を国民的宗教にしたのが法然
岡山が産んだ唯一の満場一致の偉人ですよ >>10
混ぜずに米と授乳をそれぞれ頂ける方が南無南無 >>24
苦しい思いを体験してハードルを下げたいのだろう
記憶が残ってるあいだは多少の効果はあるだろうけど現時点で苦しいものは苦しいと思うけど >>32
南無阿弥陀仏は法然じゃないだろ
正式にはナモアミターユスでインド時代から 中年になって仏陀やショーペンハウアーの本をよく読むようになった 悟る人は修行しなくても悟るし、悟らない人はいくら修行しても悟らないから修行はしても意味ないかな
けど、悟らない方が人の世を楽しめると思うよ >>41
空海と浄土教
何の関係があるんだ?
浄土教はすでにナーガールジュナの時代に存在してるわ >>35
この場合の悪人って女性って意味だよ
山賊や火付け人のことではない 修行に打ち込めば
その他諸々雑多なことをすべて忘れられるんだ
心安らかであるために修行に打ち込むんだよ みんなお釈迦様って言うけど
釈迦って一族の名前だよ
トンボの佐藤と同じ
ちゃんと
ゴー多摩・知っとるだー
って呼んであげないとね >>40
ド田舎でふるまわれたキノコ料理食って腹壊して数日寝込んで
死に際に「あー世の中美しいなー死にたくねーなー」
って言いながら入滅したんだよな
聖人の中でもすっげー人間っぽくって好きだわ 三昧って何かに夢中になって周りが見えなくなること
オマイラ得意だよな >>5
仰る通り。修行は否定してない。
堕落してもいけないし、苦行もよくない。中道が大切。 容姿の見劣りを嘆く人にお釈迦様が言った
「私は人の容姿などと言う表面的なものに興味はない、どんなに見た目が美しい者でも
体の中は汚く臭うものなのだよ」って言葉は目から鱗でした >>16
中論の龍樹のことかな
そういった論は初めて聞いたが、一理あるかも
如来にも菩薩にも極悪人の心がある
だからこそ、極悪人に苦しみを理解してあげれる
汚いことも含めて真理である、みたいな >>47
確かに、もともとはインドだよね
浄土思想も下火みたいだったけど、日本で源信が浄土思想をクローズアップして、中国でも逆輸入で再ブーム興って、んで、その流れが法然かな? >>66
平安時代から日本でも阿弥陀仏信仰が公家中心に盛んだった
真言宗でも天皇系統の華族の寺院でも本尊が阿弥陀仏だったりしてる >>61
自分の娘が絶世の美女で、そんな美女の娘を嫁に貰ってくれって頼んでくる富豪に対して、「小便大便を詰め込んだ肉袋なんか、抱けるか」って断ったブッタ
私は喜んで抱きます ブッダ「午前中速やかにスーパーで買い物を済ませ、
午後は窓を空けた心地よい部屋で静かに座り瞑想をしなさい」 >>59
なるほど
そこは勘違いしないようにせんといかんな いろんな宗派に分かれるて事はいろんな悟りがあるんだろね
結局は思い込み >>69
世界遺産の平泉とかね
浄土思想は根強い人気で、源信法然親鸞の流れ以前に建立されたお寺でも多いもんね
下火って言うのは、仏教を世界全体でみたり、当時の天台や密教人気とかに比べてって意味でね、ごめん >>41
なんか空海の映画で、疫病に苦しむ村を救うシーンで「ここは地獄だが死んで浄土に行けば幸せになれる」という病人に対して空海が
「いまこの世で生きて幸せにならないで死語に幸せなんてなってどうする」と薬飲ませながらまともに諭していた気が 生きる苦しみから解放されるには悟りなど開く必要ない
自殺すればいいだけとすごく簡単なことに気付く それがある意味 悟りかもしれないが… 三昧は悟りの入り口
オマイラももう入り口に立っているんだぞ 「悟りをひらかない限り延々と人生というクソゲーをやり直させるぞ」 仏教は釈迦が言ってることは最低限守れ
独自解釈が多すぎやろ まずはSNSを見ることを大幅に減らすことだね
悪意や不安に呑まれた悲惨な人間ほど活発に書き込んだりしてるから 職場で激しいパワハラとノルマ課されたら執着が無くなったが、自殺願望も出てきて非常に困る。
まだ両親が生きているから、先立つのは親不孝だと思って我慢している。 ワイも8歳くらいの頃にはそう思って嫌なことから逃げ続けてもうすぐ30年 安全な社会でまぁまぁ働いてまぁまぁ物質的に満たされたら
宗教とか悟りとかいらんよな >>57
永井荷風の、カツ丼食ってそのまま往生みたいだな。 釈迦は「どうしたら現世で心安らかに過ごせるか」を彼なりに論理的に話をしただけ。
仏像や曼陀羅拝めなんて言ってない。
後々の弟子達が尾ヒレ付けて解釈してるだけ。
そして仲間割れして宗派が出来て来ました。皆俗人丸出しだよ。 >>82
親鸞はセックスが大好きで止められなかったんだよ。「こんな自分は地獄に落ちる」と悩んでいた時に、
阿弥陀経を読んで、「法蔵菩薩様が願掛けの時に『自分が如来になった時にはこの世の全員を極楽往生させる』と言って阿弥陀如来になられた」
だから自分達も何もしなくても極楽往生出来ると考えた。 他人にあまり迷惑をかけず
独裁と戦争とテロを憎めばいいだけ
あとは病気とかをゆっくり解決していく
これが人類の最終回答 だって人生すなわち苦行だって言うのがブッダがあーなったモチベなのに、それに気づくまであらゆる苦行してから気づいたってのがなんともw >>1
そうは言ってないだろ
艱難辛苦は悟りを開く手法ではない
そして、仏陀へと至る道には黙して語らず
その意味をどう摂るかが、難題 >>57
本当は豚肉食って食中毒で死んだんだけどな >>105
それはミクロ的なアプローチで普遍とかそういうのじゃないじゃん
カルトでも何でもOKになっちゃうぞ
もっとよく考えろ お釈迦様は王子でもともとやりまくりの遊びまくりしてたけど飽きたから修行でもするかつって出ていったんだよな
んでやっぱ意味ねえやつって木の根元に寝転んだら悟りを開いたとか周りが言い出した >>98
秋田大学ではそう教えてるのか?w
さすがとうほぐの教養レベルだ 献金するのもストイックになるのも一緒。統一教会と変わらない。 >>29
ポピュラーで短い般若心経なら、読めるし書ける。
全人口の1割くらいは書けるのでは? 昔はみんな物質的に満たされてなかったから
魂の救済で一気に解決!とか甘い考えに走っちゃったんだよ
くだらないよな >>111
クラスに1人いてるかいなかじゃないかな >>57
一休さんも最期は「死にたくねえ」だっけな
有名処は何やっても様になるし肯定される
有象無象の坊主だったら生臭で終わる 人を救う事を考えるのが仏教
心を救う方法思い付いたら仏
大日如来は用があれば
薬師如来の部下になる
上下関係なく救う事を優先する >>111
でもお経て聴いてると睡眠効果あると思う >>113
釈迦は物質的に全て満たされた王族だったぞ 情報遮断して限られたインプットで洗脳する
「おまえは幸せだおまえは幸せだおまえは幸せだおまえは幸せだ」
これでミクロ的には救済されたと信じ込むよ
洗脳の効果は実証されてる
でもそんなもん救済じゃないじゃん 浄土真宗なめんなよ
悪人だけが救われる
救われたければ悪行三昧を繰り返せ
そして死ねばそこは極楽浄土 どんな人間も快楽を貪りながら生きてんだし
修行していようが無欲だろうがそういう脳汁の快楽を貪ってるだけにすぎないもんな
だったら食欲性欲ギャンブル欲あたりをバランスよく貪りながら自分と自分の気が合う人間だけの価値観で気持ちよく生きて消えていくだけ
努力なんて快楽を得るためのオナ禁みたいなもん
努力ばっかしてる馬鹿は努力がマゾ快楽なんだよな
社畜で働いてるのも労働引力から逃げられなかった凡人
賢い人間は働かずしても裕福で脳汁をうまく利用しながら楽しく生きてる
地獄のような人生消えていくやつもいくらでもいるけどだからなんだということもない
そういう命だっただけ
特になんの意味もない
セフレいっぱい作って楽しい人生だわ
俺が神だから
けっこう本気でそう思う 釈迦が自ら修行してみたが無駄と悟ったんだからそうなんやろ つーかさ自我自体が
マクロな神経系活動の連鎖による錯覚なんだから
厳密には魂と呼べるような自我も無いし
自我が求める救済も無いのが事実 ぼく
と
くるしい
と
たすかりたい
全部錯覚なのよ オレはこの世の不思議さに気付き始めている
オマイラも早くあがって来い
現世は面白いぞ つって痛いのとか苦しいのはメンドくさいし無駄だから
みんなで平和に楽になるようにやろうぜっつーだけの話 自分で考えないとダメよ
受け売りだとずっと受け売り 修行というものがあるならば、釈迦が悪魔と言ってる自動思考を意識的に抑えることだな
人間は常日頃何もしてなくても何か考えている考えすぎているそしてそれは大抵悪いことだ
正直脳の欠陥だと思う 釈迦の思想は、受けがいいと思います
ですが、先進国になると、その先の思想が身近に感じられるはずです
神道や老荘思想です
悟ると輪廻から逃れられるのではないですw
これは地球界隈のローカルシステムで、地上界はやりがいがあって楽しいから産まれてくるのです
きついことばでいうならミーハーどもですw
悟りとか関係なく、人間はすでに悟ってる存在です
悟りは努力してつかみ取るものではなく、悟ってる存在だということに気づくことです
気づかなくてもいいです、悟りとかどうでもいいことなのでw
今生きてる人にいうてもしゃあないので、今生きてるひとは、心を静めて物事を判断せよってことになります
明鏡止水の思想になります 宗教は信じないけど
SNSやってると怖くなるくらい不思議な共通項のある女の子と繋がるんだよ
子供の誕生日がぴったり同じだったり
名前の一文字が同じだったり
住所の1文字が相手の名前と一致してたり
しまいにゃ私の前世はヨーロッパで、、、って言うからメンヘラさんかなと思って興味本位にググったら俺もピッタリ当てはまるような場所や位置に住んでて家の形までピッタリだったり
これやべえなって謎の一致が起きまくってセフレになった子が何人もいる
前世で俺の支配下にいたんかなって
ネタでいいけどw
みんな俺に尽くしてくるのな
ネットだとなんか不思議なもので繋がるぞ
お前らもやらないと
無駄死にばっかしててもなw 修行して俺すげぇ、雑魚とは違う自慢したいだけの小乗仏教と
修行大嫌い、楽たいだけの怠け者の大乗仏教の
お互いを罵り合い、お互いを全否定する醜い宗教www
こんな糞みたいな宗教に脳みそ犯されてるバカっているの?www >>135
よう馬鹿
浅学の主張が強い自己紹介になってるぞ >>135
いいんじゃね?
だれでも気落ちしたら宗教に頼りたくなる事もあるし。 宗教なんて心の憂いをなくす為のもの
上手く利用するだけしたらいい 「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」wikiより
無は無い仏教ではソレを空と言う お釈迦さまの庭に集う衆生たちが
今日も菩薩のようなアルカイック・スマイルで
悟りの道を歩んで往く
汚れを知らない心身を包むのは薄鈍色の制服
スカートのプリーツは乱さないように・・ >>140
ベーコン教は真実やぞ
肉はすべてを救う お釈迦様はね あの一世だけで目覚めたわけじゃない
何千世何万世をかけて修行し覚醒したのだ
全ての修行を難なく取得しても覚醒しない
「今までの修行は何だったんだ?」っと諦め本当に無になった
その時突然覚醒したという
覚醒者の教えは千年で絶えるという
その後の覚醒者は数人出ているが
最近の覚者は出現せず
ただ神の声を伝える人は出 そして日没した
その人はおっしゃった「修行は要らぬ 神の教えを聞け そして実行せよ」と . 蜘蛛の糸垂らしてニヤニヤして他者を弄ぶ釈迦の性格の悪さは異常!てめーが一番外道だろが!!
釈迦こそ地獄に堕ちろ!!! 宗教は
集金マシーン
作成
装置!
信じたら
情弱!
信じさせろ! >>147
おまえ、やべーな
お釈迦様が神がどうのこうのなんて、言ったことないぞ
勝手に神仏習合するなよw >>149
「いいとこまで来てんのによ!死にたくねえんだよ!」
とかゆってたなやっこさん。どんな境地だったんだろうな合掌造り 教団の行く末案じて死んだ。
今までの修行水の泡だね仏陀さん。 地球は植物の星だから
人間も犬や猫、蟻やペッチン虫も植物のために生きてるんだよ
だから「諦める」ことがいちばん、植物には敵わないんだからw >>50
俺は悟ったけど、
結果物欲がなくなって嫌儲になったわ ヒンドゥーというかバラモン教が、苦行することによって神々の意思を変えられたり、何かしら得るものがあると考えてるので、ブッダもやったけど意味なかったと >>85
おまいはオナヌー三昧だろ
地獄とは言わないが、どっかに落ちれ… 遺伝的な欠如とかで、生まれつき欲のないヒトっていないのかね 最終的には気の持ちよう
但し気の土台に艱難辛苦が無いとその気は事あるごとに瓦解する >>2
弟子「まじかよ、せっかくだから信者から金巻き上げて金儲けしたろ!」 苦行を否定しているのではなくて、苦行を目的にするなという戒め
悟るために苦行してるのに、苦行してその厳しさでマウント取り合ってる行者が多かったのだろう
現代でも本来の目的忘れて苦労することが目的になってる人見かけるよね 悟りに固定観念持ちすぎだよな
それ悟りと逆方向だよ 苦しんで何かをやる事は無く楽しい事を目指して毎日生きようって事かぁ
偉い人が言うとそれで良いかもってなるな 救済バイアスが強すぎるんだよな
より深くて強くて大きい悟りとかを追っちゃダメ >>1
難行苦行修行にあらず
>>5>>59>>155
これ 苦行でキツすぎるのもダメ、何もしないゆるゆるでもダメ
楽器の弦が丁度よい強さに張った時、一番良い音を立てるように中道を行けと言ってる 座禅、瞑想、内観して肉体の五官で感じる仮相の次元を超越して実相の意識次元に至れと仙人が言ってたで 別にキツキツでもゆるゆるでもいいんだよ
どうでもいいこと
やりたいようにやればいい
テキトーに汗かいて物質的な豊かさをほどほどに保持して
他人に迷惑かけなきゃいいだけ 当時2ちゃんあったら釈迦が
「苦行する奴は弱者男性。安倍を叩く事しか楽しみのない惨めなアホ。苦行は今すぐやめろ」
ってスレ建てそう 悟ったらすべての苦痛から解放されて
魂が救済されて無敵とかそういうファンタジーは無い
みんなで平和に楽に暮らすために協力して多少汗かくと
トータルで楽っていうだけ >>32
南無妙法蓮華経は
Saddharma Pu??ar?ka S?traという経典をリスペクトします
と言ってるだけだから >>2
アントニオ猪木「あの道を行けばどうなるものか…
行ってないヤツは向こう側を知らないんだよな
やった者だけが見える景色がある >>89
じゃあ、釈迦が何を言ったかをはっきりさせないとな 何百巻の文章とか専門用語や密伝みたいな特別な知識や概念とか1mmもいらない
そういうのは逆に一部の選ばれし人間だけの特別みたいなコンプを生んで物事をややこしくするだけ
悟りに固執してるのがこういう人々 原始仏教だけは他の宗教と違うよね
世界最古の自己啓発セミナー オウムが宇宙の最高原理
あ、オウムじゃなくてオーム(聖音)だった 宗教は無意味って事だね
ただ宇宙ってどうなってんのとか心の中や
深い精神世界の探求なんかはやるのもありだと思う
とりあえず大麻解禁してくれ 何でもほどほどにして
あれこれ欲しいとかできるだけ思わず
ゆったりマイペースで生活する
食も女も服も車ももうあまり興味ない
リタイアしてのんびり生きてる
俺って仏陀の弟子になれるかな?w 物質的に豊かで
仏教が始まった時には無かったミクロとかマクロとか量子力学みたいな概念があって
詭弁のマニュアル化もされてて
昔より俺らの方が楽に自由に色々考えやすいよね
今んとこいい感じなのでこれをもっと推し進めればいいだけ >>133
オマイが奴隷だったんだよ
対等な付き合いになれてよかったんじゃね 釈迦「誰でも極楽浄土行けて成仏出来る、ね!手軽でしょ!」
仏陀「何で俺の時になかったの?」 修行って聞くと坊さんの滝修行や宗教団体で辛い事を我慢する事のイメージが強いけど、ちょっと違うと思うな
あれはただの我慢大会
人生自体が修行の場なんよ。生きてりゃ悩みや色々な理不尽な事も起こるが投げ出さないで寿命を全うする事、人の為に汗をかく事、最後まで人して生きる事が修行なんよ 日本における仏教ってだんだん楽な方に広がっていったから 「南無阿弥陀仏でOK」
「南無妙法蓮華経でOK」
「パクリやん」 結局のところ全てのものは自分のいなくてはいけない場所に存在してればそれでいいんだよ
そんな簡単なことが出来ない奴がいるからこの世に苦しみがあるわけだ 鳩摩羅什vs空海の超絶バトルを見てみたい。
孫悟空vsベジータみたいになるんだろうな。
「待っていた・・、この時を!!」な >>202
いいこと言うな
なかなかできねえけどな
オレは人生の中で出会ってきた人全員に頭下げねえとだめそうだ この場合はまさに苦行のことだろう
ゴーダマさんもヨーガのキッツイのとかいっぱいやったらしいし、身体を痛めつけて悟る人もいたんだろうな
でも、ヒンズーとか見ると、エクスタシーを悟りの一種とみる向きもあるのかな?
阿頼耶識とか五感以外の感覚も出てくるし、認識論になってくよね 解脱なんて絶対無理だから人間らしく生きろってな
まあそれこそが修行よね バラモン教の輪廻って、カースト内をぐるぐるするだけなのかな
「おまえは未来永劫ダリットです」とか言われたら長生きしそう >>202
おまえ何も知らないくせになんでそんなに偉そうに知ったような口を聞くんだよ
アホかよ 高僧が書いた書をただの便所紙と
笑うそういうクールな仏教のセンスが良い 心安らかに生きるって言うのは
囚われない生き方のこと
生も死も
老いも苦も
諸行無常。この世界の命が不変であることなどない
それを受け入れ囚われること無く生きることで安らかに生きることができる
修行も苦行もそれに囚われてプライドだけ高くなって
肉体的に衰弱していったら囚人と変わりない 間違いではない解釈だけどね
出家する人は「修行は無駄だと悟るために修行してみる」体験派なんだよ 釈迦様 仏教の開祖。人間関係を基本とし死後の世界を否定した。
キリスト ローマに迫害されていたユダヤ教の急先鋒。ローマ側の都合で死刑になるがその死刑をデンセツ化し、ユダヤ戦争でユダヤを根絶やしにした連中がのちにユダヤ教の教義と組織体系を丸パクリしたキリスト教を立ち上げ便利なアイコンにされてしまう。 結局、在家でも極楽往生出来るって広めた法然が衆生にとっては救いになったんじゃね
でも、日本の風土では輪廻転生を苦行とは解釈しないよね
そこに哲学めいたものを見ようとしてしまう 釈迦は菩提樹の下で座禅を組んで悟りの境地に達し
移り変わる現象(仮相)界の迷妄から解放されて
生老病死を超えた不偏不動の永遠の真理(実相)を会得したのだった
解脱
https://ja.wikipedia.org/wiki/解脱
>仏教において
> 釈迦は菩提樹で成道し、輪廻からの解放を達成したとされる。
> わが解脱は達成された。これが最後の生まれであり、もはや二度と生まれ変わることはない。
— 聖求経 とある僧侶があまりのシゴキにブチ切れて師匠ぶん殴ったら「悟ったな!」と言われて本当に悟った話すき >>225
哲学は人生哲学含め論理学の範疇だよ。
だから哲学めいたと言う時点で何らかの仮説とそこにある解を提示さるべきだと思うよ。
分からない問答を哲学と言うならそれは間違い。 ニュー速のアホどもってむかしはもの考えないで言葉に流される連中をスイーツ(笑)とかいってバカにしてたのに、いつのまにかそのスイーツ(笑)ばかりになってるよね。
しかも上から目線でややこしいこと語りながら実際何も学んだことないバカばかり。 >>229
気をつけても意味ないよ。
自分が何を知ってて何を知らないかを考えるようにした方があいと思う。
気をつけてもそれは、多分、なんとなくじゃ分からないのがあなただよ。 >>231
ああ、よく知らんことは語るなと
でもここってそういう知ったかで交流するのが楽しいんだよね
確かに気をつけても意味がないな 修行というと、何かをやる修行を考えるかと思います
ですが、何かをやらない修行もあるわけです
釈迦は禁止ではなく、執着という考えを示しました
現代は修行ともいえる社会かと思います
「スルーすることが修行です」w
スルー出来ない人の人生が上向くことはないですw
だいたい「自分のリアル人生と関係ない事ばかりだろ」
有名人のスキャンダルとかw ひろゆきがなにかいうたとかw >>218
何も偉そうな事など言っとらん
極めてまともな事を言っただけや
人間何十年もやってればある程度は悟る(分かる)やろ
反応見ると俺の言葉は坊さんの説法より効いたか?
寿命を全うしろ、人の為に汗をかけ、何度でも言ったるわ
それが最終的にお前さんが幸せになる道や マクロ的に正しいことをやったからと
ミクロの個人が必ずしも幸せになれるわけではないが
まぁ大体マクロ的に正しいことをやった方がトータルで楽 >>197
> ただ宇宙ってどうなってんのとか心の中や
> 深い精神世界の探求なんかはやるのもありだと思う
そういうのからも解脱したけりゃアヘンでもやればいい >>196
それなー深い瞑想状態で宇宙意識に到達するとオームの音無き聖音が
うぉぉーーーーーーーー…んと聴こえてくるらしいな知らんけど
鸚鵡じゃないがヨガ系は変なカルトが偽装してるケースがあるから要注意だな スキルがカンストするまではやる意味はあるけど
それ以上は単なる徒労だってなろう小説で学んだ
あ、スキル悪食まず取らなきゃ しゅ‐ぎょう【修行】
1 悟りを求めて仏の教えを実践すること。
2 托鉢たくはつをして巡礼すること。
3 精神をきたえ、学問・技芸などを修めみがくこと。
また、そのために諸国をへめぐること。
修行いらん ヒンドゥー教&イスラム教「そんなもん宗教じゃねえ!」
インドは仏教がマイナーになった 苦行やりまくって散々脳汁出したうえでの結論がそれだろ? 年収600から400に転職して休日を得た俺は釈迦で良いよな >>232
知ったかで割り切れるならそれでいいと思うよ。
けど、それが楽しいなら間違ったこと間違えたままで無自覚に認知が壊れていく。
アルコール依存と同じで楽しい気持ちいいだけでやってると、そのうち判断しなくなる。
自分はもの考えてたのに、いつの間にか統一教会に貢いでたり、ネットで偉そうなこと書き込むだけで部屋から出れなくなったり。そういったキチガイ状態の入り口になりかねないということだ。 >>200
そうかもわからないが今世でも俺が嫌ったり睨んだ奴はみんなことごとくとてつもない不幸に堕ちるんだぜ
なんのパワーだろうな
ただに勘違い痛い奴かもしれないが実際本人からしたらヤバすぎてキリがないくらい敵が滅んだ ブッダ(一国の王子で子供までいた、王子が失踪した国は強国に攻められみんな奴隷になった)「苦行は無駄」 悟りも宗教もいらん
俺の方が悟ってる!みたいな悟りバカの素 はいココがポイント!俺悟った!とか勘違いした時点で大体思考停止してる 昔には無かったミクロとかマクロとか量子力学とか
新しい概念はどんどん出てくる
悟りバカは思考停止してるのでついていけない 修行するぞ、修行するぞ
これ、もう既に執着の塊なんだよなw >>256
俺は悟りってのは理解できないしこれからも理解しないと思うけど、量子力学が代替になるとも悟りを内包するとは思えないよ。 「末法思想」なんていう その宗教自体を崩壊させるような危険な毒物を蓄えながらまだ生きてるのは
仏教ぐらいかなあ? どっちにしろ宗教なんてロクなもんじゃないわ >>259
悟りをXと過程して自分の書いた文章をもう一度
他人からどう見えるか想像してみるといい
基本的な客観性が欠落している 気張っておなぬイメージトレーニングやってんな、がんばれよ
能天気 仏教って一瞬我に帰る手段やろ
俺あんまり好きじゃない 釈迦が説いたのは中道って言って、厳しすぎる修行は無意味ってだけで、修行自体は否定しとらんぞ おまえら
幸せになる呪文をおしえてやる
オンベレブンビンバ
これだ。 オレは自力でこの境地に辿り着いたな。人間どうせ死ぬ >>261
じゃあ空間や力や粒子の根本に悟りがあるって思うんだ?
悟りなんてわからない知らない関係ないなら同意だけど、悟りとかは新しい概念とか仮説で替わるものだと思ってるんだね。
俺は悟りは知らないけどその考え方もわからないな。
もしかして、量子力学は世界の全てを説明するからそこに悟りとやらも入ってるって思うの?
世界の全てを一単語で説明できると思うならそれは錯誤だよ。俺の範疇だとね。 つーか新しい概念の例として3つ挙げただけで
原始仏教時代に存在しなかった概念は山のようにある
大体悟りを求めろっつーのがもうだいぶ執着ですよ
矛盾しとるわ
新しい概念も使ってただ事実と楽な道を求めていくだけ >>260
釈迦も説法して説いたりして回ったり弟子が増えてきた時にいずれこの権力を悪用するやつが現れるなと察してたのはさすがだけどなw 修行も悟りも宗教もいらん
自由に楽に生活したり思索すればいい
論理的に思索するためにはその宗教独特の用語などは使わん方がいい >>235
完全にアホな老人の独り言だな
よく自分を観察してみろよ
人格の低いそこらの老人以下の老人だろ 釈迦の何が凄いのか分からない
釈迦が言ってる事は、俺がとっくに思ってる事と同じ事しか言ってないんだよね
俺が凄いだけなのかもしれないが 他人にえらっそうにクンロクしてる時点で男の危機迎えてる感満々だな お前ら、死ぬのが怖いの?
俺は、小さい子供もいるから今死ぬわけには
いかないと思っているけど、
死ぬのが怖いと思ったことはない。 >>2
死ぬまで修行してただろ そんなアホな事言ってない ヒンドゥー教ではヴィシュヌの化身で嘘の教えを広めて背教者を地獄に落としたことになってるw ていうか日本の仏教って修行したけど悟りひらけなかった人が広めてるんだよなw
妻帯OKとか飲酒OKとか東南アジアの僧が聞いたら腰抜かすよね 無駄とは言ってない
ただどんだけ苦行しても悟りには至らないからね
とは言ってる >>248
心配してくれたのね
ネットにも情が有りますなあ >>282
一般庶民向けなんだから
それで良いんだよ! 何をもって悟りというのか分かんないけど
世界に対する認識がガラッと変わっちゃうのって恐怖じゃない? >>1
修行は無駄とは行ってない。
極端に身体を酷使する修行は間違っていると言っている。
かと、言って何もしないとかありえない。
だから、中道と言う思想が生まれた。
とりあえず、四諦と八正道が、仏教の根本。 だから人生に世界に絶望し切ってないと悟りって楽しくないと思うんだよね
まあだから一切皆苦から入るわけか 修行なあ、、我慢は体に良くありませんよ、とか言って自転車に数百万かけて専用のガレージ、自家用車は高級外車の煩悩坊主いるわ >>5
修行は最も重要
葬儀なんていらんから俺の屍はその辺に打ち捨てて修行してろと言ってたのに
弟子たちはみんな何も話聞いてない裏切り者だったんで葬式教になってしまった
イエスも何度繰り返し語っても頭に入らない情けない弟子に生涯情けない思いさせられ
死後その教えが教会を中心とする拝金神殿教にされてしまったのも似ているな てかブッダってもともとが仏だぞ
仏さまが人間に生まれ変わって
悟りのやり方を教えてくれただけで
もともと知ってたんだから 実は俺たちも元々は仏と同じ存在だった
しかしそれを覚えていないだけ 私達は涅槃の記憶を記されてこの世に生まれてきたにもかかわらず
思い出すことのできない性を持たされたから… いろいろ調べてたら仏様って原子レベルで俺たちをコントロールしてる >>291
ブッタもイエスも孔子もソクラテスも、文字による教えを残さなかったんだよね。
文字に残すと曲解されるとわかってたから。
しかし全部、弟子が言葉を残してしまった。 >>298
ブッダの時代は文字がなかったから
詩という形で語り継いだ
これを聞法という >>298
弟子が残すどころか同人誌造りまくり
挙句の果てには正典とか言い出す始末w 無駄って言ったのは苦行だろ
今でもインド人がやってる息止めたり、飲まず食わずするやつ 父親や義母も捨てて、女房や子供からも逃げて、国も捨てて、王の座からも逃げて、修行まで逃げ出したクズ
本当にこんなのが悟れるのかねw いい加減になんとなくで語るのをやめろ
対極にいる地獄の亡者どもが >>271
地獄の概念ができたのお釈迦様が亡くなってからだけど、仏道を間違って教えたり使ったりした亡者用の地獄が用意されてて、やらかしたやつがおったんやなってなるw >>256
原子核なんて
ギリシャ時代からある概念ですが? >>267
この世の中は自分が興味持った世界が開花するようにできているんだぜ
幽霊もいりゃ宇宙人もいる
超古代文明もありゃ巨人や小人の骨だってある
妖怪もいりゃ人外みたいな人間もいる
すげえ世界なんだよ
オマイさんが量子力学に目覚めるとその世界が広がっていくんだよ
世界が平面だと思ってるやつにはすべてが平面にしか見えねえんだよ
オマイさんがエロの権化になるか守銭奴になるかはオマイさん次第なんだよ
色々興味持ってやってみるといいぞ >>298
当時は文書ってそんなに重要じゃなかったのではないだろうか
読み書き出来る人がそんなに居なかっただろうし >>1
仏教の根本教理は、
「色即是空」、土から生まれて土に帰る。
これは、自然科学的にも正しい。
宇宙の全ては、素粒子から生まれて素粒子に戻る。 オーラ芸人も観てからのコメントしかできないのにな、見えないものを見るとかなんかの番組でいってたがポエム >>296
それ言うならインド出たときからそう。
釈迦の話にない現世以外の世界の話や神仏キャラが組み込まれてる。 このスジャータのくだりめっちゃ有名なのになんで千日回峰行とかやっちゃうの?
あいつら釈迦の言うこと聞かないなら仏教語るなよ 千日回峰行クリアした人も日常のありがたさを理解したって言ってるし、大事なのは苦痛そのものより頭でいろいろ考えることみたいだから、
瞑想すればいいよっていうシャカは間違ってないし、山歩く修行もやってることは結局いっしょなのかもしれない キリスト教も教会が好き勝手にネジ曲げるからプロテスタント運動が起きたしな。
仏教も難しい漢字のちんぷんかんぷんなお経から現代語訳が出て来て現代人の常識なら、そうだねと言う当たり前な内容だとバレたしな。 >>1
馬鹿な肉体的修行をしなくても、悟りに至る事は出来るって意味なんだけどね。 >>329
当たり前の事を当たり前に実行する事の大切さよ。 >>326
頭でわかってても人とは迷うもの。
自身を追い込むのにある程度肉体的修行を積まないと得心出来ないことも多いんだよ。 極端なのは良くないよって話だからな
快楽も苦痛も自然なあり方の一部なんだから全否定するのもおかしい
欲望に溺れるのも苦行にのめり込むのもやめて、中道路線でこの世の真理を見つけろってこと
クッソ難易度高いけどね >>298
文字化というのは製作者の意思が入るからな。でも長く伝えるためには必要なこと。
経があるからこそブッダの心を推量ることが出来る。
本当のブッダの心は同時代に生きてないから知ることはできないからね。 まず大前提としてねこの世は地獄なんですわ
ほんでね、輪廻転生ってのがあってですね
何度もこの地獄に産まれ直すってまあたまったもんじゃないんすわ
ほならね、なんとかこの輪から抜け出したいってなる訳ですよ
そしたらね、まあ徳を積むとかなんかしてプロセスを経てなんとかしたいって言い出したんですよ
私じゃないですよ後世の人がまあー色々考えたんでしょうね
写経してみたりとか仏具作ったりとか仏像作ったりとか即身仏になってみたりとか色々ね
この先また高次元存在にシフトするとか出てくるんでしょうな
サイバネブッディストとかよく出てくるのはアレ相性がいいからなんでしょうな まぁあまり欲をかかず、清貧ながらもストレスを溜めない行き方してれば、心は安定するよね。
若くして社畜からFIREした節約マスク・かおるって人の生活見てると、派手さはないけど心安らかに生きていそうで羨ましい。 「八正道」と「六波羅蜜」な
あと人間の目に見える現象は「空」が造り出した仮の姿だからな イオンのフードコートに張ってあった張り紙に
子供は身体が落ち着かない
大人は心が落ち着かない
と書いてあった
その通りだと思った >>333
難度を高くしてるのは自分の中の固執や固定観念
自由に楽に考えるだけでいい 虐めたり虐められたりで喜ぶのに何言っても無駄
世の害はこういう奴だから おう、良いトコのボンボンは言う事が違うわな
てかそれを崇める貧者が後を絶たない現実・・・
まさにこれ信仰ナリ
信者と書いて儲かるってな、毛刈るって・・・ごめん(´・ω・`) >>2
意味がなかったと体感していることに意味があるんだよな
修行欲という煩悩を断ち切るための過程だ >>291
まあ裏切りってか、直弟子ってのはそんだけ敬愛してたんだろ
で、自分も師の教えを忠実に伝導しようとするけども、悲しいかな師には及ばず、下手すれば師の教えすら軽んじられかねない始末
ホントはここで割り切って、また低いとこから石を積んできゃいいものを、あんなに敬愛した師匠の積み上げた高みが無惨に崩れていくのも見るに堪えない
…で、なんせ師匠の言葉は金科玉条、俺はそれを後世に伝える役でいいってとこから教会化、権威化が始まるんだろうね、最初は教えを絶やさないための手段としての権威化
後にその権威自体が目的になって今に至る、と >>347
まるでsound of silenceの一節だな 現代人の方が古代の王族よりいい暮らしできてるんだから
おまえらは心底偶像化が好きだよな 服なんか着なくてよかったんや!
の境地に達した人? 日本人って脳死ブランド信仰な人だらけだよな
こんなにネットで情報交換できるのに字面ばっか追ってる
情報を材料にして吟味したり思索するんだよ
道具の使い方がおかしいわ ブッダブランドの
シャカムニスーパースター
悟り資格3級ゲット >>299
ブッタの時代には文字はあったよ
一説にはだけど、識字率も高くなく、また、平民と特権階級の使う言語は違っていたとも言われている(サンスクリット語は王やバラモンの言語)
文字に残すことで権威づけられることを嫌って、口伝にしたとも言われている
また、口伝だと弟子は嫌でも暗記しなきゃいけないとか そしてバラモンの説くカルマの法則、前世で悪い事をしたから奴隷やダリットに徳を積んだら王族やバラモンに生まれ変わるのは嘘だと見抜いた。
本当は魂のレベルに応じた世界で同じような人生をひたすら繰り返すだけなんだよ。
だから解脱してもう生まれないのが最善と説いた。 >>329
と言うか仏教が昔から布教してたことが民衆の常識になったのでは
日常使う言葉や作法、文化的なものは仏教のものが由来が多い
ストレス軽減の本とか読むと何百年も前に禅僧が説いたことと一致するし >>8
仏の顔も三度まで殴って良いんだから、普通の人間ならいくら殴ってもかまわんだろう。 >>321
素粒子から生まれて素粒子に戻る
↑
バカ丸出し 親鸞「南無阿弥陀仏って唱えときゃ阿弥陀如来様が助けてくれるよ」 ブッダの言動は今の仏教からするとせっかく儲かるシステム作ってきたのに余計なこと言うなって感じなんだろうか >>372
親鸞の思想は「我々はすでに阿弥陀様に救われている」だから、お願いじゃなくて、感謝でナムナムするんだよ 仏陀が否定したのは苦行であって修行ではない
苦行ってのはそれこそクレイジーな事を色々とやってたそうで、クビだけ出して全身土に埋まって何日も過ごすとか、
針の寝床の上に寝るとか、まあそういう気狂いじみた事をやっていた坊主がたくさんいた訳だ
仏陀もそれらを修めた上で苦行の無意味さを説いた訳だ
結局、苦行やってる奴らは世の中を良くしようなんて考えてなくて、苦しい事をやってのける事で尊敬されたいだけだと >>32
法然は法華経を理解した上でこいつらに理解出来るわけが無いと念仏を広めた
今は法華経を理解出来る土壌、教養はあるだろ ブッダは架空の偉人説もあるよね
我は空なり。だって創作の人物だもん。っていう。 お釈迦さまは修行を否定してない
苦行を否定した
でもお釈迦さま時代の仏教教団の戒律は
当時の出家者のふつうのスタイルとして
屋根の下で寝ない
死体捨て場で寝起きする
着るのは捨ててある布(糞拭衣)
ご飯は托鉢でもらった1日1食だけ
これが苦しいって、ちょおま、ゆとりww >>377
法華経というお釈迦さまのキャラを借りた同人誌をありがたがる
バカがいると聞いて
コミケ会場で買った、勝手にキャラ使ったエロ同人誌に萌えてるバカと同じ まあ、いずれにせよ仏教ってのはみんなで知恵を出し合おうっていう考え方が根底にある
仏陀が言った事が絶対正しいという事ではなく、より良く生きる為にみんなで解釈なんて変えていいのよ
教えの根っこの部分は、
・他人と喧嘩しない様にしましょう
・欲をかきすぎない様にしましょう
・生き物の命を大事にしましょう
・傲慢にならず慎ましく生きましょう
みたいな当たり前の事しか言ってない
その当たり前を、どうやったらみんなが守れるかね?みんなで考えよう!ってのが仏教の始まりだ ちがうよ
生きていく事は苦痛しかないから、その苦しみから抜け出すにはどうすればよいかと考えた結果、苦しむ自分にもこの世界にも実体はない事に気がついたら、無になって二度と苦しみの世に戻ってこなくてよくなると言うこと
般若心経の内容はアレは存在しない、コレも存在しない、だから恐れも苦しみも存在しないて言ってる >>384
ちゃうよ
釈迦が城から逃げ出した古事を「四門出遊」というんだけど
自分の住んでる城の門の外を見て、死者・病人・老人・修行者をそれぞれの門の外で見た
「まじかよ人間て死ぬのかよ。こえええ」つって「生老病死」を克服するために出家してる つまりね
釈迦の教え、本来の原始仏教は「生老病死」の克服
その時に必要なのが八正道とか空とか縁起とかそういう哲学 >>381
いや、ちゃんと苦行したよ
苦行仲間と苦行林で
米粒ひとつで何日も過ごすとか
猛獣のそばで平静を保って瞑想するとか
なんかいろいろやってんだけど
苦行で死にかけて倒れてるとこを、スジャータという女の子に救出されてる
この時にスジャータから乳かゆを恵んでもらってるので、苦行は諦めたとかやめたというより挫折に近い状況 >>376
そうそう
釈迦が菩提樹の下で悟った時に
梵天と言う神様から「おまえの悟った事はすごいから、民衆に広めろ」というんだけど
「民衆なんかどうせアホなんだから、教えてもどうせ理解できないからいやだ」て拒否してる
梵天が広めろ広めろ言うので
「じゃあしょうがねえな、7日だけこの悟った状態をひとりで楽しんでから布教するわ」て言ってる
結構クソヤロウなんだよね、釈迦って 仏教はえらいよな
・妻子を捨てて一人で逃げ出す
・苦行に挫折する
・スジャータの家に寄生する
・民衆なんかアホだから教えを広めるのはいやだといった
ちゃんとこういう釈迦のクズ具合を書いてるから正直だよね >>373
そらそうだよ
当時の修行者が持って良い財産なんか「衣三枚つまようじ」つってさ
要するに袈裟が3枚、これ死体から勝手にはぎ取って袈裟を作るので、本来の袈裟は体液とか糞尿がしみ込んで洗っても落ちないから黄色かった
弟子の豪商とか王様から精舎を寄進されるんだけど
それもあくまで雨季の間を過ごすだけの場所って感じだしね
「念仏唱えて20万、戒名ひとつで30万、墓石ひとつで200万」とか言ってたら
釈迦に「ぶっ飛ばすぞ」て言われちゃうよね >>367
正確に言うと、仏教は伝来してないんだよね
日本で有名なのは最澄や空海で、この人たちの派閥が広がっていったんだけど
そもそもこの二人が仏教を学びに行った中国は、当時もう「仏教とは何ぞや」と言う事がわからなかったんだよね
一神教みたいに
出エジプト記の「私は妬む神である」こういう教えがあるから一神教は「神を妬ませたらいかん」つってその辺の宗教を弾圧しながら広まったんだけど
一神教以外にはあまりそこまで攻撃的だったり排他的な教えって無いから
いろんな宗教と共存しながら、よその宗教とお互いに影響受けながら伝来したんだよね
だから仏教も中国に行くまでにジャイナ教やバラモン教なんかに影響受けちゃったし
中国でも道教や儒教の影響を受け始めた
そう言う状況なので、最澄や空海が中国へ行くより少し前の時代の三蔵法師も
「中国に居たんじゃ仏教なんかわからねえ」つってインドまで行ってる
最澄や空海は「中国に居たんじゃ仏教なんかわからねえ」という状況の中国に学びに行ってしまった
位牌とか仏壇というのも漢の時代から本格的に歴代皇帝を祭りだした先祖崇拝の儒教が始まり
三国志の後漢の時代、それ以前の秦は3代しか皇帝続いてないしね >>390
お釈迦さまは7年の修行の後
宮殿での贅沢な享楽な暮らしも
身体を痛めつける苦行も間違ってると
スジャータに乳粥の布施を受け
川の水で身体を清めてから
菩提樹の下で坐禅瞑想に入られ悟りに到達された
「女は糞袋」 >>395
そう
堕落の暮らしから苦行の暮らしへ極端から極端に振れたんだけど
苦行でぶっ倒れて「中道が良い」と言って中道の修行で悟った
ぶっ倒れる前に気が付いたらいいのにと思うけどな お釈迦さまの本当の教え
ひきこもり、ニート最高!
働く?貯金?pgr
親も兄弟も友達もみんな縁を切ってしまえ
女は糞袋、セックスめんどい
子どもなんか邪魔邪魔邪魔
神やあの世の有無なんかお前に関係ないやん
お祈りで物事が解決するわけないやろ
ナマポ(托鉢)で暮らせ お釈迦さま7年間の修行時代の苦行は
坐禅瞑想以外に
断食業
息を止める修行などなど
命を失うリスクが高い
凄まじいもの
人間の五感、感覚と思考、無意識下の関係など
今の医学生理学的な事象を
自分の身体を実験代にして解明しようとされた
脳、神経、シナプス、電気信号など人間の意識を生み出す生理解剖知識もない時代に到達できる限界まで
仏教の教えのベースは感覚と思考の生理的解明がある バラモン教、後のヒンドゥーには
苦行を神々への供物みたいに考える。
パールヴァティーは苦行をすることで夫シヴァの愛情を得たと言う神話もある。
だけど肉体を痛めつけてそれを耐えてみせても、なんにも変わらない(まあ、我慢強い偉い修行者様という名声は得るが)
とブッダはそれを否定した。 >>401
ありません。
解釈権はないし理解の仕方は自由です。 >>382
仏教でマウント取るやつってどんな精神状態なんだろうなw 神も仏も存在しない
居たら、プーチンや岸田二階森が生きているはずが無い >>401
あるよ
もうね、宗教なんかどこの宗教も同じで
時間が経つほどに腐っていくんだよね、教祖様はすごい人だったのかもしれないけど
後輩たちは普通に欲望まみれだから
金稼ぐためとか、欲望を叶えるためとか。釈迦の教えを捻じ曲げるんだよね、戒名で10万、念仏ひとつで20万、墓石で200万とかさ
もうそう言うのやめた方が良いよ、釈迦に回帰しようよ
というのが居る
俺も別に宗教信者じゃないけど、釈迦に回帰する原理主義の方が正しいと思う >>402
んんんんんん
ちょい違うね
カーストと言う概念はマヌ法典から着てるんだけど
「魂は宇宙と同一である、その魂には阿頼耶識と末那識というデータベースがくっついてる、そこにカルマが蓄積されていく」
こういう考え方だから
カルマを軽減するために、民衆はバラモンに托鉢をするし、バラモンはカルマを軽減するために苦行するんだよ
基本は、苦しまないとカルマって軽減されないの
だからインド人て基本は苦行ばっかやるんだよ
そんで、そういう人に寄付とか托鉢をする オウム真理教でも
「カルマ落とし」とか言ってさ
ひとりの信者をみんなでぼこぼこに集団リンチしたりしてたんだよね >>408
マヌ法典、摩尼宝寿、キリストのマナ
このマナは日本が発祥ですよ >>411
本当です
スメラミコトのフトマニのマニが源です
スメラミコトの教えが大陸に渡り部分的に解釈されました >>411
数万年に渡る縄文の文化の真髄がフトマニです
そのフトマニの教えで全世界の人間を進化させようとしたのが、3千年前から始まった世界維新です 釈迦自身は輪廻転生を否定してると思うよ
なんでかっていうと
「魂はあるんだ、宇宙と一体で永続するからカーストだ」というマヌ法典を無視して
誰でも「最高カーストのバラモン」として認定している、「修行者」というのは最高カーストだからね
当時インドで最強のマガダ国の王様も、釈迦のお父さんも、釈迦に弟子入りしてるくらいだから
当時のバラモン階級というのは最強だったの、バラモン階級にもいろいろあったけどね
誰でも修行者として最高カーストよと認めたのが釈迦
これマヌ法典の論理を破壊してるんだよね
さらに
バラモン教では「梵我一如」と言って、梵=宇宙、我=自我=魂、それが一如である
「宇宙と魂は同一の存在である」というのがマヌ法典から来るバラモン教の梵我一如なんだけど
釈迦は
「諸法無我である」と言う事を言ってるの
「自我なんかねえよ、魂なんかあるわけねえだろ」てバラモン教・マヌ法典の梵我一如に対してアンチテーゼを出してるんだよ
「諸法無我である」自我なんかあるわけねえだろって
もっと解説するか? 例えばね
釈迦の時代で、日本で言う弁慶みたいな殺人鬼が居たの
これをアングリマーラというんだけど、とにかく人を殺しまくる
そんな事やってたらカルマが溜まってカースト落とさないといけないでしょ?
だけど、釈迦はアングリマーラを最高カーストの修行者として弟子入りを許してる >>415
どっちも正なんですね
それがフトマニ
宇宙の片割れの末裔が我であれば自我など無いが、実際、ここには自我がある
片方がブッダ、もう片方がマヌ法典、どっちか、じゃなくて、どっちも、というのが太マヌ、太マニ、太マナ 日本も空海は修行苦行を用いる方向に走った
信者を募るのにやっぱわかりやすい仕組みが必要なんだね 来世に期待するのは今の自分の人生や生まれたこの世の中に納得してないから
ちゃんと悟りを開いて満たされれば、輪廻転生なんてシステムは必要ないことがわかるよ 現実に過去世の記憶を持って生まれてきた子どもがたくさんいるだろ >>419
例えば
悟りを開いた人ってどうなると思う?
「すべてにおいて執着しない心境」 >>395
賢者タイムか
誰が考えたのかこの言葉は本質を捉えてたのか ★悟りを開いたらどうなるか
というと
これがすべてだとは言わないけど
定義上は「すべてに執着しない」その境地で、何が起こっても心が乱れない、波の無い水面のような精神状態
これを涅槃寂静というんだよね
ゴキブリって気持ち悪いから殺したいじゃん
お父さんお母さんは死なれたら悲しいでしょ?一般的に
「でもそういう執着やめろよ。プラスもマイナスも好きも嫌いもやめて全部均一にしろ」
こう言う論理になるんだよ、論理的にはそうなるの
ゴキブリの死と、恋人や子供の死が完全に等価値になって、心が一切乱れない境地
生きる事にも死ぬ事にも執着しない、心が一切乱れない境地
こういうのを悟ったら得られる「涅槃寂静」というんだよね
だけど、論理的に考えたら
人間性おかしいでしょ?自分の子供とその辺のゴキブリの死が等価値って
だから、「人間性が破壊されるから、悟る一歩手前でやめておくよ」という設定になってる坊さんの仏像はいくつもある で。全部の価値観の中心が0になるんだよ
プラスとマイナスの中間が0になるんだよね
この0というのも重要で、サンスクリット語ではシューニャというんだけどこれが0の概念で
色即是空の空の意味
「この世はすべて幻である。この世はすべて空である。この世はすべて0なんだ」
こう言う教えなんだよね 空海は恵果から何を言われたか?
お前の国に全てがあると言われて大日如来を授けられた
縄文世界文明の首都である日本が全ての源 >>425
この世の全ては0であり、同時に1でもある
というのが太マニ 王室の堕落の暮らしという極端から
思い切り苦行という逆の極端に行って
堕落も苦行もダメなんだと言って釈迦は「中道だ」と言って悟りを得たの
堕落と苦行の丁度中間が0になるんだよ、シューニャ、色即是空の空
この世はすべて幻だという、空の思想 >>2
釈迦は「苦行」を否定したんだよ
瞑想だけで悟れるよって なんかわかりにくいことあった?
俺の説明で
「自我なんかあるわけねえだろ」という「諸法無我」も解説しようか? 悟りを開いても救われるのは自分一人だからね
釈迦のように他人までをも救おうとするのは本当に大変で、これこそが人類に与えられたエンドコンテンツといえる
釈迦ですらブラフマンに頼まれても断って、3回目でようやくやる気になった
https://i.imgur.com/boB8DaG.jpeg
俺はやる気せんから、生きる苦しみから逃れられてないヤツに悟りマウント取るだけにしておく >>431
いや釈迦は「民衆なんかアホばかりだから俺の論理理解できねえよ」て
「梵天」という神に「広めろ広めろ」と言われて拒否してる事になってる
これはね、他の宗教と比較すると、結構現実味あるかなと、俺は思ってる お釈迦様の時代は、現代のような病院とか娯楽が無かったから
人生が苦しかった。
だから、なんらかの「気休め」「納得」が必要だった。 >>429
そうね
そんな感じ
だけど、その瞑想というのも
釈迦は二人の仙人に弟子入りしてるんだよ
アーラーラカーマーラ仙人と、ウッダカラーマプッタ仙人というんだけど
そこで瞑想の極意を教わってる
仏教ってさ、こういう事ちゃんと正直に書いてるから良いよね >>433
いやもっとひどいよ?
ちゃんと調べると
カースト低い人は「おまえは生きてるだけで罪である」みたいになってるから
釈迦が出家した古事で「四門出遊」てあるでしょ?
「生老病死」は苦悩である。て
「生きる事が苦悩なんだよ」てそれが大前提になってたんだよ 現代でも生きることの本質は苦しみだよ
人間が進化したわけじゃないし、生まれながらに病気や死の恐怖から解放されたわけでもない 仏教で飯食ってるやつは怒ると思うけど
俺は事実を言うよ 末法の時代に熟脱の時代の修行は無駄ってことじゃね? >>434
それぞれから無処有処定ってのと非想非非想処定ての学んだんだっけか
でどちらも実践した結果、どちらの瞑想でも悟れないって結論に至ったとか
その二人の瞑想がどういうのかまではわからんが一般に瞑想には2種類あるっていうね
瞑想を意味する言葉として止観ってのがあるけど
俺はずっと止観=瞑想と単純に思ってたら止の瞑想と観の瞑想があるって知った時は
へえーて思ったわ ジャイナ教なんかもっと過激よ?
「カーストだと?」て
だったら産まれたらとっとと苦しい苦行を死ぬほどやって、とっとと死のう
そうすれば次のカーストは上がるだろ
ざっくり言うとこういう感じ >>439
瞑想を意味する言葉はゼンナというんだよ
日本の座禅の禅というのは、そのゼンナに充てた文字
意味は同じで瞑想の事 仏教が素晴らしいのになぜ仏教国はパッとしないのか?
それは、仏教が庶民用であるから >>440
違う
苦行をして次も人間として生まれ変わろうってのがジャイナ教だぞ
人間として生まれたのにまた次も人間として生まれる為に死ぬまで苦行してるのは永遠に苦しいだけだろって論破した
結果として仏陀時代の弟子の中にはジャイナ教から改宗した人間も大量にいた 「瞑想とは心を無にする事だ!」
何も考えないというのはほぼほぼウソだと思う
なんでかと言うと
例えば達磨さんが瞑想9年やって手足が腐ってもげて
なんかようわからんけど、日本で選挙に勝つと目を描く丸い達磨さんになってるでしょ
深い瞑想の事を三昧というんだよね
サマーディという言葉に当てた漢字だけど
これは「何も考えない」という意味ではなくて「夢中になる」という事なんだよ
例えば読書三昧とか、ゲーム三昧とか
あとで足が痺れてイタタタタターて
三昧・サマーディになるってのはこういう事なの
深い瞑想状態になる=夢中になる事と、「何も考えないでぼーとしてる」てのは
流石に違うよ
釈迦はそういう深い瞑想状態から空とか縁起とか哲学を見出してるのだから
ぼーっとしてたら無理でしょ? 大陸の民は宗教に属しようとした
つまり心を他に預けた
対する日本の民は神を心御柱として心を斎いた >>446
釈迦は何も創造してないよね?
非生産的 >>445
何も変わらないだろ
カーストをあげるためにカルマを減らす
カルマを減らすためには苦行をしまくってとっとと死ぬ
そうすれば転生してカースト上がるよね
こう言う話だよね この世は全て空で幻
宇宙やそれを構成する原子や原子核も実はスッカスカ
力が作用してそこに実態があると俺たちは思ってるけど
この世は宇宙の果ての二次元に保存された情報の投影ってのがホントに正しいのかもしれんね 瞑想というのは
座禅というのは
瞑想というのは少なくとも「何も考えない無」というのではなく
「何かに集中し切った状態」
俺はこう思うよ
他の解釈できないし 「心を無にする」て言うでしょ
完全にデタラメだよね 宗教で言う悟りと言うのは
感情に支配されず理性的になると言う事だろう
仏教では煩悩
キリスト教では原罪
とよく言うが
動物的な本能から脱却して理性の塊のような人間になる
そうなるよう精神的に進化しなければならないと言う事だ
これを何千年前の人達も理解し修行し人々にもそうさせるよう布教して来た。 ついでに言っておくけど
無に拘ったのは道教なの
「無から有が発生して、発生した有はまた無に戻る。このサイクルと道{タオ}と言う」
これが道教の基本概念で、そこから風水とか気功とか「この世の摂理を学ぼうせ」という宗教なんだよね
「心を無にする」
完全に道教の教えだと思うよ 見殺しにしたほうがいいわけだな!
はだしのゲンすらも無視するのであらば、
日本国に期待はもちませんので >>460
偶像崇拝はどうでも良いんだけど
やりたければやれば?と思うけど
仏教徒が仏像拝むのって論理的におかしいんだよ
釈迦が悟りをひらくために、自分の像なんか拝んだ事無いんだからさ
キリスト教もそう
キリストは十字架なんか拝んだ事ないからね
仏像とか十字架とか
なんでいちいち拝むのよ、て感じだね 旧弊たるバラモン教を打破する新思想運動として登場した六師外道の大思想家の仲間がお釈迦さま
お釈迦さまの教えも六師外道の教えも
各々よく似てる
ジャイナ教とは兄弟宗教
違いはとても小さい 仏教徒とキリスト教徒が居たら教えて欲しいよね
仏像とか十字架を拝む事にどんな意味があるの?て インドの六師外道やお釈迦さまと同時代は
古代ギリシアに哲学家ヘラクレイトス、アナクシマンドロスなど
同じような考えを持った思想家が登場してる
ヘラクレイトスの「万物は流転する」は
諸行無常と重なる >>464
その時代って
奇跡の時代で
近い時代にプラトンもソクラテスも韓非子も老子も荘子も
日本で言うと神武天皇とか
その時代って不思議で
アレキサンダー大王も含めて、天才が大量に出てるんだよ 悟りを開くってどういう意味?
宇宙の真理みたいなものに気づくこと? >>370
| 宇 宙 図 | 宇宙はどのように生まれたのか? - 国立天文台
https://www.nao.ac.jp/study/uchuzu/univ02.html
https://imgur.com/uB8Xt5E.png
すべてを生み出した3分間
宇宙誕生直後の約3分間。それは、私たちのまわりにある、すべての物質のもとが生み出された時間でもありました。
超高温の宇宙は、この間に急激な膨張を起こしながら冷えていきました。その中で、物質のもとである素粒子のうち「クォーク」と呼ばれるものが集まり、陽子や中性子となりました。さらにはその陽子や中性子が集まって、元素の中でももっとも軽い、水素やヘリウムの「原子核」がつぎつぎと生み出されたのです。このとき生まれた原子核は、総数の92%が水素、残り8%がヘリウムでした。
※ この世界の物質をバラバラにしていったときに、これ以上分けられない最小のものが「素粒子」。電子はこの素粒子のひとつです。
※ この時に解き放たれた光を、現在私たちは宇宙マイクロ波背景放射として観測することができます。 インドや中国は苦行や修行に特化して奇妙奇天烈なことになったな お釈迦様の教えではオナニーは我慢しなくてはなりませんか? なんかね悟りとかいうはなしも無能だと自覚あるからいいだしたんかい、これ言っとけば才能あるぅぅみたいないろんな捉え方あるからばれないだろみたいな
能天気は 釈迦が説いたのは 修行は無駄 じゃなくて 苦行では悟れない ってこと
釈迦は修行をしなさいという教え
釈迦のいう「修行」とは、正しい行いをしなさいということ
で、その正しい生き方を具体的な規則にしたのを「戒律」というのです
それは仏教の基本的な考え方で、
生活を正しくすれば自ずと心も正しくなる
心が正しくなれば諸々の苦しみから解放される
という教えがあるわけです
その心を正しくする正しい生活のことを「修行」というわけです
よく仏教のしゅぎょうは「修業」と「修行」どっちですか?と聞かれるが、
修業は職人がその道の技(業)を学ぶこと
仏教は「行」つまり行いを修めること、行いを正しくするということ
断食したり滝に打たれたりするのが修行ではない
悪いことをせず、善いことをして日々いくらしていくことが本当の修行である
仏教の最も短いお経と言われる言葉があります
七仏通誡偈とい言われるお経です
七仏とは諸々の悟理を開いた人ということです
悟った人はみんなこの教えを説いたということです
たった漢字16文字のお経です
諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教
意味は、悪いことをせず善いことをして心を清めよ、これが仏(悟った人)の教えだ という意味です
簡単でしょ?言ってることは
でも日々これを”実行”することは難しい
だから人間は日々これを実行し積み重ねていくことが大事
積み重ねていった先に安楽の境地、悟りの境地があるのだと それが仏教の修行
永平寺の宮崎奕保禅師は「悟り」とは何か?と聞かれて「悟りとは積み重ねでしょうな」と答えた
仏教の悟りとは何も超人的な能力を身につけることではない
行いを正しくして心を正しくすること 日々繰り返すこと それが人の心を安楽にする
それが釈迦の説いた悟りなのだ 釈迦と言ってもただの人間
老いて死ぬしそんな不完全な人間が教えを説くとかアホみたい
キリスト教みたいに神はいないの
人間を指導できるのは神だけ 釈迦と言ってもただの人間
老いて死ぬしそんな不完全な人間が教えを説くとかアホみたい
キリスト教みたいに神はいないの
人間を導くことができるのは人間を作った神だけ 妬み嫉み悪意をエネルギーに変える悪魔系
それをちょっとライトにしたウザカワ系
自分がどう認識するかだけの問題 >>449
全然違うぞアホ。自分の解釈じゃなくて少しは勉強しろ >>479
梵天という宇宙最高神もお釈迦さまの教えを乞う
というドラマティック展開 >>443
神道はアニミズムや自然崇拝みたいなもんで、教義が存在しないのが特徴
なんだその独自理論 >>469
真理を知り、それを体現することだよ
ちなみにお釈迦さんの知った真理は
「あれ?世界って意味ねーじゃん」 >>484
それぞれの人に合った理解、限界がある
人は信じたいものしか信じないからな
おまえはそこか
悪人だけが救われるよりはまだマシか 悟りは
周梨槃特のようにただひたすら掃除を続けるだけで得られる
5chの糞スレに
ただひたすら糞レス続ければ良い >>483
でもたしかに仏教と神道って、どこか近いというか親和性がある気がする
少し前までは神仏習合だったのも、何か意味があったのかも 最新のホログラフィック宇宙論見ると、
どこかの2次元の平面から3次元に投影された幻影がこの世や宇宙ならば、
ますます色即是空を説く仏教の世界そのものに思えてくる
投影してる元の情報源には宇宙の全てや、
量子もつれの作用でこの世で起きたことが逆にそこに記録されてるだろうから、
そこに行けばまさに森羅万象現在過去未来まで知ることが出来る
それが悟りや解脱ってことかもしれないし
そうなると現代の最新の科学で到達した世界に、
2500年も昔にたった一人でたどり着いたお釈迦様の偉大さ凄さを改めて思い知る 思考回路を構築するロジックに空の概念があるんだから
現代人の大体は悟ってるんだよ
悪足掻きしてる奴が多いんだけ 何千年進歩のない何枚たアーメンじゃよげんじゃーだな能天気もばれてるし >>476
参考になった
「徳を積む」とか「陰徳を積む」ってのも修行のひとつ? 誰もが悟りの境地を目指してるワケじゃない
そんな奴ほぼゼロ
しかし今どきの拝金教は悟り目指すよりキツい生涯を強いる
圧倒的多数のカネの亡者は心安らかな人生とは真逆を生きている >>476
俺も勉強になりましたm(__;)m
ほんとその通りだと思う >>394
日本で有名なのは最澄と空海しかいないのか
てか、その派閥ってなんだ
顕教派閥と密教派閥ってこと?
いや、薄っぺらい知識で仏教語らないで >>493
やっぱり修行っていったら六波羅蜜だよね 自分のレベルが低い場合、心安らかに生きるには情報を遮断するしかないです
ギャンブルがないなら、ギャンブルにハマって破滅することもないのです
ではどうしたらいいか、まずは安らかに生きるなんて無理なんだってことを自覚することからです
スマホすてる、ネットもみないってできるの?wってことです
レベルがあがれば簡単に捨てられますw 精神レベルを上げたいなんて(まだ)思わないでしょう?w
抜け出す方法は徹底的にやって飽きることです 一生かかってもたりないかもしれません
抜け出しが早い人は、たまたまでも「なにかしたいことが他にある人」です ???「どんな悪いことした人間でもひたすら念仏唱えてたら極楽浄土にいけるぞ」 輪廻転生して人生って糞ゲー延々とやらされることから抜け出す為に解脱するんでしょ?
でも阿弥陀さま推してれば死んだ後は特急で極楽行けるんだろ?おかしくね?
天台宗から浄土宗に変えた方が良い感じ? 修行なんてするつもりはサラサラないけど
苦行が与えられるのであればそれに立ち向かいはするな。
自分が極楽に行くための修行ではなく、他人(在チョン)を地獄に落とすための修行だと思ってる。
この苦行に打ち克てば、確実に目標は達成できるからな。 >>502
読むのをファミマガからファミ通に変える程度の違いしかないよ 現実的に言えることはあります
現代社会には現代社会の修行があります(仏教は修行いいたがるから、乗ってみましたw)
それは自分が欲しくないものから離れる修行です スルーできてますか?w
欲しくないものから離れるには、2つやりかたがあります
まずは欲しくないものに執着するのではなく欲しい物に集中することです
もうひとつは、欲しくないものの定義を変えるです
スポーツ選手は、厳しい練習を自分に課します
それは、厳しい練習が自分にとって価値があると知ってるから、やれるのです
同じようにすればいいだけですw 本当はスポーツと同じです
ユーミンも、すべてのことはメッセージと歌ってましたが、やや受け身です
自分でいいほうに考えることです スポーツのように 人生は逆説に満ちています ダイナミックともいいます
苦行も価値があるのですよw
苦行では目的が達成されないと気づくことの価値です
人生とは、自分に合わないこと気がついて、捨てていく作業かもしれません
自分に自由を与えると簡単にできるはずです
やってみたけど面白くない、つまらない、苦痛だ、と思ったら
離れたらいいのです
ですが、一旦戻ります 自分がしたいことに敏感になって、そっちに集中したほうがよくないですか?w >>507
>自分がしたいことに敏感になって、そっちに集中したほうがよくないですか?
これは人より楽しんでると思うわ。これが本体。
オマケとして、与えられた苦行には正面から立ち向かう。
苦行なんてしないに越したことないけど、与えられるんだからしょうがないわな(笑)
そこら辺は割り切って行くしかないんだわ。 道元禅師はおっしゃった
修証一如
修行してる姿が既に悟り
生活全てが修行 わかっていて楽しむというのもありだと思います
一時的な享楽のことです 宗教は否定するけど、それは目的意識の視点からいうてるだけです
執着という釈迦の考え方は、禁止とは違います
さらにいうと、自分に禁止を強いるほど執着が強くなるケースが多いです
我慢してエネルギーを貯めているだけですのでw
たとえばですが、金儲けて、スポーツカー見せびらかして乗り回していいんですよ
いずれ飽きますw 飽きたら次にいけばいいんです 三蔵法師、孫悟空一行が天竺にありがたいお経をもらいに長い長い旅をしたが
お釈迦さまが下さったお経は白紙だった
無字真経
天竺への長い修行の旅こそお経なのだ 田んぼできたえたこの声と親にもらったこの顔で、田舎のプレスリー 仏像の半眼はただ単に大麻吸ってる時の目だと思ってる >>517
タイで巨大な岩の上でずっと座禅組んで瞑想続けてた人がいて、近隣住民は徳の高い僧侶と思いお供物供えてたら、実は大麻ガンギマリのおっさんだったというニュースあったな >>488
わたしにとってそれは食べ物ではなく単に毒物であり
食べられる人にとっては紛うことなく食べ物と言えます
ひとつの物事を多角的に見ようとせず、食物かそうでないか、白か黒かに決めつけようとする
あなたの凝り固まった自我をこそ、私の愛で抜いてさしあげたく思う次第です
さぁズボンを降ろしてそこに四つ這いになりなさい ずっと無宗教のつもりだったが、
関西の故郷で親の通夜、葬式、7日ごとの法要、49日法要、100箇日法要
を経験したら、仏教に興味を持つようになりますた。
長いお経の後に西国三十三所御詠歌を唱えるので、法要が更に長くなる。
おかげで、全て終わってから、写経して納めながら西国三十三所巡礼しますた。
住んでる東京にも江戸三十三所があると知り、巡礼しますた。
納経軸と納経帳は、生きている間に守ってもらう観音様です。
死んだら棺桶に一緒に入れてもらい、観音様に導いてもらいます。
般若心経を暗唱できるようになったのも大きいな。
今から、板東三十三所巡礼に出発します。
皆様にもお釈迦様と観音様のご加護がありますように。 >>517>>518
お釈迦様や仏教は歓楽や快楽に溺れることを戒めてるから
同じように見えても本質は全然違うことってよくあると思う こういうスレでもよく見かけるけど、俺は詳しいんだぜアピール激しい人って、仏教を知ってはいても理解はしてないよね >>512
西遊記はそんな話だったか
史実の玄奘三蔵は真生のビブリオマニアで、手当たり次第に経典や論書を買い漁って(中身の精査もせず)唐に持って帰ったぞw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています