文鮮明の訪朝来日と金丸訪朝団の闇と関係者の名前

八幡 和郎


旧統一教会と安倍元首相の「ずぶすぶの関係」をでっち上げようとする人たちは、
旧統一教会の1991年以降の目標が、北朝鮮を温存したかたちでの南北統一であること、
それが安倍元首相とはまったく反対方向の路線であることを隠すのに必死だ。

統一教会は北朝鮮とのパイプをつくるために、1990年代の前半巨額の資金が必要となり、
それまでより強引な金集めをエスカレートしたし、それを支援したのは、金丸や小沢のグループ、
中曽根、村山内閣などで、1991年に安倍晋太郎が死んで、浪人中、あるいは一年生代議士だった
安倍晋三は全く関係ないのである。

2002年の小泉訪朝以降の流れは、『安倍さんはなぜリベラルに憎まれたのか
? 地球儀を俯瞰した世界最高の政治家』で詳しく紹介したのでそちらをご覧戴くとして、
金丸訪朝からその時期までの日朝関係と統一教会を振り返ってみよう。

まず、このころの時間の流れだが、このようになっている。

中曽根無所属で統一教会の支援で辛うじて総選挙で当選→金丸訪朝団→
小沢一郎訪朝(1990)→文鮮明訪朝(1991)→金丸の斡旋で文鮮明訪日→
桜田淳子の合同結婚式→東京佐川急便事件で金丸失脚(1992)→細川政権誕生(1993)→
村山自社さ政権で統一教会への規制をしないことを決定という時間的な流れだ。

https://agora-web.jp/archives/220902011319.html