返還された日章旗を広げる宮下嘉英さん(左)と米国から持ち帰った坂井昭さん=群馬県高崎市で2022年8月9日午前11時47分、庄司哲也撮影
太平洋戦争中にフィリピンで戦死したとみられる群馬県高崎市出身の鈴木留司さん(当時33歳)が戦地に持っていった日章旗が米国で見つかり、同市在住の次男、宮下嘉英さん(78)に返還された。宮下さんは「父が戦地に赴いた時、私はまだ生後3カ月だった。父の旗がこうして戻ってきてくれてうれしくて涙が出た」と感慨深げに話す。【庄司哲也】
【写真】毎日新聞記者が捉えた被爆1カ月の広島
鈴木さんは1944年6月に戦地へと赴き、フィリピン・ルソン島南部にあるレガスピで、米軍艦艇に体当たりする旧海軍の水上特攻艇「震洋」の部隊に所属。45年4月29日に戦死したとみられる。
鈴木さんの旗がどのような経緯で米国に渡ったかは不明だが、千葉県君津市の歴史研究家、坂井昭さん(69)が、米ワイオミング州で73年にホームステイした際の受け入れ家庭から託されて2019年8月に持ち帰った。遺族を探したが、旗の持ち主の鈴木さんがどこの出身かさえも分からず、以前に別の日章旗の返還を巡ってつながりがあった滋賀県平和祈念館に保存を依頼した。
その後、同館が旗の寄せ書きの「多胡」「長壁」「島方」の名字が群馬に多いことに気づき、群馬県庁に連絡。遺族に支給される特別弔慰金の資料から実子の宮下さんが高崎在住であることが分かった。
7月28日に県庁から「鈴木さんの日章旗が見つかった」と、宮下さんに連絡があったのは3歳上の兄朔一さんが息を引き取る4時間前だった。朔一さんの告別式が行われた2日に旗が届いたという。
旗は絹製で、縦68センチ、横96センチのサイズ。破損などはほぼない状態。「不惜身命、我も続かん」「万人力」などの言葉とともに、宮下さんや朔一さん、いとこの名前が書き込まれていた。
宮下さんは「いろんな偶然が重なって旗が戻り、兄が息を引き取る前に報告ができた。保存してくれる資料館などがあれば寄贈したい」と話している。
海軍 震洋
https://i.imgur.com/6RR5DaT.jpg
陸軍 マルレ
https://i.imgur.com/vcbZSfw.jpg