村田諒太vs. ゲンナジー・ゲンナジーヴィッチ・ゴロフキン、井上尚弥vs.ノニト・ドネアと、今年は歴史に刻まれるメガ・ファイトが我が国で催された。スーパーチャンピオンが来日し、日本人との激闘を繰り広げるのがいわば「当たり前」のように思われるようになったいま、世界との距離を縮めた「あの一戦」を改めてクローズアップしたい。

その一戦がなければ、日本のボクシング界は今日のような道を歩んでいなかったかもしれない。

ガッツ石松とロドルフォ・ゴンザレスの一戦がそれだ。

かつて135パウンド(61.2キログラム)の世界のベルトは、アジア人にはとても手の届かない高嶺の花とされた。その壁をぶち破った男―――第12代WBCライト級チャンピオン、ガッツ石松(73)。

彼が1974年4月11日にロドルフォ・ゴンザレスを8回KOで下して同タイトルを奪取するまで、日本人がライト級で世界の頂点に立つことなど、夢物語に過ぎなかった。

後に、フロイド・メイウェザー・ジュニア、マニー・パッキャオといったスーパースターが腰に巻く緑のベルトを手にした石松だが、この戦い、一筋縄ではいかなかった。レフェリーが、どうしてもゴンザレスを勝たせようと、露骨な動きを見せたのだ。

第8ラウンド1分14秒、石松の右フック、左フックを浴びたチャンピオンのゴンザレスは両膝を付いて前のめりにダウン。止めを刺そうと襲い掛かった石松の右、ショートの左アッパーを喰らうと、ゴンザレスは2度目のダウン。

だが、レフェリーはスリップと主張し、ゴンザレスの腕を引っ張って起き上がらせる。そのさまに会場となった日大講堂は騒然とし、石松陣営からもレフェリーに向かって怒号が飛んだ。

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