帰還待ちわびた古里で12年ぶりの田植え それでも…揺れる思い
毎日新聞 2022/6/10 16:30
山から吹き下ろす風が初夏を感じさせる。5月下旬。兼業農家の半沢富二雄さん(68)は、福島県葛尾(かつらお)村野行(のゆき)地区で田植えをしていた。「感覚が戻ってきたね」。12年ぶりに運転する田植え機で、田んぼを繰り返し往復すると、緑の苗が広がっていく。徐々に取り戻しつつある日常。でも、その表情は決して明るくない。「不安の方が多く、喜べる状況ではない。ここからなんだ」
野行地区は村北東部にある山あいの農村。農家に生まれた半沢さんは、小学生の頃から田植えを手伝った。村役場に勤めるようになってからも、週末には米作りに精を出した。周辺の山でふんだんに採れるフキやワラビ、キノコは、訪れる親戚らにも喜ばれた。
そんな穏やかな生活は、2011年3月の東京電力福島第1原発事故で終わりを告げる。村の中心部は福島第1原発から25キロ圏内にあり、ほどなく全村避難を決めた。当時同居していた両親と妻、娘2人は、県内の須賀川市、郡山市に親戚を頼るなどして避難した。
半沢さんは当時、村教育委員会事務局の次長。多忙を極め、家族全員と無事に再会したのは5カ月後だった。11年10月、一時立ち入りが認められて自宅をのぞくと、放射線量が高く、室内は動物に荒らされていた。
避難生活を始めて痛感したのは、自分にとって米作りがいかに大切か、ということだ。米を買いに行くよう妻に頼まれると違和感を感じた。「あって当たり前。なぜ金を払って買わなくちゃいけないんだ」。週末、何もせずに一日が終わることも珍しくなかった。
16年6月に村内の避難指示が野行地区以外で解除されると、次は自分たちだ、と意気込んだ。前年に郡山市で建てた新居は平屋建て。いつでも古里に戻れるようにと考えたからだ。
野行地区には、一時立ち入りの手続きを取って何度も足を運んだ。庭の手入れや片付けのためだ。自宅は19年に解体し、周囲の家も次々と取り壊された。それでも古里への帰還を諦めきれず、21年11月には敷地内に自宅を再建した。
https://mainichi.jp/articles/20220610/k00/00m/040/152000c