小松川事件


犯人は東京都城東区(現:江東区)亀戸出身の在日朝鮮人であり、窃盗癖もあった。図書館からの大量の書籍の他、現金・自転車の窃盗を行い、保護観察処分を受けていた。

李は、犯行当日プールで泳ごうと思い同高校に来たところ、屋上で読書をしている被害者を発見。彼女をナイフで脅し強姦しようとする。しかし大声を出されたため殺害し屍姦、遺体を屋上の鉄管暗渠に隠した、と自供。また彼は4月20日にも、23歳の賄い婦を強姦し、殺害。その後も屍姦したと自供した(強姦については法廷では否認、検察によって導かれた供述であるとした)。

李は1940年2月生まれで犯行時18歳であったが、殺人と強姦致死に問われ、1959年2月27日に東京地裁で死刑が宣告された。二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定した。

事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、大岡昇平ら文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった。大岡昇平、木下順二、旗田巍、吉川英治、渡辺一夫らは「李少年を助けるためのお願い」(1960年9月)という声明文を出し

『私ども日本人としては、過去における日本と朝鮮との不幸な歴史に目をおおうことはできません。李少年の事件は、この不幸な歴史と深いつながりのある問題であります。この事件を通して、私たちは、日本人と朝鮮人とのあいだの傷の深さを知り、日本人としての責任を考えたいと思います。したがって、この事件の審理については、とくに慎重な扱いを望みたいのであります』と訴えた。

また、被害者の遺族(父親)は
『これまで、日本人は朝鮮人に大きな罪をおかしてきました。その大きな罪を考えると娘がこうなったからといって、恨む筋あいはありません。もしも珍宇君が減刑になって出所したら、うちの会社にひきとりましょう』と申し出た。
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