終戦直後の一時期、沖縄本島中南部にいた通称「チャイナ部隊」を調査する戦後沖縄チャイナ部隊研究会(代表・森岡稔西原中教諭、6人)が、宜野湾市喜友名の状況について情報提供を呼び掛けている。
チャイナ部隊は森岡氏が2006年に調査を開始するまではその実態や資料はほとんど知られておらず、同研究会では住民の記憶を証言によって掘り起こす作業に取り組んでいる。
同研究会によると「チャイナ部隊」は1946年8月ごろから49年6月まで沖縄にいた中国国民党の一団。
実態が解明されていないため、同研究会では軍事的な部隊といえるか結論を出していない。米軍の余剰物資やスクラップを上海などへ運び出す任務を担った。
宜野湾市喜友名のチャイナ部隊については、これまでに沖縄戦後に個人の土地所有権を明確にする作業の一環で作成された土地所有申請書の記載から、関連する場所が11カ所あった可能性が明らかになっている。ただ、当時の正確な地図が見つかっておらず、照合には後年作成された一筆地調査図を使わざるを得ないのが実情だ。
このため、研究会では住民の証言を重視。土地所有申請書に「軍用自動車捨場」などの記載がある場所がチャイナ部隊と関連があると推定しているが、森岡氏は「『チャイナ部隊の場所から海が見えた』という証言があるが、11カ所はいずれも海を望める場所とは言い難い。より多くの証言を集め、文書と照合していく必要がある」と指摘する。
一方、チャイナ部隊が沖縄にいた時期の正確な地図については、ウィリアム・ペリー元米国防長官が自著「核なき世界を求めて 私の履歴書」で米陸軍が1946年から1年半の間に作成していたと記している。
ペリー氏は米国防長官時代、米軍普天間飛行場の返還交渉に携わっており、研究会メンバーの波照間陽(しの)さんは、早稲田大学大学院で同飛行場返還交渉について研究。「ペリー氏が作成に携わった沖縄の地図を見れば、チャイナ部隊の位置が分かるのではないか」と話し、米国で調査を行えないか検討している。
メンバーの中村春菜・琉球大学人文社会学部准教授は、県内の地域誌の状況にも精通しており、チャイナ部隊について「地域誌の中でも始まったばかりの分野。一つのトピックとして踏み込んだ考察ができるように調査を進めたい」と話す。情報提供は同研究会、メールアドレスはchinabutai@googlegroups.com。(松田良孝通信員)
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/904175