「自分、不器用ですから」。そう言って多くを語ろうとしない高倉健。レイモンド・チャンドラーの小説に出てくるハードボイルドな主人公。
未だに日本ではこうした寡黙な男性が「理想像」として語られています。ペラペラ喋らずに黙って働き家庭を支える、それこそが男なのだと。
どこか不器用で、それでいて愛すべき存在のオジサンたちが追い求める「男らしさ」。しかしそれは、ひとつの大きな代償を払うことで成立しています。
退職後、「社会との唯一の窓口」であった妻を亡くした男性が、社会との接点を完全に失い、後を追うように亡くなってしまった。
人生でただひとつの生きがいだった仕事を辞めた男性が、近所やコミュニティーへの溶け込み方が分からずに家に閉じこもってテレビを見てばかりいる。
上場企業の役員だった男性が、現役時代のプライドを引きずったまま、マンションの理事会で「オレ様トーク」ばかりするので老害化し、孤立している――。
あなたの夫や父親、あるいは周りに、このような男性はいませんか?
男らしさの追求、それは「日本の男性は世界一孤独である」という代償の上に成り立っているのです。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0c701fa8cf438108b760bf0ebdb479568703724d